「愛」

 

 

 他の人が気づいてない真理を悟った人、

 他の人がまだ持ってない宝石を与えられた人は

 この上ないやさしさと善意でそれをわかちあうのがよい。

                   バハオラ

 

 

 

愛の力は何と強大であろうか!

 それは全ての生きた力の中で最高にして最もすばらしい力である。

 

 

 

 人間の世界で最も偉大な王であり、権威あるもの、それは愛である。

 もし愛が消えると引き合う力が消え、

 人の心の情がこわれ、人間の生活現象そのものが消える。

 

 

 

 愛は生命なきものに生命を与え、

冷たい心に炎をもやし、

絶望した者に希望を与え、

悲しみにくれる心に喜びをもたらす。

 

 

 

人間の進歩発展と栄光を勝ち得る最高の方法、

世界全体の悟りと治癒を実現する機構、

それは人類の全メンバー間に宿る愛と友情と和合の力であることは確かである。

 

 

 

存在の世界には愛より偉大な力はない。

人の心が愛の炎で輝く時、

人は全て―自分でさえ―を犠牲にできるものである。

福音書には“神は愛なり”とある。

 

 

 

愛は全現象の存在の起源であり、

愛の欠如は分解・破戒を起こし、

全ての存在が消える原因となる。

愛は神が意識的に人間に与えた恩恵であり、

全ての現象の結合の絆である。

 

 

 

愛は全ての神の恩恵である。

愛は人の心を充たすまで

他のいかなる神の恩恵も人の心に顕されることはない。

 

 

 

人間の最終目標は神の承認と信頼を勝ち得ることであり、

そのために必要不可欠のもの、それは愛と友情である。

それ故、人は和合していなければならない。

お互いに愛し合わなければならない。

相互に励まし合い誉めあわなければならない。

やさしい言葉をかけ合わなければならない。

そうすれば人と人との間に離反を招いた不和や憎しみを取り去ることができる。

 

 

 

愛には4種類がある。

第一の愛は神から人に注がれる愛であり、

これは、尽きることのない祝福、神聖な光、天の啓発から成る。

この愛を通して存在の世界は生命を与えられ、物的存在を与えられる。

そして、肉の存在が終わる時、聖霊(この同じ愛)を通して、

人間は永遠の生命を受け、生きた神のイメージとなる。

この愛は創造された世界に存在する全ての愛の源の愛である。

 

 

 

 

第二の愛は人から神に捧げる愛である。

これは信仰であり、神とその恩恵、啓発、進歩、神の国への入国、神の王国の光による精神的な啓蒙へ魅かれる力である。

この愛は全ての人道的行為のもとであり、人間の心が実在の太陽の光を映すよう、うながす力である。

 

 

 

第三の愛は神ご自身又は神のアイデンティティーに向けられた神の愛である。

これは神の美の変身であり、神の創造物という鏡に映った神ご自身の姿に対する愛である。

これこそ愛の実態であり、古よりの愛、永遠の愛である。

この愛の一つの光線を通して、全ての愛が存在する。

 

 

 

第四の愛は人から人への愛である。

信じる者の心と心の間に存在する愛は精神の和の理想によって向上する。

この愛は神を知ることによって完成される。

人間が神の愛が反映された心を見るようになり、

各人が相手の魂に反映された神の美を見て、お互いの類似的を見出し、

お互いに魅かれ合い、神の愛を感じるようになる。

この愛は全ての人間を一つの海の波となし、

一つの天国に輝く星となし、一本の木の果実となす。

この愛はまことの調和を実現し、真の和の基礎をきづく。

 

 

 

神は愛なり。

神は友愛、純粋性、聖らかさと忍耐を求める。

これらは神に属する者の特性である。

 

 

 

神の愛がなかったら人の心は啓発されることはないであろう。

神の国への道は開かれないであろう。

又、聖典も啓示されることはなく、神の予言者たちもこの世に送り込まれることはなかったであろう。

これらすべての恩恵の基は神の愛である。

それ故、人間の世界には神の愛より偉大な力は存在しないのである。

 

 

 

真実の愛は神と僕の間に存在する愛、

聖なる魂を一つに結ぶ愛である。

これこそ精神の世界の愛であり、

物的、肉体的愛、有機体的愛とはちがったものである。

 

 

 

それ故、心に愛をつくり出し、その愛が光を放ち、

輝くようになるまで努力を続けよ。

愛が輝く時、その愛は他の心に浸透する。

神の愛が打ち立てられた時、全てのものが現実となる悟りが訪れる。

 

 

 

信仰の最初の印は愛である。

聖なる神の顕示者のメッセージは愛である。

創造の現象は愛に基づいている。

この世の輝きは愛のおかげである。

この世の福祉と幸福は愛による。

 

 

 

誰の心も傷つけないよう注意せよ。

陰口をきかないよう、又、神の僕に冷たくしないよう注意せよ。

全ての神の僕を自分の家族や親戚と考えよ。

絶望している人を幸せにするようすべての努力を傾けよ。

空腹の人には食物を与え、貧者には衣類を与え、貧しい者たちに栄光を与えよ。

助けを必要とする者には援助を惜しまず、同胞や創造者にやさしくあれ。

神の満足を得る為に。

 

 

 

人は全人類に対し、完全な愛と感情を顕さなければならない。

他人に自己を誇ってはならない。

全ての人は平等で同じ唯一の神の僕として認めあわなければならない。

神は全てに慈悲深いことを知るべし。

それ故、心の底から全てを愛し、自己の前に全ての他の宗教者を好むようにせよ。

全ての人種への愛で心を満たし、どんな国籍を持つ人にでもやさしく親切であれ。

 

 

 

愛を呼ぶ者であれ。

人類に親切でやさしくあれ。

世界の全ての人に興味を持ち、調和を望み、友情と正直を求め、

あらゆる傷をいやし、あらゆる病人に回復をもたらす者であれ。

人々の間の調和の源であれ。

導きの言葉を声高らかに吟じ、神に祈り、人を導く為に立ち上がれ。

舌は神の愛を語り、顔は神の愛に輝く者となれ。

一瞬たりとも休むことなく神の愛の印となり神の喜悦の旗印となるまで憩いの息を吸うことなかれ。

 

 

 

 

絶望することなく、こつこつと努力を続けなさい。

誠実と愛はやがて憎しみを超えるであろう。

いくつもの不可能と思われたことが今日、実現をみている。

世界の光(神)にあなたの顔を向けなさい。

全ての人に愛情を示しなさい。

愛は聖霊が人間の心に吹き込んだ息である。

 

 

 

 

あなたは表面だけでなく、誠実に心からやさしくなければならない。

神の愛する者は一人一人が皆、これに注意を払うべきである。

主が人間に与えた慈悲の心とあなたがなること、祝福となる事、

出会った全ての人に何かの善を施し、何かの益を与える者となれ。

一人一人が皆、性格を改善し、人間の心に再び希望を与える者となれ。

そうすれば神の導きの光が輝き出で、神の祝福が全ての人類を包むであろう。

愛はそれがどこに住もうと光であり、憎しみはそれがどこに巣を作ろうが闇である。

 

 

 

もし私があなたを愛するならば

私はその愛について常に語る必要はない。

あなたは言葉なしでも私の愛を知るだろう。

 

 

 

愛は平和より偉大である。

なぜなら平和は愛の上に築かれるからである。

愛は平和が目的とする究極点であり、平和は愛から出る結果である。

愛が達成されない限り、平和は存在せず、神からの愛が全ての基礎である。

愛は全ての人間の到達目標であり、天の輝きであり、人間の目指す光である。

 

 

 

愛は神の聖なる摂理の秘密であり、

慈悲にあふれる神の心の顕われであり、

精神の慈雨の泉であること

汝、確かに知るべし。

 

 

 

愛は天のやさしい光、

人間の魂を生き返らせる聖霊の永遠の息吹である。

 

 

 

愛は神が人間に天の啓示を顕わす原因であり、

神の創造の原理により物の実体に埋め込まれた生命の絆である。

 

 

 

愛はこの世と次の世の両世界で

真の幸福を保証する唯一の手段である。

 

 

 

愛は暗闇に導く光、

人と神を結びつける全ての照らされた(啓蒙された)魂の進歩を保証する生命の絆である。

 

 

 

愛は力強く、天国的なこの周期を支配する最も偉大な法則であり、

物質世界の様々な要素をつなぐ独特の力であり、

天の領域の空間の働きを方向づける最高の磁力である。

 

 

 

愛は宇宙にかくされた神秘を無限でつきることのない力でときあかすものである。

 

 

 

愛は人類全体を飾る生命の魂であり、

人間世界に真の文明をうちたてる力であり、

すべての志高き国々と人々の上に、滅ぶことなき栄光を授けるものである。

 

 

 

アブドル・バハ(1844−1921)

アブドル・バハは、“師”マスターと呼ばれ、今世紀の最も精神的な人物の一人である。彼の人生と教えは、今日、世界中の何百万もの人々の霊感の源泉となっている。彼は、“世界は全人類の和合と融和が確立され、全ての宗教の不可欠の一体性が認められている時代に入った”と説いたバハイ信教の創始者バハオラの長子である。

彼の人生は人類への奉仕と父・バハオラの偉大な使命の推進に捧げられ、彼はバハオラが教えた精神的資質と高貴な美徳の完全な具現者であるとされている。これらの精神的資質や美徳を身につけるのが、人間の人生の目的であると説く。まだ幼少の頃、彼は父と共に拘束され、生涯を当時の宗教及び政治の指導者たちによる激しい迫害と流刑と投獄生活の中に過ごした。彼に課せられた残虐な迫害にもかかわらず、落ちぶれた者、見捨てられた者、圧力をかけられ苦しむ者に対する彼の慈悲と深い愛情は彼に“貧者の父”という称号を与え、彼の知恵と名声は彼が投獄されていた聖地の牢獄都市・アッカに地球の四大陸から数え切れない巡礼者を魅きよせた。獄中から開放された1908年、高齢と健康も優れなかったにもかかわらず、彼は西洋にバハイの教えを伝える旅に出た。彼は希望と世界平和のビジョンは今日、国籍、人種、階級、宗教などの伝統的な偏見や争いに挑戦し、時間や空間の壁を越えて人類全てに精神的な道を実践的な足で歩くことを奨励している。