第1章アブドル・バハの在任時代

 

T.アグネス・B・アレキザンダー嬢

(1875〜1971)

 

アレキザンダー嬢は1913年を回想して次のように述べています。「私の唯一の望みは彼の大業に奉仕することでした。『我は大業の先駆者となり得る魂を見出そうと、手にランプを掲げて陸地や大洋を探し回っている。我は昼夜を問わずこの仕事に従事している。」と言うアブドル・バハの言葉が私の耳に鳴り響きました。

彼のブンプが私を探し当てるように祈りました。私は、もう12年近くもハワイに大業を確立するための手助けをするという恩恵にあずかって来ていましたが、ようやく今、私は「彼の国々」の他の地方で奉仕できる自由の身になったのです。……日本に旅行するようにという師の望みを初めて暗示手紙を受け取りました。彼はその中で次のように述べられていました。『それ故に、もし汝が日本に向けて旅行すれば、神の確認が疑いもなく汝の上に降り注がれるであろう。』

「神の恩恵で、あらゆる困難は克服され……私は船旅の途につき・・・・11月1日(1914年)に日本に着きました。」

アレキザンダー嬢は到着してから最後に日本を離れる1967年までの間、通算して約31年間を日本で過ごされました。日本におられなかった時は、ハワイや世界の他の場所で信教の布教にあたっておられました。

ショーギ・エフェンディはアレキザンダー嬢を「特に秀でたパイオニア」と呼び、日本に於ける信教の発展に果たした彼女の役割について、次のように書かれています。

「地上のかの遠隔地(中国と日本)における貴女の輝かしい貢献は決して忘れられないでしょう。私は常に貴女のために祈ります。貴亨は遠隔の地、日本の中心に救済の呼びかけをあげた輝かしい先駆者であり、その国より深い細を寄せられるべき者であります。故に、貴女が日本における大業の聖な鯵福利を忘れないよう望みます。……私は決して、決して貴女を忘れることはありません。」「貴方の運命はかの遠隔の有望な国(日本)にあると思います。次代の人々は、貴方の高貴で先駆的奉仕をそれ相当に称賛し、感謝の念を持って思い起こすことでありましょう。」

(1928年1月10日)

ストルヴエン氏は王国の使者となり、中国、インド、日本を旅行した。

アブドル・バハ

ハワード・ストルヴエン、最初に日本を訪問したバハイ、は一番右。オーガー博士は一番左。アレキザンダー嬢は前列左か、二番目。1909年、ホノルルで撮られたもの。

アレキザンダー嬢に宛てたアブドル・バハの書簡

 

おお汝、神の侍女よ!

 

人々の言葉は汝が神へ魅惑されたことを語り、人々のペンは汝が神の愛の火で燃え立っていることを証明した。アブドル・バハの心はまさしくこのことをよしとする。何故ならこの遠方の祝福された場所よりその熱気を感知するからである。

 

おお神の侍女よ!真理に在す神にかけて。キリストの精神は、最上の集合より常に、又あらゆる方面から、この偉大なる吉報を汝に告げている。

それ故に、神の小鳥となって汝の故郷におもむき、それらの場所に高潔な翼を広げ、汝の主の櫛名を歌い、唱え、称揚せよ。それにより汝は最上の嚢合を喜ばせ、蛾がランプに向かうように、探求者を汝に向かって急ぎ走らせ、このようにしてかの遠隔の国を神の光で照らすことができよう。

1901年6月・パリにて受領

 

おお汝、神の愛の楽園にさえずる小鳥よ!

汝の洞察力を啓発し、人間の樹木に燃え立つ火に汝を導き給うた神に感謝せよ。創造物の間で神への讃美を汝に語らせ、汝が神の言葉を伝えたある婦人達を導き給うた神に感謝せよ。

おお神の侍女よ。誠に汝の主は、誰であろうと疲の選ぶ者の心に愛のランプをともし給う。これこそ実に大いなる幸福である。神は選ばれし者を至高呼どう園の奉仕で確認し給う。

汝の縁者達がかの輝かしい光に到達するために神が彼らを確認し、心と視覚に洞察の光を輝かせ給わんことを祈る。汝の友らがバハの光で照らされ、天上の食卓で養われるよう、神が彼らを援肌給わんことを祈願する。そして神が汝をこの世の生活の俗念より空にし、主への愛で汝を満たし、汝を彼への奉仕に備え、彼を讃美し、神の御国の出現を立証するようにされんことを神に懇願する。

1903年1目25日・ホノルルで受領

 

おお汝、王国の探求者よ!

汝の手紙を受け取った。汝がこの世への執着の暗黒より解送され、神の光、湖で啓発され、真理の太陽の光がその中で輝くように汝の心の鏡を清められるよう聖なる宮廷で祈った。

1909年8円14目・ホノルルで受領

 

おお神の侍女よ!

汝の手紙を受け取った。汝はリーミイ氏について書いているが、事実かの青年は、王国の息子であり、バハオラの出現を伝達する者である。総て神を信ずる者らと慈悲深いお方に仕える侍女は、人々を王国に召集し、人々を導く道具とならなければならない。彼らは、高潔さ、信心深さ、慎ましさにおいて他の人々より卓越する一ような態度、行動をもって生活しなければならない。汝がこの地位に到達し、この明白な光の分散の源になるように望む。

1913年8月16日・ホノルルで受領

 

おお汝、親愛なる娘よ!

汝の手紙を受け取った。それは汝の信仰と、汝が顔を神の国に向けているということを雄弁に表わしていたので、限りない喜びをもたらした。汝の心のランプにともされたこの指導の光は、日毎に輝きを増し、あらゆる地方にその光を注がなければならない。それ故に、もし汝が日本に向かって旅行すれば、疑いもなく神の確認は、汝のとに降り注がれるであろう。某婦人に、我の深い親愛の気持を伝え、次のように述べよ。「神の王国の扉は開いており、王国の主の呼び声はあがり、全能なる御方の賜物は無限であり、真実の太陽の輝きは東西両洋を照らしている。かような時期に於いては気長にしていることも、のんびりしていることも許されない。汝は無限の喜びと幸福感をもって寛大なる主について述べる仕事に従事しなければならない。」と。

1913年10月31日・ニューヨークで受領

 

おお汝、親愛なる娘よ!

汝の手紙を受け取った。それは非常な幸福感をもたらした。神にほまれあれ、かの親愛なる娘は、バハオラの道に自己を捧げ、あらゆる困難に耐えている。

今、汝が直接日本へ出発し、そこにいる間に、神の芳香を発散させることは、より一層当を得ている。そこより汝はインドに戻り、そしてインドより聖地に行くが良い。

今日、全ての神の賜物のうちで最大なるものは、神の大業を布教することである。何故なら、それは確認に満ちているからである。あらゆる布教者は確認され聖域で恩恵を与えられる。理想の王の判断によれば、最前線の軍隊は彼の慈悲の目で包まれ、聖なる農夫の目には、種をまく者は受け入れられ好意を寄せられる。汝がその領地を征服する軍隊や農夫のようになることが我が望みである。それ故、汝が日本に旅することは何よりも望ましい。しかし汝が何をしようとそれは全く自由である。

1914年8月4日・スイスのジュネーブで受領

 

おお汝、天国の娘よ!

ハナン氏を通して日本からの汝の手紙と福田氏の手紙を受け取った。両手紙の内容は大きな喜びをもたらした。何故なら、その一字一句は雄弁に、神の愛の驚異を説明し、聖霊の息吹きで心が魅惑された話しを語る雄弁な言葉であるからである。

神にほまれあれ、汝は日本に神の言葉を広めるための手助けを得た。やがて日本に於けるこのサークルは拡大され天国の祝福を得るであろう。

神は栄光あるコーランの中で、述べ給う。「一つの種子より七つの穂が出、その各々の穂は百粒の穀粒を実らせる。そして、神は望み給う者には誰であろうとそれを二倍にすることがおできになる。」この聖句は次のような意味を持つ。真理の言葉が宣言される時、それは、純粋な土地に植えられて、七つの穂を出し、その各々の穂から百粒の穀粒を生じる一粒の種にたとえられる。そして、神は、彼の望む者には誰でもこの数を二倍にすると言い給う。即ち、これは七百粒の穀粒を一千四百粒にするという意味である。汝の日本に於ける呼びかけが、この一粒の種のようになり、天国の祝福と恵沢を得んことを。そうすれば、人々の魂は教育され、神の唯一性と予言者の真実性、また神の教えの有効性を教えられるであろう。

福田氏への返事は送付したので彼に渡されたし。

1916年10月27日・東京で受領

 

おお汝、王国の娘よ!

1916年7月15日付けの汝の手紙を受け取った。その内容は汝が日本に於いて集会を組織したことの知らせであった。そのような精神的集会が東京で開かれ、そのような天国の贈物が分配されていると言うことは、何と大いなる神の恩恵であることかを熟慮せよ!

コーランの中で神は言い給う。「信仰の人々とは、雲より降る雨から、新鮮さと新緑を受け、豊富な結実に達し、王国の祝福を見い出す畑のようである。それは疑いもなく、日毎に成育し、遂には束穂が、神の恵沢で満たされて百倍になるであろう。」

さて、汝らは真実の平野の畑であり、真理の太陽の教育的な光線の保護の下にある。汝らは天福の雨より、絶えず新しい活力を得て、やがて聖なる農夫の世話と注意により、祝福され、十分成熟した種子を生じるであろう。かような結果になることは疑う余地もない。

東京に住む友らと、最近到着した旅行者らへ、我の最大の切望と挨拶の言葉を伝え、次のように述べよ。「人類の一人一人は全て農夫である。各々の魂は何らかの種子をまくが、収穫の季節になっても、神を信じる者によってまかれた種子以外からは何ものも採取されないであろう。神を信ずる者が種をまいた時のみ天国の祝福を受けるであろう。聖なるキリストと聖なるモハメッドはあれだけの聖なる種子をまかれたので、今日に至ってもなお、その果実は採取されて来たが、他の全ての農夫は、結局は後晦と失望を味わうように運命づけられていたということを熟考せよ。」と。

1916年10月30日・東京で受領

 

おお汝、王国の娘よ!

汝よりの手紙は受け取っていないが返事を書く。神に讃美あれ、日本で汝は勝れた貢献を成し遂げるために援助を得て来た。汝は神の王国の呼びかけを高く掲げ、人々を輝かしい世界と聖なる大業に導いて来た。汝は啓発の源泉となり、人々の魂の教育を願う者となった。それらの地方は神の教えを絶対的に必要としており、又、十分な能力を備えている。それらの魂は盲目的模倣の暗黒から解放され、天国の教訓の光で照らされなければならない。このような仕事のために起ち上がる者は、誰であろうと神の確認により援助を受け、王国の力が明示されるであろう。東洋と西洋が和解し、偏狭な信念の暗黒を消し去り、人類の一体性を明らかにし、東西両洋が二人の熱望し合う町のように、最高の愛をもって抱擁し合うために努力しなければならない。

何故なら、総ての人々は神の羊であり、神は真の羊飼いであり、あらゆる者に親切であるからである。

神の愛に魅かれた神の侍女、マックスウェル夫人の望みに従って、汝はカナダに行き、そこにしばらく滞在し、それから、日本に急ぎ帰れ。日本に於いて汝は援助を得、称揚されるであろうから。

日本のバハイの友らに宛てた手紙を数通同封したので渡されたし。

1918年12目27日・ニュージャージィ州・モンテクレアで受領

 

おお汝、王国の娘よ!

汝の手紙を受け取った。日本への旅行は非常に緊急事である。日本に船出する前に汝は確かに魅せられた神の侍女、マックスウェル夫人に逢った。この神の侍女は神の愛の火で燃え立っている。彼女に逢う者は誰でも、彼女との交流によって王国への感受性を感じ取るのである。彼女と交われば魂は高揚され、啓発される。

汝が日本へ旅立ったことは幸いである。何故なら、汝がまいた種子は水を必要としているからである。日本に於いては有能な魂が見い出される。しかし、彼等を目覚めさせ、生き返らせて精神的生命を与えるには、慈悲深いものの息吹きが必要である。一人の盲目の魂がそこに住み、非常に燃え立っている。同様にすぐれた能力を備えた僧侶が一人住んでいる。汝が、扉の大きく開かれていることを発見し、魂の教化の源泉となるよう望む。

我よりの最大の愛と親愛の情を神の侍女ら、エリザベス・スティブンとモウド・ゴードゥローに伝えよ。神の恩恵と祝福によりワィヤーズ氏が聖なる王国に魅惑され、周辺の地方を明るく照らす程、神の愛によって大きく燃え上がるように祈る。

リチャード・ポッター氏の死は我々を限りなく悲しませたが、かの王国の鶯は天のバラ園へと飛び立ち、かの一滴の水は無限の大洋へと帰った。かのさすらいの人は本来の住居へと昇った。彼のために、唯一なる御方の国よりの恩赦と寛容を嘆願する。

神の侍女ら、ラジナ・サンシャイン嬢、ルイーズ・スミス夫人及びルイーズ・ブッシュ夫人へ我よりのすばらしいアブハの挨拶を伝えよ。これら慈悲深き御方の侍女らみなが雄弁に口を開き、世界の最愛なる御方の記念のために勤めるように、限りない祝福を乞い願い、アブハの王国に懇願し、嘆願した。

ガイザーヴイルのバハイの友らに我の愛と精神的な愛着がいかに熱烈であるかを伝えよ。我は夜明けに全知の神の国で懇願し、彼らのために王国での称揚を乞い願う。

ホノルルにしばらく滞在し、それより直ぐに急いで日本へ出発せよ。

1919年7月30日・東京で受領(ホノルルより転送)

 

おお、神の王国の娘である汝よ!

汝の手紙を受け取った。神にほまれあれ、それらの地方でアプハのバラ園の微風が広がっている。わが望みはそれらの地域が芳香で満たされ、思恵の微風が吹き寄せ、導きの光が発散し、慈悲深き御方の恩寵が明らかにされることである。

フィンチ夫人へ我よりの丁重な挨拶を伝えよ。汝ら、二人が最高の愛情と和合を持って王国の奉仕を始め、かの暗黒の国が照らされ、天国のバラ園の微風が広がる源となるように望む。

我が深い愛情を鳥居氏、井上氏、佐伯氏、その他皆の者らに伝えよ。アブハの美の恩寵により、それらの魂がこの至搦の楽園に於いて、荘厳な象徴と果実を実らせた木になるという望みを成は抱いている。何故なら生産的な人間は果実を実らせ、樹影の大きな樹に以て、楽園の師りだからでるる。

この世界は外見上は飾られているように見えるが、その飾りは繁栄の短い、そして太陽の熱と吹きまくる風にすばやく消え去る牧草地にはえた花々の新鮮さに例えられる。しかしながら、天国の木々は常に育々として新僻であり、花盛りで、絶え間なく果実を実らせる。それらは水遺に完全な進応性を示し、新鮮で活気に満ちている。

神の侍女、望月(ゆり)ふよが、聖なる力と天国の目的と敏虞な動機をもって著作を始め、聖霊の息吹きが彼女のペンを援助するように、我よりの大なる親憂の意と称讃の言葉とを述べよ。

 

*アイダ・フィンチ夫人はアメリカ人のバハイで、布教の仕事を援助するため日本にある期間滞在した。

 

福田氏が日毎に向上するよう助け、日本の女性が迷信の暗幕を引き裂き、真理の光に気付き、永遠の生命を探求し、永久に続く贈与を熱望するように神が指導し給わんことを我は嘆願している。

1920年6月3日・東京で受領

 

おお汝、神の道にさまよう者よ!

神の道に於いて神の教えを広め、神の王国の吉報を人々に与えるために、汝は住み慣れた国を後にし、それらの遠隔の地方に旅行した。

安心せよ、確認は汝に届き、人間世界への大なる奉仕を完遂するために、汝は援助を受けるであろう。一千の音信が汝に届くよう祈る。

汝の兄弟である小野さんも又確認され、最高の喜びと幸福感をもって戻って来るであろう。

1921年8月2日・東京で受領

 

おお汝、仲の王国を宣布する者よ!

汝の手紙を非常な喜びをもって受け取った。神にほまれあれ、アブハの王国の確認は届き、汝は人々の魂の教化の源泉となった。汝が朝鮮に於いて最大の指導の旗をあげることは、我が望みである。ロー氏に我が最高の親愛の情を伝えよ。我は彼に対して最高の愛情を抱き、彼のために天国の祝福を乞う。

東京で受領

 

      ロー氏、朝鮮人、欧米で学んだ。パレスチナを経て帰国の途中、船上で幾人かのバハイに逢い、アブドル・バハのことを聞いた。彼はティベリァスでアブドル・バハに逢い数回の会見を許された。

 

望月(古川)ゆり嬢、日本人女性で最初にバハイになった人

 


II・ジョージ・J・オーガー博士

(1853〜1927)

 

ジョージ・ジェイコブ・オーガー博士、献身的で精神性の深い「アブドル・バハの使徒」は、アブドル・バハより数通の書簡を受け取りました。師、アブドル・バハの呼びかけに応じ、オーガー博士はホノルルの家を離出日本を訪れたのでした。彼は最初、1914年の6月に到着し、1915年の4月迄滞在しました。その他、彼は同じく確固とした信者である彼の妻、ルースと共に数回日本に旅行しました。オーガー夫妻は日本に信教を確立するためにアレキザンダー嬢と密接に連絡し働きました。日本に滞在中オーガー博士は、日本式の生活をし日本語を学び着物を着たのでした。アブドル・バハの許可を得、彼は1919年にハワイヘ帰りました。

 

アブドル・バハよりジョージ・オーガー博士への書簡

 

おお汝、親愛なる息子よ!

汝の手紙から意味深長なバラ園の芳香を嗅いだ。神にほまれあれ、汝は神の確認によって援助を受け、神国への道を見い出し、汝の心と魂は活気づけられた。汝の抱いている聖なる意図を実行するために起ち上がり、日本に旅行し、神の大業の礎石を据えるようにせよ。即ち、人々を神の王国に召喚することである。日本は大なる能力を持っているが聖霊の確認によって話す布教者を必要としている。汝がこのことに於いて援助されるように望む。

1913年11月21日

 

おお汝、王国に向って進み行く者よ!

汝の手紙を受け取った。神に讃美あれ。それは、汝が神の王国に進んで行くことに確固として揺がず、神の教えを広げるために日本へ行く決心をした

 

      「バハイ世界」第3巻・84頁参照のこと。

 

と知らせた。この高尚で寛大な行為は称讃に値いする。汝がこのことに確信を固め、王国のことに関しては、いかなる人間の暗示にも迷わさることなくただ、神の霊感と教えに従うように望む。安心せよ。汝は援助を授かるであろう。

1914年2月12日

 

おお汝、神の王国の使者よ!

汝の手紙を受け取った。汝の寛大な行為と崇高な目的に限りない喝釆を送る。神に信を置き、アブハの王国に汝の顔を向けながら、東京で聖なる旗を掲げ、声を限りに呼べ。「おお汝ら、人々よ、真実の太陽があらわれ、その輝かしい光があらゆる地域を満たした。それは、人間世界の統合の旗をかかげ、全人類を輝ける真理に召喚した。慈悲の雲は雨を降らせ、摂理の微風は吹き寄せ、人間世界はめざめさせられ、揺り動かされた。聖霊は永遠の生命を与え、天国の光は心を照らし、王国の糧の食卓は用意され、あらゆる種類の食物で飾られている。おお汝ら、群衆よ!覚醒せよ!覚醒せよ!注意深くなれ!注意深くなれ!観るべき眼をあけよ!聴くべき耳を持て!聴け、聴け!天国の音楽の甘い調べは流れ出し、精神的洞察力を備えた人々の耳をうっとりさせている。やがてこの超絶の光は東洋と西洋を完全に明るくするであろう。」即ち、響きわたる声と奇跡的な力と、神の愛の引力とをもって、神の大業を教え広め、聖霊が汝に確認をもたらすことを確信せよ。

1914年8目12日

 

1915年8月8日、アブドル・バハの秘書は次のように書いた。

「あなたからの立派な請願は……敬愛するお方が巡礼宿舎の談話室をあちらこちらと歩いておられた際……その方に読んで聞かされた。あなたの名前を聞かれた時……彼の顔は輝いた……彼は云われた。

「最初の機会が来たら直ちに日本に帰るようオーガー博士に書き述べよ。かの国で大業を教え広める魂には大いなる祝福が下されるであろう。

その国の人々は偉大な能力に恵まれている。某人にはそれ程の感受性がない。この特質の種子を先ず最初に彼等の心の土壌に植えつけなければならない。しかしながら日本人は既にこの特性に恵まれている。もし五・六人の者らがこの大業の教えの基礎を十分に身につけ、その火に魅惑されれば大いなる結果があらわれるであろう。』と。」

 

おお汝ら、神の愛の楽園で寄り添っている二羽の鳩よ!

汝から詳細に述べた手紙を受け取った。汝らのこの地に於ける、特に東京での奉仕は認められ感謝されている。神に讃美あれ、汝はかの地でじゃ香の匂いのする香水を放散するのに援助を得て来た。これは将来素晴らしい結果をもたらすであろう。汝がかの土壌に植えた少しばかりの穀物の種子は、豊かな収穫となり、このわずかな数の魂は大いなる、いやむしろ威厳ある精神的軍隊に変えられ、そして、かの種子は神の指導のもとに豊富で大量の房を生み出すであろう。

神にほまれあれ、汝らはそのような神の恩恵により援助を受けてきた。汝等は種子をまき、そして、今や水を必要としている。もし誰かがアメリカ又はホノルルより日本への航海を企てるならば、神の教えは速かに普及し、重大な結果がもたらされるであろう。汝等は二人共汝らの役割を果たし、能力の限り努力した。現在、汝らはしばらく休息を必要としている。つまり、他の人々の番が来たのである。彼らも同様に日本に旅行し、まかれた種子に水をまき、奉仕し若木の世話をするであろう。生命のある日々は速かに過ぎ去り、ついに人は地下に幽閉され、その名も、聖なる庭師となって、人の心の士壌に種をまいた者の他は滅んでしまうであろう。聖なる庭師となった人の名は星のように真理の地平線より輝やき、きらめきながら永遠に残るであろう。

1919年

 


V.山本寛一氏(1879〜1961)

 

山本寛一氏は最初の日本人の信者として著名であります。彼は山口県からハワイに移住し、そこである信者の家庭に勤めていました。ハワイに於ける初期のバハイの一人・エリザベス・ミューザー嬢もそこに住んでいました。1902年9月8日・ミューザー嬢はある友人に宛てて次のように書きました。「私が信者になった後いつかは(山本氏)に話したいと思いました。彼の心が、真理を受け入れられるようにと……祈りました。彼の英語の知識が不十分なので彼に教えを伝えるのは少し困難でしたが、神の援助により彼は完全に理解し、神の真理を知って喜悦しました。ちょっと前に彼と少しばかり話しをしましたが、その時彼はどれ程幸福であるかを語り、そして今晩アブドル・バハに手紙を書くつもりだと言いました。

山本氏は満足する迄手紙を四回も書き直しました。「彼は英語では書けそうにないと感じましたので、私は、『日本語で書いても良いと思う』と言いました。私は、師には彼の手紙の精神を理解できるだろうと確信したのです。山本氏は『手紙は日本語で書いたが、師からは完全な返事が来た。』と言いました。」

彼はその後カリフォルニァ州バークレー・オークランド地域に住みました。アブドル・バハが1912年にオークランドを訪問された際、山本氏は日本独立教会での会合を準備するという恩典に浴したのでした。その時のアブドル.バハの講演は46頁に引用されています。

 

アブドル・バハから山本寛一氏への書簡

 

おお汝、神の言葉により神の王国に魅きつけられた者よ!

汝、精魂を傾けて神に向かい、神の他の総てを忘れ、神からヴェールで隔てられた人々の中に於いて教導の証となるように神に嘆願せよ。そうすれば彼らはあらゆる地平線上の天体に導かれ、調和の王国に入り、神の愛の杯より飲み、神の王国の顕示に喜悦し、神について述べる事の喜びを味わい、神の楽園の中にある生命の樹蔭に庇護されることができよう。

 

p25

 

木は成長し、大地はヒヤシンスを育てて祝福を与え、人間は天国の天使のようになる。指導の光で養われ、人々に光を分け与えます。この小鳥は、天国の小鳥以外には知られていないメロディをさえずるである。それでヴェールを引き裂き、神の眼で事物の実体を見よ。まことに汝の主は誰であろうと、彼の御意のままにまっすぐな正しい道に導き給う!約束の場は、知識を競う駿馬のための競争場とされ、慈悲深き御方の光はその上に輝くであろう。離散した者らは集合の中心地に戻り、小鳥達は世界の草原より調和の巣へと帰って来るであろう。これが前もって定められたことである。汝について言えば、汝はあらゆる困難と苦難に耐えて来た。しかし、汝は間もなく神から立派な報酬で報いられるであろう。神はあらゆる善いものを、汝のために定め給い、僕らの間で汝を選び、慈悲心をあらわし給う。それにより王国の息子らが去って行くのに、一方では最も遠隔の地平線より神の王国に入って来た魂が現われたことを僕らは見るであろう。

1903年1月

 

おお汝、神の若者よ!

汝が、輝かしき王国への道を発見し、迷信の暗幕を引き裂き、神秘の実体を学び取ったことを神に感謝せよ。

想像されたものは限定されており、燗の心意は無限であるにも拘らず、あらゆる人々は思考の世界で神を作りあげ、その彼ら自身の想像が案出したものを辮しているのである確かに無限なるものは有限なるものより優れている。何故なら想像は偶然のもの(あるいは非本質的)であるが、他方心意は本質的なものであるからである。疑いもなく本質的なものは偶然的なものより偉大である。

それ故に熟考せよ、あらゆる宗派と人々は彼等自身の思考を崇拝している。彼らは彼ら自身の頭の中で神を創造し、その形が迷信にしか過ぎないにも拘らず、全存在物の創造主である、と認めている一このように人々は想像(叉は幻想)を敬慕し、崇拝しているのである。

 

      ヒヤシンス知識の花。

      バハオラの命令に背いたバハオラに身近な者等と、この書簡の受取人日本人との比較。

      想像に関しては無限であるというのは、心意のない想像は存在しないから。

 

神の本質、見えざるもののうちの見えざるものは、想像をはるかに越えて神聖であり、思考の及ばないものである。意識はそれに到達しない。創作された(又は創造された)実在の理解力には、古の実在を包含することはできない。それは異った世界である。それからはいかなる情報も得られず、そこに到達することは不可能である。そこに到ることは禁止されており、それには近づき得ない。それは存在し、その存在は確実であり証明されているが、その状態は未知である。

あらゆる哲学者や博士達は、それが存在することを知っていたが、その存在を理解するのにとまどい、遂に落胆し、非常な絶望のままこの世を去った。というのは、実在のうちの実在、及び神秘のうちの神秘の状態と神秘を理解するには別の能力と別の感覚が必要だからである。人類はその能力及び感覚を持ち合わせていない。それ故に彼らは何らの情報も得ることができないのである。例えばもし、ある人が聴、力、味覚力、嗅覚力、触覚力を持っていても視力がなければ見ることはできない。従って人間に存在する能力や五感では、疑いの余地のない、純粋で神聖な、見えざる実在の認識は不可能である。別の能力と別の感覚が必要である。もしそれらの能力及び感覚が得られれば、情報を得ることができるであろう。そうでなければ得られない。

結婚についての質問に関しては、神の捷に依れば、汝は先ず最初に一人を選び、その後は父親と母親の同意に依る。汝が選択する迄両親には干渉する権利はない。

汝が聖典を日本語に翻訳できるように、最大限の努力をして英語をもっとも雄弁に、立派に使えるようになるため、できるだけ修得せよ。これが我が,忠言である。確実に、この恩恵が得られるように全力を尽くして努力せよ。

(年月日不明)

 

おお汝、日本で唯一であり、極東に於ける無比の者よ!

現在に至る迄、かの国は聖なる息吹きの恩恵を奪われていた。神にほまれあれ、今や汝は神秘を明かされ、光明の秘密を意識し始めた。

汝はこれまで世俗的であったが、これからは天国的になることを望む。汝は陰うつであったが明朗になることを望む。汝は荒野をさ迷っていたが、敬愛する御方の住家への道を見い出した。汝は渇いた魚であったが、無限の大洋に到った。汝は流浪の小鳥であったが、聖なるバラ園に着いた。汝は精神的に病んでいたが真の健康を見い出した!

 

 今や、汝がこのはかない世の快楽や安逸、享楽の生活をまったく放棄し、日本の人々を導くために完全に立ち上がり、人々の顔を明るくし、芳香を匂わせ、天の軍勢と聖なる援兵とにより、その地域の人々の心を勝ち取る時である。

主の愛顧と恩恵を疑うなかれ。神の愛顧により幾度ただの一滴が海のようにうねり、一原子が太陽のように輝いたことであろう!真理の太陽は聖なる世界に光を注ぎ、宇宙を照らした。彼の恩寵の光が東西両洋に輝き、彼の熱気はあらゆる国々に草木を生み出した。

真理の太陽の光と熱は汝をこのように助け、援助するのであるから、その他に何が汝に必要であろうか。

牧草地のあらゆる小鳥に霊感を与えて歌わせるために、汝はバラ園に於ける意義ある鶯のようにさえずらなければならない

 

ハワイのエリザベス・ミューザ嬢へ

 山本寛一氏の手紙に返事を書きそれをこの手紙に同封した。汝を教導の証となし、彼を通して彼の祖国や他の国の人々の魂を導き給うよう神に願う。(1903125日)

 

JD・ブリティングハム夫人へ

日本の青年・K・山本は神の掟に従って行動すべきである。即ち、まず相手(妻)を自分で選び、それから彼の父親と母親が承認しなければならない。もし両親より同意承認が得られなければその婚約は成立しない。

 彼は聖なる書簡を日本語に訳すことができるように英語を十分に習得すべきである。(19061018日)

 

ヘレン・S・グッダール夫人へ

 二人の若い日本人(山本と藤田)に、我よりの挨拶の言葉を伝え次のように述べよ。「天皇陛下は日本の物質的発展のもととなった。汝らは日本の精神的進歩のもととなるように望む。これが進歩の原理である。 精神、知力、及び心情の世界に於いて精神的進歩をしなければ、人間は物質的進歩より普遍的な成果を得ることはできない。今汝らは神霊により日本の人々を奮い立たせるように努力を惜しまず、心を引き締め熟考しなければならない」。(1907106日)

 


W・藤田左弍郎氏

 

次に信教を受け入れた日本人は藤田左弍郎氏でありました。彼は山口県の出身であり、1905年にカリフォルニア州オークランド市の学校に通っていた時、キャサリン・フランクランド夫人より信教を学びました。

ここに引用した書簡は1906年と1907年に彼がアブドル・バハからいただいたものであります。1911年には、専門教育を終えるように勧める書簡が届きました。1912年に藤田氏は師と逢い、彼と共に旅行する恩恵に浴しました。

その後1912年と1919年の間にアブドル・バハより、応用電気学を学ぶように勧められた、少くとも七通の手紙を受け取っています。それらの手紙の中でアブドル・バハは、彼に習得してほしいと望む電気工学の種々の部門について述べ、又、花の栽培についても勉強するように勧められたのでした。

1919年、彼は勉学を終え、アブドル・バハに指示された通りハイファに向かって出発しました。藤田氏はその後、1938年から1955年の間を日本で過ごした他は聖地で奉仕したのでした。

 

日本で撮られた量初のバハイ写真。アレキザンダー嬢は後列、マーサー・ルート娘は前列、日本で最初にバハイ信教を受け入れた福田氏は前列の左端。1915年7月撮影。

 

藤田左弍郎氏宛のアブドル・バハの書簡

おお汝、神の愛の園に植えられた新鮮なる植木よ!

汝の書いたことについて熟慮した。それは指導の道に従う証拠であり、主権者である神の美に心魅かれた証明である。

神は汝に何と言う恩恵を現わし給うたことか。汝は何処に、そして我は何処に居るかを考慮せよ。にもかかわらず、心に燃える愛の蝋燭の光は東洋より西洋へと輝き、そして又、西洋より東洋へと広がって行くほどのものである。

安心せよ。汝の名は神の書に記録されている。汝が王国の楽園に入り安定感が得られるよう望む。即ち、この世と王国に於いて人間世界の進歩の原因になるものに到り、理解力のある眼と、注意深い耳と、雄弁な舌と、輝かしい顔をもって神のぶどう園で奉仕し、聖なる吉報を拡めんことを望む。もし汝が当然のことながら確認されれば、汝は間違いなく永遠の王国を樹立するであろう。この王国は天皇の国よりも偉大である。何故なら、日本の天皇の主権は限られた日数のうちに終わるが、この主権は永遠の永遠迄続くであろう。

あの主権は一握りの土の下に隠すことができる。即ち、天皇が一握りの土の下に埋められる時、彼は全く消滅され忘れ去られるが、この王国は世の最大変革に耐え、完全な安定性をもって永遠に続いて行くであろう。前者の王国は剣の力、燃えさかる火炎、略奪、流血によって樹立されるものであるけれども、この王国は自由、栄光、崇高及び神の愛によって建設されるものである。これ等両者の間にどれ程の差号があるかを熟慮せよ。

1906年11目10日

 

おお汝、気高い青年よ!

日本は物質文明に於いてすばらしい進歩をなし遂げたが、精神的にも発展をとげて、日本の中に「王国の力」が現われるようになれば完全なものとなるであろう。

この国では、神の大業が根を下し始めの頃には、少しの困難に遭遇するであろうが、後は非常に容易になるであろう。何故なら日本の国民は聡明で、素早い同化力を備えているからである。現在では汝のような完全な青年が王国の恩恵に恵まれ、王国の主の英知を得るのである。科学と芸術の習得と研究とに必要なことを完了するよう努力し、それから最上の集合の頂点にひるがえる真理の旗をかかげるために、日本に旅行せよ。汝自身の能力を見てはならない。見えざる神の確認は強大であり、アブハの美の保護と摂理は助力であり、援助である。一滴の水が大洋より援助を得た時、それ自身が大洋そのものであり、小さな種は降り注ぐ雨と、太陽の恩恵と、魂を活気づける微風とによって、非常に生々とした葉と花と果実とをいっぱいにつけた木となるであろう。それ故に汝の能力と真価などを気にせずに、ひたすら無限の恩恵に頼り、掌高なる万能の神を信頼せよ。遅延しないように。直ちに汝の意図するものに着手せよ。

仏教の教典に、顕示者についての予言があるが、それは象徴や隠愉で書かれており、その中にはいくつかの精神的状態が述べられている。しかし、宗赦の指導者らはそれを理解していない。彼らはこれらの予言は物質的な事態だと思っている。しかし、それらの徴候は精神的な出来事を予示しているのである。

1907年5月29日

 


V・日本への書簡

 

 

アレキザンダー嬢は、日本に於ける信教の初期の頃についての記事に次のように書いています。「アブドル・バハの昇天後、彼の書出れた一語一句は、聖なる秘宝となりました。彼が、日本に住む日本人と、一朝鮮人に示された書簡を収集し始めた時、それは全部で19通あることがわかりました。」これらの書簡は1928年に出版され、保存されて来たのです。

次の文は少しばかり変更を加えました。アンキザンダー嬢によって書かれた序文がそのまま載せられている小冊子か与転載したものです。

「次に続くのはアブドル・バハが日本と朝鮮に住むバハイの友らに示された書簡であります。1916年から1921年の彼の昇天までの間に19通の書簡が示されました。そのうち18通は日本人に、1通は朝鮮のバハイの友らに,宛てられています。日本に宛てられたもののうち7通は、東京の女学生に、他は2通を除いて若い青年に宛てられたものでした。そのうち5通は盲目の青年達に書かれ、その中の3人はこの新時代の真の光を見い出しました。

日本に住む日本人からアブドル・バハに宛てられた最初の嘆願は、1915年7月に東京の若い学生より送られたもので、それは日本語で巻紙に書かれていました。次の文はその訳です。『おお我が師、アブドル・バハよ!一使徒を通して私達に下されたあなたの慈悲と慈愛はどれほど大いなるものでありましょうか私はこの世に於いて、卑しく、貧しい一介の若者ではありますが、目覚めさせられ、あなたの慈悲の大洋に浴され、非常に幸福ですから、はかない変遷の夢のうちにさ迷っている皇帝や皇子を憐れに思うほどであります。おお師よ、私の心の奥底からの深い感謝をお受け取り下さい。しかし真の幸福について考えず、あなたの愛の暖い手に頼らない私の同輩のことを考えると誠に遺感に思います。おお我が主よ、あなたの慈悲の泉より永遠に水を飲まさせ給え。あなたの御命令はどんなものであろうと、決して拒絶するようなことは致しません。私の罪を許し、私をして私の同輩を目覚めさせるようになし給え』

この嘆願に対するアブドル・バハよりの返事は1917年2月、日本で受け取られまし右それはアブドル・バハの秘書の手紙の中に含まれ、検閲を経た

 

      福田菊太郎

 

ものでした。これは日本に住む日本人に宛てられた最初の書簡であり、最初にここに印刷されたものです。

アブドル・バハに宛てられた第二の嘆願は、盲目の若い日本青年によってエスペラント語で書かれ、1916年の9目に送付されました。ここに印刷されている第二番目の書簡を、アブドル・バハより返事として受け取った後、彼は再び、英語で嘆願書を書きました。次に続く言葉はその一部であります。『おお我がアブドル・バハよ!夢に見たあなたの姿はとても平静で温和であり、決して心より消し去ることはできません旦その名は私のしおれた心を活気づけ、強くし、あなたのことを思う時はいつも、愛と光の泉が私の心の奥底に湧き出されてきます。私の心が常に生命の泉を渇望するようにして下さい。あなたの愛のたいまつをしっかりと、高く、常に持ち続けることができるように私を強くして下さい。私の心は時折夏の日の花のようにしおれ、力を全く失ってしまうことをあなたに告白致します。とは言え、私の敬愛する主よ、私の心よりあらゆる偏見と無知を捨て去ることができるように力を与えて下さい。私の心を春の牧場の緑草のように清らかで新鮮にし、私の魂をあなたの慈悲の雨でますます成長させて下さい!』この盲目の青年の嘆願に答えてアブドル・バハは書簡を示されました。それはここに印刷されている第三番目のものです……。                              アグネス・アレキザンダー

 

おお汝、教導の光で導かれる者よ!

汝から送られた最初と第二番目の手紙を受け取った。神に讃美あれ。教導の光は輝き、心の鏡は照らし出され、無知の暗黒は霧散された。この最も偉大な教導は王冠であり、その光り輝く宝石は将来あらゆる世代及び周期に輝くであろう。もしそれが一僕の頭に載せられれば、彼は王達の羨望の的となるであろう。何故ならこれこそは不滅の王冠であり、永遠の主権であるからである。偉大なるコーランの中で、「神は誰であろうと望み給うままに慈悲を特別に与うる」と述べ給う。

神に讃美あれ。汝は神の愛顧と恩恵を特別に授かった。汝は目ざめ、光を見、最上の集合のメロディに耳を傾けた。

 

*鳥居篤次郎氏

※※福田菊太郎日本に住む日本人で最初に信教を受け入れた者。彼が信者になったのは1915年、18才の学生の時であった。

 

栄光の福音書に、「十分に授けたのであるから、十分に与えるがよい」と述べられている。これは即ち、汝はこの賜物を発見し、一文も支払わなかったのだから、ただで他の人々に与えよ、という意味である。今、天の力と威厳のある賜物と、精神的道義と神のような行為と、至高の吉報をもって、日本に神の教えを推進することに従事せよ。主国よりの確認は汝を取り巻き、威力ある王国の軍勢は汝に勝利を授けるであろう。

1916年10目28日

 

おお汝、眼識のある心の持ち主よ!

肉体的に言えば、汝には視力が欠けている。しかし、神にほまれあれ、汝は精神的視力を所有している。汝の心は見、汝の心は聴く。肉体的視力は幾多の病にかかりやすく、遂には疑いもなく曇ってしまうであろう。従ってこれは重要ではない。しかし、心の視力は照らされ、神の王国を認め、発見し、永遠に不滅である。神にほまれあれ。何故なら汝の心の視力は照らされ、汝の思考の聴力は敏感であるからである。

汝が計画準備した集会に於いて、汝は天国の感情を感じ、真実と意義を理解する一その集会は大空のようであり、その魂は教導の光に輝く星のようである。光り輝く時代に聖なる教えを探求する魂は幸せである。そして神の愛に動かされ、魅惑される心は幸いである。現在、真理の太陽は日本の国に昇り始めた。そして聖なる教えで日本が照らされるようになることを望む。

D・井上氏とS・斎木氏に我よりの最高の愛と慕情とを伝えよ。これらの二人の祝福された魂が、二つの天の星のように日本の地平線上より輝き出し、啓発の源泉になることが我が望みである。かの国は、物質文明と一時的な進歩とを遂げて来たが、我々は、天国の文明をも習得するように望む。

      鳥居篇次郎氏

      仏僧侶の井上大雲氏と作家の斎木仙酔氏は二人共信教に強く魅かれ信教初期、アレキザンダー嬢を援助し両者共にバハイの文献を日本語訳した。

 

御夫人と、赤ちゃんの昭に我よりの挨拶と伝言を伝えよ。彼の名は永久に祝福されるであろう。何故ならそれは全くふさわしい名であるからである。

1918年12月27日

 

おお汝、神の王国に注意を向けた者よ!

汝の手紙は着き、喜びをもたらした。汝はそれらの地方に光(教え)を広げようと熱望して来た。我が望みも又、神の愛のじゃ香がその国に発散され、またアレキザンダー嬢とフィンチ夫人とが真実の太陽の光線を国中に投射できるよう協同し努力することである。

旅行の手はずがつき次第何時でも来てよろしい。私は汝を強くし、汝を王国の花園にある百合のように成長させ給え、と神に嘆願す。

おお忠実なる友よ!その地方(日本)の住民は利発で気高い心を持っている。しかしながら、遠隔のため、じゃ香の微風はまだ彼らの鼻先に達していない。彼らはペルシャの地平線に真実の太陽が昇ったことを知らないでいる。もしそこに住む汝らが、自己を犠牲にし、神の愛で燃え立ち、真理の地平線より輝く星のようになるならば、かの国はやがて、安楽の楽園となるであろう。日本は光明を与えられ、牧場やバラ園のように、あらゆる集会に集まった人々の心を活気づけるであろう。世界の、敬愛される方の美に魅かれるように最大限の努力をし、彼の愛の火によってかの王国を燃え立たせよ。

1920年6月11日

 

おお汝、我が愛する娘!

汝の手紙を受け取り、最高の喜びをもって通読した。神にほまれあれ、日

 

      鳥居氏夫妻の息子。日本人バハイの家庭に生まれた最初の子供。その名あきらは、日本語で輝く光の意味であり、その光を彼の母親が1918年3月11日、赤ん坊の出生前に見た。彼は17才で没した。

      鳥居篤治郎氏

※※この書簡、及びこれに続く二つの書簡は望月ゆり嬢(後の古川夫人)に示されたものである。彼女は日本人女性で最初にバハイになった人である。

 

本の国土に於いて、神の愛の光が輝き現れ、汝のようなたいまつに火が点された。汝の心は神の愛の美酒で濫れており、汝の精神は燃え立っている。汝は若木のように新鮮で若々しく、恩恵の雲より降り注ぐ雨により成長し繁茂しつつある。我が望みは、汝がやがて芽を出し、花をつけ、喜ばしい果実を実らせることである。

真の羊飼いは疑いもなく自分の羊の群に親切であり、最大の愛着、慈悲、配慮を注ぐものである。これは当然のことである。それ故に安心せよ。汝は常に見守られ、愛情こめた保護を受けているからである。

日本の人々は、何周期、何世代もの間、雨を奪われ、降りそそぐ雨、いや露の分け前にさえも与からな.かった土壌のようである。彼らは確かに渇き切っている。吟、汝は聖なる庭師となり、神の教えの水で乾いた土壌を潤さなければならない。そうしてこそ天の恩恵が注ぎ、真実の花、人間完成の香わしい草本が萌えだし、その国はエデンの園となるであろう。

1918年12月17日

 

おお汝、愛らしい神の侍女よ!

神の想恵を観察せよ。我々はハイファに、汝は東京に居るが、それにも拘らず、いかに(我々の)心がお互いに結びつけられるようになったことだろう!これは東西両洋をお互いに抱擁させた王国の力による。

我は汝にこの上ない愛情を感じる。もしタがコラトウル・アインの物語を劇に書き得るならば、そうしても良い。

1920年8月10日

 

おお汝、真理の牧草地に新しく育った木よ!

1920年10月14日付けの汝の手紙を受け取った。それは汝の阜心の感受性を示していたので喜びのもととなった。

日本は土壌に手をつけられていない農園のようである。このような土壌には偉大な能力がある。一つの種は百倍の種を産み出す。神にほまれあれ、今や、汝はそのような農園を見い出した。汝はその土地を開拓しなければならない。汝はそこからとげや雑草を取り除かねばならない。汝はそこに神の愛の種をまき、神の知識の雨で潅概しなければならない。安心せよ、天よりの祝福が与えられるであろう!

 

我が望みは、汝がその農園で聖なる農夫になることである。日本の啓発された人々は時代遅れで、腐敗した盲目的模倣に飽き、いや気がさしている。彼らは、これらの盲目的模倣は真実性のない、全くの迷信だと確信している。それ故に、彼らは神の呼び掛けを聞く能力があるのである。その土地には手がりけられていない。聖なる農夫達がどういう仕事をするか我々は後で分かるであろう。

現在汝は雑誌を発刊し始めた。わが望みはこの雑誌が東洋の星のように輝くことである。その雑誌に次のように記せ。

東洋の地平線が測り知れない程の暗黒でおおわれ、暗黒の雲が優勢を保ちあらゆる天の星が眼から隠されていた時、聖なるバハオラが、太陽のように東洋の地平線より輝き出し、輝かしい光輝をもって東洋を照らした。真実の太陽の光は聖なる教えより成り、東洋に広まった。何故ならそこに於いては、宗教的、宗派的、人種的、政治的、経済的及び自国内の偏見の盲目的模倣の暗さが優勢だったからである。これらの偏見の暗黒が極度に東洋の世界を抑圧していたので、あらゆる眼を盲にし、あらゆる耳をつんぼにした程である。そこでは、論争、衝突、戦争及び流血が支現していた。

つまり、長い説明を要するが、ここでは簡単に述べる。真理の太陽が全力、全エネルギーをもって輝き出した時、これらのもうろうとした暗黒の雲は分散し、輝かしい日が非常な新鮮さと美とを人々の眼に示したので、賢人は驚き、病人はいやされ、盲人は視力を得、籠者は聞こえるようになり、唖者は雄弁になり、死人はよみがえった。天国の食卓は東洋に広げられた。不動の大殿堂のように神の教えは打ち立てられた。

バハオラの第一の原理は真理の独立探求である。即ち、世界のあらゆる国家は独自に真理を探求し、過去の時代の死にかけた盲目的模倣より眼を完全にそらせなければならない。独立に探求してみれば真理は一つで分裂を許さない。それ故に、真理の独立探求は、人間世界の一体性に通じるであろう。

その他の教えの一は人間世界の単一性である。全人類は神の果樹園の木々であり、この果樹園の庭師は最高なる御方、万物を支持し給う御方であり、その愛顧の御手はこれらの木々を植え、慈悲の雲より水を注ぎ、真理の太陽のエネルギーでそれらを育成し給うた。

従って、この天の農夫(庭師)はこれら総ての植木に対し親切であることに疑いの余地は無い。この事実は否定できない。それは太陽のように輝いている。これが神の政策であり、疑いもなく、人間の政策よりも優れている。我々は神の政策に従わねばならない。

要点はこうである。即ち、或る人々は病気であり、或る者は未熟であり、無知である。そして或る者等は、彼等の初まりと終わりについての知識を持っていない。病人はいやされ、未熟な者は成熟させられ、無知な者は賢明になるよう教えられるべきであり、彼等に対して敵意を持ってはならない。

同様に、その雑誌の中で汝の精通している教えを一つづつ詳細に、十分に述べよ。例えば、宗教は和合の原因でなければならないこと、宗教は科学や道理と調和すべきであること、宗教は人間世界の進歩の要因であるべきこと、宗教は盲目的模倣より解放されなければならないこと等である。他の例をあげるならば、あらゆる偏見は人間世界の基盤を破壊するということもある。

その他の例は、男女の平等、知識(教育)の普及、一つの世界共通語の創作、正義と公正、人類間の経済流通機構、人間世界に於ける聖霊の息吹きの必要性、世界平和の樹立、国際仲裁々判所の設立、全人類の自由と平等、人間世界の同胞関係及び神の書簡に述べられているこれに似た他の教えである。これらの教えを最も雄弁で、しかも最も魅惑的な実在を表現する快い言葉で詳しく述べ、雑誌に掲載せよ。

わが望みは、汝がアレキザンダー嬢と共にこの奉仕を完遂するように確認されることである。アレキザンダー嬢は日本に於ける真理の使者である。安心せよ、彼女は確認され、援助を受けるであろう。

(1920年12月9日)

(この書簡と共に、アブドル・バハの命令で藤田左弍郎氏が日本語に訳したものが同封されています。)

 

おお汝、真理を愛し求むる者よ!

汝の手紙を受け取った。神にほまれあれ、汝の心の眼は開かれ、汝は精神的治ゆの力を得た。汝は真理を探求しそれを発見し、天国の神秘を知るようになった。

聖なるバハオラの教えは太陽の光のように東西両洋を同様に照らし、死人をよみがえらせ、種々の宗教を統合した。それは、世界のあらゆる共同体を人類世界の一体性のあずまやの下に集めるので、神の唯一性を証明する。

 

      のと友長氏盲人

 

世界がいかに動揺し、世界の人々がいかなる激動の中に居るかを熟慮せよ。この動揺と激動を静めるためには天国の力が必要である。そうでなければ、この偉大なる大業は人間の力では実現できないであろう。人間の力はいかに強くても、ともされたランプのように、限られた空間のみを照らし、少徴の魂を教育するのみである。総ての地方を照らすものは太陽であり、あらゆる宗派及び社会を一点に集めるのは天上の力である。それ故に、汝はこの驚くべき力に奉しし、有益で遠大な結果を得るために努力せよ。

1919年12目12日

 

おお汝ら、光栄ある魂らよ!

汝らより祝いの手紙が着き、喜びをもたらした。何故ならその手紙の内容は、真実の太陽がそれらの地方に光を放射し始めたことを表わしていたからである。わが望みは、その地方が照らされ、天国の夜明けが始まることである。これは聖約を信ずることから出る力によって達成されるであろう。

それ故に、総てのバハイの友らがその国に於いて、あかあかと輝かしく燃えるろうそくのようになり、その教導の光が人々の心に発散するよう期待している。

唯一人の祝福された魂が一つの大陸への教導の源泉となったことが何度あったことか。我はまた、この祝福された日(の出現)に対して汝に祝辞を述べる。

1920年2月

 

おお汝、愛しい侍女よ!

神にほまれあれミアレキザンダー嬢の指導により、汝は神の呼び掛けを聞くことができた。それ故に、神の救えを広げるためにできる限りの努力をせよ。そうすれば汝は世の姫人達の間に、この偉大なる賜物によって名るでおろう。

1920年8月10日

 

      男子学生の一団、岩見じそう氏に宛てられた。

      17才の女学生、森はるこさんに示されたもの。

 

おお汝、最高なるお方の閾で寵愛されている下僕よ!

汝の手紙を受け取った。誠に、誠に、汝は生涯苦しんで来た。視力の喪失を嘆いてはならない。神にほまれあれ、汝の洞察は鋭敏である。食困を悲しんではならない。何故なら、王国の宝庫は汝のものだからである。物質界の学校で学び得なかったことを気にしてはならない。何故なら、汝は神の大学で(神の)唯一性の詩句の教課を受けたからである。汝が遂に真理に到達できたことを神に感謝せよ。そして最も偉大なる賜物の門が汝の眼前に開かれるように、確固として不動であれ。あらゆる事柄のうちで最も偉大なものは不動であることと確固としていることである。しっかりと根を下ろした木は総て成長する。

1920年8月10日

 

おお汝、天来の人よ!

神にほまれあれ、暗幕をきれぎれに引き裂き、真実の太陽光線を見てから汝は、その注意を聖約の中心に向けた。

安心せよ。汝は盲人に視力を与え、寵者に聴力を与え、死人でさえよみがえらせるように確認されるであろう!

1920年12月8日

 

おお汝等、王国の娘等よ!

汝等のフィーストの祝詞を受け取った。それを読むことで喜びと幸福がもたらされた。最上の主君の恩恵を通して我は、これらの王国の娘等が日毎に発展し、磁石のように聖なる碓認を引きつけることができるよう望む。我は常に汝が最も大なる賜物を得、聖なるバハオラの教えに従って行動するように嘆願している。

1920年8目19日

 

 

P42 なし

 

おお汝、祝福されたる魂よ!

汝の手紙を受け取った。それは唯の手紙ではなかった。それは神の愛の芳香が感知されるじゃ香鹿のにおい袋であった。それを読んだ後、慈悲深いお方の王国に向かって汝の魂が清められ、神の愛の炎の火鉢に変えられ、時々刻々と真理の光の放射を見い出し、教導のランプをともし、天の喜びと幸福を求め、天の父への奉仕に汝の生命を捧げるように嘆願した。我は汝に対し最高の慈愛を感じる。我は、無限の恩恵によって、精神的で活動的な力と天国の祝福が汝の上にあらんことを祈る。バハイの友等に我よりの挨拶の言葉と愛を伝えよ。

1920年9月9日

 

おお汝、真理を探求する者よ!

汝の手紙を受け取った。汝は新しい日本語の書き方を発明しようと骨折って来た。汝は人間世界に奉仕して来た。一神が汝に報いられんことを!

しかしながら、今日に於いては数多の書法がある。それよりもっと必要で、神の確認により援助されるものは、天国の呼び掛けを教え広めることである。これこそが実在の世界にエネルギーを与えるものである。これこそが死んだ魂に生命を与え、枯れた木を生気づけて葉や花や果実で飾らせるのである。汝が天国の進歩を遂げ、真実の太陽の光に達し、日本の死んだ身体が天国の生命を得て太陽の光を与えられ、月や星のように輝きます原因となるように、汝の全力をこのことに集中せよ!

これは重要なことである!総てのバハイの友等に我から最も暖い、心よりのアブハの挨拶を伝えよ。

1920年10月15日

おお汝、真理に献身する者よ!

この神の園では、何千という新鮮で青々と茂った木々が最高の頂点に向かってその梢をのばし、そして各々の木には何千という巣がある。高く飛び立つ小鳥である汝のために、巣が用意されているのである。その巣に達するように高く飛びLがれ。これは天の王国にある神の巣である。この巣に達したあらゆる小鳥は、あるメロディを覚え、又、東西両洋を感動させ、うっとりさせる神の和声を牧草地の小鳥に教えたのである。それ故、汝がこの巣に住み、永遠に栄えるように心と魂を入れて努力せよ。

1921年6月1日

 

おお汝、王国の息子!

汝の手紙を受け取った。その内容は精神的感受性を示していた。汝が世俗の執着と限定された思考を超越して王国の領域に達し、啓発されて精神的となり、物質界の暗黒より完全に解放され、バラやつぼみのように天のバラ園で芳香を放ち、聖霊の息吹きで確認され、天の群衆の軍勢に援助されるように神に祈る。汝の言動により無意識の魂を自覚めさせ、彼らに生命の精神を与えよ。

1921年10目7日

 

おお汝等、天国の意子達よ!

汝の真心をこめた誠実な挨拶は、アブドル・バハの耳に達し、汝のメッセージは非常な精神的喜びを与えた。

神にほまれあれ!天の光は汝等を真実の太陽へと導き、永遠の生命を与え、天国の啓蒙を授与した。汝等は彼の精神性のバラ園に贈与者の手で植えられた苗木のようなものである。わが望みは、汝等が真実の太陽の熱気と、慈悲の雨の潤いと、賜物の微風によって日毎に進歩し、それにより各々が葉と花を豊富につけだ祝福された木となり、大勢の人々の上に、その影を射しかけるようになることである。

 

この書簡は韓国の新しいバハイの友等に示されたもの。アレキザンダー嫁の名の他に15人の名前が述べられている。サング・サン・オ、U・U・キュアン、キング・S・コー、チー・リン、インキ・キング、ピュング・C・リー、スーン・Y・リー、ウェン・H・マー、ヨング・N・ピュア、チャン・ヨング・キム、Z・Y・ロー、S・ウォー・クルーン、S−Y・ジー、ゼー・キュング・サング、S・T・スー、

 

アブハの王国の恩寵は真実の太陽の光線である。それは天と地を照らし、星を輝く目となし、小塊を大山となし、弱き者に強さを授け、病める者に永遠の癒しを与え、貧しき者に天国の宝物を授与し、虐げられし者を永遠の栄光へ確認し、暗黒の人々を光明の人々にかえる。

おお天国の友等よ、天国の戸は開かれ、神の光は輝き出し、天国の呼び声はあげられた。この天国の呼び声を聞かせるために全人類を呼び寄せて、彼等を天界に招くようにせよ。そうすれば彼等は新しい精神を見い出し、新しい生命を得るであろう。如何なる事情のもとにあっても我が心と精神は汝等と共にある。

1921年11月5日

 

バハイグループ、1916年。アレキザンダー娘とオーガー博士も一緒に。

 


Y・日本独立教会でのアブドル・バハの而和

(1912年10月7日、カリフォルニア州オークランドにて)

 

今晩、ここに出席できて非常に幸せに思う。特にこの協会のメンバーが東洋の地域より来た人達だからである。長い間、我は日本の友等に逢いたいと言う望みを抱いていた。かの国は短期間に異常な進歩を遂げた。その進歩と発展は世界を驚かせた。彼等が物質的文明に於いて進歩したので精神的発達を遂げる能力も確かに所有しているに違いない。それ故、我は、彼等に会いたいという非需に深い切望を持っていたのである。神にほまれあれ、この喜びは今や我に与えられた。というのは、この市に於いて立派な日本人の方々と顔を合せているからである。日本の国の人々は偏見がないという報告を聞いた。彼等は事実を調べ、真理を見い出せばその愛好者になる。彼等は古来の信仰や教義を盲目的に模倣することに固執していない。それ故に、東西両洋の国民の統合と融合が促進され、完遂されるための演題について講話するのが我の大なる望みである。それによって宗教的、人種的、政治的偏見、愛国的偏執及び宗派心は人々の間より追払われるであろう。あらゆる偏見は国家.に有害である。

人類存在の初期より我々の住んでいる現在迄の歴史をふり返ってみると、全ての戦争、闘争、流血、戦闘及びあらゆる種類の動乱は、何らかの形の偏見、宗教的、人種的、国家的、党派的、又は何らかの種類の利己的偏見に依って生じたと言うことは明らかである。今日でもバルカンに於ける動乱、宗教的偏見による戦争を目撃している。何年か前、我がルーメリヤに住んでいた時、信心深い人達の間で戦争が始まった。彼らは少しも正義や公正を心掛けていなかった。彼等はお互いの財産を略奪し合い、お互いの家や住宅を燃やし、男女、子供を殺りくし、そのような戦争や流血が神に近づく手段であると想像したのである。このことは、宗教が親交と和合の原因となるべきものであるのに対し、偏見は人間世界の基礎を破壊するものであるということことを明らかに証明している。宗教は愛の源となるべきである。宗教は正義の源泉とならなければならない。何故なら、神の顕示者達の英知は不変の愛の絆を確立することに向けられているからである。国家を糾合する絆は十分ではない。次に絆をいくつか述べてみよう。例えば愛国主義の絆である。これは明らかに十分な絆とは言えない。何故なら、余りにもしばしば同じ国の人々の間に内乱が起こっているからである。友情の絆は人種的なものであるかもしれないが、これも十分に強いものとは言えないことは歴史が証明している。非常に恐ろしい戦争がひんぴん同人種に属する人々の間で起こっているからである。又、人々を結び合わせている絆は政治的なものであるかも知れない。しかし、由家の外交が、ある日平和条約を取り交わしたかと思うと、次の日にはもう宣戦を布告するという事態が幾度か起こっている。これらの絆はそれのみでは十分でないことは歴史的に見て明瞭である。

完全無欠の真の絆は宗教的性格を持つ。何故なら、宗教は人間世界の単一性を教えているからである。宗教は道徳の領域に奉仕している。宗教は心を清純にする。宗教は称讃に値する行為を成就させる。宗教は人間の心の中で愛の源となる。何故なら、宗教は神聖なる基礎であり、この基礎は常に生命をを助成する。神の教えは世界の人々の啓蒙の源泉である。宗教は営に建設的であり決して破壊的ではない。

あらゆる神の宗教の基礎は一つである。全ては真理に基づいている。真理は複数を容認しないのであるが、人間の間では神の顕示者達について意見の相違が起こった。或る者はゾロアスター教徒であり、ある者は仏教徒であり、ある者はユダヤ教徒、キリスト教徒、回教徒、等々である。これが分派の原因となった。が、一方神の宗教を創立した聖なる魂の教えは、本質と実体に於いてもともと一つなのである。全てこれらは人間の世界に奉仕した。全ては魂を平和と和合に招いた。全ては人道上の徳を宣布した。全てこれらは魂を完全性の達成に導いたが、国家間にあっては先祖伝来の礼拝の模範が起こった。これらの模倣は神の宗教の基礎でも本質でもない。そこれらは神の顕示者の実体及び本質的な教えと異っているから不和が生じ偏見があらわれた。このようにして宗教的偏見が戦争や闘争の原因となったのである。

もし我々が、これらの古びた盲目的模倣を捨てて真実を探求すれば、我々は全て統合されるであろう。不和は存続せず、敵対心は消え去るであろう。あらゆる人々は友情の暖い絆の恩恵を昧わうであろ。その時、創造の世界は平静を得るであろう。盲目的模倣と独断的な意見の相違との暗く陰惨な雲は分散され、追い払われて真実の太陽が最も壮麗に輝くであろう。

まことに我々は、神の予言者達を媒介者と見なすべきであるが、人類は彼等を不和の原因、戦争と紛争の口実として利用した。実際、彼等は愛と調和,をもたらした媒介者であった。もし彼等が人々の間の愛と友情の源泉でなかったとしたら、彼等は疑いもなく本物ではないのである。何故なら、予言者達を遣わす神の英知と目的とは、人間の心の中に愛を出現させることにあるからである。それ故、我々は真実を探求しなければならない。単に伝統的証明を弓用するのではなく、先ず最初に合理的な証明と卓越した議論をもって、これらの予言者達が正当であるかどうかを決めることにしよう。何故なら伝統は種々雑多であり、不和のもととなるからである。

聖なる神の顕示者達の中に聖なるモーゼがいた。予言者が遺わされるのは、常に人問を教育するためである。彼等は第一の啓蒙者であり、教育者である。もしモーゼが国民を発展させたならば、彼は真の教師であり、教育者であったということに疑いはない。これが彼の予言者であったことの証明であり、証拠となるのである。イスラエルの民が絶望の深淵・無知と無思慮の最低段階に輪し、奴款の状態にあった時、いかに聖なる人が遣わされたかを考慮してみよう。聖なるモーゼは、堕落したイスラエルの民を囚われの状態より解放した。彼は彼等を無知の状態より引き上げ、野蛮より救い、聖地へと導いた。彼は彼等を教育し、明敏な才能を与え、立派な、尊敬される人々となした。彼は彼等を開化し一層高度の存在へと引き上げ、遂に主権国家、ソロモンの偉大なる王国を樹立した。これは聖なるモーゼが教師であり、教育者であったことを証明するものである。彼は車隊も領土も富も持っていなかった。ただ観念の力を通してのみ彼は彼等を堅く結びつけ、彼が神の予言者であり、教育者であり、啓蒙者であることを証明したのである。

同様に、他の聖なる教育者達を考慮する時にも偏見を取り除き、真実を探求しなければならない。

聖なるキリストの事を例にとってみよう。彼はモーゼよりも偉大な成果を成し遂げた。彼は国民を教育して強大な国へと養成した。彼が予言者であったことには疑いの余地がない叱なぜなら、予言者の使命は教育であり、これらすばらしい魂が、人類を啓蒙し、教育.するのである。

聖なるキリストは無比の人物であり、彼には助力する者も援助する者もいなかった。唯一人で単独に、偉大で強力な国家を教育するために立ち上がった。即ち、ローマ人、ギリシャ人、エジプト人・シリヤムカルデァ人・アッシリヤ人等は彼の影響を受けた。彼は数多くの国民を結合させ融合させ、一つの鋳型に流し込み、敵意を愛に、戦争を平和に変えることができた。彼の影響の下に、悪魔のような魂は真の天使となり、圧制者は公正となり、人間の道徳の基準は高められた。以上のことが、聖なるキリストが国民達の教育者であり、教師であり、啓蒙者であったということを証明するのである。もし我々がこのことを否定するとすれば、それは不正以外の何ものでもない。

モーゼ、仏陀、孔子、ゾロアスターのような祝福された人物は人間世界に於ける啓蒙の源泉であった。如何にして、そのような反ばくのできない証拠を否定し得ようか?そのような光に如何にして盲目であり得ようか?聖なるキリストの正当性に、どんな議論の余地があろうか?それは不正義である。それは事実を否定するものである。人は公正でなければならない。我々は偏執や偏見を除かなければならない。我々は先祖の模倣を放棄しなければならない。我々自身で事実を調査し、公平な判断をしなければならない。

以前のペルシャの国民はこのような事実を全て否定し、彼等自身以外の宗教信仰に対して、最大の憎悪と敵意を抱いた。我々は事実を調査し、これらの聖なる人物は全て、神より遣わされた事を発見した。彼等は皆、我々を教育するために生命を犠牲にし、試練と苦難を耐え忍んだ。如何にしてそのような愛を忘れ得ようか?キリストの光は明らかである。仏陀のローソクは輝いている。モーゼの星はきらめいている。ゾロアスターによって点された炎はいまだに燃えている。如何にして彼らを否定し得るであろいうか?そうすることは不正である。それは完全な証拠の否定である。もし我々が模範を放棄すれば全ての人々は統合され、我々を隔てる差異は消え去るであろう。

我々はモハメッドに対して何らの偏見も抱いていない。外見上、アラビア国民はパルシー(ゾロアスター教徒)の領土、ペルシャのセ権をくつがえす手段となった。この故に、以前のパルシー国民はアラビァ人に対して最大の軽蔑を示したのである。しかし我々は、公正に振舞い公平の基準を決して放棄することはないであろう。アラビァ人は最低の堕落状態に陥っていた。彼等は血に飢え、野蛮で、アラビァ人の父親はしばしば自分の娘を生き埋めにした程残忍で堕落していた。どんな野蛮人が一体、これ以上に低級であり得るか考えてみよ。その国民は広大なアラビア半島に住む、好戦的な、散意に満ちた部族より成り、お互いに戦い、略奪し合い、女子供を捕虜にし、お互いに殺し合うことが仕事であった。このような人々の間にモハメッドが現われたのである。彼はこれらの野蛮な部族を教育し、統合し、彼等の流血に終わりをもたらした。彼の教育により、彼等は大陸及び国々を征服し、統治するほどの文明に到達したのである。回教徒達によりなんという偉大な文明がスペインに築かれたことであろうか!ムーア人によりなんと驚くべき文明がモロッコに起こされたことであろうか!バグダッドになんという強力なカリフ統治、または継承統治が打ち建てられたことであろうか!回教はどれ程科学の進歩に役立ち、それを促進させたことであろう!ではどういう理由で我々はモハメットを否定しなければならないのであろう!もし我々が彼を否定すれば敵意と憎悪がよみがえって来る。我々の偏見は、戦争と流血の原因となる。というのは、1300年の間、人間の歴史を通して吹きまくった凄まじい嵐の門となったのは偏見である。それは今もって続いているのである。現在でもこれを反映した激動がバルカン地方で起こっている。

キリスト教徒は殆んど3億を数え、回教徒もそれとおよそ同数である。それ程の数を処分するのはたやすいことではない。その上、何故に彼等は抹殺されなければならないのであろうか?これらの人々は皆、唯一の神の下僕ではないか。キリスト教徒と回教徒間に平和を打ち建てる努力をしよう。その方が良いではないであろうか?戦争はどんな利益をもたらすのかその結実は何であろうか。1300年もの間戦争と憎悪が存在して来た。このような良い結果が生み出されたというのであろう妬それは愚かなことではないであろうか。神はそれを喜び給うであろうか?聖なるキリストは喜ばれるというのであろうか?モハメットはどうであろうか?彼等が喜ばれないということは明自である。予言者達はお互いに非常に称揚し合って来た書なるモハメッドはキリストを神の聖霊であると宣言している一の句はコーランに明白に記されている。彼は、キリストは神の御言葉である、と宣言しているのである。彼はキリストの弟子達を非常に称讃した。彼は聖なるマリヤ、キリストの聖母に最高の讃辞を与えた。同様に、キリストはモーゼを称揚した。彼は旧約聖書、トーラ(モーゼの五書)を広め、モーゼの名を東西にとどろかせしめた。この目的は即ち、予言者等自身は旭いに最高の愛を示し合ったが、彼等を信じて彼等に従った国民同志は互いに敵対し合い、相入れなかったのである。

聖なるバハオラがペルシャの地平線上に現われた時、世界は暗黒の状態にあった。彼は人間世界の一体性の旗標を高くあげた。彼は世界平和を宣言した。彼はペルシャ国民に事実を探求するように勧告し、宗教は統合と愛のもとであり、心と心を結び合わせる手段であり、生命と啓蒙のもととならなければならない、と宣言した。もし宗教が憎悪と流血の原因になるくらいなら宗教はむしろない方がよい。何故なら、宗教はあらゆる疾病の療法であり、もしその療法が疾病及び苦痛の原因となるようなら、それを捨てた方がましである。今白ペルシャに於いて、回教徒、キリスト教徒、ゾロアスター教徒、仏教徒が、お互いに最高の愛と調和をもってバハオラの教えに従って生活し、同じ会合に集合するのが見られる。うらみ、憎悪、敵対心、暴力等は消え失せた。彼等は一家族のように生活している。

汝等、東洋一常に光明のあけぼのの場所であらた東洋の人達よ。そこより真実の太陽は常に輝き出し、西洋にその光輝を投げかけて来た。それ故に、汝等はその光を顕す者とならなければならない。汝等は輝くランプとならなければならない。汝等は愛の光を全人類に向かって放射する星のようにならなければならない。願わくば汝等が国民間に於ける愛のもととならんことを!そうしてこそ東洋が常に光明のあけぼのの場所であり、愛と和解のみなもとであると云うことを世界一は目のあたりに見るであろう。全世界を和睦させよ。あらゆる人々を愛し、あらゆる人々に奉仕せよ。すべての者は神の下僕である。神はすべてを創造し給うた。彼はすべてを養い給う。彼はあらゆる人々に親切である。それ故、我々はあらゆる人々に親切でなければならない。我はこの会合を非常に喜んでいる。我は喜びに満ち幸福である。何故なら、これ等の西洋の地域で教育を求め、偏見を持たない東洋人達を見い出したからである。願わくば神が汝等を援助されんことを!

これは、アブドル・バハが日本人の聴衆を前にして行った唯一の講演であるので、そのすべてを引用した。これは、イラン語から英語に訳され、それが日本語に翻訳された。ここにあるのは「国際平和の公布」の中に載せられている英語訳を日本語に訳したものである。

 

 


Z・宛名不群のアブドル・バハの書簡よりの抜粋

 

おお汝、聖約に確固とした者よ!

今年(1906年)、日本の首都に於いて宗教の国際大会が開催された。多くの人々はそれぞれの宗教の原理を討議し話し合い、お互いに自分の方へ相手を組み込み、自分の信仰の正当性を証明することを切望して、世界のあちこちからこの帝国へ向かっていそいだ。この大会は宗教の政治面を討議するものであった。実に、これは政治的な行事で、心の魅惑、信仰、神への前進、神の愛の炎での輝きなどではない。この大会は何らの影響も生み出さないであろう。何故ならそれは基本的に宗教政治であるからである。神の御言葉の浸透、心の魅惑をもたらすものは聖なる芳香と聖なる吉報であり、大会の参加者達はこれに関するいささかの知識も持っていないのである。

それ故に、もし神を信ずる者がその国へ大会へではなく一行き、神の御言葉の御力と聖霊の息吹きとにより、また、一体性の聖句を読み、その王国の住民と個人的な交流を持つことによって、疑いもなく、すばらしい結果を認め、神秘のバラ園の甘美な芳香がこの地域の人々の鼻孔にただようであろう。もし神の友のいく人かが大きな努力をしアメリカからこの地(日本)へ急ぐならばそれは大変意義深いことである………

1906年

 

[・アブドル・バハ、日本女子大学総長成瀬氏と逢う

アグネス・B・アレキザンダー嬢著

 

1912年春、東京に於いて名誉ある銀行家であり資本家である渋沢子爵は、日本で最初の女子大学の創立者、成瀬仁蔵学長と東京大学の姉崎政春博士と共に「コンコーディヤ」という運動の中核を造りました。その目的は、あらゆる国民が和合し得る共通の地盤を探し出そうと努めることです。それから成瀬学長は、その運動のために、世界一周の旅につきました。彼は署名帳を携え、訪問先の異った国々の署名人より善意の言葉を集めました。日本に帰周後これ等は日本語に訳され出版されました。

1912年、ロンドンに於いて、アブトル・ハハの秘書は次のように記録しています。「数ケ目間アメリカに滞在していた著名な日本人、東京にある女子挙の学長はアブトル・バハの所に来て、オリエンタル・レウユーに載せられた日本に於けるコンコーディヤ運動についての記事を見せた。アブドル・バハはバハイの大業の原則について語られ、これ等の原則を実行するために、いかに我々が神の力を必要としているかを語られた。彼は『丁度太陽が太陽系に於けるあらゆる光の源であるように、今日では、バハオラが人類の統合と世界平和の中心である。』と述べられた。アブドル・バハは美しい祈りをそめ署名帳に書き込まれ、日本に帰ってこれらの崇高な理想を広めるように熱心に彼に懇請された。」
 次に続くのがその祈りです。「おお神よ!宗教間、国家間、及び人々の間、の論争、不和、戦争の暗黒は真実の地平線を曇らせ、真理の天をおおい隠した。世界は教導の光を必要としている。それ故、おお神よ、実在の太陽が東西両洋を照らすよう汝の恩恵を授けたまえ。」

 


IX・ブルームフィールド夫人著「選ばれた道」よりの抜粋

アブドル・バハと日本人外交官に関する節(1912年)

 

ヨーロッパの或る首都に駐在の日本の大使(荒川子爵一マドリッド)はドゥジュネホテルに滞在していました。この紳士と夫人はパリにアブドル・バハが滞在されていることを知らされ夫人は彼に逢う名誉にあづかりたいと切望しました。

「とても悲しいことですが、風がひどく、今晩は外出できません。それに明朝早くスペインに発つことになっています。でもどうにかしてその方に逢われないでしょうか。」と夫人は言いました。

このことは一日中長時問の活動で疲れ切って丁度帰って来られた師に話されました。

「彼女が私の所に来られないから私の方から訪ねると夫人と御主人に伝えなさい。」そうして、時間は遅かったけれども、彼は寒さと雨の中をわざわざ来訪され、ドゥジュネホテルのタピストリィ室(つづれ織の間)で彼を待っていた私達にほほえみを浮かべた丁重な態度で応待され、私達皆を喜ばしてくださいました。

アブドル・バハは大使やその夫人と日本の状態、その国の大なる国際的な重要性、人類への大なる奉仕、戦争廃止のための事業、労働者の生活条件の改良の必要性及び男女間の教育の均等の必要性について語られました。

「宗教の理想は人類の福祉のためのあらゆる計画の精髄をなす。宗教は決して党派的政治の道具に用いられてはならない。神の政策は強大であり、人間の政策は微弱である。」

宗教と科学に就いていえば、両者は人間という鳥が飛び上がることのできる二つの翼のようなものであるが、それらについて彼は次のように言われました。「科学的発見は物質的文明を増進させて来た。幸いに、今だに人間により発見されていない驚くべき力が存在している。精神文明が人間の心を支配する迄は、この力が科学によって発見されないよう敬愛する神に嘆願しよう。低俗な性格を持つ人間の手に入れば、この力は全地球を破壊し得るであろう。」

      外務省のリストには荒川みのじ子爵は当時、駐・スペイと記録されている。