注:この文書は校閲を受けていない非正式の訳です。暫定版としてお使いください。ただし、暫定版と明記してお祈りの会や学習等に使用できます。
Note: This is a provisional
translation, not officially reviewed or approved by the National Spiritual
Assembly. However it may be used for devotional gatherings and other similar
purposes while indicating clearly these are provisional translations.
心の歓び
初期の偉大なペルシャ人バハイの信徒、ハジ・ミルザ・ヘイダール・アリの回顧録から選んだ心魅かれる逸話
(次の逸話はA,Q,フェイジ氏訳並びに要約によるカプリト・プレス社発行の心の歓び=ハジミルザ・ヘイダール・アリ回顧録の一部を許可を得て引用したものです。
私はよく友人からどのようなきっかけで信仰に出会い、これを受け入れるようになったのかと聞かれます。そんな時には説明にこの話をするのです。それは私がイランにいる時のことです。その当時イランでは、よく人が情容赦なく処刑されていました拷問の末に抹殺されたり、人が耳や手からぶら下げられた上に、石を投げつけられるなど、むごい光景を目の当たりにすることがしばしばでした。どうしてこのような恐ろしい刑罰が人々に科せられるのか理解できずに、私は大勢の人にこのことを尋ねました。答えはいつも決まって「あの人たちはバビだ」ということでした。
こうした間も私は自分自身、心の探求をしてイラン各地を歩いてまわっていました。町に入ると、宗派の別もなく、まずそのリーダーたちを訪ねて行ったものです。しかし彼等からは、いつも失望しか得られませんでした。イスファハンに滞在しているある晩、私は屋外の集会に招かれました。集まった人達は、思い思いの話題をもとに話しをしてありました。そのうちにバブとその宗教の話になったのです。そこで私も機を見て「彼は2つの大きな間違いをしております。だから彼の言う理想の実現は不可能だと思います。きびしく処罰されても仕方ないでしょう。」と言うと、さらに第一に確立された体制に反抗しようとしています。第二に、これまでの慣行と大衆の信心を覆そうとしています。恐らくこの2つのどちらかを目的とする徒党に組して自らの大業に対する支持を得ようとしているのです。」と発言しました。すると、居合わせた人の中から一人が反論して、「これが間違いでしたらモハメッドを含め神の予言者達や、全ての導師達までもが、間違いをしていることになります。」と丁寧に答えました。私は、これを聞いて驚きました。そして自分が軽率にも誤った発言をしたことで、当惑してしまいました。私は答えた人はバビの一人に違いないと思いました。バビのいう大業には私がこれまで考えていた以上の何かがあるように思えたのです。私はこの人と友人付き合いをしようと決めましたが、当然のごとく信者は極度に危険にさらされており、厳重な注意が必要でしたので、これは容易なことではありませんでした。それでも彼は結局、私を弟子にしてくれました。ただ始めの頃は私が本気で信仰の道を求めているのかが気がかりのようでした。それで自分の内なる信心については、明らかにしたときの結果を怖れ私にはほとんど何も話しませんでした。彼は大業についてもほとんど口にしませんでしたが、それでもいつかは私に神聖で実りある話をするつもりでいたようです。
そうして私は少しづつ信頼を勝ち得ました。ある日、町の広場に大勢の人が集まっているのが目に入りました。私はその場の騒ぎと混乱ぶりに、すいよせられるように近づいて行っておりました。そこには身なりもきちんとした身分の高い五人のシイド・ムラと商人がいました。彼らは耳を柱に釘で打ち付けられており、兵隊が棒で彼らに信仰を撤回するように強要して撲っていました。このような苦境にありながら、彼らの落ち着きと忍耐強さ、それにむしろ感謝さえしている様子に私は驚いてしまいました。彼らは撤回を拒み、彼らの予言者、バブの言葉を立証するためコーランからの一部を唱えていました。
彼等のしたたかさと神の御心への従順さを見て、私の心の中に求道の火がぱっと燃え上がりました。この時はじめて、大業の壮大さを垣間見た思いがしたのです。この友人と親しくなって、私が誠実なのを確信すると、彼は自分がバビであることを明らかにしました。こうして信仰について話し合うようになりました。私たちはこのことが知られるのが心配で、大ぴらに会うということはできませんでした。私達は会合の時間をいつも変えました。いく晩か、彼は自分の家に私を招いてくれましたが、そんな時はいつも真夜中を過ぎてからでした。家に入ると、私は玄関のところでまず一旦身を隠して、家の人たちが別途に入って寝ているかどうか確かめました。その後、ようやくのところに出てきて、物音を立てないようにして台所に案内してくれました。そこで私達はバビの著述を勉強し、祈りました。時には、あたりが暗いので字が読めなくて、かまどの底にローソクを置いて、その明かりに著述をかざして勉強するという苦労もしました。友人が私の家に来たときも、同じように秘密を守っておりました。時々も大変難しくなることがありました。三、四人以上、会合にあつまることができませんでしたし、それも夜遅くなってからに限られました。こんなこともありました。私がある家の二階部屋を借りていたときのことです。私の部屋の窓が庭に面していたので、家の人達には、私が夜、どこに行くのかわからなかったのです。私は鉄棒にロープをかけて窓から下に降りて、日の出前にこれを伝わって部屋に戻って寝るということをしていました。私の父は信者ではありません。父はシェイキ派でハジ・モハメッド・カリム・カーンの信奉者でした[1]。
父ははっきり私の振興に反対していました。父はあちこち私のいくところに来て、私の信仰には反対だと直接自分の口から私に言いました。私達は手紙のやり取りをしましたが、それは何の役にも立ちませんでした。父は私を捜しにキルマンを離れ、やがて私がナインの小さな町にいるのを見つけました。この町の大抵の人がカリム・カーンの信奉者だったので、父は私を教育を通じて導くことができると考えてほっとしたようでした。
私の父は個人的に面識のあった町長のところに言って私を父のところに連れて来るよう頼みました。私は町長の家に呼び出しを受けて出頭しました。しかし、神のご加護でしょう。皆に気に入る話をすることができました。皆は私を励ましてくれて、理解のある言葉をかけてくれました。「ハジ・モハメッド・カリム・カーンの慈悲のおかげであなたは、守られたのです。」と皆言ってくれました。「カリム・カーンはあなたを道に迷わせることなどしませんよ。」とも言ってくれました。
毎朝祈りの後でコーランからの教説を唱えるのが彼等の勤めでした。私も敬意を表してこれを唱えました。私が唱えるその美しい言葉を聞いて皆喜んでおりました。話し合いの機会をつくるつもりで私はコーランと一緒にバブの教説を唱え始めましたがだれもこれをとがめる者はいませんでした。コーラン以外から引用sh他者を唱えていることさえ気が付かなかったのかもしれません。おかげで私は(後述のように)部屋にいた人、特に父討論する機会をもつことができました。ところで、私の叔父のハジ・モハメッド・アリはナインにすんでおりました。この叔父とは大変親しく私の父との手紙によるやりとりについても知っておりました。そこで私は叔父に一時私をかくまってくれるよう保護を求め、さらにひそかにイスファハンに連れ出してほしいちと頼みました。叔父がこれを引き受けてくれましたので、私は、その支度にかかりました。
私は父と村長をはじめ何人かの人が座についていた居間に行って、父の隣に座るとこういいました。
「もし私が生まれつき盲で、あなたを目で見分けられることができないとしても、声を聞いてあなたがわからないでしょうか。」
「その質問の意図は何かな」と父が応じました。
「まず私に話を最後まで聞かせてください。そうすれば私の質問の意味が分かります。」と言って私はつづけました。
「つまりたとえばもしあなたが長い旅に出ていて、久しぶりに家にもどってきたとしても、私は声が聞こえれば、当然あなたのところに走りよって行きます。そのとき私が優しさと同情と愛を受けたなら、この人が間違いなく私の父だと確信するでしょう。」と言いました。
皆同意を表して「お前の言う通りで、それは当たり前のことで分かります。」と答えてくれました。「そこでお尋ねしますが」と私は続けました。「私がお父さんたちのためにコーランからの教説を唱えている時に、ときどきバブの言葉も一緒に入れておりました。予言者モハメッドの部分は、その言葉、調子、形式で判ったものと思います。それではなぜ誰もそのことについて文句を言わなかったのでしょう?それはバブの言葉も同じような調子、力強さと形式であり、しかも元は同じところから出ているからなのです。」と言いました。
これで話は終わりました。私は急いでホールを出ると、叔父のもとに向かい、そこで一ヶ月ほど滞在しました。そして捜索の終わるのを見計らって、私は密かにナインを立って、イスファハンに行きました。
父達は、私を捜しにイスファハンにまで来ました。そして私が殺されるか、投獄されるよう企てることさえしました。しかし、フィヤトール・イスラム職[2]にあるシイドアサドウラはイスファハンにおいては、大変影響力を持った人で、私の母方の親戚に当たる人でした。カリム・カーンの信奉者は、イスファハンでは勢力の強い、ウルマ派によって拒絶されていましたので、この2つのグループはお互いにはっきり敵対関係にありました。ウルマ派は自分達の憎んでいる相手に私が反抗していることだけを見て、私かばってくれました。私の敵はこれで撃退されて私の勝ちになりました。しかし、父が死んだ後で父が親子の縁切りまでしていたことを知りました。イスファハンでは、私はほとんどいつもザイヌール・ムカラビン[3]と一緒にいました。私達は町村の騒がしさを避けて遠く離れたさびしい場所に行って二人きりで著述うぃ勉強したり、お祈りをしたり、神の大業について語り合いました。歓びに満ちたこの時が私達に最も生きがいを感じさせてくれました。しかしできること、どうかにかして、他の人にもこのことを教ええて御名を知らしめたいと願っていました。私達はいろいろな方法で人と接触する事に努めました。医術の知識があるというインド人には、ジナブ・イ・ザイン[4]は「心臓に痛みを感じるのですが診てくれる医者がいないので、」と言ってきっかけを作りました。「何か思い当たることがありますか」とその医者が尋ねると、ジナブ・イ・ザインは答えて言いました。「何人か野人が残忍な暴徒に捕らわれ無防備のまま、暴徒のなすがままになっており、拷問をかけられ、処刑されてしまいました。私は、すっかり取り乱してしまい、不安がつのってしまったのです。その後、心臓にこの痛みを感じているのです。」こう言うと、ジェナベ・イ・ザインはインドの医師にバブの啓示、彼の悲劇的な生涯や著述について話を続けました。
ある日、私達はイスファハン郊外の、木立があり川とモスクもある大変漢字のいいところに来ました。一晩泊まれるよう食料など用意して来ましたので、モスクに行って、そこに泊まることにしました。住民の何人かが妙に思ったのかモスクに入って来て、そのうちの一人が私にどこから来たのか尋ねました。私には少しイスファハン訛がありましたが、私はとっさにシラズから来たと言いました。
すると「どうして嘘をつくのか」と、その人がきり返して、「あなたがイスファハンから来たのは、はっきりしている。七万の天使が嘘つきを呪うだろうよ。」と言いました。私は「その天使をあなたが見たことがありますか。」と信仰について話すきっかけにするつもりで言いました。彼等が「天使は私達の宗教の正しい伝承によれば、確かに存在が記されているではありませんか。」と答えましたので、私は少し不注意だったのですが、「そうです。あなたは天使を見たという霊的な認識をしているのです。」と言いました。
すると彼らは、私達の秘密に思い当たったのか、すぐに大声で「この人たちはハビだ。誰か来て捕まえてくれ」と叫びました。私達は、やむなく持物をすべて残して逃げ出してしまいました。
このようなことが何度も起こりました。あるアイエドについて、こんな面白い話があります。
その人はある宗教学校の先生でした。私はよくその人と話したもので、私の家に何度か招きました。彼はハビを受け入れたと私に言いました。そして何人かの信者とも知り合いになり、バブの著述の何冊か与えました。
その後、ある人がそのセイエドが彼にこう話したことを教えてくれました。「私は何人かのバビと知り合いになった。連中の全員にあって、どんな企てをしているか判ったら当局に知らせて、全員を逮捕してもらうつもりだと。」と言っていたとのことでした。そのセイエドは当時、学校に寄宿していましたので、私は校長のところに行って、あなたの学校の学生にバビがおいり、バブの著述をいくつか所持しておりますと言ってやりました。そして又一方、私がしたことを誰かがそのセイエドに話すことも確かめておきました。彼はこれを聞いて恐怖にかられ、持物を置いて町から逃げ出し、二度と戻ってくることはありませんでした。
二、三年後、私はシラズからブシェールに行く途中で小さな町のモスクに立ち寄りました。そこには、あのセイエドが住んでいました。彼は私を見て、私と判ると、復讐の機会到来とばかりに、私に近づいてきて、「あなたはイスファハンで私に何をしたか覚えていますか」と言いました。
「はい。あなたはイスファハンでもう少しで逮捕され、殺されるところだった。あのバビの学生さんでしょう。今はここに来て、このモスクのリーダーになったのですね。」と答えました。彼は私の返事に大変驚いて、そこにいる間中、私の傍を離れず、私が他の人に彼のことを非難するのではないかと恐れていました。彼は私がそこを出るまで、私にお茶や食事やお土産を持ってきたりしたのです。