800〜899バハイの暦、バハイの祝祭日、 記念日その他
800 Bahá’í Calendar バハイのカレンダー
☆
バブによって示された。バハオラはそれを追認された。
☆
1年は、19日を1ヶ月とする19ヶ月と4日(うるう年の場合は5日)から成り立つ。
☆
バハイの1年は春分に始まる。
☆
バハイ歴元年はバブの宣言の年(1844年)に始まる。
☆
バハイ歴では1日は前日の日没から始まり、日没で終わる。
☆
各月及び聖なる日は以下のとおり。各月は、それぞれ神の属性が名称になっている。
聖約の日とアブドル・バハの昇天記念以外は仕事を休んで記念するべき日となっている。
聖なる日 |
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ノールーズ3.20の時 |
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ノールーズ3.21の時 |
第1日目のレズワン |
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ジャラル(栄光)13 |
4月20日 |
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4月21日 |
第9日目のレズワン |
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ジャマル(美)2 |
4月28日 |
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4月29日 |
第12日目のレズワン |
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ジャマル(美)5 |
5月1日 |
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5月2日 |
バブの使命宣言 |
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アザマト(壮大)8 |
5月23日 |
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5月24日 |
バハオラの昇天 |
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アザマト(壮大)13 |
5月28日 |
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5月29日 |
バブの殉教 |
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ラーマト(慈悲)17 |
7月9日 |
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7月10日 |
聖約の日 |
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ゴウル(発言)4 |
11月25日 |
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11月26日 |
アブドル・バハの昇天 |
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ゴウル(発言)6 |
11月27日 |
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11月28日 |
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フィーストの日 |
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バハ |
光輝 |
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3月20日 |
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3月21日 |
ジャラル |
栄光 |
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4月8日 |
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4月9日 |
ジャマル |
美 |
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4月27日 |
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4月28日 |
アザマト |
壮大 |
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5月16日 |
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5月17日 |
ヌール |
光 |
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6月4日 |
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6月5日 |
ラーマト |
慈悲 |
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6月23日 |
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6月24日 |
カレマト |
言葉 |
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7月12日 |
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7月13日 |
カマル |
完全 |
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7月31日 |
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8月1日 |
アスマー |
御名 |
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8月19日 |
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8月20日 |
エッザト |
強大 |
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9月7日 |
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9月8日 |
マシイヤト |
御心 |
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9月26日 |
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9月27日 |
エールム |
英知 |
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10月15日 |
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10月16日 |
ゴードラト |
威力 |
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11月3日 |
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11月4日 |
ゴウル |
発言 |
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11月22日 |
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11月23日 |
マサーエル |
探究 |
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12月11日 |
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12月12日 |
シャラフ |
栄誉 |
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12月30日 |
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12月31日 |
ソルタン |
主権 |
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1月18日 |
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1月19日 |
モールク |
支配 |
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2月6日 |
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2月7日 |
アラー |
高尚 |
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断食の月(=アラー)はアヤメハが終了してから始まる |
ノールーズ |
バブの生誕・バハオラの生誕 |
アヤミハ |
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バハイ暦 |
グレゴリオ暦 |
バハイ暦 |
グレゴリオ暦 |
バハイ暦 |
グレゴリオ暦 |
バハ(光輝)1/172 |
3/21/2015 |
ゴードラト(威力)10/11 |
11/13.14/2015 |
4日間 |
2/26-29/2016 |
バハ(光輝)1/173 |
3/20/2016 |
エールム(英知)18/19 |
11/1,
2/2016 |
4日間 |
2/25-28/2017 |
バハ(光輝)1/174 |
3/20/2017 |
エールム(英知)7/8 |
10/21.22/2017 |
5日間 |
2/25-3/1/2018 |
バハ(光輝)1/175 |
3/21/2018 |
ゴードラト(威力)9/10 |
11/9.10/2018 |
4日間 |
2/26-3/1/2019 |
バハ(光輝)1/176 |
3/21/2019 |
エールム(英知)14/15 |
10/29.30/2019 |
4日間 |
2/26-29/2020 |
バハ(光輝)1/177 |
3/20/2020 |
エールム(英知)4/5 |
10/18.19/2020 |
4日間 |
2/25-28/2021 |
バハ(光輝)1/178 |
3/20/2021 |
ゴードラト(威力)4/5 |
11/6.7/2021 |
5日間 |
2/25-3/1/2022 |
バハ(光輝)1/179 |
3/21/2022 |
エールム(英知)11/12 |
10/26.27/2022 |
4日間 |
2/26-3/1/2023 |
バハ(光輝)1/180 |
3/21/2023 |
エールム(英知)1/2 |
10/16.17/2023 |
4日間 |
2/26-29/2024 |
バハ(光輝)1/181 |
3/20/2024 |
エールム(英知)19 |
11/2.3/2024 |
4日間 |
2/25-28/2025 |
バハ(光輝)1/182 |
3/20/2025 |
エールム(英知)8/9 |
10/22.23/2025 |
5日間 |
2/25-3/1/2026 |
バハ(光輝)1/183 |
3/21/2026 |
ゴードラト(威力)7/8 |
11/10.11/2026 |
4日間 |
2/26-3/1/2027 |
バハ(光輝)1/184 |
3/21/2027 |
エールム(英知)15/16 |
10/30.31/2027 |
4日間 |
2/26-29/2028 |
バハ(光輝)1/185 |
3/20/2028 |
エールム(英知)5/6 |
10/19.20/2028 |
4日間 |
2/25-28/2029 |
バハ(光輝)1/186 |
3/20/2029 |
ゴードラト(威力)5/6 |
11/7.8/2029 |
4日間 |
2/25-28/2030 |
バハ(光輝)1/187 |
3/20/2030 |
エールム(英知)14/15 |
10/28.29/2030 |
5日間 |
2/25-3/1/2031 |
バハ(光輝)1/188 |
3/21/2031 |
エールム(英知)2/3 |
10/17.18/2031 |
4日間 |
2/26-29/2032 |
バハ(光輝)1/189 |
3/20/2032 |
ゴードラト(威力)2/3 |
11/4.5/2032 |
4日間 |
2/25-28/2033 |
バハ(光輝)1/190 |
3/20/2033 |
エールム(英知)10/11 |
10/24.25/2033 |
4日間 |
2/25-28/2034 |
バハ(光輝)1/191 |
3/20/2034 |
ゴードラト(威力)10/11 |
11/12.13/2034 |
5日間 |
2/25-3/1/2035 |
バハ(光輝)1/192 |
3/21/2035 |
エールム(英知)17/18 |
11/1.2/2035 |
4日間 |
2/26-29/2036 |
バハ(光輝)1/193 |
3/20/2036 |
エールム(英知)6/7 |
10/20.21/2036 |
4日間 |
2/25-28/2037 |
バハ(光輝)1/194 |
3/20/2037 |
ゴードラト(威力)6/7 |
11/8.9/2037 |
4日間 |
2/25-28/2038 |
バハ(光輝)1/195 |
3/20/2038 |
エールム(英知)15/16 |
10/29.30/2038 |
5日間 |
2/25-3/1/2039 |
バハ(光輝)1/196 |
3/21/2039 |
エールム(英知)4/5 |
10/19.20/2039 |
4日間 |
2/26-29/2040 |
バハ(光輝)1/197 |
3/20/2040 |
ゴードラト(威力)4/5 |
11/6.7/2040 |
4日間 |
2/25-28/2041 |
バハ(光輝)1/198 |
3/20/2041 |
エールム(英知)12/13 |
10/26.27/2041 |
4日間 |
2/25-28/2042 |
バハ(光輝)1/199 |
3/20/2042 |
エールム(英知)1/2 |
10/15.16/2042 |
5日間 |
2/25-3/1/2043 |
バハ(光輝)1/200 |
3/21/2043 |
エールム(英知)19 |
11/3.4/2043 |
4日間 |
2/26-29/2044 |
バハ(光輝)1/201 |
3/20/2044 |
エールム(英知)8/9 |
10/22.23/2044 |
4日間 |
2/25-28/2045 |
バハ(光輝)1/202 |
3/20/2045 |
ゴードラト(威力)8/9 |
11/10.11/2045 |
4日間 |
2/25-28/2046 |
バハ(光輝)1/203 |
3/20/2046 |
エールム(英知)16/17 |
10/30.31/2046 |
5日間 |
2/25-3/1/2047 |
バハ(光輝)1/204 |
3/21/2047 |
エールム(英知)5/6 |
10/20.21/2047 |
4日間 |
2/26-29/2048 |
バハ(光輝)1/205 |
3/20/2048 |
ゴードラト(威力)5/6 |
11/7.8/2048 |
4日間 |
2/25/-28/2049 |
バハ(光輝)1/206 |
3/20/2049 |
エールム(英知)14/15 |
10/28.29/2049 |
4日間 |
2/25-28/2050 |
バハ(光輝)1/207 |
3/20/2050 |
エールム(英知)3/4 |
10/17.18/2050 |
5日間 |
2/25-3/1/2051 |
バハ(光輝)1/208 |
3/21/2051 |
ゴードラト(威力)2/3 |
11/5.6/2051 |
4日間 |
2/26-29/2052 |
バハ(光輝)1/209 |
3/20/2052 |
エールム(英知)10/11 |
10/24.25/2052 |
4日間 |
2/25-28/2053 |
バハ(光輝)1/210 |
3/20/2053 |
ゴードラト(威力)2/3 |
11/11.12/2053 |
4日間 |
2/25-28/2054 |
バハ(光輝)1/211 |
3/20/2054 |
エールム(英知)18/19 |
11/1.2/2054 |
5日間 |
2/25-3/1/2055 |
バハ(光輝)1/212 |
3/21/2055 |
エールム(英知)6/7 |
10/21.22/2055 |
4日間 |
2/26-29/2056 |
バハ(光輝)1/213 |
3/20/2056 |
ゴードラト(威力)2/3 |
11/8.9/2056 |
4日間 |
2/25-28/2057 |
バハ(光輝)1/214 |
3/20/2057 |
エールム(英知)15/16 |
10/29.30/2057 |
4日間 |
2/25-28/2058 |
バハ(光輝)1/215 |
3/20/2058 |
エールム(英知)4/5 |
10/18.19/2058 |
4日間 |
2/25-28/2059 |
バハ(光輝)1/216 |
3/20/2059 |
ゴードラト(威力)4/5 |
11/6.7/2059 |
5日間 |
2/25-29/2060 |
バハ(光輝)1/217 |
3/20/2060 |
エールム(英知)11/12 |
10/25.26/2060 |
4日間 |
2/25-28/2061 |
バハ(光輝)1/218 |
3/20/2061 |
マシイヤト(御心)19 |
10/115/2061 |
4日間 |
2/25-28/2062 |
バハ(光輝)1/219 |
3/20/2062 |
エールム(英知)19 |
11/2.3/2062 |
4日間 |
2/25-28/2063 |
バハ(光輝)1/220 |
3/20/2063 |
エールム(英知)9/10 |
10/23.24/2063 |
5日間 |
2/25-29/2064 |
バハ(光輝)1/221 |
3/20/2064 |
ゴードラト(威力)8/9 |
11/10.11/2064 |
4日間 |
2/25-28/2065 |
801
The Stories Related to Holy Days of Bahá’u’lláh バハオラに関係ある記念日の話
801-1 Ascension of Bahá’u’lláh バハオラの昇天 1892年5月29日午前3時
1892年5月29日午前3時、現代社会へ神が遣わされた新しい顕示者バハオラはその任を果し終えて静かにこの世を去り、神の御元へと帰って行かれた。高熱のバハオラはその日の朝、アブドル・バハとバヒア・カヌーンを病床に呼ばれた。発病から15日目であった。この日、バハオラはペルシャからの巡礼者とアッカのバハイ達に面会を許された。彼らは皆、この偉大な、貴重な命が、たとえ一瞬でも長らえるのなら自分の命と引き換えてもよいと願っている者ばかりであった。バハオラは彼らを慰め、愛情溢れるねぎらいの言葉をかけ、神の大業に忠実で、誠意を尽くして生き、ゆるぎない確信をもち、その人格をして「ここにバハイあり」と世界に示すことの大切さを諭された。その夜、バハオラは「私の望みはあなた方の行為がバハイ信教に値するような模範となることであり、私の亡き後は一人一人が、最も偉大な枝であるアッバス・エフェンディに従うことである。」と語り、明け方に昇天された。そのニュースはたちまち街中に伝えられ、7つの回教寺院のミナレットから「神は偉大なり。神は生命を与えられ、生命を奪われる。神は永遠に生き続けられる。」という回教で最も名誉ある句が唱えられ、バハオラの逝去に敬意が表わされた。これを聞いた人々は、身分の高い人も低い人も、老若男女を問わず、方々から群れをなしてバージを訪れ、バハオラの死を悼み、哀悼の意を表し、その偉大な自己犠牲の生活を生きた魂に敬意の念を捧げた。そして、夜明けにはバハイの友によって『祈りの心得』が朗詠され、遺族や友らはアブドル・バハが朗唱される『参堂の書』に耳を傾けた。バハオラの遺体はその日の内に、現在バハオラの霊廟になっている場所に埋葬された。
801-2 Declaration of Bahá’u’lláh
バハオラの宣言 レズワンの祝日 4月21日〜5月2日
バハイの一年の内で最も聖なる日。レズワンの祝日は4月21日から5月2日の12日間で、バハオラの宣言を記念する祝日。バハオラはこの日を『最も偉大な祭典』と呼んでいる。
1863年4月21日、バハオラは数名の従者に対しご自身の地位と使命をはじめて明らかにされた。この時は、バハオラはバグダッドから第二の流刑地コンスタンチノープルへ追放されることになり、バハイの歴史上で最も暗黒な時期が始まる直前であった。この数年間は、大業に激しい敵意をもつ者らが何とかして新しい迫害の口実を掴もうとしていた時期であり、バハオラは側近に悲しみと憂いを漏らされたため、友らは大変心配した。多くのバビ教徒らはイランを追われて、バハオラのもとに避難所を求めてきた。こういった状況にありながら、バハオラは更に大きな試練と苦難の時期が来るということを書簡や、講話でしばしば暗示された。
1863年、ノウ・ルーズの5日目にバハオラはバグダッドの郊外の庭園で「聖なる水夫の書簡」を啓示された。バハオラは自分の身に降りかかるであろう痛烈な苦悩について、この書簡で予言されている。暗い予想と悲しみに沈んだ口調のこの書簡は、それを聞くために集まった人々の恐れと不安を決定的なものとした。「夜明けを告げる人々」の著者ナビルは次のように書いている。『「聖なる水夫の書簡」が朗読された時、それを聴く人の心に悲しみの大波が押し寄せてきました。バグダッドにおける一章が閉じられ、それに変わって新しい一章が始まるということは誰にも明らかでした。この書簡を読み終わると、バハオラは直ちに、張られていたテントをたたむよう命じ、従者ら全員に町に帰るよう言われた。たたまれたテントが運び去られる前に、バハオラへの会見の求める知ことの伝言を持った使者がバグダッドからやって来て、次の日、バハオラの第二の流刑命令が出た。この6週間後に、バハオラはこの街を出て、再び戻ってくることはなかった。バハオラは流刑者としてバグダッドで10年間暮らした。この間にバビ教徒の間に多くの変化があった。バハオラがこの地に付いた1853年には、バブの教えに従う人々の間に内部分裂が見られ、彼らの道徳はひどく乱れていた。バハオラはその聡明さで徐々に信者らを力づけ、確実な導きでバビ教徒の間で指導的立場を確立された。また、イスラム教の高い地位にある人たちの大勢に尊敬された。イラクでバハオラを指導者としていたバビ教徒らは、バハオラの流刑の知らせに驚き、仰天したが、バハオラの穏やかな言葉と、書簡が彼らの興奮を和らげた。
「聖なる水夫の書簡」が啓示されて27日後(レズワン第1日目)、バハオラと幾人かの信者たちはレズワンの園に向かって出発した。途中の沿道に集まった大勢の群集の中には好奇心だけで集った人もいたが、多くは涙を流し嘆き悲しんだ。バハオラは群衆の中にいる貧しい人たちに施しをしながらチグリス川畔にたどり着き、川を渡った庭園で12日間を過された。バハオラが到着すると直ぐに川の水量が増し、それは九日目にバハオラの家族と信者らが彼に合流するときまで引かなかった。レズワンの園でバハオラがご自身の使命を宣言された時の詳細は歴史上霞んでしまっているが、このできごとの意義はさん然と輝いているのである。
801-3 Birthday of Bahá’u’lláh
バハオラの誕生 11月12日
1817年11月12日の夜明け、イランのテヘランでヌール出身の由緒ある高官の家に一人の子供が誕生した。その子の父はミルザ・アッバスと言い、彼はイラン国王に寵愛された大臣であった。この子供はミルザ・フセイン・アリと名付けられた、後のバハオラであった。
かつてシェイキ・アーマッドと言う聖者がいた。彼は、約束された日は始まり、約束された人・神の使者が地上に現れると人々に説き、この約束された人を探すためにペルシャに向かって歩いた。彼の従者の一人は、1817年11月12日の夜明け、シェイキ・アーマッドが頭を深くたれて神を賛美しているところを見た。この時、シェイキ・アーマッドは従者に向かい、「あなた方にかねて告げていたことが今実現したのです。まさにこの時刻、あの約束されたお方の光が顕われ、その輝きは世界を明るく照らしています。」と言ったといわれる。
バハオラの父は夢を見た。夢の中でバハオラは広い果てしない大洋で泳いでいた。彼の体は輝いていて水の上に光っていた。水にくっきりと浮かんだ彼の黒い髪は四方に広がり、波の上にふさふさと浮かんでいた。おびただしい数の魚が彼の周りに群がり、それぞれが一本の髪の毛の先端をくわえていた。それらの魚はバハオラの輝くばかりの面に魅惑され、何処までも彼の泳ぐ方についていった。たくさんの魚がしっかりと彼の髪をくわえていたが、一本の毛髪も失われていなかったし、身体は少しも傷つけられていなかった。自由気ままに水中を泳ぐ彼に魚がついていった。この夢にすっかり驚いた父親は、地方の有名な占い師を呼び、夢を解釈させた。占い師は次のように言った。「あなたが夢の中で見た大洋はこの世界です。あなたのご子息は独力で、この世界で最高の主権を得られるでしょう。誰も彼の前進を阻むことはなく、彼の繁栄は誰にも妨げられません。おびただしい魚の群れはこの世で同族の者、人民の中にあって彼がひき起こす騒ぎを現しています。人々は彼の周りに集まり、彼にすがるでしょう。全能者・神の永遠の加護でこの騒ぎはまったく彼を傷つけることなく、また海の上での寂しい生活も彼の安全を犯すことはありません。」
バハオラは幼年時代より素晴らしい英知と知識を示された。非常に親切で、寛大であった。戸外で遊ぶことを好み、殆どの時間を庭や野外で過された。彼は人を引き付ける強い力を持っていて、全ての人は彼の力を感じていた。
人々はいつも彼の周りに群がった。大臣や、宮廷に仕える人たちも彼を取り巻くのであった。バハオラはわずか13、4才でその博識をもって有名になられた。いかなる問題についても語ることができ、彼に示されたいかなる難問も解くことができた。彼が22才のとき父が亡くなり、父の残した広大な領土の管理や彼の兄弟の面倒を見るという大きな責任がバハオラに残された。国王は、父の後を継いで大臣になるよう彼に望んだが、バハオラはそれを辞退された。彼は神が選んだ別の人生を歩む運命にあったのである。
バハオラの結婚は高位で裕福な二つの家を結ぶものであったので、イラン国中に非常な興味を巻き起こした。彼の妻は青い目をした背のすらりと高い優美な人で、王女のように気品があり、愛らしく、あらゆる人に対して優しく親切で、無欲の人でした。彼女の存在は何処でも愛と幸福の雰囲気を作った。バブが彼の使命を宣言した時、バハオラはバブより2才年上の27歳であった。彼は直ちにバブを顕示者として受け入れ、最も熱心な信奉者の一人となられた。バブの宣言から9年目、バハオラは捕らえられ、シア・チャールと呼ばれる地下牢に150名の囚人たちと共に幽閉され、重い鉄の鎖につながれて4ヶ月を過された。彼が神の啓示を受けられたのはこの地下牢でのことであった。バハオラはこの時のことを、『ある夜、夢の中にて諸方より栄光に満ちた言葉が聞こえてきた。・・・まことに我は、汝自身により、また汝の筆により汝が勝利を得るよう助ける。汝の身に降りかかることを悲しみ恐れることなかれ。まことに、汝は安全なればなり。久しからずして神は地上の宝、すなわち汝の名において汝を助ける者らを起こさせるであろう。』と述べておられる。それから10年後、1863年4月21日、バハオラ(当時46才)はイラクのバグダッド市レズワンの園で、自分こそ太古から約束された者であり、神は今こそ世界人類の和合を願っているのだと、数人の弟子たちに宣言したのであった。
802
The Stories Related to the Holy Days of The Báb バブ の記念日についての話し
802-1
Birthday of The Báb バブの誕生 1819年10月20日 003 参照
バブの本名はセイエッド・アリ・モハメッドと云い、1819年10月20日に、ペルシャ・シラズの商人セイエッド・モハメッド・リダの息子として生まれた。父方も母方もモハメッドの直系(モハメッドの娘ファテメとアリの息子イマム・ホセインの子孫)である。バブの父は彼が9才の時に他界し、その後は母方の叔父ハジ・ミルザ・セイエッド・アリ(後にバビ教徒として殉教)に育てられた。バブの母親はシラズの商人ミルザ・モハマド・フセインの娘で、3人の兄弟があった。その一人がバブの後見人となったハジ・ミルザ・セイエッド・アリである。
バブは幼少の頃より非凡で、小学校に通い始めた時、校長は、「この子は天才で、私にこの子に教えられるものは何もない。」とバブを送り返した。この校長は小学生の他に神学生も教えていたのだが、バブは校長が答えられない神学生たちの質問に、コーランやハフェズやサディの言葉を引用しながら解答した。バブは知的に優れていただけでなく、人格の気高さでも人々を感動させた。バブは高潔、穏やか、容姿端麗で他の子供たちと違っていた。幼少の頃より祈りや瞑想をすることが好きで、大人も敵わないほどの達筆であった。古代詩を朗読し、コーランにも詳しかった。14才の時、叔父の手伝いとして店の責任を一手に引き受け、彼の商人としての名声は各地に広まった。バブは祈る時、完全に超脱し、神に魅せられ、涙を流して、その唇から流れ出る神を賞賛する言葉は美と力に満ち溢れ、聞く者の心も神への思慕で一杯になって一緒の涙する程の感動を受けるのであった。
バブは1842年8月、ハジ・ミルザ・アリの娘カディジェ・バガムと結婚した。彼女には二人の兄弟がいたが、後に二人ともバブの教えを受け入れた。この二人の兄弟とバブの叔父の子孫は現代アフナンと呼ばれている。バブとカディジェは似合いの夫婦で、結婚後バブには新しい輝きが顕われた。やがてカディジェは妊娠し、男子を出産したが、アハマッドと名付けられたこの子は間もなく死んだ。バブの母は怒り、バブが神の力を持っているのなら何故、自分の子を救わないのかと詰め寄った。するとバブは「神は、私が子供を持つよう定められていないのです。」と答えた。
その後に続く6年間、彼は世界に新しい法、新しい神の道を示し、腐敗を正し、やがて現れる大教育者バハオラの出現の道を用意したのであった。
802-2
Declaration of The Báb バブの宣言 1844年5月23日
バブの宣言は世界中のバハイにとって喜ばしい新しい時代の始まりであり、この日を境として暗黒の迷いの時代が終わり、人類はバブを通じて、再度、神のご意思を知る新しい時代を迎えたのである。バブは25才に達した時、神の命に従って「高遠なる神が我をバブ(門)たる地位に引き上げ給うた。」と宣言した。バブと言う称号の意味するところは、彼自身、無限に完全な特性を備えながらも、一方では、まだ栄光の陰に隠されているある偉大な人物(バハオラ)の恩寵を人々に伝える通路としてその完全なる御方の意思によって動き、その愛の絆に結ばれる先駆者の地位にあるということである。バハイ世界と新時代の幕開けであるこのバブの宣言は1844年5月22日の日没後、バブの自宅でムラ・ホセインという神学者に対して行われた。当時、世界中の各宗教において「約束された、神の新しい顕示者」が近いうちに現れるという信仰が強く広がっていた。中でもセイエド・カゼムによって導かれた回教シェイキ派ではカゼムの死後、その高弟モラ・ホセインらが「約束された御方」を探し求めて国中に散らばった。
こうした旅にある途中、モラ・ホセインはイラン南部のシラズという町に心を惹かれ、その町の門にさしかかった。すると、緑のターバンをかぶった輝かしい顔の青年が親しみと愛情を込めて彼に近づき、歓迎の挨拶をした。師カゼムの弟子だろうと思ったモラ・ホセインが応対すると、青年は自分の家へ招待した。モラ・ホセインは約束があるからと断るが、青年の愛情にほだされて招待を受け入れた。家に着くと青年は自分の手でモラ・ホセインの足を洗い、部屋に通した。夕べの祈りの後、青年は「約束された神の使者の特徴や性質を教わっていますか。」と尋ねた。モラ・ホセインが「その御方はモハメッドの後裔で、年齢は20才から30才の間、生まれながらにして知識に溢れ、中肉中背、喫煙もされず、身体的には完全無欠と聞いています。」と答えた。青年はしばらく沈黙した後、あたりを震わせるほどの感情をこめて、「私をよく御覧なさい。今あなたが述べたことはすべて当てはまると思いませんか。」と言った。モラ・ホセインはとっさのことで戸惑ったが、「約束された御方かどうかを決める基準として私の師が残した二つの質問について触れて頂けると幸いです。」と失礼のないように答え、体系的論説とヨセフの注釈について尋ねた。この二つの問題はこれまで誰も解明することができず、新しい顕示者によってのみ解釈が可能とされているものであった。青年は、「神は人間をお試しになることができるが、人間は神の知識を試すことはできない。人間は神の知識を試す権利を持ちません。あなたの質問に答えなくとも、それは知識がないからではありませんが、客人であるあなたに礼を失しないためお答えしましょう。」と言って、ペンを走らせながら、質問の答えをとうとうと解明していかれた。その時の筆の動きの驚異的速さと書かれた字の力強さ、発せられる音声の美しさ、説明の文体の素晴らしさ、加えて、説明文の内容の素晴らしさは見ことなものであった。モラ・ホセインはこの瞬間、青年の言葉の真実性、重要性に気づいた。長年探し求めてきた主を見出した喜びで心は天に舞い上がり、時も静止したかのようであった。
青年はモラ・ホセインに向かって、「あなたは私の最初の信者です。私は神の門(バブ)です。あなたはその門の門、即ち、バブル・バブです。あなたの他に17人の者が自力で私を探し出すでしょう。私はこの18人の弟子の中から一人を選んで一緒にメッカへ行き、クーフェ寺院で私の立場と使命を公に宣言します。それまでは沈黙を続け、これまで通り人々を指導しなさい。」と命じられた。
この瞬間、長い間待ち続けていた願望が適って現実となった喜びがモラ・ホセインの全身を満たした。これまでの迷いと弱気から断ち切られた彼は、世界中を敵にまわしても顕示者・バブの教えの正しさを守り抜こうと決心した。
802-3 Martyrdom of The Báb
バブの殉教 1850年7月9日
神の新しい顕示者バブは、その非凡な知恵と驚くべき影響力、勇気と情熱、完全無欠の模範的な行動を通して神の新しいご意志を説いたため、その教えは数多くの心ある人々に受け入れられ、熱狂的支持を受けた。 教えは疾風のごとくペルシャ全土に広まり、イスラム教の僧侶たちはバブに対して強い恐れと敵意を抱かせた。聖職者たちはこの心優しい、敬虔な神の信奉者である若き顕示者バブを異端者とし、迫害と弾圧を加え、遂には1850年7月9日正午、イラン・タブリズの公共広場で彼を処刑した。バブは31才7ヶ月で神の大業に殉死し、顕示者としての短い生涯を閉じた。その日、午前十時前、バブが弟子のセイエド・フセインに最後の指示を与えているところに刑執行人が来て、無理やりに話を中断させ、バブを引き立てた。バブは、「私が言うべきことを言い終わるまでは、地上のいかなる力も私を沈黙させることはできない。全世界が武装して私に敵対しても、私の最後の使命が果されるまで、彼らには何もできない。」と言い渡したので役人たちは驚いた。それでも役人たちは刑を執行しようとした。バブはバブと共に殉教することを懇願したモハメッド・アリという青年と共に兵舎の塀に吊るされた。処刑に当たった軍隊長サム・カーンがバブに近づき、「私はキリスト教徒です。もし貴方が本当に神の顕示者ならば、私が貴方の刑を執行しなくて済むよう計らってください。」と頼んだとき、バブは、「命令に従いなさい。あなたが誠実な人なら神は必ずあなたの困惑を取り払ってくださる。」と答えられた。こうしてモハメッド・アリの頭がバブの胸に当る位置に吊るされ、一列250人の兵士が三列、計750人並び、号令に従って発砲すると、その硝煙は陽光を曇らせた。一万人もの観衆はこの悲惨な刑の結果を固唾をのんで見守っていたが、硝煙が消えたとき、彼らは自分の目を疑った。そこにはバブの姿は見えず、モハメッド・アリが傷一つ負わずに立っていた。役人たちが慌ててバブを探すと、彼は先刻と同じ部屋でセイエッド・フセインと中断された話の続きをされていたのである。やがて話を終わったバブは、役人に向かって、「私の話は全て終わった。刑を執行して宜しい。」と言われた。ここに至って隊長サム・カーンは、「たとえ私の命がかかっていても、私はこの刑を執行できない。」といって部下を連れてたち去ったため、次には750名のイスラム教徒の連隊が送り込まれ、刑は彼らによって執行された。750の銃砲に撃たれた二人の体は見分けもつかぬほどに砕かれていたが、顔には一つの傷もなく、微笑さえ浮かんでいた。 バブは最後に観衆に向かって、「迷える人々よ、あなた方が私を信じていたならば一人一人がこの若者を模範として従ったであろう。この若者は神の教えのため、自らを犠牲にした。あなた方が私の言葉の真実性を認める日が必ずや来る。しかし、その日、私はもうあなた方と共にいない。」と言われた。バブを弾圧する者らはこの処刑でバビ教徒は根絶したと喜んだが、神のご意志は人間の力で変えられるものではなく、この非道な行為は信教の炎に一層多くの油を注ぎ、バビ教徒たちの情熱の火をあおった。そして、信教はますます広く根強く浸透し、発展し、ついにバハオラを迎えて不動のものとなった。マハメッド・アリの遺体と共に町外れの堀に捨てられたバブの遺体は、献身的な弟子たちによって密かに運び去られ、イラン国内に数十年間匿われていたが、殉教から50年後に危険と困難のなかで聖地に運ばれた。そして、アブドル・バハの手によってカルメル山のバブの霊廟に安置され、世界中に愛と和合の精神を送り続けている。現在、世界中から多くのバハイ、ノン・バハイがここを訪れて祈りを捧げている。
802-4 Báb's Address to the Letters of Living バブの生ける文字たちに与えた講話
この講話は1844年、バハイ信教の幕開けの年、バブの18人の信者たちがバブを見出し、バブの指示に基づいて新しい日の訪れを準備する、神への奉仕を始めようとする時に彼らに与えられたバブの別れの講話である。ここには神に従う者としての心構え、何をすれば良いのか、今日という日の意義など、今の私たちに有益な教えが力強い調子で述べられている。この講話は、モラ・ホセインやクデュースら、この時この講話を聞いた者たちに与えたと同じように、今日のバハイとして生きる私たちにも、はっきりしたババイ生活の基準を示し、私たちの心に献身の炎を燃え起こさせる言葉である。
おおわが親愛なる友らよ。汝らはこの時代に生きる神の御名の持参者である。汝らは神の神秘の宝庫として選ばれた人々である。汝らは神の属性を身を持って表さなければならない。汝らは神の正義と威力と栄光の証拠を自らの言動を持って示さなければならない。汝らの大志、気高き生き方、真の信仰、そしてその素晴らしい忠誠は汝らの四肢が証言するほどのものでなければならない。まことに我は言う、今日のこの日は神がその書に次のように描写した日である。「その日、彼等の口を封じても彼等の手は我に語り続け、彼等の足は彼等の成し遂げたことを証言する。」
キリストが十二人の使徒を神の大業の普及に送り出した時の言葉について熟考せよ。使徒たちが奮起し、与えられた使命を全うするよう、キリストは次のような言葉を彼らに贈った。
「汝らはちょうど、夜の暗闇の中で山頂に灯された松明のようである。汝らの光を人々の前に輝かせよ。人々が汝らを通じて純粋と恩恵の源である天の父を知り、天の父に接近できるよう汝らは最も純粋な人格を持ち、最高の解脱の精神に達していなければならない。何故なら、誰も天の父を拝したことはないからである。汝らは天の父の精神の子らである。従って、汝らの行動は神の徳を表し、神の栄光を証言するものでなければならない。汝らは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味がつけられようか。神の大業を教え広めるためにある町に入る時、何の報酬も食事の振る舞いも期待してはならない。汝らの解脱の精神はこれほどまでに高められていなければならない。むしろ、町を出るときは足の埃も払い落として行け。汚れのない純粋な姿で町に入り、同様に汚れのない純粋な姿で町を去れ。我はまことに言う、天の父は常に汝らと共にあって汝らを見守っている。天の父に忠実で
あれ。そうすれば天の父は地上の全ての財宝を必ず汝らの手中の置き、汝らを地上の全ての王や支配
者よりも高く引き上げるであろう。」
おお我が「文字」らよ。まことに我は言う、過去の使徒たちの時代に比べて今日のこの日は遥かに崇高な日なのである。否、そこには計り知れないほどの差が存在する。汝らは神の約束された夜明けを目撃した証人たちである。汝らは彼の啓示の神秘の聖杯の相伴にあずかった人々である。腰をしっかり据えて努力せよ。そして、神の書に記された神の言葉を記憶に留めよ。「見よ、主なる汝らの神は来た。また、天使たちの軍勢も神と共に来て神の御前に配列している。世俗の欲望を汝らの心から一掃せよ。天使のような徳を持って身を飾れ。神のこの言葉の真実を自分の行動を通じて立証できるよう精進せよ。そして常に用心せよ。もし汝らが怯むなら、神は汝らと性質の異なる人々を代わりに立て、彼らは神の王国を汝らから奪い取るであろう。」
空虚な礼拝でこと足りた時代は終わった。今日のこの日は、非の打ち所のない純粋な行為に裏打ちされた最も高潔な志のみが最も高遠なる御方の玉座に届き、最も高遠なる御方の承認を得ることができるのである。「よき言葉は神のもとに昇り、それはよき行為によって神の御前で高められよう。」 神の書に記された卑しき者とは汝らを指すのである。「我は地上で卑しめられた人々に我が寵愛を向け、彼らを人々の精神の指導者とし、我が後継者とすることを欲した。」 汝らはこの地位に召されたのである。しかし、世俗のあらゆる欲望を踏み越えない限りこの地位に達することはできない。「神が語るまでは沈黙を守り、神の指示に従う尊い僕ら」となるよう努力しなければこの地位に達することはできない。汝等は「最初の点」から生まれでた最初の文字である。汝等は啓示の源泉より湧き出た最初の泉である。世俗の如何なるしがらみも、事物へのいかなる愛着も、そして、いかなる儚い追求も汝らを通じて流れる恩寵の清らかさを汚すことはできないよう、またその甘美なる味を苦くすることがないよう、主なる神に嘆願せよ。
偉大なる時代の到来を目指して我は汝らを準備しているのである。汝らを今指導している我が、次の世において神の慈悲の座の前にたち、汝らの勝ちえた成果に歓喜し、その偉業の栄誉に浸ることができるよう最善の努力をせよ。来るべき時代の秘密は今は隠されている。その秘密を明かすことも、その意義を推し量ることもできない。その時代に産声を上げる赤子は、現在のこの日に生きる最も賢明で最も尊敬される者にも優るのである。その時代に生きる最も卑しく最も無学なものでさえも、今日の最も博学で優秀な神学者に優る知識をもつであろう。
国土の東西南北に隈なく分散せよ。そして、確信に満ちた足取りと澄み切った心とをもって「彼」の到来のために道を準備せよ。自分の弱さと無力さに心を悩ませてはならない。全能に在す主なる神の、決して挫かれない威力に目をしっかりと据えよ。そして過去の時代のできことを想起せよ。全く無力であったアブラハムを神はニムロデの軍勢に勝利させたではないか。手に持った杖以外に何の加勢もないモーゼは神の威力により、ファラオとその勢力を破ったではないか。人々が卑しい貧者と蔑んだイエスを、神はユダヤの民の権勢に優るところにまで引き上げたではないか。神は野蛮で好戦的なアラビヤの部族を預言者モハメッドの神聖にしてすべてを変革させる規律に帰依させたではないか。神の名のもとに立ち上がり、神に全幅の信頼を寄せて最後の勝利を確信せよ。
The Stories Related to the Holy Days of Abdu’l-Bahá アブドル・バハの記念日に関わる話
803-1 Birthday of ‘Abdu’l-Bahá
アブドル・バハの誕生 1844年5月23日 022-1 822
アブドル・バハの誕生日はバブの宣言の日と同じである。アブドル・バハの誕生日としては祝わない。
803-2 Ascension of ‘Abdul’-Bahá アブドル・バハの昇天 1921年11月28日
1921年7月、アブドル・バハは自分の死の5ケ月前に次の祈りを著している。 「おお主よ! わが身は弱り、わが頭は白髪で光る。われは年老いた。わが力は衰え、もはや立ち上がり、主の愛し給う者らへ仕える力もない。おお主よ!わが主よ!あなたの崇高な幕屋へと我が昇天を急がせ、あなたの最も偉大な御慈悲の木陰の下にある祝福の門戸を入ることを許したまえ。」 この時から5カ月も経たない1921年11月28日午前1時、この祈りは答えられ、この世での使命を果し終えたアブドル・バハの魂は安らかに昇天した。バハオラの長子アブドル・バハは1844年5月23日の夜半少し前に誕生した。ちょうどバブが彼の使命をムラ・ホセインに宣言した同じ日であった。9才にして、父バハオラが約束された御方であることを悟った。彼はバハイ信教発展のためその一生を捧げ、身を粉にして働いた。以下は彼の数多くの成就の一部である。
☆
カルメル山にバブの霊廟を築き、聖なるご遺体を安置
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バハイ世界の基盤を築くため、現代人に解かり易い解釈書、著書を数多く残した
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信教をイスラム教国の範囲を超えて西洋社会へと広げ、西洋に多くの熱心なバハイを育てた
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新世界秩序の基盤を築いた
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バハオラの行政機構を支える布教計画を示した
生涯を人類奉仕に捧げたアブドル・バハ逝去の悲報は全世界につたえられ、翌日行われた葬儀には、あらゆる宗教、民族、言語を代表し数千の哀悼者たちが集まり、この純潔高貴な魂に敬意を表した。アブドル・バハの遺体はハイファ・カルメル山中腹に建てられたバブの霊廟の一郭に収められている。
810
Naw-Rúz (New Year) ノゥ・ルーズ バハイの新年 3月21日
3月21日は日中と夜間の長さが同じ、春分の日に当たる。草木も芽吹き、冬眠していた動物たちも顔を出す春の始めであるこの日、一年の周期の始まり、新しい年の第1日目が始まる。世界中のバハイは3月20日日没をもって断食を終わり、次の日は仕事を休んで新しい春の訪れを祝う。バハオラはご自身の啓示を春の訪れと説き、この精神的ノウ・ルーズの意義を、「・・・神聖な春季が訪れ、全てに慈悲深い神が刻々と近づきつつある。最も高遠なるペンは、全ての創造物が再び生まれ、新しく創りかえられるよう汝を奮い立たせ給うた。全創造物の前に神を賛美し、彼を賞賛し、祝え。また、汝の平和を胸に秘めることなく、語れ。我が名の地平線に至福の昼の星が輝き、天上の、神の名の王国が天の創造者である汝の主の名で飾られる故に。地上の国々で立ち上がり、最上名の力で汝自身の身を固め、無駄な時を過す者とならぬように。」と語っている。アブドル・バハはバハイの祝日について、「祝祭日には全てのバハイが共に喜び、全員が参加できる集会を催し、一体となり、自然の一致和合が万人の眼に示されるようしなければならない。聖なる日はなおざりにされたり、歓楽に費やされてはならない。神を愛する者はこのような日に、全人類への博愛と理想の証拠を残さなければならない。」と述べている。バハイたちはノウ・ルーズに世界中で人類奉仕のための活動を行い、その喜びを示す。夕食会やピクニック、パーティなど華やかな集まりなどを催したり、音楽や詩や聖なる書簡の朗吟、短い講演会などを行ったり、また、バハイ・センター建立式、バハイ子供クラスの発会式などを行うのも良い。個々のバハイがより良いバハイとなるため心を新たにして一年の計を立てたりする。バハオラは「ノウ・ルーズの祈り」を著している。
812 Fasting 断食 3月2日より3月20日までの19日間
バハイ暦一年の最終月「高尚」は3月2日から3月20日までで、断食の月とされている。古来よりすべての宗教で断食を定めている。年一度、19日間のバハイの断食は、地球上のどの地においても気候が安定していて(酷暑や厳寒の時期でなく)、ほとんどの地域で日の出から日没までの時間がほぼ同じである。従って、この期間、世界中のバハイは心を一つにして断食を行っていることになる。断食の目的は神を祝うことにある。即ち、神以外のあらゆるものから離脱し、神の御心に沿って生きる努力をする象徴として、肉体的欲望から身を清め、我欲や五感の欲望を離れ、精神を神とバハオラに集中する努力をする。断食になると私たちバハイは神に祈るため、曙に起床し全ての恵と祝福に対して感謝を捧げ、日の出前に朝食を済ませた後は、日没まで飲食物を一切避けて清らかな生活を送り、日没には祈りを捧げて断食を解き夕食を摂る。断食は、私たちの神に対する愛の心と、私たちが神の命に常に忠実であることを示す象徴であるので、単に食べ物を断つだけでは精神上に及ぼす効果は少ない。断食は15才以下の子供や70才以上の老人や病人、旅行者、虚弱者、授乳中の女性、妊産婦などは免除されている。しかし、断食の精神的な部分はすべての人が守らなければならない。バハオラやアブドル・バハは断食の期間に唱える特別の祈りを著している。神の命に従って断食を行えば、バハオラや神に対する愛慕の気持ちがひしひしと湧き出て、自己の精神の発達が見られる。守護者は断食について、「この期間こそ、瞑想と祈りによって精神の健康回復を計り、自己の内部生活に必要な調整を行い、魂のもつ力を新にし、活気を与える時である。断食の目的と意義は根本的に精神的なもので、我欲や世俗的欲望から離れることの重要性を思い起こさせる象徴である。」と述べている。断食によりバハイという一つの世界家族にしっかりとした和が築かれ、この地上の生活に幸せや健康の喜びに感謝し、創造主からの新しいひらめきを受けることができよう。
813
Ayyám-i-Há アヤミ・ハ 閏日 2月26日〜3月1日までの4日間(うるう年は5日間)
バハイの暦の閏日 2月26日〜3月1日までの4日(うるう年は5日)間。バハオラは、次に続く断食月に備えて、精神を整えたり、慈善や人に親切を示すようにと教えておられる。
814 Feast フィースト
フィーストの文字通りの意味はご馳走、あるいは饗宴。バハイはバハイ月の第一日目に共同体内の全メンバーが共に集うフィーストを行うよう奨励されている。
フィーストは三部から構成され、第一部は祈りの部で、その月の名称にふさわしい聖なる句をバブ、バハオラ、また、アブドル・バハの書物から選んで唱える。
第二部は協議の部で、共同体内での布教活動や地方精神行政会の決定や会計状況について報告を受け、協議をする。この場で出された地精会への提案は地方精神行政会で討議される。地方精神行政会で解決できない問題は全国精神行政会に提案する。こうしてすべてのバハイが事由に自分たちの意見を行政会に持ち上げる秩序が定められている。
第三の部は社交の部で、ここでは茶菓などがふるまわれ、交流の場となる。フィーストの協議の部以外はバハイでない人たちの参加も歓迎される。
820 Bahá’í Era バハイ時代 830 参照
バハイ暦「BE」は1844年のバブの宣言に始まり(バハイ暦元年=1844年)、次に現れてくる新しい神の顕示者の時代まで続く。バハオラはこの時代は少なくとも1000年続くと言われている。バブの出現によって預言者の周期が終わり、完成の周期であるバハイの周期が始まったのである。ショーギ・エフェンディによるとバハイ時代は使徒、英雄、初期の時期、形成期、黄金期の三つに区分される。
820 Day of
the Covenant 聖約の日
聖約とは聖なる約束ごと、すなわち「神と人間の約束」という意味である。聖約には二種類ある。一つは古代からの聖約で、神と人間との間に結ばれた約束。すなわち、人間がいつの時代でも神の意思を知ることができるように、時や場所に応じ、また、人間の必要に応じて人間に神の事を教え、人類を導く大教育者が遣わされるという約束である。その約束は歴史のいつの時代にも果たされてきており、これまでにモーゼ(ユダヤ教)、クリシュナー(ヒンズー教)ゾロアスター(拝火教)、釈迦(仏教)、キリスト(キリスト教)、モハメット(イスラム教)らが遣わされた。
二つ目の聖約は、神が新しい顕示者バハオラ(神の栄光)を通してなされた約束であり、過去の顕示者達によって長い間約束されてきた地上の神の王国を実現すること、すなわち地上の人類を統合して新しい世界文明を築くという神の現代の意思を示されたことである。このため神は他に見られない特質をバハイ信教に組み込まれた。理解の違いから分裂や紛争が起きないように、バハオラの後継者としてアブドル・バハを任命し『聖約の中心』とされた。バハオラは『遺訓』の中で、自分の死後、全世界のバハイはすべての解釈と指導をアブドル・バハから受け、彼の命をバハオラの命と思って従うよう指示された。
そこで、聖約の日はアブドル・バハを『聖約の中心』として祝う日でもある。アブドル・バハは1844年5月23日、バブの宣言と同じ日の夜半に誕生された。後に彼の誕生を祝いたいという信徒の願いに応えてアブドル・バハは、バブの宣言の日と暦上で真向いにある11月26日を聖約の日と定められたと言う。
私たちが日々見つめなければならないのは、バハオラと個々のバハイとの間に交わされた聖約である。バブ、バハオラ、アブドル・バハを受け入れ、その教えを受け入れるだけではバハイとして聖約を果たしているとは言えない。バハイが聖約に忠実であるためには、1.顕示者特に時の顕示者バハオラを受け入れること 2.バハオラの定めた法を守り、彼の行政機構に従うこと、の二つを行わねばならない。バハオラは「アグダスの書」にこう述べておられる。
「神が人間に処方した義務の第一は、啓示の光であり、法の源泉であるその人〔顕示者〕を認
めることである。また現在の理想であり、目標であるその人の言うことをすべて守ることは、高遠な地位への向上を望む人全てが行うべきである。 この二つは分離できず、両方が共に行わなければ真のバハイとして受け入れられない。」
830 epoch エポック(画期的)時代または時期 ???参照
守護者ショーギ・エフェンディによって使われた歴史区分を示す言葉。
バハイ暦1844年から1921年までを使徒時代というが、この時代は更に3つのエポックに分けられ、1844年から1853年までをバブの時代、1853年から1892年までをバハオラの時代、1892年から1921年までをアブドル・バハの時代としている。続いて1921年から始まった形成時代もエポックに分けられており、現在は第五期に入っている。
840 Ten
Year Crusade 十年聖戦
1953年に守護者ショーギ・エフェンディによって始められたバハイ拡大十年計画で、全世界バハイ聖戦とも言う。守護者ショーギ・エフェンディは1957年、計画半ばで病死されたのでその後は大業の翼成者たちで計画が進められた。この十年聖戦の結果、目標とした未開地の開拓は、当時入国できなかった幾つかの共産圏を除き、全て開拓された。日本においても1953年に地方精神行政会があったのは東京だけで、他には京都を除きバハイの住む市町村すらなかったが、4年後には7箇所に地方精神行政会ができた。また、北海道にパイオニアを送るという励ましの手紙が守護者から届き、これを機に北海道への布教が開始された。こうして白老町にバハイの拠点ができ、1957年には北東アジア全国精神行政会が設立された。この十年聖戦のあと世界のバハイ総数は何倍にも増えた。
守護者ショーギ・エフェンディはこの聖戦について @聖戦の目的は人間の心の要塞を征服すること Aその作戦地域は地球全体 B期間は十年間 C計画の終了日はバハオラの宣言の百年記念祭第一日目、であると述べ、聖戦の4大目標について以下のように説明された。
1. 世界センターの制度を設定する。
2. この聖戦に参加する全国精神行政会の共同体を強化する。
3. 既にバハイ信教の広まっている地域を強化する。
4. 主要な地域でいまだバハイの住んでいないところ(処女地)をなくす。−この呼び掛けに応えて百数十箇所の処女地が1〜2年のうちにバハイの住む地となった。この時、最初に処女地に移り住んだバハイたちには「バハオラの騎士」(427-2参照)という称号が与えられ、彼らの名前が記された巻物はバハオラの霊廟の入口に埋められている。
833 Feast of
Ridvan レズワンの祝祭日 [バハオラの宣言の記念日 4月21日から5月2日まで] 801-2 参照
900〜999 機構・組織・行政関係用語
900
Bahá’í
Administrative Order バハイ行政機構
Organizational
Chart 組織図
The Báb 神の顕示者 バブ
Bahá’u’lláh 神の顕示者 バハオラ
‘Abdu’l-Bahá 聖約の中心 アブドル・バハ
Guardian 守護者
Universal House of
Justice 万国正義院
Appointed 任命制
Guardianship
守護者制度(1921年)
The International Teaching
Center
国際布教センター(1973年)
Hand of the Cause of God
大業の翼成者(1963年)
Continental Board of Counsellors
大陸顧問(1968年)
Auxiliary Board Members
顧問補佐(1954年)
Assistants
アシスタント(1973年)
Elected 選挙制
National Spiritual Assembly
全国精神行政会
National Committees(Appointed) 全国委員会 任命制 |
Local Spiritual Assembly
地方精神行政会
Local LSA
Committees(Appointed) 地方精神行政会委員会 任命制 |
The
Nineteen days feast 19日毎のフィースト
901 ABS-Japan (The Association for Bahá’í Studies -
Japan) バハイ学術研究会日本支部
バハイ学術研究会日本支部は1991年に日本に設立された。バハイ学術研究会の目的は、バハイの教えを世界の諸問題、社会経済問題に関連付けて研究したり、世界宗教としてのバハイ信教の発展に関する研究を奨励、協力、実践することを目的とする。日本のバハイ学術研究会は北アメリカのABSの支部である。
902
administration (Bahá’í) バハイ行政規則
通常はバハイ行政規則(機構)全体をさす。バハイ行政規則はバハオラのアグダスの書に啓示され、アブドル・バハの遺訓で更に具体化され、守護者ショーギ・エフェンディによって完成された。バハイ行政規則はバハイ信教の教えの純粋性が保たれ、その補足と拡大と応用が正しくなされ、バハイ共同体の和合と一体性と統合が保護され維持され、促進されてきた。そのおかげで、バハイ世界は着実に発展している。この制度がなかったらバハイ信教は無秩序と分裂と崩壊に陥ったことであろう。
903
Administrative Headquarters
行政本部
バハイ世界本部はハイファのカルメル山の中腹にある万国正義院と呼ばれるバハイの最高機関のことを言う。
904
Administrative Order (The Bahá’í) 行政機構秩序 902 参照
905 administrative
rights バハイの権利
ババイがバハイとしてもつ権利はバハイの選挙の投票権、19日毎のフィーストに参加、バハイ基金に献金できる、9日間の聖地巡礼申し込みの権利などがある。
906 Annual National Convention
全国年次大会
毎年レズワンの期間中に全国各地から選ばれた代議員が集まり、次の一年間の計画を協議したり、全精会メンバーを選挙したりする大会が行われる。年次大会の主な議題は、
☆ 過去一年間の各地方精神行政会や全国委員会の活動報告
☆ 全国精神行政会の会計報告と次の一年間の予算案
☆ 新年度の全国精神行政会メンバー選出
☆ 新しく選ばれた全国精神行政会に対する提案
☆ 万国正義院から出されるレズワン・メッセージを読み、内容について学習、協議
907 Assistant アシスタント [顧問補佐の補佐] [機構]
顧問補佐が大陸顧問の承認を得て任命する。地方精神行政会を活気付け、激励し、補佐の任務遂行を助けることがアシスタントの主な任務である。アシスタントは行政機関の任務を兼任できる。
909 (The)
Association for Baha’i Studies – Japan
バハイ学術研究会日本支部 [機構] 901 参照
910
ATC (Area Teaching Committee) 地区布教委員会 [機構]
全国布教委員会のもとで、全国精神行政会が定めた特定の管轄地区内の布教活動に携わる。原則として、一年毎に全精会によって任命される。
911
Auxiliary Board Members
顧問補佐 [機構]
大陸顧問の推薦に基づき顧問団が任命する。任期は五年。万国正義院憲法によると、「各地域ごとに二種類の顧問補佐を置くものとする。一つは信教保護のため、他の一つは信教普及のためである。顧問補佐の人数は万国正義院によって決められる。彼らはその地域の信者の中から任命され、大陸顧問団の指揮のもとに奉仕し、顧問の代理、補佐、助言者としての役を務める。各補佐は奉仕すべき特定の地域を割り当てられる。特に命じられた場合を除き補佐は自分の管轄地以外では顧問補佐としての役目はない。顧問補佐は行政機関のメンバーとなることはできない。従って、もしこれらの機構のメンバーに選出された場合、顧問補佐に留まるか、そのメンバーとなることを受け入れるか自分で決めなければならない。万国正義院のメンバーに選ばれたならば、顧問補佐としての資格はなくなる。
912
Bahá’í Administration [規則] バハイ行政規則
バハイの運営方法を規定した規則。バハイ行政秩序と同じ。
913 Bahá’í Community バハイ共同体
一人以上のバハイが住む地域(市町村)にはバハイ共同体が築かれる。
916 Bahá’í election バハイの選挙 [規則]
万国正義院憲法によると、「バハイ選挙は、その精神的性格と目的を保持するため、推薦や選挙運動、その他この目的と性格に反するいかなる活動も避ける。選挙前、各選挙者は沈黙と精神性に満ちた雰囲気の中で祈り、熟考し、霊感が示す人に票を投ずるようにする。地方精神行政会の役員選挙、全国精神行政会の役員選挙及び委員会の役員選挙を除く全ての選挙は比較多数得票制によって行われる。精神行政会及び委員会の役員選挙はその行政会、または委員会のメンバーの過半数得票によって行われる。いずれも無記名投票である。二名またはそれ以上の同数得票者が出て精神行政界の全メンバーが一回の投票で決定されなかった場合、同数得票者の中からメンバーとなるものを選ぶ投票を行い、全メンバーが選出されるまでこれが繰り返される。バハイの選挙者の義務と責任は譲渡することはできないし、代理人による委託行使もできない。」
917 Bahá’í International Community バハイ国際共同体 [機構] ??? 参照
919 BID
(Bahá’í Institute for Human resource Development) バハイ人材開発インスティチュート [機構]
万国正義院は1996年からの四年計画の中で、集団加入のプロセスを促進させるための手段として、愛と効率の良さをもって奉仕できる人材を大々的に、組織立って養成する機関の設立を全世界に促された。この目標に向けて日本では1998年に、全国精神行政会のもとにバハイ人材開発インスティチュート(BID)という名称の機関が設置された。BIDは理事会、全国コーディネーター、地区コーディネーターなどの組織で構成され、基本となるコース・カリキュラムを全国に普及させている。
917
Board Members ボード・メンバー [機構] 911 参照
一般的には団体の理事会などのことを指すが、バハイで日常的に使われる場合、特に「大陸顧問補佐」を意味することが多い。
918 committee 委員会
バハイの行政機関は中央集権による弊害から逃れ、より効率的な管理運営を行うためもろもろの業務を各委員会に委任する。委員会の任命、解任はその機関の権限で行われ、任期は次期委員会が任命されるまでの約一年ということが多い。
919
Consultation 協議 [規則]
グループの中で各人が意見を交換し合う形式。バハイ機関はこの協議を通して物事決定をする。バハオラは、「...協議は道を照らす導きの灯であり、理解をもたらすものである故。」と、全てのことについて協議するよう勧めておられる。アブドル・バハは、協議の必要条件として「動機の純粋さ、精神の輝き、神以外のすべてから超脱していること、聖なる芳香に魅せられていること、...謙虚であること、困難にあって長く耐えること、そして神の高遠なる敷居への奉仕」を挙げ、また、意見に相違が生じた時は多数決で決めるよう指示されている。
925 Continental Board of Counsellors. 大陸顧問団 [機構]
大業の翼成者に与えられた信教の保護と普及(布教)という特別の機能を将来に引き継ぐ目的で1968年に万国正義院によって設立された機関。顧問団の管轄区はアフリカ、アメリカ、アジア、オーストラレーシア、ヨーロッパの五つに分けられ、その運営地域の境界、顧問の人数等は万国正義院によって決められる。任務としては自分たちの管轄区の顧問補佐指揮、行政会との協議、信教の発展に関する情報を万国正義院に知らせる、などが挙げられる。任期は五年。顧問は管轄区内で機能し、管轄区外に移住した場合は任命は自動的に消滅する。顧問の占める地位とその特殊な任務の性質上、彼らは地方または全国精神行政会との兼務はできない。もし大陸顧問が万国正義院のメンバーに選ばれたなら顧問としての役は終わる。
930 Delegates for National Convention 全国大会の代議員 906参照
全国年次大会に地域を代表して参加するために選出された人
930-1 Local Convention 地方大会
全国年次大会に向けて、各地(全国精神行政会が決めた選挙区)で割り当て数の代議員を選出し、地域内の信教の発展状況などを話し合うために21歳以上のバハイが集う大会。
931 enrollment requirement 加入の必要条件
バハオラに心を打たれた人は誰でもバハイ共同体のメンバーになることができるという点について、万国正義院は次のように述べている。「大切なことは、バハイになるとき大業について詳しい知識をもっているということではなく、ババイの教えと指導が正しいものであると認め、実践しようとする決意です。その決意によりその人の心が開かれ、顕示者の実体と交わることができるのです。」「バハイの教えを受け入れようとする人々の前に障害を置かないように細心の注意が必要です。入信の条件が厳しすぎると最初の感激が薄れ、拒否されたという印象を与え心が傷つくことがあります。バハイに加入したい人が心の中でバハオラを信じていることが大事です。...。
性格的に問題があると思われる人もバハイに加入できるかという問い合わせについて。….ある人をバハイ共同体のメンバーとして認めるため、その人が模範的な生き方をしているかどうかは基準ではありません。基準は、地精会が公平に判断し、その人が誠実にバハオラを信じ、バハイには自分の行動を律する掟が存在すると認めているかどうかです。」
932
Guardianship 守護者制度
守護者制度はアブドル・バハの遺訓により設定された。「・・・おお我が愛する者らよ!この被害者(アブドル・バハ)の逝去後は、神聖なるロートの木のアグサン(枝)、アフナン(小枝)、神の大業の翼成者(柱石)、及びアブハの美に愛される者は皆、この二本の聖なるロートの木より分岐した若枝であり、聖木の二本の枝の結合により成育した果実であるショーギ・エフェンディに向わなければならない。彼は神の言葉の解釈者であり、彼のあとは直系の子孫の長子が後を継ぐであろう。」
守護者ショーギ・エフェンディは1957年にこの世を去った。彼には子どもがなかったので後継者はない。従って全てのバハイはアグダスの書に従って万国正義院の指示に従わなければならない。
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934
International Bahá’í Council
国際バハイ評議院
守護者によって1951年に設定された、万国正義院の前身の機関である。最初に与えられた任務は、新しく誕生したイスラエル政府との渉外活動、バブの霊廟の建設、ハイファ市との外交的交渉などであった。最初の評議院長としてメイソン・レイミイが、副評議院長にアメリア・コリンズ女史が指名された。1952年には8名であった評議員メンバーは、1954年には9名に増員された。1957年に守護者ショーギ・エフェンディが逝去されると、9名の選ばれた大業の翼成者が「聖地在住」となり守護者の代行を務め、国際バハイ評議員に指示を与えた。そして、1961年に初めて国際バハイ評議院メンバーを全世界の全国精神行政会のメンバーによる郵便投票が行われ、9名のメンバーが選挙で選ばれた。その時選ばれた人の中で、イアン・センプル氏、アリ・ナクジャバニ氏、チャーレス・ウオルコット氏は二年後の万国正義院のメンバーに選ばれた。
935 International Convention 国際大会
1953年頃から世界各地で国際的な大会が開催された。1972年には北海道の札幌で国際大会が開催され700名以上の出席者があった。出席者700名のうちの半数以上がイラン人バハイであった。
936 International Counsellors 国際顧問 [機構]
国際布教センターで働く9名の顧問を国際顧問と呼ぶ。国際布教センターは万国正義院のもとで世界各地の大陸顧問団を指揮、指示し、特に信教発展のための計画を推進する。
937
International Teaching Center 国際布教センター [機関名]
1973年に万国正義院によって設立された機関で、大業の翼成者の仕事をより効率的にし、大業の翼成者がいなくなった後の時代にこの任務を引き継ぐために設立された。任務は、大陸顧問団と密接な連絡をとり彼らを激励し、新しい目標を設定すると共に、大陸顧問団から得た情報などを万国正義院に伝える。メンバーは全て万国正義院によって任命される。
940 jurisdiction 管轄地 [責任地区内]
バハイの行政地区、または地方精神行政会の管轄地域の境界は明確に定められるべきである。「地方精神行政会の境界線引きに関する権限は、全国精神行政会にあると彼(ショーギ・エフェンディ)は考えておられる。全国精神行政会が定める原則はすべて、公平に、あらゆる地域に適用されなければならない。」(ショーギ・エフェンディの代理による手紙より) 日本では地精会は各市・区・町・村単位に一つとなっている。現在、東京23区を一つの行政会が管理しているが、将来は区単位で地精会が設立されるようになろう。
942 Local
Spiritual Assemblies (LSA) 地方精神行政会(地精会) [機構]
バハイ共同体の地方レベルの行政体。その共同体に住む毎年4月21日に、21歳以上の成人バハイが直接選挙によってその地に住むすべての男性、女性成人の中から9名のメンバーを選出する。地方精神行政会は管轄共同体の信教の利益を常に推進するための計画や活動を指揮し、また共同体の全てのバハイたちの交流をはかり、子供教育、バハイの結婚や葬儀などの実施を助ける等々の責任をもつ。これらは行政会メンバーの協議によって行われる。地方精神行政会はその地域の信者が自発的に献金する地方精神行政会基金で運営される。
943 minutes 議事録
会議の内容を記録したもの。何をどの程度記録するかについて厳密な規則はない。議事録は各会議の承認が必要である。議事録が正確に執られるようにすることは行政会のメンバー全員の責任である。議事録の内容に入れるべき項目は下記のようなものである。
1. 行政会名、会議の場所、実施日。
2. 行政会の全メンバー名。出欠が分かるようにする。
3. 前回会議の議事録の検討と修正。
4. 書記、会計書記、諸委員会の報告。
5. 補欠選挙の結果、または役員の交替。
6. 新しいバハイ、移転,脱退、死亡。
7. 行政会が承認した結婚や離婚。
8. 行政会の決議事項。フィーストからの提案に対する決定も含め。
9. 次回会議の日時と場所。
950-
National Spiritual Assemblies(NSA) 全国精神行政会(全精会) [機構]
バハイ信教の全国行政機関。アブドル・バハは彼の「遺訓」に、「全ての国に第二位正義院が設立されねばならず、これらの正義院は万国正義院のメンバーを選挙しなければならない。」と定めておられる。この第二位正義院は現在全国精神行政会と呼ばれている。ショーギ・エフェンディは、全国精神行政会の選挙、仕事、任務についてより下駄意的に説明された。全精会はその国の信教の全活動と業務に対し完全な裁定権と権限を有す。その管轄区内にある地精会や個人のバハイの多角的な活動を奨励し、調整し、統一するよう尽力し、宗教の統合を促進するための活動を組織する。また、他の全国バハイ共同体や万国正義院、バハイ外の社会に対してその国の信教の代表となる。
950-1 Election
of National Spiritual Assembly 全国精神行政会の選挙
毎年レズワンの期間中に開催される全国年次大会で、各地方大会で選出された代議員が無記名投票で9名の全国精神行政会メンバーを選出する。
950-2 Establishment of National Spiritual
Assembly 全国精神行政会の設立
全国精神行政会の設立は、その国のバハイの数、地方精神行政会の数、活動状況等に照らして万国正義院によって決定される。万国正義院はその全国精神行政会の管轄範囲と代議員数と設立の年を指定され、それはレズワン・メッセージで全世界に発表される。既に全精会が設立されているところでは全国年次大会で選出される。
950-3
Functions and Responsibilities of National Spiritual Assembly 全国精神行政会の任務と責任
950参照
アブドル・バハの遺訓にあるように、全国精神行政会は将来は万国正義院に次ぐ第二位正義院に発展する。
953 quorum
コーラム 議決必要定数
地方、及び全国精神行政会などで物事を決めたり、会議を成立させるためには5票以上の賛成が必要。
960 Universal House of Justice 万国正義院
960-1 Mission and Function of Universal House of
Justice 万国正義院の地位と使命と職務
バハイ行政秩序の最高機関。
万国正義院に課せられている権限や任務 : 神聖なる原典の保管とその不可侵性の保守。原典の類別・分類・整合。神の大業の保護。信教を抑圧や迫害の束縛から開放する。信教の利益を促進する。教えの宣布と布教および普及。その行政組織の拡大・強化。バハオラの世界秩序の先導。個人と社会がバハイの性格を特徴付ける精神資質を習得するよう奨励する。世界平和を達成するため国家間のより緊密な友誼と礼譲の実現に向けて尽力する。魂の教化と啓蒙。世界の進歩と改善に貢献する要素を養成する。聖典に明示されていない法や掟を制定、および制定した法令を時勢に応じて廃棄する。不和の原因となっている問題について協議し、決議を下す。教えの不明瞭な点について解説する。個人の権利、自由、自主性を守る。人間の尊厳を保持し、国家の発展と安定に注意を払う。信教の法と原則を広め、適用する。神の法が定めた行動の清廉さを施行し、維持する。ハイファとアッカの二つの都市に定められたバハイ信教の精神的・行政的中心地を維持、発展させる。世界中のバハイ共同体に関する業務を統括する。国際敵活動を先導、組織、調整、統一する機関を設置する。信教内の個人や機関がその特権を乱用することなく、また、その権利と特典の行使を辞することがないよう保証する。献金・寄付財産、その他万国正義院に託された財産について領収、整理、管理、保護に当たる。権限内にある争いを裁定する。信教の法令に違反した事例に判決を下し、正当な処罰を宣告する。その裁定を行使するため規定を設ける。人民間に生じた争いを調停し、解決する援助をする。世界に法と秩序の統治を確立し、世界の安全を保障する唯一の要素である神の正義の解説者であり、守護者たること。
960-2 Election of Universal House of Justice 万国正義院メンバーの選挙
万国正義院は9名の成人男性からなる。メンバーは5年に一度、世界本部のハイファで開かれる世界大会において全世界の全国精神行政会メンバーの無記名投票によって選ばれる。世界大会の主な目的は、万国正義院メンバーを選出し、世界規模での信教発展について協議し、万国正義院に対する提案や勧告を提出することにある。
971 Withdrawal from Membership メンバーからの脱退 [規則]
バハオラを信じる限りバハイである。万国正義院が指摘されたように、「法を犯したことに対して罰を受けないために信教から脱退するといった策略をする信者は、行政的に除名されることになる。しかし、行政会は脱退の背後に実際にそういった隠された動機があることを確認しなければならない。」 その人が実際に不活動で、信教に対する態度から見てその人の脱退の意志が本物であると結論できるような場合、行政会はその人の脱退を認めることができる。