まえがき
バハオラのひ孫ショーギ・エフェンディ著のこの本は、古い秩序の崩壊とそれに続いて設立される新しい世界秩序のすばらしいビジョンを読者に示してくれるものです。
人類は幼児期から思春期を通って青年期へと進化してきました。そして現在、成熟期に入りつつあるところです。この成熟期への到達は、世界の人々の心に「地球は一つの国であり、人類はその市民である」という大きく拡大した意識を持たせはじめています。この意識は、すでに一九三六年、著者の心に明確に描かれていました。現代の混乱と激動は、古い世界秩序の死の苦悶であり、同時に新しい秩序の誕生に伴う激しい傷みであると説明しています。つまり、私たちは今までの文明が崩壊して、新しいより高度な文明へと移行する変遷時代に生きているのです。
ではこの新しいより高度な文明とはどのようなものでしょうか。それは人類が和合され、地上に住む人々の権利が保証される文明であり、その高遠な基準は私たちの想像をはるかに越えたものです。そして、この世界文明の建設という巨大な事業がバハオラの啓示を通してどのように達成できるかをこの本は明確にしてくれます。
これは、「バハオラの世界秩序」と言う本の最後の章です。おもに欧米のバハイに向けて書かれたものですが、その内容は過去数十年にわたる世界の歴史に実証されてきました。そして、現代の混乱の渦中で方向を見失いがちな私たちに希望にあふれる道を示してくれます。少々難解なところがあるかと思いますが、成長の糧としてぜひ読み取っていただきたいと思います。
翻訳校閲委員会
目次
序……1
人類の成熟期……5
融合の課程……8
最終的完成……11
死と誕生の苦悶……13
全世界にわたる激動……16
変遷時代……18
イスラム教の崩壊……20
キリスト教制度の退廃……31
道徳堕落の兆候……41
政治および経済機構の崩壊……44
バハオラの集団保障の原則……49
最大名の共同体……54
世界宗教……57
天の報復……65
世界的和合の目標……67
序
新しい世界秩序の構想は、バハオラが心に描き、そして完壁な建築家であるアブドル・バハがその特徴を解説しました。わたしはその新しい世界秩序建設の共同者として、アブドル・バハの逝去から約十五年間、わたしたちの目の前に繰り広げられてきた場面を皆さんとともにしばらく考えてみたいと思います。
神の信教の行政秩序は、着実に発展、強化されてきています。その証拠の集積と、陣痛に苦しむ社会組織を破壊していく分解力との対比は人目を引くほどに明らかです。世界秩序の確立は、神の大業の黄金時代の到来を告げるものですが、その世界秩序の誕生を神秘的に予告する証拠と兆候は、バハイ世界の内外で日毎に増しています。このことは公正に物事を見る人には明らかです。バハイが確立しようと努めている文明の展開は残念ながら非常にゆっくりとしか進んでいないのですが、公正な人であればそのことに惑わされることはありません。また、一時的な繁栄が小康状態を得て、頽廃した時代の制度を苦しめている慢性疾患による悪影響を阻止し得るかに見えることによっても惑わされることはありません。時代の兆候はあまりにもおびただしく、見過ごすことはできません。
その性格を誤解したり、その意義を軽く見る余地はありません。正しい判断力を持つ人であれば、一方においてバハオラの啓示と直接関連する機構の抗しがたい行進を宣言する出来事と、他方においてそれを無視したり、反対した大国や権力者の没落を予示する一連の事件を通してすべてに浸透する神の意志と、完全に秩序だてられた世界を包含する神の計画が具体化される証拠を認めることができます。
「現在の秩序はまもなく巻き上げられ、その代わりに新しい秩序が繰り広げられるであろう。まことに汝の主は真理を語り、目に見えざるものの理解者でありたもう。」とバハオラ自らの言葉がそのことを宣言しています。「我が身にかけて誓う。われがこの世とその中のすべてを巻き上げ、その代わりに新しい秩序を広げる日が近付きつつある。神はまことにすべてを支配したもう。」とバハオラは厳粛に述べています。またこのようにも説明しています。「世の中の平衡状態は、このもっとも偉大な新しい世界秩序の震えんばかりの影響力によってくつがえされた。人類の整然とした生活は、人間の眼がこれまでに決して見たことのない、このふたつとないすばらしい制度の力によって大きく改革されたのである。」「現在、一般に行き渡っている秩序は痛ましいほど不備であるため、動揺と混乱が差し迫っており、その兆候が今やはっきり見受けられる。」とバハオラは世界の人々に警告しています。
親愛なる友人たちよ、この約束された世界秩序の基本原則は、バハオラの啓示に秘められ、誓約の中心の書に明確に述べられています。この世界秩序は全人類の完全な和合を意味することにほかなりません。ではこの和合は、どのようなものでなければならないでしょうか。それは、バハオラの信教の行政秩序の土台となっている機構を活気づける精神に添い、しかもその機構の運営を管理する法律とじかに調和する原則に従うものでなければなりません。
人類全体の力でいろいろな機構が案出されるでしょう。しかし、その機構がバハイに啓示されている基準に達せず、バハオラの教えに定められた崇高な制度と矛盾しているならば、それは、わたしたちの信教の創始者自らがその書の中で言及している「小平和」以上のものを達成することは絶対にできません。「汝らは、最大平和を拒否した以上は、自らと人民の状態をいくらかなりと改善するために、この小平和に確固とすがれ」とバハオラは世界の国王と為政者に警告して書きました。
世界の為政者に宛てた同じ書簡の中で、バハオラはこの小平和について詳しく説明しています。
「汝らの属領と領土を守るに必要な兵器以外は、不必要になるように互いに和解せよ。…おお世界の国王たちよ、不和の嵐が汝らの間で静まり、人民が平安を見いだせるよう和合せよ。もしこのことが理解できれば幸いである。汝らの内の誰かが他に向って武器をとれば、すべての者は、その者に向って立ち上がれ。それは、明らかな正義に他ならない。」
一方、バハオラが示した最大平和は、世界の人々が精神化され、あらゆる民族、信条、階級、国家の融合が達成されたのち、必然的にとりかかるべき課題です。この最大平和は、バハオラの聖なる名と関わりのある世界秩序に組み込まれている神より定められた法令以外0土台におかれることはありません。また、他の機関を通して維持することもできません。約七十年前、ヴィクトリア女王に宛てた書簡の中で、バハオラはこの最大平和に言及して、このように言明しました。「主が全世界を癒すための最高の医薬、および最大の手段として定められたものは、全人類を一つの世界的大業、一つの共通の信教の下に和合させることである。これは熟練し、威力があり、神の霊感を受けた聖なる医師の力を通して以外は決して達成されない。これはまことに真理であり、これ以外は全て誤りにほかならない。……人類を再生し、和合させるために、『古来の美』であり、『最大名』なる者が下された現代について熟考せよ。いかに人々は刀を抜いてその者に向って立ち上がり『忠実なる精神』が震えおののくようなことを犯したかを見よ。そして、我が門見よ、世界の改革者が到来した』と告げたときには常に冊その者は実に害毒の扇動者である』と彼らは答えたのである。」
バハオラは他の書簡でも次のように言明しています。「この日、万人に求められることはこれである。
つまり、最大名に確固としてすがり、人類の一体性を確立することである。彼のもとに向う以外に逃げ場はない。彼以外に避難所を求めることは誰にもできない。」
人類の成熟期
バハオラの啓示の最大の使命は、全ての国家を有機的、精神的に和合させることにほかなりません。バハオラの啓示に含まれている意味を正確に理解するならば、その啓示の出現は、全人類の成熟期を印すものと見なされるべきです。その啓示は単に、絶えず変転する人類の歩む道における精神的復活の一つであると見なされるべきものではありません。あるいは、一連の累進的啓示の一段進んだ段階として考えてもなりません。または、周期的に起こる予言的周期の一つの極致とさえも見なされるべきものではありません。バハオラの啓示はむしろ、この地球上の社会生活の驚くべき進化における最終かつ最高の段階を印すものと理解されるべきです。バハイ信教の黄金時代の開の始まりと平行しなければならない世界共同体の出現、世界市民としての自覚、世界文明や文化の確立は全て、この地球に関するかぎり、その本質からみて、人間社会の組織が極限に達した結果であると見なされるべきです。しかし、人間個人としては、そのような成就の結果として限りなく進歩し続けていくのであり、事実そうでなければなりません。
個人の生活や、果実の成長には、おのずと訪れる成熟の段階を連想させる、神秘的で、全てに影響を与え、しかも定義し得ない変化があります。バハオラの言葉を正確に理解すれば、人間社会における組織の変化にもそれに相当するものが見いだされる筈です。人類の社会生活においても、遅かれ早かれ、同じような成熟の段階が来なければなりません。その段階においては、より大きな変化が国際関係に現われ、全人類に新たな可能性を供与します。その可能性は後代にわたって、人間社会がその高遠な運命を成就するための主な誘因となるでしょう。人類の政治形態におけるこのような成熟の段階は、バハオラの驚くべき宣言を真に信じるならば、バハオラのもたらした啓示によることを認めなければなりません。
バハオラの書の代表的なものの一節において、彼は明自な言葉で、こもバハイ信教の特徴的な原則の真理について証言しています。「神の言葉とその潜在力の全ては、全知者、全権者なる神が前もって定められた条件と厳密に一致して人々に顕わされるように我は定めてきた。さらにまた、その隠蔽のべールは言葉そのものに他ならないことを定めた。…もし言葉のうちに潜むエネルギーのすべてが突然放出されるならば、この非常に強大な啓示の重さに耐え得る者は一人もいないであろう。…神の使徒なるモハメッドに下されたことを熟考せよ。彼がもたらした啓示の程度は、全能者、いと力強き方より前もって明自に定められたものである。しかしながら、彼の言葉を聞いた者らはただ自らの地位と精神的能力の程度に応じてのみ彼の目的を理解し得た。彼も同様に、そのメッセージの重荷に耐え得る彼らの能力に比例させて英知の顔を現わしたのである。人類が成熟の段階に達するや否や、神の言葉の中に潜在的に賦与されているエネルギーが人々の眼に明らかにされた。すなわち、このエネルギーは、六十年にアリ・モハメッドなるバブの人の中に古来の美が現わされたとき、完全なる栄光をもって顕わされたのである。」
アブドル・バハは、この基本的な真埋を説明して次のように書いています。「すべて創造されたものにはおのおの成熟の度合い、また段階がある。木の生命における成熟期は実を結ぶときである。…動物は完全に成長しきった段階に達し、人間は知性の光が最大の力で輝くとき成熟期に達する。…同様に人間の社会にも時期と段階がある。あるときは幼児期を通り、次の段階では思春期を通ってきた。そして今は長い間予告されてきた成熟期に入ったのである。その証拠はいたるところで明らかに見られる。…人類史の初期にその当時の要求を満たしていたものは、現代の新しい完成の時代の要求に答えることも満たすこともできない。人類は以前の限界と予備教育の状態より脱した。人間は今や、新しい美徳と力、新しい道徳基準、新しい能力を身につけなければならない。新しい恩寵、完全な贈り物は人間を待ち受けている。いやすでにそれらは下されつつある。
思春期の贈り物と祝福はその時期にあった人類には、その時なりに十分であったが、成熟期にある現代の人々の要求を満たすには不十分なのである。」
融合の課程
さらにまた、組織化された人類の活動において、このようにユニークでしかも重大な転換期の一例として、アメリカの偉大なる共和国に見られる最終の段階一-連邦制度に統一された共同体の出現、があげられます。新しい国家意識の目覚めと、連邦を構成している各地方がそれぞれに成し遂げることのできる限りなく豊かで、しかもより高尚な新しい形の文明の誕生は、アメリカ国民の成熟期の到来を宣言したともいえます。アメリカ国内でのこの達成は、政治組織の進化が極限に達したと見なされ得るでしょう。分割された共同体内で雑然と結びついていた要素は、一つの密着した組織にまとめられ、融合され、合併されました。この組織体の結合力は強められていくでしょう。
すでに成就された和合はさらに強化されるでしょう。その和合のみが生み出し得た文明は拡大し、繁栄するでしょう。そのような発展に必要な仕組みの基本的構造はすでに築きあげられており、その組織を導き、維持するために必要な推進力も基本的に与えられていたと見ることができます。しかし、アメリカ国民の至上の運命は、未だ成就されていません。それは、全人類を包含するさらに大規模な統合の構成要因としての役割です。この国が、国家統合以上の段階に進むとは想像できません。しかし、一国として考えるならば、この融合の課程は最高の、しかも最終的な完成の段階に達したといえるでしょう。
これが、進化していく人類が全体として近付きつつある段階です。全能の命令者(神)よりバハオラに託された啓示には、人類の成熟に見合った潜在能力が賦与されていることを、彼に従う者は固く信じるのです。この人類の成熟は、幼児より成年にいたる進化上の極致であり、もっとも重大な段階です。
太古より相次いで現われた宗教の創立者たちはすべて、成熟に向う人類の進歩を印す段階ごとに共通の啓示の光輝を、強度を増しながら注いできました。これらの創立者たちはある意味では地球全体が実を結び、人類という木が予定された果実を生み出す最高の時代の出現を予告し、そのための道を開く先駆的顕示者であったと見なすことができます。
この真理は論争の余地のないものですが、その壮大な性格によって、バハオラの言葉の根底にある目的があいまいにされたりその原則が曲げられたりしてはなりません。バハオラによれば、バハオラ自身も含めて過去と未来の全ての予言者はまったく同一であります。バハオラの言葉はこのことを永遠に確立しています。バハオラに先行した予言者たちの使命はこの見地から考えられ、各々の予言者が託された神の啓示の程度は、この進化過程の結果、必然的に異ならなければなりません。
しかしながら、予言者たちが共通の起源を持ち、本質的には同一であり、目的は同じであるということは、時と場合を問わず、誤解されたり、否定されるべきではありません。神の使者たちはすべて「同じ幕屋に住み、おなじ天に飛翔し、同じ玉座に座し、同じ言葉を口にし、同じ教えを述べる」と見なされるべきことは、人類の進化上、この最高の段階において与えられた神の啓示の大きさをどれほど誉め讃えるにしても、バハイの信条の不変の土台であり、中心教義であり続けなければなりません。神の顕示者たちが世界に注いだ光輝に差異が見られるのは、各自の本質的な性格に優劣があるからではなく、むしろ、成熟に向う人類の絶えず高まり行く能力、および拡大していく精神的受容力に帰せられるべきです。
最終的完成
バハオラの啓示と全人類の社会生活における驚くべき進化の完成を進んで関連づける人だけが、バハオラの言葉の意味を理解することができます。その言葉とは、バハオラがこの約束された時代の栄光とバハイ時代の持続期間に言及して述べたものです。「今日は偉大な時代であり、最愛なる方、世界の望みとしていく世代も喝采されてきた方の到来を見た時代である」とバハオラは宣言しています。「過去の宗教制の聖典は、このもっとも偉大な神の時代を迎えるための大祝典を祝っているのである。生きてこの時代を見、その偉大さを認めた者は幸いである」とバハオラはさらに強調しています。彼は他の句でこのようにも説明しています。「神の顕示者が生存した時代は、すべて神より定められ、ある意味では、神より指定された時代として特徴づけられることは明白である。しかしながら現代は独特であり、以前の時代から区別されるべきである。『予言者たちの封印』という称号は、十分にその高遠な地位を現わしている。まことに、予言的周期は終わった。今や『永遠の真理』(バハォラ)が到来した。その方は威力の旗を掲げ、世界にその啓示の陰らぬ光輝を注ぎつつある。」「過去のすべての宗教制はこのもっとも強大な啓示において、その最高、かつ最終の極点に達した。このもっとも高遠な啓示で顕わされたものは、過去の記録に比較できるものはなく、未来にもこのようなものを目撃することはないであろう」と、バハオラは明確な言葉で言明しています。
同様に、アブドル・バハの言葉も、バハイ時代の前例のない壮大さを確証するものとして思いだされなければなりません。アブドル・バハはある書簡の中でこう断言しています。「『真理の昼の星』が真夏の光輝をもって再び輝くまでに、あるいはその春季の光栄の光輝で再度出現するまでには、何世紀いや数え切れぬ世代が過ぎ去らなければならない。…『祝福された美』によって始められた時代を一考するだけでも、その偉大なる栄光に…瞬あずかるとを熱望した聖者たちを圧倒するのに十分であろう。」アブドル・バハはより一層明確な言葉でこう断言しています。「未来『雲の影の下』で下ってくる顕示者たちについて言えば、彼らの霊感の源泉に関する限り、誠に彼らは『古来の美』の影の下にあることを知れ。しかしながら、彼らが出現する時代に関しては、各々彼らは『彼の意のままに為す』のである。」「この聖なる時代は、もっとも高遠なる地位、光輝と栄光の絶頂より輝く『真理の太陽』の光で照らされる」と、アブドル・バハはバハオラの啓示に言及して説明しています。
死と誕生の苦悶
親愛なる友人たちよ。バハオラの啓示は生み出されましたが、その啓示が達成しなければならない世界秩序はいまだ誕生していません。バハオラの信教の英雄時代は過ぎ去りましたが、その時代が放った創造的エネルギーは、時が満ちてその栄光の輝きを反映する世界秩序にいまだ結晶していません。バハイ時代の形成期は始まりましたが、その機構の種が熟さなければならない約束の王国はいまだ開始されていません。バハオラの声は挙げられ、その信教の旗は東西の四十ヵ国余の国々に掲げられましたが、いまだ人類の有機的一体性は認められず、その和合も宣言されず、最大平和の旗も翻っていません。
バハオラ自らもこう証言しています。「神の最大の恩寵をもって到達できる極みは、人類の眼にいまだ明らかにされていない。存在の世界は、過去においてもまた現在においても、そのような啓示を受ける能力を有しなかった。しかし神の命令により、これほど大きな恩寵の可能性が人間に現わされる月が近付いている。」
これほどに偉大な恩恵が現わされるためには、激烈な動乱と長期間にわたる苦難の時期を避ける事はできないようです。バハオラに託された使命の発端を目撃した時代は絢燗たるものでしたが、その時代が、より抜きの果実を生み出す前に経過しなければならない期間―それはますます明らかになってきていますが―は、道徳的、社会的な陰欝によって曇らされなければなりません。それによる以外、悔い改めない人類は、手にすることが定められている褒賞を手にする準備はできな いのです。
現在わたしたちは、そのような時期に向って着々と、しかもいやおうなしに進んでいます。わたしたちを取り巻く暗雲がますます濃くなって行く中で、わたしたちはバハオラの崇高な主権の微光が、歴史の地平線上に断続的に現われるのを微かに見分けることができます。バハオラが描いた世界連邦の孵化期とでも呼ばれる時期に生きる「薄明の世代」であるわたしたちに、事業が割り当てられました。しかし、その事業の高貴な特権は、わたしたちには決して十分には理解できず、その困難さもいまだぼんやりとしか認めることはできません。わたしたちは、激しい苦しみの洪水を放すように定められている暗黒の力の作用を体験するよう運命づけられているのです。信じられることは、信教の黄金時代の夜明けに先行しなければならない最暗黒の時刻はいまだ打たれていないということですu界の人々を取り巻いている陰欝さはすでに深刻なのですが、世界が受けなければならない苦しい試練は今なお準備中であり、その暗黒さも想像できません。わたしたちは、古い秩序の死の苦悶と新しい秩序の産みの苦しみを同時に宣言する大変動時代の敷居に立っています。この新世界秩序は、バハオラによってもたらされた信教の創造的な推進力により受胎されたといえるでしょう。今わたしたちは陣痛に苦しむ時代―それが重荷を捨て、もっとも見事な果実を生み出す定めの時を待っている時代―の母体の中で、その動揺を体験しているのです。
バハオラはこう書いています。「全地球は今や孕んだ状態である。それがもっとも見事な果実を生み出し、それより高々とそびえ立つ木、もっとも魅惑的な花、もっとも聖なる祝福が生じる日が近付きつつある。崇められる方なる汝の主より漂いくる微風は何と測りがたく神聖であろうか!見よ、その微風は芳香を吹き寄せ、万物を新たに造り変えた。このことを理解する者らに幸いあれ。」
バハオラはスラトル・ヘイカルという書簡の中でこのように明言しています。「神の恩恵の強風は万物の上を吹いた。あらゆる被造物は各自が持ち得る潜在力をすべて賦与された。それにもかかわらず、この世の人々は、この恩恵を否定した。すべての木は最上の果実を与えられ、すべての大洋は最高の輝きを持つ宝石で富まされた。人間には理解力と知識の贈り物が与えられた。全創造物は、『すべてに慈悲深き方』の啓示の受取人とされ、大地は、『真理なる方』、『見えざるものを知る方』なる神以外には誰も理解できないものの宝庫とされた。すべて創造されたものが重荷を捨てる時が近付きつつある。目に見えるものであれ、見えざるものであれ、この万物を包含する恩恵を与えたもうた神に栄光あれ!」
アブドル・バハはこう書いています。「神の呼び声が挙げられた時、その声は人類という身体に新しい生命を吹き込み、創造さたもののすべてに新しい精神を注ぎこんだ。このため世界は奥底まで動揺し、人々の心と良心は活気づけられた。まもなく、この再生の証拠は示され、深い眠りにある者らは目覚めるであろう。」
全世界にわたる激動
まわりの世界を観察するとき、地上のすべての大陸と、人間活動のあらゆる部門、すなわち宗教、社会、政治、経済の面において、人類が一つであることが認識され、その和合が確立される日を予
期して、人類を清め、新しい方向に発展させている全世界にわたるさまざまな激動の証拠を認めずにはおられません。中でも、各々独自の進路に向い、加速度的弾みをもって地球の表面を変えている力を最高潮に導いている二重の過程を認めることができます。その一つは、本質的に融合の過程であり、もう一つは基本的に破壊的な過程です。前者の過程は、それが着実に発展して行くにつれて、経験したことのない混乱に巻き込まれている世界が向いつつある世界政治形態のばターンとして役立つシステムを展開します。一方、後者の過程は、その分裂的な影響が深まるにつれて、定められた目標に向う人類の進歩を妨げようとする時代遅れの障害を一層激しく引き裂いて行くのです。建設的な過程は、発生期にあるバハオラの信教と関連しているものであり、信教がまもなく確立しなければならない新世界秩序の先触れを成します。破壊的な過程は、新時代の期待に答えることを拒絶し、結果的に混沌と衰微に落ち込みつつある文明を指します。
この変転期において、この二つの風潮の対立の結果、巨大な精神的闘争が続けられています。この精神的闘争は、未曽有の重大さを持ち、言語に絶するほど栄光ある最終的成果をもたらします。
現在、組織化されたバハオラの信者の共同体と、人類全体はこの変遷時代を通過しつつあるのです。
聖なる朴神は、勃興しつつある信教の機構に具体化されています。世界救済の行進の過程において、多くの場合、その聖なる精神は、真っ向から反対する諸勢力に遭遇し、今なお戦っています。
引き続くその勢力の存在は、当然、聖なる精神の目標達成を妨害するでしょう。これらの勢力に代表される空虚で時代遅れの制度、廃れた教義と信条、無力で面目を失った伝統は、場合によってはそれ自体の老衰、統合力の喪失、内部からの腐敗によって根底を危うくされてきたことを観察すべきです。これらのうちいくつかは、バハイ信教が誕生時にあれほど神秘的に放出した力の奔流によって流されました。あるものは、バハイ信教の初期の興隆に対する空しく弱々しい反抗の結果として死滅し、まったく面目を失いました。また、その他のものは、後の段階で、その同じ聖なる精神の具体化である制度の広範囲にわたる影響を恐れ、全勢力を動員して攻撃を始めました。しかし、束の間は成功するかに見えましたが、最後には自ら恥べき敗北を経験することになったのです。
変遷時代
わたしの目的は、バハオラの信教の創立時代以来巻き起こった精神的闘争を思い起すことでも、その詳細な分析を試みることでもありません。わたしが主として関心を持つのは初期のバハイ時代の使徒期間を特徴づけたさまざまな事件についてではなく、むしろその発展の形成期、この変遷期に起こっている顕著な諸事件およびそれらを特徴づけている風潮に関するものです。この変遷時代の苦難を通らなければ、神の人類に対する最終目的が実現される至福の時代は訪れません。
アブドル・バハの死は、わたしたちが現在生きている変遷時代の最初の段階が到来したことを告げたといえます。彼の死に先立って強大な勢力を持つ王国や帝国が劇的に崩壊したことについて、以前の通信で簡単に言及しました。ドイツ帝国の崩壊、バハオラが厳粛な歴史的警告を宛てたプロシャ帝王の直系卑属であるその統治者に下された屈辱的な敗北と、かっての偉大なる神聖ローマ帝国の生き残りであるオーストリア・ハンガリー王政の滅亡は、双方とも戦争によって促進されました。その戦争の勃発は、バハオラの世界秩序の確立に先行するように定められた失意の時代の始まりを印すものでした。この二つの重大な事件は双方ともに、この動乱期のもっとも初期に起きた事件と見なされるでしょう。わたしたちは今、この動乱期のもっとも暗い局面の縁に入り始めています。
わたしたちの信教の創始者は、ナポレオン三世を征服した国王に対し、その勝利の直後に、もっとも聖なる書の中で次のような明らかで不気味な警告を与えています。「おお、ベルリンの王よ。自尊心ゆえに『神の啓示の夜明け』を認めそこなわぬよう注意せよ。世俗の欲望がべールとなって、天地の玉座の主からさえぎられぬよう注意せよ。もっとも高遠なる者のペンはこのように汝に勧告する。神は誠にもっとも慈悲深く、恵み深き方であびたもう。汝より優位にあった者(ナポレオン三世)を思い起すがよい。だが彼はどこへ行ったのか。彼の所有物はどこに消え去ったのか。これを警告とし、目覚めぬ者の伸間どなるな。暴虐の大軍による我の苦しみを彼(ナポレオン三世)に告げた時、彼はその神の書簡を背後に投げ捨てた。それゆえに恥辱が彼を四方から襲い、彼は大敗北のうちに塵挨と化したのである。おお国王よ!彼あるいは汝のように幾多の都市を征服し、人民を支配してきた者らについて熟考せよ。すべてに慈悲深き方は、彼らを宮殿から墓場へと追い落とした。この警告を受け入れ、反省する者となれ。)バハオラは同じ書簡の中でこう予言しています。
「おおラインの河岸よ!報復の剣が幾度となく汝に振りかざされたゆえ、我は血で覆われた汝を見る。同じことが再び繰り返されるであろう。たとえ今日、ベルリンが繁栄の絶頂にあっても、我には、その哀悼が聞こえる。」
イスラム教の崩壊
幾世紀にもわたって狂信的イスラム教徒の難攻不落の要塞の一つであった国においてシーア派聖職組織が崩壊したことは、世俗化の波がもたらした必然的結果でした。この世俗化の波は後に、ヨーロッばとアメリカ両大陸におけるもっとも強力で保守的な教会を侵略することになりました。先の大戦の直接の結果ではないにしても、それまで不動であったイスラム教正統派の柱石をとらえたこの突然の震憾は、戦争で荒廃した世を襲った諸問題をより深刻にし、不安を強めたのです。イスラム教正統派は、バハオラの生国において、彼の信教に対して執念深い反抗をした結果、闘志を失い、権力と特権を喪失し、堕落し、士気をくじかれ、絶望のうちに世間から忘れ去られ、ついには消滅するよう運命づけられていました。しかしながら、殉教者たちが立ち上がって戦い、命を落としたこの大業の主張を最初に否認し、その勇敢な闘士らをなぎ倒した者たちに打ち勝つまでには、二万人余の殉教者が命を犠牲にしなければなりませんでした。「下品と貧困の刻印が彼らに押された。だが彼らは神の怒りをもって報いた。」
バハオラは、堕落した者たちの陥った衰微を評してこのように書いています。「イスラム教シーア派の言行が、いかに初期の頃の喜びと熱情を鈍らせ、その光の清純な輝きを曇らせたかを見よ。彼らがその初期において、自分たちの予言者、人類の主の名と関係ある教えにいまだ忠実であった頃、彼らの生涯は途切れることのない勝利と成功によって印されていた。彼らが理想の指導者と師の道より徐々に迷いだし、神の光に背を向けて神の一体性の原理を堕落させ、神の言葉に潜む力を知らせるにすぎない者らにますます注目するにつれ、彼らの力は弱まり、栄誉は恥辱に、勇気は恐怖に変わっていった。汝らは彼らがどのような状態に陥っているかを目撃している。」
ガジャール王朝は、堕落した僧侶たちを公然と弁護し、自発的にその手先となってきたのですが、そのガジャール王朝の崩壊は、シーア派の指導者たちが受けた屈辱とほとんど同時に起こりました。
バハオラの信教はかたよらない掛酌と公平無私な取り扱いを然るべく要求したのですが、国王モハメッド・シャーをはじめとして、同王朝の最後の意志薄弱な君主にいたるまで、その要求を拒絶し
たのです。それどころか、彼らは信教を残酷に苦しめ、絶えず裏切り、告訴したのです。バブの殉教、バハオラの追放、バハオラの財産の没収、彼のマザンダランでの監禁、彼を悪疫のはびこった地下牢に幽閉した恐怖統治、彼を三度追放し、最後にはもっとも荒廃した都市で投獄にいたらしめた陰謀と抗議と中傷、司法上、宗教上の権力者たちの黙許を得て、罪無き信者たちの身柄と財産と名誉に対して下した恥べき宣告-以上は、未来の世代がこの血痕の着いた王朝に責任を負わすであろうもっとも悪質な行為として極立つものです。信教の前進を妨害してきたもう一つの障害は、今や取り除かれました。
バハオラをその生国から追放し、彼とバブの信者たちをあれほどの激しさで押し流した苦難の潮は決して引いたわけではありませんでした。バハオラの大業の主な敵であるトルコ皇帝の管轄下で、絶えず繰り返される試練の歴史の新たな章が始まっていました。イスラム教のスンニ派の双柱であるサルタン位とカリフ位が転覆したことは、予言者モハメッドの公認された後継者である崩壊寸前のオスマン家の君主たちが大業に反対して、激烈で不断の、そして計画的な迫害をしたために引き起こされたとしか考えられないのです。コンスタンチノープルは、サルタン位とカリフ位双方の伝統的中心地となってきましたが、トルコの統治者たちは、そのコンスタンチノープルでおよそ四分の三世紀にわたり変わらぬ叛意をもって、恐れ忌み嫌った信教の潮流をせき止めようと努めていたのです。バハオラがトルコの土を踏み、イスラム教界における最強の君主の事実上の囚人とされたときより、聖地がトルコのくびきから開放された年にいたるまでカリフ位についた者たち、特にアブドル.アジズとアブドル・ハミド両皇帝は、その高い地位が彼らに許した精神的、政治的権力を思う存分駆使して、信教の創始者と誓約の中心者を測り知れないほどの、そしていかなるペンも叙述できないほどの苦痛と報難で苦しめたのです。バハオラとアプドル・バハのみがその苦痛と報難を測り知り、また堪え忍ぶことができたのです。
バハオラは、その苦悶の試練について繰り返し証言しました。「全能の神の正義にかけて誓う!我に振りかかったことを汝に語れば、人々の魂と心はその重荷を支えることはできないであろう。神自らが我の証人でありたもう。」彼はキリスト教界の国王たちに宛ててこう書きました。「我は次々と身に振りかかってくる昔難の日々を送り、二十年を過ごした。が耐えた苦難に耐えられる者は他に誰一人いない。このことを理解できるであろうか。神の顕示者に反対する者は、顕示者を死にいたらしめ、その血を流させ、財産を略奪し、梅岐を博,けたのである。」彼はこれに関して次のようにも述べています。「我が味わった悲しみや、わが深憂と心痛、我に振りかかった災難と試練を回想せよ。またわが幽閉の有様、我の流した涙、わが苦悶の苦さ、そして今やこの遠隔の地におけるわが投獄を汝の心に想起せよ。毎朝、床を起つとき、我は扉の外に群がる無数の苦難の軍勢を見た。そして毎夕、床に戻る時、見よ、わが心は敵の悪魔のような残虐行為による苦悶に裂かれていた。」
この敵対者たちが発した命令、彼らが命じた追放、加えた侮辱、案出した計略、行なった調査、脅迫、計画した残虐行為、彼らとその大臣、知事、軍の隊長たちが身を賭して企んだ陰謀と下劣さは、どの天啓宗教の歴史にも比較できる記録を見つけることはできません。その卑劣なテーマのもっとも著しい特徴をわずかに述べるだけでも一巻を満たすに十分でしょう。彼らは自分たちが根絶しようとやっきになった大業の精神的中心、行政本部は、今や自分たちの領土に移されたこと、そして大業の指導者たちはトルコ国籍であり、しかも彼らが調達できる資力はすべて自分たちの掌握下にあることを十分知り尽くしていたのです。この専制政府は七十年間、絶対的権力の絶頂にありました。その政府は、隣国の政府当局と宗教上の権力者たちの絶え間ない策謀によって補強され、さらにバハオラに謀反を起こして大業より離反したバハオラの近親者に支持されることを保障されていました。それにもかかわらず、この専制政府が有罪の宣告を下した一握りの民衆を結局は根絶し損なったということは、懐疑的なすべての観察者にとっては、現代の歴史上、もっとも好奇心をそそる神秘的エピソードとして残るに違いありません。
まだバハオラが、目のあたりにすることのできた指導者であった時期に、すでに大業は近視眼的な敵の計算にもかかわらず、紛れもなく勝ち誇ったのです。偏見のない心の持ち主は皆、アッカの囚人を取り巻く実態を見ぬけるならば、もはやそのことを誤解したり、否定したりすることはできませんでした。バハオラの昇天後、それまで和らいでいた緊張はある期間高まり、不安定な事態の危険性が一時期再び大業に戻ったにせよ、長年病んだ国家の核心を侵してきた潜行性の腐食力は、当時最高潮に向かって進んでいることがますます明らかになりつつありました。以前より一層破壊的な一連の内部の動乱はすでに始まっており、その結果、現代における最大の激変事件の一つを起こす運命にありました。千八百七十六年のかの尊大な専制者の殺害、それに続くロシアとトルコの衝突、その後の自由開放闘争、青年トルコ運動の台頭、アブドル・ハミドの没落を引き起こした千九百九年のトルコ革命、悲惨なバルカン戦争、自由を与えられた信教の世界的中心地であるアッカとハイファの都市を抱くばレスチナの開放、ベルサイユ条約によって促進されたさらなる領土の解体、サルタン位の廃止とオトマン家の没落、カリフ位の消滅、国教制の廃止、シャリア法の廃棄と一般民法の発布、イスラム教の組織にがんじがらめに組み込まれていると信じられているさまざまな慣習、信条、伝統、儀式等に対する抑圧一以上の出来事は思いもかけなかったほど容易に、そして迅速に起こりました。迫害されたバハオラの信教の信者たちは、敵と味方の双方から、またキリスト教国とイスラム教徒であると公言する者たちから加えられたこれらの圧倒するばかりの連打のなかに、自分たちの宗教の今は亡き創始者の導きの手を認めたのでした。バハオラは、見えざる王国より、反抗した宗教と国家に対して、それらが当然受けるべき災難の洪水を放っていたのです。
イエス・キリストの迫害者たちに振りかかった神の審判の証拠と、バハイ紀元第一世紀の後期に、バハオラの主敵を打倒したこの歴史的報復とを比較することができます。キリスト教紀元一世紀後
半に、ローマ皇帝は悲惨なエルサレム攻囲の後、聖都を荒廃させ、寺院を破壊し、至聖所の神聖さを汚し、その宝物を略奪してローマに移し、シオン山に異教徒植民都市を作り、ユダヤ人を虐殺し、
生存者を追放して、分散させなかったでしょうか?
さらにまた、福音書には、迫害されたキリストがエレサレムに宛てた言葉があります。その言葉を、バハオラのコンスタンチノープルに宛てた呼びかけと比較することができます。その言葉はバハオラが遠隔の牢獄で啓示したもので、もっとも聖なる書に記録されています。「ああ、エレサレム、エレサレム、予言者たちを殺し、おまえにつかわされた人々を石で打ち殺すものよ。ちょうどめんどりが翼のしたに雛を集めるように、わたしはおまえの子らをいくたび集めようとしたことであろう。」さらにキリストはこの都市を嘆いてこうも述べました。「もし、おまえも、この日に、平和をもたらす道を知ってさえいたら、…しかし、それは今、おまえの目に隠されている。いつかは敵が周囲に塁を築き、おまえを取り囲んで四方から押し迫り、おまえとその内にいる子らとを地に打ち倒し、城内の一つの石も他の石の上に残しておかない日が来るであろう。それは、おまえが神のおとずれの時を知らないでいたからである。」
バハオラは、コンスタンチノープル市に宛ててこう呼びかけました。「二つの海の沿岸に位する地点よ!まことに汝の地の上に圧政の王座は確立され、汝の胸中で憎悪の炎は燃やされた。その状態に天上の集合と、もっとも高遠なる玉座のまわりを回る者らは嘆き悲しんだ。我は、汝の市中で、愚者が賢者を治め、光明の代わりに暗黒が誇っているのを見る。まことに汝は明らかに騎り高ぶっている。うわべの絢燗さが汝を尊大にさせたのか?人類の主なる神にかけて誓う!その状態はやがて消え去り、そこに住む娘たちと寡婦たちとすべての親族は嘆き悲しむようになるであろう。すべてを知り、すべてに賢き者はこのように汝に告ぐ。」
バハオラに三度の追放を宣言した独裁君主のアブドル・アジズ皇帝に対して、信教の創始者バハオラはそのトルコ皇帝の首都に囚われていたとき、次のような言葉を宛てました。「おお国王よ。真理を語り、神が汝に与えたもうたものに対して、何らの報酬を求めない者、正しく一直線の道を踏み外すことなく歩むこの者の言葉に耳を傾けよ。…汝の眼前に神の確かな秤を置き、神の面前に立っているかのごとく、この秤で自らの行動を毎日、一刻一刻測れ。神を怖れるあまり、誰一人立ち上がる力を持たない日、思慮無き者らの心が震えおののく日に、審判に召される前に自らの責任を問え、」
バハオラは同じ書簡の中で、トルコの大臣に宛ててこう明かしました。「おお政府の大臣たちよ、神の教えを守り、汝らの法律と規則を放棄して、正しく導かれる者となれ。…まもなく汝らはこの空ろな生涯で、自らの行為がもたらす結果を発見し、その返報を受けるであろう。…過ぎ去りし時代に汝らと同じことを犯し、汝らよりも卓越した地位にありながらも最後には塵に帰し、避けられぬ破滅に陥った者らはなんと多数あったことか!…汝らも彼らと同じように、味方になる者も、救ける者もいない住家に入れられるであろう。…汝らの命ある日は過ぎ去り、汝らがたずさわり、誇っているものはすべて失われ、必ずや神の天使の一団より、全創造物の四肢が身震いし、あらゆる圧政者の全身が震憾するような場所に出頭するよう召喚されるであろう。…その日、誰も遅らせ得ない時刻は、確実に汝らを訪れるであろう。」
バハオラは、コンスタンチノープルの住民の間で追放生活を送っていた時に、同じ書簡の中で、その住民に次のような言葉を宛てました。「汝ら、この都市の住人よ。神を怖れよ。人々の間に不和の種を蒔いてはならない。…以前の人々の時代が過ぎ去ったように、汝らの時代も過ぎ去るであろう。汝らの祖先が塵に戻ったように、汝らも塵に戻るであろう。」彼はさちにこのようにも述べています。「この都市に着いたとき、市の支配者たちと長老たちが、あたかも子供のように群れ集まって、粘土で遊び興じている姿を我は見た。:::我の内なる目は彼らのために、そして彼らの罪と彼らが創造の目的を完全に無視していることに対して激しく泣いた。…我が生涯を思い起す者たち、我が試練を語る者たち、何の証拠もなしにまったくの不正で我をあしらった者らから我が権利の変換を要求する者たちを、神が起こされる日が近づいている。神は確かに、我らを虐殺した者らの生命を支配し、その仕業を十分に知りたもう。神は彼らが犯した罪ゆえに、彼らを確実に捉えだもうであろう。まことに神はもっとも激烈なる報復者でありたもう。」彼は慈悲深く彼らに勧告しました。「それゆえに神が恩恵を通して汝らに慈悲を与え、汝らの罪を洗い流し、違犯を許されるように我が言葉に耳を傾け、神に戻り、悔い改めよ。神の慈悲の大きさは、神の怒りより優り、その恩恵は、過去、未来において存在に呼び起こされ、生命の外衣を着せられたすべての人々を取り巻いている。」
そして最後に、ライースヘの書簡の中で、このような予言的な言葉が記録されているのを見いだすことができます。「おお統領よ、主権者であり、危急の場の救助者であり、自力にて存在したもう神の声に耳を傾けよ。…おお統領よ、神の使徒なるモハメッドがもっとも高遠なる楽園で煩悶されるようなことを汝は犯した。この世は汝をあまりにも尊大にした。そのため汝は天の集合を輝き照らした御顔に背を向けたのである。やがて、汝は自らの明らかな敗北を見いだすであろう。…暴虐の大軍の手が、この捕虜たちを襲ったために、神秘の地(アドリアノープル)とその周辺に変化が起こり、この領土は国王の支配を離れ、暴動が起こり、嘆きの声があがり、いたる所に害毒の証拠が現われ、混乱が広がるであろう。物事の秩序は変化し、事態はあまりに悪化するため、荒涼たる丘の砂は坤き、山上の木々は泣き、万物より血が流れだすであろう。その時汝は、民が悲嘆にくれるのを見るであろう。」
カリフ位の制度を作った者たちは、神の使徒なるモハメッドの合法的な後継者の権威を強奪してきました。そのカリフ位の制度の非合理性が十分にそして公に示され得るまでには、モハメッドの死後千三百年が経過しなければなりませんでした。カリフ位の制度は創設当初、神聖な権利をどれほど踏みにじり、悲惨な分裂の勢力をどれほど勢いづけたことでしょうか。そして後日、先駆者バブ自らがイマムの子孫(このカリフ制度はイマムの権威を否認した)である信教に、どれほど苛酷な猛襲を加えたことでしょうか。その結果、そのカリフ制度は、その運命を決定づけた懲罰を受けるに十分値したのです。
イスラム教の伝承の文に、わたしが解明したい論点を確証し、そのテーマを明らかにしてくれるものがあります。その伝承はイスラム教徒自らがその信頼性を認めており、また著名な東洋のバハイ学者や著述家たちにより、広範囲にわたって引用されています。「世の終末の日、支配者の手により、我が民に聞いたこともないような嘆かわしい災難が降りかかるであろう。それはあまりにも悲惨であり、誰一人避難所を見いだすことができないであろう。そのとき神は我が子孫の一人、我が家系より現われた方を下されるであろう。その方は不正と暴虐で満たされている地球を、公正と正義で満たすであろう。」「我が民は、イスラム教が名のみとなり、コーランがただの見かけに過ぎなくなる日を目撃するであろう。その時代の僧侶たちは世界がかって見たこともないほど悪質な者たちであろう。彼らより発した害毒は、彼ら自身のうえに跳ね返ってくるであろう。」さらにまたこうあります。その時・神の呪いが汝らに下り、汝らの崇りは汝らを苦しめ、汝らの宗教は、汝らの口に空しい言葉として残るであろう。これらの印が汝らの間に現われるとき、熱風が汝らに吹きまくり、汝らの身体が醜く歪みられ、岩石が汝らに降り注ぐ日を予期せよ。」
バハオラは・スンニ派とシーア派双方の勢力に宛てて、この重大な意義のある、言葉をもって断言しました。「おお、コーランの人々よ、まことに神の予言者なるモハメッドは汝らの残酷さを見て涙を流されるであろう。汝らは確かに、自らの邪悪で堕落した欲望に従い、誉の光に背を向けた。まもなく、汝らは自らの行為の結果を目撃するであろう。なぜなら、主なる我が神は、待ち伏せて汝らの行動を監視されているからである。……おおイスラムの僧侶たちよ!汝らの行為により、民衆の高遠なる地位は奪われ、イスラム教の旗は倒され、その強力な王冠は落とされた。」
キリスト教制度の退廃
このバハイ紀元一世紀に、イスラム教とその指導者たちおよびその機構が受け、この先も受けるであろう打撃については、これ位にしておきたいと思います。もしわたしがこのテーマをあまりに長く解説し、またこの論点を主張するために、行き過ぎと思われるほど聖なる書より引用しているとするならば、それはただ、バハオラの信教に最大の迫害をした者たちに注がれた報いの災難は、変遷時代における動乱事件の中に列せられるばかりか、現代の歴史上、もっとも驚くべき、また重大な事件のうちに数えられるべきであるという、わたしの確固たる信念によるものです。
イスラム教スンニ派とシーア派双方は、彼らを襲った動乱を通して、前に述べた分裂過程の促進に貢献することになったのです。この分裂的過程は、その本質からして、世界があらゆる活動領域において成し遂げなければならない再編成と統合へ向けての道を開くものです。キリスト教およびそれと一体視されるさまざまな宗派についてはどうでしょうか。モハメッドの宗教組織を襲ったこの衰微の過程は、その強い影響をイエス・キリストの信仰に関連する諸組織に与えなかったと言えるでしょうか。それらの組織は、この驚異的な勢力の影響をすでに経験したでしょうか。それらは、この猛襲に反抗し得るだけの確かな基礎と、強力な生命力を持っているでしょうか。混沌とした世界の混乱が広がり、深まるにつれて、キリスト教の機構も次第にその破壊力の餌食になるでしょうか。今や大業は、ヨーロッばとアメリカ両大陸の中心に進んできていますが、キリスト教組織のうちでも正統派寄りのものは、この大業の攻撃を撃退するために、すでに立ち上がっているでしょうか。まだそうしていなければ、将来そうするでしょうか。そのような反抗は、今まで以上の不和と混乱の種を播くことになり、結果的には約束された日の出現を間接的に早めることになるのでしょうか。
以上の疑問に対して、わたしたちは部分的にしか答えることができませんキリスト教と直接関連する諸組織が、このバハイ時代の形成期、つまり人類全体が通過しているこの暗黒時代に果たす役割の本質は、時の経過のみが明らかにすることができます。しかしながら、すでに起こった諸事件はこれらの組織が向かって進んでいる方向を示し得る性格を持っています。わたしたちは、バハイ信教の内外で作用している勢力が、それらの組織に与えるであろうと思われる効果も、ある程度予測できるのです。
無信仰、徹底的な唯物論的哲学、公然とまかり通っている無宗教の諸勢力は放たれ、現在広まり、強まりながら欧米のもっとも強大なキリスト教の諸組織に侵入しつつあることを、偏見のない傍観者は認めざるを得ません。これらの組織は次第にいらだちを増していること、これらのうちあるものはバハオラの大業の普遍的な影響にすでにおぼろげに気付き始めていること、これらの組織は、内部の力が衰え、規律が緩むにつれて、バハオラの世界秩序の興隆をますます狼狽の目で見、徐々に猛攻撃を加えようと決意するであろうこと、―以上について、バハオラの信教の発展を注意深く見守っている者ならば、このことを疑問視することはほとんどないでしょう。
バハオラはこう証言しました。「神に対する信仰心はあらゆる国で衰えつつある。神の健全なる妙薬の他にそれを回復させ得るものはなにもない。不信心による腐食は、人間社会の核心をも蝕みつつある。神の威力みなぎる啓示の霊薬をおいて、何が人間社会を浄化し、復活させ得るであろうか。」さらに、彼はこう書いています。「世は苦しみの中にあり、その動揺は日毎に強まりつつある。その顔は強情と不信心に向かっている。その状態は実に哀れなものになり、現在それを明らかにすることはふさわしくないほどである。」
この世俗主義は、イスラム教を襲い、その生き残りの諸組織を徐々に衰えさせ、ペルシャに侵入し、インドに浸透し、トルコに勝ち誇った頭をもたげました。世俗主義の脅威はすでにヨーロッばとアメリカの双方に現われ、程度は異なるにせよ、さまざまな形と名称をとって、あらゆる既成の宗教の基盤、特にイエス・キリストの宗教に関連する諸組織と共同体に挑戦しているのです。未来の歴史学者が、キリスト教史上もっとも危機にさらされた時期であると見なすであろう時代に、わたしたちは進みつつあるといっても過言ではないでしょう。
すでにキリスト教の指導者のうちには、自分たちが直面している事態の重大さを認めている人が多少います。宣教師たちの公式の報告書には、次のような証言が見られます。「物質主義の波は世界中に押し寄せている。中部アフリカの森林地帯や中部アジアの平原にまで浸透しつつある現代産業の攻勢と圧力により、あらゆる地方の人々は物質に依存し始め、それに夢中になっている。内地では、教会は説教壇や演壇で、あまりにも軽々しく世俗主義の脅威を説いてきたと思われる。英国においてさえも、その意味をある程度とらえることができる。しかし、海外の教会ではこれは厳然たる現実であり、教会がつかみ合っている敵なのである。…教会はどの国においても新たな危険、つまり、強烈な敵意を持った攻撃に直面しているのである。ソビエト.ロシアを起点として、明らかに反宗教的な共産主義が、西方にはヨーロッばとアメリカに、東方にはペルシャ、インド、中国、日本に押し寄せている。共産主義は経済的理論であり、明確に神への不信仰を推し進めるものであり、宗教的非宗教なのである。…それは、熱烈な使命感をもって、教会の最前線である非キリスト教国で攻撃を始めているが、そればかりでなく、内地においても教会の基盤に対して、神に反対する運動を進めているのである。このように、宗教一般、特にキリスト教に対する、意識
的で公然と組織された攻撃は歴史上例を見ない。国によっては、キリスト教に対する同じように計画的で、強烈な敵意は、社会的政治的信仰のもう一つの形態―愛国主義―によって生み出されてきた。しかし、共産主義と異なって、キリスト教に対する国家主義的な攻撃は、しばしば国教―ペルシャとエジプトではイスラム教、セイロンでは仏教と結びついており、一方・インドにおける自治権獲得の闘争では、ヒンズー教とイスラム教双方の復興と同盟しているのである。」
これに関連して、戦後期におけるかの経済理論と政治哲学の起源と性格を説明する必要はないでしょう。その理論と哲学は、世界でもっとも広範囲に普及し組織化された宗教組織の一つと関連ある機構と信条に、直接、間接的に有害な影響を及ぼそうとつとめて来ており、そして今だにそうし続けています。わたしが主に関心を持つのは、その起源ではなく、その影響です。前述の引用で証言されるような産業主義の過度の発達とそれに伴う弊害、共産主義運動の鼓舞者と組織者によって始められた侵攻政策と執拗な努力、いくつかの国における聖職者たちの持つあらゆる権力に対する組織化された侮辱行為と提携した好戦的な愛国主義の強化1一以上は疑いもなく一般大衆のキリスト教離れに寄与し、教会の権威、威信、威力の著るしい衰微の原因となりました。キリスト教を迫害する者たちは執拗にこう主張し続けました。「神という概念はそもそも、古代東洋の専制君主制に起因するものである。それは自由な人間にとってまったく価値のない概念である。」彼らの指導者の一人は「宗教は人民のアヘンである」と主張しました。彼らの公の出版物にはこう宣言されています。「宗教は人間をたたきのめした。人民の心より、この屈辱と白痴行為を消すような教育が施されなければならない。」
他の国々では、へーゲル派哲学が偏狭で好戦的な国家主義という形で国家の神聖化を主張し、戦闘精神を注入し、人種的憎悪を刺激してきました。そのへーゲル派哲学は、同様に教会の著しい弱体化とその精神的影響力の重大な減少へと導いて行きました。このことは、ソ連とその国境の外において、無神論的運動が教会に対して公に始めた大胆な攻撃とは異なっています。キリスト教の支配者たちと諸政府が支持したこの国家主義的哲学は、以前自認の帰依者であった者たちが教会にしかけた攻撃であり、教会の親戚知己による背信なのです。教会は、外部からは外国の好戦的無神論、内部からは異端の教義を持つ伝導者たちによって刺されました。この両勢力は、各々独自の範囲で作用し、独自の武器と手段を持っています。両勢力は、その普及とともに、宗教を人間の日々の生活よりますます分離させていこうとする、徹底した唯物的哲学に重点を置く流行のモダニズムの精神により大いに援助され、鼓舞されてきたのです。
これらの奇妙で堕落した教義、これらの危険をはらんだ哲学の影響は、当然ながら、それらと反対で全く相容れない精神と原則を提唱する教義を持つものに痛烈に感じとられました。この争い合う利害間に当然生じた衝突の結果は、ある場合悲惨であり、それがもたらす被害は取り返しのつかないものでした。オーストリア・ハンガリー王制の崩壊によるローマ教会の打撃、それに続くロシアのギリシャ正教会の廃止と解体一その後続いてカトリック教会を捉え、スペインで政教分離という極点に達した内乱状態ーメキシコにおける同じカトリック教会の迫害―ヨーロッばの中心で、カトリック信者とルーテル派信者が共に受けている徹底調査、検束、脅迫、威嚇―キリスト教会の他の宗派が、アフリカにおける軍事行動の結果投げ込まれた動乱―ペルシャ、トルコおよび極東における英国国教会と長老教会双方のキリスト教伝導の運命に広まりだした衰微―ローマ教皇庁とヨーロッば大陸の諸国間に現存するあいまいで不安定な関係に深刻な紛糾を予示する不吉な兆候―以上が、世界中のいたるところでキリスト教会の信者と指導者が受けた敗北のうちもっとも目につくものです。
以上の教会組織のうち、あるものは内部の結束を取り返しのつかないほど損なわれました。このことは理解力を持つ観察者にはあまりにも明らかであり、それを誤って受け取ることも、否定することもできません。キリスト教の帰依者のうち、原理主義者と自由主義者の溝は広がる一方です。彼らの信条と教義は骨抜きにされ、ある場合には無視され放棄されました。人々の行動を支配する力は緩み、聖職者の人数は減り、その影響力は弱まりつつあります。伝導者たちの臆病さと不誠実さは幾度も暴露されました。国によっては教会の財源は消失し、教育を促進する力は衰えました。教会堂は一部見捨てられ、破壊され、神とその教えと目的の忘却は彼らを弱め、彼らに屈辱をもたらしたのです。
イスラム教のスンニ派とシーア派があれほど激烈にこうむったこの分裂の趨勢は、極点に近づくにつれキリスト教会の諸宗派にもこれまで以上の災難をもたらさないでしょうか?すでに始まったこの過程が、どのように、そしてどれほど迅速に展開していくかは、未来のみが明かせるでしょう。また、いまだに強大な力を誇る聖職者たちが、西欧のバハオラの拠点に加えるであろう攻撃がどの程度この衰微を早め、避けようのない災難の範囲を広めるかを現在推定することもできません。
米国の長老教会のある牧師はこう書いています。キリスト教が現在の危機をはらんだ世界で真に役立つことを望むならば、「キリスト教をキリストに縮小し、イエスについての何世紀にも及ぶ宗教を、イエスの最初の宗教に戻さなければならない。」そうしなければ、と彼は意義深く次のように付け加えています。「キリストの精神は、我々の組織以外の組織で生きることになろう。」
キリスト教社会を構成する要素の力と団結の著しい衰えは、容易に予想できるように、ますます多くの不可解な礼讃、おかしな新しい礼拝、無意味な哲学を生み出しました。これらの複雑な教義は、騒然とした時代の混乱を悪化させてきました。幻滅した大衆は、キリスト教会の大義を見捨て、教会を脱退しました。その大衆の反抗と混乱した熱望は、それらの教義とその目指す目標のうちに反映され、証言されていると言えるでしょう。
キリストの宗教を苦しめている無力さと混乱が原因となって生み出された乱雑で混沌とした思想体系と、キリスト紀元の開始期に繁栄した多種多様のはやりのカルトや曖昧な哲学との間に多くの類似点を見いだすことができます。それらのカルトや哲学は、ローマ市民の国教を吸収し、邪道に陥らせようとしたのでした。その当時、西ローマ帝国の人口の大半をなしていたのは異教崇拝者でした。その異教崇拝者たちを取り囲んでいたのは、流行の新プラトン派哲学の一派、自然崇拝者、グノーシス派、フィロニズム、日の神礼拝者、アレキサンドリア崇拝への帰依者、および数多くの同類の宗派や信仰などであり、ときには、彼らはそれらに脅威さえ覚えていたのです。まったく同じように、今、欧米社会で優位を占めている宗教であるキリスト教の擁護者たちは、バハイ紀元一世紀において、自らの破綻が招いた矛盾しあう信仰、儀式、風潮の洪水によって、いかに自分たちの影響力が衰えてきているかを、認識させられつつあるのです。しかしながら、現在そのような沈滞状態にあるキリスト教も、かつては、異教信仰の組織を一掃し、当時栄えたさまざまなカルトを圧倒し、禁圧し得ることを結果的に証明したのでした。
このように、イエス・キリストの精神とその教えから大きく迷いだした諸組織は、萌芽期にあるバハオラの世界秩序が具体化し発展するにつれて、必然的に背景に退き、バハオラの教えが解きがたく織り込まれている、神より定められた機構の発展のために道を譲らざるを得ません。教会の使徒時代に、その信者たちを活気づけた内在する神の聖霊とその教えの素朴な純粋さ、その光の原始的な輝きは、その基本的真理を再定義し、初期の目的を明確化することにより、その必然的結果として、疑いもなく再生し、復活するでしょう。
バハオラの信教は、一それを正確に評価するならば一その教えのいかなる面においても、イエス・キリストの宗教と決して敵対するものではありません。ましてや、それを活気づける目的に反したり、賦与されている権威と矛盾することは絶対にありません。バハオラ自らキリスト教の創始者に与えた次の熱烈な称賛は、このバハイ所信の中心原則の真実性を十分に証言するものです。「人の子が息絶えたとき、全創造物は深く嘆いて泣いたことを知れ。しかしながら、自らを犠牲にすることにより、新たな能力が全創造物に注ぎ込まれた。地上のあらゆる民に見いだせるように、その証拠は汝らの前に現わされている。賢人たちが口にした最高の英知、人の心が示したもっとも深遠な学識、もっとも有能な手が生み出した芸術、もっとも権勢ある支配たちが及ぼした影響は、キリストの超絶的で、すべてに偏在し、燦然と輝く精神が放った生命力の表現に過ぎない。彼がこの世に到来したとき、その栄光の輝きを全創造物に注いだことを我は証言する。彼により癩病患者はよこしまと無知の癩病より回復した。彼により、不貞な者や強情な者は癒された。全能の神より生みだされた力によって盲人の目は開き、罪人の魂は清められた。・・・彼こそは世界を浄化した御方である。光で輝く顔をもって彼に向かった者は幸いである。」
道徳堕落の兆候
宗教組織の崩壊は、バハイ紀元の形成期における非常に重要な局面をなしています。しかし、その衰退についてこれ以上述べる必要はないでしょう。イスラム教は、世俗主義の台頭とバハオラの信教に対する執拗で公然とした敵意が原因となって、その歴史上まれに見る失墜の深みに沈みました。同様に、キリスト教もその姉妹宗教に作用しているものとかなり似通った原因により、確実に弱体化し、社会全般の崩壊過程にますます寄与してきました。この崩壊過程は、人間社会の根本的再建に必然的に先行しなければならないものです。
宗教組織の衰退とは別に、道徳の堕落の兆候も同じように注目すべきであり、重大なものと思われます。イスラム教とキリスト教の運命を曇らせてきた衰退の影は、信者たちの個人生活と行動にも同じように作用しているといえましょう。どの方向に目を向けても、今の世代の言行に対する観察がどれほど粗略なものであっても、周りの男女が個人としての生活や社会生活で示している道徳の堕落の証拠に圧倒されずにはおられません。
社会的勢力としての宗教の没落が、―宗教機構の堕落はその外面的現象に過ぎないのですが−これほどにも重大で、これほどまでに著しい悪の主な原因であることに疑いをはさむ余地はありません。バハオラは次のように書いています。「宗教は世界秩序の確立とそこに住むすべての人々の平和と満足のためのあらゆる手段のうち、もっとも強力なものである。宗教の柱の弱体化は無知なる者らの手を強め、彼らを大胆傲慢にした。まことに我は告ぐ。宗教の崇高なる地位を低下させたものは何であれ、邪悪な者たちのわがままを増長し、その結果無秩序になるほかはない」。バハオラは他の書簡でもこう述べています。「宗教は、世の人々の保護と福祉のための輝く光であり、堅固な砦である。神への怖れは、人間を善に確固とすがらせ、悪を避けさせるからである。宗教のランプが曇れば、混沌と混乱が続いて起こり、公平、正義、静穏と平和の光は輝きを止めるであろう。」彼は他の箇所でもこう書いています。「真に賢明なる者らがこの世を人間の身体にたとえたことを知れ。人間の身体がそれに着せる衣服を必要とするように、人類という身体も正義と英知のマントで必ず飾られなければならない。その衣は神によって与えられた啓示である。」
したがって、人間の意固地の結果、宗教の光が人の心の中で消され、身体を飾るために神より定められた外衣が故意に捨てられる時、ただちに人類の運命に嘆かわしい衰退が入り込み、引き続いて傲慢な心が現わし得るすべての邪悪が生み出されるのも不思議ではありません。そういった状態のもとで、人格の倒錯、行動の堕落、制度の腐敗と崩壊は最悪にしてもっとも忌まわしい様相を呈するのです。人間の品性は落ち、自信は揺らぎ、規律の緊張はゆるみ、良心の声はおさえられ、礼儀と差恥の感覚は鈍り、義務、連帯、相恵主義、忠誠の観念は歪められ、平和、喜び、希望の感覚さえも徐々に消滅するのです。
以上述べた状態に個人と諸機構が共に近付きつつあることは容易に認めることができます。バハオラは、人類が誤った状態にあることを嘆いてこう書いています。「外面的にも内面的にも一致している二人の人間を見いだすことはできない。すべては一致と調和のために創造されたにもかかわらず、不和と悪意の証拠はあらゆる所に明らかである。」彼は同じ書簡の中でこう叫んでいます。「いつまで人類は片意地を張るのであろうか。いつまで不正が続くのであろうか。いつまで混乱と動揺が人々の間にのさばるのであろうか。いつまで不和が社会を騒がせるのであろうか。失望の風があらゆる方角から吹いてきて、人類を対立させ、苦しめる闘争が日々増加している。」
宗教的偏狭、人種間の敵意、および愛国主義的傲慢さの再燃。利己主義、疑念、恐怖、ぺてんの増しつつある証拠。テロリズム、無法、酒浸り、犯罪の蔓延。この世の虚栄、富、快楽に対する癒しがたい渇望と熱望に侵されたような追求。家族の連帯感の弱体化。親の監督のゆるみ、ぜいたく放縦への堕落。結婚に対する無責任な態度とその結果として起こる離婚の増加。芸術、音楽の堕落。文学の悪感化と新聞の低俗化。友愛結婚を主唱し、裸体主義思想を説き、慎みを知的虚構と呼び、子供を生むことを結婚の神聖で主な目的とみなすことを拒否し、宗教を人民のアヘンとして非難し、もし権力を与えられれば、人類を野蛮、混沌、そして最後には滅亡へと逆戻りさせる「デカダンスの唱道者たち」の影響と活動の拡大。以上が退廃的社会、再生するか滅亡しなければならない社会の際立つ特性です。
政治および経済機構の崩壊
政治的にも同様な衰退、著しい分裂と混乱が起きていることの明白な証拠が、わたしたちが生きているこの時代に見られます。この時代は、未来の歴史家が偉大な時代の前触れであったと必ずや認める時代なのです。その黄金時代について、わたしたちは現在おぼろげにしか心に描くことができません。
近年において、政治および社会・経済機構をほとんど完全な崩壊点にまで張りつめてきた激烈で破壊的な事件は、あまりに数多く、複雑であり、この概説の中でそれらについて正確で適切な判断をすることはできません。それらの事件がもたらした苦難は厳しいものでしたが、今だに最高潮に達したとも、その破壊力のすべてを出し尽くしたともいえません。いかなる点から見ても、いかなる方法で推測しても、全世界は、巨大な衰弱しきった瀕死の生きものの悲しくも哀れな光景を呈しています。世界は、制御することも、理解することもできなくなった勢力により、政治的に裂かれ、経済的に窒息させられています。大恐慌、人類が経験したもっとも厳しい試練の余波、ベルサイユ平和条約の崩壊、最悪の脅威をもたらすという面での軍国主義の再燃、国民と階級および国家の平和と静穏を擁護するための膨大な試みや新しく生み出された機構の失敗。これらは、人類を極度に幻滅させ、その精神を打ちのめしました。その望みは大部分砕かれ、その生命力は衰えつつあり、その生活は奇妙に乱れ、その調和はようしゃなく弱められました。
ヨーロッば大陸では、根深い憎悪と一層激しさを増しつつある競合関係が、再びその不運な諸国民と諸国家を敵味方に分けて整列させています。それは人類の長い苦悩の歴史の中で、もっとも恐ろしく、拭い去り得ぬ苦しみを引き起こすでしょう。北米大陸では、経済的窮迫、産業解体、均衡を逸した国民経済を調整するためのさまざまな試みの失敗に対する広範囲にわたる不満感、さらにヨーロッばとアジア両大陸で政治的に巻き込まれるのではないかという不安と恐怖感は、アメリカ共和国史上、もっとも危険な局面に接近しつつあることを予示するものです。アジアでは、最近の歴史上で体験した厳しい試練の一つに大部分がいまだもって掌握されており、その東部境界では、開放された諸民族の台頭しつつある国家主義と工業化が必ずや引き起こさざるを得ない闘争を強化せんと威嚇する勢力の襲撃におびえています。アフリカの中心では、残虐で血なまぐさい戦争の火が燃えさかっていますが、その結果がどういうものであれ、その戦争は世界的な反響によって、人類の諸民族や有色人種の国家に不穏な影響を及ぼすよう運命づけられているのです。
科学が生み出したもっとも忌まわしい破壊兵器を使用するために訓練され、教育された戦闘準備完了の一千万を下らない兵員、外国の民族や政府の支配に激怒し、苛立っているその三倍の数の民衆、他国民が故意に壊している物品や必需品を自らの手で獲得できずに憤激している市民の同じような巨大な集団、絶えず増強されていく軍備の重荷にあえぎ、国際貿易の事実上の崩壊によって貧困に陥った大多数の人びとーこのような悪弊により、人類はその存続上、最悪の苦難に満ちた段階の外辺に確実に入りつつあるように思われます。
ヨーロッばのある有名な大臣が最近の声明の中で、次の警告を故意に出したことは驚くべきことでしょうか。「ヨーロッばで再び大規模な戦争が起これば、その結果、文明の崩壊をもたらすに違いない。我々はその跡を見て知るであろう。故ブライス卿は、戦争を終わらせなければ、戦争が我々を終わらせるであろう』と述べている。」「不運なヨーロッばは神経衰弱の状態にある。・・・ヨーロッばは回復力を失った。団結と統合の活力を失った。次の戦争は我々を破滅させるであろう。」これは、現代ヨーロッばの独裁者の中でも特に目立つ人物の証言です。著名で深い学識をもつキリスト教会のある高僧はこう書いています。「権限をもつ国際機関が最終的に設立されるためには、ヨーロッばでもう一度大闘争が起きなければならないであろう。そのためにこの世代の人々に何万もの命の犠牲が要求されるであろう。」
軍縮会議および経済会議の惨めな失敗、海軍軍備制限協定上の障害、世界最強で、重装備をしているニカ国の国際連盟とその活動よりの脱退、ヨーロッばとアメリカにおける最近の諸事件に見られた議会政治のいたらなさ、頻繁に吹聴されたプロレタリアート独裁の原理の正当性を立証できなかったこと、共産主義運動の指導者と代表者たちの無能さ、全体主義国家の為政者たちが国民をさらしてきた近年の危機と窮乏ー以上は、現代の諸機構が人間社会を刻々と脅かしている災難を避け得るには無能なことを疑いの余地なく現わしています。途方に暮れた世代は、絶えず拡大しつつある溝、そしていつ人間社会を呑み込むかもしれない溝を矯正できるものとして何が残されているかと問うでありましょう。
崩壊と動乱と破産の証拠は蓄積され、真剣に考える男女は、その証拠で四方を取り囲まれています。彼らは身分職業を問わず、現在組織されている社会は、着実に沈みつつあるぬかるみより、外からの援助なしに身を脱することができるかどうかと疑いはじめています。人類の和合以外のありとあらゆる組織が試され、幾度となく試みられましたが、どれも不十分であることがわかりました。戦争は何度も起こり、数多くの会議が開かれ、審議されました。条約、協定、協約が注意深く折衝され、締結され、改正されました。数々の政治体制が根気よく試みられ、絶えず改革され、取り替えられてきました。経済の再建計画は慎重に提案され、細心の注意を払って実施されました。それにもかかわらず、危機は危機に続き、危険にさらされた不安定な世界が衰微していく速度は、それ相応に増してきました。大きく開いた深淵は、満足した国と不満足の国、民主国と独裁国、資本家と賃金生活者、ヨーロッば人とアジア人、ユダヤ人とキリスト教徒、白人と有色人種の全部を一つの共通の災難に巻き込もうと脅かしています。皮肉屋は、激怒した神が不運な地球をその運命にまかせ、その滅亡を最終的に定めたと評するでしょう。人類は厳しい試練を受け、幻滅し、疑いもなく方角を見失いました。同時に確信も希望も失ったようです。人類は指導者も展望もなく、苦難の淵をさまよっています。宿命感が充満しているようです。絶えず深まり行く陰欝が、人類のかき乱された生活の最暗黒の地帯の外側の淵より中心部へと浸透していくにつれ、人類の運命におおいかぶさってきています。
まだ暗影が絶えず深まってはいるとはいえ、国際情勢の地平線上に断続的に閃く希望の閃光が、人類を取り巻く暗黒を、ときたま和らげるように見えるといえないでしょうか。不安定な信念とかき乱された思考の世界・着実に強化されていく軍備と押さえがたい憎悪と敵意に満ちた世界で、いかに突発的であろうとも、時代の精神に応じて作用している力の前進をすでに認め得ると主張することは間違いでしょうか義後の屡家主義が挙げた叫びは日毎に高く、執拗になりつつあり、国際連盟もいまだ萌芽期にあり、増大しつつある嵐の雲は、一時その力をまったく奪い、その機関を抹消するかも知れませんが、国際連盟自体が進行している方向は極めて意義深いものです。その設立当初より挙げられてきた声、これまでの努力、すでに達成された事業は、現在設立されている制度、あるいはそれに取って代るかもしれない組織体が完逐するように定められている勝利を予告するものです。
バハオラの集団保障の原則
国際連盟の誕生以来、安全保障条約の制定が中心目的とされ、そのために努力が向けられてきました。連盟の発展段階の初期に、加盟国が考慮し、討議した保証条約、後期に国際連盟の内外において激しい論争を起こしたジュネーブ調書案上の討論、それに続くヨーロッば合衆国についての提案、ヨーロッば大陸の経済的統一への提案、そして最後になりましたが決して軽んぜられてはならないものとして、加盟国によって始められた制裁制度ー以上は、波乱に満ちた連盟の歴史上もっとも意義ある画期的な出来事と見なすことができます。国際連盟の加盟国である世界五十ヵ国余の諸国は、慎重な審議のあと、同胞加盟国であり、ヨーロッばの最強国の一つである国が故意に侵したと判断する侵略行為を認定し、評決を宣言したこと、加盟国のほとんどは、一致して有罪を宣告された侵略国に制裁を課すことに同意し、その決議を最大限に実行することに成功したということは、疑いもなく、人類史上比類のない出来事でした。史上初めてバハオラが予告し、アブドル・バハが説明した集団安全保障の機構が真剣に考察され、討議され、試みられました。この集団安全保障の機構が効果的に設立されるためには、権限と弾力性が共に必要であることが史上初めて公式に認められ、公に宣言されたのです。その権限とは、提案された機構の効力を保証するための適切な強制力を持つことであり、弾力性とは、案出された機関が権利を侵された立場にある支持者たちの正当な要求と切望に応じ得ることです。史上初めて、集団責任を持つという目的と、集団行動を実際に準備して、口頭誓約を補足するという目的のために、世界の諸国は試験的努力を重ねてきたのです。さらに、史上初めて諸国家の指導者と代表者の宣言を支持し、その決議にしたがって集団行動を起こすために、世論が動き始めたのです。
最近の国際情勢の展開を見て、バハオラが口にされた言葉は、いかに明白で、いかに予言的に聞こえることでしょうか。「おお、この世の君主たちよ、和合せよ。それにより、汝らの間の不和の嵐が静まり、国民は平安を見いだすであろう。もし誰かが他に対して武器をとれば、皆その者に対して立ち上がれ。というのもこれは明白なる正義にほかならないからである。」現在の試験的な試みを予告してバハオラはこのように書きました。「どうしても全人類を包含する大会議を開く必要性が一般に認められる時がくるであろう。世界の為政者と国王はそれに出席して討議に加わり、国家間に最大平和の土台を置くような手段を考慮しなければならない。・・・もしある国王が他の国王に対して武器をとった場合、皆団結して立ち上がり、その王を阻止しなければならない。」
アブドル・バハは、この問題について書いています。「世界の君主たちは、拘束力のある条約を締結し、盟約を結ばなければならない。その規約は侵しがたく正当でかつ明確であらねばならない。彼らはそれを全世界に宣言し、全人類の承認を得なければならない。・・・人類の全勢力は、このもっとも偉大な聖約の安定性と永続性を守るために結集されなければならない。・・・この厳粛な条約の基底を流れる基本的原則は、こうなければならない。つまり、ある政府が規約の一つでも破るならば、地上の他の政府が一斉に立ち上がり、その国を屈伏させるほどに確固としたものでなければならない、いや、それどころか人類全体が全力を尽くしてその国を滅ぼすことを決意するほどのものでなければならない。」
現在までに成就されたことは、人類史上意義あるものであり、また前例のないものではありますが、以上の言葉が予示している機構の基本条件を満たすには遥かに不十分であることは疑う余地もありません。国際連盟は、国際紛争を効果的に解決していくための国際性をいまだに欠いているではないかと反対者は評するでしょう。その生みの親であるアメリカ合衆国は国際連盟を否認し、いまだに無関心であり、一方、そのもっとも強力な支持者のなかに数えられたドイツと日本は、その大業を放棄して脱退しました。国際連盟のこれまでの決議と行動は、国際連帯を明確に示すものではなく、単なる気高いジェスチュアと見なされるべきである、と他の者は主張するでしょう。また他の者は、次のように主張するでしょう。国際連盟の採決は宣言され、諸国家の誓約は与えられても、集団行動は結局、その最終目的を遂げることはできず、国際連盟自体消滅し、全人類を襲うであろう災難の洪水に浸されるであろうと。たとえそうであれ、すでに果たされた前進の意義は無視することはできません。連盟の現在の地位、またはその歴史的決定がいかなるものであれ、そしてそれが近い将来に直面し、受けなければならない試練と逆転がいかなるものであれ、これほど重要な決定は、その目標に向かう長い至難の道程で、もっとも特徴的で画期的な出来事の一つを印すという事実は認められなければなりません。その目標とは、全国家は一体であるということが国際社会の支配的原理とされる状態です。
しかしながら、この歴史的な一歩は、撹乱された人類を取り巻く暗黒中の微光にすぎません。それは、絶えず深まり行く混乱の中の単なるきらめき、一時的な閃光にすぎないのかも知れません。崩壊の過程はようしゃなく続き、その腐食的影響は崩れつつある時代の中核により深く浸透しなければならないのです。争い合う国家、信条、階級、人種が世界的な苦難の大試練に溶かされ、激烈な試練の火によって一つの有機的共同体、一つの巨大で、統一され、調和よく機能する機構に鍛えられるまでは、この先も多大の苦しみが必要なのです。想像を絶する災難、夢想もしなかった危機と激変、戦争、飢饉、悪疫が、考えようともしない世代の人々の魂に、彼らが侮って認めることも、従うこともしなかった真理と原則を認めさせるために、入り混じって襲ってくるでしょう。支離滅裂な社会組織が再建され、再生され得るまでには、これまでに経験したものを遥かに凌ぐ苦しい麻揮状態が広がり、社会を苦しめなければならないのです。
バハオラはこう書いています。「技術や科学を推進する学識者がしばし自慢の種とする文明も、中庸の域を逸脱することが許されれば、文明とて人類に大なる悪をもたらすであろう。・・・中庸が守られるとき、文明はもっとも豊かな善の源泉となる。しかし極端に走れば、文明は同様に大量の悪の源泉となろう。・・・文明の火炎が都市を飲み込むときが近付きつつある。その日、荘厳なる舌はこう宣言する。『御国は神に属せり、神こそはすべてに賛美される全能者なり』と。」バハオラはさらにこう説明しています。「ライースヘの書簡が啓示されて以来今日に至る迄、世の中が静まることも人々の心が休まることもなかった。・・・その病はまったく絶望の段階に近付きつつある。というのは、真の医師は治療を施すことを妨げられ、一方未熟な医者が好まれ、完全に思いのままふるまう自由を許されているからである。・・・騒乱の芥は人々の心を曇らし、目をくらました。彼らはやがて神の日に、自らの手による仕業の結果に気付くであろう。」バハオラはこうも書いています。「今日は大地が吉報を告げる日である。不正を働く者はこの大地の重荷である。・・・先駆者は叫び、人々は裂かれた。神の怒りの激しさはそれほど凄まじいものであった。左側の人々は溜め息をつき、呻いている。右側の人々は高貴な住居に住み、すべてに慈悲深き方が差し伸べたもう生命の美酒を一息に飲み干している。彼らはまことに至高なる人々である。」
最大名の共同体
至高なる人々とは、最大名の共同体をおいて他に誰を指すことができるでしょうか。その共同体の諸活動は世界を包含し、絶えず強化されており、世俗上、宗教上の諸機構が大部分崩壊しつつある世において、ただ一つ、統合へ向かう過程を成しています。この共同体は実際、「右側の人々」であり、その「高貴な住居」は、バハオラの世界秩序の土台に据えられています。このバハオラの世界秩序は、現代の最大苦難の時代における永遠の救済の方舟です。地上のすべての民のうち、彼らのみが大暴風雨の混乱の中で進路を描き、運命を支配する聖なる救助者の手を認めることができるのです。彼らのみが自らの手で織りつつある秩序正しい世界政治形態の静かな発展に気づいているのです。
最大名の共同体は、自らの使命を認識し、信教が所有する社会建設の力に自信を持ち、萌芽期にあるバハオラの世界秩序が成熟し、発展するように、必要な手段を編み出し、完成させるために、思い止まることも落胆することもなく努力し、万難を排して前進しています。全世界のバハイ共同体が全力を尽くして身を捧げているのは、この緩やかで、目立たない建設過程であり、この過程は、神の不変な目的である再生作用によって動かされ、信教の行政機構の枠内で進行しています。
世の中では、政治的、社会的諸機構の構造が損なわれ、展望は見えず、良心は惑わされ、宗教組織は活気をなくし、美徳を失っています。その中で、この強烈な生命力に満ち、あらゆる所に浸透するこの治療機関、この発酵力と結合力は形をとりはじめ、機構に結晶しながら、その力を動員しつつ、人類の精神的征服と完全救済のために準備しています。その理想を具体化する集団はまだ小規模で、その直接実質面の効果はまだわずかですが、それに与えられている潜在力は測り知れないものがあります。その潜在力によって、その集団は個人を再生させ、乱れた社会を再建するように運命づけられているのです。
およそ一世紀の間、混乱した時代の喧騒と動乱の渦中に置かれ、その上、その指導者、機構、信者が絶え間ない迫害を受けたにもかかわらず、信教はその実体の保存、安定性と力の強化、有機的和合の維持、法律と原則の高潔さの保全、防御力の確立、機構の拡大と強化に成功してきました。信教の内部、外部双方から、また近隣の国のみならず遠隔にある国においても、その光を消し、その聖なる名を排除しようと計略した勢力は数知れず、また強力でした。ある者は信教の原理に対して背信し、不面目にも大業を裏切りました。またある者は、憤激した聖職組織の指導者が加え得るような極めて悪質な誹誇を浴びせました。さらに別の者は、権力の絶頂にある最高権威者しか加えられないような苦難と屈辱を信教に与えたのでした。
公然と名乗る敵と隠れた敵が達成できた限界は、せいぜい信教の発展を遅らせ、その目的を一時的に曇らすことくらいでした。実際彼らが成し遂げたことは、信教の生命を浄化し、心底から奮起させ、魂を活気づけ・機構から不要なものを取り去り、和合を固めることでした。それらの敵は、信教の帰依者たちの巨大な組織の分裂、永久的な分裂をもたらすことは決してできませんでした。
大業を裏切った者たち、熱のない無気力な支持者たちは萎縮し、枯葉のように落ち、信教の光輝を曇らすこともその機構を危機にさらすこともできませんでした。もっとも執念深い敵、大業を外より攻撃した者たちは、権力の座を追われ、極めて驚くべき方法で自らの結末に遭遇したのです。大業を最初に抑圧し、反対したのはペルシャでした。その君主は見る影もなく没落し、その王朝は崩壊し、その名は呪われ、その同盟者、その衰微しつつあった国家を支持した聖職者政治は全く信用を失いました。大業の創始者を三度追放し、残酷な終身投獄を課したトルコは、その記録上、もつとも激烈な試練であり、深刻な影響を与えた器の一つを経験し、最強帝国が転じて、アジアの小国と化し、サルタン位は抹消され、王朝は覆され、イスラム教の強大なる制度であるカリフ位は廃止されたのでした。
一方、それほど悪質な背信の目標にされ、激烈な攻撃の的になっていた信教は自らが受けた傷に屈することも、分裂することもなくしだいにその力を増強し、着実に前進していました。信教は忠実な信者たちに、いかに恐るべき障害によっても損なわれることのない不屈の精神を注入し、いかに暗澹とした逆境にも消されることのない信仰を信者たちの心に点し、いかに強大な勢力にも挫かれることのない希望を注ぎ込んだのでした。
世界宗教
バハオラの信教は、自らを「運動」あるいは「団体」と呼ぶことを止めなければなりません。これは絶えず進展しつつある機構に極めて不当な呼びかたです。無学者や悪意をもった者がよく用いた「バビ宗派」、「アジア的信仰」あるいは「イスラム教シーア派の分派」といった名称からも縁を切り、単なる人生哲学、または倫理実践の折衷主義的規約、あるいは新興宗教といったレッテルをはられることも拒否しなければなりません。そして今や、バハオラの信教は世界宗教と認められるにふさわしいことを立証することに明白な成功を収めているのです。この信教は、時が満てば全世界に及ぶ世界連邦にまで発展する運命にあります。この連邦こそは、この信教の創始者によって宣言された最大平和の達成手段であり、またそれを擁護するものでもあります。宗教組織の矛盾する忠誠心は、何世代もの長きにわたり、人類の平和をかき乱してきました。この信教は、宗教組織の数を増加させることを望むどころか、信者の一人一人に異なった宗教に対する愛と、それらの底に流れる和合を真に認める心を育みつつあります。
「それは、あたかも希望の言葉を長く探索してきたすべての人々を召集する大抱擁のようです。」これは、王位にある人がバハイ信教の主張とその立場を評価した時の人の証言です。「それは、以前に出現したすべての偉大な予言者を受け入れ、他のいかなる信条を損なうこともなく、すべてに向かって開かれています。」彼女はさらにこう書いています。「バハイの教えは、魂に平和を、心に希望をもたらします。確信を求めている人には、御父の言葉は、長い流浪のはてに見いだした砂漠のオアシスのようです。」彼女は、バハオラとアブドル・バハに言及した文中でこう証言しました。「彼らの書は、あらゆる境界線を越え、儀式と教義に関するすべての争いを越えて届く平和への大いなる呼び声です。バハオラの長子、アブドル・バハがわたしたちに与えられたメッセージは驚くべきものです。彼らは、その中心にある永遠の真理の幼芽は根を下ろし、広がらずにはいないことを十分理解しておられるので、攻撃的に唱えられたりされません。」彼女は次のような嘆願の言葉で結んでいます。「もしバハオラまたはアブドル・バハの名を耳にされたなら、彼らの書を避けてはなりません。彼らの書を探しだし、その栄光に満ち、平和をもたらし、愛をかもしだす言葉と教訓がわたしの心に浸透したように、あなた方の心にも浸透させてください。」
バハオラの信教は、その創造的、調整的エネルギーにより、また人の心を高揚させるエネルギーにより、その庇護を求め、大業に揺るがぬ忠誠を誓ったさまざまの民族、国民、階級の人々を融合してきました。信教は帰依者たちの心を変え、偏見を焼き尽くし、欲望を清め、思想を高揚し、動機を高貴にし、努力を調整し、視点を変えてきました。さらに愛国心を保存し、二次的な忠誠心を擁護する一方、信者たちを人類を愛する者となし、人類の最善で、真の利益に対する揺るがぬ支持者となしました、そしてまた、信者たちの一人一人が持っていた宗教は、神より下されたものであるという信念をそのまま維持させる一方、それらの底に流れる目的を明確に心に描かせ、その真価を発見させ、諸々の宗教の連続性、相互依存、一体性と和合を認識させ、彼らをしっかりと結びつけている絆を認めさせることができました。バハイ信教の信者たちが、どの人種、信仰、階級、国家に属する人間に対しても感じるこの超絶的な愛は神秘的なものではなく、また人工的に刺激されたものでもありません。それは自発的なものであり、真心からでたものです。神の創造的な愛の力に影響されて心を温められた者は、神のために創造物をいつくしみ、すべての人の顔に、神の栄光が反映している印を認めるのです。
そのような男女にとっては、「異国はすべて祖国であり、祖国は異国である」と心から言うことができます。忘れられてはならないことですが、彼らはバハオラの王国の市民なのです。彼らは、この俗世が与えてくれる束の間の利益と、はかない喜びに大いにあずかり、生活の豊かさ、幸福と平和に役立つ活動にはどれにも熱心に参加するにしても、それが存在のはかない、ほんの短い時期を成すにすぎないこと、この世に暮らす者の目的地は天の都であり、その住家は決して尽きることのない喜悦と光輝の国であり、彼らはその巡礼者、さすらいの人にすぎないことを片時も忘れることはないのです。
バハオラの信者たちは自国の政府に忠実であり、同胞の安全と安寧に影響するものには深い関心を持ち、真の利益を促進するものに参加することを望みはしますが、自分たちが属している信教は、神が政治界の暴風、分裂、論争を超えて高揚したもうたものであることを堅く信じるのです。彼らが心に抱く信教は、本質的には非政治的であり、その性格は超国家的であり、厳密に非党派的で、国家的野心や目的より完全に引き離されたものです。信教はまた党派へ分裂することはありません。またこの信教はためらうことも、言葉を濁すこともなく、あらゆる特定利益を、それが個人的、地域的、国家的なものであるとを問わず、人類の最大の利益に従わせます。諸民族と諸国家が相互に依存している世界においては、部分の利益は、全体が利益を受けることによりもっとも大きくなり、全体の利益が無視されたり、疎かにされれば、構成部分は恒久的利益を得ることはないことを強く確信しているのです。
バハオラのペンによって、人類の現在の状態を予想した次のような意味深長な言葉が著されたことは、少しも不思議ではありません。「誇りは自国を愛する者にあらず、全世界を愛する者にある。地球は一つの国であり、人類はその市民である。」さらにこのようにも述べています。「今日、全人類の奉仕に身を捧げる者こそまことに真の人間である。」バハオラはこう説明しています。「この崇高なる言葉によって、世に大いなる力が放たれた。これを介して彼は、人類の心の鳥に新たな推進力を与え、新しい方向を定め、そして神の聖典より束縛と限定のあらゆる痕跡を抹消したのである。」バハイは、自分たちの信教はさらに非宗派的、非分裂的であり、異なる形式、起源、活動を持つあらゆる宗教組織より完全に分離したものであることを堅く信じています。諸宗教組織は、それぞれの信条、伝統、限界、排他的な見解を持ちますが、バハイ信仰の主要な教えは、それらのどの面にも一致することはありません。(現在の政治上の党派、政党、体制、政策についても同じことが言えます。)政治上、宗教上の諸機構に生命力を与えている原則や理想のあるものに対しては、バハオラの信教の良心的信者は進んで賛同します。しかしながら、バハイはそういった機構のいずれにも結びつくことはできません。またそれらの基盤を成している信条、原則、政策を無条件に是認することもできません。
さらにまた、次のことも銘記しておくべきです。神より定められた機構は、四十ヵ国余りの国々に設立されていますが、それらの国々では政策と利益は絶え問なく衝突しますます複雑になり、日毎に混乱を増しています。こういった状況において、この信教が個人の信者あるいは組織された行政体を通して政治活動に干渉させるなら、どのようにして教えの高潔さを維持し、信者の和合を擁護することができるでしょうか。そしてこの拡大しつつある機構の力強い、中断することのない平和な発展をどのように保証することができるでしょうか。相互に相容れない宗教組織、宗派、信仰と接触を持ってきたこの信教が、信者たちに廃れた慣習と教義を支持することを許せば、神より定められた機構に加入してくる人々から無条件の忠誠を求める立場を、どのようにして保つことができるでしょうか。単なる交流とは異なる正式所属によって当然引き起こされる絶え間ない摩擦や誤解や論争をどうして避けることができるでしょうか。
したがって、これらはバハイの信条を方向づけ、調整する原則です。バハオラの大業の支持者たちは、その行政機構が拡大し、強化されるにつれて、これらの原則を確立し、注意深く実行する義務を感じるのです。ゆっくりと結晶しつつある信教は、バハイに怠ることのできない義務、避けることのできない責任を課すことを急務としているのです。
さらにバハイは、これらの原則とは別に、バハオラが定めた法律を支持し、実行する緊急の必要性に無関心なのでもありません。これらの原則と法律は、共にバハオラの世界秩序が最終的に定まるべき機構の縦糸と横糸を成すものです。それらの有効性と効力を明示し、実行に移し、応用し、高潔さを擁護し、意義を捉え、普及促進するために、東洋のバハイ共同体、さらに最近になって西洋のバハイ共同体も、最大限の努力をしています。そればかりでなく、必要とあれば、いかなる犠牲も辞さない覚悟もしているのです。東洋の諸国では、個人の身分に係わる司法権は、所属の宗教団体に託されています。したがって、東洋のいくつかの国でバハイ裁判所が正式に設立され、その運営の義務と責任がバハイ行政会に委託される日もそう遠くないかもしれません。この場合、バハイ行政会はそれぞれの管轄内において政府当局の承認の下に、結婚、離婚、相続などの問題に関して、「もっとも聖なる書」に明白に規定されている法律を施行し、適用する権限を与えられるでしょう。
バハオラの信教は、現在の発展段階で見られるこのような動向や活動の他の領域においても、また、その光輝が届いた場所はどこであれ、団結力と統合力と不屈の精神力を示してきました。北アメリカ大陸の中心に位置する礼拝堂の建立と奉献。信教誕生の国とその隣接諸国における行政本部の設立とその数の増加。信教の諸機構を保護し調整するための法的書類の作成。すべての大陸における十分な文化的、物的資源の蓄積。世界中心地の聖廟周辺における基本財産の確立。信教の創始者の文献を収集し、照合し、分類するための努力。信教の創始者、英雄と呼ばれる人たちおよび殉教者たちの生涯と関わりのある歴史上重要な場所の確保のためにとられた手段。教育上、文化上、人道上の機構が徐々に設立されるために敷かれた基盤。青少年の品性を擁護し、独創心を奨励し、全世界にわたる活動を調整するための精力的な努力。信教を勇敢に防御する人たち、選ばれた代表者たち、布教旅行者たち、ばイオニアたちがこの大業を弁護し、範囲を拡大させ、文献を豊富にし、精神的征服と勝利の基盤を強化している驚くべき生命力。国によっては地方および全国段階の行政会が、政府当局の許可により、法人組織化とそれに付随する機構の設立と財源の保護を確保できたこと。この同じ政府当局が聖廟、聖なる殿堂、および教育上の制度に与えた便宜。苛酷な試練を受け、苦しめられた共同体が、熱意と決意を以て活動を続けていること。皇族、君主、政治家、学者たちがこの大業とその創始者の崇高な地位に対して進んで示した称賛。以上に述べた面とその他多くの面において、バハオラの信教は、分裂作用を防ぐ力強さと能力を持つことを間違いなく証明しているのです。一方、現在さまざまな宗教組織、道徳基準、政治上、社会上の諸機構は分裂作用を受け、分裂することを余儀なくされているのです。
この世界を包含する機構、このさまざまな人種からなり、同胞愛で堅く結ばれた共同体は、アイスランドからタスメニア、バンクーバーからシナ海に光輝を広げ、その分枝を張りめぐらせ、大業を信じる男女に確信と希望と活力を注ぎ込んでいるのです。それらは、この強情な世代が久しく失い、取り戻すことができなくなったものです。この騒然とした世界の現在の運命を握る者たち、この混乱状態、恐怖、疑惑と悲惨に責任がある者たちは、困惑のうちにも、自らの手の届くところにある神の救済の恩恵ー重荷を和らげ、難局を打開し、道を照らすことのできる恩恵ーのさまざまな証拠に目を向け、それについて実行すべきでしょう。
天の報復
今、人類は呻きながら、和合に導かれ、長く続いた苦しみに終止符が打たれることを切望しています。それでもなお、人類は光明を受け入れ、唯一の「力」の崇高なる権威を認めることを強硬に拒んでいます。この「力」こそは人類を紛糾から救いだし、人類を飲み込まんと脅かしている悲惨な災難を避けさせ得る唯一の「力」であるのです。
次の予言的な言葉を通して鳴り響くバハオラの声は、誠に不気味です。「おお汝ら世界の人々よ!誠に不慮の災難が汝を追い、悲しき報いが汝を待ち伏せていることを知れ。汝のとった行動が、我が眼より消されていると思うな。」また、このようにも述べています。「おお人々よ!汝らには時が定められている。定められた時に神に向かわなければ、まことに神は汝らを激しく捉え、四方八方より苦しい災難を襲わされるであろう。実にその時、汝らの主が与える懲罰は何と苛酷なものであろうか!」
現在苦しみにあえぐ人類は、苦難という清浄力によって、地上に建設される定めにある天来の王国に入る準備をするまでに、前にも増して厳しい難難に苦しめられなければならないのでしょうか。史上、これほど膨大で、これほど独特で、これほどに啓発された時代は、キリスト紀元1世紀におけるローマ文明の悲惨な崩壊を思い起させるほどの、いやそれを凌ぐほどの人間による大事変によって始められなければならないのでしょうか。一連の厳しい動乱が人類を撹乱し、動揺させなければ、バハオラが大衆の心と意識の王座を占め、その明白な権勢が広く認められ、その世界秩序の高貴な機構が設立されることはないのでしょうか。
人類が通過しなければならなかった幼児期と幼年期の長い時期は過去のものとなりました。人類は現在、その進化上、最大の動乱期、つまり、青年の性急さとその激しい熱情が最高潮に達し、青年期特有の動揺を経験しているのです。成人の特性である平静さ、賢明さと円熟さが、これら青年期の特性に徐々に取って代らなければなりません。そうしてこそ初めて、人類は成熟の段階に到達できるのです。その段階において身につける能力を通して、人類は最終的な発展を遂げるのです。
世界的和合の目標
全人類の和合は、人間社会が現在接近しつつある段階の象徴です。家族、部族、都市国家および国家の統一は順次試みられ、十分に確立されました。世界の和合は、苦しみにあえぐ人類が達成しようと努力している目標です。国家建設は終わりました。国家がもたらす無秩序状態は、今や最高潮に向かって進んでいます。成熟しつつある世界は、国家主権に対する盲目的崇拝を捨て、人類の有機的一体性を認めなければなりません。そして、この原理を人間生活の基本原理として、もっとも効果的に、また恒久的に具体化できる機構を確立しなければなりません。
バハオラはこう宣言しています。「新しい生命が現代、地上のあらゆる人々のなかで躍動している。しかしその真因を見いだし、その目的に気付いた者はいない。」バハオラは、同時代の人々にこう
語っています。「おお、人の子らよ、神の教えと宗教の根本の目的は、人類の利益を守り、その統合を促進することである。・・・これは真の道で、確固たる不動の基礎である。この基礎の上に建てられるものは何であれ、世の中の変転や不意の出来事などによってその力を損なわれることは決してない。また何世紀もの間の変転もその構造を覆すことはないであろう。」バハオラはこう宣言しています。「人類の幸福と平和と保障は、和合が確固と築かれるまでは達成できない。」さらにこう証言しています。「和合の光は非常に強力であり、それは地球上をすべて照らし得るほどである。唯一真実の神、万事を知る神自らが、この言葉の真理を証言したもう。・・・この目標はいかなる目標にも勝り、この望みはあらゆる望みの王である。」バハオラは、さらにこう書いています。「汝らの主、慈悲深き方なる神は全人類生つの魂、一つの身体として見る望みを心の中に抱きたもう。創造された他のあらゆる日の光輝を卓越するこの日において、神の完全なる恩恵と慈悲の分け前を勝ち取るよう急げ。」
バハオラが心に描いた人類の和合は、すべての国家、民族、宗派、階級が、密接に、そして永久的に結ばれ、その国家を構成している人々の自治権、個人の畠や独創心が、確実に、完全に擁護される世界連邦の設立を意味します。この連邦は、わたしたちが心に描く限りでは、世界立法部があり、そのメンバーは全人類の信託者として、究極的には構成国すべての資源を管理し、あらゆる人種や民族の生活を調整し、要求を満たし、また円滑な関係を保つために必要な法律を制定します。次に、世界行政部は国際軍に支えられ、世界立法部による決議を実行し、制定された法律を適用して全連邦の有機的一体性を擁護するでしょう。世界裁判所は、この世界的組織を構成する諸国間に起こるあらゆる紛争を調停し、拘束力を持つ最終的判決を下します。国際的な障害や制限から開放された全地球を包含する世界通信機関が案出され、驚異的迅速さと完全な規則正しさをもって機能するでしょう。世界の中心都市は、世界文明の中枢として生命の統合力が集中し、また、そこから生命の精力的な影響力が放出される焦点として作用するでしょう。世界語が考案され、あるいは現存する言語の中から選ばれ、すべての連邦国で教えられます。世界共通の文字や世界文学、また共通の世界通貨、度量衡の制度は、国家間、民族間の交流や理解を簡潔に、容易にするでしょう。このような世界社会では、人間生活における二つのもっとも有力な力である科学と宗教は一致し、協力、調和七ながら発展するでしょう。新聞雑誌は、このような制度の下にあっては、人類のさまざまな意見や信念の表現に十分な機会を与える一方、私的、公的な既成勢力にいたずらにあやつられることがなくなり、争い合う政府や民族の影響からも開放されます。世界の経済的諸資源は組織化され、原料資源は開発され、十分に利用されて発展し、生産物の分配は公正に調整されるでしょう。
国家間の争いや憎悪や陰謀はなくなり、人種間の敵対心や偏見は、親善、理解、協調にとって代えられるでしょう。宗教上の争いの原因は、永遠に除かれ、また経済的な障害や制限は完全に廃され、階級間に存在する極端な格差も是正されるでしょう。一方における過度の貧窮と他方における所有権の極端な集中は消失します。戦争によって浪費される膨大な政治的、経済的エネルギーは、発明と技術発展の範囲を拡大するためのあらゆる機関を促進するために捧げられます。それらの機関では、生産力の増大、疾病の撲滅、科学研究の促進、健康水準の向上、人間の頭脳の鋭敏化と洗練、地球上の未使用で今だ知られていない諸資源の開発、人間の生命の延長、全人類の知的、道徳的、精神的生活の向上を刺激することなどが研究されるでしょう。
世界連邦組織は、人類が生命の統合力によって駆られ、前進している目標です。その世界連邦組織は、全地球を統治し、想像しきれないほど莫大な資源に絶対的権限を行使し、東洋と西洋の理想を融合、一体化し、戦争の呪いと悲惨から人類を解放し、地球に存在するあらゆる利用可能なエネルギー源の開発に力を注ぐでしょう。この連邦組織の下では、力は正義のしもべとされ、組織の生命は、人類全般による唯一の神の認識と一つの共通な啓示に対する忠誠心によって支えられるでしょう。
アブドル.バハは断言しています。「『並ぶ者なき枝』(バハオラ)の出現の日に起こるであろう偉大な出来事の一つは、すべての国に神の旗が掲げられることである。これは、すべての国家と民族は、『主の枝』そのものに他ならないこの神の旗の下に集い、一つの国になるという意味である。宗教間、宗教間の敵対、人種間、民族間の敵意、国家間の不和は排除されるであろう。人々は一つの宗教を信じ、一つの共通の信仰を持ち、一つの人種に融合され、一つの民族となるであろう。すべては一つの共通な祖国、すなわち地球に住むであろう。」彼はさらに次のように説明しました。「さて、存在の世界において、神の力の手は、この最高の恩寵、この驚くべき贈り物の確固とした基礎を敷いた。この聖なる周期の最奥に存在するものは何であれ、それらは徐々に現れ、顕示されるであろう。というのも、現在はその成長の始まりであり、そのしるしが出現する夜明けの時期にしか過ぎないのである。この世紀、この時代の終わる前に、いかにこの春季が驚くべきものであったか、いかにその贈り物が神聖なものであったかが明らかになるであろう。」
ユダヤの予言者のうちで、もっとも偉大な予言者であるイザヤのビジョンー二千五百年も前に成熟期に達した人類が成就しなければならない運命を予言したーにも同じように心をひかれるものがあります。「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤となし槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない。・・・エッサイの株から一つの芽が萌えいで、その根から一つの若枝が育ち・・・その口の鞭をもって地を打ち、唇の勢いをもって逆らう者を死に至らせる。正義をその腰の帯とし、真実をその身に帯びる。狼は子羊と共に宿り、豹は子山羊と共に伏す。子牛は若獅子と共に育ち・・・乳飲み子は毒蛇の穴に戯れ、幼子はまむしの巣に手を入れる。わたしの聖なる山においては何ものも害を加えず、滅ほすこともない。水が海を覆っているように、大地は主を知る知識で満たされる。」
黙示録の著者は、罪を救われ、歓喜に酔った人類が目撃するであろう千隼王国の栄光を予想し、同じように証言しています。「わたしはまた、新しい天と新しい地を見た。最初の天と最初の地は去って行き、もはや海もなくなった。さらにわたしは聖なる都、新しいエレサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意を整えて神のもとを離れ、天から下ってくるのを見た。その時、わたしは玉座から語りかける大きな声を聞いた。『見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも苦労もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」
このような完成ー人類の成熟期への到達ーが、かつて誰も見たことも考え付きもしなかった世界文明の開始を記すものであることを誰が疑うことができるでしょうか。このような文明が展開して達成するように定められている高遠な基準を、誰が考え付くというのでしょう。束縛から開放された人間の知性が飛翔する高みを、誰が計れるでしょうか。バハオラから流出する、栄光に満ちた光により生命力を与えられた人間の精神が発見するであろう新たな領域を、誰が心に描けるでしょうか。
このテーマの結論として、バハオラが自ら打ち建てた信教の黄金時代ー地球の表面、北極から南極に至るまで、アブハの楽園の偉大な光輝を反映する時代ーを予期して書いた次の言葉以上にふさわしいものはないでしょう。「今日は汝の主である恩恵者、最高の恩寵者の御顔より輝く光の壮麗さの他に何も見ることのできない日である。まことに我は、我の抗しがたい、そしてあらゆるものを征服する主権により、すべての魂を絶えさせた。そして我は、人間への恩恵のしるしとして、新しい創造を存在に呼び起こした。我はまことにすべてに恩寵を与える者、日の老いたる者である。今日は見えざる世界が叫ぶ日である。『おお地球よ、汝の祝福は偉大である。汝は神の足台とされ、神の強大なる王座の座として選ばれたからである!』栄光の領土はこう絶叫する。『わが命が汝のために犠牲にされんことを!すべてに慈悲深き神の愛したもう者は、過去と未来を問わず万物に約束された御名の威力により、その主権を汝の上に確立されたのである。』」
ショーギ
一九三六年三月十一日
ばレスチナ・ハイファにて