和合への道

バハイの生き方

 

万国正義院編纂

 

 

目 次

 

バハイとしての行動

和合への道

自我と不和の原因

困難、苦しみ、試練

バハイの愛と対人関係

奉仕、献身、自己犠牲

その他の質疑に対する応答

愛と性に関する問題

 

バハイの生き方

 

 序

 

バハイであることは、実際上のみならず、その名をになう者としても、各個人にたゆまぬ努力を要求します。つまり、バハイ書の研究においても、「バハオラが宣言された永遠の原則の光輝」を毎日の生活に反映することにおいても、日々の努力が必要なのです。

万国正議院は、19649月付の手紙の中で、世界のバハイに「万人の参加」を呼びかけ、「誰でも祈り、自らの精神的葛藤を戦い、基金に献金できます。もしすべてのバハイがこれらの聖なる義務を実行するならば、バハイ信教全体にもたらされる力の増大に驚嘆するでありましょう」と述べました。

万国正義院は、敬愛する守護者の書簡や著書から抜粋した引用文を編さんしたものを、19721124日付の手紙に同封して、全世界の全国精神行政会に送付しましたが、その手紙の中で次のように強調しています。「私たちの書(バハイ書)に含まれている道徳的、精神的勧告は、広範囲に広められ、正しく理解されなければなりません。」そしてショーギ・エフェンディの言葉を引用しています。

「人類は苦しみと動乱を通して、その運命に向かってすみやかに進んでいます。もし私たちが怠るならば、もし私たちが自分の役割を果しそこなうならば、間違いなく私たちの代りに他の人たちが呼び出され、この苦悩する世界が緊急に必要としていることを管理行政する者となるでありましょう。」

「人数の力によっても、新しい高貴な原則を単に並び立てることによっても、組織的な布教運動それがどれほど世界的で入念に考案された性格を持つものであってもによっても、私たちの確固とした信念、または高揚された熱意によってさえも、最終的にはアバハ啓示(バハオラの啓示)の崇高な主張を、批判的で懐疑的な世代の眼に証明することはできません。ただ一つだけが、この聖なる大業に確実な勝利を保証するでありましょう。すなわち、それはバハオラが宣言された永遠の原則の光輝が、私たちの内的生活と個人の性格のさまざまな面に反映されることであります。」

万国正義院はこの編さん集を、「バハイの生き方」という小冊子の補遺として出版し、各全国精神行政会が自国の共同体内で用いるようにすすめました。

日本においてもこの度日本語の翻訳が完成し国内のバハイの方々に利用していただけるようになりました。

皆様の日々の生活がこの小冊子でより豊かに、より有意義に、輝かしいものにならんことを望んでやみません。

 

日本バハイ全国精神行政会

 

バハイとしての行動

 

「いくど敬愛する師(アブドル・バハ)は次のように云われたことでありましょう。『各々のバハイが献身と無私と忠実さと忍耐力をもって教えの一つだけでも、その高潔さとそれが暗示するものを、身をもって毎日の行動と仕事で実行すれば、この世界は別世界となり、地上はアバハ楽園の光輝で反映されるであろう。慈悲深き者(神)から愛される者たちが、個人として、団体として、栄光のペンから流れ出した忠告や勧告にしたがって振る舞うならば、どれほどすばらしい変化がもたらされるかを考慮せよ。』」

1923112日、ショーギ・エフェンディからペルシャのバハイに宛られた手紙より P.7

 

「神の友ら(バハイ)は、聖なる書簡と書物、および『遺訓』(アブドル・バハの遺訓)の中で高潔、善意、寛容、清浄、神以外のすべてからの超越、この世に属するすべてのものからの断絶を示し、天国の属性と特性を身をもって示すように、どれほど強く勧告されているかを考慮しなければなりません。最も大事なことは、あらゆる手段を用いて自分の心と動機を清めることです。そうしなければ、どんな事業に従事しても無駄でありましょう。また偽善と盲目的模倣を絶つことも重要であります。というのはそれから出てくる悪臭は理解力と英知をそなえたすべての人によってすみやかに見破られるからであります。さらにバハイは、神の追憶、冥想、献身、そして祈りに一定の時間をささげなければなりません。というのは神の贈与と確証がなければどんな事業も繁栄し、発展する見込みはほとんどなく、いやむしろ不可能であるからです。真の愛、正直、純粋な動機が人々の魂に与える影響の大きさは、想像以上のものであります。しかしこれらの特質は、バハイの一人一人が毎日努力しなければ身につけることはできません

神の友らは、主に高貴な行動と性格を通して、その次に説明と証拠によって、神が約束されたことは必ず起こるであろうこと、それはすでに起こりかけていること、神の吉報は明白明瞭で完璧であるという事実を、世界の人々に表明すべきであります。事実、著名な人たちが奉仕の場に足を踏み入れ、人々の集りでけんらんと輝かなければ、世界の啓蒙された人々の眼前で、この大業の心理を立証する仕事は非常に困難なものでありましょう。しかしながら、バハイが立派な性格と美徳を身をもってあらわすようになれば、言葉も議論も必要ではなくなるでありましょう。バハイの行動そのものが勇敢な証言となり、その高貴な行動は神の大業の保護、高潔、栄光を確保するからであります。」

 19231219日、ショーギ・エフェンディから東洋のバハイに宛られた手紙より P.7~ P.8

 

「神から選ばれた人たちは自分たちが住んでいる社会の恵まれない状態や、まわりの人たちが見せている道徳の堕落と軽薄な行動を見るべきではありません。(また)単に自分たちが比較的に立派ですぐれているということだけに満足してはなりません。むしろ栄光のペンの忠告と勧告を最高の目標とし、より崇高な高みに目を向けるべきであります。そうすれば自分たちが通らなければならない段階がいかに数多いか、望みの目標天国の倫理と美徳を体現する目標がいかにはるか遠くにあるかを容易に認め得るでありましょう。」

 19241030日、ショーギ・エフェンディからテヘラン地方精神行政会に宛られた手紙より P.8~ P.9

 

「私たちの敬愛する大業に対する愛と献身を、人類の最高の利益になるような行為と行動に移すのが、私たちの義務でもあり、特権でもあります。」

 19241120日、ショーギ・エフェンディから個人に宛られた手紙より P.9

 

「現在は実際バハイの英雄的行為が必要な時です。彼らが示すべき特性は、自己犠牲、勇気、不屈の希望と自信であります。なぜならこれらの特性こそが一般大衆の注目を引かずにはおれないものだからです。そしてこれほどの絶望的に混乱し、困惑している世界で、これらの人々(バハイ)がこれほど確信を持ち、これほど自信を持ち、これほど献身的に満ちている理由を問わずにはおれないからです。時が経つにつれて、バハイの特質は、同胞市民の注目をますますとらえるものとなりましょう。バハイは人類の心を引き裂いている憎悪と責め合いから超然としていなければなりません。そして行動とことばで、将来の全人類の未来の平和な統合に対する深い信念を表示しなければなりません。」

 19411026日、ショーギ・エフェンディの代理から個人に宛られた手紙より P.17

 

「私たちは皆同じように奉仕することはできません。しかしどのバハイにとっても信教を広げることのできる方法の一つは模範生活によってであります。模範生活はことばよりもはるかに深く人々の心を動かします。

他の人々に示す愛、もてなし、理解、他人に対する心からの援助、これらは信教の最上の広告であります。私たちの生活にこれらの特質を見る時、人々はそれ(信教)について聞きたいと思うでありましょう。」

 19431014日、ショーギ・エフェンディの代理から個人に宛られた手紙より P.19

 

「彼はあなたがたがバハイの確信と同様にバハイの性格も発達されるようにと望んでいられます。バハオラの全目的は私たちが新しい種類の人間、つまり高潔で、親切で、知性があり、誠実で正直な人間になり、人類の発展におけるこの新しい時代のために下された神の偉大な法律に従って生きる人間になることであります。自分をバハイと呼ぶことだけでは十分でありません。私たちの内奥の存在がバハイの生き方を実践することにより高貴にされ、啓蒙されなければならないのです。」

 1944825日、ショーギ・エフェンディの代理から米国ローへレン学校、青少年クラスに宛られた手紙より P.21

 

「実際、もしバハイが百パーセントのバハイになることを求め、努力するならば、他の人に与える影響がどれほど増し、そして大業の拡大がどれほど早くなるかを見るでありましょう。世界の人々は、妥協ではなく、高貴で、輝く理想の具体化を求めています。バハイが生活のあらゆる面で、つまり家庭、職場、社会関係で、教えに従って生活すればするほど、他の人々の心に及ぼす影響も増していくでありましょう。

守護者は、あなたが確信とあらゆる人に対する善意をもって、自然に黒人たちと交わり、彼らに布教してこられたことを知って喜んでおられます。当然のことながら、バハイがバハイの教えに従って生活する時、反対する人が出てくるかも知れません。しかし、それは公平なる心を持った人々の賞賛をそれ以上に強く呼び起こすでありましょう。」

 1945123日、ショーギ・エフェンディの代理から個人に宛られた手紙より P.22

 

「実際、世界がますます暗くなって行くのを見る時、私たちはバハオラのメッセージが人々の心に達し、人間を変えなければ、将来平和も精神的進歩もないことを十分に認識できるのです。

彼が常にいだいておられる望みは、バハイが個人生活においても、バハイ共同体生活の中でも、他の人々の注目を大業に引きつけるように行動することです。世界の人々は、高貴な原則や理想を渇望しているだけでなく、なかんずく、輝く模範に飢えています。それはバハイが与えることが可能であり、またそうしなければならないものです。」

 1945222日、ショーギ・エフェンディの代理から個人に宛られた手紙より P.22~ P.23

 

「教えを実行しなければ信教の成長を期待できるはずはない、というあなたの意見に彼は心から同意されています。なぜならすべての宗教私たちのも含めての基本的目的は人間を神に近づけ、性格を変えることであり、これは一番重要なことであります。しばしば社会的、経済的な面があまりにも強調されすぎるようですが、道徳面はどれほど強調してもしすぎることはありあません。」

 194696日、ショーギ・エフェンディの代理から個人に宛られた手紙よりP.25

 

「彼はあなたが『バハイ性格』について研究会を開かれたことをとても喜ばれました。というのは、彼はあなたと同世代のバハイの最大の義務は、バハイの生き方を実践することであると考えられるからです。あなたが示す高い道徳水準、礼儀、高潔さと高貴さによって私たちの信教はことばだけのものではなく、真に信奉者たちの心と行動を変え得ることを示さなければならないのです。」

1946919日、ショーギ・エフェンディの代理から米国、ローへレン・スクールの青少年クラスに宛られた手紙より P.25

 

「特に青年は、バハイの生き方を実践するように常に固い決心をもって努力しなければならない、と彼は感じておられます。私たちのまわりの世界では、道徳の堕落、男女の乱交、卑猥行為、野卑、無作法が見られます。若いバハイはこれらと正反対でなければなりません。そして彼らの純潔、高潔さ、礼儀正しさ、思いやりと立派な行為によって他の人々を、老いも若きも信教に引きつけなければなりません。世間の人々はことばにあきあきしています。彼らは模範を望んでおり、それを提供(できるかどうかは)バハイの青年にかかっているのです。」

 1946919日、ショーギ・エフェンディの代理からグリーン・エーカー・サマー・スクールの青年に宛られた手紙より P.25~ P.26

 

「バハイは、ある意味では攻撃を受けている兵士のようであることを常に心に留めていなければなりません。世界は現在、精神的に非常に暗い状態にありあます。憎悪とあらゆる種類の偏見が文字通り世界を引き裂いています。一方、私たちは、反対の諸力、すなわち愛と和合と平和と統合の諸力の管理人であり、常に個人としても精神行政会または共同体としても警戒していなければなりません。これらの破壊的で、否定的な諸力が私たちを通して、私たちの間に入り込まないようにであります。言いかえれば、社会の暗闇が、恐らく全く無意識に私たちの行動や態度に反映せぬよう注意していなければならないのです。相互間の愛と、新しい有機体であり、新しい世界秩序の夜明けを告げる人々である、という強い意識は絶えずバハイの生活を活気づけなければなりません。そして偏見で極度におかされた社会の汚染から保護されるよう祈らなければなりません。」

 19472月5日、ショーギ・エフェンディの代理から米国アトランタ市地方精神行政会に宛られた手紙より P.26 

 

「〇〇での大業は、非常にすみやかに成長しており、それが広がるにつれて、一般大衆の注目もそれだけ大業に向けられてくるでありましょう。このことはバハイに重大な責任を課します。バハイが他の人々の心を引きつけ、その人たちが数多く信教に入るのを力づけるために、自分たちの間で愛と和合の精神を示し合わなければならないからです。私たちは、教えは完全であること、そしてもっと多くの同朋が教えを信奉していない唯一の理由は、私たちの世界中のバハイが、無私でも、バハオラの真理の輝く鏡でもないからであることをいつも忘れないようにしなければなりません。私たちは絶えずバハオラの教えをより良く実生活で示すように努力しなければなりません。」

 1947217日、ショーギ・エフェンディの代理から個人に宛られた手紙より P.26~ P.27      

 

「守護者は、同僚医師と薬剤師から手数料を受けとるという腐敗行為に対するあなたの態度は、非常に称賛すべきものと感じていられます。バハイの行動がより高潔で高貴であればあるほど、(バハイ)自身が信じている信教の精神的な生命力で一般市民をより一層感動させるでありましょう。」

 19531020日、ショーギ・エフェンディの代理から個人に宛られた手紙より P.34

 

「各個人は自ら(の仕事)性格を評価し、自分の良心と相談し、そのすべての面を、祈りをもって考慮せねばなりません。また立ち上がろうとする努力にのしかからんとする生来の惰性に対して雄々しく闘い、自分を引きとめようとする取るに足らない表面的な愛着を思い切ってきっぱりすて、自分の道を妨げるかも知れないすべての考えを取り除き、信教の著者の忠告にしたがい、真の模範者である人(アブドル・バハ) を見習って、あらゆる階級の男女と交わり、立派な考え、ことば、行為を通して彼らの心に触れ、思いやりをもってやさしく、祈りをこめて忍耐強く、自らが支持する信教に彼らの心を勝ち取らなければなりません。   

1956719日、ショーギ・エフェンディから米国の精政会に宛られた手紙より P.36~ P.37 

 「バハイは今日の世界の状態を顧慮して、バハオラの信者として断固とした決意と勇気を持って立ち上がらなければなりません。そしてバハオラの法にしたがって、その世界秩序建立のために努力しなければなりません。妥協していては決して私たちの信教を確立することも、他の人々の心を獲得することもできません。これには、しばしばかなりの個人的な犠牲をともないますが、正しいことをすれば、神から実行する力を与えられ、神の祝福を引きつけることを私たちは知っているのです。その時私たちは災難は実際祝福だということを学ぶのであります。」

 195757日、ショーギ・エフェンディの代理からオーストラリアの全国精政会に宛られた手紙より P.37~ P.38

和合への道

 

「大事なことはバハイの生き方を実践することです。他の人たちが、私たちの性格と仕事に、喜び、力、愛、純潔さ、輝き、能率を見おとすことはできないほど、私たちの生活は神の教えとバハイの精神で満たさなければなりません。それは私たちを世俗的な人々から区別させるものであり、他の人々をして、私たちの中にあるこの新しい生命の秘密は何であるか、と不思議に思わせるものであります。毎日、毎瞬間、神が私たちに望まれることだけ、そして神が望まれる方法で為すように、全く無私になり、神に献身しなければなりません。もし私たちが心からそうすれば、相互間に完全な和合と調和が生み出されるでありましょう。調和が欠けている所には真のバハイ精神もありません。この新しい力、この相互の愛と調和への変化を、私たちの生活で示すことができなければ、バハイの教えは、私たちにとって名目にしかすぎません。」

1925214日、ショーギ・エフェンディの代理から個人に宛られた手紙より P.9

 

「もし私たちバハイが、相互間に暖かい和合を持つことができなければ、バブ、バハオラ、と敬愛する師(アブドル・バハ)が生き、苦しまれた主な目的を実現することはできません。

この暖かい和合に達するために、バハオラとアブドル・バハが主張された最も基本要素の一つは、自分自身の欠点に目を向けるよりも、むしろ他の人の欠点や弱点に目を向けやすいという自然の傾向に抵抗することであります。私たちは各々一つの生涯にだけ責任があり、それは自分の生涯なのです。私たちの一人一人は天の御父の完全さからはかり知れないほど遠くかけ離れています。私たち自身の生活と性格を完成する仕事は、私たちのすべての注目と意志力と労力を必要とするものであります。もし他の人たちを正したり、欠点を矯正することに、注意と労力を費やされるならば、私たちは貴重な時間を浪費していることになります。私たちはめいめい一連の馬を御し、すきを動かさなければならない農夫のようであります。そしてあぜを真直にたがやすためには、その目標に目をすえ、自分のしていることに集中しなければなりません。左右に目をやり、誰それがどんな風にやっているかを気にし、他の人のたがやし方を批判するならば、自分のあぜまで間違いなく曲ってくるでありましょう。

他の人に対する非難や陰口をひかえ、一方、自分自身の欠点を発見して、それを根絶し、短所を克服することほど重要な教えは他にありません。

もし私たちがバハオラに、敬愛する師に、親愛なる守護者に忠誠を誓うならば、これらの明白な教えに従順であることによって彼らに私たちの愛を示さなければなりません。彼らが望まれていることは、ことばでなく行動なのです。そしてどれほど熱心に忠誠と追従のことばを言い表わしたとしても、教えの精神にそって生きなければ、その怠慢を償うことはできないでありましょう。」

1925512日、ショーギ・エフェンディの代理から個人に宛られた手紙より P.10

 

「バハイの集まり、特に年次大会のような重要な会合で、きわめて多くの非強調的な力が優勢である事実を、ショーギ・エフェンディはどれほどひどくなげいておられるかを、あなた方に言う必要はないでありましょう。師がバハイ間の和合と一致協同に関してしばしば繰返して述べられたことばは、今、以前にもまして注意深く、思慮深く想い起こされるべきであります。不和と争い以上に大業の精神に反するものはありません。それらは利己主義と貪欲からくる必然的な結果であります。愛着を離れた純粋な心と、自分をかえり見ない奉仕が、すべての真の信者の唯一の動機でなければなりません。そしてバハイの各々が、このような特質を実際の行動に移さなければ、これ以上の進歩を期待することはできないでありましょう。思考と行動の一致が最も必要とされているのは今です。大業が新しい発展段階に入り、徐々に崩壊しつつある文明の混乱と混沌の中で、行政機構が強化されている現在こそ、バハイは内部の不和の力に対して団結した戦線を示さなければなりません。もし内部の不和が完全に一掃されなければ、私たちの仕事は必然的に破壊されてしまうでありましょう。」

1933920日、ショーギ・エフェンディの代理から個人に宛られた手紙より P.13

 

「守護者は、大会への出席が非常に多かったこと、そして信者たちは熱心で和合していたことを聞いてとても喜ばれました。○○地方での大業が最も緊急に必要としていることの一つは、バハイ間の和合であり、彼らは同家族の人々を結ぶ肉体的なきずなよりも、神聖で永遠にわたるきずなで結び合わされている一つの精神的家族である事実を、真に深く意識しなければなりません。もしバハイが個人的な意見の相違をすべて忘れ、バハオラのために相互に心を開いてより深い愛を持つならば、自分の力が非常に増したことを見いだし、一般大衆の心を引きつけ、○○地方での聖なる信教の迅速な成長を目撃するでありましょう。全精会は信者間の和合を育成するために、最大限の努力をすべきであります。そして行政機構について彼らを教育しなければなりません。というのも行政機構は共同体の生命が流れる通路であり、それが正しく理解され、実施されるならば、大業の仕事は急激に進歩するからであります。」

19431026日、ショーギ・エフェンディの代理からインドとビルマの全精会に宛られた手紙より P.20

 

「バハイ間における強い和合の必要性に関するあなたの質問について(返事をいたします。)和合が必要であることには疑いはありません。守護者は、それを推進する主な手段の一つは、神の愛を、そしてそれからくる人間の愛を研究会やバハイの教えを通してバハイ自身が学ぶことであると感じておられます。それは私たちの宗教も含めて、あらゆる宗教の基本的な土台であります。より強い愛は、より強い和合を生み出します。なぜなら強い愛があれば、人々は相互に絶え、忍耐強くなり、許し合うことができるからです。」

194477日、ショーギ・エフェンディの代理から個人に宛られた手紙より P.21

 

「バハイが(あまりにも)情熱的な愛着を信教に持ったり、また(人間として)未熟であることから非上に多くの誤解が生じてきています。したがって私たちはお互いに非常に忍耐強く、そして慈悲深くなり、バハイ家族内に和合を確立するために努力しなければなりません。あなたが手紙の中でのべられた不和は以上に述べた理由から起こったのであり、信教に対する敵意または不誠実さからきたのではないと彼は感じておられます。

彼はあなたに共同体内により深い愛と調和を生み出すために聖なる信教を忍耐強く広めるために最大の努力をするように激励されています。」

19441017日、ショーギ・エフェンディの代理から個人に宛てられた手紙より P.21

 

「彼はあなたの手紙を受け取り、今年のグリーン・エーカー(バハイスクール)は愛と調和で満たされていたこと、そしてこの愛と調和は数多くの新しいバハイに信教に対する確信をいだかせる要因になったことを聞いて大へん喜んでおられます。信者間のこの愛は磁石であり、それは何にまして人々の心を引きつけ、新しい人を大業に引き寄せるのです。なぜなら、明らかに、バハオラの愛の精神がバハイ共同体に反映されていなければ、教えそれがどれほどすばらしくてもだけでは、世界を変えることはできないからです。」

19441027日、ショーギ・エフェンディの代理から個人に宛られた手紙より P.22

 

について、そしてあるバハイ間に存在する不和について(返事をいたします。)バハイがこの世の暗い緒力を信教内の関係に入り込ませると、信教の進歩がひどくはばまれます。バハイ間に調和、理解、愛を育成することは、信者、地精会、そして特に全精会の最大の義務であります。皆すべての個人的な不平正当化できてもそうでなくてもを大業の利益のために進んで忘れ去るべきであります。なぜなら、人々は世間において明らかに欠けている愛と和合が、共同体の生活の中で反映されているのを見るまでは大業を決して受け入れないでありましょうから。」

1945513日、ショーギ・エフェンディの代理から個人に宛られた手紙より P.23

 

「最も重要なことは、バハイ共同体内に、愛と和合を浸透させることであります。このことは、人々が現在の世界の暗い状態の中で最も熱望していることであるからです。生きた模範のともなわないことばだけでは、(現在社会に)幻滅し、皮肉になりがちな世代の人々の心に希望を吹き込むことは決してできないでありましょう。」

19451020日、ショーギ・エフェンディの代理から個人に宛られた手紙より P.23~ P.24

 

「あなたは守護者に指導を求められました。したがって彼は非常に率直に次のような意見を述べられています。

彼は、あなた方の間に現在広がっている不和は、大業の進歩に非常に害になり、ただ分裂をもたらし、新しい信者たちの興味をさますだけである、と感じておられます。

あなたたちは、個人的な不平を忘れ、信教の保護のために和合すべきであります。彼はあなたたちがすべて信教に対して誠意を持って献身し、そのために(自分を)犠牲にする用意のあることを十分知っておられます。

バハイが受ける最大の試練は恐らくお互いからくるものでありましょう。しかし、師(アブドル・バハ)のために、バハイは常にお互いの過ちを見逃し、自分が口にした粗野なことばをあやまり、許し、忘れてしまうべきです。彼は強くこの行動方針をすすめておられます。

また、あなたと○○さんは、○○での会合やフィーストへの出席をいつまでも避けているべきではありません。今あなたは○○で、熱烈な若いバハイのグループを作りあげました。ですからあなたはバハイ規律の強力な模範と、最大名の共同体に浸透することのできる、そしてそうでなければならない和合を、彼らに示さなければなりません。」

19451218日、ショーギ・エフェンディの代理から個人に宛られた手紙より P.24

 

「○○のバハイの和合のために彼が祈られることを確信して下さい。というのは、和合は最大に重要なことで、そこでの大業の発展とあらゆる布教努力の成功がそれに依存しているからです。バハイに必要なことはどこにおいてもお互いへのより大なる愛であります。そして、これはバハオラへのより大なる愛によって得られることができるのです。というのは、もし私たちがバハオラを十分に深く愛すれば、個人的な感情や意見によって、バハオラの大業への活動をさしひかえたりは決してしないからであります。信教のためにお互いに自分自身を進んで犠牲にし、師が言われたように、多くの身体を持った一つの魂とならなければなりません。」

194695日、ショーギ・エフェンディの代理から個人に宛られた手紙より P.25

 

「しかしながら、もし○○さんが、あなたが手紙で述べられているような状態ならば、たしかにその問題は間違ったやり方で対処されている、と彼は非常に強く感じておられます。これは精政会(の対処の仕方)を意味するのではなく、すべての人(の対処の仕方)を意味します。というのも、バハイの愛はどこにあるのか、(と聞きたいからです。)和合と調和が第一に考えられているでしょうか。愛と調和に達するために自分の個人的な感情と意見を進んで犠牲にする意志はどこにあるのでしょうか。精神的法則を犠牲にしても行政機構の法則が機能するなど思い込ませるのは何でありましょうか。

彼は○○地方のバハイが『過激論者』、『保守家』、『革新家』、『大業の敵』、『教えの抑圧』などの不快なことばを用いないように最大限の努力をされるように強くすすめられていられます。もし彼らはバブと殉教者たちが命をささげ、バハオラと師があれほどの苦しみを甘受した目的を一瞬でも考えるならば、お互いついて話す時、そのような定義や非難を決して口にしないでありましょう。バハイが自分たちの間で争い合うかぎり、彼らの努力は祝福されることはありません。というのは、彼らは神に背いているからであります。」

1950224日、ショーギ・エフェンディの代理から個人に宛られた手紙より P.31~ P.32

 

 

「彼は、あなたがその地方の共同体のメンバー間の和合と愛を育成するために、できる限りのことをされるように強くすすめておられます。これがそこで一番必要としていることのように思えるからです。

新しい共同体は大業の管理に対する意欲ゆえにこの精神的関係(和合)が、共同体の業務を管理しなければならない規則や法則よりも、はるかに重要で基本的なことである、という事実をしばしば見失います。」

1950104日、ショーギ・エフェンディの代理から個人に宛られた手紙より P.32~ P.33

 

「どの地方でも大業の内部で最も必要とされていることは、相互間に愛を持たなければならないことを友らに強調することであります。行政機構の機能を混同し、それを個人関係に応用しようとする傾向がありますが、それは成功しません。なぜなら精政会は正義院の初期の段階であり、(バハイの)教えにしたがって共同体の業務を管理するようになっているからであります。しかしバハイ相互は、愛と和合と寛大さと罪をかばう目で支配されなければなりません。一度バハイがこのことを把握すれば、万事順調にいくでありましょう。しかし問題は、彼らが相互に精政会の役割を自分たちで果たそうとし、精政会に個人のように振舞うことを期待していることであります。」

1950105日、ショーギ・エフェンディの代理から個人に宛られた手紙より P.33

 

「バハイ共同体の中で批判や粗暴なことばが出された時は、過去を忘れ、当事者がすべて心を改め、神と信教のために誤解と不一致の原因となった事柄を口にすることを避けるように説きふせる以外には治療法はありません。バハイが議論し合い、自分の見方が正しいと主張すればするほど状態が悪化していきます。

今日の世界状態を見れば、これらの全く無意味な内部の紛争を完全に忘れ、和合して人類の救済に駆けつけなければなりません。あなたは同胞バハイに、この見解をとり、批判的な考えと粗暴なことばをすべて抑えるために、最大限の努力をするように強くすすめるべきであります。バハオラの精神が共同体全体に流れ、彼への愛と奉仕の下で和合できるようにであります。」

1951216日、ショーギ・エフェンディの代理から個人に宛られた手紙より P.33~ P.34

 

「その地方の友ら間で不和があることを知って、彼は非常に残念に思われました。そして彼はすべてのバハイがとるべき唯一の賢明な行動は、信教の布教と全国精政会への協力に献身することであると感じておられます。

どのバハイ共同体も必ず経験しなければならないこれらの試練と苦難は、それらを受けている時は苛酷と思われることがしばしばでありますが、振り返ってみれば、それらは人間性格のもろさ、誤解、そしてすべてのバハイ共同体が経験しなければならない成長の苦しみであると理解できるのです。」

19561125日、ショーギ・エフェンディから個人に宛られた手紙より P.37

 

自我と不和の原因

 

「彼(ショーギ・エフェンディ)は、あなたの国の最高の行政機構の代表者たちが、それほど不均衡になるまで不和と誤解を放任している事実を全く深くなげかれています。特に師の逝去後、ショーギ・エフェンディはあれほど多くの通信で行政機構の原則と法規を各々明確に、そして断固として述べてこられたからです。そのような障害は直ちに、そして精力的に阻止されなければ、大業の機構にはかり知れないほどの害をおよぼし、世界における精神の流れだけでなく、その効果も妨げるかもしれません。これらすべての問題と争いの源泉を深く冷静に調べてみると、例外なく我欲と利己主義の感情から出ていることがわかります。そしてこれらの有害な感情が十分克服されないかぎり、大業の行政機構の効果的な働きと進歩は望み得ないでありましょう。」

193459日、ショーギ・エフェンディの代理からインドとビルマの全精会に宛られた手紙より P.13~ P.14

 

「あなたが手紙の中で言及された点について(返事をいたします。)自我を完全に排除するということは、完全になることを意味します。¾人間は決して完全になることはできません。¾しかし、自我は、啓蒙された人間の魂に次第に度を増して従わせて行くことができ、またそうすべきであります。精神的進歩とはこのことを意味するのです。」

19411219日、ショーギ・エフェンディの代理から個人に宛てられた手紙より P.17~ P.18

 

「あなたの質問に関して(返事を書きます。)バハイ書の中に述べられている『自己』には実際、二つの意味があります。また二つの意味に用いられています。一つは神から創られた個人の実体である『自己』であります。これが『自己を知る者は神を知る』などの句の中に表現される『自己』であります。もう一つの『自己』は『自我』であり、すべての人が生まれながらに持つ暗い、動物的な性質であり、利己主義、残忍、色欲などに駆られた怪物的な人間に発展する低級な性格なのであります。私たちの内部にある精神を強め、自由にし、その完成を助けるために苦闘しなければならない相手は、この『自我』であり、私たちの性格のこの面であります。

自己犠牲とはこの低級な性質とその欲望を、神のような高貴な面に従わせることであります。最終的に、その最高の意味において、自己犠牲とは私たちの意志と私たちのすべてを神が望まれる通り、神に与えることを意味します。そうすれば、神は、私たちの真の『自己』が輝かしい、そしてすばらしい実体となるまで純化し、それに栄光を加えられるのであります。」

19471210日、ショーギ・エフェンディの代理から個人に宛られた手紙より P.28

 

困難、苦しみ、試練

 

「しかしながら、私たちはこの世の基本的本質は困難と艱難であることを、そしてそれを克服することにより、道徳的、精神的に発達していくことを忘れてはなりません。師(アブドル・バハ)が述べられているように、悲しみはあぜのようなもので、深くたがやされればされるほど私たちが手に入れる果実は豊富であります。」

1931115日、ショーギ・エフェンディの代理から個人に宛られた手紙より P.11

 

「彼はあなたが、あなたの道を阻む多くの障害物に勇敢に直面し、それらを克服するように激励されていますが、同時に、失敗しても、そして何が降りかかろうとも、神の意志に晴れやかな心で満足し、それに全く従順でありつづけるように忠告されています。私たちの苦しみ、試練、辛労は、時折は姿を変えた幸であります。苦しみにより私たちは神に対してより深い信仰と確信を持ち、神に近づいて行くことを学ぶからであります。」

1936428日、ショーギ・エフェンディの代理から個人に宛られた手紙より P.14

 

「苦しみと窮乏は姿を変えた幸であり、それらを通して私たちの内的な精神力は刺激され、浄化され、昂揚されると、バハオラは私たちに保証されなかったでありましょうか。それ故に、あなたは物質的窮乏によって大業のための活動を妨げられるどころか、心は強力に刺激されて、より一層大業の利益に奉仕でき、それを推進できるということに自身を持たなければなりません。」

19361122日、ショーギ・エフェンディの代理から個人に宛られた手紙より P.14

 

「そのような障害(たとえば病気やその他の困難な問題)は、最初どれほど激烈で克服できないと思われても、祈りと断固とした不断の努力を通して¼効果的に克服していくことができ、またそうすべきであります。というのは、バハオラとアブドル・バハは双方共に、神から下される見えざる勝利の軍勢は、彼らの名にかけて勇敢に自信を持って努力する人たちを常に支持し、強めるであろうと繰り返し保証されたからであります。この保証によって私たちは実際、自分には価値も、奉仕する能力もないという感じと、大業のために出す努力を妨げようとおびやかす内的、または外的な限界を克服すべきなのであります。したがって立ち上がり、心を喜びと確信で満たし、私たちの愛する信教の広範囲にわたる拡大と強化に自分の力でできる限り貢献すべきであります。

あなたがどの分野での奉仕を選ばれようと、それが布教であろうと行政上の仕事であろうと、肝要なことは、忍耐することであり、自分の限界を感じて熱意をそがされてはなりません。いわんや、進んで活発に奉仕することを思いとどまったりしてはなりません。」

193926日、ショーギ・エフェンディの代理から個人に宛られた手紙より P.15

 

「試練や苦しみが大きければそれだけ、あなたの大業への愛着と献身は増すべきであります。というのは、繰り返して下される艱難と試練を通してのみ、神はしもべらを試されるのであり、したがって、しもべらはそれを仮装した祝福、そして神の意志と目的をより十分に意識する機会と見なすべきであります。」

1939223日、ショーギ・エフェンディの代理から個人に宛られた手紙より P.15~ P.16

 

「あなたは○○バハイ共同体内に広がっているよからぬ状態について不満の意を表されました。守護者はそこでの大業の状態をよく知っておられます。が、信教が直面している障害がどんな性格のものであれ、それはやがて克服されるであろうことに自信を持っておられます。あなたはいかなる情況の下でも落胆してはなりません。そしてそのような困難さをして、たとえそれが共同体のあるメンバーの非行、または能力とウィジョンの欠乏から起こってきたものであっても、自分の信仰と大業への基本的な忠誠をゆるがせてはなりません。たしかに、あるバハイが布教者として、行政者として、どれほど適任であっても、そしてその知的、精神的功績がどれほど高くても、その信者を神の権威と信教の使命を評価し、判断する基準と見なしてはなりません。バハイが指導と霊感を求めるべき源泉は、(バハイ)の教えそのものと、大業の創立者たちの生活であります。そしてそのような真の態度を厳守することによってのみ、永続的で堅固な土台の上に、バハオラに対する忠誠を確立することを望み得るのです。したがって、あなたは思い切ってゆるまぬ警戒心と休まぬ努力をもって、この聖なる世界秩序の緩慢な展開のために、自分の役割を十分果たすよう全力をつくさなければなりません。」

 1939823日、ショーギ・エフェンディの代理から個人に宛られた手紙より P.16~ P.17

 

「私たちは常に前方を見、過去に失敗したことを未来成し遂げるように努めなければなりません。失敗、試練、苦難は正しい態度で対処するならば、私たちの精神を浄化し、性格を強化する手段となり、より高い奉仕の段階にのぼることを可能にします。」

 19411214日、ショーギ・エフェンディの代理から個人に宛られた手紙より P.17

 

「最終的に生涯のすべての葛藤は個人の内部にあります。どれほどの組織の力も心の内面の問題を解決することはできません。また重大な時機に、勝利にせよ、失敗にせよ、それらを生み出すことも防ぐこともできません。こういった時、特に個人は世の中に浸透する強大な力に裂かれるのです。そして弱い人が突然奇蹟的に強くなったり、強い人が弱くなったりするのを見るのです。¾愛情ある忠告を通して私たちはただあなたの委員会がしたように、大業にとって最大の利益になる行動を、バハイ自身に起こさせるように試みることができるだけです。なぜなら、明らかに大業にとって悪いことは個人のバハイにとっても良いはずはないからです。」

 19431217日、ショーギ・エフェンディの代理から個人に宛られた手紙より P.20

 

「不幸な出来事で苦しむ時、私たちは神の予言者たち自らも、人間の苦しみと同じ苦しみからのがれることはできなかったことを思い起こすべきであります。神の予言者たちもまた悲しみも病も痛みも知っていました。彼らは精神力を通してそれらを克服して立ち上りました。私たちも同様に、苦しみに襲われた時、そうするように努力しなければなりません。この世の苦難は過ぎ去ります。そして私たちに残されるものは、自分の魂をどれほど成長させたかだけであります。私たちが求めなければならないのはこのこと¾すなわち心や身体がいかなる困難を経験しようとも、より精神的になり、より神に近づいて行くことなのであります。」

194985日、ショーギ・エフェンディの代理から個人に宛られた手紙より P.29~ P.30

 

「人がバハイになる時、実際何が起こるかといえば、精神の種が人の魂の中で成長しはじめるのです。この種には聖霊の流露が注がれなければなりません。この精神への贈物は、祈りや冥想や聖なることばの研究や神の大業の奉仕によって得られます。実際、大業への奉仕は、種をまく時に土壌をたがやすすきのようであります。土壌が肥沃になり、種がより力強く成長するには(十分に)たがやされなければなりません。全く同じように、精神の進化は、心が聖霊を絶えず反映するように、その土壌を掘りおこすことによっておこるのです。このように人間の精神は急激に成長し、発展します。

当然のことながら、苦悩と困難の時期、そして過激な試練さえもあるでありましょう。しかし、もしその人が確固と(した信念をもって)神の顕示者に向かい、その精神的教えを注意深く研究し、聖霊の祝福を受けるなら、実際これらの試練や困難は、人間を成長させ進歩させる神からの贈物であることがわかるでありましょう。

このようにあなたは自分の困難さを奉仕の道において見るとよいでありましょう。それはあなたの精神が成長し発展するための手段なのであります。あなたは自分をろうばいさせてきた問題の多くを克服したことを突然見いだし、どうしてそれらが自分を困らせてきたかを不思議に思うでありましょう。個人(のバハイ)は、バハオラが定められた高い水準にしたがって、全心全霊を大業の奉仕に集中させなければなりません。そうすれば崇高なる(天の)集合の軍勢は、個人の援助にかけつけ、すべての困難さと試練は徐々に克服されるでありましょう。」

1954106日、ショーギ・エフェンディの代理から個人に宛られた手紙より P.35~ P.36

 

「道は石ころだらけで、たくさんの試練があります。しかしあなたが言われるように、もし友らがバハオラの教えにしたがって生きるならば、試練は実際、神秘的に力強い方法で作用し、援助の手は常に差しのべられ、障害は克服され、最終的に成功が確保されるのを発見するでありましょう。」

 1956423日、ショーギ・エフェンディの代理から個人に宛られた手紙より P.36

 

「彼はあなたが、すべての障害を進歩への飛び石とすべきである、というアブドル・バハの最も力づけられる勧告の一つを実行しはじめられたことを知って非常にうれしく思っていられます。過去の生活であなたたちは皆ひどいあやまちを犯されました。しかし、この経験によってみじめになったり、くじけたりするどころか、それを性格の純化と人格の進歩と将来より良い市民となり得るための手段となすように決心しておられます。これは真に神の目に喜ばしいことであります。」

1957326日、ショーギ・エフェンディからウガンダのキタリアにあるHM囚人農場のバハイに宛られた手紙より P.15~ P.16

 

バハイの愛と対人関係

 

「人を助けるために真実でないことを告げるのは正しいかどうかという質問に関して、彼(ショーギ・エフェンディ)はいかなる状況のもとでも真実でないことを言うべきではないが、同時にその人をより道理にかなったやり方で助けてやるべきだと感じておられます。もちろん、問題が直接私たちに提出されるまでは、あまりにも率直である必要はありません。」

19271221日、ショーギ・エフェンディの代理から個人に宛られた手紙より P.10~ P.11

 

「○○氏の訴えについて。守護者はこの問題の最上の解決方法は、関係当事者双方がこの事柄のすべてに関して許し合い、きっぱり忘れ去ることである、と感じておられます。守護者は、友らが相互にバハイ訴訟を取りあげる習慣を作らないように欲しておられます。大業が広がらんと苦闘し、その独立を主張せんとしている時に、バハイの貴重な時間と守護者の貴重な時間をこのように費やすには、バハイの人類に対する義務は現在あまりにも神聖で緊急でありすぎます。したがってお互いに和解し、過去を忘れ、以前にも増して奉仕するように要請して下さい。」

19411226日、ショーギ・エフェンディの代理からオーストラリアとニュージーランドの全精会に宛られた手紙より P.18

 

「実際バハイは、必要な時に力と慰めを得るために、相互の愛を引き出し合うことを十分学んでいないようです。神の大業は驚くべき力を付与されています。そしてバハイが、それから力を得ていない理由は、信教が生み出した愛と力と調和の強大な力を十分引き出すことを学んでいないからです。

守護者は、あなたの友人をしばらくそっとしておき、その人のために祈られるように忠告しておられます。その人は現在あなたの援助を望んでいませんので、ただ内面的に援助することができるだけです。

あなたは大業に多くの貴重な奉仕をされました。そして現在もそうされています。これこそがあなたの最大の慰めであるべきなのです。」

194258日、ショーギ・エフェンディの代理から個人に宛られた手紙より P.18

 

「私たちは自分の不完全さを認識し、大会や精政会や委員会などで時々起こる不運な出来事を心配しすぎないようにしなければなりません。そのようなことは本質的に表面的なもので、時がくれば、消滅することであります。」

1943317日、ショーギ・エフェンディの代理から個人に宛られた手紙より P.19

 

「人間生活に浸透し、人々を動機付ける真の精神的意識は、世界中いたる所の信教の内部と外部において非常に必要とされています。行政機構の活動がどれほど活発であっても、法則をどれほど厳守しても、人間の真髄である魂の特質、精神性の代りになることはできません。彼はあなたがこの点を強調し、バハイがその崇高な重要性を認識するように援助されていることを知ってとても喜んでおられます。」

1945425日、ショーギ・エフェンディの代理から個人に宛られた手紙より P.23

 

「私たちは他のバハイが私たちに対して持つ態度や感情を決して深く考えすぎないようにしなければなりません。最も重要なことは、愛と調和を育成することで、すげなく拒絶されてもそれを無視することであります。そうすれば、性格のか弱さと、ある特定の人の風変わりな態度が誇張されずにすみます。そしてそういったことは私たちのすべてが愛する信教の共同奉仕と比較すれば、無意味なものになってしまうのです。」

1948919日、ショーギ・エフェンディの代理から個人に宛られた手紙より P.29

 

¼私たちは神を最初に考え、どれほど強い人間の情熱によっても神に背を向けたりすることのない精神的段階に達しなければなりません。私たちは人々が憎しみまたは他の人への情熱的な愛着により原則を犠牲にするか、あるいは神の道から自らをそらしてしまうのをよく見ます¼

私たちは神を愛さなければなりません。そうしてこそ全人類への普遍的な愛が可能となるのです。私たちは人を愛する時にその人自身を愛することはできません。しかし、私たちの人類に対する愛は、全人類を創られた御父に対する愛に動機づけられるべきであります。」

1950104日、ショーギ・エフェンディの代理から個人に宛られた手紙より P.32

奉仕、献身自己犠牲

 

「神の大業を認め受け入れるためには、事実上、個人の努力が、重要な必要条件であります。神の恩恵がどれほど豊富であっても、個人の忍耐強い知的な努力で補足されなければ十分効果を生み出すことも、真の永続する利益をもたらすこともできません。」

1938227日、ショーギ・エフェンディの代理から個人に宛られた手紙より P.14~ P.15

 

「信教の奉仕に報酬をもたらすものは、手段、能力、または財政的支援よりむしろ献身と自己犠牲の質であります。」

1948511日、ショーギ・エフェンディの代理からオーストラリアとニュージーランドの全国精神行政会に宛られた手紙より P.28

 

「私たちは個人のバハイとしての自分の性格を完成すること、今だ胎児期にあり、まだ正しく理解されていない世界秩序を発達させること、神の計画の規定に従ってメッセージを広げること、緊密に結び合わされた世界にわたるバハイ共同体を設立することに努力を集中しなければなりません。私たちは比較的少人数でありますが、非常に貴重で、独特で、責任ある仕事を持っています。私たちは、全力をそれに集中させなければならないのです。」

194759日、ショーギ・エフェンディの代理から米国とカナダの全国精神行政会に宛られた手紙より P.27

 

「彼(ショーギ・エフェンディ)はこれらの犠牲により殿堂が完成し、その国の大業の精神と教えの焦点となり、それから教導の光が広がり、意気消沈した人類の心に喜びと希望をもたらすであろうことを心から望んでおられます。

ナビールの歴史を研究すれば、信教が、いかにバハイの不断の犠牲によって成長してきたかがわかるでありましょう。困難、迫害、そして絶え間ない苦しみの下に、バハオラのメッセージは世界中に確立されてきたのです。」

19321130日、ショーギ・エフェンディの代理から個人に宛られた手紙より P.12

 

「短期間、大業の活動を中止されておられたあなたの友人からの献金は、その人の新たな奉仕を刺激する手段となることを守護者は確信しておられます。奉仕ほど信教に成功をもたらすものは他にありません。奉仕は神の確証を引きつける磁石であります。したがって活動している人は聖霊の祝福を受けるのです。活動していない人には、聖霊が下ってくる余地はありません。ゆえに、その人は回復と活気を与える光線を失うのです。」

1952712日、ショーギ・エフェンディの代理から個人に宛られた手紙より P.34

 

「バハオラと彼の信教とその機構に対する真の愛の精神、そしてバハイ間の愛の精神なしには、この大業に多数の人々を加入させることはできません。というのは、世界が望んでいるのは説教や規則ではなく、行動であるからです。」

19491025日、ショーギ・エフェンディの代理から個人に宛られた手紙より P.31

 

「今日世界が必要としているものはバハイ精神であります。人々は多くの重大問題の解決と同時に尊敬できる基準を切望しています。バハイは大業の暖かい生きた精神を、逢う人ごとに注ぎかけるべきです。そしてこれは布教と合わせて誠実な真理の探究者を信教に引きつけずにはおかないでありましょう。

19431218日、ショーギ・エフェンディの代理から個人に宛られた手紙より P.20

 

「バハイはお互いに忍耐強くあらねばなりません。そして大業は今だ幼児期にあり、その機構はまだ完全に機能していないことを認識しなければなりません。バハイがお互いの短所に対して示す忍耐、やさしい理解、寛大さが深ければ深いほど共同体全体の進歩も大でありましょう。」

1943227日、ショーギ・エフェンディの代理から個人に宛られた手紙より P.18~ P.19

 

「バヤン書の中でバブは過去のすべての宗教は世界的になる可能性を持っていた、と述べています。その目標に達成できなかった唯一の理由は、信者たちの無能さにあったのです。バブはつづけて、「神が顕わされる方」の啓示はそうはならず、それは世界的になり、世界中の人々をすべて包含するであろうという確実な約束を与えています。このことは、私たちが最終的には成功することを示しています。しかし私たちの欠点、犠牲の欠乏、大業を広めるための努力の不足により、その理想の実現を遅らせないでありましょうか。それは何を意味しているのでしょうか。それは、私たちは神の前で責任を問われること、人類は不従順の状態をより長く続けること、戦争はすぐには避けられないこと、人の苦しみがより長く続くことを意味するのであります。」

1932220日、ショーギ・エフェンディの代理から米国全精会とカナダ全精会に宛られた手紙より P.11

 

「各時代は各々異なったものを必要とします。大業は、その初期に殉教者たちと、拷問と迫害に耐えて信仰を告白し、神が下されたメッセージを広める人々を必要としました。しかしながらその時代は過ぎ去りました。現在大業は信仰のために命を捨てる殉教者たちではなく、世界中で大業を教え、確立したいと望むしもべらを必要としています。現在、布教するために生きることは初期の殉教に比較されます。大事なのは、私たちを動かす精神であり、その精神の表われである行動ではありません。そしてその精神は全心全霊をこめて神の大業に奉仕することであります。

193283日、ショーギ・エフェンディの代理から個人に宛られた手紙より P.11~ P.12

 

「最上の布教者たちと模範的バハイがすでに立ち上がり、パイオニアの呼び声に応じている(から自分はしなくてよい)といってもそれはバハイの弁明にはなりません。最上の布教者と模範的バハイは最終的には信教の仕事に自分自身をささげ、教えの知識と理解を深め、バハオラに信頼を置き、出来るかぎりの力を出して彼に奉仕するために立ち上がった普通のバハイにすぎないのです。この門戸は戸を強く叩くすべてのバハイの顔前で開くことが保証されているのです。意志と望みが十分に強ければ、地方での仕事の拡大や、米国内の新しい目標都市への移動とまたは外国でのパイオニアの分野に入るための手段は見いだされ、その道は開くでありましょう¼

あなたたちの行政機関はバハイに必要な激励や指導力を与えたり、彼らが立ち上がって自らの役割を果すように刺激しなければなりませんが、同様に地方精政会もバハイを援助して目標に達するように全力をつくさなければなりません。各バハイも同様にそうすることは、現在における大業への個人的義務であり、最大の特権であると感じなければなりません。そして今から来たる六年間に世界聖戦の目標達成を早めるためには何が出来るかと自分自身に問わなければなりません。バハイは神の酵母で国民全体を発酵しなければならないのであります。」

1957921日、ショーギ・エフェンディの代理から米国の全国精政会に宛られた手紙より P.38~ P.39

 

その他の質疑に対する応答

 

「もしあなたたちが、バハオラとアブドル・バハのことばを、利己心を離れて注意深く読み、それに思考を集中するならば、今まで知り得なかった真理を発見するでありましょう。そして世界の偉大な思想家たちを困惑させてきた問題の解答を得るでありましょう。」

1925130日、ショーギ・エフェンディの代理から個人に宛られた手紙より P.9

 

「大業の奉仕と他の仕事にどのように時間を分けるかに関して、ショーギ・エフェンディがあなたに与えられた忠告は、またバハオラと師の双方によっても多くの友らに与えられたものです。それはアグダス書の二つの句、一つはすべてのバハイに信教の推進に奉仕することを義務とし、もう一つはすべての人は社会に利益になる職業に従事すべきであるという句の間の妥協であります。バハオラはある書簡の中で、今日超然としていること(すべての愛着から離れること)の最高の形は何らかの職業に従事し、自分で生計を立てることである、といわれています。したがって、良いバハイとは物質面の必要性と大業の奉仕の双方に時間を捧げるように自分の生活を調整する人であります。」

1933221日、ショーギ・エフェンディの代理から個人に宛られた手紙より P.12~ P.13

 

「守護者は、○○氏が開催予定の性格形成のための訓練過程は、とりわけ重要で当然強調されるべきであり、特に学校に在学中の若い信者たちによって注意深く、十分に研究されなければならないと感じておられます。そのバハイ行動規範は、守護者自ら一般に宛た最初の書簡、「神の正義の出現」の中で説明されています。そしてすべての忠実で誠実なバハイの最高の義務は、この行動規範を支持し、推進するように努力することであります。そしてまた、それは真剣な研究と冥想に価し、米国の三ヶ所で開催される今年のバハイ夏期学校のプログラムの中で主要な中心課題とならなければなりません。」

1939520日、ショーギ・エフェンディの代理からローへレンサンマークスクール委員会に宛られた手紙より P.16

 

「あなたは『精神的消化不良』について質問しておられます。バハイは多面的でなければならず、知的にも精神的にも正常で、バランスが良くとれた人間になるように努めるべきです。私たちは狂信的であるという印象を与えてはなりませんが、同時にバハイの原則を実践して生きなければなりません。」

1946312日、ショーギ・エフェンディの代理から個人に宛られた手紙より P.24

 

「(バハイの法に)従うのは私たちにとってしばしば困難なのですが、それは今まで私たちが慣れ親しんでいることと非常に異なるからであり、法そのものが特に困難であるからではありません。あなたと、そして実際今大人としてこの栄光ある信教を受け入れているほとんどのバハイにとって、断食や日々の祈りなどのような法規は、たしかに最初は理解しがたく、それらに従うのも困難でありましょう。しかし私たちは、これらの法規は今から一千年間に用いられるために全人類に与えられたものであることをいつも頭に入れておかなければなりません。家庭内でこれらのこと(バハイの法規が守られていること)を見て育つバハイの子供たちにとっては、キリスト教徒がより敬虔であった時代に、日曜に教会に行くことが当たり前で、必要であったのと同じようになるでありましょう。バハオラはこれらの法規が私たちのために非常に役に立たなければ、私たちに与えられなかったでありましょう。父親は賢明で、自分のためになるように指導してくれることを知っている子供のように、私たちははじめは、バハオラの法規の必要性が理解できなくても、それらを受け入れ守らなければなりません。それらを守っているうちに、私たちは徐々にそれらが与えてくれる利益を自分の中に見いだすでありましょう。

1949316日、ショーギ・エフェンディの代理から個人に宛られた手紙より P.29

 

「あなたが述べられたことを聞いて彼は嘆かれました。それは何人かのバハイの大へんな精神的未熟さと教えに関する驚くほどの理解のなさと勉強の不足を示しています。私たちの信教の道徳的教えを実践することはMRA(道徳再武装運動)が説く原則¾どれほど立派で包含的ではあってもを守ることよりはるかに困難な仕事です。バハオラとアブドル・バハの著書にある大半のことばは道徳的、倫理的行動を説いたものであります。その他のすべてのことばは、純粋な精神が注入されなければならない形式であり、杯であります。それ(ことば)は精神と行動に移れなければ単なる生命のない形にしかすぎません。

あなたが述べられたことから、彼はバハイの多くは最初に(バハイになった時)正しく教えられていないと判断されています。

もちろんMRAの四つの基準を強調することに反対はありません。しかしながら、私たちの貴重な信教ではこれらの主題ははるかに深く掘り下げられれており、さらにそれ以上のものがつけ加えられております。

バハオラが姦通は次の世界での魂の進歩を妨げあまりにも嘆かわしいものであるゆえに、飲酒は心をほろぼすので、それらには近づかないようにと言われたことを認識する時、私たちはこれらの題目について、バハイの教えがいかに明らかであるかを理解するのであります。

あなたは、明らかにバハイの教えについての勉強が不足し、教えに従っていない一つの共同体を見て、私たちの信教を判断するという大きな誤りを犯さないようにしなければなりません。

人間のもろさと奇妙さは大きな試練になることがあります。しかし、その状態を正す唯一の道、またはおそらく第一のそして最善ともいうべき方法は、自ら正しい行動をとることであります。一人の人間が一つの大陸の精神的啓蒙の原因になることができるのです。さて、あなたは自分の生活に大きな誤りを見て、それを正されました。今あなたは、あなたの共同体内に欠けているものをより明らかに見られました。したがって、立ち上がりあなたの同朋バハイの心を燃え立たせるほど規範、愛と奉仕の精神を示すことを妨げるものは何もありません。

彼は教えを深く勉強すること、他人に教えること、私たちの信教の教えを深く勉強したいと熱望しているバハイと共に勉強すること、そして模範と努力と祈りを通して世界に変化をもたらすことをあなたに強くすすめておられます。」

1949930日、ショーギ・エフェンディの代理から個人に宛られた手紙より P.30~ P.31

 

「いわば、二種類のバハイがあると言えましょう。一つはバハイという宗教を持った人で、もう一つはバハイ信教のために生きる人であります。言うまでもなく、もし人が英雄、殉教者、聖者の前衛たちの中に入るならば、神の目により称賛に価する者でありましょう。」

 1950416日、ショーギ・エフェンディの代理から個人に宛られた手紙より P.32

 

「この課題、これほど厳しく、執拗で、しかもこれほど栄光に満ちた課題は、疑いもなく主に個人のバハイが直面しているものであります。そして結局、共同全体の運命が依らねばならないのは、個人のバハイであります。織物の質と模様を決める縦糸と横糸を構成するのは個人のバハイであります。現在地球を取り巻く強大なくさりをなす数え切れないほどの環の一つとして行動するのは個人のバハイであります。現在、世界のあらゆる場所で建立されている行政機構の構造を支持し、その安定性を保証する無数のれんがの一つとして役立つのは個人のバハイであります。各人の属する共同体の全国代表として機能する行政機構が採用するすべての手段とすべての計画を、各人が心から惜しみなく支持し続けなければ、始めから失敗の運命にあるのです。もし、共同体の兵士たち(メンバー)からそのような支持が得られなければ、信教の世界中心地(の機能そのものは)麻痺するでありましょう。神の計画の著者の目的も、その遂行のための適切な手段が欠けているならば、進行しないでしょう。信教の創立者であるバハオラの維持力は、いつまでたっても自分の役割を果すために立ち上がらないすべての個人からは取り去られるでありましょう。」

1954728日、ショーギ・エフェンディから米国の全国精政会に宛てられた手紙より P.34~ P.35

 

愛と性に関する問題

 

 197326日に万国正義院から全世界の全国精神行政会に宛てられた手紙

 

次の文は個人のバハイの質問に答えて書かれた最近の手紙からの抜粋であります。それは一般のバハイにも関心のあることですので、各国の全国精神行政会に送付している次第です。貴国の管轄内で必要と思われれば、国内のバハイと賢明に分かち合って下さい。

「私たちの肉体的生活は法則に支配されています。肉体の働きが不能とならないためには、肉体に食物を与えたり、一定の範囲内の温度に保ったりしなければなりません。同じように、私たちの精神的生活を支配する法則もあるのです。これらの法則は各時代、神の顕示者によってあらわされます。各個人と人類一般が適切に、そして調和よく発達するには、それらにしたがうことが非常に重要です。さらに、これらの法則のさまざまな面は相互依存の関係にあります。もしある個人が、自分の利益のために精神的法則にそむけば、自分だけではなく、自分の住んでいる社会にも害をおよぼすでありましょう。同様に社会の状態もそこに住まねばならない個人に直接に影響するのです。

あなたが指摘されるように、現在の世の中でバハオラの法にしたがうのは特に困難なことです。一般に受け入れられている社会の風習は信教の基準とあまりにも異なるからです。しかしながら、ある法則は人間社会が健全に機能していくために非常に基本的なものであり、いかなる状態にあっても守られなければなりません。バハオラは人間の弱さがどの程度であるかを考慮し、他の法則は徐々に採用されていくように定められましたが、これらもまた一度採用されれば、守らなければならないものであります。そうでなければ、社会は刷新できず、ますます悪い状態に落ち込んでいくでありましょう。自分の生活で神の法を守り、他の人々が徐々にそれ(神の法)を受け入れるように彼らの心を勝ちとっていくことは、バハイにとって努力を喚起する仕事であります。

個人の生活で(バハオラの)法を守る効果を考慮するにあたり、この人生の目的は次の世のために自分の魂を準備することであることを思い起こさなければなりません。この点で人は自分の動物的な衝動の奴隷とならずに、それを抑制し、方向づけなければなりません。この世の生活は、試練と業績、失敗と新たな精神的進歩の継続であります。時折行路は非常に困難に思えるかも知れませんが、私たちはバハオラの法がどれほど困難に見えても、それに確固としたがう者は、精神的に成長することを何度も目撃するのです。一方、自分の明らかな幸福のために(バハオラの)法を曲げる者は、キメラ(怪物)にしたがっているのがわかります。そういった人は自分の求める幸福を得ることはなく、自分の精神的進歩を遅らせ、新たな問題をしばしば自分にもたらすのです。

非常に明確な例を一つ上げてみることにします。それは両親の承認が必要なバハイの結婚法であります。今日バハイでない両親は偏狭、または人種的偏見から承認を与えないことがかなりひんぱんにあります。しかし、バハイの法を確固と守る子供たちが両親に与える深遠な影響を私たちは何度も見てきました。多くの場合、最終的に承認は与えられるばかりでなく、両親の性格も影響を受け、子供との関係も非常に強められるのであります。

このように、あらゆる困難に直面してバハイの法を支持すれば、私たちは自分の性格を強めるばかりでなく、まわりの人にも影響を与えるのです。

肉体関係に関するバハイの教えは非常に明白であります。それは男性とその妻である女性の間にのみ許されるものです。これについて守護者の代理による四つの手紙からの抜粋をあなた方と分かち合いたいと思います。それらは、この問題のさまざまな面を解明するでありましょう。そのうち一つは、あなたが手紙に引用された句を含んでいます。

『性の問題と、その結婚との関係に対するバハイの態度に関して質問されましたが、(それについて返事をいたします。)

この問題は非常に重要であり、非常に幅広い見解の相違がありますが、これに関するバハイの教えは全く明確で断固としたものであります。簡単に述べますと、バハイの性に対する考えは男女双方共に貞節を厳格に守る、という信念に基づいています。それは道徳的に高く賞賛されるのみならず、結婚生活が幸福で成功する唯一の道であるからなのです。結婚外の性関係はいかなる形でも許されません。したがってこの規則を破るものは神に責任を問われるだけでなく、社会から必要な罰を受けるでありましょう。

バハイ信教は性の衝動の価値を認めます。しかし、自由恋愛、友愛結婚などに不法で不適当な表現を非難するのです。これらはすべての人間と人間の住む社会に明らかに害があると考えられるからです。性本能の正しい行使はあらゆる人間の当然の権利であり、まさしくこの目的のために結婚の制度が確立されているのであります。バハイは性的衝動の抑圧ではなく、その調節と制御を信じるものであります。』

193895日、個人に宛られた手紙より)

 

『私たちが(人生で)出逢う人たちのうち、夫や妻以外の人に対して持つ深い愛の絆は、人生でどんな場所を占めるかについて、あなたが提出された質問は、(バハイの)教えから容易に定義できます。貞節とは、結婚前も後も汚れのない貞節な生活を意味します。結婚前は絶対に純潔で、結婚後も自分の選んだ相手に絶対に忠節であることです。あらゆる性的行為において忠実で、言葉と行為においても忠実であることを意味するのです。

今日の世界は、とりわけ肉体的な愛の重要性が過度に誇張され、その精神的な価値が無視されている状態に落ち込んでいます。バハイはできる限りこのことを認識し、歴史上のすべての堕落した時代の特徴である単なる肉体的な面にのみ過度の重要性を置く人々の基準を超えるべきであります。普通の合法的な結婚生活外では、バハイは友情と愛のきずなを確立するように努力すべきであります。それは永遠に続き、肉体生活にではなく、精神生活に基礎をおくものであります。これはバハイが模範を示し、真の人間生活の基準へ先導しなければならない多くの道の一つであります。人の魂は高遠であり、肉体は啓蒙された精神の道具に過ぎないからです。いうまでもなく、これは結婚という合法的な手段を通して全く通常な性生活をすることを除外するものではありません。』

1941928日、個人に宛られた手紙より)

 

 『結婚以外に性本能の合法的な表現方法があるかどうか、というあなたの質問に関して(返事をいたします。)バハイの教えによれば、合法的に結婚したもの同士間以外の性行為は合法でない、と考えられます。結婚生活以外では性本能の合法的で健全な用い方はあり得ません。一方、バハイの若者は自制することを教えられるべきで、それが実行されると、概して性格と個性の洗練に有益な効果をおよぼすことは確かです。そして他方、若くて肉体的精力を十分保持している間の結婚が勧告、いや激励されなければなりません。しばしば経済的要因が若い時の結婚への大きな妨害となるのは確かであります。しかしほとんどの場合、それらはただのいいわけにすぎず、あまり強調されるべきではありません。』

19401213日、個人に宛られた手紙より)

 

『あなたが再婚されることが適切で有益であるかという質問に関して(返事をいたします。)それについて確答を与えることはできない、と彼は感じていられます。これは基本的に個人的な問題で、それについては、あなたとあなたの周りの友だちやあなたの属する地方精神行政会の方がより良い判断を下せる立場にあります。もちろん、通常の状態の下では、結婚することはすべての人の道徳的義務と見なされなければなりません。バハオラはバハイにそうするように激励されています。しかし結婚生活は決して義務ではありません。最終的に、家庭生活をするか、独身生活をするかを決めるのは個人であります。』

193653日、個人に宛られた手紙より)

 

あなたは、守護者が『社会から必要な罰』に言及されたことに対して、驚きを表明されています。アグダス書の中で、バハオラは不倫行為を禁じでおられます。そしてその書の添付文書には性犯罪のさまざまな度合いと、それらに対する罰は万国正義院が定めるものとする、と述べられいます。これに関して信教内では個人の他の人に対する態度、すなわち愛情ある寛容、自制、他人の罪でなく自分の罪を懸念する態度と、神の法を管理する義務を持つ精政会の示すべき態度とは明確に区別されなければならないことを認識すべきであります。

同性愛や性転換などのようなさまざまな性の問題は医学的な問題であることがよくあり、その場合、もちろん、最上の医学の援助に頼るべきであります。しかしバハオラの教えから、同性愛は人が甘んじていられる状態ではなく、人間性格のゆがみであり、それは抑制され、克服されなければならないことがわかます。そうするには苦しい闘いが必要でありましょう。しかし異性愛の欲望を克服する闘いもそうであります。この面における自己抑制の訓練は人生の他の多くの面と同じように魂の進歩に役立ちます。さらに結婚することは非常に望ましく、そしてバハオラは強くそれをすすめられてはいるけれども、それは人生の中心目的ではないことを銘記すべきであります。もし人が伴侶を見つけるまでに、かなり長い間待たなければならないか、または結局独身のままで過さなけばならないとしても、一生の目的を達成できないわけではありません。

以上は、すべてバハイがバハオラの法に対して持つべき態度について述べたものです。しかしながら、あなたは主に家族と性問題のカウンセラーの仕事を持つ医師であり、ほとんどの場合、バハオラの法を受け入れない、そしてしたがう理由も持たないノン・バハイの人たちに忠告されることになるでしょう。あなたはすでにその分野で資格を持つ開業医です。そして疑いもなく研究と経験バハオラの教えと関係なく学び、発展させてきた人間の心とその成長とその発達と正しい機能に関する概念の全構造から学んだものを土台として忠告をされるでしょう。

今あなたはバハイとして人間生活の目的、人間の本質、人間生命の正しい導き方についてバハオラが教えられたことは神があらわされたもので真実であるということを知っておられます。しかしながら、あなたがバハイの教えを明確に理解できるように勉強するためだけでなく、それらがあなたの職業的概念をいかに変えるかを考え出すのに当然時間がかかるでありましょう。もちろんこれは科学者にとって特殊な状態ではありません。研究調査中に、人間努力の広範囲にわたる分野での思考に改変を要求する要因が発見されることがどれほどしばしばあることでありましょうか。あなたのバハイの知識は深まっていくでありましょうが、その知識で啓蒙された専門的知識と判断で各患者にあたらなければなりません。疑いもなく、職業上対処しなければならない人間問題に対するあなたの理解は変わり発展していくことがわかるでしょう。そしてあなたの所にくる患者のために新しい改良された治療法を見いだすでありましょう。心理学はまだ非常に未発達で不正確な科学であります。そして年月がたつにつれ、バハオラの教えから人間生活の真の模範を学ぶバハイ心理学者たちによってこの科学は大発展をとげ、人間の苦しみの緩和に非常に役に立つでありましょう。」

P.40~ P.46

 

 

昭和6181日発行

和合への道

翻訳者 全国バハイ翻訳校閲委員会

発行者 バハイ出版局

    東京都新宿区新宿7丁目213