聖約

 

バハイ文書からの抜粋・編集

(万国正義院研究課編集)

 

 

 

T聖約: 「神と人間とを結び付ける約束事」

 

1. 神がしもべらに定めた最初の義務は、神の啓示の曙であり、神の法の源泉であり、神の大業の王国と創造の世の双方において神の地位を代表する者を認めることである。この義務を果たしたものは、何人であれ、すべての善に達したものである...この最も崇高なる地位、この超越した栄光の頂きに達したものに求められることは、世界の望みの的である者の法のすべてに従うことである。(つい)をなすこれら二つの義務は不可分である。どちらも単独では受け入れられないのである...神より洞察力を授けられたものは、つぎのことを容易に認めるであろう。神の定めた教えは、世の秩序の維持と人々の安全のための最高の手段である...おお、理解ある人々よ。急ぎ行き、心行くまで飲むがよい。神の法を破ることによって神の聖約に違反し、背を向けたものは、嘆かわしい過ちを犯したものとして神の目に映るのである。神こそはすべてを所有し、最も高遠なり。(バハオラ:「落穂集」 155番)

 

2. ...したがって、汝らは世俗の欲望を追ってはならない。神の聖約を侵してはならない。神に対する自らの約束を破ってはならない。確固たる決意と、自らの心に宿るすべての熱意と、自らの発言の最高の威力をもって彼に向かえ。愚かなるものの道を歩んではならない...汝らを創造主にむすびつける絆を絶ってはならない。過ちを犯し、神の道を遠くはずれるものとなってはならない。(バハオラ:「落穂集」 153番)

 

3.  汝への祝福は大いなるものなり。なぜなら汝は神の聖約と遺訓に忠実であったが故に...強情で、無思慮な者らみなが眠りから目覚めるほどに、汝の主の大業への奉仕に身を捧げ、汝の心に神の記憶を抱き、神を賛美せよ。(バハオラ:Tablets of Baha’u’llah Revealed after the Kitab-i-Aqdas 「アグダスの書の後に啓示されたバハオラの書簡」, p.262

4. ...あなた方は、他の者らの中にあって太陽のごとく輝かしく、卓越した存在として際立つよう振るまうべきである。ある町を訪れたなら、その誠実さと忠実と愛、正直と忠誠と真心、また世界中の万人に対する優しさによって人々を引きつける中心とならねばならない。そしてその町の人々が、声高らかにこう言うほどにならなければならない。「この人はまちがいなくバハイである。なぜなら、彼の態度、振るまい、行動、品行や性質や意向はバハイの属性を反映しているから。」 このような状態に達するまでは、あなた方が神の聖約と遺訓に忠実であったとは言えない。神は反ばくできない教典を通して私たちすべてと聖約を交わされ、私たちは神の聖なる導きと勧告に従って行動することを求められているからである。 (アブドル・バハ: Selections from the Writings of Abdu’l-Baha 「アブドル・バハの書簡選集」, p.71

 

 

 

U.「すべての神の顕示者がその従者らと交わす大聖約」

 

そのパターン

 

5. 宇宙の主は人類と聖約を結び、次に続く啓示および聖典を受け入れるよう呼びかけるのでなければ、預言者を遣わされることも、聖典を下されることも決してなかった。何故なら、神より放出される恩恵は無限であり、途絶えることもないからである。(バブ: Selections from the Writings of the Bab 「バブの書簡選集」, p.87

 

6. アブラハム―彼に平安あれ―はモーゼに関する聖約を結び、モーゼの到来の吉報を告げた。モーゼは、約束された救世主に関する聖約を交わし、この世にキリストが出現するという素晴らしい知らせを発表した。キリストは救世主に関する聖約を交わし、その到来を知らせた。預言者ムハンマドはバブに関する聖約を交わし、その到来を告げていた。バブはムハンマドによって約束された御方である。バブは、「祝福された美」バハオラに関する聖約を交わし、バハオラの到来という吉報を告げた。「祝福された美」はバブによって約束された御方である。バハオラは、一千年、あるいは何千年か後に顕されるであろう約束された御方に関する聖約を交わした。その顕示者はバハオラによって約束された御方であり、一千年、あるいは何千年か後に出現するであろう。バハオラはさらに、その最高のペンをもって、すべてのバハイと重大な聖約と遺訓を確立された。それによってバハイはみな、バハオラ亡き後は「聖約の中心」に従い、その中心から一寸たりとも逸れることがないようにと命じられたのである。   (アブドル・バハ:The Baha’i World Faith 「バハイ世界信教」, p 358, ペルシャ語から翻訳された書簡より)   

 

 

バハオラの到来

 

7. おお、わが主よ。この日こそは、あなたがご自身を顕し、その輝きを放ち、あなたの創り給うたすべての創造物の上にまぶしく輝く日であると全人類に告知されていた日であります。さらにあなたは、あなたの諸々の書や聖典、巻き物、書簡で、あなたの啓示の夜明けたる御方に関して全人類と聖約を結ばれました。そして、バヤンを、この最も偉大で栄光に満ち給う顕示者、この最も輝かしく最も荘厳なる出現の先駆者として定め給いました。  (バハオラ: Prayers and Meditations of Baha’u’llah 「バハオラの祈りと瞑想」, p.275   

 


次の顕示者に関するバハオラの聖約

 

8. まことに神は、神が顕し給う御方を立ち上がらせ、その後にも神は望み給う者を立ち上がらせられるであろう。ちょうど「バヤンの点」以前に予言者たちを下されたように。まことに神は全てを支配し給う。   (バブ:Selections from the Writings of the Bab「バブの書簡選集」, p. 144 

 

9. 丸一千年が経たないうちに神から直接啓示を受けたと主張する者は、誰であれ、偽りの詐欺師に違いない...コーランの暦による12ヶ月からなる年、あるいはバヤンの書による19ヶ月からなる年が、丸一千年経たないうちに、例え神の徴を全部汝の目の前に顕わすような人物が現われたとしても、ためらうことなくその者を拒否せよ! (バハオラ:「バハオラの時代」、『アブドル・バハ』)[The World Order of Baha’u’llah 「バハオラの世界秩序」 p.132

 

10.「真理の昼の星」が真夏の光輝をもって再び輝くまでに、あるいはその春季の光栄の光輝で再度出現するまでには、何世紀いや数え切れぬ世代が過ぎ去らなければならない...将来、「雲の影の下」にやってくる顕示者たちについて言えば、彼らの霊感の源泉に関する限り、誠に彼らは「古来の美」の影の下にあることを知れ。しかしながら、彼らが出現する時代に関しては、彼らは各々「意のままに為す」のである。(アブドル・バハ:「世界文明の展開」)[The World Order of Baha’u’llah「バハオラの世界秩序」 p.167] 

 

 

V.小聖約: 「バハオラがアブドル・バハに関して従者らと交わされた約束事」

 

任命

 

11. アグサン(バハオラの息子や子孫)、アフナン(バブの親戚とその子孫)その他の親戚は、一人の例外なく、「最大の枝」(アブドル・バハ)に顔を向けなければならない。我が「最も神聖なる書」に啓示したことを熟考せよ――「わが出現の大洋が引き去り、わが啓示の書が終わった後、この古の根より生えた、神が定め給うた者に顔を向けよ。」 この聖句が指している者は 「最大の枝」(アブドル・バハ)に他ならない。われはこうしてわが効力溢れる御心を表わした。われは、まことに慈悲深い、全能なる者である。(バハオラ:「バハオラの時代」、『アブドル・バハ』)[The World Order of Baha’u’llah 「バハオラの世界秩序」, p. 134

 

12. 「アグダスの書」の明白な文章によって、バハオラは「聖約の中心」を彼の言葉の解釈者とされた。この聖約はあまりにも確固として権威あるものなので、時が始まって以来、いかなる宗教制もそれに類するものを生み出したことがない。(バハオラ:「バハオラの時代」、『アブドル・バハ』)[The World Order of Baha’u’llah 「バハオラの世界秩序」, p. 134

 

13. 今日、最も重要なことは聖約に確固としていることである。なぜなら、聖約に確固たることは意見の相違を防ぐからであるバハオラは、我(アブドル・バハ)が約束された人物であるといった聖約を結ばれてはおられない。そうではなく、アブドル・バハは聖なる書の解説者であり、彼の聖約の中心であるということ、そしてバハオラが約束された御方は一千年または何千年も後に現れるということ。これが、バハオラの結ばれた聖約である。もし人がそれから逸れるなら、その者はバハオラの御敷居において受け入れられない。意見の相違が生じた場合、アブドル・バハに尋ねなければならない。彼らは、彼の望みに沿うようにしなければならない。アブドル・バハの後、万国正義院が組織されたときは、その万国正義院が意見の相違を防ぐであろう。 (アブドル・バハ: Star of the West 「西の星」, vol.4, no.14, Nov.1913, p.237-238

 

14.過去の時代には、まことに様々な宗派的信条による分裂や争いが起こった。何か新しい考えを抱いた人はみな、それを神からのものであると主張した。バハオラは、バハイの信者間に意見の相違を生じさせる、いかなる素地や理由もないようにと望まれた。ゆえに、バハオラはご自身のペンで「聖約の書」を記し、自らの親族や世界中の全ての人々に対して次のように語られた−「まことに我は、わが聖約の中心なる人物を定めた。すべての者は彼に従い、彼に顔を向けねばならない。彼はわが書の解説者であり、わが目的について完全に精通している者である。あらゆる者は彼に顔を向けねばならない。彼はわが書の内容を知り尽くしており、彼の語ることに間違いはないのである。彼以外に、わが書について知り尽くしている者はいない。」この言明の意図は、バハイたちの間には決して不和や分裂は生じてはなららず、常に同意、和合あるのみあるべきということであるしたがって、バハオラに任命された「聖約の中心」に従う者は誰であれ、バハオラに従ったことになり、「聖約の中心」に背く者は全てバハオラに背いたことになるのである誰も、自分自身の考えを権威あるものとして語ったり、新しいものを自分で創出したりせぬよう用心せよ。十分に警戒せよ!バハオラの明白なる聖約によれば、そのような者は全く気にかけるべきではないのである。バハオラはそのような者らを遠ざけ給う。 (アブドル・バハ:The Promulgation of Universal Peace 「万国平和の宣布」, pp.322-323

 

15.今も、そして永遠の未来までも、アブドル・バハについては次のように見なすべきである。まず最も重要なことは、彼はバハオラの比類ない、すべてを包含する聖約の中心とその軸である。彼はバハオラの最も高遠な創作、バハオラの光を反映する、欠陥のない鏡、バハオラの教えの完全な模範者、バハオラの言葉の誤りのない解釈者、あらゆるバハイの理想を具現する、あらゆるバハイの美徳の化身で、「古来の根」より芽生えた最大の枝、神の法の大枝、「あらゆる名が周りを巡る」者、人類の和合の源泉、そして最大平和の旗である。この最も神聖な制度の中心となる太陽はバハオラであり、その太陽を周る月はアブドル・バハである。「アブドル・バハ」(バハに仕える者)という魅力的な名前をもって、これらの名と称号は皆その最も崇高、最も高遠かつ最も美しい形で結晶されているのである。これらの呼び方をさらに超えて、バハオラは自らアブドル・バハのことを「神の神秘」と呼ばれた。そのような呼び方でアブドル・バハに予言者としての地位があると見なせるわけは全くないが、アブドル・バハの中には、人間の本性と超人的な知識や完全性という二つの両立し得ない要素が見事に混じり合って、それらが完全に調和されていることが伺えよう。(ショーギ・エフェンディ:「バハオラの時代」、『アブドル・バハ』)[The World Order of Baha’u’llah 「バハオラの世界秩序」, p.134

 

16. 神の御言葉を現代に顕示する御方であり、権威の源、正義の礎、新しい世界秩序の創造者、最大平和の設立者、世界文明を誘導し創設する御方、判事、立法者、全人類の統合者であり救済者であるバハオラは、地上に神の王国の出現を宣言し、その法と条例を定め、その原理を明らかにし、その機構を制定された。バハオラは、その啓示によって放出された力を方向づけ導くため彼の聖約を制定された。その聖約の力は、バハオラの信教の高潔さを保ち、その和合を維持し、アブドル・バハとショーギ・エフェンディによる継続的統治を通してその世界的拡大を鼓舞した。聖約は、万国正義院という機関を通して、その活力を与えるという使命を果たし続けている。万国正義院の基本的な目標は、バハオラとアブドル・バハの後を継ぐ一対の機構のひとつとして、信教の源から流出する、神によって定められた権威の継続を保証し、従者たちの和合を守り、その教えの高潔さと柔軟性を維持することである。(万国正義院:「万国正義院憲法」、pp.3-4

 

17. バハオラの聖約の特異性―バハオラの啓示の最も偉大な特徴であり、過去のいかなる預言者らによっても授けられていない特別な教え―それは、聖約の中心が定められ、指名されていることである。この指名と規定により、バハオラは神の宗教を意見の相違や分裂から保護し、護り、いかなる者も新しい宗派や派閥を創り出すことはできないようにされたのである。(アブドル・バハ:The Promulgation of Universal Peace 「万国平和の宣布」、p.455-456

 

18. 啓示の著者(バハオラ)自身と有機的に結びついている何らかの手段が不可欠であるということは明らかであった。それは、天に導かれたこのプロセスによって放出されたこれらの力を方向づけ、目標に向かわせ、また彼(バハオラ)の昇天後もそれらの力が調和をもって継続的に機能することを保証するために神によって定められた、確実な権威を持つものである。バハオラは、聖約という制度をもってその手段を確実に提供し、ご自身の昇天前にその制度を確実に樹立された。バハオラはまた、この聖約について「アグダスの書」でも予告されており、そして昇天の数日前、今生の別れを告げるために家族の皆を枕元に招集された時にも、それについて触れられた。バハオラはそれを「わが聖約の書」と題した特別の書簡で具体化し、臨終が迫った時に、長男であるアブドル・バハに託されたのである。まったくすべてがバハオラの自筆で記されたこの類なき、画期的な書簡は、バハオラご自分によって「最も偉大なる書」と定められ、「狼の息子への書簡」では「紅の書簡」と言及された。バブの教えをも含め、過去のいかなる宗教の聖典にもこれに匹敵するものは存在しない。と云うのは、バハオラご自身が制定された聖約と同等の権限を付与された聖約を定めている記録は、世界中のいかなる宗教制度関連の書物にも、あるいはバビ教の著者の聖典にも、ひとつも存在しないからである。(ショーギ・エフェンディ: God Passes By 「神よぎり給う」, pp.237-238

 

19. しかし、この宗教制と以前の宗教制には大きな違いがあります。バハオラは、この日は「夜の訪れない日」(「神よぎり給う」、p.245)であると書いておられるからです。バハオラは、この世における聖なる導きを継続させる中心となる聖約を私たちに授けてくださいました。バハイ信教にも、統治権を強奪して自らの目的のために信教を歪めようとする野心家たちがなかったわけではありませんが、どの場合も、そのような者らは盤石な聖約の上で自分たちの目的を打ち砕かれ、自滅してしまったのです。(万国正義院の代理からある信者への手紙より 1979114日)

 

 

 

W.小聖約: 「アブドル・バハは行政秩序を通してそれを永続させる

 

一対の後継者

 

20. おお我が愛する友等よ!この虐げられし者の逝去後は、神聖なるロートの木のアグサン()とアフナン(小枝)、神の大業の翼成者(柱石)及びアブハの美に愛される者は皆、この二本の聖なるロートの木より分枝した若年の枝であり聖木の二本の枝の結合により成育した果実であるショーギ・エフェンディに向かわなければならない。真に彼は神の証であり、選ばれた枝であり神の大業の守護者である。アグサン、アフナン、神の大業の翼成者及び神に愛される者等すべてのものは彼に向かわなければならない。彼は神の言葉の解釈者であり、彼のあとは直系の子孫の長子が後を継ぐであろう。(アブドル・バハ: 「アブドル・バハの遺訓」)

 

21. さて、神が、すべての善の源であり全ての誤りから解放されたものとして定めた正義院に関して、それは全世界に住む信者達により選挙されねばならない。正義院の委員は、神への畏敬を示し、知識と理解の曙であり、神の信教に不動で、全人類の幸を祈るものでなければならない。 (アブドル・バハ: 「アブドル・バハの遺訓」)

 

22.全ての者は最も聖なる書に向かわなければならない。そしてその聖なる書に明白に記録されていない全ての事柄は万国正義院に照会されねばならない。この正義院が満場一致又は多数決で決定した事は、実に真理であり神自身の御目的である。 (アブドル・バハ:「アブドル・バハの遺訓」)   

 

23. 彼ら(バハオラとアブドル・バハ)はまた、明瞭で断固たる言葉をもって、万国正義院と守護者制度を一対として、それらの選ばれた後継者として任命された。これらの制度は信教の原則の応用、その法の施行、その諸機構の擁護、信教の原則に忠実でありつつ、なお、進歩する社会のニーズに信教を合理的に順応させ、やがては信教の創始者たちが世界に託された不朽の遺産を最終的に完成させる運命にある。(ショーギ・エフェンディ:1930321日付け手紙より) [The World Order of Baha’u’llah 「バハオラの世界秩序」, pp.19-20]

 

24. 神の聖約では、ショーギ・エフェンディは大業の守護者としての彼の使命期間、すべての者が向かうべき、信教の権威の中心でした友らとの関係では、同じことが万国正義院の占める地位についても適用されます。(万国正義院の代理からある信者宛て 1981119日)

 

25.権威:神聖な若年の分枝、神の大業の守護者は全世界から選出され確立される万国正義院と共にアブハの美の保護の下にあり、聖なる高遠の人の庇護と誤りのない指導の下にある(我が命がこの二者の為に捧げられん事を)。彼等の決裁した事は全て神による裁決である。守護者や万国正義院に従わない者は神に従わない者である。この二者に謀反する者は神に謀反する者である。守護者に反対する者は神に反対する者であり、万国正義院と論争する者は神と論争する者である。守護者と議論する者は神と議論する者であり、彼を否定する者は神を否定する者である。彼を信じない者は神を信じない者であり、彼の指導より逸脱して、彼に背を向ける者は実に神の指導より逸脱して神に背を向ける者である。(アブドル・バハ: 「アブドル・バハの遺訓」)

 

26. 信教の守護者は [神の]「言葉」の「解釈者」であり、そして万国正義院は教えの中にはっきりと啓示されていない事柄について法律を制定する役目を与えられているということが、疑いなく明白かつ明らかになります。守護者の解釈は、守護者自身の領域内で活動しながら、万国正義院の法令と同様に権威があり、義務的なのであります。そして万国正義院の独占的な権利と特権とは、バハオラがはっきりと啓示なさらなかった法律や法令について、意見を述べ、最終判決を下すことです。どちらも、お互いの神聖で規定された領域を侵害することができないし、また侵害することもないでしょう。どちらも、神の意志によって与えられた特別で疑いの余地のない権威を奪い取ろうとすることもないでしょう。(ショーギ・エフェンディ: 193428日付け手紙より)[The World Order of Baha’u’llah 「バハオラの世界秩序」, p.149-150]

 

27. 信教の行政上の業務をつかさどることにおいて、又、「アグダスの書」の法律を補足するのに必要な法律制定をするにおいて、万国正義院のメンバーは、バハオラの発言が明白に意味するように、彼らが代表する人々に責任を負いませんし(注)、信者の大部分や万国正義院のメンバーを直接選ぶ人々の感情や一般的な意見や説得によって左右されることも許されていないことを心に留めておくべきです。メンバーは、祈り深い態度で、その良心の命令とさしずに従うことになっております。メンバーは、共同体内に広まっている状況について知るでしょうし、いや、まことに、知らなければなりません。又、彼らが考慮するために提出されたあらゆる事例の理非について公平に心の中で熟考しなければなりませんが、彼ら自身は、拘束されることのない決断の権利を保持しなければなりません。「神はまことに、お望みになることをもって彼らに霊感をお与えになるであろう。」という言葉が、バハオラの反ばくできない保証の言葉です。彼らを直接又は間接的に選ぶ人々ではなく、彼ら自身が、神の導きを受け取る者となされたのであり、同時に、その神の導きは、この啓示の生命の血管かつ最終的保護手段であるのです。(ショーギ・エフェンディ:193428日付け手紙より) [The World Order of Baha’u’llah 「バハオラの世界秩序」, p.153](訳注:ここで言う「責任」とは、政治の世界であるような公約を果たし、選挙者たちの希望通りの結果を出さなければリコールを受けるといったような意味での「責任」である。)

 

 

ショーギ・エフェンディの逝去

 

28. 我らの敬愛するショーギ・エフェンディが逝去されたとき、その状況からして、また聖なる経典(注)に明白に示されている必要条件からして、彼には、アブドル・バハの遺訓の規定に沿った後継者の指名は不可能であるということは明らかでした(万国正義院: 196539日付け手紙より  Wellspring of Guidance 「導きの源泉」, p.44)(注:ショーギ・エフェンディには子供がなく、存命中のアグサンは全員が聖約の破壊者であった)

 

29. 神の大業の守護者としてショーギ・エフェンディを継ぐ者を任命するという件について、祈りに満ちた姿勢で聖なる経典を注意深く研究し、聖地在住の神の大業の翼成者たちの見解も検討した長期間にわたる協議の結果、万国正義院は、ショーギ・エフェンディを継ぐ二代目守護者を任命する手段も、それを可能にするような法を制定する方法ももたないということを確信しました。(万国正義院: 1963106日付け手紙より  Wellspring of Guidance 「導きの源泉」, p.11

 

 

万国正義院

 

30. バハオラの聖約は途切れることなく、その全てを包みこむ力は侵されていません。過去のいかなる宗教の聖約とも異なる二つの独特な特徴は変わりません。また、それは効力を発しています。アブドル・バハとショーギ・エフェンディによる、神に導かれた解釈によって詳述されている啓示の言葉は不変であり、人間によって作り出されたいかなる信条や教義、不当な推論、独断的な解釈によってもその本来の純粋性は変えられてはいません。人類のあらゆる営みに対し柔軟な対応を可能にする神の導きの水路は、バハオラによって設立され、最高の権威と不断の導きを付与されている万国正義院の機構を通して開放されたままの状態にあります。この機構について、師は 「すべての事柄はこの機構に照会されなければならない」 と述べておられます。私たちは、バハオラの次のような断言の真実性をはっきりと見ることができます。 「全能者の御手は彼の啓示を不朽の基盤の上に確立した。人間の争いの嵐はその基盤を損なうことはできず、人々の空虚な理論はその構造に損害を与えることはできない。」  (万国正義院:196310月の手紙より  Wellspring of Guidance 「導きの源泉」, p.13

 

31. 万国正義院について守護者は、後代によって「崩壊する文明の最後の避難所」とみなされるであろうと言われました。その万国正義院は今、守護者不在となったなかで、世界で唯一、絶対間違いのない導きを受けている機構であり、すべての人はこの機関に顔を向けねばなりません。また、万国正義院には啓示の言葉に沿って神の大業の和合と発展を保障する責任が課せられています。 (万国正義院: 1966527日付け  Wellspring of Guidance 「導きの源泉」, p.90

 

32. 定められた領域内で機能する万国正義院の不可謬(ふかびゅう)性は、大業の守護者がそのメンバーとして存在するということに依存するものではありません。

しかし、万国正義院のメンバーであり、その聖なる長としての役割とは全く別に、守護者には、自らの領域内で機能しながら万国正義院の− 「立法活動の領域を定義する」− 権利と義務がありました。つまり守護者は、ある事柄がすでに聖典で扱われているか否かをはっきりさせ、それによってそれが万国正義院の立法権の範疇にあるものかどうかを述べる権限を持っておられたのです。 したがって、次の疑問が生じます。 つまり、守護者不在のなかで、万国正義院には、適切な領域から逸れて、過ちを犯す危険性があるのではないかということ。ここで、私たちは次の3つのことを思い起こさねばなりません。まず、ショーギ・エフェンディは、守護者としての使命を担われた36年の間に、アブドル・バハ、そしてバハオラご自身によってなされた定義付け(万国正義院による立法の範囲の定義付け)を補足しながら、そのような定義づけをすでに数えきれないほどされていたということ。すでに友ら(バハイ)に知らせたように、万国正義院が法を制定する前には常に、その事項に関して聖なる書や解釈を注意深く研究します。二つ目;それ自体、神の導きが約束されている万国正義院は、守護者の不在を十分認識していて、いかなる場合も、その事柄が万国正義院の管轄範囲にあることを確信できるときのみ立法措置をとるということ。その管轄領域について守護者は、 「明白に定義された」と断言しておられます。三つ目;私たちは、これら2つの機構について守護者が書き記された言葉を忘れてはならないということ。その言葉とは、「いずれも、他方の、規定された神聖な領域を侵害することはできないし、そうすることもないであろう。」というものです。     (万国正義院: 1966527日付け手紙 Wellspring of Guidance 「導きの源泉」, pp.82-84) 

 

33. 万国正義院は立法機関としての機能の他にあいまいな課題について解明したり意見の相違がある事柄について決定したり、大業を保護し行政管理するという、より包括的な機能が付与されています。 (万国正義院:1969127日付け手紙  Messages from the Universal House of Justice 「万国正義院メッセージ集」, 1968-1973, pp.38-39

 

34. 万国正義院には 「バハイの聖典に明白に啓示されていない事柄について法を制定する特別な権利を付与されて」いると守護者は述べておられます。万国正義院の決定は万国正義院自体によって改正、あるいは廃止でき、それは、神の法を補足したり適用したりする機能を果たします。万国正義院には解釈するという機能はありませんが、バハオラの世界秩序をこの地上に確立するために必要なあらゆることをなす立場にあります。教義の統一性の維持は、確実な原文に基づく聖典やアブドル・バハとショーギ・エフェンディの膨大な解釈書によって、そしてまた、「権威ある解釈」、あるいは「霊感に由来する」解釈を主張することや、守護者の機能を奪ったりすることの徹底的な禁止によって保たれます。行政の統一は万国正義院の権威によって保障されています。 (万国正義院: 196539日 Wellspring of Guidance  「導きの源泉」 pp. 52-53

 

35. バハイ信教には信者が向かわねばならないと定められた二つの権威の中心があります。と云うのは、聖なる言葉の解釈者は、実はその言葉自体であるその中心の延長だからです。聖典はバハオラの言葉の記録であり、一方、神の霊感を受けた解釈者はその聖典の生きた口です。つまり、聖典が意味していることを、権威を持って述べることができるのは彼であり、彼だけなのです。このように、ひとつの中心は聖典とその解釈者であり、他のひとつは、聖典の中に明白に啓示されていないすべてのことについて決定するよう神に導かれている万国正義院です。これらの中心とその関係の形は大業の展開のあらゆる段階で明らかです。「アグダスの書」の中でバハオラは、ご自身亡き後は聖典、および「神が意図し給うた人物、この古来の根から分岐した人物」に照会するよう信者に指示しておられます。バハオラは「聖約の書」の中で、その人物がアブドル・バハであることを明らかにしておられます。バハオラはまた、「アグダスの書」中で万国正義院の機構を定め、その機構に定められた機能を果たすのに必要な権能をそれに授けておられます。師は、遺訓の中で守護者制を明確に制定しておられます。そして、ショーギ・エフェンディはこの守護者制について、「アグダスの書」中ではっきりと予期されていたと述べ、さらに、万国正義院の権威を再確認し、解明し、再度聖典を参照して、「すべての者は 最も聖なる書 に向かわねばならず、その書に明白に記されていないことはすべて、万国正義院に照会されねばならない。」と述べておられます。 そして、その遺訓の最後の部分で、師は次のように述べておられます。「全ての者は大業の中心と正義院に向かい、その指示を仰がねばならない。その他のものに顔を向ける者はまことに嘆かわしい誤りを犯しているのである。」(万国正義院 1969127日の手紙より  Messages from the Universal House of Justice 「万国正義院メッセージ集」: 1968-1973, pp.42-43)  

 

 

X.「信教に一体性と純粋さを保持することができる」小聖約に対する反応

 

36. 聖約の力は、過ちの中にある人々の疑念からバハオラの大業を守る。それは、神の大業を守る防備の固い要塞であり、神の宗教の強固な柱である。今日、バハイ世界の一体性を保つ力は神の聖約の他にはない。この力がなければ、強烈な暴風雨のような意見の相違がバハイ世界を包囲するであろう。人類世界の一体性の軸は聖約の力であり、他の何ものでもないことは明らかである。それゆえ、信者らはまず、その足取りを聖約に確固としたものとせねばならない。それによってバハオラの確証は四方から彼らを取り巻き、至上の群集の一団は彼らの支持者、援助者となり、アブドル・バハの勧告や助言が石に刻み込まれた絵のように、あらゆる者の心の書簡に永久に消し去られることなく存続するように。(アブドル・バハ:Tablets of the Divine Plan 「聖なる計画の書簡」, p.49

 

37. それゆえに、しっかりした足取りで歩き、最大限の確信と自信を持って聖なる芳香の普及、神の言葉の賛美に従事せよ。そして、聖約に確固たれ。汝ら、このことを確信せよ:もし人が、最大の忍耐力で立ち上がり、王国の呼びかけを高く掲げ、決然として聖約を広めるなら、たとえその者が取るに足りない蟻のようなものであったとしても、恐るべき象を闘技場から追い払うことができ、また、もしその者が弱々しい蛾のようであったとしても、貪欲なハゲワシの羽を寸断し得るであろうことを。 (アブドル・バハ: Selections from the Writings of Abdu’l-Baha 「アブドル・バハの書簡選集」, p.209)  

 

38. 我々は、神の大業の発展がますます勢いを増し、この共同体が神の定め給うた時期に、守護者によって断言されていた階段を通りぬけ、苦しみにあえぐこの地球上に神ご自身の王国の純白な邸宅を建てる日を、確信を持って待望しています。その邸宅では、人類は自らが引き起こした混乱や無秩序や破壊に終止符を打ち、この時代の憎悪や暴力は永続する世界的な友愛と平和に変えられるでしょう。これらはすべて、永遠なる父の聖約、バハオラの聖約のもとで達成されるのです。 (万国正義院: 世界中のバハイ宛て 1973年レズワン・メッセージ)

 

39. バハイたちはこの事実にしっかりとすがりつかなければなりません。つまり、大業は神の手中に安全に保護されており、バハオラの聖約は腐敗することはないということ、そしてバハイたちは、「アブハの美の保護と配慮のもとで、また聖なる御方、崇高なる御方の庇護と誤ることのない導きの下で」機能する万国正義院の能力を全面的に信頼することができるということです。 (万国正義院の代理から一信者宛て  1975528日)

 

 

Y.聖約の力

 

40. 今日、世界という身体の動脈を拍動させているものは生命の起源である聖約の精神である。この精神によって生気を与えられる者はみな、生命の新鮮さと美を現わし、その者は聖霊によって清められ、生まれ変わり、圧制や暴虐、また精神を鈍らせてしまう無思慮や無情から解き放たれ、永遠の生命を得るのである。神を賛美せよ−汝らは聖約や聖なる書に確固とし、世界を照らす御方におわす聖なるバハオラに顔を向けている故に。 (アブドル・バハ: Star of the West 「西の星」, Vol.14, No.7 (192310月)  p.225

 

41. 人類の一体性の軸は聖約の力の他のなにものでもないということは疑いもなく明らかである。聖約の力は、地上の全創造物を活気づかせ、成長を促す太陽の熱のようである。同じように、聖約の光も人々の理性や精神、心、魂を教育するのである。 (アブドル・バハ:  God Passes By 「神よぎり給う」に引用、 p.238-239

 

42. 今日、万軍の主は聖約の擁護者となり、王国の勢力がそれを保護し、天上の魂たちが奉仕を捧げ、聖なる天使たちがそれを広く行き渡らせるのである。もし洞察力を持って熟考するなら、宇宙の全勢力は結局、聖約に仕えているということがわかるであろう。 (アブドル・バハ: Selections from the Writings of Abdu’l-Baha 「アブドル・バハ書簡選集」, p.228

 

43. 聖約の威力の他に、いかなる力も誤解を除去することはできない。聖約の力はすべてを覆い包み、あらゆる困難を解決する。なぜなら、栄光のペンは、誤解が生じたならすべて、聖約の中心に照会せねばならないと明確に宣言された故に  (アブドル・バハ: ペルシャ語から訳された書簡より)   

 

44. もし、神の大業の難攻不落の(とりで)を護衛する聖約の保護の力がなかったら、バハイの間には、これまでの時代と同じ様に、一日で千の異なる宗派が生じるであろう。しかし、この祝福された宗教制においては、神の大業の永続のため、また神の民の間の意見の相違を避けるために、「祝福された美」(わが魂が彼のために捧げられんことを)は、最高のペンを通して聖約と遺訓を記されたのである(アブドル・バハ:The Baha’i World Faith 「バハイ世界信教」, pp.357-358

 

45. バハオラの聖約の箱舟は、これら諸々の活動(注)を通して、苦難の絶えない困難な海に乗り出し、アブドル・バハの強大な腕によって巧みに導かれ、極度の試練に耐え抜いた信者の一団の大胆な率先性と溢れる活力で活気付けられた。そしてこの箱舟は、それらの日からずっと、猛威をふるい続けた災難の嵐をものともせず、着実にその進路を進んできたが、その嵐は聖約の箱舟が安全で平和な約束された港に向かって進むときも襲い続けるであろう。 (ショーギ・エフェンディ: 1933421日の手紙より  The World Order of Baha’u’llah 「バハオラの世界秩序」, p.84)(注:西洋への信教紹介に伴ったイベントのこと)

 

46. 聖約は 「人類世界の一体性の軸」です。なぜなら、それは、信教そのものの和合と統一性を保ち、教えについて自分の理解のみが正しいと信じ込んでいる個人による分裂から信教を守るからです。そのような人々による分裂は、これまでのすべての啓示を打ちのめしました。さらに聖約は、バハオラご自身の書に刻まれているものです。ですから、あなたもはっきりと理解しているように、バハオラを受け入れることは彼の聖約を受け入れることであり、彼の聖約を拒否することは彼を拒否することなのです。 (万国正義院の代理から一信者へ 198213日)       

 

 

引用文献注:英語題名の後に日本語題名が来ている場合は、日本語訳は未出版のもの。また、The World Order of Baha’u’llah 「バハオラの世界秩序」という文献が日本語文献名の後に記載されている場合は、日本語文献がすでに発行されているが、英語原典の出典元として前者が記載されている。