注:この文書は校閲を受けていない非正式の訳です。暫定版としてお使いください。ただし、暫定版と明記してお祈りの会や学習等に使用できます。Note: This is a provisional translation,
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19日フィーストについて
一般的な言明文より
バハオラの文書から
1. 汝らは月に一度、もてなしをなすように定められている。たとえ水以外にだすものがなくとも。なぜなら、神は天なる手段とこの世の手段をあわせても汝らの心を結びつけることをお望みになったゆえに。(タタベ・アグダスの暫定的翻訳より)
アブドルバハの書と発言から
2. おお聖約に確固をえた汝よ!
汝はフィーストについて・・・書いた。19日がひとつの」月のうちの一日に開かれるこの祭事は聖なる御方バブにより設定されたもので、「祝福された美」により、それを開くことが指示され、確証され、勧められている。ゆえに、これは最も重要な事柄である。汝は疑いなく、最大の配慮をしてこれに取り組み、その価値が知られるようにするべきである。それが永久的な基盤の上にしっかりと確立されるように。神の愛されし者らをともにより集めらさせお互いを最も愛情深く、精神的にかつ幸せに交わらさせ、最大の礼儀正しさと自己規制にもってふるまうようにさせるがよい。彼らに聖句及び役に立つエッセイ、それからアドルフ・バハの手紙を読ませるがよい。そして、お互い全ての者を愛し合うよう励まし、鼓舞せよ。また、???と喜びもて祈りを唱え、雄弁なる講談をし、比類なき主を賛美せよ。
(フィースト)主人役は完全なる自己削除をもって全ての者に優しさを示し、めいめいに対して慰めとなり、自らの手にて友人たちに仕えなければならない。
もしフィーストが前途のごとく適切に開かれたなら、この晩餐はまことに主の聖餐となるであろう。まぜまら、その実りはその聖餐の実りそのものであり、その影響はその聖餐の影響と同じものゆえに。(ある個人への書簡より、ある信者へ:ペルシャ語の英訳より)
3. 19日毎のフィーストについてー汝らはこのことに最も注意深い配慮を示すべきで、それをしっかりと確立しなければならない。なぜなら、このフィーストは神を愛する者らに思考の幸せと和合と愛をもたらすからである。(ある個人への書簡からーペルシャ語の英訳より)
4. 汝らは19日毎の祝祭について書いた。このフィーストは喜びをもたらすものである。それは一と和合の土台である。それは愛情と有効への鍵である。それは人類の一体性を普及させるものである。(ある信者への書簡からーペルシャ語の英訳より)
5. おお汝ら、古来の美の忠実なるしもべらよ!あらゆる周期と律法時代において、フィーストは好まれ、愛されてきた。また、神を愛するものらのために卓を広げることはほめたたえられるべき行為として見なされてきた。比類なき律法の時代なる今日、特にそうなのであり、今日、このことはまことに歓呼して迎えらえている。なぜなら、それはまことに、神を崇拝し賛美するために開かれる集まりのうち数えられるものゆえに。そこでは聖なる句や点なる頌(or叙情詩ノオード)や賛美の言葉が唱えられ、心が活気づけられ、それ自体から運び離されていくのである。
その主な目的とは精神の動きに日をつけることであるが、同時に出席するものらが食物をともに取り、肉体の世界が精神の世界を映し出し肉体が精神の特質を持つようになすべきなのは当然である。−ここに精神的喜びがあふれるように、物質的喜びに満ち溢れるのである。
その全ての神秘的な意味をもってこの規則に従いそうして神の友人たちを警戒させ注意深くさせ、友人たちに理性の安らぎと喜びをもたらす汝らは幸いである。(SWAB[1],pp90−91、#48)
6. 汝の手紙は受け取った。汝は19日毎の祝祭事について書いていたが、これはわが心を喜ばせた。これらの集まりは聖なる卓を天から下ろせ、全てに慈悲深き御方の確証を(この世に)引き寄せるのである。わが望みは聖霊の息が彼らの上に吹き、出席するものがめいめいその大いなる会合にて、雄弁なる舌と神の愛により先をもたらす「昼の星」が到来したことを歓呼して迎えるということである。(SWAB,p91#49)
7. 汝ら、19日毎の集まりを重視せよ。これらのおりに主の愛されし者らと慈悲深き御方の侍女らとが御国の方へ顔を向け、祈りを唱え、神の助けを請い、喜びに満ちてお互いに魅せられ、清純と神聖さを増し髪への畏れを増し、情欲と自我への抵抗を強めんがために。こうして彼らち彼女らはこの自然現象の世界から身を離し、精神の熱情に身を没すであろう。(ワシントン州スポケーンLSAへの書簡:ペルシャ語の英訳より)
8. わたしは神の限りなき恩恵により、神の懇願すー???そのような集まりが開かれ、19日毎の祝祭事も催されんことを。そしてそれより、信者たちが男性も女性も神のことを述べること。神を賛美し称えることで、そして人々を正しく導くことに従事するように。(ドイツのStuttgartバハイたちへの書簡:ペルシャ語の英訳から)
9. おお汝、聖約に確固した者よ!
汝の詳細な手紙は受け取った。しかし、仕事の圧力ゆえに端的な返事で十分とせねばならん。汝は毎バハイの日に開かれるフィーストについて尋ねてきた。このフィーストは友好関係と愛を助長するため、神を思い起こし、悔恨の心で神に嘆願するため、そして慈悲的な活動を奨励するために開かれる。つまり、そこで友人たちは神にについてじっくりと思い起こし、神を賛美し、祈りや聖句を読み、最大の愛情と愛もてお互いに接するべきなのである。ある二人の友人のあいだに問題が生じたなら、双方を招き意見の相違を解消するよう努力でねばならない。全ての話し合いは慈悲的な行いと聖なる行為に集中させ、賞賛さるは、成果がその実りとして現われるようにすべきである[2]。(ある信者の書簡―ペルシャ語の英訳より)
10. 19日のフィーストについてーこれは理性と心とを喜ばせる。このフィーストが適切に開かれたなら、友人たちは19日に一度、自らが精神的に回復し、この世のものではない力を授けられるのを見出すであろう。(SWAB,p91#51)
11. 19日毎フィーストについて−信者達が完全な調和と愛において神を思い起こすことと賛美することに従事し、神の吉報やバハオラの到来について話を交わし、ペルシヤにいる神を愛する者らの高遠なる行為と犠牲について語り、殉死者達の、この世からの離脱と喜悦について、又ペルシヤの信者達がいかにお互いを擁護し合い、自分の持っていた全てを捨て去ったかについて話せるような集会−そのような集会に信者らが集まることは、最も大切なことである。
それゆえに19日毎フィーストの祝祭はまことにまことに重要なのである。(ある信者への書簡−ペルシヤ語からの英訳より)
12. フィースト[3]を我らの祖先が主の聖餐に関して開いていた祝祭[4]を思い出させるような喜びと友好の場とするがよい。(ある信者への書簡:ペルシヤ語の英訳より)
13. 19日毎のもてなしを国全体に確立するよう、熱烈な努力が必要である。このフィーストは信者のみに限られているゆえに、そこでは、バヤンの人々に関して決定的な証拠が述べられるべきであり、状況を知らない新入者達がそれについて知らされるようにすべきである。(ある信者への書簡:ペルシヤ語の英訳より)
14. 友人達が神を賛美し、心を神の方へすえ、祝福された美−わが魂が彼の愛人達の身の代とならんことを!−の聖典から読むことのできる集まり、会合を開くのが友人達に似つかわしい。栄光に満ち溢れた領域の光、最高の地平線の光線は、そのように輝かしい会合に放たれるであろう。なぜならこれら(の会合)はマシュレゴウル・アズカー、神の記憶の夜明けの地点であり、それらは、最も崇高なるペンの指示によりあらゆる小村や都市に設立されなければならない。これらの精神的な集まりは最高の純潔さと聖別さをもって開かなければならない。それによりその場所そのものから、そしてその地とその周りの空気から人が聖霊の芳香ある息を吸い込まんがために。
(SWAB、pp93-94、#55)
15. 汝は、アブドル・アジーズの都市の門がある区画で開かれている集会について書いた。それを集会とは呼ぶなかれ。むしろ次のように呼ぶが良い−聖なる魂たちの合流点、主を愛する者たちの会合、全てに慈悲深き御方の民の隠れ家、神の賛美を歌う者ら全ての大邸宅。なぜならその集まりのメンバーらはそれぞれ、火を灯された小ろうそくであり、その議会は月と星の館であるがゆえに。それは、全人類の主により祝福されており、『最も聖なる書』に定められているごとく、フィーストを広めたのである。(ある信者への書簡:ペルシヤ語の英訳より)
16. そして汝、おお我が愛しき娘よ、我が栄誉ある娘。夫人と常に密接に接触を保っておき、彼女の友人であるがよい。聖霊の息により汝の舌がゆるめられることを確信せよ。ゆえに発言せよ−あらゆる会合において大いなる勇気を持って発言せよ。汝が話を始めようとするときには、まずバハオラの方へ向かい、聖霊の確証を求め、そして口を開き、自分の心に示唆されたものを述べるがよい。しかし、これは最高の勇気と威厳と確信をもってなさねばならない。汝の集まりが日毎に拡大し、繁栄し真理を求める者らがそこで、道理ある論議と決定的な証拠に耳を傾けること、これが我が望みである。わたしはあらゆる集会で心と魂において汝と共にある−このことを確信するがよい[5]。
最大の威厳を持って19日毎のフィーストを開くがよい。(ある信者への書簡:ペルシヤ語の英訳より)
17. あなた方は19日毎のフィーストを続けなければならない−これはまことに重要でよいことゆえに。しかしあなた方は会合に出席する前に心にあることを全て空にし、神以外の全てのことから思考を解放し、自分の心に語りかけなくてはならない。すべての者がこの会合を愛の会合となし、啓発のもととなし、お互いの心を引き付ける会合となし、この会合を『最高の群集』の『光』によって取り囲まんがために、又あなた方が最高の愛をもってともにより集まられんがために。
おお神よ!不調和のもととなっている要素をすべて追い払い、和合と調和のもととなっている事柄をすべてわれわれに準備したまえ。おお神よ!『天なる芳香』をわれわれのところへ下し、この会合を天国の会合へと変えたまえ!われわれに、あらゆる恩恵とあらゆる糧とを与えたまえ。われわれに、『愛という糧』を準備したまえ!われわれに、『知識という糧』を与えたまえ!又、『天なる啓発という糧』を与えたまえ!
あなた方の心の中にこれらのことを憶えておき、そうして和合のフィーストに出席するがよい。
あなた方のめいめいは、その会合の他のメンバー達をいかにして喜ばせ、幸せにできるかについて考え、出席している人々はみな自分よりも優れ、偉大であると見なさなければならない。そして、めいめいが自分は他のメンバーよりも劣っていると考えなければならない。他のメンバーらの地位を高いものとして知り、自分の地位は低いものと考えよ。もしあなたが、これらの命令に従って行動するならば、そのフィーストは『天なる糧』であることを確信するがよい。その晩餐は主の聖餐なのである!そしてわたしはその会合の『しもべ』なのである。(西の星、VolW、no7、〔7/13/13〕、p120)
18. 19日毎のフィーストはバブにより創始され、バハオラが聖なる書『アグダス』の中でそれを批准なさった−そのフィーストにより、人々がともに、より集まり、友好と愛を外に表し、聖なる神秘が明かされるように。その目的は調和であり、この友好を通して人々の心が完全に結ばれ、相互の関係と援助が確立されるようにということである。人類の世界のメンバーは団結しなければ生存できないがゆえに、協力と相互援助が人間社会の基盤となっている。この二つの偉大なる原則がなければいかなる偉大な運動も推進されることはない。
極端に言って、我が望みとは次の通りである−つまり、19日毎のフィーストが友人達の間の偉大なる精神的結束のもととなり、信者達を調和のきずなへともたらし、そうして愛と英知がここから他のあらゆる地域へと広がるほどにわれわれが和合するということである。このフィーストは聖なるフィーストである。それは主の聖餐である。それは磁石のごとく、神の確証を引き付ける。それは(人々の)心の啓発のもと(原因)である。
毎日、物質的な享楽や、食べ物への興味のために盛大なごちそうや供宴がくり広げられている。人々は楽しい時を過ごすために、ごちそうや飲み物をあちらこちらから取って飲み食いする。その後には舞踏会とダンスが催される。これらのことはすべて、肉体のためのものである。しかし、この交友は、神について楽しむものである−なぜならそこでは精神的な糧が得られ精神的な主題について解説され、神の教えと勧告について話し合われ、解釈されるのだから。これは完全なる精神性である。
19日毎のフィーストがしっかりと確立され体系化されること、それによりその会合の裏にある聖なる実在性があらゆる偏見と衝突を置き去りにし、人々の心を愛の宝庫にすること、これがわたしの望みである。たとえある人々の間に愛の欠如といった感情がほんの少しでもあったなら、それは完全に消し去られるようになされねばならない。動機の完全な清さと透明さがなければならない。
彼らは神の愛を楽しみ人類の幸福と神のみの言葉を促進する力を得なければならない。このフィーストはそのような高遠なる言及をもって確立された機構とならなければならない。この会合に集まるときそれに出席したものはみなアブハ王国へ顔を向け、自分の心から??と高き王座へ向かって祈り求め、請願し、あらゆる欠点に関して神のお許しを請い、教えの言葉を読み、神への奉仕のために立ち上がらなければならない。
そうして、ごちそうを広げ、菓子を分け与えるがよい。そのような集合からは必ずや、すばらしい結果が生じるであろう。物質的そして精神的益が確保されるであろう。出席する者はみな神の愛の微風により酔いしれ聖霊の息は大変な力をもて人々の心を鼓舞するであろう。
もしこの集会がそのような岩の上に確立されたなら、それは天なる確証を引き付ける力となり、神の光が現われるための手段となり、あらゆる主題の実在性は限られるであろう。そのような集会は神のご加護の下にあるであろう。穴田方がこれらの集会を続け、各々の集会を開くことにそれがますますあらゆる美徳の中心点となり、神の光輝の地点となること、これがわたしの望みである。
あなた方の心が啓発されんことを!
あなた方の顔が輝かしくならんことを!
あなた方の精神が明るくされんことを!
あなた方の思考がより広き視野をえんことを!
あなた方の精神的感受性が強くならんことを!(増さんことを!)
神の領域によりあなた方が取り囲まれ、あなた方の心が天国の宝庫とならんことを!
これがわたしの望みである。
(1912年12月29日英国ロンドンで開かれた19日毎フィーストでなされたアブドル・バハの高遠より:Baha’i News Letter 33{1929年7月}のpp、1〜2に引用)
2.フィーストの3つの部
ショーギ・エフェンディの文書
19.その「秩序」の発展を促進し、その強化に貢献している他の要因として上げられるのは19日毎のフィーストという組織的な機構でこれはバハイ共同体主活の祈祷的、行政的、社会的面という三重の強調点を持って、東洋と西洋両方のほとんどのバハイ共同体で機能している。(GPB,p342)(yev)
ショーギ・エフとンディの代理による手紙より[6]
20.19日毎フィーストの性質について、−最近の『ニュースレター』の中でフィーストの性質と機能を目的について述べられた記事は非常にその説明が総括的かつ忠実で、それを説明し直したり、詳細に述べ直したりする必要はないと守護者は感じておられます。しかし、もしあなた方がこの重要なバハイ機構の精神的、行政的、社会的面を強調してその記事についてさらに解読する必要性を感じてもかれらは意義を申し立てることはあられません。[7]
(9/16/33:米国カナダNSAへ BN、#79、p3)
21.バハイ・フィーストに関するあなたの質問についてーショーギ・エフェンディは、そのような行事の際には友人達がその精神的・行政的要素の両方を強調するべきであると感じておられます。なぜならこの二つの要素はあらゆるバハイの祝祭の成功に関して同等に不可欠であるからです。そこで、この二つのあいだに適切なバランスを保つことは、あらゆる個人又はグループの任務かつ責任であります。信者らがこの二つを結合させることを学ばない限り、かれらがそのような宗教的祝いから真のそして永久的な益を得られる望みはありえないのです。もとろん、フィーストのかなりの部分が聖典から読むことにあてられなくてはなりません。なぜなら、友人たちが大業のための仕事を守備より達成させるのに、必要なインスピレーションと先見を得られるのは聖典の言葉を通してあるからです。(5/27/34)
22.19日毎のフィーストに関するあなたの質問についてーこれらの集まりは疑いなく友人たちにとって特別重要なものです。というのは、これらは社会的、行政的意義のあるものであるからです。それで、全ての確証された信者により定期的に出席さるべきものです。フィーストはバハイの暦に応じて19日ごとに催されるべきです。(4/12/35)
23.19日毎のフィーストの性質についてー『アグダス』の中でバハオラはこの機構の精神的、社会的性質についてはっきりと明治してあられます。しかし、その行政的意義はバハイの時代のこの形成時代におけるバハイ共同体の増大する必要事に直接応えて守護者により強調されたものであり、又、バハイ行政機構の原則の実践においてより効果的な訓練をするためのものです。(7/29/35: 米国・カナダNSAへ)
24.19日毎のフィーストについてーNSAにあてた前の手紙の中で守護者はこのフィーストは義務としての法令ではないけれどもバハオラが非常に好ましく価値あるものとして見なされていることを明確にしておられます。バハオラは『アグタス』の中でその精神的、祈祷的性質を強調してあられ、又バハイ共同体の中でも信者達のあいだにより密接な友好関係を和合をもたらす手段としてその社会的重要性も強調してあられます。このフィーストの行政的意義はバハイ行政機構の原則と方法の効果的な訓練をする重要性が友人たちのあいだで増してきていることを考えて守護者が言定なさった事柄であります。
このように、19日毎のフィーストの意義は三重であります。それは祈祷的、社会的、行政的重要性のある集まりなのです。これら三つの特徴がすべて結合されたとき、「このフィーストは最善かつ最大限の実りを結ぶことができるし、又必ずや結ぶでしょう。しかし、友人たちはバハオラが設定なさったこの機構の重要性を強調しすぎないように注意せねばなりません。また、その重要性を過少評価したり過小評価したりしてもいけません。(10/2/35: 米国・カナダのNSAへ)
25.彼守護者は、あなたがフィーストを開いておられることを知ってとても喜んでおられた。フィーストは友人たちの集まる場であり、友人たちを結びつけるのを助け、信者の教えの理解を深める助けとなるからです。(3/5/46)
万国正義院又はその代理による手紙
26.(バハイの)グループ[8]はもちろん行政的な機構ではありませんが、ある機会にそのグループの全メンバーが集まったときにそのグループの領域内で彼らなりの採決をすることには異義はありません。たとえこれが19日毎のフィーストでなされてもです。19日毎のフィーストはそれを担当し、バハイに報告をし、提案を受け取る地方行政会のあるときのみ、正式な行政行事であります。しかし、グループや友人たちの自然な集まりあるいは(共同体のない)孤立的な信者でさえも、フィーストの日を憶えておき、ともに祈りを言うべきです。グループの場合には正式な行政的機能はないと任地下上で、地精会の行うやり方でフィーストを開くことができるのはもっともなことです。(10/31/72: 万国正義院からスイスNSAへ)
27.フィーストの部の潤次女について、ショーギ・エフェンディの指示によると次のことが明らかです。−つまり、19日毎のフィーストのプログラムは精神的な部から始められるべきで、社交的な部(軽食やパンをともに割るといったことを含んで)から始められるのではありません。しかし、もし友人たちが何らかの交わりをもったり食物や菓子類を出すのが役に立つと思われるなら、これがフィーストの始めにあったとしても、フィーストの一部ではないとはっきりしていることを条件として、その実践に対する意義はありません。(万国正義院の代理からある信者へ、1/23/85)
3、フィーストを開く期日
ショーギ・エフェンディの代理による手紙より
28.この前の19日毎のフィーストに関するあなたの問いについてーショーギ・エフェンディは友達がフィーストを閏日のうちのある日に催すことにしても異義はないと考えておられます。また友人たちは食物を控える限り断食の月のあいだに催すこともできます。(ある信者へ 8/2/34)
29.あなたの三番目の問いは、フィーストが毎月開かれるべき日に関するものでした。守護者は返答としてこう述べられております。−つまり、特定な日が定められているわけではないけれども、その友人たちの集まりが毎バハイの月の第一日目に開かれるのが好ましく、最も適しているということです。(ある信者へ12/1/36: ペルシャ語からの英訳から)
30.19日毎のフィーストを開く期日と選挙を行う期日についてー守護者はあなたの行政会が定められた日の日入り前までにそのような集まりを開く友人たちに勧めるよう助言なされます。しかし、九つの聖なる日に関しては友人たちは定められた日の日入り前までに催しを行うことが義務であると考えるべきです。(12/24/39: 米国・カナダNSAへ)
31.ノウルーズのフィーストは3月21日の日入り前までに開かれるべきで、19日毎のフィーストとは何の関係もありません。19日毎のフィーストがその機能上行政的であるのに対しノウルーズはバハイの新年であり、もてなしと喜びのフィーストであるのです。(7/5/50: 米国・カナダNSAへ)
万国正義院による手紙より
32.フィーストと聖なる日の催しをする期日に関するあなたの問いについてーバハイの一日は日の入りに始まり、日の入りに終わります。したがって、夏のあいだ日の沈むのが遅しぎて19日毎のフィーストをその前の晩に開けないならば、そのフィーストの日当日に開かれるべきです。会合が日没の前に始められる限り、その日に開かれたと見なされます。(その日の終わりはその日の)日没になります)当然ながら、」19日毎のフィーストは」できればバハイの月の第一日目に開かれるべきですが、もし、そうするのが困難な場合、たとえば定期的な公の会合の夜と重なる場合など、その次の日つまりそのバハイの月の二日目に開くことも許されます。(6/23/64: フィンランドNSAへ)
4、フィーストを開く場所
ショーギ・エフェンディの代理から個人の信者へあてられた手紙より
33.威厳を持ってなされる限り戸外で会合をもつことに異義はありません。(11/22/41)
34.それぞれの市には、それ独自の行政会が(ひとつ)あり、区域の数だけ行政会があるのではありません。当然ながら、ひとつの市に非常に多くのバハイがいるところでは、区域別の19日毎のフィーストを開くことができます。(3/31/49)
35.19日毎のフィーストがどこで開かれるべきかという事柄は、当然そこの精神行政会が決める事柄ですが、ほとんどの場合ハジラトウル・グースがもっともな場所だと思われます。友人たちが???に崇拝の場所をもてるようになるまで、この建物が行政上の目的とともに祈祷の集会用にも使われるでしょう。
もし、あるいくつかの状況下において精神行政会の承認を得てある信者の家で何か特別のフィーストが催されても異義はありません。しかし、一般的に言ってハジラトゥル・グースを利用する方が好ましいと彼守護者は感じておられます。(2/18/549)
万国正義院又はその代理による手紙
36.ニューヨークやロスアンゼルスなどの大都市で19日毎のフィーストを開くことに関する問題について、私たちは理解し、認識しております。又、地方行政会が望むならば、あなた方の行政会[米国NSA]が19日毎のフィ^ストを実験的に異なる区域で開く権限をその地方行政会に与えることには異義はありません。しかhし、その地方行政会は次の注意事項を念頭に入れておかなければなりません。−大都会の地域は隔離の傾向にあり、よって地方行政会はフィーストの開催場所という理由によりバハイの会合でも同じようなパターンが生じるのを防ぐよう警戒すべきです。地方行政かいいはこれを実施することにより共同体の統合や行政の統制が散漫になったりせぬよう注意をせねばなりません。(1/23/67: 万国正義院から米国NSAへ)
37.???という二つの共同体はあまりにも拡大し19日毎のフィーストや他のバハイの活動を個人の家で催すのが不可能であるという問題を提起した。8月9日のあなたの手紙を私たちは歓迎します。そして、私たちはやがてあなた方が他の共同体でもこの問題に出会うことを期待しています。
これらの大きな共同体がフィーストや他のバハイの活動において信者たちを収容するのに十分な設備を購入するべきか、借りるべきか、あるいは個人の家を利用しながらもいくつかのフィーストを同時に開くべきかということについて私たちはあなた方の判断に任せます。(8/21/72: 万国正義会からアラスカNSAへ)
38.19日毎のフィーストや他の行事に出席するための交通上の困難―これはいくつかの行政区であるものかもしれませんがーはそのような区画ないで糸津以上のフィーストを開く権限をその区画の地方行政会にあなたが与えることにより克服できます。そのような目的のために厳密な境界線を確立する必要はありません。友人たちはその区画内で自分に最も都合のよいフィーストに出席できるようになされるべきです。−しかし、その地域内のフィーストは全てその地方精神行政会の管轄かにある同一のフィーストの一部であることを全てのバハイが理解しておかねばなりません。その区画のバハイ共同体全体がともに合うことのできる行事があたえられるべきで、フィーストもそのような行事から除かれるべきではありません。(1/14/80: 万国正義院代理からバルバドス及びウィンドワード諸島NSAへ)
39.バハイの聖なる日を記念する会合を地域別に開くことに関してー万国正義院はある地域では聖なる日やそのほかの行事の催しをする際、隣辺の地区の信者たちもそれに加わって参加するのが望ましいこともあるという採決をしました。そのような事柄は全国行政会に照会され全国行政会が決定すべきです。しかし、19日毎フィーストや他の地域的行事の催しはそれぞれの行政区においておこなわれるべきです。(3/20/86: 万国正義院の代理からある信者へ)
40.あなた方の問い合わせの意味する問題は克服できない問題というわけではありません。たとえば、地方行政会にはその市のさらに細かい区分にそれぞれ行政上の委員会を任命する権限を与えることもできます。そして、それらの委員会が地方行政会を代表してそれぞれのバハイが緊急に必要としていることに対処することができます。また、もし望ましいと思われるなら、いくつかの区画において異なる19日毎のフィーストを開かせる権限もあります。そのように行政活動が分散されたシステムにおいては地方精神行政会はその市内のすべての区画のバハイの活動を総括的に調整しなければなりません。
市をいくつかに区分することは、その共同体全体の益を保障するためのただの行政的必要事として見なされるべきであり、その意味では行政会は区分の数が多すぎないように強く警戒し、この点に関して最小限の対処で満足するようにすべきです。大都市の人種的差異や社会的差異を考えると、精神行政会はバハイ共同体が人種的・社会的に分裂したりーたとえ、その市のある区画である人種又は社会的階層が大勢を占めていてもーせぬよう最大の注意を払う必要があります。行政会や委員会や個人バハイllの頭の中で最も優先的にされるべき問題のひとつはその機能を行動を通していかにバハイ信教の主な原則と目標つまり、人種の統合を擁護するかということです。(12/20/87: 万国正義院の代理から米国NSAへ)
5、フィーストの出席(信者)
ショーギ・エフェンディの代理による[9]
41.19日毎のフィーストに関してショーギ・エフェンディはこれらの会合に出席することの重要性を信者らが胸に刻んでおくべきだという意見です。―フィーストは精神的意義に加えて信者同士のそして地方共同体で選出された代表者らの期間と信者らのあいだの密接かつ継続された接触を保つのに重要な手段となるものです。
しかし、あるバハイがこのフィーストへの出席を欠かしたからといって、共同体の追放などといった過激的な処置をとってはなりません。このことに関しては、大業が自分に何を要求しているかを知るのはそれぞれの信者のすべきことです。個人の良心と責任への訴えに基づいていない限り、いかなる脅しも脅迫も何の役にも立ちません。(12/22/34)
42.それから19日毎フィーストについて―これは厳格に必須とされているわけではありませんが、信者は定期的に出席できるように努めるべきであります。それには主に二つの理由があります―ひとつはフィーストは共同体に奉仕と友好の精神を助長するからであり、もう一つは、このフィーストにより信者は、大業の業務について十分に審議する機会とバハイ活動の遂行の改善を続けるための方法と手段を見出す機会を与えられるからです。(11/30/36)
43.19日毎フィーストへの出席は必須ではありませんが、バハイは毎バハイ月に一度の、精神的・社会的集合の場を失ってしまわぬよう努力すべきです。(12/23/48)
44.守護者は、もしあるバハイが三回続けて19日毎フィーストの出席を欠かしたなら選挙権を剥奪されるというような規定は知らないということです。守護者は、そのような処置は正当化されないと見なしてくれます。要点は人が自分をバハイと見なしているかどうか。そして進んで信教の原則を固持し、守護者と行政機構の権威を受け入れるかどうかということです。その人が、フィーストや他のバハイの会合に常に出席できるかどうか、あるいは常に心理的に出席する状態にあるかどうかは全く別の問題です。もしある人が自分はバハイ共同体の活発な一員としては見なされたくない、また、その共同体に関係したり選挙権を行使したいと思われないなら、その人の名前は選挙のリストから除外されるべきです。しかし、もし自分をバハイと見なし、様々な理由から共同体の業務に活発に参与できないのなら、その人の名前は当然選挙のリストから除外されるべきではなく、特に、バハイ共同体の数が非常に少ない現時点においては、なおさらそうです。(3/2/51 ドイツ・オーストリアNSAへ)
45.もしあなた方共同体の行政会メンバーと選挙者は市の境界線内に居住していなければならないという原則を固持した場合にあなた方が置かれる困難な立場において十分に理解しておられます。しかし、守護者は、パリはこの一般的規則に関して例外ではなく、それによって一時的な不都合が生じたとしても世界中のバハイに固守してもいいと感じておられます。
これは、パリ市外に住むバハイが、(パリの)19日毎フィーストや聖なる日の催しに出席してはならないという意味ではなく、むしろ、彼らは布教活動の援助をするという意味でその共同体の業務に活発に参与し、同時にその行政活動は関与しないようにすべきであります。彼はこの原則を守ることにより結局あなた方の共同体が弱められるどころか成長し強化されるであろうと確信しておられます。(2/20/53 パリLSAへ)
46.共同体のあるバハイが自分の家でフィーストを聞くのを許されて他のバハイが出席するのを拒むということは考えられないことであり、又、全く許されぬことであります。そしてあなた方の行政会はそれに応じて、非常に断固とした語調で行政会に手紙を書き、守護者がこの状況を知って驚かれただけでなくそれに断固として反対の意を表しておられることを指摘すべきであります。
その地方のバハイ、市外のバハイ、そしてもちろん隣辺の孤立したバハイ―いかなるバハイでもフィーストに出席することができます。(5/27/57:イギリス諸島NSAへ:UD、p.380)
万国正議院又はその代理による手紙
47.11月8日付のあなた方の手紙に対する返事ですが―私たちは、いかなる状況下でもすべてのバハイが19日毎フィーストに出席するよう励まされるべきであると感じます。明らかに、その担当をし、バハイに報告を行い、提案を受け入れる地精会のあるときにのみ、フィーストは正式な行政的行事となりえます。しかし、グループやバハイの自然な集まり、あるいは孤立したバハイでさえも、当然、フィーストの日を憶えておき、ともに祈りを言うべきです。グループの場合、当然、正式な行政的権限はないものと認めた上で、自分達のフィーストを、地精会が行うようなやり方で聞くことができます。
19日毎フィーストでの訪問者について―世界中どこから来たバハイであれ当然暖かく歓迎されるべきで、協議に参加することもできます。しかし、その地方共同体のメンバーのみが、地精会への提案に関して投票することができるのです。(12/1/68:万国正議院からイギリス諸島のNSAへ)
48.バハイでない人が出席しているという理由で19日毎フィーストはユニティ・フィーストに変わるというのは正確な言明ではありません。可能なのはフィーストの協議の部が延期されなくてはならない、ということです。
もしフィーストの協議の一部または全体が延期されることに決定された場合、それを終了させるために同じバハイの月のあいだに別の会合を持つべきか、又は次の19日毎フィーストまで延期されるべきかどうかを決定するのは、地精会の判断によると万国正議院は言明しています。(9/5/83:万国正議院の代理からドイツNSAへ)
49.自分の共同体以外の共同体を訪問したバハイは、その19日毎フィーストの協議の部に存分に参加することができますが地精会へ出される提案について投票する権利はありません。しかし、訪問バハイは普通、礼儀上、協議の際、自分が時間を取り過ぎないようにします。
50.別の共同体のフィーストに出席するために、地精会が自分達の19日毎フィーストを取り消しできるかどうかについて尋ねたあなたの問いについて――万国正議院はそれは取り消されるべきだはないと助言しています。しかし、二つ又はそれ以上の地精会がときおり、合同19日毎フィーストを開くことに対しては意義はありません――ただし、そのような合同フィーストを定期的に開くようにしてしまうのは適切ではありませんが。もし、共同体のメンバーがそのような合同フィーストを開くと自分達に不都合となると思うなら、そのメンバー(たち)はその事項を地精会に考慮のため提起すべきであります。(4/26/87:万国正議院の代理からある信者へ)
6.フィースト出席に関する制限
ショーギ・エフェンディの代理による手紙より
51.19日毎フィーストに関するあなたの問いについて――その事柄の重要性は二次的で、行政会が決定すべきことです。つまり、開催期日を公に知らせた会合を取り消しにはできません。
バハイでない人の出席について――これはぜひとも避けるべきことではありません。もしバハイでない人が19日毎フィーストに来た場合、排他されるべきではありません。それはその人の感情を傷つけうるわけですから。(9/21/46:二人の信者へ)
52.バハイニュース1月・2月号で書かれていたように、あなた方のNSAが最近取った処置について、敬愛する守護者は次のように書くよう、私に指示なさいました―つまり、もしバハイでない人が公言した信者により、信教に対して誠実に関心を持っていると証明されたならば、その人は19日毎フィーストに出席することができます。
信教の機構やその中枢的原則はどれも、いかなる状況下でも変更されないという事にあなた方の注意を向けてほしいと守護者は私におっしゃいます。
19日毎フィーストは大業の機構の一つで、最初バブにより設立され、後にバハオラが確証なさり、そして今や、信教の行政秩序の著しい部分の一つとなされたのです。この19日毎フィーストはバハイのためのもので、それもバハイだけに限られるもので、この原則からそれることは決して許されません。
このように守護者は、あなた方が「ほとんどバハイである人たち」に公開することについてあなたの方が行政会がとった処置を取り消しにすべきだと感じておられます。なぜならこれはバハイでない人又はほとんどバハイである人たちが19日毎フィースト(特にその行政的な部)に出席することは、行政秩序の精神にそわないことだからです。
守護者は、布教活動がもっと大胆に進められるようにという意図であなた方にその提案をさせた精神を認めておられます。しかし、長い目で見ればそれは信教に対して有害である、そして上記の通りその提案は取り消されるべきである、と守護者は感じておられます。(5/28/54:ドイツ・オーストリアNSAへ)
万国正義院の代理による手紙より
53.普遍的にあてはまる原則とは、バハイでない人は19日毎フィースト出席に招待されないということです。もしペルシャにおいてバハイでない人が19日毎フィーストに出席するということがあったなら、それは例外の出来事であり、規則ではありません。
ペルシャでは、もしバハイでない人が故意ではない19日毎フィーストに出席した場合、その人は礼儀正しく扱われるべきであるということがはっきりと理解されています。
しかし、バハイがこれらの特別な集会にバハイでない人を招待するのを控えるべきであることを理解するのも同等に重要です―この集会はバハオラによって精神的快優をり和合のためでなく、精神的行政会と信者たちが共同体の業務について協議するために定められたものです。(2/4/74:万国正義院からあるLSAへ)
54.Amr va khalq の第4巻367頁に発行されているショーギ・エフェンディの言明について解説してほしいというあなたの覚え書き(1975年11月16日)に対しる返答ですが、、、守護者が出された後の指示に」よると、選挙権を奪われている人たちが19日毎のフィーストに出席することははっきりと禁ぜられています。それでAmr va khalqのだされている引用はス語者が(後に)の述べられた別の言明によって取って代えられるべきです。(11/24/75:万国正義院からITCへのメモより)
55. 覚えておくべき要点とはグループはバハイ行政秩序ないの行政的機構ではないということです。しかしそれは地精会の胎児とも言うべき存在で全精快の直接な巻轄下にとどまりながらも明らかにそれがその聖なる機構(地精会)を確立するときのために自らを準備させるよう励まされるべきです。グループは指示を与える権限は全精会にありそれ自身にあるのではないことを常に理解している限り、初期や議長や会計といったそれなりの役員を選出したり19日毎のフィーストや聖なる日の催しを行ったり、布教や拡大活動に取り組んだりすることに何の反対もありません。(6/13/75:万国正義院の代理からパラグライNSAへ)
56. 19日毎フィーストはバハイ共同体のための全く指摘な主強敵・内部的行事でそこではないイブの業務について審議が行われそのメンバーらが個人的親交と崇拝のために会うということを、友好的な態度で説明することができます。フィーストに関してはなんの秘密もなく、バハイの人たちのみに組織されるものですから、これについて大きな問題を引き起こすべきではありません。(11/4/76:万国正義院の代理からベルギーNSAへ)
57.19日毎のフィーストについてー普遍的にあてはまる原則とは、バハイでない人は出席に招待されないということであなたがもしこれについて尋ねられたなら、フィーストの性質は根本的に内部的で行政的なものだからと説明することができます。協議の部のあいだバハイは大業の仕事について自らの見解を述べる完全な自由を与えられるべきで、バハオラをまだ受け入れていない誰かによって自分の言っていることが全て聞かされるということにより惑わされてはなりません。又、そのバハイでない人はそのような見解をきくことにより信教について非常にゆがんだアイデアを描くかもしれません。又、自分がその一部ではないバハイ共同体の詳細な業務の話し合いの最中に自分が置かれるということは敏感な人にとって非常に戸惑いの状況であるかもしれません。フィーストに招待されることを求めるバハイでない人はこの事柄について説明を受けると通常理解してくれます。(8/12/81:万国正議院の代理からある信者へ)
58.この課題にかんして次のような指導の言葉が全国正義院からある信者に(1970年3月24日)おくられています。
・・・バハイでない人がフィーストに来た場合その人は帰ってもらうように言われるべきではなく、むしろその行政はそのフィーストの協議の部を省くべきでその人は歓迎されるべきであります・・・・
疑いなくあなた方はこの指示についてご存知でしょう。同じようにときおり配偶者がバハイでないあるバハイの家庭でフィーストが開かれた場合、そのバハイでない人に少なくとも社交的な部と精神的な部に出席させるようにしなかったら失礼なことになるでしょう。(1/8/85:万国正義院の代理からオーストラリアNSAへ)
59.・・・もしバハイでない人が19日毎のフィーストに来たならばその人は歓迎されていると感じるようになされるべきですが、当然バハイはバハイでない人を(最初から)出席するよう招待すべきではありません。
上記全てのことから根本的にはこの困難の解決というのは愛情のある教育によることがらであることがわかるでしょう。(1/3/85:万国正義院の代理からある信者へ)
7、フィーストにおけるユースと子供たちについて
万国正義院の代理による
60.両親はバハイでないが自分はバハイと見なしている15歳以下の子供が19日毎のフィーストやその他バハイに限られるほかの行事に参加できるかというあなた方の問い合わせについてですが、そのような子供たちは親の同意があるという条件の下でバハイの行事に出席する許可を与えられるべきです。これは当然15歳以下の子供のみあてはまります。(8/4/70:万国正義院からニカラグアNSAへ)
61.18歳以下の若者がバハイになると公言することに関してー私たちは15歳及びそれ以上の子供はたとえ親が同意しないとしてもバハイと見なします。そひてこれはフィンランドの法律によると正式にはバハイの名簿に登録はできませんが、事実として残ります。それであなた方はそのような信者たちを19日毎のフィーストから排他すべきではありません。しかひs、そのような若い信者たちは両親の反対により新年をゆらがせてはなりませんが、両親に対して当然払うべき敬意にかんしてバハイの教えが強調していることとフィンランドの法律について考慮してバハイの活動への参加に関しては両親の意向に従うべきです。彼らの目的は自分達の心にひをつけたバハオラの愛を徐々に両親の心にも日をつけたことで、発展における非常に重大なこの時期に不必要に両親の敵意感を抱かせたり、家庭内に不和を助長したりすることはありません。(3/1/72:万国正義院からフィンランドNSAへ)
62.バハイの家に一時的あるいは長期的にあずけられている子供がバハイの行事に出席できるかどうかについて問い合わせたあなた方の手紙(1976年10月11日付)を万国正義院は受け取り、私たちは次のようにあなた方に知らせるよう指示をうけましたーつまり、そのような子供たちは19日毎のフィーストや他のバハイの行事に出席する許可を与えられ、又、このことに関してバハイの子供とそのような子供のあいだにはいかなる差異もつけてはならないということです。(10/31/76:万国正義院の代理からバハイ・グループへ)
63.・・・万国正義院は私たちに告ぎのように伝えるように指示しました。−子供たちは(その集まりの外的形態がいかなるものであれ)祝福された美の辛抱者の集まりの精神的意義を理解し、それに参加できる永誉と恩恵について知るようにしつけられるべきであるということです。あるバハイの催しは長く非常に幼い子供たちがそのように長いあいだ静かに座っておくのは難しいということが認識されています。そのような場合、親のうち片方がその子供の世話をみるため会合の一部に参加できないということになるかもしれません。精神行政会はおそらく共同体全体の催しの一部のあいだ別の部屋で子供たちにあった子供たちのための催しを行うことによって親の援助をすることができます。このようにして大人たちの催しの部に全部出席できることは成熟のしるしであり、行儀のよさによって得られる特異点となるのです。
いずれにせよ、万国正義院は親が子供たちの責任があり、バハイの会合に出席するときには子供たちが行儀よくするようにすべきであると指摘しています。もし子供たちがじゃまになるような振る舞いをするなら会合の場から連れ出されるべきです。これはバハイの会合が適切に威厳をもって親交されるのを確実にするのに必要なだけでなく、礼儀正しさや他人への思いやり敬意そして両親に対する従順ということにおいて子供をしつけることの一つの面であります。(10/14/82:万国正義院の代理からカナダNSAへ)
64.21歳以下のバハイ・ユースが19日毎のフィーストの議長としてつとめるのは行政的に適切なことではありません。しかし、これは全く副次的な事柄なのであまり大きな問題とすべきではありません。(2/22/84:万国正義院の代理からイタリアNSAへ)
65.1984年10月18日付の手紙で共同体特に19日毎のフィーストにおける子供の位置について尋ねられたあなたの問いについてー私たちはこの事について万国正義院の代理からあるNSAに宛てられた手紙から引用された次の文をあなた方に伝えるように頼まれたー
親がバハイである子供はバハイとして見なされますから、そのような子供は全てのフィーストに参加するよう励まされるべきで、そこは聖典から呼んだり祈りを言ったりするのをともに行い共同体の精神に浸されるべきです。あらゆるフィーストが愛のフィーストとなり子供たちが共同体とそのメンバーたちからの目に見える愛情を受け、又与えるようになることこれが万国正義院の望んでいることです。
万国正議院は子供たちとその親の便利のいいようにバハイの月の第一日目に最も近い週末にフィーストを開いてはどうかということについて上げられたのはあなたの提案を考慮しました。これは地精会が審議し決定すべき事柄です。(11/22/84:万国正議院の代理からある信者へ)
8フィースト:祈りと聖典から読むことについて
ショーギ・エフェンディの代理の手紙[10]
66.19日毎のフィーストで音楽を使用することについてー彼は次のように感じておられるのを全てのバハイに知ってほしいと思っておられます。つまり、彼はフィーストで音楽を使用することに同意なさるだけでなく、バハイ自身が作った聖歌だけでなく、聖なる言葉に基づいた聖歌や詩や詠唱を集会で用いるのは好ましいとさえ思っておられるということです。(1935年4月)
67.あなたの質問についてー19日毎のフィーストの祈祷の部の意味するのはバハオラ及『師』(アブドル・バハ)の祈りを読むことです。もしこの後に教えの言葉から読む部があるなら、彼[守護者]の文書から読むことができますが、それは祈祷の部の一部にはなりません。(12/15/47)
68.バハイの聖典について(あなた方が)彼にお尋ねになったことについてーバハイの聖典と見なされるべき文書はバブ・バハオラ、及びアブドル・バハの文書で、これらの聖典のみがフィーストの完全な祈祷の部で読まれるべきです。(5/11/48:オーストラリアNSAへ)
69.19日毎のフィーストの祈祷の部のあいだにはバブ・バハオラ『師』[アブドル・バハ]の文書及び聖書やコーランからのどの部分からも選んで読むことができますーこれらはすべて聖典として見なされるからです。この部分の会合は祈りだけ限る必要はありませんー当然祈りはそのとき読むことができますし、又読まれるべきです。(10/18/48)
70.フィーストの祈祷の部に関する事実はやや不明確になっています。というのは彼はあるときは『祈祷』という言葉を最も厳密な意味で用い、あるときはもっと広い意味で用いられたからです。−前者ではもちろん祈りを意味し後者ではバハイの人たちが通常で理解している意味、つまりともに集まって教えの言葉から読むということで、これはフィーストの行政的(又は協議の)部の前にある部分のことです。この二つの言明によりフィーストの祈祷の部の持ち方が変えられるわけでは決してありませんーこの部は少なくとも東洋[11]では常に祈りから始まりその後バハオラや師又は守護者の書簡又は文書の抜粋からやんだりあるいは晴天やコーランからも引用して読んだりできるわけです。(4/11/49:米国NSAへ)
71.19日毎のフィーストの精神的な部において(あるいはその他いかなる部においいても)音楽を用いることは許されています。(6/30/52:米国NSAへ)
72.手紙の中で定期なさった質問についてーまず、フィーストの精神の部において、バハイ以外の聖典からの抜粋をよんではならない理由は当然どこにもないわけですが(というのはこのフィーストはバハイの人々が自分の精神的生活を深めようとするためにともにより集まる特別な機械なのですから)一般的にはフィーストの精心的な部では自分達の(信教の)聖典を読むのが望ましいです。(2/18/54)
73.バブとバハオラの文書は当然(フィーストのあいだ)いつどの部分でも読むことができます。同じように、アブドル・バハの文書もフィーストの精神的な部で自由に読むことができます・守護者の指示によると精神的な部では、彼自身の文書は読まれるべきではないということです。つまり、精神的な部のあいだ聖典から読むのはバブとバハオラとアブドル・バハの文書に限られるべきでアブドル・バハの文書から読む程度は前者お二人の文書よりも少なくします。そして、その部分では守護者の文書は読まれるべきではないということです。そして、フィーストの行政的話し合いの部に入ったならば、守護者の文書を読むことができます。もちろん、行政的な部のあいだにバブ・バハオラ、アラドル・バハの文書から読むことに反対の意はありません。(4/27/56)
74.バハイのフィーストで楽器を使用することはできます。拍手して賞賛のイを表すことに反対はありません。もし、ある人が19日毎のフィーストと同じ夜に布教の計画がある場合、どちらに出るのがより重要か判断するのはその個人次第です。(8/20/56)
万国正義院による手紙より
75.あなた方の議事録(12月7日分)の第1ページにある地祇の言明についてー「19日毎のフィーストの祈祷の部で、バハイの書いた歌を歌うのは適切でないことを???のバハイに助言することに一致した。」
この協議の考察の枠組みがどのようなものなのか、又、裁決してもらうようある問題があなた方の全精会に直接照会されたものがどうか私たちにはわかりません。しかし、私たちはバブ・バハオラ、アブドル・バハの言葉を主な貸しとしている歌がフィーストの祈祷ノブに適切なものであることを師ってもらえばあなた方の役に立つと思います。まことにペルシャ語での詠唱はそのような歌であり、(他の文化とは)異なった伝統によるものです。ペルシャ語の詠唱は聖なる句に曲をつける一つのやり方で唱える人はそれぞれ自分が発している言葉に対する感情と表現を反映するように唱えるわけです。バハイ信教の『中心人物』意外の人が書いた私的な貸しのついた歌について述べるならば、これは好ましいものではありますが、それなりの適切な位置においてそう見なされます。あなた方もご承知のように「音楽は精神の言葉である」のですから。
われわれバハイの会合の精神は崇拝の気風??と質、及びこの日のために神の御言葉に対する感情と観照により大きく詠唱を受けるわけですから、私たちはあなた方が音楽などその他の方式を通して共同体における人間の精神をできる限り美しく表現するのを奨励なさることを望む次第です。(2/22/7:ガイアナ・スリナム・フランス領ギアナNSAへ)
76.さらに地祇のことも念頭に入れておくべきです。−つまり、ペルシャ語によるショーギ・エフェンディの文書はその性質上特異なもので、その多くは静養のバハイにあった英語による手紙や目セージとは異なり嘆願の言葉や祈り、それからフィーストの精神的な部に適した祈祷敵性質の訓戒の言葉があちこちに記されています。(10/15/72:ある信者へ)
又、???を参照のことー東洋バハイ共同体におけるフィーストの祈祷の部でペルシャ語による守護者の文書の使用についての言及
9、フィースト:協議の部
ショーギ・エフェンディの代理による手紙より
77.19日毎のフィーストの主な目的は個人の信者が地精会に提案を提出できるようにすることで、地精会は変わってそれを全精会に提出する(こともあります)。それゆえ、地精会は地方のバハイ共同体が全国の代表者たちと通信できるようにする適切な媒介機関であるのです。年次大会は限られた期間の中に特定の機能を果たす一時的な会合として見なされるべきです。年次大会の権限はそのセッションのあいだに限られており、そのとき意外の協議の機能は地精会を通してなされるよう、信者全体に付与されているのです。(11/18/33:米国、カナダNSAへ)
78.バハイの人たちが行政的な事柄について審議する主な機会は19日毎のフィーストのあいだで、そのとき行政会のメンバーは信者たちと会うことができ大業の業務をともに審査し新しい方策や方法について提案することができるのです。しかし、個人の名前に言及すべきではありません。(3/27/38:ある信者へ)
79.次に最近書かれた手紙に関してですが、その中であなたは行政会の処置や方策に関して信者が率直に批判を述べる権利があるかどうかと尋ねられました。自分の共同体の現状や傾向を改善したり直したりするために提起すべきと心から感じる提案や推めや批判を行政会にもうしでることー存分に率直にしかし行政会の権威に対して当然の敬意と思慮を示してーは、共同体のあらゆる忠実で理想的なメンバーの権利であるだけではなく、重要な責任でもあるのです。そして、信者から提出されたそのような見解に(たとえ誰からの提案であれ)注意深く配慮することは、その行政会の義務であるのです。この目的のために最善の場となるのが19日毎のフィーストでそれはその社会的・精神的面に加えて、共同体の様々な行政的必要事や必要条件を満たすものであります。−その中で主な事項としてあるのが地方バハイ共同体内の業務状態について率直で建設的な批判と討議を行うということです。しかし、期間としての行政会は権限を弱めることになるような否定的性質の批判や審議は全て厳格に避けるべきであることを強調すべきです。なぜなら、さもなくば、大業そのものの秩序が危うくされ、混乱と不和が共同体内を支配するであろうからです。(12/13/39:ある信者へ)
80.バハイの人たちは、個人的性格というものを忘れること、そしてそちらかの側についたりして何かについて戦ったりしたりー人々にとってまことに強い性質なのですがーという欲望を克服することを学ばなければなりません。又バハイは協議という偉大な原則を真に活用することも学ばねばなりません。19日毎フィーストでは共同体がその見解を述べ行政会に提案するための次官が取ってあります。−行政会及び信者たちはこの喜ぶべき審議の時間が来るのを楽しみにすべきで、それを恐れても又抑圧してもなりません。同様に、行政会のメンバーは十分に協議し裁決においては大業の益を最初に置くべきで個人の性格や優勢な多数の意見を先に置いてはなりません。(6/30/49:ドイツ・オーストリアNSAへ)
万国正義院又はその代理による手紙より
81疑いなくもう今ごろはあなた方もわかっておられるように大多数の新しい信者が短期間に加入することには、強化に関する多くの問題が伴うわけですが、私たちはあなた方がこれらの問題に対処しよりすばらしい成果を上げるよう前進できると確信しております。
私達は、議事録を読んで、19日毎のフィーストで長たらしい手紙を読むことにより、いく人かの新しい信者の熱意に試練が与えられているということを知りました。それで私達はこれについて何らかの対処が必要だと思います。聖地からの重要なメッセージや他の重要な事項について信者たちが知らされることが大切である一方、19日毎フィーストでメッセージを読み上げることがバハイ行政機構の多くの点について知らされていない新しい信者にとって特に、退屈でつらい経験となりうることも事実です。私達は重要で必要な情報について信者達に知らすことのできるような他の方法ややり方(たとえば時報や研修会や他の会合)についてあなた方が考慮すべきだと思います。(9/6/71:万国正義院からハワイ諸島NSAへ)
82.地方精神行政会の条例第四条に記されているように「精神行政会は、バハイ共同体に関するあらゆる事柄における最終判決を行うという神聖なる権利を保持する一方、共同体のあらゆるメンバーの助言と協議を常に求め、信教に影響を及ぼすあらゆる事柄について、共同体が存分かつ自由に審議するよう催促がなければならない。」
19日毎のフィーストで出された提案が地方行政会に提出されるべきかどうかについて投票判決することは、地精会自体の決定に任されるかもしれない二次的な事項です。19日毎フィーストで、地方行政会に考慮してもらうために19日毎フィーストで提出された提案を地精会の書記が記録することが禁ぜられているわけではありません。念頭に入れておくべき重要な点は前述の通り地精会の条例の中で定められている規定の内容です。(1/21/82:万国正義院からITCにあてられたメモより)
83.15歳以上21歳以下のバハイユースも当然協議に参加することができますし、又、そうするよう勧められるべきなのです。しかし21歳になるまでは、行政会に出される提案について投票することはできません。(9/16/79:万国正義院の代理からイギリスNSAへ)
84.地精会は19日毎フィーストを準備し、行政会に提出された提案に対する処置を取ることに加えて、活動内容を報告することになっているので、最低、バハイの月に一回は会議を持つようにすべきです。しかし、万国正義院は、この事項について厳密な規則を制定したいとは思わず、これについては、各々の全精会の判断に任せる方を好みます。
地方共同体が、その地精会の指揮の下に19日毎フィーストを定期的に開き、一つ又はそれ以上の他の共同体とときおり共同フィーストを開いた場合、あなた方はそれぞれの行政会が各自の19日毎フィーストを持ったものとして統計に記録してもよいのです。合同フィーストは、厳密な意味では19日毎フィーストの目的を果たさないということ、それゆえに信者らの間で定期的に行われるようになるべきではないこと−このことはあなた方は当然おわかりでしょう。(2/15/82:万国正義院の代理からトランスケイNSAへ)
85.19日毎フィーストでもし信者が満場一致又は多数決によりある提案に同意一致したならば、それはそのフィーストから行政会への提案ということになります。しかし、それに対してある信者が提案をして他の信者がそれを支持しなかったとしてもその提案はなお、行政会により考慮される可能性があるのです。(7/27/82:万国正義院の代理からドイツNSAへ)
86.19日毎フィーストの協議の部のあいだにおける信者とその地精会の間の適切な相互関係の性質について理解することには、いくつかの要因が関係しています。その中で主なものは、大業の中で最も重要なこの機構の目的について理解することです。アブドル・バハは、フィーストについて次のような言葉で述べておられます−このフィーストは、喜びをもたらすものである。それは一致と和合の土台である。それは愛情と友好への鍵である。それは人類の一体性を普及させる。(7/25/84:万国正義院の代理からアルゼンチンNSAへ)
〔抜粋文#4も参照のこと〕
87.地精会の条例は、行政会の会議の議長と副議長の役割をはっきりと意味しています。フィーストのあいだ、協議の部では精神行政会の議長又は指名された代表者がその司会(議長)をつとめます。しかしこのことは条例には規定されておらず、各々の国の全精会の判断に任せられている二次的な事項です−その全精会は(全ての)地精会が従うべき一定の手順を採用するか、あるいはこのことを各々の地精会の判断に任せることができます。(12/23/86:万国正義院の代理からある信者へ)
10, フィースト:社交の部
万国正義院によって書かれたメモから
88. 私達は新しく加入した信者達、特に若者達に、フィーストで暖かい歓迎の意を表したいというある信者達の望みについてわかります。私達はこの目的を果たすために、実際のフィーストが始まる前、行政会が歓迎のセッションを開くことに反対はありません。フィーストはよく、夜開かれるので、行政会は、フィーストが開かれる前に信者たちがともに軽い夕食をとることが好ましいと考えるかもしれませんし、あるいは、たとえば、19日毎フィーストが実際に始まる前に、信者たちが集まっているあいだ、適切な社交イベントを企画することもできます。しかし、これはフィースト自体の社交の部の代わりとされるべきではありません。(1/21/73:聖地在住の大業の翼成者へ)
11. フィーストのお祝いにおける文化の混合
万国正義院又はその代理による手紙より)
89.指定保留地内のインディアン信者たちを定期的な19日毎フィーストに出席させることにおいてあなた方が経験している困難について述べた手紙(1970年3月11日付)を私達は配慮しました。
19日毎フィーストに関する指示や行政機構の他の事項を原住民の信者らに適合させるにあたって、古い形式から彼らを引き離していくというプロセスは、彼らの精神を破壊したりせぬよう徐々になしとげられるべきで、あなた方の行政会はこれらの事項に関してあまり厳格になりすぎてはなりません。(4/3/70:万国正義院からカナダNSAへ)
90.国際布教委員会は、1982年10月10日付のあなたの手紙のコピーを私たちの方へ送ってくれました。その手紙では、英語の分からないイラン人が大勢やってきたことにより生じた言語的な問題について尋ねてありました。その国で使われている言語を学び、その共同体の生活と活動に融合されるように努力するようイラン人バハイを励ますことが大切です。
19日毎フィーストやその他の正式なバハイの集会はその地域で一般に使われている言語で進行されるべきです。当然、これはそのような会合で、読まれる文のいくつかが移民らの言語で読まれてはならないとかいうことではなく、又あるいはそのような移民らが望んでいくつかのクラスや大会を彼らのためにその言語で進行させることができないということでもありません。重要な事は、前述のとおり、移民らが共同体に融合するのを促進すること、そして言語が理由で疎遠や不和の感情が生じるのを避けるということです。(11/10/82:万国正義院からある信者へ)
91. ・・・の地精会が、19日毎フィーストをスペイン語で進行し、ペルシヤ語に通訳しないことに決定したことは正しいです−特にいく人かのスペイン人バハイが共同体から疎遠になってきている事実を考えると、そうであります。イラン人の信者達はもちろん19日毎フィーストに出席できるよう、できるだけの努力をすべきですが、そのような会合がペルシヤ語で進行されるように期待すべきではありません。彼らは、スペインに住むつもりであるならば、なおさら、スペイン語を学ぶよう努めるべきです。しかし、イラン人の信者が親交とディープニングを目的とした特別な会合をペルシヤ語で開くことには反対はありません。(2/6/83:万国正義院の代理からスペインNSAへ)
92.あなたは、現在あなたが出版の準備をしているバハイの聖日に関するハンドブックの準備に対する提案をお求めになりました。そのハンドブックの中にどのような詳細事を記そうとも、その内容が、厳密に固守さるべき手順を規定するものでないことを明確にすること−これは大切なことです。バハイの聖日の催しは、信者達が示すその行事にふさわしい威厳と尊厳によって特徴づけられるべきです。しかし、これは別にバハイの原則に反するようなものでない文化的な伝統が、信者達による地方の催しや会合で表現されてはならないとか、表現できないということではありません。(8/1/83:万国正義院の代理からある信者へ)
93.ヨーロッパの家庭でバハイの集会が開かれるときにペットがそこにいることについてお尋ねになったときに対して万国正義院は次のように説明して返事をするよう私たちに委託しました。−ペットに対するヨーロッパ人の態度は、たとえば北欧の人々とはかなり異なるものでこれは問題として取り上げるべきではない副次的な事項であるということです。(8/29/83:万国正義院の代理からある信者へ)
94.言語上の問題が存在するとこではどこでも定期的な共同体の会合のほかに特別なクラスや集会をイラン人の信者たちのために開くという考えを万国正義院は歓迎しています。−そうすることによりイラン人バハイが自国語で聖典を勉強する機会を得、カナダのバハイ共同体内で何がおきているかについて常に知らされるためにです。19日枚のフィーストや治世会の会合は英語又はフランス語(その場所に応じてどちらか)で行われるべきです。この二つの言語があなた方の国の自国語なのですから。しかし、もしカナダの言語をまだ学んでいないイラン人バハイがそのような会合でスムーズな進行を妨げずに審議中の話になんらかの参考をして益を得られるよう取り計らうことが可能であるなら、そのような可能性も考慮することができます。(2/7/84:万国正義院の代理からカナダNSAへ)
95.部族の習慣とバハイの法令とが衝突する可能性のあるという問題を抱えた各々の精神行政会に万国正義院は次のように助言しています。−そのような行政会は根本的な法令(たとえば一夫多妻制など)と関連した部族生活の面と信者たちが徐々に身を断っていける、そしていくべき副次的な事項とを区別すべきであるということです。さらに万国正義院は次のような助言も述べていますー
バハイ信教のもろもろの機構はしばしばとくていの民族や部族の色彩豊かな特徴となっており、特に害のない地方の伝統を捨て去るよう、独断的に信者らに圧力をかけたりせぬよう注意すべきです。もし新しいバハイが突然自分の民族の習慣に従うのを止めたりしたなら、人々がバハイ信教の真の性質について誤解する可能性もあり又バハイがその土地の伝統に対抗して逆らったものとして見なされうるのです。(10/25/87:万国正義院の代理からある二人の信者へ)
[1] SWABはアブドル・バハの文書からの抜粋の略
[2] Cf. SWAB, p.91, #50
[3] 19日毎フィースト
[4] 初期キリスト教徒らの愛餐(友愛の会食)
[5] Cf、SWAB、pp269-270、#216
[6] 特別に指摘されていない限り、個人の信者へあてられたもの
[7] 20で言及されてている記事は以下の通り、
バハオラにより設定されたこの機構は守護者により新しい「世界秩序」の基盤として叙述されている。全国精神行政開はあらゆる信者は病気である以外は市の外に出かけていない場合を除いてこのフィーストに出席するのが義務だとして理解している。
数年前に地方精新行政開にあてられた一般的手紙の中で19日毎のフィーストは次のようにして開かれるべきであると守護者が指示なさってあることがのべられている。−最初の部は全く精神的な性質でバハイの聖典から読むことにあてられている。一番目の部は大業の業務について全員が協議する部でこのとき、地方行政会がその活動内容を共同体に報告し提案や協議を求め、守護者が全国行政会から受け取ったメッセージを伝える。三番目は物質的なフィーストの部で全ての友人が交わる社交的な部である。選挙権のある信者のみが19日毎のフィーストに出席する招待を受けるが、21歳以下の若者で信者として公に公表しているものは、(特にバハイの家族の一員であるならなおさら)出席することができる。
これらの集会はバハイ共同体生活のまさに核心として見なすことができる。19日毎フィーストは適切に催され、又フィーストの重要性を十分に理解しているバハイ共同体により出席を受けたなら、われわれの信仰の精神を新たにし深め、統合された行動をする能力を強め誤解を取り除き地方、全国、国際領域における全ての重要なバハイ活動を十分にわれわれに知らす役を果たすのである。
(米国・カナダNSAの言明。BN,#75、p8)
(7/33)
[8] 地精会のないバハイの共同体/集まり
[9] 特記していない限り、個人の信者へ宛てた手紙。
[10] 特記されている以外全て個人の信者にあてられたもの
[11] 中近東