第9章 社会問題
1.経済問題
1.1.
極端な貧富の差の除去
自発的寄付
1.おお人の子よ!わが富を、わが貧しき者に与えよ。されば汝天国に於いて、不滅の輝きの倉庫と不朽の栄光の宝庫より引き出し得ん。しかしわれ生命にかけて誓う!汝もしただわが眼をもちて見ることを得ば、汝の魂をささげることは更(さら)に輝かしいことである。(バハオラ:「隠されたる言葉」、
アラビア編、#57)
2.バハオラの教えのひとつは、自分の富を他の人たちと自発的に分かち合うことである。このように自発的に分かち合うことは、(法的に課せられた)平等よりもすばらしく、自分を他人の先に置くことをせず、むしろ他者のために自分の命や所有物を犠牲にすることから成り立っている。しかし、これは、強制的に従うべき法律で導入されるべきではない。否、ちょうとペルシャのバハイの間でなされているように、自らの選択で自発的に、自分の所有物や命を他人のために犠牲にし、貧しい人々のために進んで金銭を使うべきである。(アブドル・バハ:Bahá’u’lláh and the New Era、p.142)
利益の分かち合い
3.さて、私はあなた方に、神の法律について話したいと思います。神の法律によれば、雇われている人は単に賃金を払われるべきではありません。いいえ、むしろ、彼らは、あらゆる仕事においてそのパートナーであるべきです。社会化の問題は非常に困難なものです。それは、賃金に関するストライキでは解決されないでしょう。世界の全ての政府は団結して、会合を編成し、その会合のメンバーを、諸国の議会や優れた人々の中から選ぶべきです。彼らは、資本家が多額な損失を出したり、又、労働者が困窮したりということのないように、英知と力をもって計画せねばなりません。中庸を最大限に活かし、労働者の権利を十分に保護し、資本家の権利も保護できるような法律を制定し、
公布すべきです。そのような普遍的な法律が双方の意志によって施行されていて、 もし、 ストライキが起こったとしたら、世界の全ての政府は、一体となって、それに抵抗すべきです。さもなければ、特にヨーロッパにおいて、それは大変な破壊へとつながることでしょう。悲惨なことが起きるでしょう。
この問題がヨーロッバで国際戦争の原因のひとつとなるでしょう。資産、鉱山、そして、 工場の保有者たちは、従業員が、
賃金に加えて工場の収入の一部を受け取れるよう、又、従業員が心をこめて仕事に励むように、収入を従業員と分かち合い、利益の一部を従業員に与えるべきです。 (アブドル・バハ:Bahá’u’lláh and the New Era、pp.145-146)
累進課税
4. 個人の過度の財産を統制し、何百万という貧しい群集の必要を満たすための規則や法律を制定するべきである。そうすれば、ある程度の中庸が保てるであろう。しかし、絶対的な平等は不可能である。なぜなら、財産・名誉・商業・農業・工業における絶対的な平等は、無秩序や混乱、生存手段の破壊、そしてあらゆる者の失望に終わってしまうからである。共同体の秩序はすっかり破壊されてしまうであろう。従って、不当な平等が強いられると、これも困難を生じることになる。それゆえ、特定の個人が過度の財産を確保することを妨げ、大衆が不可欠とする需要を供給するための法律や規定を設けることにより、中庸を確立する方が好ましい...(アブドル・ババ、:Some Answered Questions、p.274)
5. 個人の能力の違いは本質的なものである。全ての者が同じ様であり、全ての者が同等で、賢いということはあり得ない。バハオラは、人間の多様な能力の調整を図る原則や法律を啓示なさった。政府が達成可能な事はすべて、これらの原則を通して達成されるであろうと彼はおっしゃった。彼が制定した法律が実行に移されたなら、共同体に億万長者はあり得なく、同様に、極端な貧困者もあり得ない。これは、人間の能力の差異を調整することによって達成され、統制されるであろう。共同体の根本的な基盤は、農業、つまり、土を耕すことにある。全ての者は生産者であらねばならない。共同体において、個人の需要が生産能力に等しい場合には、課税を免除されることになる。しかし、収入が需要を上回るならば、その人は、調整のために税金を払わなければならない。つまり、人の生産能力と需要は、課税を通して等しくされ、調整される。もし、生産高が超過するならば、税金を払い、需要が生産高を超えるなら、等しくし、
調整するために十分な金額を受け取る。従って、課税は能力と生産高に比例し、そして、社会において、貧しい者はいなくなるであろう。(アブドル・バハ、:The Promulgation of
Universal Peace、p.217)
6. 聖なる御方バハオラは、人類が直面する問題のそれぞれに関する指示をなさった。彼は、
人間が苦しんでいる問題のそれぞれに関して教えと指針を与えられた。それらの教えに、経済に関するものがある。この解決策の遂行により、社会の全てのメンバーが、全体的な秩序を害したり損なったりせずに、最大の幸福と利益と安楽を得ることができる。それにより、何の紛争や不和も起こらないであろう。扇動や争いも起こらないであろう。この解決策とは、次の通りである。
まず、社会の全てのメンバーは、人類世界が達成した最大の業績の恩恵を預かるべきという原則である。各個人に最大の利益と幸福があるべきである。この問題を解決するために、私たちは、農業経営者から始めなければならない。そこに、組織と秩序の基盤が築かれるであろう。なぜなら、小作農も自作農も、
彼らがなす奉仕は、他の分野の労働者よりも重要だからである。あらゆる村に、いくつかの収入源のある共同体の公庫を設けなければならない。
第一の収入源は、十分の一税である。
第二の収入源は、家畜から得られる。
第三の収入源は、鉱物から得るもので、つまり、開発し発掘したか、または、 偶然発見された鉱山の三分の一は、この莫大な公庫に属する。
第四は、ある人が亡くなって、 相続人がいない場合、 その財産は全て、共同体の公庫に属する。
最後に、もしその土地で宝物が見つかれば、それは、この公庫に渡すべきである。
これらの全ての収入源からの収入が、この公庫に集められることになる。
第一の収入源、つまり、十分の一税について。農業経営者、農民のひとりを考えてみよう。まず、この農民の収入について調査する――例えば、年間収入はいくらか、又、支出はいくらか、について情報を得る。収入が支出に等しいならば、その収入から徴収することはない。つまり、収入が全部生活に必要なので、課税されることはないのである。又、別の農場経當者は、1、000ドルの支出があるとしよう。また収入は2、000ドルとしよう。その場合、 収入の十分の一が課税される。(1、000ドルの)余剰があるからである。しかし、もし収入が10、000ドルで、支出が1、000ドルなら、 あるいは収入が20、000ドルであるなら、税金としてその四分の一を払わなければならない。もし、収入が10万ドルで、支出が5、000ドルならば、三分の一を払わねばならない。支出は5、000で収入は10万ドルなので、余剰があるからである。仮に35、000ドル払うとしても、5、000ドルの支出を加えても、まだ60、000ドルが残る。しかし、支出が10、000ドルで、収入が20万ドルならば、収入の半分を払わなければならない。その場合、90、000ドルが残額になる。このような割合で、税金の割り当てが決められる。これらの収入による所得は全て、この共同体の公庫に属することになる。
それから、次のような非常事態を考慮しなければならない。支出が10、000ドルになるが、収入が5、000ドルしかない農業経営者の場合、その人は公庫から、必要な経費を受け取る。その人が困らないように、5、000ドルが割り当てられる。
また、孤児は扶養され、その経費も負担される。村の中で身体に障害を持つ人の経費は、 全て(共同体により)負担される。村の中の貧しい人々の必要経費はまかなわれ、また妥当な理由で障害を背負っている人、
つまり視力障害者、高齢者、聴力・言語障害者なども、 快適に暮らせるよう、 世話されなくてはならない。その村では、困ったり、貧乏のままであったりする人は誰もいないのである。全ての人は、最高の安楽と幸福のうちに暮らすであろう。そして、いかなる分裂もその社会全般の秩序を乱したりすることはないであろう。
したがって、共同体の公庫の経費や支出は、明らかにされた。その役割についても明白である。この共同体の公庫の収入源も示された。これらの出納管理をするために、村の所定の人々によって何人かの委託人が選出されるであろう。こうして、
農民の生活は保護される。これら全ての経費が支払われた後、公庫に余剰があれば、国庫へと移されることになる。
このような村では、貧しい人々も生活に困ることなく暮らし、孤児も不自由なく幸せに暮らせるよう、つまり、誰も貧しい状態にほおっておかれないように、
このような組織作りがなされているのである。こうして、 共同体のメンバーは皆、快適に不自由なく暮らせるであろう。
大きな町では、当然、大規模の組織がつくられることになる。
このような手段によって、社会のメンバーが、誰に義務を負うこともなく、非常に安楽、 かつ幸せに暮らせるようになる。しかし、程度の差は残るであろう。人間の世界では、差というものがつきものだからである。社会を軍隊にたとえれば、
この軍隊には大将が必要で、軍曹や司令官や歩兵もいなくてはならない。しかし、あらゆる人に、最大限の安楽と幸福がなければならない[1]。
(アブドル・バハ:Foundation of
World Unity、pp.39-41)
解決策は根本的には精神的なもの
7. 経済的状況の根本は、その性質上、 神聖なもので、心と精神の世界と関連している...それゆえに、心が燃え輝くよう、そこに愛を創り出す努力をせよ。その愛が輝いている時、それは、ちょうどこの電光が周りを照らすように、人の心を啓発するであろう。神の愛が確立された時、全てのことが実現される。これが、経済の真の基盤である。これについて熟考せよ。人の心を強制するよりもむしろ、魂を引きつけるものになるよう努めよ。(アブドル・バハ:The Promulgation of
Universal Peace、pp.233-234)
精神的・道徳的・実務的アプローチの調和
8. 富める者と貧しい者の間に横たわる過度の不均衡は、激烈な苦しみの元であり、世界の不安定を招き、事実上、世界を戦争の危機にさらすものであります。この状態を効果的に処理できた社会はほとんとありません。解決には、精神的・道徳的・実務的、各方面からのアプローチを複合して対応しなければなりません。また、
この問題は、新しい視点から見直される必要があります。経済面やイデオロギーに関する論争は避けて、緊急を要する決定に直接関係のある人達を参加させて、広範囲にわたる部門の専門家達との討議を必要とします。それは極端な富と貧困の差を排除するために必要なだけでなく、精神的な真理と結び付いた問題であります。つまり、この精神的な真理を理解することは、新しい普遍的な共通の姿勢を生み出し、そのような新しい姿勢を育成すること自体が、
問題解決の重要な部分をなすのであります。 (万国正義院:世界平和への確証、p.13)
1.2. 個人と経済問題
職業従事は義務、そして崇拝
9. 技術や商売などの職業に従事することは、汝等ひとりひとりの義務となされている。われは、職業を『真なる御方』なる神を崇拝することと同一のものとなした。おお人々よ、神の慈悲と贈物について熟考せよ。そうして朝夕、神に感謝せよ。
…神の御前において、人々のうちで最もさげすまされたる者は、座って物乞いをする者である。『全ての原因を引き起こされる御方』である神を信頼し、資力の綱にしっかりとつかまれ。
(バハオラ:Lights of Guidance、p.503)
10. ...全人類はまゆの汗[2]、
あるいは肉体的努力によって生計を立てなければならず、 同時に、 他人の負担を軽くしようと努め、 他の魂の慰めのもととなるように努め、 生計の手段を促進しなければならない。これ自体、
神への献身(崇拝)である。それで、 バハオラは行動を激励され、
奉仕をお励ましになったのである...(アブドル・バハ:Promulgation of Universal Peace、 p.182)
11. ....バハイ信教では芸術、 科学、 そしてあらゆる技術は礼拝(崇拝)であると考えられている。一枚の書簡用紙を作るにも、
作る人が全能力を尽くし、 良心的に、 しかもそれを完全なものとすることに全力を集中しているならば、 彼は、 神を賞賛しているのである。簡単に言えば、 人が心魂を尽くし出し切るあらゆる努力精進というものが、
もしも至高の動機に促され、 人類への奉仕の意欲に燃えるものであるならば、 それは礼拝である。人類のために奉仕し、 人々の要求に応じて仕えること、 これは礼拝である。奉仕は祈りである。医師が穏やかに優しく、
全然偏見を持たず、 人類は本来一つであるという信念の下に病人に接するとき、 彼は、 神を賛美しているのである。(アブドル・バハ:パリでのアブドル・バハの講話集、
p.251)
節約をすること
12. 節約をするということは、人類繁栄の土台をなすものである。浪費家は常に苦労が絶えない。何人であっても浪費することは許し難い罪である。私達は寄生植物のように他人のやっかいになって暮らしてはならない。各人は、たとえ、頭脳的なものであっても肉体的なものであっても、ひとつの職業を持ち、かつ他人の清廉の模範となるような、清潔で、人間らしく正直な生活をせねばならない。他人のふところによって支払われる、大いにぜいたくな正餐を享受するよりも、古くなった一切れのパンに満足することの方が、正々堂々としている。満足する者の心は常に平和にして安息がある。(アブドル・バハ:「バハオラと新時代」、
p.118)
自己の才能と関心に応じて最も能率的、効果的な社会労働者となること
13. 今後、 バハイの共同体は、 多くの技能と資格を持った男女を必要とするでしょう。なぜなら、 共同体の規模が大きくなるにつれ、
社会生活の活動範囲が拡大し、 多様化するからです。したがって、 バハイの若者が、 生まれつきの才能を、 人類への奉仕と神の大業のために使い、 開発できる最善の道について考慮させましょう。それには、
農場経営者、 教師、 医者、 職人、 音楽家、 その他可能な生計の道が多数あります。(万国正義院からあらゆる国のバハイの若者への手紙より、 6/10/66、 Wellspring of Guidance、p.95)
1.3. 社会と経済問題
解決策は農業から
14. 農業に特別な注意を払わなくてはならない。それは、五番目に述べられたが、疑いの余地なく他の事に優先するものである。農業は、外国では非常に発達しているが、ペルシャでは、今までのところひどくなおざりにされてきた。ペルシャ国王――神が恵み深く彼を援助し給わんことを――が、この重大かつ重要なことに注意を向けることが望まれている。
(バハオラ:Tablets of Bahá’u’lláh、p.90)
15. 汝の手紙を受け取った。神に誉れあれ―——汝の健康と安全の良き便りを知らせる手紙であり、汝が農業学校に入る準備が出来ていると述べてあった。これは非常に適切なことである。農学に熟練するよう、できる限り努力せよ。なぜなら、神の教えによれば、科学を習得することや技術を完全にすることは、崇拝の行為と考えられているからである。全能力を持って科学の習得と技術の完成に従事するなら、それはあたかも、教会や寺院で神を崇拝しているようなものである。かくして、汝が農業学校へ入り、その時間の習得に努めることにより、汝は日夜、崇拝の行為———全能なる御方の敷居で受け入られる行為———に従事するのである。科学が崇拝と考えられ、技術が神の王国への奉仕であると考えられるという事より偉大な恩恵があるであろうか。
(アブドル・バハ:Selections from
the Writings of ‘Abdu’l-Bahá、pp.44−145)
16. 経済問題の解決は、まず農業従事者に始まり、それから他のあらゆる分野に取り組むべきである。農業従事者の数は、他の産業従事者に比べると二倍以上であるから。したがって、社会における、真の意味で最初の労働者である農業従事者から始めるのがふさわしい。
まず、 有能な人々のグループ、 又は委員会が選ばれ、村全体がその管理下に置かれる。共同体の公庫が設立され、書記を指名する。収穫時には、その委員会の管轄下で、全ての穀物の中から一定の割合を共同体の公庫に収めなくてはならない。この公庫には七つの収益、
つまり収入源がある。(1)所得税、 (2)家畜税、 (3)相続人のない財産、 及びその他の所有物、 (4)遺失物、 つまり、誰かが発見したが誰もその所有権を主張していないもの、
(5)地中から発掘された全ての宝やその他の物の三分の一(は公庫に収める)、 (6)鉱山物の三分の一(は公庫に収める)、 (7)自発的寄付である。 (アブドル・バハからA・S・パーソンズ夫人にあてられた書簡より:Lights of Guidance、p.84)
男女の平等
17. 古代や中世において、女性は全く男性の下に置かれていた。このように女性が劣っているという評価の原因は、女性の教育の欠如であった。女性の生活と知的活動は家庭に限られていた。これは、聖パウロの書簡にさえも一見することが出来る。後の世紀に、女性の人生の範囲は拡大し、
機会は増えた。女性の知性は成長し、発達した。その理解力は目を覚まし、深まった。問題は、女性をなぜ、 知的に未発達のまましておかねばならないのかということであった。科学は、男性の知性によって研究されようと、女性の知性によって研究されようと、賞賛されるべきものである。それで女性は、
科学的な研究や政治的手腕、その他あらゆる活動分野で、 男性と同等の能力があるという証拠をますますと示し、 少しずつ成長していった。女性が教育や教育手段の不足によって[男性から]引き離されてきたという結論は明らかである。もし、
平等な教育機会や学習課程を与えられたら、女性は男性と同等の能力や才能を発達させるであろう。 (アブドル・バハ:The Promulgation of Universal Peace、p.281)
18. 人間の世界は、男性と女性という二つの翼から成り立っている。この二つの翼の強さが同等でなければ鳥は飛び立てない。女性が男性と同等の地位に達し、同等の活動舞台を得ない限り、人類の非凡なる達成は実現できない。人類は、真の達成の頂に飛んで行くことができないのである。この二つの翼、または、この二つの部分の強さが等しくなり、同等の特典を得た時、人類の飛行は非常に高く、驚くべきものになるであろう。したがって、女性は男性と同じ教育を受け、全ての不平等は正されなければならない。(アブドル・バハ:Promulgation of Universal
Peace、p.375)
ストライキ問題解決:雇用者と労働者との関係改善
19. あなたはストライキについて私に尋ねた。これは困難な問題であり、
これからも長くあり続けるだろう。ストライキには二つの原因がある。ひとつは製造者と経営者らの極端な貪欲と強欲であり、もうひとつは、労働者や職人らの過度な要求、 貪欲、
非協力的な態度である。したがって、この二つの原因を正す必要がある。
しかし、問題の主な原因は、現代文明の法律にある。なぜなら、少数の個人が巨額の富を貯える反面、多くの人々が困窮し、剥奪(はくだつ)され、惨めな状態に置かれているからである。これは、正義・人間性・平等に反することである。それは不公正の極まり(きわまり)であり、神はお喜びにはならない。
この貧富の差は人間特有のものである。他の生き物、 つまりほとんどの動物の間には、 一種の公平と平等がある。平等は、
山に住む羊やシカの群れに存在し、同様に、草原や平原や丘、 あるいは果樹園に住む鳥の間に存在する。そしてその他あらゆる動物にも、ある種の平等がある。それらの動物には、人間の様な貧富の差は見られず、完全な平穏と喜びの内に生きる。
しかし、人間にとっては全く別の話であり、人間は最大の過ちと全くの不平等の内に存在し続けている。自分の利益のために、ある国を植民地化することにより富を貯えた人々について考えてみよ。そのような人々は莫大な富を獲得し、川の如く流れる利益と収入を確保した。その反面、十万もの不幸な人々、か弱く無力な人々は一切れのパンを得ることにも困っている。それで、全体としての平和と喜びが壊(こわ)され、多くの人々の一生をだいなしにする程、福祉がなおざりにされていることがわかる。富や名誉、商業や工業は経営者らの手中にあるのに、
他の人々は連続する困難や無限の問題にさらされているのだから。後者には利益も快適な生活も心の安らぎもない。
...例えば、製造者や経営者は毎日、 富を山と積み、貧しい職人たちは日々の生活必需品さえも得ることができない。それははなはだしい不平等であり、公平な人には許すことができない。したがって、
労働者が工場経営者から賃金を受けるのと同時に、 工場の収入能力に応じてその利益の四分の一なり、五分の一なり取り分を得ることを可能にする、 法律や規定が制定されるべきである。あるいは別の方法で、労働者と製造者たちは、利益を公平に分かち合うべきである。資本と運営は、工場経営者が供給し、
仕事や労働は労働者が供給する。したがって、 労働者は、生活に十分な賃金を受け取るべきで、働けなくなり仕事を辞める時には、その産業の収入から十分な手当てを受け取るべきである。さもなくば、
非常事態や困った時のために貯えるに十分な賃金を最初から支給すべきである。
それで、大衆が困っているのに、過度な富を少数の個人の間で分配することは不公平かつ不正なのは、明らかである。同様に絶対的な平等も、
人類の生活や幸福や秩序や平穏の妨げとなる。このような問題においては、中庸が好まれる。資本家が、利益を得ることを適度に控え、貧しい人や困っている人々の幸福のために思いやりを持つことが好ましい。つまり、従業員や職人が規定された日給を貰い、そして工場全体の利益から分け前を受け取ることである。
そこで、 製造者、従業員、そして職人の共通の権利として、 適当な利益を製造者に与える一方、生活に必要な糧と将来のための生活保障を従業員に与えるような法律が制定されるべきである。こうして、労働者の体力が衰えて仕事を辞めたり、年をとって無力になったり、未成年の子供を残して亡くなったりした時、労働者とその子供たちは、過度の貧困によって路頭に迷うことはなくなる。いかに少なくとも、
その工場の収入から、 生計のための分け前を得るのである。
同様に、従業員は、それ以上、過度な主張をしたり、 反抗したり、権利を超える要求をしたりすべきではないし、
ストライキを起こすべきではない。法外な賃金を請求せず、 従順であるべきである。こうして双方の正当な権利が、慣例にしたがって公正で公平な法律により法的に制定され、
確立される。一方が法を破った場合、裁判所が違反者を咎め(とがめ)、執行部は判決を執行すべきである。こうして秩序は再確立され、困難は解決される。製造者と従業員の間における未解決の問題につい裁判所や政府が干渉することは、
合法的である。なぜなら、従業員と製造者の間に存在する問題は、個人間の問題とは異なり、 公に関わるからである。個人間の問題は公に関わらない。また、 政府は個人の問題には干渉すべきではない。実際、この二者間の問題は個人的に見えるが、公に損害をもたらす。なぜなら、商業や工業や農業、
そして国全体の業務は、みな密接に関連しているから。もしこれらのひとつが損害をこうむったら、全体に影響する。こうして、従業員と製造者の間の問題は、 全体の損害を引き起こすのである。
したがって、裁判所と政府には、 干渉する権利があるのである。個人的な権利に関して、二者間に問題が起きた場合、解決には第三者が必要となる。これが政府の役割である。ストライキ問題は国に問題を引き起こし、しばしば労働者の過度の不満や製造者の強欲に関連しているが、政府がほおっておくことはできない。
全く驚いたものだ。仲間のひとりがあらゆるものに窮乏して飢え死にするのを知っておきながら、豪華な邸宅に心地よく安らいで生活することができるものであろうか。極度に悲惨な状態にある者をよそ目に、自分の富を楽しむことができようか。これが理由で、
裕福な人は毎年、 その富の一定の割合を、貧困者や恵まれぬ人の福祉のために与えるよう、 神の宗教においては規定され定められている。これこそ神の宗教の基盤であり、それは全ての人の義務である。
そしてこの法によれば、政府によって無理に強いられることなく、むしろ貧しい人々に慈悲を示し、自発的に、 かつ喜んで、
善意の心から自然に行うことになる。それで、そのような行為はまことに賞賛され、認められ、気に入られるのである。
神の書と書簡における善行の意味とは、 そのようなものである。
(アブドル・バハ:Some Answered Questions、pp.273-274)
商売における中庸と公正
20. 大抵の人々は、この事を必要としている。もし、 利息の制度が認められない場合には、業務は拘束され、障害をきたすからである...『ガルデ・ハサン』[3]によって金銭を貸す人はほとんどないであろう。したがって、人々の間で慣行されている商業取引と同様に、
金銭の利息制度を行うことを、 われは、 僕(しもべ)への恩恵として許した。すなわち、 金銭に利息を課すことは許され、 合法的で、罪はない...ただし注意すべきことは、中庸と正義を守って取り扱うということである。『栄光のペン』は、神の在在からの英知をもって、しもべらの便宜のために、利息の範囲を限定することを控(ひか)えた。われは公正と正義とをもって、神の友らが振舞うこと、
また、 神に愛されし人々の慈悲と憐れみがお互いに示されるように振舞うことを勧告する。
これらの事柄の執行は、時代の必要条件に応じて英知をもって遂行されるよう、正義院に任されている。(バハオラ:Bahá’u’lláh and the New Era、pp.136-137)
奴隷制度の廃止
21.1860年から1865年にかけて、あなた方は驚くべき仕事を成し遂げた。あなた方は所持品としての奴隷制を廃止した。しかし今日、 あなた方はなお一層の大事業を達成せねばならない。すなわち産業上の奴隷制を廃止せねばならないのである...
経済問題は、資本が労働に対抗し、また労働が資本に対する争いや紛争の方法では解決されないであろう。労働と資本両方の自発的善意によってのみ、
真実の解決が達成できる。その時こそ、 真に永続する正義の状態が保証される。
バハイの中には、搾取的(さくしゅてき)で報酬目当ての不正な行為はないし、政府への不当な要求や革命的な暴動などを企てることもない...
将来は、他人の労働によって、多大の富を蓄積(ちくせき)することは不可能になるであろう。金持ちは喜んで富を分け与えるであろう。自由意志によって徐々に自然に行なわれるであろう。決して戦争や流血によって成し遂げられはしないであろう。(アブドル・バハ:Bahá’u’lláh and the New Era、pp.144-145)
競争ではなく、相互協力と奉仕の精神
22. もし、 商業や農業や技術、 そして工業において、個人の努力と神の恵みによって富が獲得されたなら、また、それが博愛的な目的のために費やされたなら、富は最高に賞賛されるべきである。まず、
賢明で資力ある個人が、民衆全体を豊かにする方策をとるなら、これより偉大な事業はあり得ず、神の目から見ればそれは最高の業績に値する。なぜなら、そのような人は、群衆の需要を供給し、
安楽と幸福を保証するからである。全人口が裕福であるなら、富は非常に立派なものである。しかし、いく人かが過度の富を占め、 残りが貧乏になされたら、その富からは何の実りも利益も生じない。それはその利益の所有者にとって負担となるだけである。これに反して、もしそれが学問の促進や小学校やその他の学校の設立、技術や産業の奨励、孤児や貧困者の教育に費やされたら、
すなわち、社会福祉のために捧げられたら、 その富の所有者は神と人類の前において、地上に住む者のうちで最も優れた者として際立ち、楽園の人々のひとりとして数えられることであろう。(アブドル・バハ:The Secret of Divine
Civilization、pp.24-25)
世界的政府の設立
23. 経済的にせよ政治的にせよ、戦争によって浪費されている膨大なエネルギーは、
人間の発明や技術の発展の範囲を拡大するような手段や人類の生産力の増大、疾病の絶滅や科学的研究の促進に捧げられるでしょう。またそれは、 身体の健康水準の向上や人間の頭脳の鋭敏化と洗練、地球の未使用で未知の資源の開発、人間の寿命の延長、そして全人類の知的、道徳的、精神的生活を刺激し得る他のあらゆる機関の促進のために捧げられるでしょう。
全地球を統治し、想像できないほど膨大な資源に絶対的な権威を行使し、東洋と西洋の理想を融合し具体化し、戦争の呪いと悲惨から解放され、そして地球の利用可能なあらゆるエネルギーの開発に努力を向けた世界連邦組織、そして力が正義の僕(しもべ)とされ、その生命は唯一神を認め、ひとつの啓示に忠実であることにより維持される組織――以上が、人類が生命の統合力によって駆り立てられ目指している目標です。(ショーギ・エフェンディ;The World Order of Bahá’u’lláh、pp. 203-204)
2.政治問題
政府への忠誠と政治への不参加
24. 汝等、唯一の真なる神の最愛なる者等よ。汝等の邪悪で腐敗した欲望の狭き隠れ家を通り越して、神の王国の広大なる無限へと前進せよ。そして、汝等の行為の香りが、全人類を神の衰えることのなき栄光の大洋へと導けるように、汝等、神聖と離脱性の牧草地に留まれ。諸々の俗事に関わること、あるいは、世間の指導者たちの活動に干渉することを控えよ。 (バハオラ:Gleanings from the Writings of Bahá’u’lláh、CXV、 p.241)
25. この人々が住むあらゆる国では、彼らはその国の政府に対して忠誠と正直と誠実をもって振る舞わなければならない。これは、『お命じになる御方』、『日の老いたる御方』の命令によって啓示されたることなり。 (バハオラ:Tablets of Bahá’u’lláh、pp. 22-23)
26. おお、主の侍女よ。汝、政治に関する言葉を口にするな。汝の仕事は、魂の生活に関するものである。なぜなら、これこそ神の世界で人間を喜びに導くものなれば。誉める以外は、地球の王たちや世俗的な政府について何も語るな。むしろ、神の王国のこの上ない吉報を広め、神の言葉の影響や神の大業の神聖さを示すことに汝の発言を制限せよ。永遠の喜びや精神的な歓喜や神々しい性質について、又、『真理の太陽』がいかに地球の地平線上に昇ったかについて告げよ。また、
生命の精神が世界の体へ吹き込まれたことを告げよ。 (アブドル・バハ:Selections from the Writings of ‘Abdu’l-Bahá、pp. 92-93)
27. バハイが政治に対してとるべき態度は、ふたつあります。つまり、彼らが住む国の政府に完全に服従すること、それから政治的な事柄や問題に何の干渉もしないということです。師〔アブドル・バハ〕の言明が意味することは、どの様な形態のものであれ、正式に制定されている政府に服従するということです。私たちは、個人のバハイとして私たちの政府が公正であるかどうかという判断をすべきではありません。なぜなら信者は必ず違った見解を持つもので、私たち自身バハイの内部で不和の温床が生じ、その和合を破壊するからです。私たちは、バハイの秩序を築き上げるべきで、世界の不完全な制度にはそれ自体の道を進ませておくべきです。私たちは、それに巻き込まれることによってそれを変えることはできません。逆に、それは私たちを破壊するでしょう。 (ショーギ・エフェンディから中央アメリカのNTCへの手紙より、7/3/48:Unrestrained as the Wind、p.153)
28. 私たちが従わなければならない基本的な原則は...私たちが住むあらゆる国の政府に従順であることです...
したがって、私たちは、二つのことをしなければなりません。つまり、政治活動を...避けることと、そして私たちが住む土地に権力を持つ政府に従順であるということです...信仰を否定するといったような精神的原則が関係している場合を除いては、常に私たちは従順であらねばなりません。むしろ、
これらの精神的原則のためには、私たちは死ぬ覚悟であらねばなりません。私たちバハイが直視しなくてはならないのは次のことです。つまり、 社会はあまりにも急速に崩壊しているので、半世紀前にはまだ明確だった道徳的規律が、
今や絶望的なほど混乱し、さらに問題なのは、 競い争う政治的利害関係と混合されてしまっているという事実です。ですから、バハイは、自らの全勢力を、バハイの大業とその行政機構の建設の方向に注がねばならないのです。バハイは、目下のところ、それ以外の方法では世界を変えることもできなければ助けることもできません。もしバハイが、世界の政府が奮闘している問題に巻き込まれたら、途方にくれてしまうでしょう。しかし、もしバハイの秩序を築き上げるならば、その他全てが失敗した時に、バハイはそれを救済策として提供することができます。(ショーギ・エフェンディの代理から個人の信者へあてられた手紙より:Lights of Guidance、pp.331-332)
29. 私たちのひとりひとりは、心も頭も、言葉も行動も、国々や政府の政治的な問題や論争から離脱しているべきです。私たちはそのような考えに関わってはなりません。また、どの政党とも政治的関係を持つべきでなく、これらの争い合っている様々な党派に属すべきではありません。
政治問題において完全に中立の立場を取ることは、言葉と行動で示されるべきであり、政府や国家への愛も、バハオラの根本的な教えである人類全体への愛のひとつとして、言葉と行動で示すべきです。 (ショーギ・エフェンディ:Unrestrained as the Wind、pp.154-155)
無関心なのではなく、派閥政治との方法論の違い
30. バハイはしばしば、同胞の『現実的な問題』に無関心であるという非難を受けます。しかし、このような批判をする人々こそ、通常、物質的利益を唯一の『真の』利益とする理想主義的な唯物主義者であります。私たちは、物質世界での活動は精神的状態の反映に他ならず、精神的状態が変えられない限り、物質的な事柄における永続的な変化はありえないことを知っています。このことを忘れないようにしましょう。
大抵の人々は、自分が築き上げたいと望む世界は何かということや、それをどうやって築き上げるかについてはっきりとした考えを持ってもいないということも、私たちは、心に留めておくべきです。したがって、現状を改善することに関わっている人々でさえ、表面化した悪と戦うことで精一杯なのです。現状としての悪にせよ、邪悪な人としての悪にせよ、その悪と進んで戦うかどうかが、大抵の人々にとっては、道徳的な価値としてその人を評価する基準となってしまったのです。これに反してバハイは、自らが目指す目標と、そしてその目標を着実に達成するために何をせねばならないかを知っています。バハイの全勢力は、善を築き上げることに注がれています。そしてその善とは、非常に積極的な力があるために、本質的には否定的な悪の軍勢も、
その善に直面すると、消え去り、 なくなってしまうほどです。ドン・キホーテ流に現実離れしたやり方で世界に存在する悪をひとつひとつ粉砕(ふんさい)していくことは、バハイにとっては時間と努力の無駄です。バハイの人生は、バハオラのメッセージを広め、同胞なる人々の精神的生活を復活させ、神によって創られた世界秩序において彼らを和合させることに向けられています。そして、
その秩序が勢力と影響力を増すにつれ、そのメッセージの力により、 人間社会全体が変革され、問題が徐々に解決され、人類を長い間悩ませてきた不正行為が取り除かれていくのを見ることでしょう。(万国正義院の代理から個人の信者にあてられた手紙より、7/7/76:Lights of Guidance、p.333)
31. あなたは、 バハイが黙っていることは、 混乱状態と人類の屈辱的な状態が続くのを野放しにするのではないのかと聞いておられます。また、
バハイが政治を避けることは、世界にいる自由の戦士たちの活動を弱めることにしかならないとおっしゃいます。私たちは、社会の現状を見つめる時、病に襲われ、苦悩の重荷のためにうめいている世界を見ます。この苦悩については、バハオラ自身、
次のように証言なさいました。つまり、人類の『身体』は『完全かつ完璧に創られていた』が、『様々な原因により、 深刻な病(やまい)により苦しんでおり、また、 その病は、世俗的の欲望に拍車をかけ、重大な過ちを犯してしまった無能な医者たちの治療を受けるにつれ、さらに悪化してしまった』のです。バハオラはこの文章でこう結論を出しておられます――『特効薬』は『有能で、全能にして霊感を与えられた医者』に頼り、従うことであり、『これこそまことに真実であり、それ以外は全て誤りに他ならない』。
...神の摂理が働き、この時代の人類への神の目的を達成させようとしていることは明らかになります。ショーギ・エフェンディは次のように私たちに確証なさいます。
神の目的とは、長い間分裂し、
苦しんできた人類のための偉大なる黄金時代をもたらすことに他ならないのです。それがもたらされる方法は、 神のみが知りうるところで、 また、 その意味全体については神のみが知りうるのです。人類の現状、そしてその近い将来でさえも、
悲惨なほどに暗いものです。しかしその遠い将来は、明るい、 非常に明るい。それは非常に明るく、 いかなる人の目にも描くことができないほどです。
この時代の苦悩と混乱は、生みの苦しみにもがくこの時代の苦悩と困難――このような混乱状態を背景として、次のことについてじっくりと考えてみることは、
もっともなことでしょう。つまり、 われらが信教の『創始者』[4]が80年も前に発した不吉な予言と、 彼の教えの誤ることなき『解釈者』[5]が発した悲惨な予測について考えてみることです。それらは、
みな、 人類史上例を見ない規模と度合いの世界的な騒乱を予告していました。(ショーギ・エフェンディ:1975年、レズワン)
神の大計画は、神のみが知りうる方法で神秘的に進行しますが、小計画は、
明確に説明されています。小計画は、 人類の救済のための神の壮大な計画において私達が遂行するためにお与えになったものです。私たちが全精力を注ぐべきなのは、 この小計画の仕事です。私たちを除いて、誰もその仕事をする人がいないからです。(万国正義院の手紙からの抜粋)
(万国正義院の代理から個人の信者にあてられた手紙より、7/7/76:Lights of Guidance、p.332)
32. そのような態度[政治に参加しないこと]は、自国の発展や利益に無関心であるのでは断じてないということ、また、確立され認められた政府に従わないという意味ではないことは、間違いなく明白にされるべきです。またそれは、自国の政府と国民の最高の利益を、
最も効果的な方法で促進するという神聖な義務を拒否することでもありません。それは、非利己的に、 質素に、 また愛国的心を持って、自分の属する国の最高の利益に仕えるという、
バハオラの真の忠実な信奉者全てが抱いている望み、 バハイ信教の教えの誠実さと正直という高い水準からそれることのないように奉仕するという望みでもあります。(ショーギ・エフェンディから米国とカナダのバハイへあてられた手紙より、3/21/32:The World Order of Bahá’u’lláh、p.65)
33. 何百万人という非常に多くの人々を今日苦しめている危険や惨事に積極的に対処したいというあなたの望みは、自然で高遠なる衝動ですが、バハイの仕事の価値は、人類へ捧げる他のいかなる奉仕とも比較にならない、と彼は感じておられます。
バハイが自らの仕事を正しく評価することができるなら、他の救助活動は、 せいぜい短期間、 人々の苦しみや病を和らげるだけで、表面的なものであるのに対し、自分たちがしている仕事は、神の言葉に基づき、
神がこの時代に定められた法律に応じて動く、 新しい精神的な『秩序』の基盤を世界に築くことであることがわかるでしょう。この仕事ができるのは、 バハオラのメッセージの意味を十分に理解した人だけです。それに対し、
勇敢で誠実な人ならほとんど誰でも、 救助活動やそれに似た仕事をすることができます。
バハイの信者たちは、人類のための避難所を築いています。これが、彼らの最高にして神聖な仕事です。彼らは、できる限りの時間をこの仕事に捧げるべきなのです。(ショーギ・エフェンディの代理から個人の信者へあてられた手紙より:Lights of Guidance、p.316)
3.軍縮・軍備撤廃
34. 神――その栄光に誉れあれ――の権力の典型なる者らの熱心な努力により、
世界中の武器が再建のための道具に変えられること、争いや闘争が人々の間から一掃されること、われは望んでいる。(バハオラ:Tablets of Bahá’u’lláh、p.23)
35. 全人類を包含する議会を召集することが、 絶対的に必要であることが世界中で認められる時が必ずやってくる。地上の統治者と国王たちは、それに出席しなければならない、
そして、 その協議に加わり、人々の間に世界の『大平和』の基礎を築くための手段や方法を考慮しなければならない。このような平和をもたらすためには、地上の人々の平穏のために、大国は互いに完全に和解するよう決議する必要がある。もしある国王が他国に対して武器を取ろうとしたら、全ての国は結束して立ち上がり、それを防がねばならない。このようにするなら、世界中のあらゆる国は、国の安全を確保し、
属領内の秩序を保つ以外、 いかなる軍備も必要としなくなるであろう。こうすることにより、 あらゆる国民と政府と国家の平和と平穏を保証することになる。恵み深く全能なる神の御名の鏡である地上の国王や統治者たちが、
この地位に達し、人類を残虐の猛襲から守るよう、 われは心から望んでいる。 (バハオラ:The Proclamation
of Baha’u’llah、 p.115)
36. 世界中の政府が...いったん...永遠の友好の誓いを交したら、膨大な常備の陸軍や海軍を維持する必要はなくなるであろう。国内の秩序を維持するためのいくつかの大部隊と、海上の幹線路を安全にしておくための国際警備隊だけで十分である。そうして、この膨大な資源は、他のもっと有益な目的に使うようになされるであろう。貧困はなくなり、知識が増し、平和の勝利は詩人たちによって謳(うた)われ、知識は状態を改善し、人類は至上の幸福と喜びの揺り籠で揺らされるであろう。そして、立憲制であれ共和制であれ、世襲の君主制であれ民主制であれ、統治者たちは、国家の繁栄、
正当で理にかなった法律の制定、 隣国とのより密接で友好的な関係の促進などに時間をあてるであろう。こうして、 人類世界は、神の御国(みくに)の美徳と属性を映す鏡となるであろう...
全体的な合意により、世界中のあらゆる政府は、 同時に軍備を撤廃しなければならない...一方が武器を捨てても、他方がそれを拒んでは何の成果もない。世界の国々は、この最も重要な問題について、
お互いに同意しなければならない。こうして、彼らは人を殺す凶器を共に捨て去るであろう。ある国がその陸軍と海軍の予算を増やす限り、別の国は、実際の、 また想像上の利害関係のためにこの狂気の競い合いに、
必ずや巻き込まれざるを得ない...
さて、軍備撤廃の問題は、 一、 二カ国ではなく、全ての国が実行しなければならない。したがって、平和の提唱者たちは、
日夜努力しなければならない。そうすることにより、 あらゆる国の人々が平和を愛し、世論が強力になって安定し、国際平和を目指す軍隊が日毎(ひごと)に増し、完全な軍備撤廃が実現され、地上の山頂に国際的な和解の旗がなびくよう、...
平和の理想は世界中の人々の間で育まれ、広められねばならない。人々は、平和の概念や戦争の邪悪さについて教育されなくてはならない。第一に、資本家や銀行家は、罪の無い国に不正な戦争を起こそうと考えている政府へ金を貸すことをやめなければならない。第二に、鉄道会社や蒸気船会社の社長や経営者たちは、戦争用の弾薬や爆弾、銃や大砲や火薬を、国から国へ輸送することをやめなければならない。第三に、兵士たちは、その代表者たちを通して、国防大臣や政治家、国会議員や陸軍大将に、そのような国家的災難の瀬戸際に追いやられた理由や原因について、
明確かつわかりやすい言葉で説明してほしい、と申請すべきである。兵士たちは、特権のひとつとして、これを強く要求すべきである...
つまり、戦争を生じる手段はすべて阻止され、戦争を防ぐ手段はすべて促進されるべきである――戦争が実際に起きるのを防ぐため。他方では、あらゆる国は厳密に境界を定め、正確な境界線を示し、領土を保護し、その永久の独立を保護し、その国の貴重な利益を守らなければならない。これらの仕事は、
公平な国際機構によってなされるべきである。このようにして、不和や紛争の全ての原因は取り除かれるであろう。そして、国々の間に紛争が起きる場合には、『人類の議会』において仲裁裁判することができる。その『人類の議会』の代表者は、世界のあらゆる国の最も賢く、最も分別のある人々の中から選ばれるべきである。(アブドル・バハ:Star of the West、 Volume V、 pp.115-117)
37. 軍備撤廃の問題に関してですが、あらゆる国は同時に軍備を撤廃しなければなりません。いくつかの国が軍備を撤廃するのに、その隣国は軍備を備えたままであってはなりませんし、
その様な提案もされていません。世界平和は、国際協定によってもたらされねばなりません。全ての国は、同時に軍備を撤廃することに同意しなければなりません...周辺の国が戦闘態勢にある間は、いかなる国も平和政策に従うことが出来ません...それに正義が全く存在しません。その様な行動で世界の平和がもたらされるなど、
誰も提案しないでしょう。世界平和は、全般的で総合的な国際協定によって実現するのであり、 それ以外はありえません...
(彼[6]は続けてこうおっしゃいました)軍備撤廃の計画には、
同時に行動を起こすことが必要です。世界の全ての政府は、戦艦や軍用船舶を商船に変えなければなりません。しかし、その様な政策をただひとつの国が単独に始めることは不可能です。ひとつの強国がそうしようとしても、愚かなことです...それは破壊を招くだけです。
(ある人が、 アブドル・バハにこう尋ねました――近い将来、 永久的な世界平和が確立される兆候はありますか?)
(彼はこう答えました)それは、 今世紀に確立されるでしょう。二十世紀において、世界平和は普遍的になるでしょう。全ての国は、それを強いられるのです。
(経済問題の圧力からでしょうか?)
そうです。国々は、平和をもたらし、戦争の廃絶に同意せざるをえないでしょう。戦争のための課税というひどい重荷は、人間が耐えられなくなるでしょう...
(アブドル・バハは結論として、 こうおっしゃいました)否(いや)、私は繰り返して言いますが、このような状況では、どの国も軍備を撤廃出来ません。軍備撤廃は確実に実現しつつあります。しかし、それは、文明諸国全体の同意によって実現しなければなりませんし、
必ず実現するでしょう。国際協定によって国々は武器を捨て去り、大いなる平和の時代がもたらされるでしょう。
地上の平和は、この方法でのみ確立できるのです。それ以外ではありえません。(アブドル・バハ:Abdu’l-Baha in Canada、 pp.50-51[カナダでの講演より]、
Peace: More than an End
to War、pp.177-178)
[1] 訳注:引用文の5で述べられていたように、 収入の差そのものはつき物であり、自然である。また、
アブドル・バハは、 ここで、 個人の怠慢により収入が少ないという状況は含んでいない。あくまで、 正義に基づいたシステムであり、 全ての人が誠実に働いても、 災害や不慮の事故で収入と経費のバランスが取れていない時の再調整の仕方を述べておられるのである。引用文7にあるように、
経済問題の根本は精神的なもので、 労働する側も雇用する側も、 まずは正義に基づいた行為が必要である。
[2] 訳注:つまり頭を使う仕事。
[3] 語義は『良い貸付』の意味で、すなわち無利息で貸し付け、借りた人は随意に返却する金銭貸借。
[4] バハオラ
[5] アブドル・バハ
[6] アブドル・バハ