2010年12月28日
大陸顧問団大会へ
親愛なる友ら
1.我々が、このように大陸顧問たちを聖地に集めて、バハイ共同体の発展の道筋、つまり拡大と強化という一対のプロセスを加速させるうえで通らざるを得ない道筋について最初の一歩を提示してから15年が経ちました。それまでに積み重ねてきた経験により、バハイ共同体には自信をもってその針路をとる準備が十分にできていました。わずか15年の間にあった前進をここで詳しく述べる必要はありません。その実績がすべてを物語っています。今日は、バハイ世界が推進している大事業の次の段階についての検討を始めていただきたいと思います。信教形成期の幕開けからの一世紀の終わりまでにこれから五年計画が二つ続きますが、今は2011年レズワンから2016年レズワンまでの、一つ目の五年計画がテーマです。これからの数日間、皆さんには、共同体の驚くべき業績をさらに拡大するために、大陸顧問とその補佐やアシスタントたちがどのように援助していくかについて明確な構想を打ち出すよう求められます。今度の五年計画では次のようなことが課題となります。すなわち、共同体のティーチング活動を顕著に特徴づけている学習方法を他の活動分野にまで広げること、大変な苦労を通して開発してきた手段と方法を徹底した一貫性をもって活用する能力を身につけること、そして信教のビジョンに気付き、神によって与えられた使命を懸命に遂行する人々の数を、これまでを遥かに超える程に増加させることなどです。
2. 我々は今年のレズワン・メッセージで学びのプロセスを促進する要因について解説
しました。継続する四つの地球規模の計画を通してそのプロセスに着実に弾みがついたお陰で、友らの草の根の活動に携わる能力が強化されました。この立場に立ってみる展望は実に雄大です。最初のインスティチュート・コースの修了者数は世界中で35万人を超えており、それによって祈りの姿勢をもった生活パターンをつくる能力が確実に高まっています。すべての大陸で、様々な状況下で、バハイの友らは他の人たちと共に一堂に集まって祈りをしたり、万物の主に心を向けて嘆願し、個人的、および集団的努力の成功に必要な精神的援助を求めたりしています。五年間でバハイの子供クラスを担当できる人がほぼ倍になり、総計13万人まで増えました。そのお陰で、子供たちの精神的なニーズに全面的に応えられるようになりました。ジュニア・ユースも決して忘れられてはいませんでした。この同じ期間に、人生の重要な発達段階を無事に通過するようジュニア・ユースたちを援助できる人材も6倍ほど増えました。また、あらゆる所で、ますます多くの友らが、様々な背景や関心を持つ人々と会話をし、この時代のニーズ、およびそのニーズに対処する方法について共通の認識に達するよう、共に真理を探求する用意ができています。さらに、世界各地で、スタディ・サークルを担当できる7万人近くもの友らの努力によって、核となる活動の組織的な増加が支えられており、いまでは常に50万人がなんらかの核となる活動に参加しています。
3.我々がレズワン・メッセージで明確に説明したように、人材開発のために、このように創られたシステムは「最大名」の共同体に限りない可能性をもたらす手段です。多様な状況下で、そして、ほとんどすべてのクラスターにおいて、ごく数人の仲間が核となり、それが徐々に拡大し、やがては新しい世界秩序の目標への動きを創り出すのです。10年前、我々が信教の成長を考え易くするために「クラスター」(地域区分)という概念を導入したとき、その発展を4つの大まかな段階に分けて解説しました。バハイ共同体が五年計画を実施に移した時、この概要は、流動的な展開を具体的に捉えるうえで非常に有益でした。それ以来、豊富な経験を積んできた今、信者達は、高まる精神的な力に刺激された人々の前進を、多様性に富む、活き活きした連続性をもつ動きとしてとらえられるようになりました。すでに皆さんは十分ご承知ですが、その過程がいかに有機的なものであるかを強調するため、ここで改めて、クラスターで展開されるプロセスを簡潔に解説いたします。
成長のプログラム
4.どのクラスターにおいても、成長のプロセスがどのように始まるかは、最初にそれに関わる友ら、あるいは、場合によっては一人の国内パイオニアが置かれている状況によって異なります。つまり、どのようなきっかけで地域の住民と、有意義で、特色ある会話ができるようになるかによって決まるのです。数名の友人や同僚で構成されるスタディ・サークル、近所の子供たち数人のためのクラス、放課後の時間帯に行われるジュニア・ユース・グループ、家族や友らのために開かれる祈りの会――これらはどれも、成長を刺激するうえで役に立ちます。しかし、その後どう展開するかについて予め決められた進路はありません。状況によっては、核となる活動の中のある一つが他の活動よりも先行して、より急速に増えるかもしれませんし、四つの活動のすべてが共に同じようなペースで進展する可能性もあります。また、動き始めたばかりの活動を勢いづかせるために、他所からのチームに援助を求めるかもしれません。しかし、展開の詳細はともかくとして、みな同じ結果に到達しなければなりません。つまり、どのクラスターでも、核となる活動が融合し合った状態を達成し、それらの核となる活動を全体的にみたとき、そこに拡大と強化のプロセスを持続させるための初期段階のプログラムが見えるようでなければなりません。すなわち、祈りの会、子供クラス、ジュニア・ユース・グループといった、核となる活動が、規模は小さくても、また、組み合わせがどのようであっても、それらの活動を支えているのは、一連のインスティチュート・コースを進み、これらのコースには個人、および社会を変革させる力があると確信する人々であるべきです。この、系統だった活動の分野への新しい人材の流れ込みが、持続可能な成長のプロセスの最初の一里塚なのです。
5. いま進行中の、連続する地球規模の計画の目標を促進するための機構や機関は、それほどまでにダイナミックなプロセスを創り出すためそれ相当の機動力を発揮しなければなりません。中でも、顧問補佐たちは特にそうです。友らがこの最初の一里塚と、それを達成するための様々な方法とを思い描けるよう援助することは、すべての顧問補佐とアシスタント達の主要な役割です。アシスタントの役割に関してはますます増えつつあります。これに当たって彼らは、他の仕事と同じように、幅広い視野と明晰な思考、そして柔軟性と高い問題解決能力を示さなくてはなりません。彼らは友らと肩を並べて、友らが奮闘している時は力を貸し、うまく行っている時は共に喜び合うべきです。友らの中には、すぐさま活動の最前線に移る人もいれば、多少ためらいがちな人もいますが、だれもが支援と励ましを必要としています。その支援と励ましは抽象的なものでなく、奉仕の現場で共に働くことによってのみ得られる具体的な知識に基づいたものでなければなりません。信者達から計画への全面的な参加を導き出そうとする補佐とアシスタントたちにとって、奉仕に立ち上がろうとする一人一人の能力を信じることは極めて大切です。ためらいを神への信頼から生まれる勇気に変え、一時的な興奮を求める衝動を長期的活動への覚悟に変えるのを助けるには、恩着せがましさとは無縁の、無条件の愛が不可欠です。また、立ちはだかる障害物がどのように進歩の足がかりに変えられるかを実地に示すには、冷静な決意が重要でしょう。そして、統合された行動の重要性についてある友らの理解を妨げているものがあるのなら、それを突きとめるために、研ぎ澄まされた精神的理解力、ならびに、喜んで耳を傾ける態度が不可欠でしょう。
活動の集中の度合い強化
6.成長プログラムにとりかかろうとすると、共同体意識が徐々に芽生え、その意識が活動の展開に影響を及ぼすようになるということに注目すべきです。友らの活動は、それがクラスターのあちこち散らばった箇所で行われるものであれ、あるいは特定の村や隣近所に集中して行われるものであれ、その努力を特徴付けているものは共通の目的意識です。初期段階でこの意識を導いた組織がどのレベルのものであったにせよ、核となる活動が系統的、また、統合された形で増加して行くにつれ、より高いレベルの組織を速やかに構成する必要が生じてきます。活動は様々な手段でより組織化されます。この段階以前の活動は、主に個人の自発性によって進められますが、それからは、この自発性は集団によって発揮されます。ここで、人材開発センターが任命したスタディ・サークル、ジュニア・ユース・グループ、子供クラスなどの各種コーディネーターが活躍し始めます。どの順番でそれらのコーディネーターを任命しても構いませんが、現場の実状をきっちりと把握してその順を決めるべきです。というのも、大切なのは、一定の手順に従うことではなく、大勢の人に精神的な活力を与え始めている教育的な過程を展開させることだからです。
7.インスティチュートのプロセスを支える手段の確立と平行して、その他の行政機構も次第に整えられてきます。数人の信者たちによる時折の集りから、中心になる友らの数が拡大してくると、さらなるエネルギーを奉仕の場に向けるための定期的な集まりが始まります。成長の過程が勢いを増すにつれ、そのような形では計画つくりと意志決定におけるニーズについて行けなくなるので、地域布教委員会が結成され、反省会が制度化されます。地域布教委員会、および人材開発インスティチュートと顧問補佐との連携を通して、活動調整のための本格的な体制が作動し始めます。そこには、指導や基金や情報の流れを効率よく管理する能力がすべて備わっています。この段階に達する頃には、クラスター内の成長のプロセスは、拡大と強化という明確な周期で確立されたリズムに適合してくるでしょう。反省と計画のための3カ月ごとの会合で区切られているその周期は中断されることなく展開されます。
8.クラスター内で構築されつつある行政機構に必要とされる特質を確実に備えさせる責任は、やはり、顧問補佐と、地域協議会やインスティチュート理事会といった関連機関にあります。具体的に言えば、我々が世界中での使用を推薦している一連のコースは、この変革の過程を効果的に促進しているということです。これらのコースは、全員参加と、相互援助や支え合いを共に助長する環境を整えるよう設計されています。この環境における人々の関係の特徴についてはレズワン・メッセージで簡単に説明しましたが、皆が、自分たちを同じ奉仕の道を歩んでいる同士とみなします。また、そのような環境は確実に、信教の行政的活動に影響を及ぼすということも述べました。より多くの信者が謙虚な学びの姿勢で布教活動や行政活動に参加するようになると、彼らは、すべての務めや交流を、進歩のために力をあわせる、大業に奉仕するために助け合う機会とみなすようになるでしょう。こうして、指図し過ぎの傾向を抑え、複雑な変革のプロセスをマニュアルのようにして単純化してしまう傾向も避けられます。それぞれ別々の活動が流れの中の一環として配列され、たとえ小さな一歩でも意義あるものとなります。奉仕の分野における精神的な力の影響はますます明白になり、健全な成長過程に不可欠な人と人との友情の絆は継続的に強化されます。
9.発展のプロセス、生まれつつある組織、そして変わることのない友情という流れの中で、成長のための集中プログラムの「立ち上げ」という瞬間は、信教の拡大、および強化の加速に必要なすべての要素が揃ったというだけでなく、それらが十分効果的に機能しているという認識に達した時です。それは、ある地域の人々の精神的啓発のための、拡大し続け、継続するシステムの成熟を意味します。つまり、友らがトレーニング・インスティチュート・コースを途切れることなく進み、それぞれのコースが目指している活動に従事し、それによって信教の新メンバーが増え、その人たちがかなりの割合でインスティチュート・プロセスに参加し、システムの拡大を確実にするというものです。これが、各クラスターで努力している友らがやがては到達すべきもう一つの一里塚です。
10.
我々が以前述べたことの多くをここで再度述べたのは、本質に関係ない要因による複雑化に邪魔されなければ、大業の目的と原則によって鼓舞された人々の動きはいかに容易に育てられるかを、皆さんに伝えたかったからです。もちろん、前述の、簡潔に示した進路に困難が伴わないなどという妄想を抱いてはいません。成長は、危機と勝利を交互に繰り返しながら達成されるものであり、後退は免れないのです。参加率の低下、活動周期の中断、和合の絆の一時的な破綻――これらは直面すると思われる無数の挑戦のいくつかです。人的資源の増加や人材動員の能力が、急速な拡大の差し迫ったニーズに追いつかないことも少なくありません。しかし、成長の過程に決まりきったやり方を当てはめることは望ましい均衡を特徴とする成長のパターンにはつながりません。種々の活動の進歩における一時的な不均衡は成長の過程に付き物であり、辛抱強く対処することにより、やがて調整できます。均衡の取れた成長をどのように達成するかという理論上の概念を基準に、今成功している活動を縮小することは、多くの場合、非生産的だということはたびたび立証されています。必要な活動パターンをすでに確立しているクラスターの友らの経験は、他のクラスターの友らにも大いに役立ちますが、自分たちが置かれている現状を分析し、可能性を見いだし、資源を活用し、来るべき大規模な拡大と強化の緊急性に対する対応を学ぶには、自分たちで継続的に行動し、反省し、協議するしかないのです。
11. 今日、世界中で約1600のクラスターで、友らは成長のための集中プログラムに関する活動パターンの確立に成功しています。この成功はとても意義あることですが、決して、各クラスターで勢いを増しているプロセスの完成とみなすことはできません。友らには、新しい学びの領域が開かれており、バハオラが描写された人類のためのビジョンをますます顕著に反映する、生気に溢れ、規模も拡大する共同体づくりに力を尽くすよう求められます。そのようなクラスターは、また、パイオニアとなる可能性をもつ人たちの貯蔵庫という役割も果たさねばなりません。彼らは、主に自国のクラスターからクラスターへと派遣され、あるクラスターではバハオラの啓示の最初の光りを放ち、あるクラスターでは信教の存在を強化し、それによりすべてのクラスターが発展の道の最初の一里塚、あるいはその先へと迅速に進むことを可能にします。これを念頭において、我々は2011年のレズワンに、「最大名」の共同体に対して、成長のプログラムに取り組んでいるクラスター、その活動のレベルは問わないが、の数を次の5年間で5000にまで引き上げることを呼びかけます。この数字は、現在、世界中に存在するクラスターの数の約三分の一に相当します。
学びの領域を広げる
12. これまでの段落で、そして過去15年間の数多くのメッセージで我々が描写してきたことは、バハイ共同体の成長のための一連のアプローチにおける最新のものと見ることができましょう。これらのアプローチはそれぞれ、特定の歴史的な状況に適切な段取りでした。神によって動かされるこの成長のプロセスは160年以上前に信教の「発祥地」で生じた熱により動き始めました。その時、「新しい日」の召喚に数千人が応えました。そしてこのプロセスは、東洋の隣国や西洋のいくつかの地域にバハオラのメッセージを伝えるという初期の信者の努力を通して弾みがつきました。それはアブドル・バハによって示された「聖なる計画の書簡」を通してよりはっきりした形を与えられ、友らがバハイ活動のための小さな活動拠点を確立し、行政秩序の最初の支柱を建てるため、守護者の指導のもとに世界中に系統的に散らばっていくと勢いを得ました。そのプロセスは、世界各地の農村地帯で人々が集団で信教を受け入れたことによって勢いづきましたが、大規模な拡大と強化を維持する戦略を見つけるのに苦心しているうちに、かなり減速しました。そして、4年計画の初めに、数十年にわたる困難な、極めて貴重な学びの期間に得た経験をもとに、布教活動を系統化するようバハイ世界に呼びかけて以来この15年で、プロセスは着実に加速しています。成長のための現在のアプローチは、それ自体でも効果的ですが、それが一度クラスターに定着すると、信教に内在する「社会建設の力」をいっそう顕著に実証するためにさらに複雑さと洗練さを増さなくてはならないということは、誰もが認識するところです。
13. 敬愛する守護者は地球規模のバハイ共同体の発展に関して、目的に対する揺るぎない決意と粘り強い努力を友らに何度も奨励されました。また、「友らは、崇高な使命を意識し、信教が有する社会建設の力を信頼し、まだ胎児の状態にあるバハオラの世界秩序が成長し発展するために必要な機関を形成し、完成させるために妨げられることなく、また、ためらうことなく前進する」と満足感を表されました。守護者は、幻滅を感じている人類の「唯一の希望」は、「このゆっくりとした、目立たない建設のプロセス」にあるということを友らに指摘されました。このプロセスが規模と影響力を増し続け、やがてこの行政秩序が「新しい世界秩序の中軸というだけでなく、まさにその雛型として見なされる能力」を実証するということは、守護者の著作に明らかです。守護者はまた、「生命力に満ちあふれ、すべてに浸透し、治癒力をもつこの機構、発酵力あるこの勢力、結合力を有するこの動きは、政治的・社会的機構が機能不全に陥り、ビジョンを失い、道義心が混乱し、宗教制度が活力と効力を失ってしまった世界において、「形成され、」「機構に具体化され、」「その力を結集している」と強調しておられます。
14.
行政秩序が将来の社会の雛型として機能するためには、その秩序の中で発達する共同体が、ますます複雑化する物質的、精神的必要条件を満たす能力を習得するだけでなく、規模においても更に拡大しなければならないということは明らかです。それ以外の方法はあり得ません。一つの小さな共同体は、構成員が共通の信念で統合され、崇高な理想で特徴づけられ、業務管理と自分たちのニーズに対する処理能力に長け、種々の人道的な事業に従事するかもしれません。しかし、そのような共同体は繁栄するかもしれませんが、人類の大部分が直面する現実から自分たちに都合の良い距離を保っている限り、けっして社会全体を再構築する雛型としての役割を果たすことはできません。世界規模のバハイ共同体が、このような自己満足の危険をどうにか回避できていることに大いなる喜びを感じています。まことに、共同体の拡大と強化はしっかりと軌道に乗っています。しかし、世界中の村や町で、大勢の人々にかかわる行政を司ること、バハオラの「世界秩序」の旗が高く上げっている状態が見えるようになるのは、まだまだ遠い先の目標です。
15. そこに、学びのプロセスの最前線にいる人々が直面せざるを得ない、そして次の「計画」にも継続する課題があります。友らは、成長のための集中プログラムが確立されているすべてのところで、参加のレベルを上げるよう努力しなければなりません。苦心して確立したシステムが内向きにならないよう、いやむしろ、もっと多くの人々を包み込めるものにするため徐々に拡大するよう努めなくてはなりません。また、あらゆる階層の人々と交流し、バハオラとその啓示について会話する能力に自信がついてくると、そこで驚くべき受容性、いや、受容性どころか、自分たちを待ち受けていた高い期待感を発見しまが、それを忘れてはなりません。信教の直接的な提示は、それが十分に深みをもって行われ、また、強化のための健全な働きかけで補強されるなら、耐久性のある結果をもたらすということを確信すべきです。そして、大業の活発な支持者たちの比較的小さなグループは、それがどれだけ能力に富み、どれだけ献身的であったとしても、数千人はおろか、数百人の男女や子供から成る共同体のニーズにも応えられないという疑う余地もない過去の教訓を忘れてはなりません。これが示唆するところは明白です。あるクラスターに拡大と強化の責任を担う友らが数十人いて、共同体生活の活動に参加する人が数百人いるとすれば、これらの数字は著しく増えなくてはなりません。つまり、「計画」が終わる頃には、100から200人の友が、1000から2000人の参加者の活動を助けるようにならなくてはならないということです。
16.世界全体でIPG活動に取り組んでいるクラスターは1600ありますが、そのうち300のクラスターにおいて信者らはすでにこの新しい学びの領域に入っており、実に心強いことに、それらのかなり多くのクラスターで彼らはその領域をさらに拡大しています。このようなクラスターでは、トレーニング・インスティチュート(クラスター内で人材開発を担当する機関)によって始まった、それぞれ独自の条件に応じた教育プロセス、つまり、社会の最も若い層のための定期的な子供クラス、仲間意識の強いジュニア・ユース活動、および、ユースと大人のためのスタディ・サークルなどの更なる強化が何よりも大切ということが明らかです。これに関する詳細は、レズワン・メッセージで説明されています。インスティチュート・プロセスの変革の効果を自分のクラスターで目の当たりにした友らは必ず、その根底にある力をより深く理解しようとします。つまり、そのプロセスが創り出す仲間意識、そこで採用される参加型アプローチ、それが育む理解の深さ、それが推奨する奉仕活動、そしてなによりも、それが神の言葉に信頼を置いているということです。インスティチュート・コースで明確に打ち出されている諸原則がこのプロセスに確実に反映されるよう、あらゆる努力が払われています。具体的には「心を磨く」ということと「行動する」ということの相補性、知識とその応用の決定的重要性、誤った二分対立的考えの回避の強調、創造の力を持つ聖なる言葉の暗記の推奨、そして傲慢を喚起することなく意識を高めることへの配慮、などです。
行政能力を高めること
17.成長のプロセスの中心要素は学びの最前線にあるクラスターであっても変わるものではありませんが、人数が大きいだけ組織の体制はより複雑になります。これについてはすでに、地理的な拡大、あるいは数的成長の観点から幾つかの新しい方法が導入されています。つまり、クラスターをより小さく区分けする、反省会の分散化、インスティチュート・コーディネーターにアシスタントをつける、経験あるバハイで組んだチームを配置して現場の人たちを支援するなどです。我々は、国際布教センターが皆さんのしっかりした支援のもとに、次の五年計画でこれらの措置の効果をフォローし、学んだことを踏まえて確実な方法と手段を確立すると確信しています。この目標を達成するために、大陸顧問と顧問補佐やそのアシスタントたちは、秩序に則っているが堅苦しくない、独創的であるが無計画でない、思い切りいいがせっかちではない、慎重であるが制御はしない、というような雰囲気を友らの間に作り出す必要があります。と言うのも、最終的には、発展をもたらすのは技術ではなく、共通の見解、一貫した行動、そして学びに打ち込む姿勢だからです。
18.大規模な活動を調整するためのてだてが何であれ、継続的な前進は、地方精神行政会の発展と、地域協議会、さらに最終的には全国精神行政会の能力向上にかかっています。我々はレズワン・メッセージで、全国精神行政会が強化されつつあることに喜びを表しました。そして、これからの五年間はこの点について飛躍的な前進があると確信し、楽観しています。また、皆さんは全国精神行政会と協力しながら地域協議会の行政能力を高めることができると見ております。現在、世界中の45の国でこのような行政組織が170あり、次期計画ではこの数がさらに増えるでしょう。すべての地域協議会はトレーニング・インスティチュートの運営と地区布教委員会の機能を注意深く見守る必要があります。そのためにクラスター・レベルで展開している成長のパターンとそれに関連する学びのプロセスを進める手立てを講じ、また、完成させることが必要となるでしょう。それらの中には、書記を組織的に支援する、適切に機能する地域レベルの事務所;クラスター間のさまざまな基金の流れを管理する、健全な会計管理システム;村や隣近所の生活の実態に応じた効果的なコミュニケーションの手段;そして、必要なら、集中的に活動を支援する施設が含まれるでしょう。ここで認識すべきは、このような措置が効果を発揮するためには地域協議会自体が自らの学びのプロセスに関っていなければならないということです。さもなければ、隣近所や村で多くの参加者の実践による学びを支えるために設置されたシステムが、逆に学びのプロセスを微妙な形で損なう方向に働き、草の根で湧き上がってきている志を無意識のうちに窒息させる懸念があります。
19.皆さんの主たる仕事の一つが全国精神行政会と地域協議会との協調にあるなかで、皆さんの補佐たちは更なるエネルギーを地域レベルで行政能力を育成することに向ける必要があり、そこで彼らの目に、共同体建設という差し迫った必要性が実に明白に見えてくるでしょう。いたるところ、とくに活動が広がり、強化が必要なクラスターで、皆さんが、顧問補佐とそのアシスタントたちの目前にあるものについて構想するのを助けるため、我々はまず、世界の数多くの田舎にある地方精神行政会の進化について検証するよう皆さんに求めます。と言うのも、現在、そのようなクラスターのほとんどはそのような田舎にあるからです。
20. ご承知のように、たくさんの農村や、一つか二つの町からなる田舎のクラスターでは、成長のための集中プログラムに伴う行動パターンが定着しないうちは、多くの場合、友らの活動がいくつかの村に限定されます。しかしながら、今年度のレズワン・メッセージで説明したように、その行動パターンが定着すると、そのパターンを一つの村から次の村へと速やかに広げられるようになります。各村で成長の過程がなんとか始まったら、早くから地方精神行政会が設立されます。その精神行政会の着実な発達は、村での成長と同じような道筋をたどり、その共同体の成長と密接に結びついています。なお、地方精神行政会の発達は、その過程の他の面の発展と同じく、人材作りにかかっていると考えるべきです。
21. この発展に不可欠の第一歩は比較的わかりやすい過程です。つまり、各個人が核となる活動に直接関わることによって村での成長に勢いが増していることを意識するようになり、それが共同体共通の理解となっていきます。すなわち、共同体の皆は、その村で生じている変革の特質を認識し、地方精神行政会がその変革を育成する義務があるということを認めるようになるのです。地方精神行政会は、ある基本的な行政機能に配慮すべきということは疑う余地もありません。たとえば、ある程度規則的に会議を持つこと、19日毎フィーストの開催、祝祭日の集いの計画、地方基金設立、バハイの原則に沿った年次選挙の実施です。しかし、これらの業務と同時に、地方精神行政会は顧問補佐アシスタントの励ましを得ながら、共同体生活に直接関係する課題の幾つかについて協議することは難しくはないはずです。つまり、インスティチュートのブック1を終了した人たちが個人の努力で祈り会を催すことによって村の生活に祈りの姿勢は増しているか;インスティチュートが育てた子供クラス担当者がどのように村の子供たちの精神的教育に取り組んでいるか;ジュニア・ユースの精神的強化のプログラムが村の若者たちの可能性をどのように具現化しているか;友らが互いの家を訪問することによってどのように共同体の精神的、かつ社交的な面が強化されているか、などの課題の中から一つ、二つをとりあげて協議をするのです。地方精神行政会がこうした具体的な課題について協議し、愛情深く、忍耐強く成長の過程を育成する技能を学んでいるうちに、共通の目標を通じて、その精神行政会と地域布教委員会とインスティチュートとの関係は強まるでしょう。しかし、もっと重要なのは、こうした協議が地方精神行政会と個人の信者との関係の基礎を築くということです。その基礎の上に、地方行政会と個人の信者たちは、守護者が多くのメッセージに描写されているような、このうえない愛情に満ちた、心から支えあう関係を築くべきです。
22. 地球規模の成長計画に関するこうした特定の課題について協議する技能を学ぶことがどんなに不可欠であったとしても、それは地方精神行政会が取組まなければならない能力開発の過程の一面でしかないということは明らかです。精神行政会の継続的な発展のために、アブドル・バハの次のような命令を厳守することは不可欠でしょう。「協議は、人々の魂の精神的訓練、子供の指導、貧しい人々の救済、世界中のすべての階級に属する弱者の援助、すべての人々に対する親切、神の芳香の拡散と神の聖なるみ言葉の賞賛に関する精神的な問題に限定されるべきである。」
地方精神行政会の安定した進歩には、共同体の利益の促進に対する確固とした献身と、共同体の成長を引き止めるおそれがある道徳の衰退が成長を妨げないよう用心深く守ることが必要です。地方精神行政会の前進を促進するには、核となる活動に関わっている友らや家族の枠を超えて、村の全人口に対する責任感が求められます。なお、地方精神行政会のゆるやかな成熟を支えるものは、すべての精神行政会を自分の配慮と保護のもとに包み込むというアブドル・バハの約束に対する揺るぎない信念です。
23. こうした共通の意識の高まりには、共同体の活動援助や行政機能を果たすために利用できる財源やその他の資源を正確に把握し適切に活用する地方精神行政会の能力アップが伴います。それら行政機能の中には必要に応じて適切な委員会を設立することや、行政会の活動を支えるためのある程度の施設を持つことなどが含まれることもあるでしょう。それと同じくらい重要なのは、大勢の人が協調して活動をしやすい環境をつくり、参加者のエネルギーと才能が進歩に繋がるようにするに導く力です。これらのすべての面において、地方精神行政会が最も大切にしていることは共同体の健全な精神性です。このような行政会は共同体メンバーの信用を完全に勝ち取っていて、皆が、自然に行政会を頼るようになります。行政会は、当然ながら起こる問題、活動に関することや、共同体メンバーの個人の間の問題を処理できます。このような行政会は経験を通して、信者たちの派閥的な行動パターンを捨てるよう導き、どれだけ困難な状況のもとにあっても、常に正義を守りながら、和合の種を見つけ、それらの種をゆっくりと愛情を込めて育てる力がついています。
24. 以前に述べたように、共同体が規模的に拡大し、勢いを維持する能力が向上するにつれ、友らは社会の活動に増々関わり、自分たちが開発してきた手段やアプローチを、その村が直面する諸問題に応用することが課題となってきます。これまでの成長にとって不可欠であった一貫性は、またこの計画で行動の枠組みが進化するなかでも必須ですが、この段階になるとますます重要になります。友らが、行動と反省と協議の過程を通して、自分たちの社会の状況を改善するために信教の教えを応用するとき、友らの活動の統合性が損なわれないようになるためには、地方精神行政会が大きな責任を担うことになります。それは様々なプロジェクトの執行役としてではなく、道徳的権威としての役割です。
25. レズワン・メッセージでは、草の根の社会活動の特徴とその活動が満たすべき条件のいくつかを解説しました。村での試みは一般的に小さな規模から始まるでしょう。おそらくは、友らの集まりが幾つか形成され、それぞれが特定の社会的、あるいは経済的ニーズを取り上げ、それぞれが適切な活動からなる簡単な取り組みをするでしょう。19日毎のフィーストの協議の部は、共同体の高まる社会的意識を建設的な表現の場として活用できます。どのような活動に取り組むにせよ、地方精神行政会は、落とし穴となりうるものに十分注意し、必要に応じて友らがそれらを回避できるように助けなければなりません。それら落とし穴としては、エネルギーを消耗し、ついには維持できなくなるような過度に野心的な事業への衝動、バハイの原則からの逸脱を余儀なくさせる助成金の誘惑、村の文化的な伝統を奪い、分裂や不和を招くような一見良さそうな技術提供の約束などが挙げられます。やがて、村の友らは、地元のインスティチュート・プロセスの勢い、およびそのプロセスが育てた個人の能力によって、バハイの教えに刺激を受けた機関によって開発され、既に有効性が証明されている方法やプログラムを利用することができるようになるでしょう。さらに、地方精神行政会は、地元の社会的機関、および行政機関との関わり方を学び、村における信教の存在と、それが村の発展に及ぼしている影響について人々の認識を高めなくてはなりません。
26. これまでの段落で概説したことは、ますますメンバーが増えてくる共同体のニーズを満たす過程で、世界中の多くの村の地方精神行政会が徐々に発達させる特質のいくつかの例でしかありません。これらの行政会が、潜在能力と勢力を段々と現してくるにつれ、村人たちは行政会のメンバー達を「人々の間における慈悲深き御方に信頼された者」と見なすようになり、これらの行政会は、「聖なる芳香をすべての地域に拡散させ、知識の光をすべての創造物の上に放つ輝くランプ、および天来の花園」になるでしょう。また、それらの行政会から「生命の精神が、あらゆる方向に流れる」のです。
27. こうした深遠なビジョンは、もちろん、世界中のすべての地方精神行政会に当てはまります。大都会においても行政会の発展の特質は前述したものと基本的に同じですが、主な違いは人口の規模と多様性にあります。規模に関しては、成長の実態に応じて行政会の管轄地域を隣組レベルに分け、各隣組における行政活動のための機関を導入することも必要でしょう。多様性については、地方精神行政会は、様々な住民グループが地理的な枠を越えて集う多様な交流の場を把握し、できる限り、それらのグループにバハオラの教えの英知を提供するよう求められます。それに、村と比べて行政会が関わらなければならない社会的・行政的・文化的な機関は種類も数も多くなります。
バハイ行政機構のメンバーとしての奉仕
28. 我々は、上記で、次の5年計画における信教の行政的活動の発展について説明しながら、守護者が幾度となく強調された行政に関する警告を思い起こします。「大業の行政機関を完成させようということにとらわれてしまうあまり、行政機関が創られた聖なる目的を見失わないよう注意せよ。」バハイ行政機関は、「一つの手段とみなされるべきで、それが目標ではない。」と何度も繰り返されました。守護者はまた、行政機関は「二つの目的を果たすため」にあるとはっきり述べておられます。一つは「大業が、幅広く、健全で、普遍的なアプローチをもって、着実で段階的な成長を目指すようにすること。」もう一つは、「すでに達成された部分の内面的な強化を確実にすること」です。守護者はさらに続けて、行政機関には、「信教に潜在するダイナミックな力を開花させ、その力を形にし、人々の生き方や行動に影響を与えるようにすること、バハイ共同体を構成する多種多様の人々に意見交換の場を提供し、共同体の活動を調整すること」が求められると述べておられます。
29. 皆さんは次の五年計画で、地方から全国に及ぶすべてのレベルでバハイ行政機構の健全で調和のとれた発展を促進することに力を注ぐことでしょう。その努力の一環として我々は、皆さんが、地球上の全域にわたって勢いを増している成長の有機的プロセスの中で活動し、機能する友らを全力で支援するよう特に切望します。この期待が実現するか否かは、バハイ機構に奉仕する友ら(精神行政会のメンバーに選ばれた人、その各委員会に任命された人、インスティチュート・コーディネーターに任命された人、大陸顧問補佐に任命された人)に与えられている特典と、この特典に設けられている限界を、友ら自身がどれだけしっかり理解しているかにかかっています。
30.信教の行政機構やその部局に奉仕することは実に素晴らしい特典ですが、それは追い求めるものではありません。むしろ、それはいつでも、誰もが背負う可能性のある義務と責任です。バハイ行政機構は大業の精神が流れる水路として設計された構造物です。行政機構に携わるすべての信者が、自分はこの構造物のある一部分を構成していることによって特別な栄誉に預かっているのだと考えたとしても、それはある意味当然なこととして理解できます。しかし、行政機構のメンバーであるからといって、各地で勢いを増している学びのプロセスの外側で活動し、学びのプロセスに内在する必要条件を免除されると想像してはなりません。同様に、行政機構のメンバーであることで、聖典に書かれていることや、教えの適用のしかたについての自分の理解が増進し、個人的好みで共同体を誘導する機会が得られると考えてはなりません。守護者は、精神行政会のメンバーに関して次のように書いておられます。「彼らは自分の好き嫌いを完全に無視し、個人的な利害や傾向性にまったく捕われることなく、バハイ共同体の福利と幸福を促進し、公共の福祉を前進させる手段の追求に全神経を集中させなければならない」。バハイの機構は友らを指導する権限を有し、個人と共同体の生活の道徳的、精神的、知的側面に影響を及ぼす立場にあります。しかし、これらの機能は、常に、バハイ機構がバハイ機構たる所以である愛情あふれる奉仕の精神を意識しながら実施されなければなりません。与えられている権限と影響力に対するこのような制限は、信教の行政を託されている人々にある種の自己犠牲を求めるものです。アブドル・バハは私たちにこう言われたではありませんか。「鉄の塊を炉に投げ入れると、人間の世の属性を象徴する鉱物としての黒さ、冷たさ、堅さは隠され、姿を消してします。そして、王国の美徳を象徴する炎が持つ赤さ、熱、流動性の特質が鉄に乗り移って明らかになる」そして、アブドル・バハはこう断言されています。「皆さんはこれと同じように – つまり、人類への奉仕を通じて – 自分の命を捧げ、捧げながら歓喜に満たされなければならない。」と。
31.親愛なる友ら。ご承知のように、我々は皆さんと皆さんの補佐たちが布教の最前線で奉仕し、すべての心と魂に神の愛の炎を育み、学びを促進し、高潔で賞賛に値する人格を発達させるために努力するすべての人を援助するという、皆さんに与えられた任務を遂行する姿を見て、大いに喜んでいます。北米バハイ共同体が「聖なる計画の書簡」で与えられた任務を果たすために最初の7年計画に着手したとき、守護者は北米の友ら宛てに書簡を送られました。1938年12月25日付けのこの力みなぎる長文の書簡は、後日「聖なる正義の到来」というタイトルの本として出版されました。成し遂げるべき任務の性質を解説する中で、守護者はあらゆるバハイの事業の成功に必要な精神的な条件について触れておられます。中でも、「正しい行い」、「高潔にして神聖な生き方」、そして「偏見からの解放」という3つの事柄を「他を凌ぐ重要性を有するもの」として位置づけられました。皆さんは、バハオラの啓示の精神をクラスターからクラスターへと次々に注入するというバハイ共同体の地球規模の取組みにとって守護者の指摘されたことがいかなる意味を持つかについて検討するとき、世界が今日置かれている状況を考慮すべきです。
32.正しい行いに関して、ショーギ・エフェンディは「バハイ共同体生活のあらゆる局面を際立たせる」ものとして、「正義、公正、真実、正直、公平、信頼性、信用に値すること」を挙げておられます。これらの条件は共同体のメンバー全員に適用されるものですが、特に、共同体の「地方、地域、全国の選出された代表者たち」に求められると守護者は強調されました。また、その者たちの道徳観は「人々を著しく失望させる腐敗しきった政治体制の影響」と明らかに対照的でなければならないと言われました。守護者は、バハオラとアブドル・バハの書物からの引用をふんだんに織り交ぜながら、「奇妙なほど混乱した世界」の中でもなおバハイは、「揺るぎない正義感」を維持しなければならないと呼びかけ、正直と信頼の最も崇高な規範に目を向けるよう友らに求められました。守護者はまた、商売上の取引、家庭生活、あらゆる種類の職業、大業および同胞たちのために行うあらゆる奉仕といった自分たちの生活のすべての面において、正しい行動の模範となり、バハイ信教の法と原則を確固として厳守することによってこれを成し遂げるよう信者たちに訴えておられます。守護者の書簡が書かれてから今日に至るまでに、世界各地の政治のあり方は驚くほどの速さで悪化していることは明らかです。公僕の概念は意味を失い、政策は進歩という名のもとに一部の人たちに有利なように実施され、社会経済構造の機能は偽善によって損なわれています。バハイ信教の崇高な規範を維持するために友らには多大な努力が求められます。ましてや、不正に報酬を与え、腐敗を助長し、真実を交渉可能な商品として扱う世界ではどれほどの努力が求められるでしょう。社会の基礎を脅かす混乱は甚大です。したがって、バハイ活動に参加するすべての人々には、利己主義の極小の痕跡によってさえも判断を曇らされることがないよう、揺るぎない決意が必要です。守護者は、道徳的行いについて明確に規定し、その意味合いについて心の中で熟考するよう訴えられました。すべてのトレーニング・インスティチュート・コーディネーター、クラスター成長委員会メンバー、顧問補佐とそのアシスタント、そしてすべての地方、地域、全国のバハイ機構に選出、もしくは任命された人は、守護者のこの訴えの意義を理解するよう努力しなければなりません。それらの者らの行動が、困難に包まれ、疲れ果てた人類に、人類の崇高な運命とその本来の高潔さを思い起こさせるものとなるよう望みます。
33.バハイ活動の成功に同じほど重要な意味をもつものが「節度、純粋さ、自制、品位、純粋な想いという意味を含む」高潔にして、神聖な生き方の重要性に関する守護者の率直な解説です。守護者は明白な言葉で、「本質的な欠陥をもつ道徳規範が容認し、促進し、助長するみだらな行動、非行、偽りの基準」にまったく汚されることのない生活に友らを召喚されました。地球上の最もへんぴな地ですら、その誘惑のとりこになっている中にあって、このような欠陥だらけの規範が今日人類全体に及ぼしている影響について敢えてここで証拠をあげる必要もありませんが、我々は、純粋さに関連するいくつかの点をあげておくべきであると考えます。守護者は最も熱心に若者に訴えかけられました。その若者たちの心や精神に作用している力は実に有害です。純粋で高潔な生活を送るようにという忠告を重ねても、若者たちがこれらの影響力に抵抗するのを助けるには限界があります。ここで理解しておくべきは、親の生活態度が子供の心にどれほど深く影響するかということです。それがいかに無意識なものであれ、いかに悪気のないものであれ、親が自分の生きる道で行う選択が、権力への憧れ、社会的地位の崇敬、贅沢への愛着、軽薄な趣味や嗜好への執着、暴力の賞賛、自己満足に対する執念などといった世俗の情欲を容認するものであれば、それは子供の心に影響します。多くの人々を苦しめている孤立感と絶望感は、すべてに浸透する物質主義によって支配される環境の副産物であることを認識しなければなりません。このことについて、友らはバハオラの次の
言葉の意味を十分に理解しなければなりません。「現在の秩序は間もなく巻き上げられ、その代わりに新しい秩序が繰り広げられなければならない」。今日、世界中で若者こそが計画の最も熱心な支持者となり、大業の最も熱烈な推進者たちのなかに数えられます。我々は彼らの数が年々増加することを確信します。願わくは、彼ら全員が純粋さの装飾に飾られた人生の恩恵を知り、純粋な水路を流れる威力を活用することを学びますように。
34.次に、守護者は偏見という課題についてこう断言されました。バハイ信教の支持者の間の「どのような区分も分裂も、信教の目的や原則、および理想に反するものである」。友らは「自分と違う人種、社会階層、信条、肌の色の人々と接するとき、偏見から完全に解放されていなければならない」と守護者は明白に指示しておられます。続いて、守護者は人種差別という特定の問題について長く論じられ、こう言われました。人種差別「による腐食は、アメリカ社会の基盤を蝕み、社会構造全体を攻撃しつつある」。また、当時守護者は人種差別こそは「バハイ共同体が進化の現段階で直面する最も重大で挑戦的な課題と見なされるべき」ものと書かれています。この課題に応えるためにアメリカが国家として実行した施策、もしくはその国内で発展をつづけるバハイ共同体が実行した施策の長所や短所とは関係なく、人類は今もなお人種、社会階層、民族、性別そして宗教的信念などに係わるあらゆる種類の偏見にがっちりと取り付かれていることは事実です。確かに社会的議論のレベルでは、様々な種類の偏見の原因となる虚偽や欺瞞を否定し論破する方向で大きな前進がありましたが、偏見は今もなお社会の構造に広く浸透し、各人の意識に系統的に刻み込まれ続けられています。現在進行中の地球規模の一連の計画によって動き出しているプロセスは、そこで採用されるアプローチや手段を通じて、社会階層や宗教的背景、民族性や人種、そして性別や社会的地位にまったく関係なく、あらゆる人間集団の能力を発展させ、立ち上がって、文明の前進に貢献するよう求めていることは誰にも明らかであるはずです。人類の長く続いた幼児期の間に、あるグループが他のグループを抑圧するために実に多くの手段が考案されました。我々は、今動き出しているプロセスの着実な展開により、それらの手段を無力化するこのプロセスの能力が発揮されるよう祈ります。
35.トレーニング・インスティチュートが進めている教育課程は、当然ながら、守護者が「聖なる正義の到来」で言及された精神的特質、および聖典で述べているバハイ共同体生活を際立たせるその他の精神的特質を共に育てています。その例のほんの幾つかに、友らを活気づける和合の精神、彼らを結びつける愛の絆、彼らを支える聖約に対する確固さ、聖なる援助の力への信頼と確信などが挙げられます。そのような不可欠の属性が、奉仕の能力を高めながら、系統だった活動を促進する環境の中で発展させられているということは特記に値します。この環境を促進するにあたり、顧問補佐とそのアシスタントは二つの根本的な、連動する教訓の重要性を認識する必要があります。それは、一方ではバハオラの啓示に示される高い基準の行動は妥協を許さないということで、その基準は決して下げることはできず、皆がその高遠なる高みに目を据えなくてはなりません。他方では、人間として、私たちは完璧からほど遠いということを認めるべきです。すべての人に期待されているのは日々の誠実な努力です。独善は避けなくてはなりません。
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36.この地球規模の計画の展開を促すためには、清らかなバハイ生活を送るための精神的側面での必要条件のほかに、文化のレベルで育成すべき思考の習慣があります。同時に、徐々に克服しなければならない風潮もあります。これらの望ましくない風潮の多くは一般世間でよく見られる取り組みの方法によって強化され、また、そのような取り組み方自体も、当たり前のようにバハイの活動の中に入り込みます。我々は友らが直面している課題の大きさを十分認識しております。友らは、ますます深く社会生活の全般にかかわり、一般社会の教育プログラムなどの恩恵に預かり、その商いや職業などで長じ、社会の諸々の道具を巧みに使い、学芸や科学の進歩に貢献するよう求められます。しかし、それと同時に、友らは信教の目的を決して見失わないようにすべきです。つまり、その目的とは、かつてないほどのスケールで社会を変革させ、その機構と仕組みを再構築することです。そのために、現在の社会を支配する思考や行動のパターンにある欠点をしっかりと認識しながら、優越感に浸ることなく、秘密めいた、よそよそしい雰囲気を呈すことなく、また、社会に対して不必要に批判的な態度にならないよう配慮する必要があります。これに関連して、我々は幾つかのことを述べたいと思います。
37.友らがこの一連の計画に関する万国正義院からのメッセージの学習に熱心に取り組もうとしていることは大いに喜ばしいことです。そこに示されている指導を実践し、その経験から学ぶ過程で極めてレベルの高い議論が生まれているのに感心しています。しかし、
あることが我々の目にとまりました。つまり、メッセージに示されたビジョンの全体像を理解しようと努めている共同体は永続的な成果を得ているが、一つの文章やフレーズを文脈から切り離して、個別のものとしてみなしたりしているところではしばしば困難が生じています。信者たちがメッセージを分析しながらもそれを単純化せず、意味について深く考えながらも一つ一つの言葉にあまりとらわれることなく、様々な活動分野を特定しながらもそれらの間に仕切りを付けることがないよう、信教の行政機構や機関は彼らを支援しなければなりません。これが容易でないことは我々も承知しております。社会はますます、スローガン程度で物事を捉えようとします。友らがスタディ・サークルを通して身につけつつある、完全かつ複雑な考えを使って、ものごとをより深く理解する姿勢を他の様々な活動にまで応用することを我々は期待しています。
38. 大きなテーマを一つか二つの魅力的なキャッチフレーズに過度に簡略化しようとする傾向と関連しているものとして、根拠のない二分対立の考え方があげられます。全体から見て一貫性のある考えを二者択一的に捉えてはなりません。ショーギ・エフェンディは、その代理による手紙でこう警告しておられます。「私たちは教えを全体として壮大で調和のとれたものとして捉えなくてはなりません。意味の異なる二つの断定的な言い分を探し出して、それを互いに対立するものとしてはなりません。その中間のどこかに、二つを結びつける接点があるからです」。計画の詳細についての理解が増すにつれ、過去の誤解の多くが消し去られたことには実に勇気づけられました。拡大と強化、個人の活動と共同で行うキャンペーン、内面的な人格を磨くことと社会への無私の奉仕に立ち上がること--バハイの生活におけるこれらの側面の間の調和は、今や難なく認識されるようになりました。我々はまた、新たな誤った二者択一的な考えが浸透しないよう友らが用心していることを知り、喜んでいます。友らは、成長のプログラムを構成する様々な要素が互いに補足し合うことを十分に承知しており、共同体は、一般社会にありがちな、いろいろな活動や、それらの活動を支える機関を互いに競争相手と見なす傾向を遠ざけています。
39. 最後にあげておくべきことに、特に我々の関心を引いた、物事をプロセスとしてとらえる能力が高められてきたという、思考様式(文化)における意義深い進歩があります。信教の最初の国単位の計画に関する守護者の初期の手紙でも、注意深く読めば、次のことは明らかです。つまり、信者らは、その活動を定義づける大規模なプロセスを常に念頭に置いておくよう、当初から求められていたということです。しかし、イベント、あるいは、せいぜいプロジェクトの促進にばかり重点を置き、それらが生じる期待感や興奮から満足を得ようとする考えを持っている世界では、長期にわたる行動に必要な献身性のレベルを維持することは決して容易ではありません。バハイ共同体の拡大と強化には、相互作用する多くのプロセスが関与します。それらはいずれも、新しい「世界秩序」に関するバハオラのビジョンへと人類を向かわせることに貢献するのです。どのプロセスを取るにせよ、それに関連付けられた行動方針で時にはイベントなどを提供することもあれば、始まりと終わりが明白なプロジェクトという形態を取る活動をすることもあります。しかし、イベントが、プロセスの自然な展開に強引にさしはさまれるなら、それはプロセスの健全な進展を妨げることになります。クラスター内で着手されるプロジェクトも、そこで進んでいるプロセスの明白なニーズに沿うものでなければ、ほとんど実りはないでしょう。
40.信教の拡大と強化を総体的に生み出す相互作用のプロセスの特徴を理解することは、計画を首尾よく遂行するうえで不可欠です。そのような理解を促進する努力で、皆さんとその補佐は、現在の地球規模の事業の基盤である「聖なる計画」のあらゆる段階の中軸にある概念を心にとめるべきです。それは、すなわち、進歩は個人と機構と共同体という三つの参加者の成長を通して達成されるという概念です。人類の歴史を通して、これらの三つの間の関わりは、事あるごとに困難にあいました。個人は自由を叫び、機構は従順を要求し、共同体は優先権を主張しました。あらゆる社会は何らかの形でこの三つの関係を支配するルールを定め、その結果、時おり混乱の時期に陥りながらも、ある程度安定の期間をもちました。今日、この過渡期の時代において、人類が全体としての成熟に達するためにもがいているとき、そのような関係どころか、個人と機構と共同体というそれぞれの概念そのものが、大きな危機に直面し、崩れかけています。世界中で見られる統治者に対する不信感が、十分にそれを証明しています。権威は甚だしく悪用され、現在起っている不信と怨みはあまりにもひどいため、世界はますます統治不可能な状態に陥っています。そして、共同体の絆が弱まっているため、その不安定さは一層増しています。
41.バハオラの啓示の目的は新しい世界を創ることであるということを、バハオラの信奉者は全員、十分に知っています。「彼の口から最初の呼び声が発せられるや否や、万物は一新され、天と地にあるすべてのものは、奥底から揺り動かされた」のです。そして、聖なる計画における三つの主役である個人と機構と共同体はバハオラの啓示の影響を直接うけながら新しく形成され、成熟した人類にふさわしい、それぞれに関する新しい概念が生まれ出つつあります。それら三つ間の関わり方もまた、深遠な変革を遂げながら文明を築く力を生み出しています。その力は、バハオラの命令に従うことによってのみ放出されます。また、これら三つは根本的なレベルで協力と互恵の関係にあり、そしてこの協力と互恵は宇宙を統治する相互連結の表れです。よって個人は、「個人的な利益や利己的な関心」を忘れ、自分自身を「すべてを所有し給う御方である神の僕の一人」と見なすようになります。その個人の唯一の望みは、神の法律を遂行することです。よって友らは次のことを悟ります――「やる気と善意と努力が豊かであること」は、その流れが正しい経路に沿っていない限りほとんど役に立たないということ、また、「個人の妨げられない自由は協議と犠牲で調整されるべき」であること、そして、「自主性と積極性は、連携して行動することの必要性と公共福祉への献身よって強化されるべきである」ということです。よってすべての人は、個人が自主的に行う活動領域と、機構のみが企画する活動領域とを容易に識別できるようになるのです。友らは、アブドル・バハが説明されるように、「物事が秩序正しく整理されるよう」機構の指示に「心魂込めて」従うようになるのです。これはもちろん、盲目的な服従を意味するのではなく、むしろ、バハオラの新世界秩序のような遠大な制度の意味合いを理解している、成熟した人類の出現によって示される服従です。
42.このような、火を灯された人の中からこの強大な制度の機構で奉仕するよう呼び出された人々は、守護者の次の言葉を十分に理解するでしょう――「彼らの仕事は命じることではなく協議をすること、それも、自分たちの間だけで協議するのではなく、できるだけ自分たちが代表する友らと協議をすること」なのです。「彼らは決して、自らを大業の中心的な飾りであるとか、能力や実績において他者に勝るとか、教えや原則の唯一の促進者であるなどと思い込むことはない」のです。彼らは、「最高の謙虚さで」任務に取り組み、「偏見のない態度と、正義と義務感という高遠な感覚を持って、また正直さと慎み深さとを持って、友らと大業と人類の安寧と利益のために献身しながら、自分たちの奉仕の対象である人たちの信頼と真の支持と敬意だけでなく、彼らの敬服と真の愛情とを勝ちとるのです」。このようにして生じた環境の中で、権限を付与された機構は、人類の潜在能力を育む道具として自らを見なし、生産的で称賛に値する大道に沿ってその能力の展開を確実にするのです。
43.そのような個人と機構により構成された「最大名」の共同体は、
統合された活動によって力が増大する、精神的エネルギーに満ちた舞台となります。アブドル・バハは、そのような共同体についてこう書いておられます――「人が真の信者になるとき、彼らは互いに精神的な関係を築きます。そして、この世のものではない優しさを示します。彼らは皆、聖なる愛の杯によって歓喜し、彼らの融合、彼らのつながりは永遠に続くのです。つまり、自己を忘れ、煩悩を断ち切り、その束縛から解放された人々はすべて、疑いもなく、一体性の神々しい輝きに照らされ、滅ぶことなき世界における真の融合に達するのです」。
44.信教に対する受容性が高い人たちがますます多く神の大業を受け入れ、いま進行している世界的事業にすでに参加している人たちと運命を共にするようになるにつれ、個人と機構と共同体の成長と活動は必ずや、猛進させられるでしょう。途方に暮れた人類が、バハオラの信奉者らによって創られつつあるこの三つの主役の間の新しい関係に
その高遠なる運命を全うするための社会生活のパターンを認めることができますように。これが、聖なる廟における我々の熱烈な祈りであります。
万国正義院