マスカットの地におけるイスラムのある神学者スレイマンに宛てられた言葉

 

 この書簡は危難の中の御救いに在し、御自力にて存在し給う御方である神により、海の右手にあるマスカットの地にいるスレイマンに宛てられたものである。 誠に危難の中の御救いに在し、御自力にて存在し給う御方である彼の他に神はなし。…天と地とその間に存在するすべての住民が皆寄り集まったとしても、たとえわれがその者らを地上における雄弁と学問の巨匠にしたとしても斯様な本を産出するには全く無力であり失敗に終わることは確実である。汝はコーランからの証明を示したため、神はその同じ書を用いバヤンの中において彼自身の正当性を立証しよう。これは神からの定めに他ならず、彼は誠に全知におわし、全能なる御方である。

もし汝が本当に信ずる者らの一人であるなら、汝はそれに忠誠を誓う以外に道はない。これは天と地とその間にあるすべてのものの神の道である。全能者であり、得難い御方、最も崇高なる御方である我以外に神はなし。

 この地よりわれは聖なる家へと向かい、その帰路において再びこの場所に上陸した時、汝はわれが汝に送ったことを全く鑑みることもなく、また誠に信ずる者でもないことを我は見て取った。我はわが(かんばせ)仰ぐために汝を創造したにもかかわらず、そして朕が汝の付近に上陸したにもかかわらず、汝はそれでも汝が創造された目的に達することを怠たった。それも神を生涯通して拝み続けてきたにもかかわらずである。よって、朕の面前と朕の聖句から暗幕により遮られたかの如き汝が原因となり、汝の行いは無駄となった。これは朕により定められた撤回不能の判決である。誠に朕は審判において公正なり。

もし朕が汝に遣わした書簡の内容を汝が順守していたならば、それは始まりの無い始めから今に至るまで汝の主を拝み続けることよりもはるかに汝にとって有益となり、そして崇拝行為によって汝が如何に忠誠であるかを示すより実際はるかに為になったことであろう。そして汝がこの地において汝の主の面前に達し、この「最初の点」である人物の背後には神の御顔(おんかんばせ)があることを誠に信ずる者であったとすれば、それは始まりの無い始めから現時点に至るまで崇拝行為としてひれ伏し続けてくるよりもはるかに有利となっていたことであろう……。

誠に朕は汝を試し、汝が理解力のある者でないことを見出した。よって、正義の証として朕は汝に否定という判決を下した。誠に朕は公正なり。

 しかし、汝が朕の下に戻ったならば朕はその否定を肯定に変える。誠に朕の寛大さは絶大なり。しかれども、「最初の点」が汝の許から離れ去った時には神の言葉によって与えられた判決が最終かつ可変不可能のものとなり、誰もが皆それを支持するであろう。

 もしも神が顕わし給うであろう御方に宛てて汝が手紙を書き、彼の御許へと届けるようにと懇願したとすれば、おそらくは彼は忝くも汝を許し、彼の命令により汝の否定を肯定に変えるであろう。彼こそは誠に最も御恵深く、最も寛大なる御方であり、彼の恩寵は無限なり。さもなくば、「はい、私はここにおります」と応えなかったが為に、汝にすべての道は閉ざされていることを発見し、汝が過去に行った行いから報いを得ることも出来ないであろう。誠に朕は汝が存在などしなかったかの如く、また良き行いをしたことの無い者かの如く汝と汝の行いを無に帰した。それは、バヤンを与えられたものへの教訓となり、またその者らのもとに『神が顕わし給うであろう御方』の聖典が届いたときにそれに注意を払い、それを熟考することにより自らの魂を救いうるきっかけとなるようにとするためである。

 朕の恩寵は天と地の王国とその間に住まうすべての者ら、そしてそれを超えて全人類に行き渡るものである。しかし、自らを暗幕により遮ったかの如き者らについては、いつまでたっても溢れ出る神の恩寵に授かることなどできないのである。