バブの書簡の抜粋集

 

 

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書簡と声明

 

 

神が顕わすであろう御方』に宛てた書簡

 

これは卑しき下僕より栄光に満ち給う主、以前にも顕わされ、そして今後も顕わされる御方へ書かれた書簡である。誠に彼は最も明らかなる御方、全能なる御方である。

 

主権を持ち給う主、御力の主の御名において。

 

 地と天のすべての住民が敬慕の的としてひれ伏し、すべての人が嘆願するために向かう御方に誉れあれ。彼こそはその手中にすべての創造物の偉大な王国を握り給う御方であり、すべては彼の御元に帰るのである。彼こそは御心の召すままに顕示し給う御方であり、彼の「存在せよ」との命令ですべてが存在するに至ったのである。

 これは栄光に満ちた御方、最愛なる御方である『真理』の力により、『サ』[1]という文字が顕わされる御方に宛てた書簡である。それは、全能におわし御自力にて存在し給うあなた以外に神は存在しないこと、あなたは神であり、あなたの他に神はいまさず、万人はあなたを通して生命を与えられることを、常に、我自身を含め全創造物が証言していることを示すためである。

 あなたの御名に賛美と誉あれ。おお主よ、わが神よ

 永遠の(いにしえ)から確かに私はあなたのことを認識し、未来永劫に、あなた以外の何者でもなく、専らあなた御自身を通してあなたを認識し続けます。誠にあなたはすべての知識の源であり、全知者におわします。永遠の古から永劫の未来まで、私は栄光に満ち給う全能者であるあなた以外に神はいまさぬことを知りながらも私のあなたに対する理解が限られることについて、あなたの許しを乞い求めます。

 おおわが最愛なる御方よ。私と、あなたの大業を真剣に促進しようとする者らとを容赦し給うよう懇願いたします。誠にあなたは全人類の罪を許し給う御方におわします。そして、あなたの命令により実現された私の啓示の二年目となる今、私は、あなたは最も明らかなる御方であり、全能であり、永遠に変わることなき御方であること、そしてこの地と天にあるすべてのものは何であれ、あなたの御目的を阻むことは出来ず、あなたはすべてを知り給う御方であり、御力と威厳の主であることを証言いたします。

 誠に私どもはあなたの顕現の夜が明ける前にあなたとあなたの御印を信じました。そして、私どもは皆、あなたに得心しました。誠に、私どもはあなたの顕示が成就された後、あなたとあなたの御印を信じ、皆があなたを信じます。誠に、私どもはあなたが顕示された時にあなたとあなたの御印を信じ、あなたの「存在せよ」との命令により万物が創造されたことを証言いたします。

 すべての顕示者はあなた御自身の啓示以外のなにものでもなく、私どもは誠にこれら各顕示者と共に出現し、崇敬を持ってあなたの御前にひれ伏しました。おお、私の最愛なる御方よ、あなたは過ぎ去りし時より未来に至るまで私の証人におわします。誠にあなたは御力に満ち給う御方におわし、常に忠実なる御方、全能なる御方に在します。

 天と地の住民を前に、私はあなた御自身を通じてあなたの一体性について証言し、誠にあなたは栄光に満ち給い、最愛なる御方であることを証言いたします。天と地の住民を前に、私はあなた御自身を通じてあなたを認めるに至り、誠にあなたは全能者に在し、すべてにおいて称賛され給う御方であることを証言いたしました。天と地の住民を前に、私はあなた御自身を通じてあなたの御名を賛美するに至り、あなたこそは御力の主に在し、最も明らかなる御方である事を証言いたしました。天と地の住民を前に、私はあなた御自身を通じてあなたの神聖さを讃えるに至り、誠にあなたこそは最も聖別され、最も聖なるものである事を証言いたしました。天と地の住民を前に、私はあなた御自身を通じて、あなたの高潔なることを称え、実にあなたは名状しがたい御方、到達不可能なる御方、果てしなく称揚された御方であることを証言いたしました。天と地の住民を前に、私はあなた御自身を通じてあなたの圧倒的な威厳を激賞し、誠に、唯一あなたのみが御力の主であり、永遠なる御方、日の老いたる者であることを証言いたしました。

あなたは神聖であり賛美され給う御方におわします。あなたの他に神はいまさず、誠に私どもは皆あなたの元へと帰ります。

 アリの同族を殺害した者らについては、彼らが転落した奈落の底の深さに気づく日も遠くないであろう。

 

『顕わされる御方』宛ての二通目の書簡

 

願わくは初等の学舎[2]において『神が顕わすであろう御方』の閃光がこの手紙に光明を投じますように。

 

彼は最も栄光に満ち給う。

 

 彼こそは神であり、全能者であり最愛なる御方である彼以外に神はいまさず。天と地にあるすべてのものとその間にあるあらゆるものは彼のものである。誠に、彼こそは危難の中の御救いに在し、御自力にて存在し給う御方である。

 これは危難の中の救いにおわし、御自力にて存在し給う御方である神により、全能者であり最愛なる御方である神に宛てた手紙である。これにより、これがバヤンとそれに忠誠を誓う者らはあなたへの私からの贈り物以外の何ものでもないということを断言し、あなた以外に神はいまさぬことを躊躇なく信じ、創造と啓示の王国はあなたのものであり、あなたのお力添えなくしては誰も何も達しえぬこと、そして「あなたが立ち上げ給うた者」はあなたのしもべ、あなたの証言以外の何者でもないことを表明いたします。実に、私はあなたのお許しのもとに、神が顕わすであろう御方に次の言葉を告げることを祈願いたします。「後期の復活の日において、もし未だ乳飲み子にすぎないあなたが、その指の一つの合図でバヤンの信者たち全員を払いのけ給うたとしても、誠にあなたはその指示ゆえに称賛され給う。そして、これについて疑いの余地はないが、あなたのご恩寵の証しとして、この大業を受け入れた者らがあなたよりの恩恵に与ることが出来るように19年の猶予を与え給え。あなたは誠に大いなる恩寵の主に在します。あなたは誠にすべての創造物を満たし給い、それぞれを自立させ給う。一方、天と地とその間にある如何なるものも決してあなたを満たし得ることなし。」

誠にあなたは如何なる者にも頼ることなく自ら満ち足らしめ給う御方、全知なる御方におわす。そして誠にあなたはすべてに可能なる御方に在します。

 

最初の生ける文字へ宛てた書簡

 

これはわが面前より、全人類への訓戒として、『神が顕し給うであろう御方』を信じた『最初の信者』に顕したものである。

 

全能者におわし、最愛なる御方の御名において。

 天と地の王国、そしてその間に存在するすべてのものの主権を持つ主である御方は賞賛され、賛美され給う。言挙げよ、誠にすべてのものは彼に帰る。そして彼は望み給う者は誰であれご自身の命ずるままに導く御方である。言挙げよ、すべての者は彼の祝福を請い求め、彼は全創造物の上に君臨し給う。彼は誠に栄光に満ち給い、御力強く、敬愛され給う御方である。

これは『サ』という文字から『最初の信者』に宛てた書簡である。汝、証言せよ、誠に彼は我、我自身であり、主権者、全能者であることを。彼こそは生と死を制定する御方であり、すべては彼の元に帰るのである。誠に彼以外に神はいまさず、すべての者は彼の御前に崇敬をもってひれ伏すのである。誠に汝の主、神は、「存在せよ、そしてそれは成る」という言葉を発するよりも速やかに、直ちに、彼の定め給うままにすべての者に報い給うのである。

神は誠に神の書においてこう証言し給う。また、神の天使の集合、そして神の使者と神聖なる知識に満たされた人々も同様に証言している。汝は神と神の御徴を信じたのであり、すべての者は汝の指導の力で正しき道に導かれるのである。これは誠に、不滅の御方であり御自力にて存在し給う御方である神が以前に、また今後とも恩寵深く汝に付与した無限の恩恵である。そして汝は創造以前より神を信じたが故に、彼は誠に御自身の命令によりすべての啓示に汝を立ち上がらせたのである。栄光に満ち給う至高の保護者におわす彼の他に神はなし。

神の御前からの恩恵の証しとして、すべての創造物に神の大業を宣布することは汝の義務である。最も寛大なる御方、抵抗し難い御方なる彼の他に神はなし。

言挙げよ。すべての事柄は神の書に照らし合わせなければならない。我こそは誠に神と神の御徴を信じた最初の者である。我こそは真理を露にし、それを宣言する者であり、御力の御方、無比なる御方なる神の優れた称号のすべてを賦与されたものである。誠に我は最初の顕示者の日に到達した者であり、主の命(めい)とその恩寵の証として後の顕示者の日に到達するであろう。彼以外に神はいまさず、約束された時刻が到来すればすべての者が崇敬の念をもって彼にひれ伏すであろう。

我は、過ぎし日々と来たるべき日々に彼の大業の唱道者として彼に選ばれたことに対し神に感謝し、賛美を捧げる。栄光に満ち、称賛され給う御方であり、永遠に変わることなき御方なる彼の他に神はなし。天と地にあるものはすべて彼のものであり、我々は皆、彼により正し道に導かれるのである。

おおバヤンの民よ!真理を受け入れる者らは、神の書に定められたとおりに我に向かわなければならない。そして、我の面前に到達する者には誰であれ神の導きが与えられるのである。

 

 

   

 

ムハンマド・シャーへの書簡より抜粋

 

 神が我の創造に使用し給うた実体は、他の者の形成に用いた粘土とは異なる。神は、世才にたけた者には永久に理解し得ず、また信心深き者も発見し得ないものを我に与え給うたのである……。我は神の「最初の言葉」を支える柱の一つである。我を認識するものはすべての真実と正しきものを知った者であり、すべての良きものと適切なものに達したものである。そして我を認めそこなったものはすべての真実と正しきものに背いた者であり、すべての悪と不適切なものに屈した者である。

 全創造物の主であり、すべての世界の主におわす汝の主の正義にかけて我は誓う!ある者がたとえこの世においてできる限りの建造物を建て、神の知識が認める限りの良き行いを通して神を崇め、主の御前に達したとしても、もしその者が神の御前で釈明の責任もない程度であれ、我に対して悪意の痕跡を心に抱いていようものなら、その者のすべての行いはまったく無に帰し、神の恩恵の眼差しに授かることもなく、神の怒りを招き、確実に滅びてしまうのである。何となれば、神の知識の宝庫に秘められているすべての良きものは、我に従うことによって達成し得るのであり、神の書に記録されたすべての炎は我への不従順に起因すると神が定め給うたからである。我思うに、この日、そしてこの立場から見るに、我の愛を心に抱き、我の命令に従う者は楽園の屋敷に住んでおり、我に敵対する群衆は皆すべて地獄のどん底の業火に葬られる。

 わが命に懸けて!神の証言である彼の大業を認める義務がなければ……我は汝にこのことを告知などすることもなかった。……天国の鍵はすべて我の右手に、地獄の鍵はすべて我の左手に収めることを神は定め給うた。

我はすべての創造物が創出されるに至った「最初の点」である。我は決してその光輝を覆い隠すことが出来ない神の御顔であり、決して衰えることのない神の光の輝きである。我を認識するものには確信とすべての善が用意され、我を認識しなかった者には業火とすべての悪が待ち受けている……。

 唯一無二の御方、比類なき御方、真実者なる神に懸けて我は誓う。神の最上の証言である彼が我に明らかなる印と証拠を託したのは、すべての人々が彼の大業に従うことを可能にするために他ならない。

 絶対の真理である彼の正義にかけて誓う。もしヴェールが取り払われれば、汝はこの俗界において、わが愛の木陰に避難所を求めた者ら以外のすべての者らが業火よりも凄まじく強烈な神の怒りの火に苦しみもがいているのを目の当たりにするであろう。木陰に避難所を求めた者らは誠に幸福に満ちたものなり……。

 神こそがわが証人である。我は商人としての訓練を受け、決して学者ではなかった。神はその恩寵により60[3]に神の証明である彼—彼に平安あれ—を特徴づける確たる証拠と重大なる知識をわが魂に浸透させ、最終的にその年に我は誰もが否定できない形で、神の隠されたる大業を宣言し、固く守られてきた柱を披露したのである。「すなわち、滅びる者は明らかな証拠を目前に置いて滅び、生きる者は明らかな証拠をもって生きるようにと。」[4]

 

 

その同じ年[60年]、汝の主権の地位にふさわしい形で神の証言である彼の大業に対して汝が接することができるようにと我は汝に使者と書を遣わした。しかし、神の意志により、暗く恐ろしい、悲惨な大惨事は取り消すことのできない定めとされたゆえに、自らを政府の篤志家と見なす者らの介入により、その書は汝の面前に提出されることはなかった。それから既に四年近くたった今でも彼らは陛下にそれを提示していない。しかし、運命の時が迫っている今、そしてこれは信仰に係ることであり世俗の問題ではないため、我は汝に何が起ったかを垣間見せることとした。

 我は神に懸けて誓う!もしこの4年の間に汝の民や軍の手によって我にもたらされたことを汝が知ったならば、汝が神の証言である彼の大業に従い、自分の短所や失敗を埋め合わせるために立ち上がることがない限り、汝は神への畏れのあまり息を止めるであろう。

 我がシラズに滞在していた時、その地の邪悪で堕落した知事の手が我に振り掛けてきたことの侮辱の過酷さを一割でも汝が知れば、汝はきっと報復的正義により彼を罰するであろう。彼の容赦ない抑圧の結果、汝の宮廷は復活の日が到来するまで神の怒りの対象となった。そのうえ、彼は酒に溺れるあまりに理性的な判断が出来るほどに酔いから覚めることはなかった。よって、不安にさせられた我は、陛下の英明で高貴な宮廷の御前に達する目的をもってシラズを離れざるをえなくなった。そして、モタムエドォド・ドゥレは大業の真理を理解するに至り、神に選ばれしものへの模範的な仕え方や献身ぶりを示した。彼の街に住む幾人かの無知な者らが扇動に立ち上がった時には一時的に我を知事の邸宅に匿うことによって神聖なる真理を守った。やがて、神の好意に与った彼は至高なる楽園にある彼の住居に旅立ったのである。神が恩寵を持って彼に報い給わんことを……。

彼が永久(とこしえ)の王国に昇った後、残忍なるゴルギンはありとあらゆる背信行為、偽りの誓い、そして抑圧という手段に訴えて、我を5人の護衛の下イスファハーンから追放した。その際、7日間にも及んだ旅に必要な最低限のものも提供せず(あゝ!あゝ!我に降りかかったことと言えば!)、それはやがてマークーへ向かうよう陛下からの指令が届くまで続いたのであった……。

最も偉大なる主に掛けて誓う!もし我がどのようなところに住んでいるかを汝に告げるならば、真っ先に我に慈悲を垂れるのは汝自身となろう。山奥深くに砦[マークー]があり、……そこに住むのは監視人が二人と四匹の犬のみである。なれば我の窮状を想像してみよ。……神の真理にかけて誓う!もし我をそのように扱うことに躊躇しなかった者が、いったい誰に対してそのような扱いをしてしまっていたのかを知ったならば、彼は誠に一生幸せを見出すことは出来なかろう。否、我は誠にこの件に関する事実を汝に伝えることとする。それはあたかもすべての預言者、すべての真実なる者ら、そして選ばれし者ら皆をすべて投獄したようなものである……。

 この判決が我に知らされた時、我はこの王国の政務を執る者に「我を処刑せよ。神に懸けて汝に懇願する。そして我の首を好きなところに送ればよい。それというのも、我のような無実なる者が犯罪人のために確保された場に収容されることなどは到底許し得るものではなく、それに甘んじて生き続けることなどできはせぬ」と書き送った。しかし、我の歎願に対する回答を得ることはなかった。ハージーである閣下は我らの大業の真理を完全に理解していないようである。神聖なる神の家を崩壊することに比べれば、男女を問わず、信仰深き者らの心を悲しませる方がよほど邪悪な行為である。

 誠に、唯一真理なる神が我の証人である。この日においては我こそが神の真の神秘なる神殿であり、すべての善の神髄である。我に善行を施した者は、神、彼の天使、そして彼に愛されし者らの集団すべてに対して善行を施したと同じである。我に悪行を施した者は、神、そして選ばれし者らに対して悪行を施したと同じである。否、神と彼に愛されし者らの地位の神聖なる敷居は何人(なんぴと)の善行も悪行も達し得ぬほどに崇高である。我に達するものは我に達するよう定められたもののみであり、我に届いたものは、与えた者に戻るであろう。わが魂を手中に収め給う御方にかけて言う。彼は自身の他には誰も投獄してはいない。というのも、神が我に定め給うたものは確実に起こるのであり、神が定め給わぬものは我に触れる事はないからである。その手を悪の源泉とする者に災いが訪れん。そして手を善の源泉とする者に祝福あれ。我は神以外の誰にも不服を申し立てることはない。何故ならば神こそが最良の判事だからである。如何なる苦境や至福の状態も神のみから来るものであり、彼は全てに力強き御方、全能なる御方である。

 要約すれば、誰もが願うであろうこの世と次の世の善はすべて、わが手中にある。もし我がヴェールを取り除くならば、すべての者は我を自分たちの最愛なる御方であると認識し、我を否定する者はいなくなるであろう。この断言が陛下を驚かすことなきように。というのも、神のみに視線を向け、神の一体性を真に信じる者は、彼以外のすべてを無とみなすからである。神かけて誓う!我は、たとえ芥子の種一粒ほどの物であれ、この俗界の物品を汝から求めてはいない。実に、この世の物であれ、次の世の物であれ、所有するということは我にしてみれば露骨な冒涜に等しい。なぜなら、神の一体性を信じる者にとって神以外のものに目を向けることは相応しくないことであり、それを所有することはさらに不相応だからである。我は確かに認識している。我には不滅なる御方、慕われし御方なる神があるゆえに、見えるものと見えざるもののすべてを所有するのである。……。

 我はこの山にて孤立したままとなり、今となっては我が受けた苦しみほどの苦しみを受けた者は過去にいないまでに、また我が耐えたことを耐え得た違反者はいないまでになった!我は神を讃え、再度また彼を讃える。我はわが主、わが君主の御心に従っている故、いかなる悲しみからも解放されている。我思うに、我は最高の楽園におり、最も偉大なる御方である神との交わりに喜悦している。誠にこれは神から我への御恵みであり、神こそは限りなき恩恵の主である。

 神の真理にかけて誓う!もし汝が我の知ることを知れば、汝は、真実者に従うことにより我の御心にかなうようにと、この世と来世の主権を放棄するであろう……。もし汝が拒めば、世界の主は彼の大業を昇進させる者を起こし、確実に神の命令は実行に移されるであろう。

 神の恩寵により、何も我の目的を阻むことはできず、また我は神が彼の恩恵の証しとして我に授け給うたものについて十分に意識している。もしそれが我の本意にかなうなら、我は陛下にすべてを開示しうる。しかし、我はそれをせず、またすることもない。それは、真理がそうでないもの全てと区別されるためであり、イマーム・バーゲル—彼に平安あれ—が述べた預言、つまり、「アゼルバイジャンにて我らに降りかかることは免れ得ないものであり、それに比較しうるものはない。それが起った時には、家に籠り、我らが辛抱したように辛抱せよ。『動者』が動きを見せれば直ちに彼のもとへ急げ。例え雪の上を這わなければならなくとも」を完全に実現するためである。

 我は、我と我に関わるすべてのものに関して神の許しを請い、「すべての世界の主である神に賛美あれ」と断言する。

 

ムハンマド・シャーに宛てられた
別の書簡からの抜粋

 

 天と地にあるすべてのものを知る神に栄光あれ。誠に主権を持つ統治者であり、全能者であり、偉大なる御方である彼の他に神はなし。

 彼こそは「切断の日」に真理の力により判決を下す者なり。誠に唯一無二なる御方、抵抗し難い御方、崇高なる御方である彼の他に神はなし。彼こそは全創造物の王国を手中に収める者である。唯一なる御方、比類なき御方、永遠不変なる御方、得がたい御方、最も偉大なる御方である彼の他に神はなし。

全てのものの創造以前に神が自らに対して証言し給うたように、今ここに我も神に対して証言する。誠に栄光に満ち給う御方、全てに聡明なる御方である彼の他に神はなし。そして彼自身が彼の栄光の威厳をもって証言したように、我は彼が創造し給うたもの、および今後創造し給うすべてのものに対して証言する。唯一無二なる御方、御自力にて存在し給う御方、最も素晴らしき御方である彼の他に神はなし。

我は全創造物の主である神に完全に信頼を置いた。唯一無二なる御方、最も崇高なる御方である彼の他に神はなし。我はわが身を彼に委ね、我に係る諸事のすべてを彼の手に委ねた。最高統治者におわし、輝ける真理なる彼の他に神はなし。実に我にとって、彼はすべてを満ちたらしめ給う。彼は何ものに頼ることもなく満ちたらしめ給う御方であり、天と地にある彼以外の如何なるものも、満たらしめることはできない。彼は誠に御自力にて存在し給い、最も厳格なる御方である。

 今まさにこの僻地の牢獄にて我が何を渇望するかを見給う御方に賛美あれ。彼こそは常にわが証人であり、「ヒンの後」[5]の始まり以前から我を見給う御方である。

 何故に汝は聡明なる御方である神に思いを巡らすこともなく判決を下したのか。如何にして汝は火に耐えうるのか?誠に汝の神は偉大で最も厳しき御方である。

 汝は自分の所有物を誇りとしているが、神と神の御しるしを信ずる者や構成なる者らならば誰もそのような物に目をくれはしない。現世は、来世を否定するものを除いては誰も近寄らない、またそれを口にしようともしない犬の屍のようなものである。誠にすべてを所有し、全能なる御方なる神の真の信者となり、業火の苦しみへと汝を誘導する者に背を向けることは汝の義務である。

 我は汝がことによると耳を傾け、正しい方向に導かれるようにならないか暫く待ってきた。あらゆる世界の主である汝の主の御前に証言するために証人が立つ日--間もなく訪れるその日に、汝は神にどう答えられるのか

汝を存在するに呼び起こし、そしてやがてその者のもとに戻る御方の正義にかけて誓う。もし汝の主の証を信じない者のままに汝が死ぬ瞬間を迎えたならば、汝は確実に地獄の門に入るであろう。そして、汝の手によりもたらされた行いの何一つも汝の利益にならず、また汝を後援する者も汝の代わりに弁護する者も見出さないであろう。神を畏れよ。そして現世における所有物を誇りとするな。正しき道を歩むものにとっては神が所持する物の方がよっぽど良いからである。

誠にこの日、この地上に住む者は皆、神のしもべである。誠に神を信じ、彼が顕示し給うた証を確信する者については、彼らの手が犯したことを、おそらく神は恩寵深く許し給い、彼の慈悲の境内に立ち入ることを認め給うであろう。彼は誠に常に許し給う御方であり、憐れみ深き御方である。しかし、我を軽蔑的にあしらい、我に背を向けた者、そして神が我に託された確固たる証明と過ちのない書を否認した者らに関しては、神の懲罰の判決が下され、「切断の日」に彼らを守るものも援助するものも見出せないであろう。

存在するものすべてを創造し、すべてが彼の元に戻る御方にかけて誓う。ある者が死の際に我に対して憎しみを抱いていたり、我に託された明らかなる証を否定したりすれば、その者の運命に酷い苦悩しかなかろう。その日には神が望み給わぬ限り、如何なる償いもとりなしも受け入れられない。誠に彼は抵抗し難い御方、栄光に満ち給う御方である。主権を持つ統治者、全能者、最も厳しき御方である彼以外に神はなし。

 もし汝が我の投獄を喜ぶことあらば、汝にとっていかに悲しいことか。それは間もなく深刻な苦悩が汝を捕えるであろうから。神は断じて誰にも不正な審判を下す権限を許してはおられない。しかしそれでも汝がそうするなら、近いうちに汝は思いしらされるであろう。

 神の御前にて傲慢にならぬよう忠告した最初の日から今に至るまで4年の歳月が過ぎ去ったが、これまでの間に汝からも汝の兵士らからも悲惨な抑圧と軽蔑的な横柄以外のことを目撃したことがない。汝は我が現世におけるつまらぬ物質を得ようと思い違えているように我思う。否、わが主の正義にかけて誓う!慈悲深き主から目をそらさぬものにしてみれば世の財宝とその他の虚飾は屍の眼と同様、否、それ以下の価値を持つ。彼らが神と関連付けるものと神の栄光はなんとほど遠いものか!……我は神にのみ忍耐を求める。誠に彼こそは最高の保護者であり、最良の援助者である。我は神以外に庇護を求めない。誠に彼こそは守護者であり、最良の支持者である。…

わが主、最も崇高なる御方、最も偉大なる御方である神の栄光にかけて誓う。彼は確実に神に定められた通りに彼の大業を燦然と輝かせるであろう。その反面、不正なる者には援護する者がなかろう。 もし汝に何らかの計画があるのならそれを示してみよ。実に、あらゆる権威は神より出るものなり。我は神に信頼を置き、彼に向けるのである。

 汝が企てたのと同じような判定、あるいは汝が承認したのと似たような判定を過去に下した者を聞いたことがあろうか。したがって、圧制者に災いあれ!汝の意図および人々のあしらい方はともに汝の神に対する不実を明らかに示している。よって、神は汝には厳しい懲罰を定め給うた。我は神にのみ忍耐を求め、彼こそはわが望みの的と見なしている。これは我の側に疑いようもない真理があることを示すものである

 もし汝が、真実が露わにされ、不信心なる者らの行為が無に帰されることを懸念していないのであれば、何故に、我が不信心な者らを過去に狼狽させたように、神学者らを直ちに狼狽させることができるように彼らを国中から呼び寄せ、そして我を召喚しないのか。これが我の汝、及び彼らへの確実な証言である、もし彼らが真実を述べる者ならば。汝、彼らをすべて召喚せよ。もし彼らがこのような言葉を発することができれば、彼らの主義主張は注目に値するものであることを汝は確認することができよう。否、わが主の正義にかけて誓う!彼らは力が奪われており、また理解力も賦与されていない。彼らは過去にその意味も理解せずに信仰を公言し、その後、真理を否定するに至った。それは彼らには洞察力が全く欠けているからである。

 もし汝が我の血を流そうと決めたのなら、何故にそれを遅らせるのか。今の汝には力と権力が付与されている。我にしてみればそれは神より与えられる無限の恩恵となり、汝やそのような行為を実行に移す者らにしてみればそれは神より分け与えられた懲罰となる。

汝がこのような判決を下すとなれば、我を待ち受ける幸福はなんと素晴らしいものとなろうか。また汝がそれに合意するとなれば、絶大なる喜びは我のものとならん!これは神の宮廷にて御傍近く仕える者らのために神が限定し給うた恩恵である。ならば汝、認可せよ。これ以上待つことなかれ。誠に報復者である汝の主は偉大なり。

汝は神の証言である者を砦に拘束することを承認し、虜として不信者の手に渡すなぞして神の御前にて恥とは感じないのか。汝と、今現在我にかように過酷な屈辱を与えて喜ぶ者らを災いが待ち受けている。……

我を存在するよう呼び起こし給うた御方にかけて誓う。我は自分の内に罪悪の痕跡すら見ない。また、我は真理以外のものに従ったことはない。我には神が充分な証人である。俗界とその民、そして来世を全く意識しないままに世俗的な富に快楽を見出す者らはなんと不届きなることよ。

 もし汝の眼からヴェールが剥ぎ取られれば、迅速、かつ間近に迫った神の懲罰を恐れ、例え雪の上であれ汝は胸を地に付け我の所まで這ってくるであろう。汝を創造した御方の正義にかけて言う。汝の統治中に何が起こったかを汝が知れば、汝は汝の父の腰から出ることがなければよかったと思うようになり、代わりに完全に忘却のかなたへと消え去ってしまいたいと望むであろう。しかし、汝の主である神が定めた給うことは今すでに起こっている。災いがこの日の圧政者を待ち受けている。

我思うに、汝は過ちのない書を読んだことがない。もし汝が自身の道に満足し、真理に従う気がないなら、我には我の道、汝には汝の道あれ。もし汝が我を援助しないのはともかく、なぜに我に屈辱を与えようとするのか。誠に神は懇願者の聞き手であり、そして現世においても来世においてもすべての者がその最高の完成を彼に見出すのである。

天と地の主であり創造の主である神の栄光は、彼の戒律を忠実に従う者らの証言することを除いて、この世の者らが証言し、述べることからは遥かにかけ離れている。彼のしもべ中の誠実なる者らに神の平安あれ。

すべての世界の主である神に全ての賛美あれ。

 

ムハンマド・シャーに宛てられた
更に別の書簡からの抜粋

 

 これは疑いようのない真の指導者である御方からの書簡である。この中には、快く彼の呼びかけに応える者らと正しく導かれた人々のうちに数えられることを望む者らのために、万物の法則が示されている。この中には、汝の主の啓示についてこの明確な天秤に従って証言する者らのために万物の法則が秘められている。万物に関する神の法令については、過去に誠にそれを雄弁なるアラビア語で著した。実に、その魂を汝の主の光の輝きによって創造された者らは真理を認知し、唯一真理なる神を忠実に従う者らのうちに数えられ、十分な確証を得ている。……

おおムハンマドよ!汝の主の定めは4年前に実現した。そして汝の主の大業の創始からこれまで、神を畏れよ、そして無知なる者らの一人とならぬようにと汝に忠告してきた。我は誠に輝かしい書簡をもつ使者を汝に遣わしたが、悪魔に従う者らは使者を軽蔑的にあしらって追い返し、その彼と汝の間に割入った。そして、汝が明白な主権者であるその国からその使者を追放したのである。よって、神の制定された命令に服従し、正しく導かれる者らの内に含まれない限り、汝は現世と来世の良きものを逃してしまったのである。

我が神聖なる神の家[6]から戻った時、我は最初に汝に送った書信と同様の、否それよりももっと偉大なる書信を汝に送った。実に神は最善の保護者であり最善の証人である。我は汝が神の命令に従い、真理を否定したものとならぬようにと、我が啓示した書簡を使者に託し汝に遣わした。しかし、圧政者は、邪悪なるものでさえも、また卑劣な悪行者らのうちのひとりでさえも犯さない類のことを犯したのである。……

我がこの地において受けた苦難は、過去の誰も受けたことのないものである。誠にすべてのことは神に戻るのであり、彼は誠に最善の保護者であり、すべてを認識し給う御方である。初日から今に至るまでに汝の民の手により我に降りかかったことは、サタンの行いに他ならない。[7]汝の主の大業が現れて以来、汝の行いは何一つ受け入れられなかった、汝は歴然たる過誤に迷い込みながら、汝に見えたものは全て、汝の主の為になされた行為だと汝の目には映ってしまっている。誠に、汝の日が間近にせまってきており、汝はこれらのことについて問われるであろう。当然、神は邪悪な者らの行為を見逃されはしない。

汝なくしては汝の支持者は軽蔑的に我を否定することもなかったであろうが、それでも彼らは愚かな者らに比べてはるかに道を外してしまっている。

  汝の王国の宰相に汝が任命した者が最善の指導者であり、最善の支持者であるとでも汝は思っているのか。否、我は汝の主にかけて誓う。彼の心にサタンが忍ばせたものを起因とし、彼は汝に深刻な困難をもたらすであろう。また誠に彼自身サタンである。彼はたった一文字でさえも神の書を理解しておらず、自らの手によってもたらしたことにより恐れおののいている。彼は心の内奥に隠した過去からの不信心な行為が露わにされないようにと喜んで汝の主が灯した火を消そうとするであろう。汝が彼を汝の宰相に任命しなければ誰一人として彼のことを気に留めなかったであろう。実に人々の評価では彼は明らかな暗黒に他ならない。……

汝、神を畏れよ。そして汝の魂がこれまで苦しめられている以上に責め立てられるのを許すな。それというのも、間もなく汝は他界し「あゝ、悪魔をわが宰相として選び、詐欺師をわが先導者、そして顧問として任命さえしていなければ」といいながら、汝自らが宰相に任命した悪魔から解放されたことを言明するであろう。

ファラオがしたことよりもはるかに卑劣なことをなすことで自らの魂に負担をかけながらも、何故に汝は自らを忠実なる者らの一人と呼ぶのか?また汝はどのようにして不義者の一人であり続けながらもクルアーンの節々を読むのか。ユダヤ教徒やキリスト教徒、またそのような真実を否定する者らでさえも、彼らの預言者の娘の子孫に危害を加えることに同意するなどあり得ない。懲罰の日が差し迫っている故、汝に災いが降りかかるであろう。汝は全能者であり天上の主、そしてすべての世界の主である汝の主の怒りに恐怖を覚えないのか。実にこれらの明示的な行節は真の導きを求める者らにとっては決定的な証しである。

例え辛子の種一粒程度の物であれ、汝の財産を奪うことも、また汝の地位に就くことも我は望んではいない。もし汝が我に従わないならば、汝には汝の所有物が与えられ、我には万全なる安泰の大地が与えられるだけのことである。もし汝が我に従わないならば、何ゆえに我を軽蔑視し、我を酷い不正をもって扱おうとするのか。我の住処を見よ—誰も住まない聳え立った山である。人々に対し不当に不正を犯す者ら、そして「彼」の明瞭なる書に反して信者の財産を不当に、そして不正直に奪う者らには災いが待ち受けている。誠に、それに対し真の否定しえない指導者により任命されたすべての人々の正当な主権者である我は、例え一粒の辛子の種でさえも決して他人の所有物を侵害せず、また彼らを不正に扱うこともしない。むしろ我は彼らと同胞の如く親しく交わり、また彼らの証言者となろう。

わが使命は汝の主の書について述べること、そしてこの明確なメッセージを伝えることに他ならない。もし汝が楽園の門戸をくぐりたければ、見よ、それは汝の面前に開かれている、そして誰からの危害も我には達しえないのである。これまで汝と汝の業務に携わる者に送った信書は我から汝らへの恩恵の証にほかならず、迫りくる日を汝が憂慮することを願ったうえのことである。しかし、汝が傲慢な態度を示した瞬間から神の書において汝に対し神の裁きが下されている。それというのも、誠に汝らは共に汝らの主を否定したからであり、滅びる者の中に数えられているのである。……誠にこれこそは汝らへの最終警告であり、これ以降汝らについて述べることもなければ、汝らが不信心者であることを断言する以外の発言もしないであろう。

我は我と汝の諸事をすべて神に託す。彼こそは誠に最善の判事である。しかし、もし汝が戻り来れば汝が望むこの世の所有物のすべて、そして来世における言い表すことのできない喜びのすべてが汝のものとなり、現世において想像もしえないほどの栄光ある権能と威厳が汝のものとならん。しかし、汝が戻り来なければ、汝の罪は汝のみの責任となる。

 汝は全能者が我に定めたことを変えることはできない。わが主である神があらかじめ定め給うたこと以外は我に触れることも出来ない。我は彼に完全なる信頼を置き、誠実なる者らは彼を完全によりどころとするのである。

 おお主よ、私の証人となり給え。この輝かしき書簡を遣わすことで私は彼ら双方にあなたの御言葉を宣言し、彼らに対するあなた御自身の証言を完了いたしました。私はあなたの道において私の命をなげうつこと、そして間もなくあなたの許に戻ることに満足しております。天上と地上においてあなたに誉れあれ。あなたの定めにより彼らを扱い給え。誠にあなたは最高の擁護者であり、救助者におわします。

 おお主よ、人々が扇動する混乱を鎮め給え。そしてあなたの御言葉がこの地球上において燦然と輝き、それにより不信心の痕跡が残らないように成し給え。

 おおわが主よ、あなたの書簡の中で私が述べたことについてお許しを嘆願いたします。私はあなたに向かい悔い改めます。私はあなたを讃えるしもべの一人でしかありません。あなたは賛美される御方におわし、あなたの他に神はありません。私はあなたに完全なる信頼を置きました、そしてあなたの御扉にて懇願者であることを許し給うよう嘆願いたします。

 汝の主、強大なる玉座の主である神は、彼の明瞭なる書による導きもなく不当に彼について偽証することからは聖別されている。「誠に諸々の世界の主である神に賛美あれ」と述べながら、汝の主である神より許しを請う者らに平安あれ。

 

メッカのシャリーフに宛てられた言葉が含まれた書簡よりの抜粋

 

 おおシャリーフよ!……汝はこれまで生涯を通じて我を崇拝してきたにもかかわらず、我を汝に顕示した途端、汝は「わが想起」の証人として立つことも、そして彼こそは最も崇高なる御方、至高の真理であり、栄光に満ち給う御方であると確言することもしなかった。このようにして汝の主は復活の日に汝を試されたのである。誠に彼こそは全知にして聡明なる御方である。

我が書を汝に遣わしたときに汝が「我ここにあり」と述べさえしていれば、我は、我を実際に信ずるわがしもべらの仲間内に汝が入ることを認め、すべての者が審判を受けるためにわが面前にて立つまで、わが書のなかにて恩寵深く讃えていたことであろう。これは汝の主のために汝が生涯を通じて行ってきた崇拝よりも、否、それが始まりのない始めから行ってきたものであっても、汝にとってはるかに有益なことである。現にこれこそは汝の最良の利益のためになったこと、また永遠にそうなることである。誠に我はすべてのことを認識している。我は汝が復活の日にわが御前に到達するために汝を存在するに呼び起こしたにもかかわらず、汝はなんらの理由も、また明確な聖句を示すこともなく汝自ら我を締め出してしまった。しかし、もし汝がバヤンの知識を授かった者の内であったならば、汝はその書が目に映ったとたん、危難の中の御救いに在し、御自力にて存在し給う御方である彼の他に神はいまさずと直ちに証言し、またクルアーンの啓示者が同じくこの書を啓示し、その全ての言葉は神からのものであり、我らすべてがそれに忠誠を誓うものであると認めていたであろう。

 しかし、定められたことは既に起こってしまった。もし我を通じてこの啓示が続く間に汝が我の下に戻れば、我は汝の火を光に変えよう。誠に我はすべてのものに優る力を持つ。しかし、汝がこの勤めを果たすことができなければ、汝は神の大業に奉じ、汝の忠誠が神の顕わし給う御方に伝えらえることを懇願する以外に道は開かれていないことに気づくであろう。それは、神が顕わすであろう御方がその恩寵により汝が繁栄することを可能とし、汝の火を光に変えるためである。これは我に下されたことである。また、このことが果たされなければ、我が記した全てのことは、効力が永続され、危難の中の御救いに在し、御自力にて存在し給う御方である神により、取り消されることなく命令されるであろう。よって、我はわが正義の証として、汝を我が面前から追放することになろう。誠に我は判決において公正なり。

 

あるイスラム神学者に向けた言葉

 

 

おおアブドス・サへブよ!誠に神と、すべての創られしものは、全能者であり最愛なる御方である我以外に神はいないことを証言する……。

汝の視界はムハンマドの到来をもって神の啓示が終了したとの所信により遮られている。このことはわが最初の書簡にて我が証言している。実際に神の使徒ムハンマドに聖句を啓示した者はアリー・ムハンマドにも聖句を啓示している。学識者たちをも圧倒するほどの明瞭で明快な聖句を人に啓示できるものが神以外にいようか。汝は神の使徒ムハンマドの啓示を認めている故、「最初の点」が啓示したものも、危難の中の御救いに在し、御自力にて存在し給う御方である神より発したものであることを認める以外に汝に道は開かれていない。クルアーンは神が下さったものであり、誰もがその啓示の前においては無力であることは事実ではないか?同じようにこれらの言葉も神により啓示されたものである、汝、認知しさえすれば。バヤンの中の何が、汝をしてこれらの聖句が、得難い御方、最も崇高なる御方、栄光に満ち給う御方である神により送られたものであるということを認めることから引き留めているのか。

これらの言葉の真髄はこれである。もし我が汝を審判にかけたとすれば、汝が提示し得る成果は何もないことを証明するだけである。我は誠にすべてを承知している。もし汝が神の言葉を聞いたとたんに「然り」と答えていれば、始まりのない始まりから今日に至るまで神を崇め続け、瞬きの間でさえも彼に背くことなどなかったものと見なされたであろう。しかし、汝が生涯を通じて行った高潔な行為も、神の御心以外のすべての思いを心から追放する努力も、実に何一つとして、辛子の種一粒程でさえも汝の為にはならなかったのである。何故ならば、汝は彼の出現のときに神から自らを遮り、躊躇したからである。

誠にカーフ[クーフェ]の地におけるすべての神学者は汝と同様に「書と共に使者が汝に遣わされたにもかかわらず、汝は自らが無力なことを認めながらも彼がもたらした神の信教に従うことを拒み、自らの不信仰に固執し続けるなど、奇妙と思わないのか」と神に問われることになる。よって、汝は彼らの指導者であるが故に、汝にはその地において神に背いた者のために準備された火が与えられる。汝が耳を傾ける者であらんことを。

もし汝が神の定めに忠実に従っていれば、汝の領土における住民は皆すべて汝に従い、彼らもまた自ら天上の楽園に入り、未来永劫に神の御心に満足したことであろう。しかし、神が汝を創造してさえいなければと汝はその日に望むことであろう。

汝は信者を助けようとの思いで自らをイスラムの教えの学者として身を立てた。しかし、汝は信者を火の中に降下させた。それは神の句が下されたときに、汝自信をそれから隔離しながらも、公正な者の内に自らを数えたからである。……否、神が顕わすであろう御方の命に懸けて誓う汝であろうが、また神のしもべらの内の誰であろうが、最低限の証拠すらも挙げることはできない。一方、神は彼の創造物を超えてまばゆく輝き、彼の命令の力により天と地とその間に住むあらゆるものの上に君臨し給う。誠に彼はすべての創造物にも勝る力を持ち給う。

 汝は自らをアブドス・サへブ[主のしもべ]と称している。しかし、実際に神が汝の主を顕し、汝は汝自らの目を彼に据えながらも、彼を認めなかった。神は汝を彼の御前に到達する目的で存在するよう呼び起こしているにも関わらず。「雷鳴」[8]の章の第三節を誠に信じていたならば。

汝は「反駁できない証拠に過ぎない言葉しか聞いていないのに彼をどのようにして認めることができるのか」と主張する。汝はクルアーンを通して神の使徒であるムハンマドを認め、認識したわけであるから、「彼のしもべ」と自らを呼ぶにもかかわらずいかにして書を汝に送ったその彼を認めることを拒むのか。まことに、彼は全人類への啓示において明白な権力を行使するものである。

神聖なる啓示が我に下されているうちに汝が我に来るのならば、神は汝の火を光に変えるであろう。誠に彼は常に許し給い、最も寛大なる御方である。そうでなければ既に啓示されたものは決定的で最終的であり、復活の日まで全ての者により誠実に維持されるのである…。もし神聖なる啓示が止まれば、汝は神が顕わすであろう御方に嘆願書を書き、彼にそれが届くように懇願すべきである。その中で汝は汝の主の許しを請い、悔い改めて彼に向かい、完全に彼に献身する者らの内の一人とならなければならない。神は次の復活の際に汝の火を光と変えるであろう。彼は誠に擁護者であり、保護者であり、最も崇高なる御方、常に許し給う御方である。天と地とその間にある全てのものは彼を崇めるためにひれ伏し、すべては彼の元に戻るのである。

我は汝自らとその土地のすべての住民を火から救い、そして唯一無二であり崇高なる楽園である彼の御心に入るよう申しつける。さもなくば、汝が滅びて火に入る日が近づきつつあり、その時汝には、神からの擁護者も援助者もなかろう。汝は我と関わっている故、我からの恩寵の印として我は汝に哀れみをかけている。誠に我はすべてを認知している。我は汝の良き行いをも認識しているが、それは汝にとって何の得にもならないであろう。それというのも、そのような善行の全目的は汝の主である神を認識することと、彼により啓示された御言葉に対し疑いもない信仰心を抱くこと以外の何ものでもないからである。

 

マスカットの地におけるイスラムのある神学者スレイマンに宛てられた言葉

 

 この書簡は危難の中の御救いに在し、御自力にて存在し給う御方である神により、海の右手にあるマスカットの地にいるスレイマンに宛てられたものである。 誠に危難の中の御救いに在し、御自力にて存在し給う御方である彼の他に神はなし。…天と地とその間に存在するすべての住民が皆寄り集まったとしても、たとえ我がその者らを地上における雄弁と学問の巨匠にしたとしても斯様な本を産出するには全く無力であり失敗に終わることは確実である。汝はクルアーンからの証明を示したため、神はその同じ書を用いバヤンの中において彼自身の正当性を立証しよう。これは神からの定めに他ならず、彼は誠に全知におわし、全能なる御方である。

もし汝が本当に信ずる者らの一人であるなら、汝はそれに忠誠を誓う以外に道はない。これは天と地とその間にあるすべてのものの神の道である。全能者であり、得難い御方、最も崇高なる御方である我以外に神はなし。

 この地より我は聖なる家へと向かい、その帰路において再びこの場所に上陸した時、汝は我が汝に送ったことを全く鑑みることもなく、また誠に信ずる者でもないことを我は見て取った。我はわが(かんばせ)を仰ぐために汝を創造したにもかかわらず、そしてが汝の付近に上陸したにもかかわらず、汝はそれでも汝が創造された目的に達することを怠たった。それも神を生涯通して拝み続けてきたにもかかわらずである。よって、の面前との聖句から暗幕により遮られたかの如き汝が原因となり、汝の行いは無駄となった。これはにより定められた撤回不能の判決である。誠には審判において公正なり。

もし余が汝に遣わした書簡の内容を汝が順守していたならば、それは始まりの無い始めから今に至るまで汝の主を拝み続けることよりもはるかに汝にとって有益となり、そして崇拝行為によって汝が如何に忠誠であるかを示すより実際はるかに為になったことであろう。そして汝がこの地において汝の主の面前に達し、この「最初の点」である人物の背後には神の御顔(おんかんばせ)があることを誠に信ずる者であったとすれば、それは始まりの無い始めから現時点に至るまで崇拝行為としてひれ伏し続けてくるよりもはるかに有利となっていたことであろう……。

誠に余は汝を試し、汝が理解力のある者でないことを見出した。よって、正義の証として余は汝に否定という判決を下した。誠に余は公正なり。

 しかし、汝が余の下に戻ったならば余はその否定を肯定に変える。誠に余の寛大さは絶大なり。しかれども、「最初の点」が汝の許から離れ去った時には神の言葉によって与えられた判決が最終かつ可変不可能のものとなり、誰もが皆それを支持するであろう。

 もしも神が顕わすであろう御方に宛てて汝が手紙を書き、彼の御許へと届けるようにと懇願したとすれば、おそらくは彼は忝くも汝を許し、彼の命令により汝の否定を肯定に変えるであろう。彼こそは誠に最も御恵深く、最も寛大なる御方であり、彼の恩寵は無限なり。さもなくば、「はい、私はここにおります」と応えなかったが為に、汝にすべての道は閉ざされていることを発見し、汝が過去に行った行いから報いを得ることも出来ないであろう。誠に余は汝が存在などしなかったかの如く、また良き行いをしたことの無い者かの如く汝と汝の行いを無に帰した。それは、バヤンを与えられたものへの教訓となり、またその者らのもとに『神が顕わすであろう御方』の聖典が届いたときにそれに注意を払い、それを熟考することにより自らの魂を救いうるきっかけとなるようにとするためである。

 余の恩寵は天と地の王国とその間に住まうすべての者ら、そしてそれを超えて全人類に行き渡るものである。しかし、自らを暗幕により遮ったかの如き者らについては、いつまでたっても溢れ出る神の恩寵に授かることなどできないのである。

 

   

2

ガユームル・アスマからの抜粋

 

 全人類への輝ける光とならんがためにと真理の力によりこの書を彼のしもべに遣わした神に全ての賛美あれ……。誠にこれは至上の真理にほかならず、天と地にあるすべての者らのために神が開き給うた道である。なれば望むものは己の主への正しき道を自ら歩むがよい。誠にこれは真の神の信教であり、経典の知識に恵まれた者らと神が十分な証人である。これは確かに日の老いたる者である神が彼の全能なる言葉—燃える藪の真只中から立ち上げた者—に対して啓示した久遠の真理である。これは天と地にいるすべてのものから隠されてきた神秘であり、誠にこの素晴らしき啓示の中では崇高なる御方である神の手により母なる書において明らかにされたものである……。

 おお、王と王の息子らの群勢よ!汝の支配下にある領土は神に属し、汝ら皆それ放棄せよ……。

 汝の主権に欺かれることなかれ、おおシャー[国王]よ。それは「全ての魂は死を味わねばならぬもの」[9]であり、これは確実に神の定めとして書き記されたものであるから。(第一章)

 

 

 おおイスラムの王よ!書を援護した後、真実をもって「わが最も偉大なる想起」である御方を援護せよ。神は誠に、汝と汝を旋回する者らに対し審判の日に彼の道において責任ある地位を定め給うた。我は神に懸けて誓う、おおシャーよ!もし汝が「彼の想起」である御方に対して敵意を見せるようなことがあれば、神は復活の日に汝に対し、王らの前にて、業火が宣告され、そして誠に汝はその日において崇高なる御方である神以外に援助してくれるものはいないことを見出さないであろう。最高なる御方におわす神の許しにより、それも、恐ろしくも突然に、彼の強力な大業をもって「神の想起」が到来する前に、経典を否認する者らから聖なる地(テヘラン)を清めよ、おおシャーよ。神は誠に汝に「神の想起」である御方、そして彼の大業に服従するように命じ、真実および彼の許しの下で国々を征服するよう指示し給う。それというのも汝にはこの世において統治権が慈悲深くも与えられ、そして次の世において、彼の御心の楽園の住人らと共に神聖の座の傍に住まうことになるからである

神に誓う!汝らが善いことをすれば、それはみな汝らのためになり、汝らが神と神の御印を否定するならば、我には誠に神があり、いかなる創造物も地上のいかなる主権をも必要とするものではない。(第一章)

 

 

 汝、真実者である神の掟に満足せよ。何故ならば主権は、母なる書に神の手によって記録されているように、「神の想起」である御方に確実に託されているのであるから……。

 おお、シャーの大臣よ!汝、神を畏れよ。至上の真理であり、公明正大なる御方である彼以外に神はなし。そして汝の領土を放棄せよ。それは聡明なる御方である神の許しの下で、我が大地とその上にあるものをすべて相続し[10]、彼が汝とシャーの正当なる証人となるのは当然のことである。もし汝が完全なる誠意をもって神の「想起」に従うならば、復活の日に我は神の許しの下で彼の永遠なる楽園の中の広大な領土が汝のものとならんことを保証する。

汝の領土は実に空虚なものである。それというのも神はこの俗界に属する所有物は彼を否定した者に充てがい、汝の主たる御方、事実、日の老いたる者である彼には最も上等な住居が充てがわれるのであるから・・・・・・。

おお王の群勢よ!我が啓示した語句を誠実かつ早急にトルコとインドの人々に、そしてそれらを超えて力と誠実をもって東西双方の地に届けよ……。そしてもし汝らが神を援助したならば彼は復活の日に、「橋」の上で、「彼の最も偉大なる想起」である御方を通じて恩寵深く汝らを援助することを知れ……。

 おお地球の人々よ!神の「想起」と彼の書に従うものは誠に神と彼に選ばれしものに従った者であり、来る世においては神の御前にて彼の御心の楽園の住人の内に数えられるのである。(第一章)

 

 誠に我は語句の啓示を汝らへの我がメッセージの証しとした。汝らはこのような語句に匹敵する一文字でも産出できようか?ならば汝らは唯一真実なる神を見出すことができるものらのうちであれば、汝らの証明を見せよ。我は神の前にて誓って肯定する。全ての人と精霊が束になってこの経典の一章と似たものを作り出そうとかかったところで、彼らは確実に失敗するであろう、たとえ彼らはお互いに協力し合ったとしても。[11]

 おお神学者らの群勢よ!この日以降、汝らが見解を述べる際に神を畏れよ。それというのも我が遣わした汝らのさなかにいる「わが想起」である御方は実際に審判であり証人であるからである。汝らがしがみつくもの、そして真実者である神の書が許容していないものから背け。それというのも復活の日に汝らは「橋」の上にて誠に自らが就いていた地位について責任が問われるからである……。そして我は、何者も誤解することのないこの書を汝らに送ったのである……。

おお書の民の群勢よ!神を畏れよ、そして自らの学識を誇りにするなかれ。真実者なる神への賛美として「彼の想起」が啓示した神の書に従え。久遠の真理である御方がわが証人である。誰であれこの書に従う者は実に過去に至上真理である神が天より授けたすべての聖典に従った者である。誠に彼は汝らがしていることを熟知している……。イスラムの真の信者が言うなれば、「おお主なる我らが神よ!私どもは『あなたの想起』の呼びかけに耳を傾け、彼に従いました。我らの罪を許し給え。あなたは誠に久遠の真理におわし、我らの絶対確実な退却先であるあなたの御もとに私どもは帰す身でございます。」[12](第二章)

 

 

そして崇高なる神の門である御方を否定する者らについては、彼らのために我は神が公正に定めた通りに辛い苦悩を準備しておいた。そして彼、神は偉大なる御方、聡明なる御方である。

我は実にこの神の霊感を受けた書をわが「しもべ」に授け給うた。汝、「わが想起」である御方にその解釈を求めよ。何故ならば、彼は神が定められた通りに、そして神の恩寵を通して、その語句についての知識が与えられているからである……。

 おお人の子よ!もし汝らが唯一真実なる神を信じるならば、彼が汝らの罪を恩寵深く許し給うように、汝の主により送られたこの「最も偉大なる神の想起」である我に従え。誠に彼は信者の群衆に対しては寛大で哀れみ深い。我は誠にわが言葉の威力により使者を選び、我は彼らの子孫を「神の偉大なる想起」が書の中にて定め、そのうちに秘められたとおりにまちまちに高揚する……。

 この市の住民の幾らかは「わたしどもは神に仕えるものなり」と訴えるものの、この「想起」が突然として彼らの所に来るなり彼らは我を援助することに背を向けた。誠に神はわが主におわし、汝の真の主である。よって、彼を崇めよ。このアリ(バブ)からの道は汝の主からしてみれば真っすぐな道[13]以外の何ものでもないのであるから。(第三章)

 

 

我はすべての民に各自の言語で書を授けた。[14]この経典こそは「わが想起」の言語にて啓示したものであり、これは実に素晴らしき言語である。彼は誠に神より来たる久遠の真理であり、母なる書において下された神の審判の通り、彼はアラビア語で執筆する者らの中で最も優れた御方であり、発言においてはもっとも流暢である。母なる書に明示されたように、彼こそは誠に「最高の護符」であり、超自然的な力が授けられているのである……。

おお市の人々よ!汝らは汝らの主を信じなかった。もし汝らが本当に神の使徒であり預言者の封印であるムハンマドに忠誠であり、もし汝らが彼の書である誤りのないクルアーンに従っているならば、見よ、それに匹敵するもがここにある。この書は、我が誠に、そして神の許しの下でわが「しもべ」に授けたものなり。もし彼を信じることを怠るならば、神により汝のムハンマドと過去に啓示された彼の書への信仰は実は偽りのものであるとみなされる。もし彼を否定するならば、汝がムハンマドと彼の書を否定した事実が、誠に、そして全く疑いもなく汝ら自身に明らかとなるであろう。(第四章)

 

 

神を畏れよ。そして「彼の最も偉大なる想起」については神により定められたこと以外は口にするなかれ。それというのも我は彼については各預言者とその信者らと個別の聖約を結んでいるからである。実際、我はこの拘束力のある聖約なしにして預言者を遣わしたこともなければ、我は誠に最上の門である御方との聖約が確立するまでは何に対しても審判を下すことなどはしない。間もなく指定された時に汝らの眼を覆うヴェールは取り払われるであろう。汝らはその時、雲陰りもなく鮮明に崇高なる「神の想起」を目の当たりにするであろう。(第五章)

 

 

人々は我が世の人々から遠く離れているとでも思っているのか。否、我が彼らを死の苦悶をもって襲った時に[15]彼らは復活の平野において慈悲の主と「彼の想起」がどれほど近かったかを目にするであろう。その時彼らはこう叫ぶことであろう。「バブの道に従ってさえいれば!彼にのみ避難所を求め、邪悪で誤った者らに求めなかったさえいれば!誠に「神の想起」は私どもの前[16]、背後、そして四方八方に現れたにもかかわらず、私どもは誠にその御方から暗幕があるが如くさえぎられていた」と。(第七章)

 

 

「実に彼は25歳を超えないのに神のことなど何故に語れるのか」と言うなかれ。汝ら我に耳傾けよ。我は天と地の主にかけて誓う。我は誠に神のしもべなり。我は長く待たれてきた神の面影である御方の御前より反駁できない証明の使者となるよう仰せ付けられた。実に神の御前にて母なる書に記されている通り、わが経典はここ汝らの目の前にあり。我がどこにいようとも、誠に神は誠に我を祝福し給うた。そして、汝らとともに我が地上で生き続ける限り、祈りと不屈の精神を守り続けるよう命じられたのである。(第九章)

 

 

彼以外に神は在さぬ御方は賛美され給う。彼は手中に権力の源を握った御方であり、そして神は誠にすべてのものに優る力を持ち給う。我は長寿を与えられたものは皆すべて衰える[17]ことを、そしてすべての苦難の後には楽が来ることを定めた。[18]それは、神の門が久遠の真理なる御方であることを人々が認めることができるためであり、誠に神は信じた者らの証人として立つのである。(第十三章)

 

 

おお汝ら、神のしもべらよ!誠に、もし汝らが「彼」に尋ねたことに回答がなかったとしても悲しむなかれ。それは「彼」が神により沈黙を守るよう命じられたからである。誠に、その沈黙は称賛に値する。我は「あなた」の夢の中で我の大業の程度を正確に見えるようにした。しかし、もし、「あなた」が隠された「神秘」を彼らに知らせたなら、彼らはその真理について互いに言い争うであろう。誠に真実の神、「あなた」の主は心の重大な秘密を知り給う。[19]

おお世界の人々よ!汝らが唯一真実なる神の道に捧げるものが何であれ、それらはすべて保存者におわす神に確実に護られ、神の「聖なる門」においてまったく損なわれることなく保存されているのを見るであろう。おお地球の人々よ!ご恩寵深くも神が誤りのない真理の力により「我」に託し給うたこの輝ける光に忠誠を誓え。また「邪悪なるもの」の足跡を辿るなかれ[20] それは汝の主である神を信じないよう促すからである。そして、誠に神は「彼ご自身」への不信仰をお許しにならないからである。ただし、その他の罪に関しては、神は気の向くままに許し給う[21] 実に、神の知識は万物を包み込む。(第十七章)

 

 

おお東西の人々よ!真のヨセフの大業について神を畏れよ。そして、汝らが誠にこの「門」の傍にて立つ敬虔な者らのうちに数えられる者として「彼」に讃えられるように、自ら決めたわずかな額[22]や俗界のつまらない財産と「彼」を交換するなかれ。誠に神はホセインを殉死させた者からは恩寵を控え給うた。わが祖先であった彼はタッフ[カルバラー]において一人孤独に見捨てられた状態にあった。ムアーウィエの息子ヤジードは腐敗した欲望から真のヨセフの首を僅かな額と、そして彼の財産を些細な金額と交換に残酷な人々に売り渡した。誠に彼らは重大な過ちを犯すことにより神を否定したのである。そのうち、わが再来の時に神は彼らに報復を課し、彼は誠に来たる世において過酷な苦悩を準備し給うた。(第二十一章)

 

 

おおコルラトル・エインよ![23]我は誠にすべての創造物のなかでも際立ってこの独特な啓示において「あなた」の心を開き、バブの顕現により汝の名を高めた。それは、人々がわが超越した威力を知り、神がすべての人々の称賛からは計り知れないほどに聖別され給うことを認知させるためである。彼は誠にすべての創造から独立し給う。(第二十三章)

 

 

諸天使と聖霊は隊伍をととのえ神の許可の下でこの「門」[24]に降臨しこの「焦点」の周りを大きな弧を描きながら旋回している。それらを挨拶して迎えよ、おおコルラトル・エインよ。なんとなれば夜明けがまことに到来したのだから。ならば信義に厚い者らの群衆にこう告げよ。「母なる書に予示されていた『朝』がもうじき明けるのではなかったか?」と。[25]

 おおコルラトル・エインよ!「あなたの大業」をもって切に神に向かえ。なぜなら、世界の人々は不義に走ったため、神の恩寵と「あなた」の慈悲が彼らに注がれなければ、何人(なんびと)たりとも今後永遠に、ただの一つの魂さえも清めることはできないであろうから。おおコルラトル・エインよ!「あなた」や「あなたの大業」に従う者らにとって来世は、実に、この俗界と俗界の喜びに比べはるかに有益である。これは「摂理」の執行により運命つけられていたことである…。

 おおコルラトル・エインよ!言挙げよ。誠に我は『神の門』であり、我は至上の真理である神の許しの下で、汝に「聖なる山」に位置する決して汚れることのない「泉」より勢い良く湧き出ずる純粋で澄みきった「彼の啓示」の水を飲めるよう差し出している。そして唯一真実なる神を追い求めて真剣に努力する者らはこの「門」に辿りつけるよう努力するがよい。[26]誠に神はすべてのものを勝る力を持ち給う……。

 おお地球の人々よ!全能者が恩寵深くも御自身のためにと選んだこのアラビアの青年が宣言する神の聖なる御声に耳を傾けよ。誠に彼こそは神により燃える藪の中からこの使命を託された真実なる者に他ならない。おおコルラトル・エインよ!栄光に満ち給う御方の秘密の中から好きなものを解明せよ。何故ならば比類のない主の命令により海が湧き立っている[27]からである。(第二十四章)

 

 

汝らは「神の最も偉大なる想起」である御方に対して利己的な空想をもとに邪悪な企てをしているのか?神の正義にかけて誓う。天と地とその間にある全てのものは我の目には蜘蛛の巣のように映っており、[28] 誠に神はすべてのことの証人であり給う。実に、彼らの企ては全て自分らに対する企て以外の何ものにもならない。誠に神はこの「想起」を天と地にいるすべての住民らから独立させ給うた。(第二十五章)

 

 

おお汝ら地球の人々よ!我がいない間に「門」をいくつも汝らに遣わした。しかし、信者らは、一握りの信者を除いて彼らに従わなかった。以前に我はアーマドを、そして最近になってはカゼムを汝らに遣わした。しかし汝らの内、心が純粋であった者ら以外は誰もが彼らに従わなかった。いったい汝らに何があったのか、おお書の民よ。汝らは汝の主であり日の老いたる者である唯一真実なる神を畏れぬのか?…… おお汝ら神を信仰していると公言する者らよ!久遠の真理におわす御方にかけて汝らに厳命する。これらの「門」の訓示のうちに、神がこの書にて打ち出している戒律と矛盾しているものを見出しているとでもいうのか?汝らの不信の故に汝らの学識は汝らを欺いているのであろうか?ならば用心せよ。何故ならば誠に久遠の真理の主である汝の神は、誠に汝らと共にいるのであり、実際汝らをしっかりと見ているのであるから…。(第二十七章)

 

 

 おお汝ら「最も偉大なる想起」の血族よ!隷属の油で紅色に染まっているこの神聖なる木は誠に燃える藪の真只中から汝ら自らの土壌より生え出でたにもかかわらず、そのことについて汝らは全く理解していない。それがたとえ彼の真なる天来の特質に関わることであれ、この俗界における彼の生涯の実際の状況であれ、また、彼の力強く穢れのない行為に関してであれ同様である。汝ら自身の空想により動機付けられ、汝らは彼が至上真理とは無縁だと考えている反面、神の思うところによれば彼は至上真理の力が託された「約束された者」そのもの以外の何者でもなく、そして彼は誠に「母なる書」に定められたように、燃える藪の内にあって責任を問われるものである……。

おおコルラトル・エインよ!最も崇高なる「御言葉」の召喚状を汝の血族内の侍女たちに届けよ。そして「最大の炎火」について彼女らを警告し、この強力な聖約に続いて神聖の座の傍において彼の御心の楽園の内に神との永遠の再会がくるという吉報を彼女らに伝えよ。誠に創造主である神はすべてのものに勝る力を持ち給う。

おお汝、「想起の母」よ!神の平安と祝福が汝の上に留まらんことを。汝は誠に崇高なる神御自身なる御方について辛抱強く耐えてきた。ならば偉大なる「神の御言葉」以外に他ならない汝の息子の地位を認めよ。彼は誠に汝に関して汝の墓と審判の日において責任を担うことを約束した。同時に汝は「彼の想起」の「筆」により保管された神の書簡の中において「忠実なる者の母」として不滅のものとなった。(第二十八章)

 

 

おおコルラトル・エインよ!この大業において両手を広く伸ばすなかれ。それは人々が「神秘」により茫然自失してしまうからである。また、全能者なる神に懸けて誓う。汝にはこの宗教制の後にもう一度登場する機会があるからである。

そして約束された時刻が到来したとき、あなたは、聡明なる御方である神の許しの下で「最も高く神秘的な山」の頂から、あなたの不可思議な「神秘」のほんの微かな、無限小のきらめきを開示せよ。それは、シナイの光輝を認知した者らは「あなたの啓示」を包む凄まじい、深紅の「光明」の閃光を見て、気絶し、息絶えるように。そして、神は誠に「あなた」の確実な擁護者である。(第二十八章)

 

 

おおペルシアの人々よ!最上の「神の想起」が汝らに授与したこの栄光ある名誉に満足しておらぬのか。誠に汝らはこの偉大なる御言葉を通して神により特別の好意を受けている。なれば聖域である彼の御前を退くなかれ。なぜなら、唯一真実なる神の正義にかけて誓う、彼こそは神からの至上の真理以外に他ならず、母なる書に定められているように、彼は最も崇高なる者であり、すべての英知の源であるからである……。

おお地球の人々よ!至高なる神の綱にしっかりと縋れ。それは「わが想起」であるこのアラビアの青年に他ならない。彼は火の海の中に氷点にて隠されて立つ御方である。(第二十九章)

 

 

 おお地球の人々よ!唯一真実なる神の正義にかけて。我は「バハの精神」より生まれ出た優しく活気に満ちた「天国の侍女」であり、ルビーの塊から削り出された「館」のうちに住まう。そして我はこのアラビアの青年の美徳を讃えることで「神の想起」を宣言すること以外のことをこの偉大なる楽園において決してみたことがない。誠に慈悲深き御方である汝の主以外に神はなし。なれば彼の地位を讃えよ。何故ならば、見よ、彼は最高の楽園の真只中において彼への称賛が謳われる幕屋での神の賛美の化身として立っているのである。

ある時は「彼」が常在不滅なる御方であり日の老いたる者である御方を称賛している際に彼の御声を我は聴き、またある時は「彼」が彼のもっとも尊い御名の神秘について語っている際にその御声を聴く。そして彼が神の偉大さについての聖歌を詠唱する時、全楽園は「彼の美」を見つめたいという切望で嘆き、彼が神の栄光を讃える言葉を吟唱する時、全楽園は凍結した山の奥深く封じられた氷の如く不動となる。我は、全地球とその中にあるすべてのものが彼のしもべらの指にはまる指輪であり、どの楽園もみな彼自身の楽園であり、どの天国も彼自身の天国である真っすぐな中道を彼がたどっている光景を見たようには思われる。彼の創造主であり永遠不滅の主権の主である神に栄光あれ。誠に「彼」は神のしもべに他ならず、汝の主である神の面影の門であり、至上の真理である。(第二十九章)

 

 

 おお「神の最上の御言葉である御方」よ!恐れるな。また、「あなた」悲しむなかれ。なぜなら、誠に「あなたの呼びかけ」に応えた者らについては、男女問わず、我は「最愛なる御方」の御前にて知らされているように、また「あなた」の望みに従い罪を許すことを保障したからである。誠に「彼」の知識はすべてのものを包含する。わが命にかけて「あなた」に厳命する。「あなた」の面を我に向け、不安を拭い去れ。誠に「あなた」は天上の集いの内において「崇高なる者」であり、「あなた」の隠されたる「神秘」は誠に燃える藪の中において創造の書簡の内に記録されている。間もなく神は「あなた」にすべての人々を統治する主権をあたえるであろう。何故ならば「彼」の統治はすべての創造物を超越するものであるからである。(第三十一章)

 

 

おおシーア派の群衆よ!汝ら神、そして「神の最も偉大なる想起」である御方に関するわが大業を畏れよ。なぜならば、「母なる書」にて定められているようにその火はすさまじいものであるのだから。(第四十章)

 

 

汝ら朝夕にこのクルアーンを都合の許す限り読み唱えよ、そして永遠の神が許可し給うままに、天空にて謳うこの「鳥」の麗しい調べの如くこの書の節を吟唱せよ。(第四十一章)

 

 

汝らの街から出でよ、おお西洋の人々よ。そして雲の影の中で慈悲の主が、彼を廻り、彼を賛美し、わがしるしを信じた者らのために許しを請う天使に囲まれながら汝らのもとへと降臨する日が来たる前に、神を援助せよ。[29] 誠に彼の指令は発布され、「母なる書」にある通り神の命令は確かに啓示されたのである……。

 単一で不可分な神の宗教において、互いに差異をつけない真の兄弟であれ。それは誠に神は汝らの心がこの信教における兄弟らにとって鏡のようになり、それにより汝らがその者らの中に反映しているのを見、その者らが汝らの内に反映されていることを見出すようになることを望んでいるからである。これこそが全能者である神の真の道であり、彼こそは誠に汝らの行動を注意深く見ているのである。(第四十六章)

 

 

おお汝ら地球の人々よ!先在する「火」により燃え立つこの聖木の領域から響き渡るこの我の呼びかけに耳を傾けよ。彼の他に神はいまさず、彼こそは崇高なる御方、聡明なる御方である。おお汝ら慈悲深き御方のしもべらよ!皆一人残らずこの「門」を潜れ。そして悪魔の歩みに従うな。何故なら、悪魔が汝らを不敬虔と邪悪の道を歩むよう促すからである。彼は誠に汝らの公然たる敵である。[30](第五十一章)

 

 

忍耐せよ、おおコルラトル・エインよ。なんとなれば、神はすべての国々とその人民の上にあなたの主権を確立することを誠に約束された。彼は神であり、誠に彼はすべてのものに優る力を持ち給う。(第五十三章

 

わが栄光にかけて!我は、我の力の手にて我以外には知られざる報復を不信心者に味わわせ、信義に厚い者らにはわが玉座の深奥にて我が育てた麝香の香りがする息吹きを漂わせる。そして誠に神の知識は全てを包含し給う。

おお光の群勢よ!神の正義にかけて、我は私欲に従って語ることもなければ、この書の内の一文字たりとも至上の真理なる神の許可なしには啓示されてもいない。汝ら神を畏れよ、そして彼の大業について何ら疑いももつな。誠にこの「門の神秘」は彼の聖句の神秘的な言葉に包まれており、見えるものと見えざるものの主である神の手により見通すことができない隠匿のヴェールの向こう側にて書かれている。

まことに神はこの「門」の周りのいたるところに神の仙薬の海を創造し給うた。それは存在の本質により紅色に染められ、生命力を与える力を持つ待望の果実により活気付けられている。そして神は、その海のために、最も崇高なる御方である神の許しにより、バハの人々以外は誰も乗ることができない、ほのかな紅色に染められたルビーの箱舟を幾隻も準備し給うた。誠に彼は栄光に満ち給う御方、聡明なる御方である。(第五十七章)

 

 

 主は誠に我に霊感を与えた。誠に、誠に、我は神であり、我以外に神は存在せず、我は実に日の老いたる者なり。

おお王国の人々よ!真実なる神の正義にかけて、もし汝らが二つの線の間において垂直に立つこの線の上にて確固不動の状態を保てれば、汝らは誠に「彼の想起」の手により差し出されたこの啓示の素晴らしき「源」から生ける水を飲むこととなるであろう……。

我は汝の真の主、天と地の主なる御方にかけて誓う。「彼の想起」についての神の「約束」については至上真理以外の何物でもなく、「母なる書」にて定められているように、必ずや実現するであろう・・・・・・。

言挙げよ、おお地球の人々よ!我の著書と同様の物を一文字でも作り出そうと汝らが寄り集まったとしても、絶対に作れるものではない。[31] して、誠に神すべてを認識し給う・・・・・・。

おおコルラトル・エインよ!言挙げよ。見よ!誠に「月」は薄れ、誠に夜は退き、誠に暁はすでに輝きをみている。[32] 誠に汝の主である神の指令は達成された・・・・・・。

全くの無から、おお偉大で万能なる「師」よ、あなたは、天の効能なるあなたの御威力により、この啓示を宣言するために私を出現させました。私はあなた以外のものに信頼を置く事もなく、私はあなたの意思以外の意思にすがることなどもありません。あなたは誠にすべてを満たし給い、あなたの背後には真の神が立たれ、彼はすべてのものを覆い給うものであります。実に「私」には、崇高で御力に満ち給い、すべてを維持し給う神のみで十分満ち足りております。(第58章)

 

 

おお神の面影である御方よ!私はあなたのために全自身を犠牲に致しました。私はあなたのために呪いを受け、またあなたの愛の道において殉死すること以外を渇望することも御座いません。崇高であり、守護者であり、日の老いたる者である神こそは私の証人として十分であります。

おおコルラトル・エインよ!「あなた」がこの重大な「呼びかけ」をした時に述べた言葉は私を痛く悲しませました。しかし、取消の利かない決定は神以外の誰にも託されておらず、定めは彼のみから発せられるものであります。私の生命にかけて、「あなた」は神と彼の創造物のには「最愛なる御方」として映る者であります。誠に神の内以外の力は存在せず、実に全能にして正義の報復者である汝の主のみが私を証言する者として十分である。(第58章)

 

 

おお地球の人々よ!神の正義にかけて誓う。至上真理の勢力を通じて、至上なる「証言」であり「予期されたガエム」に関する偉大なる「神の御言葉」によりこの啓典は地と天を浸透した。また、誠に神はすべてのことを知り給う。この神の霊感を受けた啓典は「彼の証」を東西に住む者らの為に確固と確立ならしめた。よって、神についての真実以外を述べることのなきよう注意せよ。何故ならば、この最上の「我の証」はすべての物事の証人であるからであると我は汝の主にかけて誓う……。

おお神のしもべらよ!辛抱せよ。何となれば、神が許すならば、偉大なる「御言葉」の力を託された「至上真理なる御方」は突如として汝らの内に現れ、汝らは「真理」自体に狼狽し、汝らはそれを避ける力もないであろう。[33]そして誠に我は全人類に対して証人として立つのである。(59)

 

 

誠に「彼の想起」を通して啓示された素晴らしき聖句をあざ笑う者らは自らを笑いものにしているだけであり、余は実は彼らが悪事にさらにのめりこんで行くよう補助してやっている。[34]実に神の知識はすべての創造物を超越し給う……。

 不信心者は誠に神を「彼の想起」から遠ざけようとしているが、[35] 神は断固として「彼の光」[36]を「彼の想起」を通して完璧なものにするよう決心している。誠に彼はすべてにおいて強力なる御方である……。

誠にキリストは余の「御言葉」であり余がマリアに伝えたものである。[37]そして、誰にもキリスト教徒が言うように『三分の三』[38]などと言うことなかれ。それというものもそれは「母なる書」にて定められているように至上なる権威を託されている「想起」なる御方を中傷するようなものであるからである。誠に神は唯一神であり、彼以外の存在があろうとは彼の栄光からして全くありえないものである。復活の日に彼の御前に到達する者は彼のしもべら以外の何者でもなく、神は誠に守護者として十分である。誠に我は神のしもべの一人以外に他ならず、「彼の御言葉」であり、誰よりも先に、最も崇高なる御方である神の御前にてひれ伏して懇願する者に他ならない。また実に神はすべてを見給う御方である。(第61章)

 

 

おおクルアーンの人々よ!汝らは「神の想起」とこの啓典に屈服しなければ無も同然である。もし汝らが神の大業に従うのならば余は汝らの罪を赦し、汝らが余の命ずるところから背くなら余は誠に汝らの魂を余の啓典にて最大の炎火へと宣告することとなる。たとえそれがナツメヤシの種の小さなくぼみ程度であれ、余は誠に誰をも不正に扱うことなどはない。(第62章)

 

 

おお地球の人々よ!汝らが平和への正しき道、そして神の許しを経て暗闇から踏み出し光の中へ、そしてはるか遠くまで伸びる「真理の道」へと導くために、誠にまばゆい「神の光」はこの過ちを犯すことのない啓典を託されて汝らの内に現れた。[39]……

 神は全くの無から、彼の命令の威力により天と地とその間にあるあらゆるものを創造した。彼は永遠の和の内に単一にして唯一無二であり、彼の神聖なる神髄に配するものなど全く有り得ず、誰一人の魂とて「彼自身」以外は「彼」を相応しく理解できる者は存在しない。……

 おお地球の人々よ!誠に、使者が遣わされなかった間を隔て、「唯一真実なる神の日」に先制して汝らを穢れから洗い清めるために「彼の想起」が神により遣わされた。[40]よって、誠心誠意、彼より天恵を彼により求めるがよい。何故ならば余は誠に彼を地上に住むすべての者らへの「証人」、そして「英知の源」として定めたからである……。

 おおコルラトル・エインよ!慈悲深き主の好意の証として汝に送り与えたことを宣布せよ。もし汝がそうせぬならば、余の秘密は人々にいつまでも人々に知らされないではないか。[41]それも神が人を創った目的は人が彼を知るために他ならないのであるから。実に神はすべてのことを知り、全人類を超越し、誰の力をも必要としない御方であり給う。(第62章)

 

 

この啓典の聖句が唱えられるときは何時であれ、すべてにおいて称賛され給う御方である神に対して抱く愛により、忠実なる者らの眼は涙であふれ、心は「最も偉大なる想起である御方」に深く感動する。「彼」は神であり、全知にして不朽なる御方である。彼らは誠に最高の楽園の住人であり、彼らはそこに永遠に住まわん。そこでは誠に彼らは神から出でたもの以外のものは目にすることもなく、彼らの理解の限界を越えるものもない。そこでは彼らは「平安有れ、平安有れ」と口にしながら話しかけてくる楽園の信者に会うこととなる……。

 おお忠実なる者らの群衆よ!この「神の想起」により宣言される「我の声」に耳を傾けよ。誠に神は我が提示した「想起の道」こそが正(まさ)しく真っすぐな「神の道」であると我に啓示し、そしてこの高潔な信教以外の宗教に従っていると訴えるものは誰であれ、経典にて記録されているように、審判の日に責任を問われたときに彼は「神の宗教」からまったく何も得とく出来ていなかっとことを発見するであろう……。

 汝ら神を畏れよ、おお王達よ。「彼の想起」である御方の素晴らしき弁舌にて語られた通りに啓典と神の兆候とともに真理をもって汝らの前に顕れた後に、「彼の想起である御方」[バブ]から離れたままとならぬよう気をつけよ。神の恩恵を請い求めよ。何故ならば、神は汝らが「彼」を信じた後に、「楽園」全体の広大さと匹敵する「庭園」を神は汝らに定めているからである。「母なる書」に定められている通り、その内において汝らは畏れ多くも全能者がこの重要な大業を機に授けられた贈物やご贔屓以外を見ることはないであろう。(第63章)

 

 

おお「神の精神」よ!我の至聖所にて我が「あなた」と会話を交わしたときに我が「あなた」に授け与えた恩恵、そして神聖なる「精神」の内に安置された神の戒律を「あなた」が唯一無二の神の吹き口として人々に宣布できるよう聖霊の威力により「あなた」を援助したことを思い起こせ。

 誠に神は「あなた」がまだ子供だった頃に聖句と英知を吹き込み、畏れ多くも「彼」の愛顧を「あなたの最も偉大なる名」の影響により世界の人々に賜ったのである。それというのも実に人々は啓典の知識を少し足らずとも持ち合わせていないからである。(第63章)

 

 

 おお地球の人々よ!真実者である神に最良の避難所を求め、そこに達そうとするのであれば、この崇高なる人物以外の門を求めることなどありえるのか?……

 神が「想起」を創造した時に神は「彼」をすべての創造物の群衆に「神の意思」の祭壇上にて披露した。すると天使の群衆は唯一無二で比類のない神を崇敬し深くお辞儀をし、同時にサタンは高慢になり「彼の想起」に服従することを拒否した。よって、サタンは「神の書」にて傲慢で憎まれる者として認められるのである。[42](第67章)

 

 

 神を除いて他に真の神など存在しないその神曰く、実に「神の想起」が他界された後に彼を訪れるものは誰であれ、彼の強大な玉座にて君臨する主の御前に達した者と同様と見なされる。誠にこれは「母なる書」にて確固として定められた「最も崇高なる神の道」である……。

 言挙げよ、おお世界の人々よ!悪魔の囁きにつられて汝らと汝らの祖先が決め込んだ「彼」の呼び名を理由に神について我と言い争うのか?[43]神が実際我に真実とともにこの啓典を遣わしたのも、汝らが神の真の名の数々を認めることができるようにするためであり、それは汝らが真理から踏み外し、遠くかけ離れた過ちの中を彷徨っているからである。誠に余はすべての創造物がつくられし時にそれぞれに「神の想起」に関して聖約を結び、バブの手によって書かれた啓典の中にて定められているように、人類の浄化に当たって拘束力のある神の命令を妨げうるものは誰一人としていない。(第68章)

 

 

人々は、バブがいない間に、子牛の挿話と同じ行為を再び繰り返し、動物の特徴を人間の形で体現した像を祀った。[44] ・・・・・

 人々が「君」に約束された時について尋ねてくるたびに、次のことを述べよ。誠にそのことについての知識は見えないことを知る御方であるわが主のみにある。[45]一つの魂から汝を創造した御方である彼の他に神はいまさず、[46]我はわが身に降りかかることが、我の益になるのか危害となるのかは全く制御することはでず、わが主の思し召しに従うだけである。[47]誠に神は誰の力をも必要としない御方であり、わが主である彼はすべてのものに対して最高権威を持ち給う御方である。(第69章)

 

 

人々は、余が彼らの内の一人に対し啓典を顕示することで彼らを浄化し、彼らに吉報を伝え、彼らが主の御前にて確かな立場に立つことができるようにするとの褒美を遣わすことを不可思議に思うのか。「彼」は誠にすべての事物について証言し給う御方なり……。

 この啓典の聖句が不信心者に唱えられし時、彼らは「我らにクルアーンのような書を与え、その語句を変えてくれ」などと言う。言挙げよ、「神が我に与えしものは、我が好き勝手に変えてよいものではない。」我は我に顕示されたことに従うのみである。誠に我は「分離の日」に顕れるわが主のみを畏れるのであり、彼の出現についての定めは取り消しえないものである。[48](第71章)

 

 

おお地球の人々よ!誠に真の神は次のように呼び掛ける。「神の想起である御方」は正に神から授かった至上真理であり、真実の枠外にあるものは全て誤りに他ならず、[49]誤りの枠外にあるものは炎に他ならないことは、確固とした定めである……。

 おおコルラトル・エインよ!真実の力を通して偽りなき「君」の胸に指差し声高らかに述べよ、我は唯一真実なる神に懸けて誓う。神の代理人はここにあり。誠に我は「最高の報酬」[50]として見なされる者であり、我こそは最も上等な住居なる御方である。(第72章)

 

 

おお信者の集団よ!真理が顕現された後に我に否定の言葉を語るなかれ。それというのも、誠にバブの権限は過去に汝らにクルアーン内にて適切に宣言されている。汝の主にかけて誓う、この啓典は誠に過去に贈り下したクルアーンと同じである。(第81章)

 

 

おお大切な「心の果実」である「君」よ!至上なる天の高みよりさえずるこの神秘の「鳥」のメロディーに耳を傾けよ。主は、誠に、次のように宣言するよう我を感化した。誠に、誠に、我こそは神なり。彼の他に神は無し。彼こそは全能者であり、聡明なる御方である。

 おお、我のしもべらよ!汝らこの最高の報酬を切に求めよ。何故ならば我は誠に「神の想起」の為に我以外の誰も窺知することのできない庭園を創造し、その内においては「彼の道」において自らの命を犠牲とした者ら以外には全てが禁じられている。よって、「彼」がこの賞賛に値する報酬を汝に与えくださるように汝ら最も崇高なる神に歎願せよ。彼は誠に最高にして最も偉大なる御方である。もし余の望みであったならば、余はすべての人々を「余の想起」の周りを囲う一つの群と成すこともできたものの、彼らは反論をやめやしない、[51]真理の威力を通じて神が望むことを神が成し遂げるまでは。「想起」の思うところによると、この命(めい)は既に確固として定めておられる。……

 神が誠に「君」を選び給うたのは、人々に忠告をし、信者を正しく導き、書の秘密を明瞭にするためである。(第85章)

 



[1] 英語訳ではTháと書かれ、これはペルシア語の「Thámarih」(果物)という言葉の最初の文字を綴ったものである。

[2] アブドル・バハは彼の書簡の一つでこう説明しておられる:ある者はこの文言によって惑わされ、この学校というのは無知の子どもを訓練するための物理的な意味の学校と思った。しかし、これはこの偶発的な世界の限界から聖別された精神的な学舎を意味すると。「アグダスの書」でバハオラもまたこのバブの書簡について次のように言及しておられる:

 

 おお、汝、最高のペンよ!諸々の天の創造者、汝の主の御許しにより書簡を譲れ。そして、聖なる一体性の源泉である御方が超越的な唯一性の学舎に向けてその歩を進めたその日を思い起こせ。それにより、正しい意志をもつ者は、全能者、全智者なる汝の主の内奥の神秘のヴェールの背後に隠されているものを、針の目程であれ、知るであろう。

 言挙げよ。まことに、われは、地上に住むすべての心が無思慮に包まれていたとき、内なる意味と解説の学舎に入った。われは、慈悲深き主が啓示されたものを見、彼[バブ]がわれに差し出した贈り物、危急の場の救助者、御自力で存在する御方なる神の句を受け入れ、彼がその書簡中に立証したことに耳を傾けた。そして、誠にわれは証言者である。そして、われはわれ自身の命令で彼の呼びかけに応えたのである。まことにわれは命令者である。

 おおバヤンの人びとよ!われは汝らが長椅子で眠り込んでいるとき神の学び舎に入り、汝らが深い眠りにあったときその書簡を熟読した。唯一真実なる御方、神の正義にかけて。われはそれが顕される前にそれを読んだ、そして汝らはそれにまったく気付いていない、実際、われの知識は、汝らが未だ生まれていない時、その書簡を包含したのである。

 これらの言葉は、神の基準ではなく汝らの尺度に合わせたものである。彼の知識に秘められたことはこのことを立証する。もし、汝らこれを把握する者ならば。また、全能者の舌はこのことを証言する。もし、汝ら理解するものならば。神にかけて誓う。もしわれがヴェールを上げれば、汝らは唖然とするであろう。全能者とその大業とについて無駄な議論をしないよう気をつけよ。なぜなら、見よ、彼は過去と未来を問わず、万物を包含するほどの偉大な啓示を付与されて汝らの間に現れたからである。もし、われが王国の住民の言葉でわが主題を語るならばこのように述べるであろう。「まことに、神は天と地を創造する前に、その学舎を創り給うた。そしてわれは、「存」と「在」二つの文字が結合され、結ばれる前にその学舎に入った。

 

[3] ヒジュラ暦1260年、西暦1844

[4] クルアーン8:44

[5] 「ヒン」という言葉の文字の総数値は68である。ヒジュラ暦1268年(西暦1851−1852年)はバハイ啓示の誕生の前年である。

[6] メッカにあるカーベ

[7] クルアーン4:119を参照

[8] クルアーン13

[9] クルアーン3:182

[10] クルアーン19:41参照

[11] クルアーン17:90参照

[12] クルアーン2:285参照

[13] クルアーン3:50参照

[14] クルアーン14:4参照

[15] クルアーン68:42参照

[16] クルアーン7:63, 69参照

[17] クルアーン3668参照

[18] クルアーン65:7; 94:5参照

[19] クルアーン8:45参照

[20] クルアーン2:204参照

[21] クルアーン4:51参照

[22] クルアーン12:20参照

[23] ここでカユーモル・アスマより引用されている文には、「コルラトル・エイン」(目を慰めるもの)という名はバブご自身を指す。

[24] クルアーン78:38参照

[25] クルアーン11:83参照

[26] クルアーン83:25–26参照

[27] クルアーン52:6

[28] クルアーン29:40参照

[29] クルアーン2:206参照

[30] クルアーン2:163–164参照

[31] クルアーン17:88参照

[32] クルアーン74:35-37参照

[33] クルアーン21:40参照

[34] クルアーン2:14参照

[35] クルアーン4:149参照

[36] クルアーン9:32参照

[37] クルアーン4:169参照

[38] クルアーン5:77

[39] クルアーン5:15-18

[40] クルアーン5:22

[41] クルアーン5:71

[42] クルアーン2:32; 38:74–78参照

[43] クルアーン7:69; 12:40参照

[44] クルアーン7:146; 20:90参照

[45] クルアーン7:186参照

[46] クルアーン4:1参照

[47] クルアーン10:50参照

[48] クルアーン10:16参照

[49] クルアーン10:33参照

[50] クルアーン18:42参照

[51] クルアーン11:120参照