注:この文書は校閲を受けていない非正式の訳です。暫定版としてお使いください。ただし、暫定版と明記してお祈りの会や学習等に使用できます。Note: This is a provisional translation,
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it may be used for devotional gatherings and other similar purposes while
indicating clearly these are provisional translations.
危機と勝利
(万国正義院研究課編纂)
T「世界の(諸々の)軍勢は…あらゆる側からその攻撃をしかけている…」
(アブドル・バハ:ADJ,p16)
1) バハオラの文書より
1. あらゆる啓示の初めには、逆境が優勢をはくしていた。―そしてその逆境は後に大いなる繁栄へと変わったのである。(gt.ADJ,p82)
2. 過去の世代の人について考えてみよ。聖なる恩恵の『昼の星』が彼の啓示の光を世界に放ったたびに彼の『日』の人々がいかに彼に対抗して立ち上がり、彼の真実性を否定したか、見るがよい。人々の指導者と見なされていた者らはその信奉者が神の限りなき恩恵の『大海』なる者の方へ向かうのを妨げようと常に努めてきたのである…
神の預言者らや使者たち、そして選ばれし者がいかに甚だしく苦しめられてきたかを汝は知っている。そのような迫害行為に責任のある動機や理由について、しばらくの間瞑想してみよ。いかなる律法時代の、いかなる時においても、神の預言者たちは、その敵らの冒涜行為や圧制者らの残酷行為、そして、その時代の学者らの非難などから逃れることはなかった―そして、これらの者らは廉直と信心深さのふりをして現れたのである。神の預言者たちは、唯一にして真なる神―その栄光に誉れあれ―の知識以外誰も計り知ることができなかったほどの苦悶を日夜なめさせられたのである。(GL,XXV,p56;p57~58)
3. 試練と苦難はいにしえより、神の選ばれし者らと愛されし者ら、神以外のすべてから離脱した神のしもべらの運命であり続けてきたことを汝、知るがよい。―このような者らは、(この世の)商品や売買によっても全能者を思い起こすことから欺かれない者らである。これまでに施行された神のやり方とはそのようなものであったし、これからもそのようであり続けるのである。(GL,LXVI,p.129)
4.・・・わが命にかけて!自らの言うことが理解できず、自らが理解できないことを想像する者らと、そして神の大業のことを思ってわが心はうめき、わが眼は激しく泣いている。(GL,C,p.203)
5. そしてもし小夜鳥が自我の土から飛び立ち、心の(中の)バラの東屋に住み、アラビア(語)の旋律と美しいイランの歌において神の神秘について語る―そのたったひとつの言葉は死人らの身体を新たな生命へと蘇らせ、この生存の朽ち果てる骨に聖霊を授けるのだが―なら、汝はねたみの一千のつめと憎悪の無数のくちばしが彼の後を追い、全力を尽くして彼の命を狙おうとするのを見るであろう・・・
おお、わが友よ!多数の猟犬がこの一体性の砂漠のガゼルを追い求めており、多くの(獰猛の)つめが、この永久の(花)園のツグミをひっかいている。情け容赦ないワタリガラスは神の(諸々の)天のこの鳥を待ち構えねたみを持つ狩人は、この愛の牧草地のシカにこっそりと近づいているのである。(SV,FV,p20,p41)
6.神聖なる顕示者が現れたときには常に、その日の聖職者たちが人々を真理の道に達するのを妨げたことは明白かつ明らかなことである。これについては、すべての経典や天なる書の記録が証言する。顕現された神の預言者らの中で情け容赦ない憎悪と非難を否定、その日の聖職者らの忌み嫌い被害者とならなかった者はいなかったほどである!・・・
われは、あらゆる町で人々が『祝福された美』を圧迫するために立ち上がり、生存の主にしてすべての者らの究極の『望み』なる御方の伴侶たちが圧制者の顔前から逃げ、荒野にてその圧制者から加護を求めるのが予見される。それに対し、他の者らが自らを放棄し、完全なる離脱にて主の道において自らの命を犠牲にするのが予見される。(KI(J),p jp rev)
2)アブドル・バハの文書と発言より
7.・・・神の信教の信用はまことに増した。その偉大さは今や明らかにされた。それが人々の心を大いに激動させる日が近づきつつある。それゆえに歓喜せよ。おおアメリカの住人たちよ。大いに、大いに歓喜せよ。(gt.WOB,p79)
8.・・・最近、神の大業は世界中で日毎に、その力を急速に増し、遠い遠い地の果てまで広まっている。それゆえに、その敵は世界中のあらゆる民族や親族まで、攻撃的になり、悪意を持ち、ねたみ、激しい敵意感を持っている。神の愛されし者らは、すべての事柄において、―それが大なるものであれ小なるものであれ―最大の注意を払い、慎重であらねばならず、ともに協議し、扇動し危害を加えようとする者らの攻撃を、団結して耐えなければならない。(SWAB、p♯194,p233)
9.おお汝、聖なるロートの樹の崇高なる枝よ!・・・悪行をなす者らにより軽蔑され、拒否されても、ほうり出されることなかれ。そして、傲慢な者らの力や強情にあってもいろいろしたり悩んだりするなかれ。なぜなら、それが(人々の)記憶にない古から、無頓着な者らのやり方だったのだから。「おお人々のみじめさよ!『使者』がやってくるとき、彼らは常にその『使者』をあざけるのである。」
まことに、無知な者らの攻撃と妨げは神の御言葉を賛美するだけであり、神の御しるしを至るところに広めるだけである。もし、軽蔑する者らの反対や悪口を言う者らのがんこさがなかったなら、もし、説教壇からの叫び声や大なる者と小なる者の泣き叫びがなく、無知な者らにより浴びせられた不信の非難や愚かな者らからの騒動がなかったなら―どうやって『最初の点』の到来と『バハの昼の星』の明るい夜明けの到来の知らせが東と西へ達したであろうか?これらのことがなかったならどうやって地球が一方の端から他方の端まで揺り動かされたであろうか?それ以外にどうやってペルシャが光線をまき散らす中心点となりえたであろう?また、どうやって小アジアが主の美を放つ中心点となりえたであろう?それ以外にどうして顕現の美が南方へ広がりえたであろう?それ以外にどのような手段にて神の御叫びが北の果てに聞かれえたであろう?それ以外にどうして神の呼び出しの御声がアメリカの大陸と暗黒なるアフリカの大陸で聞かれえたであろうか?それ以外にどうやって天国の雄鶏の鳴き声がそれらの耳を貫通しえたであろうか?どうしてインドの美しいオウムがこの砂糖の上にやってき、小夜鳥がイラクの地からその旋律のさえずりをかなでたであろうか?それ以外、何によって東と西が踊らせられこの『献納された場所』が『神の美』の玉座となりえたであろうか?それ以外、どうやってシナイ山がこの燃えるような輝きを見、『到来』の炎がその山を飾りえたであろうか?それ以外にどうやって聖地が『神の美』の踏み台となされ、『トワ』の聖なる谷が優秀と恵みの地―モーゼがその履き物を脱いだ所―となされえたであろうか?また、どうやって天の息吹が『神聖の谷』を通って運ばれ、また、諸々のアブハの国から吹いてくる甘い香りのする空気の小川が『青葉の茂る島』に住む者らによって感じられえたであろう?また、それ以外にどうして預言者らの誓いや過去の聖なる『予言者』らの吉報、神の顕示者らによってこの『聖なる地』に与えられた心を震い動かせるような約束が実現されえたであろうか?
・・・これらすべての祝福や賜物、『信教』を宣布するための手段そのものは、無知な者らの嘲りや愚かな者らの反対や、愚鈍な者らのがんこさや攻撃者らの暴力によってやってきたのである。これらの事がなかったなら、バブの到来の知らせは今日に至るまですぐ近くの地にさえ届かなかったであろう。それゆえに、われわれは決して無頓着な者らの盲目や愚かな者らの攻撃や、卑しく卑劣な者らの敵意や、聖職者らの軽率や、そして不注意な者らによりわれわれにきせられた不信心のとがに対して悲しむべきではない。それも、過去の時代における彼らのやり方であったのであり、もし彼らが真理を知る者であったなら、そのようなことはなかったのである。
―しかし彼らは行き暮れ、自分たちに言われたことへの理解に近づくこともないのである。(SWAB,♯195,pp234~236)
10.・・・西洋の友人たちは疑いなく、中近東の友人たちの身にふりかかっている惨事を分かち合うであろう。バハオラの道を歩むにあたって彼らも圧制者らの迫害の的になることは必然的なのである・・・
さて、あなた方も必ずや少しの程度、わたしの仲間とならねばならず、自らの試練と苦しみの分け前を受け入れなくてはならない。しかし、これらの出来事はやがて過ぎ去り、(それに対して)永続する栄光と永久の生命は、永遠に変わることがないであろう。さらに、これらの苦しみは大いなる進歩の原因となるであろう。(SWAB,♯196,pp,238~239)
11.・・・この日、宗教のあらゆる指導者の力は、すべてに慈悲深き御方の会合を消散させることと、『聖なる大建築物』をうち砕くことの方へ向けられている。世界の軍勢はそれが物質的、文化的あるいは政治的にせよ、あらゆる側からその攻撃をしかけている。なぜなら(バハイの)大業は偉大なもの、まことに偉大なものであるからである。その偉大さはこの日、人々の目に明白かつ明らかである。それゆえに、神の恵み深き摂理の保護の翼の下に来たすべての者は、神の恵み深く聖なる援助により、すべての人々の眼をとらえ、すべての人々の心を驚嘆させるような、そのようにはっきりした確固不動としたところを示さなければならない。
『聖霊』(イエス・キリスト)が昇天なさったとき、(その)新しい啓示を受け入れた者ら(の集まり)は、ほんの数人にしか満たなかった。その出来事が引き起こした警告と動揺がまことに激しかったために、しばらくの間これらの者らは自分の動揺と混乱のためにかなり圧倒されていた。そうして数日たつと、マグダラのマリアという女性が立ち上がり、彼らが神の御言葉と広めるのも可能にさせた。堅忍不抜さと確固さを、その自らの模範により彼らに植えつけたのである。彼らは、はたから見れば漁師あるいは染め物屋にすぎなかったのだが、神の大業の聖なる確証により、彼らは聖なる芳香を至るところに運び、彼らの芳香を吸い込んだ者すべての息を甘くし、理解ある心の持ち主すべてに新しい生命をもたらしたのである。
それでは、おお神の信頼されたる友人たちよ。この強大にしてすべてを揺り動かす力の出現から勇気を得よ―その力は世界の身体に浸透した精神、その波動によりその身体を震わせ、偶像崇拝の柱を震動させ、揺り動かせた精神のようであった。(新しく英訳された書簡より)
12.・・・大変な数の人々があなた方に対抗して立ち上がり、圧迫し、侮辱的な言動を示したり嘲笑したりし、あなた方の集まりを避け、あざけりの言葉を浴びせるであろう。しかし、『天なる父』はあなた方が太陽の光線のように迷信の暗い雲を追い散らし、『天』の真ん中にて栄光に満ちて輝き、地球の表面を照らすようになるまで、あなた方を明るく照らして下さるであろう。あなた方は、これらの試練が起こるときには、足もとをしっかりとさせ、忍耐と辛抱強さを示さなくてはならない。あなた方はそれらの試練を、最高の愛と優しさを持って耐えなくてはならず、彼らの圧制と迫害を子供の気まぐれと考え、彼らが何をしようとそれを決して重要視してはならない。なぜなら、最終的には御国の照明は世界の暗黒を圧制し、あなた方の地位の崇高さと偉大さが明白かつ明らかになるであろうから・・・汝らよ、安心するがよい。(et.BN【SW】,vol.1,no10,9/8/10.pp1-2)
13.・・・やがて、その地の悪行をなす者らが、真の信者たちに非難の言動を浴びせるために立ち上がり、忠実な者らの一行に悪意をぶちまけるであろう。彼らは日毎に、重い傷を負わせ、毎時間気絶させんばかりの打撃を加えるであろう。彼らは友人たちがバハオラやアブドル・バハに対して愛を抱いていることでしかりつけ、自分たちが(バハイを)非難し、あざけり、悪意を持っていることは正当化されると考え、負わせることのできる傷は出来る限りすべて友人たちに負わせんがために労を惜しまないであろう。そのようなふるまいは、以前の人々のやり方や行動と同じものである―過ぎ去った世紀において、聖なる顕示者たちが現れた時には(その)人々は全くこれと同じようにふるまったのである。そして今、この日々において、彼らが以前よりも片意地にそのような行動を繰り返すこと、いや、以前よりも増した邪意を持って行動することは必然的なのである・・・それゆえに、あなた方も『祝福された美』のために、逆境と試練と傷によって苦しめられることは確かなのである―しかし、そのような苦しみは最も清き恩恵そして賜物となり、あなた方が『聖なる敷居』にて受け入れられたことのしるしとなるのである。(NT,新しく英訳された書簡より)
14.しかし、わたしが発っていった後には、ある人々が反対して立ち上がり、その辛さからあなた方に対して迫害の言動を浴びせるかもしれず、また、新聞には(バハイの)大業に反対する記事が載せられるかもしれません。確固とした態度を持って安心しなさい。しっかりと落ち着き、冷静であり、これは何の害もないスズメのさえずりにすぎず、やがて消え去るのだということを憶えておきなさい・・・
それゆえに、わたしの言わんとすることは、新聞の記事やその他の刊行物の中で上げられる非難や攻撃、悪口や嘲笑の声に対してあなた方に警告し、あなた方を強くすることです。これらのものは、大業の確証そのものでああり、『運動』を築き上げるための源そのものなのです。さまざまな教会の20人の牧師たちが立ち上がり、何もかぶらず甲高い声を上げて、バハイたちは誤った方向へ導かれていると叫ぶ日、そのような日を神が確証されんことを。わたしはその(ような)日を見たいと思います。―なぜなら、そのときが神の大業の広まるときだからです。バハオラはそのような者らは大業の従者であると発言なさいました。彼らはバハイたちが愚か者であり邪悪で不義な人々であるとその説教壇から宣言するでしょう。しかし、神の大業において確固とし、動揺してはなりません。彼らはバハオラのメッセージを広めるでしょう。(PUP,pp,428-430)
3)ショーギ・エフェンディの文書からの抜粋
15.・・・しかし、わたしは心の中で決して薄れることのない、次の確信によって確証され、支えられています―つまり、神の大業において起こることはその直接の結果(効力)がいかに(わたしたちを)動揺させるものであっても、限りなき『英知』において充満しており、究極的には世界において大業の利益を促進する傾向にあるという確信であります。まことにバハイのずっと以前の経験にせよ、最近の経験にせよ、それは、あまりにも多くかつ多様であるために、この基本的な原則の真実性を疑ったり、それに懸念を感じたりするのを許さないほどであります。―つまり、それは、この世におけるわれわれの神聖なる使命の栄枯盛衰を通して、われわれが決して無視したり忘れたりしてはならない原則であります・・・
確かに(バハイの)大業は他のあらゆる運動と同じようにそれ自身の障害や紛糾や予期されない困難なことがあります。しかし、他の人間的な組織とは異なり、それはわれわれがこれらの困難に対応し、起こるかもしれないあるいは起こるにちがいない困難を容易にするために、誠実で新たな努力をするのを決してしくじらない『信念』と『献身』の精神を刺激させるのです。(12/23/22:ABA,p22;p28)
16.一方では、敬慕する御方(アブドル・バハ)の『遺訓』―それは、そのあらゆる面において驚異的でかつその命令において断固としていますが―は最も鋭敏な知性に挑み、それを惑わせましたが、もう一方では世界の常に増していく困惑は分裂の力と激しい競争と新たな騒乱、そして重大な無秩序によっておびやかされていますが、それは人類の運命を最も熱心に信じる者(ら)の心をもほとんど圧倒し、また、その熱意をもくじいたのであります。
しかし、われわれは敬慕する『師』がくり返し述べられた明白な警告の言葉をどれだけしばしば忘れているように見えることでしょう―『師』は地上における特にその使命の最後の年月日において『厳しい心理的な試練』を強調なさいました。その試練とは、西洋にいる彼の愛されし者らを一掃する試練であり、彼らを洗い清め、人生におけるその崇高な使命のために準備させる試練なのです。(11/14/23:BA,p50)
17.神の大業が、来るべき日々に、挑戦の時を迎え、新しい世界における約束された優勢の栄光に備えて、重大な段階を経てゆくということは、今は亡きわれらが『師』によって疑いなく何度も何度も肯定されてきたことであり、また、その勇敢な過去と動乱の歴史により、われわれ全ての者に豊富に証明されていることであります。(2/23/24:BA,pp60-61)
18.わたしたちは、『運動』がその強さと権威と影響力を増すにつれて、それがそれまで戦ってこなければならなかった困惑や苦難がそれにしたがって減少し消滅するというようには信じることができません。いや、それが強さを増していけばいくほど、正統派の要塞を擁護する狂信的な人々はその宗派が何であれ、この成長する信教の貫通力ある影響力を知り、立ち上がってその光を消し、その名前の信用を落とさんがためにあらん限りを尽くすでしょう。(2/12/27:BA,p123)
19.・・・バハオラの大業を熱心に支持する人は次のことを理解せねばなりません。―つまり、社会の崩壊の過程が進むにつれて、この奮闘する神の信教が直面せねばならない嵐は、それがすでに経験したものよりも激しい嵐になるということです。また、そのような人は次のことも知らなければなりません。―バハオラの信教のたいへんな主張の全体が伝統があり強力な正統派の要塞によって認められるようになるやいなや―それらの意図的な目標は人々の考えと良心を締めつけるのと維持することなのですが―この幼い信教はそれを過去に苦しめた最も残酷な訪問者や最も狂信的な聖職者らよりも強力で陰険な敵と戦わねばならなくなるでしょう。滅びゆく文明に襲いかかる激動の進行において、どのような敵が現れるかわかりません。その敵は(バハイ)信教にすでに浴びせた侮辱行為をさらに強化する敵であります。
わたしたちは、神の聖なる信教と戦うべく定められた力の範囲と特質について知るためには、アブドル・バハが発された警告の言葉を調べてみさえすればよいのです。アブドル・ハミードの政権の下で人生の最も暗いとき、アフリカ北部の最も不親切な地域に追放される覚悟ができておられたとき、そして、バハイ啓示の吉兆の光が西洋にほんの少し現れ始めたとき、彼(アブドル・バハ)は、バブのいとこにあてて発せられた別れのメッセージの中で次のような予言的で不吉な言葉を発されました―『大業は何と、何と偉大であることか!地上のずべての民族と親族の攻撃は何と激しいものであることか。やがて、アフリカやアメリカの大衆の叫び声と、ヨーロッパやトルコの叫び、インドや中国のうめき声が至るところから聞かれるであろう。彼らはみな、彼の大業に抵抗するためにあらん限りの力を持って立ち上がるであろう。そうすると、主の騎士たちが天上からの主の恵みにより援助され、信念によって強化され、理解の力によって助けられ、聖約の軍隊により補強されて立ち上がり、次の節の真実性を明らかにするであろう―「敗北した者らの部族に降りかかった困惑を見るがよい!」』
アブドル・バハの言葉が予見する奮闘はたいへんなものですが、その言葉は同時に、『最大名』を支持する者らが最終的には得するように定められた完全なる勝利について証言するものでもあります。様々な民族や国々や様々な信教の信奉者らが団結し、また次々と立ち上がってその和合をうち砕き、その力を弱らせ、その聖なる名前を卑しめようとするでしょう。彼らは、それが教えこむ精神を攻撃するだけでなく、その精神の経路であり道具であり具現である行政機構をも攻撃するでしょう。なぜなら、バハオラが将来のバハイ共同体にお与えになった権威が明らかになればなるほど、それ(信教)が収めている真理に対してあらゆる方向から投げつけられる挑戦が激しくなっていくからです。
(3/21/30:WOB,pp.17-18)
20. バハイ信教の機構とそれに対抗するイスラム教の聖職者の組織とのあいだに起きた分離―それは、エジプトで初めて起こり、今、中東の至るところに着実に広まっており、やがてその影響力を西洋に伝えるでしょうが―は(バハイの)大業のあらゆる忠実な支持者にわれらが敵がここ最近自ら宣言し確立した位置を不利にさせるような言葉を発したり、あるいはそのような行為をするのを控えるようにという義務を課すことになります。この歴史的な出来事の始まりは、アブドル・バハが亡くなられるすぐ前の年月のあいだに認められてはいませんでしたし、また、予期されてさえもいなかったのですが、その出来事はわれらが信教の形成期を目立たせ、その行政秩序の強化への道を敷いたと言えるかもしれません。この運動が勢いを増すにつれ、そしてそれがペルシャの民事の当局の態度と将来の行動から起動力を得るにつれ、それは必然的に西洋に反響をまきおこし、教会の指導者たち、そして遂には民事当局をかき立て、その主張に挑戦させ、結局は、バハオラの宗教の独立性を認めさせるようになるでしょう・・・東洋におけるわたしたちの逆境が(その)奮闘を開始しました。西洋における(わたしたちの)敵対者らは代わって立ち上がり、それをさらに次の段階へと進めていくでしょう。この必然的な戦いを予期して、わたしたちが任務としてなすべきことは二心なき忠誠を持ち、また率直にわれわれの信教の無欠性を支持し、その神によって定められた機構の特異な特徴を実証することです。
(6/15/35:MA,pp4-5)
21. 無宗教の力や完全に物質主義的な哲学の力や隠されざる異教思想の力が解き放たれ、今広まり、そして自らを強化することによって西洋世界の最も強力なキリスト教機構のいくつかに侵入し始めていることは、偏見のない観察者なら誰もが認めうることです。これらの機構がますます落ち着きを失っていること、それらのいくつかはすでにおぼろげながらもバハオラの大業の浸透性ある影響力について気づいていること、それら(の機構)に本来備わっている力が弱まり、その規制がゆるんでいくにつれ、それらがますます狼狽しながらバハオラの『新しい世界秩序』の出現を注目し、徐々にそれを攻撃する決意を固めていくこと、そしてそのような敵対は代わりにその衰退を加速的に進めるであろうこと―これらのことについては、バハオラの信教の進歩に注意深く目を向けている人の中で疑うという気を持つ人はほとんど―もし何人かいるとしたなら―いないでしょう・・・
イスラム教に襲いかかり、その残りの機構を弱めたペルシャに侵入したこの世俗化の脅迫はインドを貫通し、その勝利の頭をトルコに掲げ、すでにヨーロッパとアメリカ両方において姿を現し、そして様々な程度と形式と名称においてあらゆる確立された宗教の基盤に挑みかけているのです・・・
(3/11/26:WOB,pp.180-181)
22.わたしたちすべての前方にぼんやりと見えている年月はまことに意味深長なものであります。内的な崩壊と外的な混乱の双子の過程は、日毎に加速化され情け容赦なく最高潮へと向かって動いています。固まりを発酵させる『最大名』の共同体、信用を失いぐらついている古い『秩序』が巻き上げられた後に生き残り、その代わりに新しい秩序を展開させることに援助せねばならない『最大名』の共同体は、準備を整わせ油断なく明白な先見を持ち、固い秩序を持って立っているのです・・・その現れ出づる信望をねたみ、その強化される力を恐れた
諸々の政府や人権や階級や宗教がその声を静めさせ、その基盤を弱めようとするその攻撃は激しく、多様なものとなることでしょう。この共同体は現在それを取り囲む比較的名の知られていない状態においても動揺せず、また、将来それに対抗して配列される力にもくじけず、苦労に満ちた時代の苦悶がいかに激しいものであろうと、その進路をそらすことなく、その平静をぼんやりとさせることもなく、その決意をゆずることもなく、またその確信をゆり動かされることもなく、その運命(の道)をたどっていくであろうこと、このことをわたしは確信を持って感ぜずにはおれないのです。
(7/5/38:MA,p14)
23.・・・体制化された社会の社会的・宗教的・政治的・経済的均衡を、それほどはなはだしく混乱させている力を解き放ち、政治的組織や人種(主義的)教義や社会的概念、文化的基盤や宗教的連合や売買関係を混沌と混乱に投げこんでいる世界的な騒乱の始まり、そのような扇動がどうしてそれほど広大にして前例のない規模において、これらの人間生活と行動の分野のそれぞれに直接かつ重要な関連性を持つ教えを広めた、それほど幼い歳の信教の機構に反撃を及ぼさずにおれましょうか?
従って、それほど浸透性のある宗教の旗を高く掲げている者らが、これらの世界をゆさぶる力の影響力によって影響されたとしてもそれほど不思議ではないのです。彼らが競い合う情欲のうずの中で自らの自由が剥奪され、その信条が非難され、その機構が攻撃され、その動機が中傷され、その権威が危機に陥り、その主張が否定されたことを知ったとしても、それほど不思議ではないのです・・・
また、全く異なる秩序の多様な機会も注目を向けられずに過ぎ去っていくべきではありません―それらの機会は(この)信教自身の発展がその世界センターにおいてにせよ、または北アメリカ大陸においてにせよ、あるいは地上の最も最果てにある地域においてにせよ、アメリカの信者らに役目を果たすように呼びかけて創り出さねばならない機会なのです。―そして、この(アメリカの信者らの)役目とは、バハオラの大業の普及のために彼らが集合的になした貢献における以前の役割に劣らず、顕著なものなのです。わたしは今のところ将来の可能性について調べる試みをするにあたって、著しくきわだっているこれらの機会のうちのいくつかを任意に引き出すのができるだけです・・・
・・・ペルシャやイラクやエジプトなどのイスラム教国家における宗教正統派の束縛から(いくつかの)バハイ共同体が解放され、それに引き続いてその後バハイ全国行政会と地方行政会の独立性と宗教的な性質がそれらの国々との民事当局によって認められること、様々な宗派の教会組織の努力により、進歩的に発され、情け容赦なく追求されるであろう避けられない攻撃の全勢力に反作用するために案出され調整され実行に移されるべき予防と擁護のための方策、それから最後にではあるが決して軽んじられないことをして、次のことがあげられます―厳しい試練を受けた(バハイ)信教が全くの無名の状態と活発な圧迫と完全な解放という連続する段階を通過するのを可能にし、それに代わって信教が独立したものとして認められるようになることをもたらし、それが他の姉妹宗教と全く同等の地位を得ることを可能にし、さらにそれに引き続いて信教が国家宗教として確立され、認められるのを可能にし、これは代わってバハイ国家と関連した権利と特権を得るようになし、その力の最高状態において機能するのを可能に―そして、この段階は最終的には完全にバハオラの精神が原動力となり、バハオラの法律と原則に直接従ってのみ作動する世界的なバハイ共同体の出現において頂点に達する段階なのでありますが―するために、直面しなければならない種々雑多な問題と克服しなければならない障害物、そして、背負わなければならない責任であります・・・
この二重の聖戦を行うにあたって、バハオラの御名において、またその大業のために奮闘する勇敢な戦士たちは必ずや手強い抵抗に出会い数多くの後退を経験せねばなりません。彼ら自身の本能は保守的な軍力の怒りや与えられた関心事の反対や堕落し快楽を求める世代(の人々)の反対に劣らず、決意固く抵抗され、完全に克服されなくてはなりません。差し迫った奮闘への彼らの擁護の手段が組織化され拡張されるにつれ、悪態とあざけりの嵐、そして非難と不正確な叙述は彼らに対(抗)して解放されるでしょう。彼らは、彼らの信教が攻撃され、彼らの動機が誤解され、目標が侮辱され、熱望があざ笑われ、機構があざけられ、影響力がみくびられ、権威が弱められ、そして自らの(持つ)理想の性質のすばらしさを味わうことのできない、あるいは、そのような争いが必ずや関係するかさみゆく非難の矢先に立つことに気が進まない幾人かの者により、ときおり大業が見捨てられるのをやがて見るかもしれません。敬愛する『師』は次のように予言なさいました―「アブドル・バハが原因で数多くの試練があなた方を訪れるであろう。(諸々の)困難があなた方の身に降りかかり、苦難があなた方を苦しめるであろう。」
しかしながら、西洋において、またその潜在的な嵐の中心のひとつにおいて、バハオラの御名において、また彼のために、その最も激しく最も栄光ある戦いのひとつを戦うバハオラの無敵の軍隊は、自らに向けられたどのような非難をも恐れてはなりません。バハオラのその軍隊は悪態をつく者の舌がその動機を卑しめようとするのに用いるいかなる非難によっても妨げられてはなりません。その軍隊は、それに対して団結するかもしれない狂信と正統派的信念と堕落と偏見の軍勢の脅威的前進の前にひるんではなりません。非難の声は、その大業の宣布を間接的に補強する声なのです。不評判はそれとその敵の対照をさらに強調させるのに役立つだけであり、身柄追放はそれ自体、その敵のうち最も騒々しく執念深い者らを結局はその駐屯地内に勝ち得させねばならない磁力なのであります。
(12/25/38:ADJ,pp2~3;pp14~15;41~42)
24. また、それほど神聖にして実りある使命のすぐれた特徴について調べるにあたっては、バハオラの定められた『聖約の中心』の譲ることなきペンが記した予言に言及することを省いてもなりません!これらの予言は(バハイ)信教がキリスト教や仏教やヒンズー教の伝説ある司祭制と出会うときに、西洋やインドや極東において、信教の抵抗力のない進行が引き起こすにちがいない攻撃の激しさを予見するものであります。それらの予言は、(信教が)宗教的正統派の信念の束縛から解放されることにより、アメリカやヨーロッパやアジアやアフリカの大陸に引き起こす騒動について予見するものです。
(1944;GPB,p.315)
25. 最終的な勝利から彼らを隔てる期間がどれだけ長かろうと、また、その任務がいかに骨の折れるものであろうと、彼らに要求された尽力がいかに多大なものであれ、困惑し、激しい試練を受けた人類がその陣痛において通過せねばならない日々がいかに暗かろうと、人類の運命を救うべき者らが対面せねばならない試練がいかに激しかろうと現在存在する敵や神がその神秘的な摂理によって内部または外部から現しになるであろう敵が彼らに浴びせるかもしれない投げ矢がいかに苦痛を引き起こすものであっても、将来予告できない妨害によって彼らに課せられるかもしれない、信教の中心、神経中枢からの一時的隔離という試練がいかに悲しむべきものであっても―わたしは、それほど多大に流された貴重な血にかけて、また、(神に供するために)殺された無数の聖者や英雄らの命にかけて、また、われらが信教の預言者にして先駆者なる御方の最高にして栄光ある犠牲にかけて、また、その創始者ご自身がその大業が生き(続け)、その秩序が粉砕された世界を救い、その栄光が地球全体をおおいつくすと進んで経験なさった苦難にかけて―わたしは、この厳粛なる時が近づくにつれて彼らにこう厳命いたすのであります。(この)『計画』のあらゆる目標が僕の目に完全に完成されるまで決してひるまず、決して躊躇せず、決して気をゆるめないように、と。
(6/30/52:MBW【1950-57】,pp.38-39)
26. ・・・宗教の正統派的信念を唱える者らが必ずや上げる叫びやあるいは政治的指導者らが課するかもしれない制限的な方策によっても引き留められず、自分たちの数の少なさや潜在的な敵の多数なことによっても狼狽せず、また、迷信と堕落と不信という組織化された勢力との栄光あり必然的な遭遇を予期して自らの手でゆっくりと、また勤勉に作りだした効果的な武器によって装備され、バハオラの教えの匹敵するもののない力と彼の全てを征する勢力、そして彼の栄光ありしばしばくり返し述べられた約束の不可過性に完全な信頼を置き、彼らは前進しなければなりません・・・
(7/18/53;CF,p.120)
27. あなた方に直面している行政的な問題は様々でかつ複雑なものです。幼き信教が出くわさなければならない反対は、特に(アフリカ)北部のイスラム教国家の正統派信仰の指導者から来る反対は、その信教の(諸々の)機構が増加するにつれてもっと明らかになり、その激しさを増すことでしょう。
(ショーギ・エフェンディの代理によってアフリカのあるNSAにあてて書かれた手紙【7/2/56】に付加されたショーギ・エフェンディの肉筆による言葉)
4) ショーギ・エフェンディの代理による手紙より
28....大業の歴史、特にペルシャにおける大業の歴史は、次の真理を明らかに説明するものだからです――そのような迫害は信者らの心の中に潜在する精神的な力を刺激することにより、また、信教に対する彼らの任務と責任に関する新しく、より深い意識を彼らの内に呼び覚ますことにより、常に信者らを信念において強める役を果たすという真理です。まことに大業のほんの進歩だけでも(諸々の)民族や国々の憎悪とみたみを引き起こすことによりそれ自身で、その聖なる精神のみが克服できるような困難や障害物を作り出すのであり、それらは、その聖なる精神のみが克服できるのです。世界の敵意と反対は、心境の拡大と進歩に直接比例して増すであろう、とアブドル・バハは強調して述べられました。信者らの熱意がより大いなるもので、彼らの成し遂げるものの効力がより顕著であればあるほど、敵の敵対心は激しくなるでしょう。
(あるNSAへ、1/20/35)
29.まことに彼は、あなたのセンターだけでなく、世界中のいたるところの友人たちが、信教の行政機構を確立し完全にしようと試みるにあたって日毎遭遇している困難を十分に意識しておられます。しかし彼は、これらの困難や障害は必然的なもので、バハオラの大業が世界において発展しついには優勢を得るように定められた。まさにその過程において本来備わっているものであることをお考えになります。そのような困難は必然的なだけではありませんし、まことに次のようなものとして見なされるべきものです――つまり、それらは神によって与えられた試練を成しており、それにより友人たちは自らの内に潜在する神聖的・道徳的エネルギーを豊かにし、完全にできる、そして確実にそうするであろう、ということです。そしてさらに、友人たちはこのようして神によって自分たちに約束されたあの聖なる文明を確立するのを援助できる。また確実にそうするであろうと、ということです。
試練や困難はちょうどランプにさされる油のようなものである、とバハオラは繰り返し、その書簡の中で私たちに警告なさっています。大業はときおりその道に立ちふさがる障害物、しばらくその基盤そのものを脅かすかのように見える障害物そのものに遭遇し効果的にそれらを克服しなければ、またそうするまでは、その輝きの全てをあらわすことはできないのです。そのような障害物や試練や困難は、まことにそのように変装した祝福であり、そのようなものは信教を促進するのを援助せざえるを得ないのです。
(ある信者へ、7/31/35)
30....彼は....における大業の敵、特に聖職者関係の人々がその中心地区の信者らに向けている。継続的で悪意ある敵対について知り、まことに悲しんでおられます。しかし彼は、(ほんの)少しでも気を落としたり、落胆したりせぬよう、しかし自分たちを待っている栄光ある未来に確信を抱いて、信教を広め確立するという神聖なる任務に新たな決意と和合と精力を持って従事するよう、友人たちに催促することをあなたに望んでおられます。迫害の数が増え、それらの性質が激しくなればなるほど、彼らの信念はバハオラによって委託された独特な使命においてより深くなるべきであり、その完全ある実現を早めるのを助ける熱意も深くなるべきであります。
この大業はあらゆる神の大業と同じように攻撃する敵対の精力に遭遇し勇敢にそれに勝たなければ効果的に確立されえないのです。心境の歴史そのものがそれに関する十分な証拠です。試練と迫害は、常に神の選ばれし者らの運命でしたし、また、そうあり続けるでしょう。しかし彼らはこれらのものをそのように変装した祝福であると考えるべきです――なぜならそれらを通して彼らの信念は活気づけられ、清められ、強められるのですから.バハオラはそのような苦しみの試練を、神の大業のランプにさされる油にたとえておられます。
したがって友人たちは迫害に直面するにあたって、単に放棄の態度をとるべきではありません。彼らはむしろそれらを歓迎し、自らの精神的効用と大業の促進のための手段として用いるべきです。信教がさらに強くなり、外部の世界の真剣な注目と考慮を引き付けるにつれ友人たちは世俗的な方面と宗教的な方面の両方においてあらゆる方面から、その存在そのものを弱めようとして一団に集められる敵対の勢力が同じように増す――それが(信教の発展よりも)さらに大きなものでなくとも――ことを予期しなければなりません。そのような奮闘の最終的な結果――それは確かに多大なものであることでしょうが――は、われわれ信者にとって明らかなのです。神から生まれ、神のすべてにみなぎる聖なる精神によって導かれている。信者はそれが戦わねばならない勢力がいかに粘り強く陰険なものであっても、最終的には勝利を得、しっかりとそれ自身を確立せざるを得ないのです。友人たちは確信を持ち、最高の英知と中庸でもって行動するべきであり、特にいかなる挑発的な行為を控えるべきであります。未来は確実に彼らのものなのです。
(ある信者へ、6/24/36)
31....彼の恐れはむしろ信教の内部で神秘的に作用している聖なる力について十分に理解していないためにそのような出来事を大業の死の鐘の音を成していると見てしまいがちな人々に対するものです.過去数週間に...(の)友人たちにあてられた通信の中で彼は常に次の事を強調なさっておられましたし、それはあなたが彼らとの会話や通信におけるあらゆる尽力において彼がしてもらいたいと望んでおられることです――つまりそれは大業が遅かれ早かれあらゆる種の攻撃や迫害を受けるように決まっているということ、そしてこれらのものは実は大業の機構の生命の血管を成し、それで大業の発展と成長における切り離すことのできない内在的な部分を成している、ということです。試練や苦難は、バハオラがおっしゃるように大業のランプにさされる油であり、まことにそのように変装した祝福なのです。それで、(そこの)友人たちは大業が今、...で受けている攻撃は大業の発展の必要な部分であり、それらの攻撃の結果はその「大業の」最高の利益のために役立つのであると確信を持つべきです。
(ある信者へ、8/31/37)
32....後になると、つまり一方では大業の進歩そのものと他方ではそれに従って起きる聖職者の組織の衰退が必然的にキリスト教会の指導者らを刺激して彼らが信教を激しく攻撃しそれを弱めるようにさせるときには、信者らは大業を守り、擁護する。...真の機会を持つでしょう。
(ある信者へ、5/25/38)
33....教会と聖職者らが継続的に「真理」をその信奉者らに受け入れる準備をするように勧告しますが、あらゆる時代においてその教会と聖職者ら自身が常に、その「真理」の最も激しい反対者であるというのは奇妙かつ残念なことであります。彼らはあまりにも形式に愛着を持ってしまったために中身を逃してしまっているのです。
しかし、あなたの牧師さんがあなたとバハイ信教に対して公になした非難は、まったく大業を傷つけることはできません――それどころか、それらの非難は、大業の名を広め、それが独立した宗教であることを示すので役立つだけなのです。
(ある信者へ、2/17/45)
34....幾人かの友人たちが教会の指導者らの圧力のために信教から去っていったというのはまことに残念なことです。もちろん教会の指導者が私たちに反対するということは必然的なことでした。「師」もこれが起きることを予期なさっておられました。また、同じように、信教が成長し発展し、教会からメンバーを奪っていく手段となる出来事の資質そのものが私たちに対する教会の反応を引き起こすでしょう。私たちは、過去における宗教的指導者らのあらゆる攻撃が信教自身の発展の手段であったことを年頭においておかねばなりません――それは、攻撃に耳を傾ける人々は、信教の純潔性と誠実さにより影響を受けざるを得ないからです。
(ある信者へ、6/19/57)
5) 万国正義院が書いた手紙より
35.バハオラの御名において得られたすばらしい勝利と...あらゆる地においてバハオラの軽信的で熱心な愛人たちが(今も)ますますと達成している勝利は、疑いなく信教の内からの敵と外からの敵を呼び起こし、信教を攻撃しその支持者らの熱意をくじこうという新たな試みへと刺激するでしょう....
....神の信教の進歩的な展開と前進は必ずや敵を出現させ、疑うことなく来るべき世界的な反対を予見し、明白に、最終的な勝利を確実にするのです。
私たちは...彼らが次のようなことをする時がやってきたと強く感じております――つまり咲きに待ち構えている重大な戦いが必然的であることをはっきりと把握し、「神がその神秘的な摂理を通して内部と外部に出現させられるであろう敵と現在の敵」により彼らに向けられる「投げ矢」を確信と決意を持ってはねつけることにおいてあなた方に全面的な支持をすること、そして神の信教がより高遠な位置へと登り、著しい勝利をさらに得、完全なる勝利と世界的な優勢へとつながる。その前もって定められた進路におけるさらに重要な段大を通過していくことに援助し、またそれらを可能にするということです。
(全ての全国精神行政会へ、11/26/74)
6) 万国正義院の代理により書かれた手紙より
36....万国正義院は、次のことを述べるよう私たちに指図された――つまり、信教の教えをゆがめ、その業績を汚し、その「創始者」たちや指導者阿智をののしり、その基盤そのものを破壊しようとする本が、信教に対抗して書かれるであろうことが予期されているということです。友人たちは、このような本が出されたときには過度に心を煩わせるべきではありませんし、また、確かにそれらの本を問題にすべきではありません。
(あるNSAへ、3/30/76)
37.あなた方の布教と宣布の活動が進歩を遂げるにつれ....の古い宗教的機構がますます対抗してくるはずであり、(バハイの)大業に敬意をもたらし、バハオラの確証を引き付けるのは...が示しているようながんとした態度なのです。
(あるNSAへ、6/7/81)
38....今、バハイたちはイスラム教国の国々における(バハイ)信教の敵の間に狂信の火がつけられるであろうことを予期できます。友人たちは攻撃に直面するとき確固さと勇気の精神を愛と英知と結合することを学ぶべきです。彼らは、議論や衝突を避け、報復などの念を起こさせないように振舞うべきです。これには、布教活動において思慮分別を活かすことも含まれています。
(あるNSAへ、8/22/83)
39....世界のほとんどの部分において宗教的な頑迷を正統派(キリスト教)が起こっていることを考えるとあなた方の全国行政会がバハイの人々をこの本の中に出てくるような攻撃に対して装備させるよう勤めるのは時を得ていることでしょう――このような本はキリスト教教会が取るアプローチの典型的なものなのですが、あなた方もご承知のように遅かれ早かれ、これらの教会は(バハイの)大業に対抗して立ち上がるでしょう。
それであなた方はおそらく小冊子のようなもののために適した資料を準備するよう資格のある人がグループに頼むことを考慮するよう依頼されているのです――そのような小冊子を友人たちはキリスト教徒らがバハイの教えを不正確に述べることに対処するにあたって使うことができます。
(あるNSAへ、10/18/84)
U「バハオラの信教の抵抗しがたい行進」(ショーギ・エフェンディ:MA, p.51)
1) バハオラの書からの抜粋
40. 言挙げよ――苦難はわが啓示の上に地平線である。恵みの昼の星はその上に輝き人々のたわいなき空想の雲や攻撃者の無駄な想像も薄れさすことのできない光を放つのである。
汝、汝の主の足跡をたどり、無頓着な者らの叫びや敵の剣によっても引き留められることなく、主のしもべらのことを憶えておくがよい。ちょうど主が汝のことを憶えていておられるように...汝の主の甘い芳香を四方八方に広め、主の大業への奉仕においてほんの一瞬であってもためらうなかれ。常にお許しになり、最も恵み深き御方なる汝の主の勝利が宣告される日が近づきつつある。
(GL(E); XVII, pp.42-43)
41.この律法時代において何の価値もなく愚かな者らが....神の力の『御手』により灯された『ランプ』を大虐殺や略奪や追放といった手段で消すことができる。あるいは永遠に輝く『昼の星』を暗くすることができる、といかにたわいなく想像しているか見るがよい。そのような逆境はこの『ランプ』の火をあおる油であるという真理を彼らはいかにまったく知らずにいるよう見えることか!神の(物事を)お変えになる力とはそのようなものである.神はお望みになることをすべてお変えになる――神はまことに万物を征する力をお持ちである....
(GL[J],XXIX,pp.27-28:rev)
42....言挙げよ――世界とその人々の激しい強風や旋風は決してわが選ばれし者らの岩のような安定が置かれている基盤を揺るがすことはできない。全く驚いたことだ!一体何によってこれらの人々は「永久の真理」なる御方の愛されし者らを奴隷にし、投獄するようしむけられたというのだろう?...しかしながら、忠実な者らが正義の『昼の星』が栄光の『夜明け』からその最高の光輝にて輝くのを見る日が近づきつつある。全生存の主はこの彼の悲哀なる「牢獄」にて、かくのごとく汝に指図する。
(GL(E), CLXII, pp.341-342)
43....新たな苦難のたびに、彼はあなたの大業をより大きな程度に顕示し、あなたの御言葉をさらに賛美したのです。
(PM,P.37)
44....もし彼らが彼の光を大陸にて隠そうと試みるなら、彼は必ずや大海の真中にてその頭を上げ,声を上げてこう宣言するであろう――「われこそは世界に生命を与えるものなり!」...また、もし彼らが、彼を暗き穴の中に投げ込むならば、彼らは彼が地上の最も高いところに座し、全人類に向かって大声でこう叫んでいるのを見出すであろう――「見よ、「世界の望み」はその威厳と主権と超越した統治権においてやってきた!」また、もし彼が地中深く埋められたなら、彼の「精神」は天空の最高点へ舞い上がって次のような呼び出しの声をとどろかせるであろう――『汝ら「栄光」の到来を見るがよい。なんじら、最も神聖にして恵み深く、全き力に満ちたもう御方なる神の御国を目撃するがよい!』
(WOBに引用された言葉から、P.108)
45....今、このときにおいてわれは、わが愛されし者らを思い起こし、神のしくじることなき恵みの喜ばしい知らせと、わが明白な『書』において彼らに与えられている事の喜ばしい知らせを彼らに伝えん。汝らはわが愛のために敵の非難に耐え、不信心な者らが汝らにしかけたはなはだしく残酷な仕打ちをわが道において確固とした態度にて耐えた.これについては、われ自身証言する。そしてわれは全てを知るものなり。神のために汝らの血によって崇高された土地の数は何と莫大なことか。汝らの嘆きの声が上げられ、汝らの苦闘の泣き声が上げられた町は何と数多くあることか。また、残酷な軍勢により汝らが投げ込まれた牢獄は何とたくさんあることか。彼は汝らに勝利をお与えになり、世界の人々の間で汝らの地位を高め、全ての国々の見据える前で汝らの高い地位を実証してくださるであろう事を確実に知るがよい。確かに神は行為をお持ちになった者らの報いが失われるようにはなさらないであろう。
(TB.Pp.246−247)
46....まことに神は、あるときはその敵らの助けを通してその大業に勝利をお与えになり、またあるときはその選ばれし者らの援助により大業に勝利をお与えになる。それらの清き祝福されたるものらに関して、わが『栄光のペン』は、全世界とその宝とそこに存在する全てのものに勝るものを啓示した。やがて無頓着な者らと邪悪なことをする者らは、自らの手が成したことの報いを受けるであろう。
(新しく英訳された書簡より)
47.生存の世界で起きることはすべて、彼の愛されし者らにとって光であり、扇動と争いを起こす者らにとっては火である。たとえ、世界の全ての損失が、神の友人の一人によって耐えられたとしても、その友人はそれらの損失によって益を得るであろう。しかし、真の損失は片意地で無知で軽蔑的な者らが受けるのである。次の言葉を発した者は逆の意味でそう言ったのだが、われはそれが、神の不変なる御心の作用に関連していると思う――『偶にせよ奇にせよ、汝はかけ金を得るであろう。』紙の友人たちは全ての条件の下で勝ち、益を得、真の富を得るのである。彼らは、火の中にあっては冷たいままであり、水からは乾いたままで出てくる。彼らの業務は人々の業務とは異なるのである。取引がどのようなものであれ、彼らは益を得る運命にあるのである。これについては、識力ある眼を持ったあらゆる賢き者と、聞く力を持ったあらゆる公平な心の持ち主が証言する。
(新しく英訳された書簡より)
2) アブドル・バハの書と発言より
48.神の友人たちは天上の国王により支えられており、最も偉大なる導きの一団となった軍隊を通して勝利を得るのである。このようにして彼らにとってあらゆる困難は滑らかにされ、あらゆる問題は最も簡単に解決されるのである。
(SWAB,p.279)
49....やがて西洋の地域は、東洋の地平線のように輝かしくなり、『真理の太陽』は過ちの暗黒を消え去らせ絶滅させる光輝を持って輝き出でるであろう。あなたに反対して立ち上がり、あなたを圧迫し非難の声を浴びせ、あなたの不幸を見て喜び、あなたを避けるべき人としてみなし、あなたを傷つける人々――そのようなことをする人々は大多数である。しかし、あなたの天なる『父上』は、陰気な雲を追い払い地球の表面を光で満たすように現れ出でる太陽の光線のようにあなたがなるほどの精神的な証明をあなたに授けて下さるであろう。これらの試練が襲い掛かってきたときは、常にあたなは確固とした態度を保ち,辛抱し、忍耐強くあらなければならない。あなた方は同じようなことを持って仕返しをするのではなく、反対の行為に対しては最高の慈悲と慈愛をもってこたえ、いかなることがあっても、残酷な行為や(与えられた)害を重要視してはならず、むしろそれらを子供らのわがままな行為としてみなすべきである。なぜなら、最終的には御国の輝きが生存の世界の暗闇を圧倒し、あなた方の目標の神聖にして崇高な性質がまちがいなく明らかになるであろうから。隠されたままで明らかにされないものは何もないであろう――オリーブ油は、地下室の最も置くに貯蔵されていても、ある日(かがり火)の頂点のランプから赤々と燃え上がるのである。小なるものは大なるものへと変えられ、無欲なものは力を与えられるであろう。歳が(まだ)幼いものらは、御国の子供らとなり、道からそれてさ迷ったものらは、その天なる家へと導かれるであろう。
(新しく英訳された書簡より)
50....汝は、汝の国における神の大業の発達程度について書いた。紙の信教がその地において日毎に進歩するであろうことは疑いのないことである。なぜならそれは、聖霊の強さを授けてくれる力と神の御言葉の確証によって援助されるであろうから。また、キリスト教聖職者のメンバーらが執念深い敵意感にて、それ(信教)に対抗して立ち上がり、汝を傷つけ圧迫したいと望み、疑いによって汝を襲おうとすることも疑いのないことである。なぜなら、神の大業が広まることはかれらの富を衰えさせ――ちょうどパリサイ派の人らの富がその目前にて衰えていったように――また、彼らが今人々の間で有している威厳や地位を失うことを伴うからである。
イエスの時代とユダヤ教の聖職者らやパリサイ派の人々がなした行為について黙考せよ。そのような行為はこの日、これらのキリスト教聖職者らにより繰り返されるであろう。しかし動揺するなかれ,確固とし、堅固であれ。なぜなら、一団の者らが限りなき愛もて、神の御国に入るために立ち上がることは確かなのだから。これらの者は、あなた方がその聖職者らから受けた苛立ちや屈辱や軽蔑の償いをあなた方にするであろう――後者のものらが与えた害に対して彼らは優しい行為をもってこたえるであろう。そしてついには以前の時代の経験が示しているように御国の子らは優勢を得、勝利を得るであろう。汝ら、これについて確信せよ。
(新しく英訳された書簡より)
51.神の大業に仕えようと立ち上がる者はすべて迫害され、誤解されるであろう。これは、今まで常にそうであったのだし、これからも常にそうなのである。敵によっても友人によっても、あなたの落ち着きをかき乱させ、あなたの幸せを破壊させ、あなたの成し遂げることを妨げさせてはならない。神に完全に頼るがよい。そうして、迫害や悪態はあなたをさらに輝かしいものになすであろう。あなたの敵の計画は彼ら自身に跳ね返っていくであろう。あなたではなく彼らが苦しむであろう。圧迫は髪の愛の火をあおる風なのである。迫害や辛らつを喜んで迎えるがよい。兵士は武器を持っているかもしれないが、戦闘において敵に直面するまでは国王の軍隊において役目を得たことにはならないのである。何事によっても負かされてはならない。神があなたの援助者であられる。神は無敵であられる。天なる聖約において確固としていよ。力を得られるよう祈るがよい。状態がどれだけ困難なものであろうと、それはあなたに授けられるであろう。
(SW,vol.4,No.5 [6/5/13] p.86: 改訳された英訳より)
52. さて、もしあなたがバハオラの教えに従って行動するならば、あなたは自分が援助され確証されると確信できるであろう。あなたは取り組む全てのことにおいて勝利を与えられ、地上のすべての住人はあなたに抵抗することができないであろう。あなた方は征服者なのである。なぜなら、聖霊の力があなた方を援助するのだから。あらゆる物質的、現象的力を超えて、聖霊そのものがあなた方を援助するであろう。
(SW,vol.8,No.8 [8/1/17] p.103: 改訳された英訳より)
3) ショーギ・エフェンディの文書からの抜粋
53....来るべき日々にもしその地が様々な苦難や惨事によって襲われるなら、現在の活力に広く行き渡った民間の騒乱の勃発が加わるのです.もし、その国のすでに暗き地平線がさらに暗くなる前兆となるならば、あなた方は恐れと落胆によって満たされるべきではありませんし、また、あなた方が今まで進んできた十分に熟慮された健全な進路からほんの少しでもそうされてはなりません――それは、つまりバハイ行政機構の数を増加させ、その基盤を強化し、彼らが持つ美しい名前を引き立たせ,彼らがいる関係と立場を強化するという粘り強く根気強く普段の努力を続けることからそれないようにするということです.この虐待された罪のない共同体を束縛のかせから解き放ち、敵や圧制者の手中から救い出すことには全般的な騒乱や騒動を伴わざるを得ないのです。同じようにバハの人々が真の栄養と安楽と平穏を得る地位に達することには必然的に彼らに対して敵意感と憎悪の念を抱く全ての人々の敵意と抵抗と反対の声と騒々しい講義に出会わざるを得ないのです。それでもし、逆境の海の混乱の水がさらに荒れ狂ったなら、そして苦難の嵐が激しさを増し、その激しい試練を受けた共同体を六つのあらゆる側から新たな惨事を持って攻撃したなら,ためらうことなく,また揺らぐことのない確信を持って次のことを知るべきです――つまり、過去の約束がその栄光ある実現を見るという救いのとき、約束されたときが近づき、その国々で強い圧迫を受けた『最大名』の信奉者らが最高にして栄光ある勝利を得るための手段が全て整い、準備されたということです。バハの人々がこの残りのいくつかの段階を通過するのに成功するには、そして最高のレベルにおいて、また彼らを驚異で満たすようなやり方でその最も なき暴徒その最も深く抱かれた望みの実現を目撃するためには、目的の固定と揺らぐことのない決意というのがバハの人々が示さねばならない特質であります。神のやり方とはそのようなものであり――『そして神のご慣行に変更を見るような子とは決してない』
(1/11/28: ペルシャNSAのメンバーへ(ペルシャ語からの英訳より))
*コーラン :62 48:23(勝利の章)
54....わたしたちは、奮闘しているバハオラの信教の感動すべき光景を離れて見ながらも、次のようなことをするのがふさわしいのです――つまり、この大業に降りかかることはいかなるものであれ、たとえときおりその(大業の)有機的な生命を脅かしたり、苦しめたり、バハイ信教の強制期間の機能に干渉したりするように見えるかもしれない災禍がいかに重大なものであり,屈辱的なものであろうと、そのような惨事はそれぞれ結局は、バハオラの主権をこの地上に確立し、強化するよう、われわれ全てには不可知なる『英知』により意図された、変装した祝福であることを証明せざるを得ないものであるということを熟考することから永続的な慰めと力を得るように求めるということです。
(1/1/29: BA, p.164)
55....遠く、あるいは近くの国々において[信教の]内部と外部からその光を消し、その聖なる名前を消し去ろうと企まれた勢力は数多く、また強力なものであります。ある者らはその[諸々の]原則を捨てさり、恥ずべきことにその大業を裏切ったのであります。また、ある者らは,いかなる聖職者の機構の憤慨した指導者らが発することのできる最も激しいのろいの言葉をそれに対して浴びせたのであります。さらにある者らは統治権をもつ権威者のみがその最高権力において与えることのできる苦闘と屈辱をそれに対して浴びせたのであります。
その公言した、あるいは秘密の敵らが[なしとけることのできた]最大のことはせいぜいその進歩を遅らせ,その目的を一時的に不明瞭にすることくらいでした。彼らが実際に成し遂げたことは、その生命を洗い清め、添えをより深い状態へと奮い立たせ、その魂を[急激に]活動させ,その[諸々の]機構を刈り込み、その和合を固めることだったのです。その信奉者らの巨大な集まりにおける永久の分裂、分派――これは、彼らは決して作り出すことができなかったのです。
その大業を裏切った者ら、気乗り薄く、臆病な支持者らは、衰え、枯れた葉のように散っていき、その[信教の]輝きをさえぎったり、その構造を危険にさらすこともできなかったのです。その最も手ごわい敵、外部からそれを攻撃したものらは権力から放り出され、最も驚くべき姿で、滅んでいったのです。ペルシャはそれを最初に圧迫し、反対した地でした.その君主らは悲惨にも倒れ,彼らの王朝は崩壊し、彼らの名前は呪われ、彼らの同盟であり,衰えていくその国家を支えていた階級制度は全く信用を失ってしまったのです。トルコは[信教の]『創始者』を三度追放して残酷な終身投獄によって苦しめたのですが、その国はその歴史に記されている中で最も激しい苦難と遠大な革命のひとつを経験し、最も強力な定刻のひとつから小さなアジアの共和国へと後退し、そのスルタン制は抹消され、その王朝は打倒され、イスラム教の最も強大な機構であるカリフ制も廃止されたのです。
その間、そのように途方もない裏切りの対象とされ、そのように悲惨な攻撃の的とされた『信教』は力を増し、受けた傷によってくじけたり、分裂したりすることなく[徐々に]前進していったのです。試練の最中にあって、それ[信教]は、いかにすさまじい障害物であれ、弱めることのできないような決意によってその忠実なる信奉者らを奮い立たせていたのです。それはいかに暗い不幸でさえも消し去ることのできない、信念を彼らの心の中に灯していたのです。それは、いかに決然とした勢力も打ち砕くことができないような希望を彼らの心の中に吹き込んでいたのです。
(3/11/36: WOB, pp.195-196)
56....全能なる御方の不可解なる英知により、彼の選ばれたる共同体を苦しめることが必要とみなされたあらゆる外見的な試練は、その本質的な団結性を新たに実証し、その内的な強さを強める異ことに役立つだけなのです....
『最大名』の『共同体』に属すると自らをみなす者らは、常に油断のない摂理の仲裁の実証に対して、永久に感謝の念を感じなくてはなりません。一方では彼の耐えることの無い祝福のあらゆる新たな印から、もう一方では彼の訪問のあらゆる新たな印から、彼らは、多大なる希望と有機を得るしかできないのです....
数においては少なく、あなた方の経験と能力と資源においては未だに限定されているのでしょうが、あなた方の使命に活力を与える『勢力』はその範囲において限りなく、その力においてはかり知れないのです。あなた方の使命の進歩が加速的に増すことが全てもたらさなければならない敵らは激しく、数多く、情け容赦ないかもしれません。しかし、目に見えざる『軍勢』は――それは、もしあなた方が粘り強くやり直すなら、約束された通り、あなた方を援助するためにやってこなければならないのですが――結局はあなた方が、彼らの望みに打ち勝ち、彼らの勢力を破壊するのを可能にしてくれるでしょう。あなた方の使命の完成を飾るべき究極の祝福は、疑う余地の無いものであり、あなた方に与えられた髪の約束は堅固なるもの、かつ取り消し不可能なものなのですが、[それでもなお]あなた方ひとりひとりが刈り集めなくてはならないよき報いの程度は、その使命を拡張することと、その勝利を早めることに貢献するあなた方の日々の努力の程度に依存しなくてはならないのです....
(12/25/38:ADJ, p.2; p.16)
57. 親愛なる友人たちよ。敵らの盲目的な憎悪と限りない推測と、信じがたいほどの愚かさと、卑劣なる不実と誇大な野心とが断続的に心境の領域内に生じさせた悲劇的な危機は多様であり、様々であり、そして時折は極端に危険なものでありました。その最も強力にして著名なる信奉者らから、そのかつては信頼され最も有能であった伝道者や擁護者や行政者の手において、またその最も敬され、高い地位を授けられた信託者ら――それが信教の『先駆者』または『創始者』またはその『聖約の中心』の擁護者であれ、秘書であれ、指名された[上官]代理にせよ――から、また堅自社の親族として数えられている者ら――バハオラの弟や息子らや娘らそしてバブご自身によって指名された人物をもその例外ではない――の中からでさえも、そのように幼く、またそれほど貴重な約束を秘めた信教は、世界の宗教的歴史に記されているような悲惨で不実な打撃に耐えたのであります。
その騒乱に満ちた歴史の記録のあらゆるページは、新たな機器について描写し、新たな惨事の描写で埋まり、卑劣な裏切りの出来事について語り、言うも言われぬ残酷行為の話によって汚されているのですが、その記録からは次のような明白で議論の余地が無い、最高なる心理が現れ出でてくるのです――つまり、内部からにせよ、外部からにせよ、信教に対して新たな敵意が示されるたびにその度合いに応じた信教の用語を支え敵を困惑させる恵みのほとばしりが神意によって放たれ、信教の前進への新たな拍車を伝えるのです。そして他方では、その刺激は代わってその顕現を通して、これまでその挑戦的な意味に気づかずにいた領域に新たな敵意感を呼び起こすのです――このさらに増した敵意感はさらにもっと注意をひくなどの神の御力の啓示と、天なる恵みのさらに豊富なほとばしりを伴うのであり、そしてこの神の御力の啓示と天なる恵みのほとばしりは、その信教の擁護者らが勇敢な勝利をさらに得るのを可能にすることにより、さらに肝要な問題を引き起こし、さらに手ごわい敵を大業に対して現すのです――そしてその大業とは、その内在的な力のさらに英光ある展開を通して、結局はそれらの問題を解決し、それらの敵の抵抗を粉砕せざるを得ないのです。
バハオラの信教の抵抗できない進行は、このような見地から見ると、またその敵らの無思慮にその信教の内部に潜在する勢力の両方によって生ぜられた刺激的影響力により推進され、それ自身をいくつかの連続したリズミカルな鼓動へと変えていくのです――そしてこれは、一方では、その敵らの爆発的な激発と他方では神の御力の振動を通して早められるのです――さらにこの敵らの激発と神の御力の振動は、その[信教]のために全能者の御手により描かれた、前もって定められた進路に沿って、常に勢いを増しながら、それを速めるのです。
信教への反撃はいかなる源から現れようと、また、いかなる形態を有していようと、そしてその激発がいかに激しいものであろうと、疑いもなく、原動力であり、その原動力は一方ではその勇敢な擁護者らの魂を急に活動させ、もう一方ではその神聖にして尽きることのない[活力]の新たな[源]泉を彼らのために掘り出すのです――その利益を代表し、擁護し、促進するように求められている私たちはいかなる敵意の現れをも、信教の支え柱が弱まっていることのしるしなどとみなすどころではなく、それを神が送って下さった贈り物かつ神が送って下さった貴下として歓呼して迎えるべきなのであります――そしてこの贈り物と機会は、もし私たちがくじけずにいるなら、私たちは、神の信教を促進することと、その敵らを負かし、完全に除去することのために利用することができるのです。
信教の『英雄時代』*は、苦闘の内に生まれ、逆境において育てられ、生誕のときと同じくらい悲惨なる試練において終わりを迎えたのですが、それは『形成時代』によって引き継がれ、この時代は信教が放った創造的な力が徐々に具体化するのと、またそれらの力が機能するようにされているあの『世界秩序』が続いて出現するのを目撃するべきものなのです。
*1844〜1921(N.S.)
この具定価と出現により引き起こされるべき変劇は激しく、また容赦ないものでありましょう。それが呼び起こさなければならない。また呼び起こすであろう警報、それが確実に引き起こすであろうねたみ、それが無慈悲にも受けるであろう誤伝、それが遅かれ早かれ耐えなくてはならない後退、それが結局は引き起こさねばならない騒動、それが最終的にはたくわえなければならない実、それが必然的に授けなければならない祝福、そしてそれが抑えることができずにもたらさなければならない栄光に満ちた『黄金時代』――これらのものは今ようやくかすかに気づかれ始め、それほど途方もない『啓示』の重みの下に古い『秩序』が崩壊するにつれ、ますます明らかになり、また注意をひくものになっていくでしょう。
(8/12/41:MA [1932-1946], pp. 50-52)