「戦争と平和」に関する学習資料

(注:以下の編纂書は2003年に米国バハイ外務局が出した資料から、そこにある問いと引用文を抜粋して編集したものである。日本語訳は当時発行されていたものを用いてあるか、新たに翻訳したものであるが、正式な校閲を経ていない、暫定版である)。

 

戦争に関連する質疑応答

  

1. 戦争は、既に存在している戦力がもたらすものです。もしもその破壊的な結果に終止符を打ちたいと我々が望むなら、その根本的な理由を探り、それらの悪を排除すべきでしょう。もし、世界を一つにまとめる平和をもたらしたいと望むなら、悪意、国粋主義、不信感、自信過剰や、世界に蔓延している経済的、社会的、宗教的な違いを排除しなければなりません。バハオラの教え以外に、そのような偉業を成し遂げることはできないでしょう。なぜなら、バハオラの教えは人々の心を改め、社会的環境を健康で平和的なものにするための確固とした考え方を教えてくれるからです。(From a letter written on behalf of Shoghi Effendi to an individual, 11 May 1932)

 

 

Q:戦争は必ず間違いですか?

 

2.この地域における突然の危機に対して、多くの国々が結束して救済措置を施す事になったのであるが、この戦いが、バハオラによって何世紀も前に示された闘争を終結させるための手段としての集合的安全保障機構の必要性を示したことは疑いがない。バハオラによって予見された国際平和の原則を十分に認識した国際的な協定は、実際に人類の支配者らによって採択された協定の及ぶところではなかったが、時代の神が示した国家の行動の規範にしたがうべく、まず大きく一歩前進したのである。将来の国々の再教育を予示するバハオラの言葉は真に啓蒙的である。『和合せよ、世界の国家の主権者たちよ。それによって、嵐は静まり、人民は安らぎを得るであろう。汝らの中に一人でも武器をとり敵対する者があるならば、他の国々はそれに反対せよ。それは、正義の表明以外の何ものでもない。』(万国正義院、1991年レズワン)

 

 

Q:バハイは「平和主義者」ですか?(注:この場合の意味は「無抵抗主義者」のこと)

 

3.・・・バハイ教徒は、法と秩序を維持し国民を守るための手段として政府が武力を行使する権利と義務を認識しています...バハイ教は、過ちを許し、「殺すよりは殺される」という個人に課された責任と、正義を支持するという社会に課された義務を明確に区別しています。(万国正義院、196729日)

 

4.報復のための罰には二種類あります。一つは復讐であり、もう一つは懲罰です。人には復讐する権利はありません。しかし、共同体は犯罪者を罰する権利があります。そしてこの刑罰はほかの人々が同じ犯罪を犯すことのないように警戒し、阻止する意図があります。この刑罰は人権の保護のためであり、復讐ではありません。復讐とは一つの悪を他の悪に対抗させることによって復讐者の怒りをやわらげるものです。これは許されません。人間には復讐する権利はないからです。しかし、もし犯罪者が完全に許されるとしたら、世界の秩序はひっくり返ってしまうでしょう。

ですから刑罰は共同体の安全のために基本酌に必要なものの一つです。しかし、犯罪人によって苦しめられた人には復讐する権利はありません。反対に彼は許すべきです。なぜなら、これこそ人間の世界にふさわしいことだからです。社会は圧制者、殺人者、犯罪人を罰しなければなりません。それはほかの人が同じような罪を犯さないように警告し、抑制するためです。しかし、最も必要なことは、犯罪を犯さないように人々を教育することです。多くの人々に犯罪を犯すことを避け、しりごみするように教育する、また、犯罪それ自身が彼らにとって最大の懲罰であり、最高の非難に価し、最高の苦しみであると思われるほどに十分に教育することは可能だからです。そうなれば、懲罰を必要とする罪を犯すことはなくなるでしょう。...もう一つ言い残していることがあります。共同体は日夜、刑罰の法律を作成することや、刑罰の道具や方法を準備し組織することに専念しているということです。獄舎を建て、鎖や足かせを作り、追放、流刑の場所を手配し、さまざまな苦役、拷問を用意し、これらの手段によって罪人を罰することを考えています。ところが実際は道徳の破壊と人格の荒廃をもたらしているのです。共同体はこれとは反対に人問の教育の完成、人々が日毎に進歩し、科学や知識を増大させ、徳を高め、悪徳をさけて立派な徳を身につけさせるようにし、そうして犯罪が起こらないように最大限の熱意をもって日夜努力すべきです。現在はその反対のことが行き渡っています。共同体はいつも刑罪の法律を強化することを考え、懲罰の手段、死刑や懲罰の道具、投獄や追放の場所を用意することを考え、犯罪の起こることを期待しています。これは堕落させるもとです。

反対に、もし共同体が大衆を教育することに努力するならば、知識や学問は日に日に増大し、理解力は拡がり、感受性は発達し、風俗習慣は改良され、道徳は正常になるでしょう。ひとことで言えば、いろいろな美徳は進歩し、犯罪は少なくなるでしょう。

犯罪は非文明人より、文明人の方が少ないことが確かめられてきました。つまり、真の文明を獲得した人々の間では、ということです。その文明は神の文明であり、あらゆる精神的、物質的美徳を兼ね備える人々の文明です。無知が犯罪の原因なのですから、知識や学問が増加すればするほど犯罪は少なくなります。アフリカの野蛮人の間では、どんなに多くの殺人がなされているか考えてごらんなさい。彼らはお互いの肉と血を食べるために殺し合うことさえします。ではなぜ、そうした野蛮な行為はスイスでは起こらないのでしょうか。その理由は明らかです。教育と美徳がそうした行為を防止しているのです。

ですから、共同体は、犯罪を厳しく罰することよりも防止することを考えなくてはなりません。

 (アブドル・バハ:「質疑応答集」、77章)

 

Q:バハイは武装解除を信じますか

 

5.武装解除についての質問ですが、全ての国家が同時に軍事力を放棄しなければなりません。ある国家は武装解除し、その他の国家やその近隣諸国が軍事力を維持しているのでは意味がなく、そのようなことは提案しません。世界の平和は国際的な合意によりもたらされるべきです。全ての国家が、同時に軍事力を放棄しなければなりません。近隣諸国が戦争の状態にある中で、一国だけが平和を維持することは不可能ですし、それは、公平ではありません。世界平和がそのような手順を踏むことによってもたらされるかもしれないと考えるような夢想家はいないでしょう。もっと広範囲にわたる包括的な国際的合意によってのみ世界平和はもたらされるのであり、その他には方法はないのです。(「アブドル・バハのカナダでの講和集」、邦訳なし'Abdu'l-Bahá in Canada34-35 ページ)

 

 

6.今日、核軍縮は政治的問題になっており、アメリカだけでなくイギリスや他の西欧諸国においても反対のデモが起こっています。核軍縮だけを取り上げることはバハイの立場から見ると十分でなく、その結果としてバハイ信教が国家間の現在の論争に巻き込まれることにもなりかねません。バハイ信徒が、核兵器に限らず、生物・化学兵器など全ての形態を含む軍事力放棄の必要性を信じているということは明白です。(1983112日付けの、万国正義院からの手紙)

 

 

Q:集団安全保障とは何ですか?

 

7.広範囲で、全てを包含する人々の集合の避けられない必要性が普遍的に理解される日が来るであろう。地球の全ての為政者と王がその問題に注意を払い、審議に参加し、世界の偉大な平和を人類にもたらすための基礎を築く方法や手段を検討しなければならない・・・もしも武力を以って他国を攻撃する王があれば、全ての国家が団結して立ち上がりそれを防ぐべきである。」(バハオラ、Gleanings from the Writings of Bahá'u'lláh, p.249) 

 

8.彼ら(主権者)は健全・不可侵で明確な条項をもつ、拘束力のある条約を締結し誓約を定めなければなりません。そして、その条約を全ての世界に布告し、全ての人類から認可を受けなければなりません。このような最も高尚な事業は、世界の平和とより良い生活をもたらす真の源であり、地球上に生きる全てによって神聖なものとみなされるべきです。人類は最も偉大な誓約が、安定し永続するよう最大の努力を尽くさなければなりません。全てを包含する条約の下、全ての国家の境界や辺境がはっきりと定められ、国際関係の基礎となる原則が明確に定義され、国際的な合意と責任が確立されるでしょう。同様に、それぞれの政府の軍備力も厳しく制限されるでしょう。というのは、もし戦争のための軍備・軍事力増強が容認されたなら、他国の不信感をあおることになるからです。このような正式な条約の基本的原則が確定されることにより、後に違反する政府が一つでもあれば、地球上の全ての政府が立ち上がり、その国が条約に従うよう仕向けることができるでしょう。むしろ、人類全体が所持している全ての力を尽くしてそのような政府を破壊することを決意することができるでしょう。 ('Abdu'l-Bahá, The Secret of Divine Civilization, pp.64-65) 

 

9.これらの問題で強調すべきことが二つあります。第一に、戦争の廃止は、単に条約や議定書に調印するだけでは得られないということです。それは、複雑な作業であり、慣習的に平和の追求に関連して考えられていない問題を解決していくための意識改革が必要です。政治的合意だけを重視していては、集団安全保障の考えは幻想にすぎません。もう一つは、平和に関する問題を扱うにあたっての主な課題は、その議論の場を純粋な実用主義とは異なる、原則のレベルに高めることにあるということです。本質的に、平和とは精神的、道徳的態度に支えられた心の状態を指すのであり、このような態度を喚起することにこそ永続的な解決策の可能性が見出せるのです。」(万国正義院は「世界平和の確証」Universal House of Justice, The Promise of World Peace, 1985, p.27)

 

 

 Q: 集団安全保障の原則の視点から、現在世界で起きている出来事をどう見るべきですか?

 

10.・・・一見して分かるように、集団安全保障の適応はまだ成熟の過程にあり、その効力は構想の一致と国家間の協力を通して達成される目的意識の団結から派生します。集団安全保障機構を適用する方法は場合によって異なり、それが国際的な方針として確立されるまでには、様々な難問がもたらす試行錯誤に時間がかかるのは必至です。地球全体の人類の営みに秩序をもたらすための重大な進展には、成功と失敗の繰り返しが続くであろう事は避けられません。ゆえに、バハイがこの原則を採用しようとする初期段階の要素だけを見てその価値を判断する事は不可能であり、賢明ではありません。しかし、集団安全保障機構を実現させるために行われている努力を見て、バハオラの予言が一歩一歩確実に現実化されてきていることに勇気付けられることができます。(万国正義院、From a letter written on behalf of the Universal House of Justice to an individual, 26 February 2003) 

 

 

Q: バハイは、政府の指導者たちを批判するべきですか?

 

11.真に唯一の神は、王たちに世界を統治する責任を与えたまう。権威を持つ者たちの考えに反目する態度をとる権利は誰にもない。この世と、その俗に関する出来事にかかわる事や、その指導者のように振舞う者たちの活動に干渉する事を自制せよ。(バハオラ、Bahá'u'lláh, Gleanings from the Writings of Bahá'u'lláh, p.241) 

 

12.バハオラのもたらした世界秩序に忠誠であるために、またその基本的機構の安全を保障するために、個人であれ集団であれ、言葉においても行動においても、非公式にも公式の発言や刊行物においても、政府を非難したり、繰り返される政治的危機の一方の味方をしたりするべきではありません。そのような行動は社会を激しく揺るがし、ひいては社会を巻き込む危険があります。」(ショーギ・エフェンデイ、Shoghi Effendi, Directives from the Guardian, p.56) 

  

13.守護者は...友人たちに注意を促す事を望んでおられます。それは、公的な場で政治家の名前を挙げて、その政治家をほめたり又はけなしたりする事に注意を払うべきだという点についてです。この事実を先ず覚えておかなければなりません。そうでなければ、友人たちは政治的問題に巻き込まれる事にもなりかねません。それは、信教にとって大変危険な事であります。(守護者の代理、From a letter written on behalf of the Guardian to the NSA of the United States and Canada, 12 January 1933) 

 

14.また、[バハオラは]もう一つの書簡で彼の信徒に『居住する国家の政府に対して、忠誠心と誠実さと正直さを以って振舞う』義務を課されました。アブドゥル・バハも、この原則を再び主張しておられます。アメリカ滞在中、アブドゥル・バハはこう説明なさいました――『バハイの精神の本質は、よりよい経済、社会的状態を設立するためには、政府の定める法律と政府の主義に対する忠誠がなければなりません。』そして、ある書簡の中で、「『祝福された完全』がお与えになった反駁できない命令」についてこう言及しておられます――「信者は最大の誠実さと忠誠心を以って国王に従わなければならず、神は政治的問題に干渉することを禁じたもうた。神は政治的事柄について信者が論議することすら禁じたもうた」と。(万国正義院、From a letter of the Universal House of Justice to an individual, 8 December 1967) 

 

15.バハイ共同体が政府と関係する必要性について ・・・ 政府の活動に干渉しないという方針を考えた上で、何がバハイとして正当な活動であろうかという問いの正しい解釈を、個人が理解することは難しいでしょう・・・そのような関係を取り扱うにあたっての決定は、個人ではなく信教が承認した機構によりなされることは重要です。このような事情では、特にバハイ共同体が精神的にも実用的にも取り組んでいかなければならない人類の問題の複雑さを考えれば、個人の判断では不十分であり・・・バハイ信徒はこの新しい状況--選出された機構が持つ、政府との関係に影響する疑問について決定するという大権に黙従し、バハオラの、神の共同体をお守りくださるという疑いのない約束への確信を示す事--を認識することを学ばなければなりません。(万国正義院の代理、From a letter written on behalf of the Universal House of Justice to an individual, 23 June 1987) 

 

16. 一国のバハイのおろかな行動や声明文が、結果としてその国、又は他の国での信教の重大な挫折を引き起こしたり、他の信者の死をも招く事にもなりかねない。(万国正義院、from a letter of the Universal House of Justice to an individual, 8 December 1967) 

 

17.バハイはデモに参加する事に細心の注意を払うべきであるという精神行政会の考えは、正しいと思われます。行進やデモが合法的で、非暴力的で、政治的に分断する性質のものでなければ、バハイが個人として行進やデモに参加してはならないという決まりはありません。しかし、各個人はバハイの主義に従い、そのような活動に参加する事の示唆する意味についてよく考えてほしいと望みます。あなた方が手紙の中で述べた例について考えると、大原則は、バハイ信教は国家間の紛争で一方だけに肩入れしないということで、軍事行動行使に賛成、又は反対の行進やデモに参加する事は、片側に肩入れするという事を前提としています。(万国正義院、200313日)

 

 

 Q:署名運動への参加や政府指導者への手紙はどうですか?

 

18.バハイは、政治的な性格を持つ、政府に圧力をかけるための署名運動に参加する事も控えるべきでしょう。そのような先進的な活動を行う事ができる人は他にもたくさんいますが、バハオラの大業を成し遂げる事ができるのは、バハイだけなのですから。(守護者は、1946年の319日、The Unfolding Destiny of the British Bahá'í Community, p.444) 

 

 

Q:我々は何をできるでしょう?

 

 19.(小平和は)「最初は様々な国家の政府の決定によりもたらされる政治的合意であり、バハイ共同体の直接の活動によって確立されるものではありません。」(ショーギ・エフェンディ)

 

20.人類の幸福と平和と安全は、人類の和合が確固として確立されなければ達成不可能である(バハオラ、Gleanings from the Writings of Bahá'u'lláh, p.286) 

 

21.事実、信教の原理を促進することによって、それは、平和の維持に欠かせないものであり、そして、バハイの行政秩序の手段を形成することによって、それは守護者から社会の未来の模範であると教えられましたが、バハイは常に永久の平和への基礎作りをしているといえるでしょう。大平和は、その過程の究極的な目標なのです。(万国正義院の代理、From a letter written on behalf of the Universal House of Justice to an individual, 31 January 1985) 

 

22.バハイの目的は見解の違いから生じる争いを調停し、不和を癒し、人々に寛容さと相互尊重の気持ちをもたらすことであり、私たちが他人の浅はかな情熱に流されてしまっては、この目的の意義を失わせることにもなりかねません。これは、私たちがバハイ共同体以外の活動に協力してはならないという意味ではありません。有益で建設的な活動や提携と、不和を生じるようなものを見分けるためのよい判断力が必要だということです。(万国正義院の代理、From a letter written on behalf of the Universal House of Justice to an individual, 12 January 2003) 

 

23.私たちの信教の基本的な目的は和合と平和の設立です。この目標は、次第に不安定さを増している世界の人々の望んでいる目標であり、それはバハオラの教えを通してのみ達成できます。バハオラの教えを人類に分け与えることができるのはバハイ信徒だけですから、信徒の皆さんは時間と労力をどのように使うかを注意深く考慮し、バハオラのメッセージを分かち合うという最も大切な責任から気をそらされるような活動を支持することは警戒しなければなりません。(万国正義院の代理、From a letter written on behalf of the Universal House of Justice to an individual, 4 July 1982) 

 

24.(インステイチュート)トレーニングへの計画的な取り組みにより、バハイが地域社会と協力したり、バハオラのメッセージを友人、家族、、近所の人、会社の同僚などと分かち合ったり、バハオラの教えの豊かを彼らに示すしたりできるようになってきたのだということは・・・明らかです。このように、地域社会との協力に目を向けることは、草の根レベルでの努力のもっともすばらしい成果なのです。(万国正義院、From a letter of the Universal House of Justice, 17 January 2003) 

 

25.国際的状況が悪化するにつれ、そして人類の運命が更に衰退するにつれて、計画の動力は加速されなければなりません。そして、その計画の遂行の責任をもつ共同体の一致した努力は更に高いレベルの献身と英雄的行為に高められなければなりません。今日の社会の骨組みが不吉な事件や惨禍による不安と緊張によってうねり、ひび割れるにつれて、国家と国家を、階級と階級を、人種と人種を、信条と信条を隔てている分割を際立たせている不一致が増すにつれて、計画の遂行(すいこう)者は精神的生活と行政的活動を更に融合させ、集合的な事業を遂行するための一致団結した努力、相互協力と調和した発展のためのより高い水準を示さなければなりません。(ショーギ・エフェンデイ、Shoghi Effendi, Citadel of Faith, p.43) 

 

 

結論

 

無関心なのではなく,派閥政治との方法論の違い

 

26. バハイはしばしば,同胞の『現実的な問題』に無関心であるという非難を受けます。しかし,このような批判をする人々こそ,通常,物質的利益を唯一の『真の』利益とする理想主義的な唯物主義者であります。私たちは,物質世界での活動は精神的状態の反映に他ならず,精神的状態が変えられない限り,物質的な事柄における永続的な変化はありえないことを知っています。このことを忘れないようにしましょう。

 大抵の人々は,自分が築き上げたいと望む世界は何かということや,それをどうやって築き上げるかについてはっきりとした考えを持ってもいないということも,私たちは,心に留めておくべきです。したがって,現状を改善することに関わっている人々でさえ,表面化した悪と戦うことで精一杯なのです。現状としての悪にせよ,邪悪な人として悪にせよ,その悪と進んで戦うかどうか,大抵の人々にとっては,道徳的な価値としてその人を評価する基準となってしまったのです。これに反してバハイは,自らが目指す目標と,そしてその目標を着実に達成するために何をせねばならないかを知ってします。バハイの全勢力は,善を築き上げることに注がれています。そしてその善とは,非常に積極的な力があるために,本質的には否定的な悪の軍勢も、その善に直面すると,消え去り、なくなってしまうほどです。ドン・キホーテ流に現実離れしたやり方で世界に存在する悪をひとつひとつ粉砕(ふんさい)していくことは,バハイにとっては時間と努力の無駄です。バハイの人生は,バハオラのメッセージを広め,同胞なる人々の精神的生活を復活させ,神によって創られた世界秩序において彼らを和合させることに向けられています。そして、その秩序が勢力と影響力を増すにつれ,そのメッセージの力により、人間社会全体が変革され,問題が徐々に解決され,人類を長い間悩ませてきた不正行為が取り除かれていくのを見ることでしょう。(万国正義院の代理から個人の信者にあてられた手紙より,7/7/76Lights of Guidancep.333

 

27. あなたは、バハイが黙っていることは、混乱状態と人類の屈辱的な状態が続くのを野放しにするのではないのかと聞いておられます。また、バハイが政治を避けることは,世界にいる自由の戦士たちの活動を弱めることにしかならないとおっしゃいます。私たちは,社会の現状を見つめる時,病に襲われ,苦悩の重荷のためにうめいている世界を見ます。この苦悩については,バハオラ自身次のように証言なさいました。つまり,人類の『身体』は『完全かつ完璧に創られていた』が,『様々な原因により、深刻な病(やまい)により苦しんでおり,また、その病は,世俗的の欲望に拍車をかけ,重大な過ちを犯してしまった無能な医者たちの治療を受けるにつれ,さらに悪化してしまった』のです。バハオラはこの文章でこう結論を出しておられます――『特効薬』は『有能で,全能にして霊感を与えられた医者』に頼り,従うことであり,『これこそまことに真実であり,それ以外は全て誤りに他ならない』。

...神の摂理が働き,この時代の人類への神の目的を達成させようとしていることは明らかになります。ショーギ・エフェンディは次のように私たちに確証なさいます。

 

神の目的とは,長い間分裂し、苦しんできた人類のための偉大なる黄金時代をもたらすことに他ならないのです。それがもたらされる方法は、神のみが知りうるところで、また、その意味全体については神のみが知りうるのです。人類の現状,そしてその近い将来でさえも、悲惨なほどに暗いものです。しかしその遠い将来は,明るい、非常に明るい。それは非常に明るく、いかなる人の目にも描くことができないほどです。

 

この時代の苦悩と混乱は,生みの苦しみにもがくこの時代の苦悩と困難――このような混乱状態を背景として,次のことについてじっくりと考えてみることは、もっともなことでしょう。つまり、われらが信教の『創始者』[1]80年も前に発した不吉な予言と、彼の教えの誤ることなき『解釈者』[2]が発した悲惨な予測について考えてみることです。それらは、みな、人類史上例を見ない規模と度合いの世界的な騒乱を予告していました。(ショーギ・エフェンディ:1975年,レズワン)

 

神の大計画は,神のみが知りうる方法で神秘的に進行しますが,小計画は、明確に説明されています。小計画は、人類の救済のための神の壮大な計画において私達が遂行するためにお与えになったものです。私たちが全精力を注ぐべきなのは、この小計画の仕事です。私たちを除いて,誰もその仕事をする人がいないからです。(万国正義院の手紙からの抜粋)

 

(万国正義院の代理から個人の信者にあてられた手紙より,7/7/76Lights of Guidancep.332

 

 

28. そのような態度[政治に参加しないこと]は,自国の発展や利益に無関心であるのでは断じてないということ,また,確立され認められた政府に従わないという意味ではないことは,間違いなく明白にされるべきです。またそれは,自国の政府と国民の最高の利益を、最も効果的な方法で促進するという神聖な義務を拒否することでもありません。それは,非利己的に、質素に、また愛国的心を持って,自分の属する国の最高の利益に仕えるという、バハオラの真の忠実な信奉者全てが抱いている望み、バハイ信教の教えの誠実さと正直という高い水準からそれることのないように奉仕するという望みでもあります。(ショーギ・エフェンディから米国とカナダのバハイへあてられた手紙より,3/21/32The World Order of Bahá’u’lláhp.65

 

29. 何百万人という非常に多くの人々を今日苦しめている危険や惨事に積極的に対処したいというあなたの望みは,自然で高遠なる衝動ですが,バハイの仕事の価値は,人類へ捧げる他のいかなる奉仕とも比較にならない,と彼は感じておられます。

バハイが自らの仕事を正しく評価することができるなら,他の救助活動は、せいぜい短期間、人々の苦しみや病を和らげるだけで,表面的なものであるのに対し,自分たちがしている仕事は,神の言葉に基づ、神がこの時代に定められた法律に応じて動く新しい精神的な『秩序』の基盤を世界に築くことであるがわかるでしょう。この仕事ができるのは、バハオラのメッセージの意味を十分に理解した人だけです。それに対し、勇敢で誠実な人ならほとんど誰でも、救助活動やそれに似た仕事をすることができます。

バハイの信者たちは,人類のための避難所を築いています。これが,彼らの最高にして神聖な仕事です。彼らは,できる限りの時間をこの仕事に捧げるべきなのです。(ショーギ・エフェンディの代理から個人の信者へあてられた手紙より:Lights of Guidancep.316

 

 

 



[1] バハオラ

[2] アブドル・バハ