第3章 若者の使命
1. 若きバハイの布教者への祝福
青年期に、そして人生の最盛期に常に統べたもう主の大業に仕えるために立ち上がり、心を神の愛で飾る者は幸いである。そのような神の恵みの顕現は、天と地の創造よりも偉大である。確固たる者は祝福され、断固とした者は幸いである。(バハオラ:Unrestrained as the Wind、序文)
2. バハイの若者の能力
困難な条件下での若者の忍耐力、活力や精力、それぞれの状況に適応する能力、新しい挑戦に臨み、訪れる人々に暖かみと熱意をふりまく能力、彼等が行う行動の規範を持って、バハイの若者は企画を遂行するための強力な手段となります。まことに、これらの特質を持って若者は、彼等が参加する地域的あるいは全国的なあらゆる事業と仕事の先兵となり、原動力となることができるのです。私達の期待の目はバハイの若者に向けられています。(万国正義院から全ての全国精神行政会への手紙より、5/25/75:Lights of Guidance、p.507)
3. バハイの若者の使命
この大業は同等の敬意をもってあらゆる年齢の人々を歓迎しますが、あなた達の世代の若者には、特別なメッセージと使命があります。この大業は、若者の将来の憲章であり、希望や来たるべき、より良き日々を保障するものです。それゆえ、守護者は、若きバハイがパイオニアの仕事に活発であることを非常に幸せに思っておられます。(ショーギ・エフェンディの代理から信者にあてられた手紙より、6/16/42: Lights of Guidance、p.507)
4. バハイの生き方の模範
特に若者は休むことなく、また決然としてバハイの生き方の模範になるよう努力せねばならないと彼は感じておられます。回りの世界には道徳的堕落、風紀の乱れ、みだら、下劣、無神論などが見られます。バハイの若者はこれらとは反対に自らの純潔、立派さ、節度ある態度、思いやりや礼儀正しさで、老若を問わず、信教に引きつ付けなけれけねばなりません。世界は言葉に飽きており、模範を欲してしがっているのです。そしてこの模範を示すことのはバハイの若者の務めなのです。(ショーギ・エフェンディの代理からグリーン・エイカー夏期学校にあてられた手紙より、9/19/46: Lights of Guidance、p.507)
5. 若者の使命
バハイの時代の初めから、若者は、神の啓示を広めることに極めて重要な役割を果たしてきました。バブご自身も使命を宣言した時はほんの二十五才で、『生ける文字』[1]の大部分はバブよりも若かったほどです。師[2]は非常に若い頃、イラクとトルコにてバハオラヘの奉仕という重大な責任を負わなればなりませんでした。そして彼の弟、『最も清き枝』[3]は、神の僕らが『活気づけられ、地上の全人類が統合されるように』二十二才の若さで、『最も苛酷なる牢獄』で自らの生命を神に捧げました。ショーギ・エフェンディは守護者としての玉座に呼び出された時、オックスフォード大学の学生でした。また、十年計画で不滅の名声を勝ち得た『バハオラの騎士』の大勢は若者でした。ですから、神の大業のための賢重な奉仕をな成すために、若者は成熟するまで待たなければならないと思ってはなりません。(万国正義院から世界各国のバハイ若者への手紙より、6/10/66: Lights of Guidance、p.513)
6. バハイの学者の必要性
バハイ信教の若い男女は、その教えの深遠で、思慮深い学者であらねばなりません。そうすれば、人々が対面している全ての問題には救済策があるということを彼等に納得させるようにテイーチング出来るでしょう。
バハイの若者は、行政機構について理解しなければなりません。そうすれば、常に成長しつつある大業の事柄を、賢明かつ能率よく管理することが出来ます。又、彼等は、バハイの生き方の模範を示さねばなりません.....
(ショーギ・エフェンディの代理から個人の信者へあてられた手紙より、5/12/44: Lights of Guidance、p.509)
7. バハイの学者の必要性
大業はバハイの学者をもっと必要としています。バハイを信じ、献動的で、人々にそれを伝えたいと願うだけでなく、バハイの教えと意義について深い理解があり、世界の人々の現在の思想や問題に、その信条を関連することのできるバハイの学者がこの大業にはもっと必要です。大業には、世界の全ての問題の救済策があります。もっと多くの人々がそれを受け入れない理由は、私達バハイが必ずしも、人々の心の即座の要求に沿うようにそれを提供できないからです。あなたのような若いバハイは、このメッセージを渇望し、それを伝えようとする言葉をよく理解できる世代にメッセージを伝えるよう、あなたのような若いバハイは、伝導するように準備をしなくてはなりません。彼は、アブドル・バハの講演を勉強することをお勧めになります。なぜなら、彼の民衆の心に訴える彼の近づく方法に勝るものはないからです...彼は又、もっと効果的に大業について教えることができるように、演説者としての訓練を受けるなさることをお勧めになります。(ショーギ・エフェンディから個人の信者へあてられた手紙より、10/21/43: Lights of Guidance、p.515)
8. 若者への期待
今日、守護者が熱心に期待の目を向けておられるのは、若者です。そして、彼が、信教を促進するための全ての責任を負わせようとなさっているのもは若者です。この機会に立ち上がり、神の偉大な大業に仕えるよう、最大の努力を尽くすべきです。(ショーギ・エフェシディの代理からインドのバハイの若者へあてられた手紙より、6/6/33: Lights of Guidance、p.509)
9. 若者の将来
現在の世界の状況やその経済不安定、社会紛争、政治的不満や国際的不信によって、若者はその眠りから目覚め、将来はどうなるのかという問いをかけるようになるでしょう。もし何なんらかの災難が世界を一掃したら、確かに、若者こそが最も苦しむことになるのです。それゆえに、彼等は、世界の現状に目を開き、今勢いのある盛んである悪の力を調べ、そして、立ち上がり、力を合わせて、必要とされるな改革をもたらさねばなりません。その改革とは、人間生活の社会的・、政治的局面と同時に、精神的局面を含む合むべきものです。(ショーギ・エフェンデイの代理から個人の信者へあてられた手紙より、3/13/32: Lights of Guidance、p. 508)
10. 若者へのテイーチング
若者に神の啓示について伝えることは、一般の人々にテイーチングすることと同様、微妙な難問です。世界の人々は、道徳面で、バハイの環境とは対照的な環境に浸されています。もし私達が最初から厳格すぎたら、全てとは言わずとも、ほとんどの人々は拒絶し、本来なら受け入れていたかもしれないメッセージから、顔を背けてしまうでしょう。だからと言って、私達は、教えを真面目に実践しようとしない人がバハイになることも望みません。私達は、臨機応変に対応し、強い人々には積極的に、弱い人々には徐々にテイーチングしなければなりません。(ショーギ・エフェンディの代理から個人の信者へあてられた手紙より、8/7/50: Lights of Guidance、p.512)
11. バハイの若者の急増
バハイの若者が立ち上がったことは、テイーチングの活動事の様相を変えました。彼等の同世代の若者に受け入れられる様な方法で神のメッセージを提供する献身的で信心深いバハイ著者たちによって、厳然たる障害は破壊され、克服されました。このメッセージは若者の世代から広がり、今も社会全体に広まっています。バハイ世界全体は、この成長ぶりに興奮しています。古い世界の価値や標準を拒絶して、バハイの若者はバハオラの規範を熱心に学び、適応し、そして、古い秩序の放棄によって起こる空白を満たすために、神の計画を提供しようと熱望しているのです。(万国正義院より世界のバハイヘのメッセージ、1973年、レズワン:Lights of Guidance、p.514)
12. 若者は世界を動かせる
このような期待は、私達の注目を集めている緊急の、そして広大な機会を強化しています。私達を従事させる挑戦を心に描くためには、それがいかに不完全であろうと、およそ50年にわたっての、神の計画の加速的展開、イランで繰り広げられている、語られずにいる精神的のドラマ、そして近づ付きつつある20世紀の終わりの意識によって刺激された創造的エネルギーによってもたらされた、好ましい状態の集合について、私達の神聖なる書の見地から、反省するだけで良いのです。
疑いの余地なく、来たるべき世紀の社会の形成に重要な貢献をするのは、あなた方に出来ることなのです。若者は、世界を動かすことが出来ます。(万国正義院から世界のバハイの若者へのメッセージより、1/3/84: Unrestrained as the Wind、p.183)
13. 世界平和
将来の平和と、世界の幸福のための非常に重要な責任が、今日の若者に負わされています。バハイの若者が支持する大業の力によって、彼等はその友人達への立派な模範とならねばなりません。(万国正義院から米国全国精神行政会への手紙より、4/15/65: Lights of Guidance、p.517)
14. 日本は燃え立つであろう!
.....私が彼に読み上げたほとんど全ての嘆願の終わりに、彼はかの国における大業の将来についてなんという約束を私達一同に与えられたことでありましょう。今ここで、それらの中でも最も強調され、最も霊感に満ちた言葉を述べてみます。これらは、私の耳にいまだに鳴り響いている彼の言葉そのものであります。――『日本は燎原の火の如く燃え立つであろう。日本は神の大業を広げるのに、最も驚くべき能力に恵まれている。日本は他の国(彼はその国の名を述べられたが現在は秘しておくようにと命じられた)と共に、世界がやがて目撃するであろう人類と国々の精神的目覚めに、先駆者としての役割を演じるであろう。』
又、他の機会に――何と鮮かに私はこれを想い起こすことでありましょう――彼は体力の疲れから目をとじ、椅子にもたれかかりながらも、手を振り友らの前で力強く朗らかに、こう言われました――『ここで我々は平穏に、静かに、じっと座っているが、目に見えない御方の御手は種々の国々で、営に活発に活躍し勝利を得つつある。日本のように遠い国に於いてでさえも。』
(ショーギ・エフェンデイから日本のバハイヘあてられた手紙より、1/26/22:「燎原の火:日本」、p.75)
15. 勉学と職業の計画
バハイの若者は、神の大業への奉仕の一部として、又、信教の関心を促進するのに捧げられるであろう一生の環境において、彼等の勉学、そして職業の訓練について考えるよう、勧められるべきです。
それと同時に、勉学の期間中に、若者は、特定の数週間、数か月間、あるいは1年、またはそれ以上の期間を提供することが出来、その期間中、テイーチング旅行や、遠い村々で子供のためのクラスを指揮する、といった様な他の方法でバハイの共同体への奉仕に專念することが出来ます。彼等は、その様な奉仕を提供するように勧められるべきで、そんな奉仕自体、将来への実に立派な経験でありましょう。又、全国精神行政会は、その様な提供を受け、それから最大の可能な利点を得るように実行を系統だてる様なふさわしい委員会を指図するべきです。(万国正義院からすべての全国精神行政会への手紙より、1974、ノルーズ:Lights of Guidance、pp.512-513)
16. 祈りの不可欠性
.....いかにして精神性を高めるかということは、まことに、あらゆる若い男女が遅かれ早かれ満足のいく答えを見つけなければならない問いです。まさに、その様な満足のいく答えが与えられていない、または見つけていないからこそ、現代の若者は当惑し、したがって、人間の道徳的、精神的生活の基盤を根こそぎ破壊している物質主義的な力によって押し流されているのです...社会が陥っている、この悲しいほど不健全な状態を、宗教は改善し、変えようとするのです。
と言うのは、宗教的信念の核を成すものは、人間と神を結びつける神秘的な感情だからです。この神との交信状態は、瞑想と祈りの手段によって生じ、保たれます。それでこれ故に、バハオラは礼拝の大切さをそれほど強調されたのです。
信者は、単に教えを受け入れて、それを守るだけでは十分ではなく、バハイとしての精神状態を発達させなければなりません。それは、とりわけ祈りによって得ることができます...
それ故に、信者、特に若い信者は、祈りの必要性を十分に悟るべきです。なぜなら、祈りは、彼等の内面的発達に絶対的に不可欠で、また、既に述べた様に、神の宗教の基盤であり、目的であるからです。(ショーギ・エフェンディから個人の信者へあてられた手紙り、12/8/35: Lights of Guidance、p.510)
17. 若者の将来の責任
現在10代、20代にいるあなた方は、将来、大業の責務があなた方の背に負わされることを悟らねばなりません。あなた達は、信教を司る者、布教者、そして学者にならねばならないでしょう。今こそ、あなた達の将来の任務に備える時です。
彼は、あなた方が精神的な教えや道徳的な教え、そして行政に関する教えを深く勉強し、同時に、各々のバハイ共同体の生活に、出来る限り活発に参加することを期待されています。(ショーギ・エフェンデイの代理によって書かれた手紙より:Lights of Guidance、p.511)
18. 精神的成長のための必要条件
バハオラは彼の聖典の中で、精神的成長のための不可欠な条件を非常にきわめて明確に示されました。これらは、アブドル・バハによって、講演や書簡でくり返し強調されています。これらの必要条件は次のようにまとめることが出来るでしょう。
1.
純粋にして献身的な心で、日々の必須の祈りのいずれかを毎日唱える曜えること。
2.
敬意を持って、注意を払い思慮深く、聖典を少なくとも毎朝毎夕、規則正しく聖典を読むこと。
3.
教えをより深く理解し、より忠実に実行し、そしして他者に、より正確に伝えるため、祈り、それについて深く瞑想すること。
4.
教えの中で示されている高い標準にそうような振舞いが徐々に出来るように毎日努めること。
5. 神の大業を人に教えること。
6.
大業における仕事と自分の職業において、自己犠牲的な奉仕をすること。
信教では、祈りと瞑想という最も根本的な部分がいかに私的で個人的な事柄として説かれているは、顕著な点です。バハイにはもちろんマシュレゴウル・アズカー[4]や19日毎のフィーストのような祈祷のための集会がありますが、日々の必須の祈りは、私室でひとりで唱えるよう定めてあり、教えについての瞑想をすることも、同様に、グループ療法の一種ではなく、個人が各自、行なうべきことです。(万国正義院から、ある全国精神行政会への手紙より:Irish Bahá’í News、 “New
Day”、No.41、Nov./Dec.、1983)
19. バハイの若者よ、立ち上がれ!
パイオニアの先頭にいるバハイ若者が、神のために立ち上がり、そして彼らの原動力によって、困難で厳しい状況に耐える能力によって、又、最小限の必需品で満足することによって、彼らが仕えようとする人々や共同体を奮い立たせるような模範を示すこと、そしてその人々のそれぞれの生活に永続する影響を及ぼすこと、そしてこの計画を成功させる決定的段階において、神の大業の重要な利益を効果的に促進することを、私たちは心から望んでいます。
(万国正義院からの手紙より、3/25/75: Lights of Guidance、p.514)
20. 若者の責任
アメリカ、その他、世界の全ての地域に於けるバハイの若者の活動、希望、そして理想は、私にとっていとしく、親しく大切なものであります。来たるべき日々、神の大業の利益を促進し、又、その全世界的活動をうまく作動させ、その範囲を広げ、その完全な状態を守り、そしてその美徳を賛美し、その目的をはっきりと示し、その理想と目標を忘れることのできない永続的な業績へと変えるという、最高かつ挑戦的な責任...が、彼らに負わせられているのです。彼らの仕事は偉大です。それは、偉大にして神聖で、巨大にして魅惑的なものなのです。(ショーギ・エフェンデイ:個人の信者にあてられた手紙、 10/26/32の追伸より:Unrestrained as the Wind、p. 83)
21. 若者の任務
将来の大業の進歩と拡大に関して、守護者は、その全ての期待の中心を、あなたのような若く、活発なバハイに向けておられます。そして、彼は、若い信者たちの間で献身的な奉仕の精神を維持する責任を、若者に背負わされています。その精神なしでは、いかなる仕事をも首尾よくなすことはできません。その精神があれば、たとえ苦労しても勝利は必然的です。したがって、あなたは、心に燃え盛る信仰のたいまつをもたらすために最善を尽くすべきです。なぜなら、その信仰を通して、あなたはきっと、導きと力と最終的な成功を見いだすでしょうから。
...彼らのひとりひとりは、その能力に応じて、メッセージを伝えることができます...あらゆる人は潜在的な布教者なのです。人は、神が彼にお与えになったものを使い、そして自分に託されたものに忠実であることを証明するだけで良いのです。(ショーギ・エフェンディの代理から個人の信者へあてられた手紙より、9/1/33: Unrestrained as the Wind、p. 83)
22. この世代の若者の特異性
この世代のバハイ若者には、特異な点があります。あなた方は、歴史の力がその最高潮へと向かい、人類が小平和の確立を見る時期に生きるのであり、その間に、神の大業は、人間社会の再建設においてますます著しい役割を果たすことでしょう。来たるべき年月に、今はまだ想像することもできないような状況と展開に直面し、大業の指揮をとるように要求されるのは、あなた方なのです.....
.....今こそ、その大陸におけるあらゆる国家、階級、そして信条における若い人々の心に火をつけ、その活発な支持を得る機会であるのです。この努力における成功への鍵は、まず、あなた方が、大業の教えを、個人や社会の問題に当てはめ、あなた方の友人らが理解し、進んで聞けるような方法で説明することができるように、大業の教えについて理解を深めることです。第二に、あらゆる点において、教えに示されている正直や信頼性、勇気や忠実、忍耐強さや純潔そして精神性といった高い標準を手本にして振舞うように努めることです。そして、何よりも、バハオラの全てを支配する力がここにあることを常に意識しながら生きることです。そうすれば、あなたがあらゆる誘惑を克服し、あらゆる障害を乗り越えるのを可能にしてくれるでしょう。(万国正義院からオーストリア、インスブルックにおけるヨーロッパ、青年大会への手紙より、7/4/83: Unrestrained as the Wind、p.85)
23. 現代の若者に必要な事
現代の若者が直面する危険はますます重大になりつつあり、即座の解決が要求されているという事について.....彼は全く同意しておられます。しかし、経験がはっきりと示すように、このまことに遺憾で複雑な状況に対する救済策は、因習にとらわれた、聖職者を持つ宗教に見つかりはしません。教会の教条主義はきっぱりと捨て去られました。若者を統制し、ひどい物質主義の落とし穴から彼らを救うことが出来るものは、バハオラが世界に啓示なさったような、本物で、真に建設的な、生きた信教の力です。宗教は、これまでと同様、いまだに世界の唯一の望みでありますが、それは、私達の教会の指導者らが虚しくも説教しようとするような宗教のことではありません。真の宗教から隔離されたら、道徳はその効力を失い、人間の個人的、そして社会的生活を導き統制することが出来なくなります。しかし、真の宗教が真の倫理と統合される時、道徳的進歩は単なる理想ではなく、実現可能なものになるのです。
私達の現代の若者の必要とするものは、純粋な宗教的信仰に基づいた倫理であります。これらの二つのことが正しく統合され、十分に活動しないかぎり、人類の将来への望みはありえません。(ショーギ・エフェシディの代理から個人の信者へあてられた手紙より、4/17/26: Lights of Guidance、pp.511-512)
24. バハイの学者の必要性
バハイが大業を真に有能に教えたいと思うならば、彼らはより世界事情に通じていて、世界の現状とその問題について聡明に、又、理知的に話す必要があります。私達には、バハイの学者が必要です。つまり、私達の教えが真に何であるかについてより一層深く理解し、また私達の教えを、社会の指導者達の現在の思想に関連させることのできる、博識で教養のある人々のことです。(ショーギ・エフェンディの代理から個人の信者へあてられた手紙より、7/5/49: Importance
of Deepening、p.49)
25. バハイの学問
バハイの学問は、バハイ共同体力が無名の状態から頭角を現わすにつれて、その発達と強化のために、将来大変重要なものになり得るであろうと、万国正義院は見なしております。
(万国正義院の代理から個人の信者にあてられた手紙より、1/3/79: Unrestrained as the Wind、p.59)
26. 技術と技能の保存と伝達
さらに、このコミュニケーション時代の[世界を]統一する概念や急速に発展するテクノロジーに熟達しようとする一方、彼らは過去の目ざましく不可欠な業績を保存する技術を未来へ必ず伝達することことができ、実際そうしなければならないのです。社会が機能していく上で起こるべき変化は、若者達が、自らが受け継ぐ世界めためにどれだけ有効に準備できるかに人きく依存しています。(万国正義院から世界のバハイの若者へ、5/8/85: Unrestrained as the Wind、pp. 187-188)
27. テイーチングの義務
テイーチングの義務は、本来若いバハイ達の責任です。ですから、彼らの訓練は、彼らが有能なテイーチング者になることを目指すべきです。というわけでそれで、なるべく大勢の若いバハイがサマースクールに参加すべきなのです。これらのサマースクールは、将来のバハイ大学の設立の基盤をなすからです。(ショーギ・エフェンディの代理から米国とカナダの全国行政会へあてられた手紙より、5/15/36: Unrestrained as the Wind、pp.83-84)
28. 教育とパイオニア
教育を受け続けるべきか、それとも今パイオニアとして行くべきか?――疑いなく、まさしくこの質問は、人生を信教の進歩のために捧げたいと望むあらゆる若いバハイの心のうちにあるものです。全ての状況に当てはまる、決まった答えはありません。最愛なる守護者は、この質問について、いろいろな答えを各個人にお与えになりました。明らかに、事情はそれぞれの場合に応じて異なるものです。各々の個人が大業のためにいかにして最善に奉仕できるかを決めねばなりません。この決心をするにあたって、次のような要因についてよく考えてみると参考になるでしょう。
バハイになるにあたって、人の全人生は、神の大業の進歩のために捧げられるものであり、またそうしなければならないのです。人の持つあらゆる才能や能力は、究極的には、この最優先さるべき、他ならぬ人生の目的に委ねられるのです。この枠組の中で、教育を今続けることによって後に、より有能なパイオニアになることができるか、それとも、テイーチングの可能性のあるうちに、パイオニアの差し迫った必要性が教育への期待に勝るかどうかを、他の要因も踏まえて考慮せねばなりません。パイオニアとしての申し出を促す精神はしばしば学業の達成よりも重要でありますから、これは容易な決心ではありません。
兵役の義務は、パイオニアの申し出をするタイミングを決める要因であるかもしれません。
人は、扶養のために自分に依存する者らを含む、他の人々に対する未解決の今後の義務があるかもしれません。
パイオニアの計画を、引き続いての教育のプログラムと結合させるのが可能かもしれません。又、パイオニアの経験は、正式の教育のプログラムを一時中断したとしても、長い目で見ればより成熟した見解で勉学を後に再開できるという点で有益であるかもしれないという可能性も考えられるでしょう。
他からの申し出がないけれども自分が特にそれに貢献出来る資格がある、特定な目標の差し迫った必要性も又考慮すべき要因のひとつです。
パイオニアの必要性は、疑いなく、将来何世代にも渡って私達とともにあるという事実、したがって、将来、パイオニアの奉仕は大いに要求されるであろうということも考慮すべきです。
協議の原則も又当てはまります。両親、地方そして全国行政会、又、パイオニア委員会といった人々と協議する義務があるでしょう。
最後に、犠牲的な奉仕という原則と、バハオラの大業に奉仕するために立ち上がる者らにバハオラがお定めになった、裏切ることのない約束を心に留めて、自分の行動の進路をどうすべきかについて祈り、瞑想すべきです。実際、しばしは、答えはその他の方法では見つからないものです。
若者達が、バハオラへの奉仕の道を歩むにつれて、したがってなさねばならない多くの重要な決断について、私達は忘れずにいるということを確信しなさい。全ての者が神の力によって導かれ、若者達が慈悲に溢れる御方の祝福を引きつけられるように、私達は、神聖なる敷居において、心からの願いを捧げます。
(万国正義院からあらゆる国のバハイの若者への手紙より、10/9/68: Unrestrained as the Wind、pp. 106-107)