全ての全国精神行政会へ

 

親愛なる友らよ、

 

ご存知のように、世界の人々に直面する困難な状態や国家内および国家間の不和に起因する絶え間ない問題は、これまで万国正義院からのメッセージの際立ったテーマでありました。もちろんバハイは常に世界の情勢に関心を払っています。人類の幸福とその平和や安寧は、「汝らの生きる時代の要求を憂慮し、そこに関心を寄せよ」というバハオラの勧告を肝に銘じる者ら皆が常に望むことです。さらに、世の改善に貢献し、社会的生活に建設的に参加したいという信者たちの切望と政治に関わらないことは、何ら矛盾するものではないことは全く明白です。非常に多くの人々を悩ましている苦難に対する意識は、根本的な社会変化に対するコミットメントを強める一方、バハイによる政治活動は共同体のエネルギーを消散させ、この変化をもたらし損なわせるだけです。それは社会の精神的変革から起こらなくてはいけません。この概念は、2013年3月2日付のイランのバハイ達に宛てたメッセージの中で万国正義院により詳しく吟味されており、多くの共同体は、このメッセージを時折読み返すことが有益だと感じています。われわれは、それと非常によく似たトピックについて、要点の追加をあなた方に伝えるよう依頼されました。そして、この手紙は、あなた方が最も適切であると判断する方法で友らと共有して下さって結構です。

 

社会の深まる不快感の顕著な症状の一つは、公の論議が、堅く固められた政党派閥的見解を反映しながら、より強い恨みや敵意に向かって転落の一途をたどっていることです。このような最近の論議で流行っている特徴は、政治的な意見の相違がまたたく間に非難中傷や嘲笑に堕落してしまうことです。しかし、今の時代がその前の時代と特に違うのは、このような論議の非常に多くが、世界にまる見えの状態で行われるということです。ソーシャル・メディアやそれに関連したコミュニケーションのツールでは、物議をかもすものは何でも大きく取り沙汰されています。そしてまさにそれと同じツールを用いて、瞬時にして個人が何でも自分の関心を引いたものをさらに広め、明示的であろうと暗黙的であろうと、様々な所感に支持や反対を投じることが可能になりました。かつてない安易さで、人がそのような公の討論に参加できるようになったことと、そのテクノロジー自体の性質で、一時的な判断の怠りや不注意な行為はさらに頻繁になり、その跡形は消えてなくなりました。

 

このことは、信教の原則が政治的な論争やあらゆる類いの対立への関与を禁止することを十分に承知しているバハイにとって、特別な含みを持ちます。「汝、政治に関する言葉を口にするな」というのは、アブドル・バハが一人の信者に与えられた忠言ですが、さらに「誉める以外は、地球の王たちや世俗的な政府について何も語るな」と付け加えておられます。ショーギ・エフェンディは、「いかに華やかで、その即効が遠大であっても、不完全な世界のつかの間の影にしか過ぎない世俗的な出来事の汚れと埃で」大業に対するわれわれのビジョンを曇らせてはならない、と警告されました。不和をもたらすような全ての政治的に問題から距離を置くことの重要性については、友らは十分承知していますが、周囲の人々のために奉仕したいという賞賛に値する誠実な願望に動機づけられて、切迫した社会問題に彼らが従事することも、彼らを難しい状況に置きかねません。予想もしない進展で論争に成り得ないような課題が政党路線に沿って人々を分断する問題になることもあれば、政治の領域でよく使われる不健全な表現のモードと同じもののいくつかが論議の他の領域に移ることもあり得ます。特に抑制されないソーシャル・メディアの領域において、悪は、真のものであれ、想像上のものであれ、直ちに誇大され、様々な感情が簡単に掻き立てられます。義憤かもしれませんし、自分の見解を売り込みたいという欲望かもしれませんし、もしくは新しい情報の発信源として見られたいという切望かもしれません。無害と思われるものや善意から出たものでさえ、よく吟味してみると、社会の分断を深めたり、相対立するグループ間の差異に油を注いだり、不和を恒久化したりして、意見一致の可能性や解決の模索を追い払っています。もしある人の投稿が挑発的であったり異議あるものであったりしたら、それに反応することは、知らない内に初めの意見を強化したり、その露出を増大させたり、事態を悪化させたりする結果を呼ぶかもしれません。「祝福された美」に従う者たちは、自らが利用すると決めたテクノロジーが何であれ、理性を持った良心的なユーザーになり、洞察と精神的なけじめを持たなくてはいけません。彼らは自らの表現の仕方において常に大業の気高い標準を頼りにして、自らを導くべきです。バハオラは次のように仰っています。

 

      全ての言葉には精神が賦与されている。故に話し手や解説者は、一つ一つの言葉        が与える印象が明確で理解されるように、適切な時と場所を踏まえて注意深く言    葉を伝えるべきである。偉大なるお方は次のように仰っる−「ある言葉は火  に例えられ、またある言葉は光に例えられる。そしてその両方が及ぼす影響は世      界にはっきり現れる。」

 

自分たちの周囲の人々と普通に関わる上で友らが守るべき規範もまた、時にはより綿密にソーシャル・メディアを通して行われるコミュニケーションの特徴を表すものでなくてはなりません。この規範には陰口の禁止、他人の目を通してではなく自分自身の目で世界を見るという忠言、人類の一体性を支持し「自分たち」と「彼ら」という考え方を避ける必要性、そして協議の原則とそれに関連した礼節などが含まれます。

 

友らは、バハイの書物に書かれている基準と比べると無思慮または軽率と思われる形で仲間の信者たちが他人のコメントに対して意見したりそれを共有したりする例に時々出くわすことがあるでしょう。この類いの投稿に遭遇した時に、そのような行いは、異議を唱えるものではないとか、容赦さるべきものとか、それどころか奨励されているのだと結論づけることは間違っているでしょう。該当する個人の尊厳を考慮して出来る限り慎重に行いますが、バハイの機構が個人の信者に彼らのオンラインでの行動に対して勧告することは稀ではありません。

 

上述の考慮が関わる領域は多くありますが、その中の一つの例は、ソーシャル・メディア上でのイランに関する議論です。すぐに理解できると思いますが、これは特に敏感な領域ですから、友らは特に注意が必要です。オンライン上の軽率な発言が彼の地の信者たちを危険にさらしたり、もしくは大業の敵にバハイを誹謗中傷する手段を与えたりすることにもなり得ます。この点で細心の注意を払うことがイランで唯一苦しめられている共同体を守るために不可欠です。

 

これに関連して、万国正義院は信教発祥地の外に居住するイラン人信者たちにもう一点伝えるよう、われわれに依頼されました。これらの友がイランのバハイの仲間の安泰に強い個人的な関心を持つのは理解できることです。しかしながら、母国とは関係なく、彼らの最たる義務は、現在居住する地における信教の発展にあるべきです。確かに、信教の歴史を通じて、イランのバハイがあらゆる大陸で布教活動に成した貢献は多すぎて語り尽くせないほどであり、万国正義院はこれらの友が居住の地で五年計画推進に自らの努力を傾けるのを見て喜びを感じています。これが彼らの主要な目的でなくてはなりません。そのような目標に向かってまい進することこそ、イランの精神的な兄弟姉妹に喜びをもたらし、確固としたこれらの僕らが払う犠牲に対して、敬意を示す適切な術なのです。

 

                                              愛情を込めたバハイの挨拶を以て、

 

                                              事務局

 

cc:   国際布教センター

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