第1部
人類の進化に与える予言者の影響について
一、
自然はひとつの普遍的法則に支配されている。
自然は外見上、生と死、言い換えれば、万物の合成と分解から成り立つ状態であり、実体であります。
この自然は、絶対的組織、決められた法則、完全な秩序、完成した計画に従っており、それからはずれることは決してありません。実際、注意深く、鋭い洞察力をもって見るならば、目に見えない極小の原子から、太陽、大きな星、輝く天体といったような実在の世界にある巨大な物体に至るまで、その配列、組成、形体、運動のどれもが最高度の体系の中にあり、決してはずれることのない唯一の法則のもとにあることがわかります。
しかし、自然そのものを見れば、それ自体は知性も意志もないことがわかリます。例えば、火の本質は燃えることです。しかし、意志も知性もなく燃えます。水の本性は流動性です。意志も知性もなく流れます。太陽の本質は輝くことです。意志も知性もなく輝きます。蒸気の性質は上昇性にあります。意志も知性もなく上昇します。ですから、万物の自然な運動は強制されていることがはっきりします。動物の運動、なかでも人間の運動以外には、自発的運動はありません。人間はものごとの成り立ちを発見することによって自然に抵抗し、対抗することができます。こうして人間は自然の力を支配します。人間が成した発明はすべて、人間によるものごとの成り立ちの発見のお陰です。例えば人間は、東酉の情報交換の手段である電信を発明しました。
このように人間が自然を支配していることは明らかです。
さて、そのような現存の体系、配列、法則を考えてみる時、自然は、知性も知覚もないのにこれら全ては自然の生みだしたものと言えるでしょうか。そう言えないならば、知覚も知性もない自然は、全能である神の手中にあることがはっきりします。神は自然界の支配者であり、神は自ら望むものはどんなものでも自然界に出現させることができます。
実在の世界に現わされ、自然界になくてはならないものとして人間の命があります。こういう見地からすると、人間は枝であり、自然は根です。それでは、枝に存在する意志、知性、美徳は根にはないのでしょうか。
自然の本質は、永遠の全能者である神の力に掌握されています。神は、自然を精密な規則や法則のもとに置き、支配しているのです。@
注=@ 神の観念について 37「神は聖なる顕示者によってのみ理解される。」と、59「人間はどの程度神を知ることができるか。」を参照のこと。 読者はそこでバハイ信教は、神の神人同一の概念をとらないこと、もし習慣的用語を用いなければならない場合は、その象徴的意義を注意深く説明していることを知るであろう。
二、神の実在の立証と証拠
神の実在を実証するもののひとつとして、人間は人間を創造しなかったという事実があります。いえ、人間の創造主、設計者は人間以外のものです。
人間の創造主は人間と同じようなものではないことは確かであり、争う余地のないことです。無力な被造物が他の存在物を創造することはできないからです。物を生み出すもの、即ち創造主は、創造するために、あらゆる完全性を備えていなければなりません。
被造物は完全であるが、創造主は不完全であるということがあり得るでしょうか。絵画は傑作であるが、その作者は自分の芸術に未熟であるということがあり得るでしょうか。なぜなら、それは彼の芸術であり創造物だからです。その上、その絵は作者と同じではあり得ません。でなければ、絵そのものが絵を生み出したことになります。絵がどんなに完全であったとしても、作者に比べれば、その絵は未完成のうちの最高のものなのです。
この依存している世界は不完全さの源であり、神は完全さの源です。この依存している世界が持つ不完全さが神の完全さの証拠です。
例えば、人間を見れば、人間は弱いことがわかります。この被造物の弱さそのものが、永遠に全能なる神の力の証拠です。もし力がないとするならば、弱さは想像できないからです。従って、被造物の弱さは、神の力の証拠です。力がなければ、弱さもあり得ないからです。そこで、この弱さから、世界には力が存在することがはっきりしてきます。言い換えれば、この依存している世界には貧困があります。そこで必然的に富裕が存在します。貧困はこの世で明らかであるからです。この依存している世界には無知があります。必然的に知識があります。無知が見出されるからです。知識がなければ無知もないからです。無知は知識のないことであり、存在がなければ、非存在も認められません。
この依存している世界全体は、従わざるを得ない法則、規則に支配されています。人間でさえも、死、睡眠、その他に服従することを強制されています。即ち、人問はある条件のもとでは支配されています。必然的に、この支配されている状態は支配者の存在を示しています。依存しているものの特徴は依存性にあり、この依存性は必然的な必要性です。
ですから、独立性が本質である独立した存在があるはずです。
同様に、病人がいることから健康である人が理解されます。健康がなければ病気が証明されないからです。
それゆえ、あらゆる完全性を備えた永遠なる全能者がいることがはっきりとします。彼があらゆる完全性を備えていないならば、彼は、彼の創造物と同じになってしまうからです。
この実在の世界全体を通して同じことが言えます。ごく小さな創作物にも創造者がいます。例えばこのパンの一切れは、製造者がいることを示しています。
神をほめ讃えなさい。ごく小さな物の形体に起こるわずかな変化でさえ、創造者の存在を証明しているのです。この限りない大宇宙が自らを創造し、物質と要素の働きにより存在するようになったといえるのでしょうか。そのような想像は、何とはっきりした誤りであることでしょうか。
このように分かりきった論議は、弱い精神のために引用されるのです。内にある感受性が開かれれば、数知れない、はっきりとした証拠が見えるようになります。このようにして、人が内に宿る精神を感じたとき、神の存在についての論証は必要なくなります。しかし、精神の恩恵に目覚めない人々にとっては、外面的な論証を打ち立てることが必要です。
三、教育者の必要性
この世に存在しているものについて考えてみると、鉱物、植物、動物、人間の各世界は皆、教育者を必要としていることがわかります。
もし、大地が耕されなければ、役に立たない雑草の生い茂るジャングルになります。しかし、耕作者が土地を耕すようになると、生き物を養う穀物を生産するようになります。ですから、土は農夫による耕作が必要なことがはっきりします。樹木について考えてごらんなさい。木が耕作者のないままにおかれれば実を結ばないでしょうし、実を結ばなければ役に立ちません。しかし、庭師の手入れを受ければ、その同じ実を結ばない木も実を結ぶようになります。そして、耕作し、肥料を施し、にがい実を生じる木に継ぎ木することによって甘い実をつけるようになります。これらは理にかなった論証です。今の時代の人々には、理屈にあった論証が必要なのです。
同じことが動物についてもあてはまります。動物が飼育されると飼い慣らされます。また人も教育されないとけだもののようになり、自然の支配のもとにおかれれば動物より低級なものとなり、一方教育されれば天使ともなることを考えてごらんなさい。多くの動物は仲間を食うことはありませんが、アフリカ中央部のスーダンでは、人が互いに食い殺しあうのです。
東洋と西洋を人間の権威のもとに結びつけるものは教育であることを熟考してください。すばらしい産業を生み出すのも教育、偉大な科学や芸術を広めるのも教育、新しい発見や規則を明らかにするのも教育です。もし教育者がいなければ、快適な生活、文明、人間性というようなものはないに違いありません。もし人が誰一人仲間の見えない荒野に一人きりにされたなら、彼は疑いもなく単なる野獣になるでしょう。ですから、教育者が必要であることがはっきりします。
ところで、教育には三つの種類があります。即ち、身体的、人間的、精神的教育です。身体的教育は、栄養の摂取と肉体的慰安と安楽による身体の成長、発達に関わっています。この教育は、動物と人間に共通しています。
人間的教育は、文明と進歩を意味しています。即ち、政治、行政、慈善事業、費易、芸術、手工芸、科学、偉大な発明、発見、緻密な規則、これらは、動物と区別されるものとして、人間に本質的な活動です。
精神的教育は、「神の王国」の教育です。それは、神の完全性を身につけることにあり、これこそ真の教育です。人はこの段階で神の祝福の焦点となり、「人間をわれの像のごとく、われに似せて作ろう。」[1]という言葉の顕現した人となるのです。これが人間世界の到達目標です。
そこで我々は、同時に身体的で人間的で精神的な教育者、しかもあらゆることに方のある権威を持つ教育者を必要とするのです。ですから、もし誰かが「自分は完全な理解力、知性を持っているから、そのような教育者はいらない。」というとしたら、彼は明白なことを否定していることになります。それはあたかも子供が「自分には教育はいらない。自分の理性と知性によって行動し、存在の完全さに到達するだろう。」といっているのと同じです。または、目の見えない人が「自分には視力はいらない。他の目の悪い人たちも苦もなく過ごしているのだから。」といっているのと同じです。
そこで、人が教育者を必要とすること、しかもその教育者は、疑う余地もなくあらゆる点で完全であり、すべての人を超越していなければならないことが明らかになります。もしそうではなくて、彼が他の人々と同程度であるならば、彼は人々の教育者ではあり得ません。もつとはっきり言うならば、彼は精神的教育者としてばかりでなく、同時に身体的、人間的教育者でなくてはなりません。即ち、彼は、人間に物質界のことを組織し、成就することを教え、どんな事態が起こっても世俗のことが組織され、規制されているように、生活する上で、協調と相互扶助を確立するための社会制度を形成することを教えなければなりません。同様に、彼は人間的教育も確立しなければなりません。つまり、彼は人間が完璧な発達をとげることができるように、知識や思想を教育しなければなりません。こうして、知識や科学が発展し、物ごとの真実、存在の神秘、生存の特性に気づくようにし、日毎に教訓、発明、法規は改善され、感覚にとらえられる物から知的なことがらに関する結論を引き出すことができるように教育しなければなりません。
彼はまた、精神的な教育も施さなくてはなりません。そうして、英知と理解力が形而上の世界に浸み渡り、聖霊のけがれを清めるそよかぜから恵沢を受け、最上の集合の仲間入りができるようにしなければなりません。彼は、人間の本質が神性の現われでる中心となるように、人間の本質を教育し、神の属性と神の名が人間の本質の鏡にまばゆく映り、「われは、人をわれのかたちににせて造ろう。」[2]という聖句が実現されるほどの高みにまで教育しなければなりません。
人間の力は、それほど大きな役割を果たすことはできませんし、人間の理性のみでは、そのような偉大な使命の責任を果たせないことは明らかです。援助も支持もないたった一人の人が、そのような高貴な建設の基礎をどうして築くことができるでしょうか。この使命の達成を可能にするためには、神聖な精神の力に頼らなくてはなりません。一人の聖なる使者が人間の世界に命を与え、地上のありさまを変え、知識を進歩させ、魂を生き生きとさせ、新たな生存の土台を築き、新しい基準を確立し、世界を組織し、あらゆる民族と宗教とを一つの基準のもとにおき、人々を不完全さと悪徳の世界から解放し、生まれながらに持つ美徳と、後天的な完全さへ到達したいという願望でふるい立たせるのです。
神の力を持っていないものが、そのような偉大な仕事を達成できないことは確かです。私たちは、このことを正義に基づいて考えなくてはなりません。これこそ正義の役目だからです。
世界中の政府、人民が全力を尽し、軍隊を動員しても宣布普及できない大業も、一人の「聖なる人」は援助も支持もなしに推進できるのです。はたして人間の力でできるでしょうか。いや、神に誓ってできません。例えばキリストはたった一人で、全ての戦勝国が全軍勢を使っても達成できなかった平和と正義の水準を高めたのです。ローマ帝国、フランス、ドイツ、ロシア、イギリスなどの数多くのさまざまな帝国や人民の運命を考えてごらんなさい。全ての国は同じテントのもとに集結したのです。即ち、キリストの出現は、これらの異なった国々に連合をもたらしたのです。中には、キリスト教の影響でしっかりと結びつき、お互いに生命財産を犠牲しあうほどになった国々もありました。キリスト教の大立者であったコンスタンチンの時代が過ぎて分裂が起こりました。キリストはこれらの国々を結びつけましたが、しばらくして、各政府が争いのもとになったのです。私が言いたいことは、キリストは地上の全ての王たちが成し得なかった大業を維持したということなのです。彼は、さまざまな宗教をひとつにし、古い慣習を修正したのです。ローマ人、ギリシャ人、シリア人、エジプト人、フェニキア人、ユダヤ人、その他のヨーロッパ人の間にどれほど大きな相違があったかをよく考えてごらんなさい。キリストはこれらの相異を取り除き、これらの共同体の間に愛をもたらしたのです。しばらくして各国はこの同盟をつぶしてしまいましたが、キリストの仕事は達成されたのです。
ですから、普遍的教育者というものは、同時に身体的、知的、精神的教育者でなくてはなりません。そして彼は、神の教師としての地位についているために、超自然的力を持たなくてはなりません。もし彼がそのような神聖な力を示せないならば、彼は教育できないでしょう。彼が不完全ならばどうして完全な教育を施すことができるでしょうか。彼が無知であるならどうして人々を賢くすることができるでしょうか。彼が不正であるならどうして人々を正しくすることができるでしょうか。彼が低俗であるならどうして人々を高貴にできるでしょうか。
公正に判断しなければなりません。これまでに出現した聖なる顕示者たちは、これら全ての資質を備えていたのかどうか。[3]
もし彼らがこれらの資質と完全さを持っていないのなら、彼らは真の教育者ではありません。思慮深い人たちに対して、モーゼ、キリストその他の聖なる顕示者たちの予言者性を理性的論議によって証明することは、私たちの任務であるにちがいありません。そして私たちが提供する立証と証拠は、伝統的論理ではなく、理性的論理に基づいていなくてはなりません。このように実在の世界は真に教育者を必要としていること、その教育は神の力によって行なわれるべきであることを理性的論証によって証明してきました。この神聖な力は啓示であり、世界はこの人間の力を越えたこの力によって教育されることは疑いのないところです。
四、アブラハム
この力を所有し、その力によって援助されていた者の一人はアブラハムでした。その証拠は、彼がメソポタミアに生まれ、神の唯一性を知らない家族からでたことです。彼は、彼らのすべての神々を拒絶することによって、自分の国、民衆、家族にさえも対抗したのでした。その仕事は、簡単でもなければ、容易でもありませんでした。それは、あたかも今日、聖書に愛着を持つキリスト教徒の所へ行き、キリストを否定するようなもの、あるいは、ローマ教皇の宮廷でーそのようなことは決して起こりませんように。―最も強力な方法でキリストに不敬の言葉を吐き、民衆に対抗するようなものです。
その民衆は、ひとつの神ではなく、多くの神々を信仰し、奇跡は、神々によって起こされるとしていました。それで彼らは皆アブラハムに反対して立ち上がり、アブラハムの兄弟の息子であるロトと、あまり重要でない一人か二人の者を除いては、誰もアブラハムを支持しませんでした。ついに敵の反対によって絶望の淵に立たされた彼は、生まれ故郷を去ることを余儀なくされました。事実、彼らは、アブラハムがつぶされ、破壊され、彼の根跡すらも失くなるようにするため、アブラハムを追放したのです。
そこでアブラハムは、聖地にやってきました。彼の追放は、彼の破壊と破滅をもたらすと敵は考えたのでした。というのは、権利を奪われ、四方から反対され、生まれ故郷を追放された者は―王といえども―絶滅をさけられないと思われたからでした。しかしアブラハムは動揺もせずに、並はずれた堅固さを示しました。一神はこの追放を彼の永遠の名誉とされ、ついに彼は、多神教の世代の中で、神の唯一性を確立したのでした。この追放はアブラハムの子孫の繁栄のもととなり、聖地は彼らに与えられたのでした。その結果、アブラハムの教えが四方に広まり、彼の子孫からヤコブが出現し、エジプトの支配者になったヨセフが現われました。彼の追放の結果、モーゼやキリストといった者が彼の子孫から現われ、ハガルが見い出され、ハガルからイシュマエルが生まれ、その子孫の一人はマホメットです。彼の追放の結果、バブが子孫から現われました。1そしてイスラエルの予言者たちがアブラハムの子孫からたくさんでたのでした。そうして永久にそのように続くでしょう。彼の追放の結果、ヨーロッパ全体とアジアの大部分がイスラエルの神の保護下におかれました。自国から亡命した男がそのような一族をつくる土台となり、そのような信仰を確立することを可能にした力は、どのようなものであったかよく考えてごらんなさい。これらすべては、偶然起こったといえるでしょうか。私たちは公平でなければなりません。この人は、真の教育者であったのかどうか。
アブラハムがウルからシリアのアレッポに追放されたことがこの結果をもたらしたのですから、バハオラがテヘランからバグダットヘ、そこからコンスタンチノープル、ルーメニアヘ、そして聖地へと追放された結果をよく考えてみなくてはなりません。
アブラハムは何と完璧な教育者であったことか考えてごらんなさい。
五、モーゼ
モーゼは長いこと荒野の羊飼いでした。彼は残忍な家庭に育ち、殺人を犯して羊飼いポなった者であると人々の間に広く知られていました。ファラオの政府や人々は、彼を激しく憎み、ひどく嫌っていました。
このような男が、偉大な国を束縛の鎖から解放し、人々を満足させ、エジプトから連れ出し聖地へ導いたのでした。
この民衆は、堕落の底から栄光の頂きへと引き上げられたのです。彼らは捕われの身でしたが、自由になりました。彼らは諸部族のうちで最も無知でしたが、最も賢くなりました。モーゼが彼らに与えた制度のおかげで、彼らはすべての国の間で、栄誉を与えられる地位に達し、彼らの名声はあらゆる国へ広がりました。実際、まわりの国々で人をほめる時に、「確かに彼はイスラエル人だ。」というほどまでになったのでした。モーゼは法律と祭式を確立しました。これらは、イスラエルの人々に命を与え、当時可能な限りの最高度の文明に導いたのでした。
彼らがそれほどまでに発展したので、ギリシャの哲学者らが、学問のあるイスラエル人から知識を学ぶためにやってきたものでした。その一人はソクラテスでした。彼はシリアを訪れ、イスラエルの子供たちから神の唯一性と魂の不滅性の教えを学びました。彼はギリシャに戻ってこの教えを広めました。後にギリシャ人たちは彼に反対して立ち上がり、その不信心を非難し、アレオパガスの前で彼に罪状認否を問い、毒による死刑を宣告したのでした。
さて、どもりで、ファラオの家に育ち、人々の間に人殺しとして知られ、恐怖から長いこと身を隠し、羊飼いになった男が、どのようにしてそのような偉大な大業を確立できたのでしょうか。地上の最も賢い哲学者でさえ、この千分の一の影響も及ぼすことができなかったというのに。これは本当に驚嘆すべきことです。
どもる舌を持った男、正確に会話することすらできなかった男が、この偉大な大業を維持することに成功したのです。もし彼が神の力によって援助されていなかったなら、決してこの偉大な仕事は実現されなかったことでしょう。これらの事実は否定できません。唯物主義の哲学者、ギリシャの思想家、ローマの偉人たちは世界に有名になりましたが、彼らはそれぞれ、学問のほんの一分野だけを極めたにすぎません。ガレンとヒポクラテスは医学で、アリストートルは論理と論証において、プラトーは倫理と神学で称えられました。一介の羊飼いがどのようにしてこれらすべての知識を習得できたのでしょうか。彼が全能なる力によって援助されていたことは疑いありません。
どれほどひどい試練や困難が人々に振りかかることかも考えなさい。残酷な行為をさけようとして、モーゼはエジプト人をたおしたのでした。
その後、彼は人々の間で人殺しとして、とりわけ彼が殺した男が統治国の者であったがためになおさら広く知れ渡ったのでした。彼は逃げ出し、彼が予言者としての地位に引き上げられたのはその後のことだったのです。
彼の悪い評判にもかかわらず、彼の偉大な制度と法律を確立する上で、彼が超自然の力によって導かれていたことは、何と驚くべきことでしょうか。
六、キリスト
そののちキリストが現われて、「我は聖なる精神から生まれた。」と言ったのです。今ではキリスト教徒にとってこの主張を信じることは簡単なことですが、当時はとても大変なことだったのです。福音書によれば、パリサイ人はこう言ったそうです。「これは、我々の知っているナザレのヨセフの息子ではないか。それなのに我は天から下って来たなどとどうして言えるのだ。」1と。
要するに、誰の目から見ても明らかに身分の低いこの男が、千五百年続いた宗教を廃止するほどの力を持って立ち上がったのでした。
当時はその宗教からほんのわずか逸脱するだけでも違反者は危険や死にさらされたのでした。その上キリストの時代には世界全体の道徳やイスラエル人の状態は完全に混乱、腐敗し、イスラエルは最大の堕落、非惨、束縛の状態に落ち込んでいました。ある時はカルディア人とペルシャ人に捕えられ、またある時はアッシリア人の奴隷に落ちぶれ、その後はギリシャ人に支配され、従者になりさがり、ついにはローマ人によって支配され、さげすまれたのでした。この若い男、キリストは超自然の力の援助によって古代のモーゼの法律を廃棄し、一般道徳を改善し、再びイスラエル人のために永遠の栄光の基礎を置いたのです。その上、彼は人類に普遍的平和の吉報をもたらし、イスラエル人のみではなく全人類の全般的幸福をもたらす教えを外国にも広めたのでした。
最初に彼をなきものにしようと熱心だったのは、彼の同族のイスラエル人だったのでした。全くはた目には、彼らは彼を圧倒し、絶望の淵に追いやったように見えました。ついに彼らは彼にいばらの冠をかぶせ十字架にかけたのでした。しかしキリストは明らかな悲惨さと苦難のどん底にありながら宣言したのでした。「この太陽は輝き渡るであろう。この光は輝き、わが恩恵は世界を取り囲み、我が敵はさげすまれるであろう。」そして彼が言ったとおりになりました。地上の王はすべて彼を凌ぐことはできなかったのです。いやそれどころか彼らのすべての基準は捨てさられ、虐げられた者の旗が天頂に高く掲げられたのです。
しかしこのことは、人間の理解をはるかに越えています。ですから、この栄光に満ちた者は人間の世界の真の教育者であり、彼は聖なる力によって援助され、強固にされていたことが明白です。
七、マホメット
さて、マホメットにたどりつきました。アメリカ人やヨーロッパ人は、この予言者についての物語をいろいろ聞いています。しかも彼らは、それらが真実であると思い込んでいます。ところがそれらを語った人々はと言えば、無知な人々か、マホメットに反対した人々かのどちらかでした。その多くは聖職者でした。彼らはマホメットに関する根拠のない伝説をくり返し、しかもそれがマホメットを賞讃することになると愚かにも信じていたのでした。
このようにして、一部のイスラム教徒はマホメットの一夫多妻をマホメット賞讃の中心点とし、それを一つの奇蹟として、驚くべきものとみなしたのでした。そして、ヨーロッパの歴史家の多くはこれらの無知な人々の話を信頼しています。
例えば、愚かな人が牧師にこんな話をしました。偉大さの真の証拠は勇敢さと流血である、ある日戦場で、マホメットの一信者は百人の首を切り落とした、と。これは単なる想像にすぎないのに、この話は牧師を誤解させ、マホメットヘの信仰を証明する方法は殺人であると推測させました。それどころか、マホメットの遠征軍は常に防禦体制をとっていたのでした。その証拠に、メッカでの十三年間、彼と信者たちは最も狂暴な迫害に耐えたのでした。この時、彼らは憎しみの矢の的でした。同志のある者は殺され、財産は没収されました。池の者たちは外国へ逃げました。マホメット自身は、クライシテス族の激しい迫害にあい、ついに彼らが彼を殺すことを決めたため、夜中にメジナヘ逃亡しました。それでも敵は迫害を止めず、彼をメジナまで、そして信者をアビシニアにまで追跡したのでした。
これらのアラブの部族は、残忍さと野蛮のどん底に落ち込んでおり、彼らに比較すれば、アフリカの未開人やアメリカの乱暴なインディアンの方がプラトーのように進んでいました。アメリカの未開人は、アラブ人が名誉あることをしていると称えつつ、娘を生き埋めにするようなことはしません。1それで、多くの男は、自分の妻に、「もし娘を産んだらお前を殺す。」といっておどしたものでした。現在に至ってもアラブ人は娘を持つことを恐れています。その上、男は千人の女をめとることが許され、多くの夫は、十人以上の妻を家に持っていました。これらの部族が戦争をすると、勝った方は征服した部族の女、子供を捕慮にし、奴隷としました。
十人の妻を持った男が死ぬと、これらの女たちの息子はお互いの母親に突進し、息子の一人が自分のマントを父の妻の頭に投げて「この女は、法律の認める私の財産だ。」と叫べば、たちまちその不幸な女は、彼の囚人、奴隷となりました。彼は彼女に対してどんなことでもできたのです。殺すことも、井戸にとじこめることも、あるいは、死が彼女を解放するまで打ったり、ののしったり、痛めつけることもできたのです。アラブの風俗習慣によれば、彼は彼女の主人だったのです。家庭内の妻たちや子供たちの間に、悪意、嫉妬、憎悪、敵意があったにちがいありません。ですから、この問題をこれ以上広げても意味がありません。ですが、これらの抑圧された女性たちの生活状態がいかなるものであったか、もう一度考えてみてください。その上、これらアラブの種族の生活手段は、掠奪と強盗でした。彼らはいつも闘争と戦争に明け暮れ、互いに殺し合い、互いの財産を掠奪し荒廃させ、女、子供を外部の人に売ったのでした。貴族の娘や息子が、この上もない快楽とぜいたくな生活を送っていたかと思うと、一夜明ければ恥辱と貧困と監禁状態に変わっていたというようなことが、どれほどしばしばあったことでしょう。昨日は王女で、今日はとらわれの身となり、昨日、立派な貴婦人であったものが今日は奴隷であるといった具合でした。
マホメットは、こうした種族の中にあって、神の啓示を受けました。そして、彼らから十三年間に及ぶ迫害に耐えた後、逃亡したのでした。しかし、人々は弾圧を止めませんでした。彼らは、彼とすべての信者を根絶しようと結束したのでした。こうした事情だったので、マホメットは、武器を取って立ちあがらないわけにはいかなかったのです。これが真実です。
私たちは頑迷ではありませんし、彼をかばいたいのでもありません。私たちは正しいですし、また正しいことを言っているのです。公平に見てください。もしキリストが、そのような残虐で野蛮な種族の中でそのような状態に置かれ、十三年間、弟子たちと共にこれらの苦難を耐え、あげくの果て、自分の土地を離れなければならないことを余儀なくされたならば、一しかし、それでもなお、これらの無法な種族が彼を迫害し、人々を殺し、財産を掠奪し、女、子供を捕え続けるとしたら、彼らに対してのキリストの行動はどのようなものであったでしょうか。もし、この迫害がキリストに対してのみ加えられたのであれば、彼は、許したでしょうし、そのような寛恕の行為は、最も礼讃すべきものだったことでしょう。しかし、これらの残酷で血に飢えた殺人者たちが、これらの抑圧された人々すべてを殺し、掠奪し、危害を加え、女、子供を捕まえようとしているのを目のあたりにしたとすれば、彼は彼らを保護し、虐待者に抵抗したにちがいありません。ならば、マホメットの行為に、どんな異議を唱えられるというのでしょう。異議ありとすれば、マホメットが信者やその女、子供を率いて、これら野蛮な部族に服従しなかったことでしょうか。これらの部族をその残忍性から解放することこそ最高の親切であったし、彼らを強制し、拘束することは、真の慈悲であったのです。それはちょうど、毒の入ったコップを持っている人が、まさに飲もうとする時に、友がそのコップを割って、彼を救うようなものです。もしキリストが同じ状況に置かれたとしたら、きっと征服力を発揮して、人々や女、子供を血に飢えた狼の爪から守ったにちがいありません。
マホメットは、キリスト教徒に対して戦ったことはありませんでした。それどころか、彼らを親切に扱い、完全な自由を与えました。キリスト教徒の一団は、ナジランに住み、彼の世話と保護のもとにありました。マホメットは言いました。「もし誰かが、彼らの権利を侵すならば、私自身、彼の敵となり、神の面前で彼を咎めるであろう。」と。彼が布告した法令には、キリスト教徒やユダヤ教徒の生命、財産、名誉は神の保護下にあり、イスラム教徒がキリスト教徒の女性と結婚した場合、夫は妻が教会へ行くことを妨げてはならないし、ベールをかぶることを強制してもいけない。もし妻が亡くなったときには、遺体をキリスト教の司祭にまかせなければならないとはっきり述べられています。キリスト教徒が教会を建てようとした時には、イスラム教徒は、彼らを援助しなければなりません。イスラム教徒が敵と戦う場合には、キリスト教徒は自らの意志でイスラム教を守って戦うことを望む以外は、戦争の義務を免除されます。彼らはイスラム教の保護下にあるからです。しかし、この免除の代償として、彼らは毎年少額のお金を支払わなくてはなりません。要するに、これらの問題に関して、詳しく競明された七つの法令があり、そのうちのある写しは、今なお、エルサレムに現存しています。これは確かな事実ですし、私だけが言っていることではありません。第二世カリフ[4]の布告は今なお、エルサレムの正統派教会に管理され現存しており、このことについては疑問をはさむ余地はありません。[5]
それにもかかわらず、しばらくして、イスラム教徒とキリスト教徒の双方が裏切りあったことから、彼らの間に憎悪と敵意が生まれました。この事実からかけ離れている、イスラム教徒、キリスト教徒の物語は全くの作り話です。それらは、狂信や無知から生じたか、あるいは、激しい敵意から発生したものです。
例えば、イスラム教徒はこんな話をします。「マホメットは月を裂いた。そしてそれがメッカの山の上に落ちた。」彼らは、月はマホメットが二つに割って、一つはこの山に投げられ、もう一方はほかの山に投げられた小さな物体だと思いこんでいます。そうした物語は、全くの狂信です。僧侶が引用する伝承も、彼らが非難する歴史的出来事もすべて誇張されたものであり、さもなければ、全く根拠のないものです。
簡単にお話しします。マホメットはアラビア半島のヒジャスの砂漠に出現しました。そこは荒れはてた、砂ばかりの人の住まない不毛の荒野でした。その一部は、メッカやメジナのように猛烈に暑いのです。人々は砂漠の民としての風俗習慣を持つ遊牧民で、教育も学問も全くありません。マホメット自身、無学でしたし、コーランは、もとは羊の肩胛骨や、やしの葉に書かれたのでした。こうしたいろいろのことから、マホメットが遣わされた当時の人々の状態がわかります。マホメットが彼らに尋ねた最初の質問は、「あなたがたは、どうして旧約聖書の五書と福音書を承認しないのですか。なぜキリストとモーゼを信じないのですか。」というものでした。この言葉は彼らには、とても難しかったので、彼らは尋ねました。「私たちの先祖は、五書や福音書を信じなかったのです。これはなぜですか。教えてください。」彼は答えました。「彼らは誤り導かれていたのです。あなた方は、たとえあなた方の父親であろうと先祖であろうと、五書や福音書を信じない人はすべて拒否すべきです。」
そのような国で、しかもそうした野蛮な部族の中で、一人の学問のない人間が一冊の本を出したのです。その中で彼は全く完璧で、しかも理解しやすい文体で、神の属性、完全性、神の使者たちの予言者としての性質、神の法則、さらにある程度の科学的事実について説明したのでした。
あなた方もご存じのように、近代的観察がなされる以前、即ち西暦一世紀から十五世紀に至るまでの間、世界の数学者たちは、地球が字宙の中心であり、太陽が動くということに意見が一致していました。新しい理論の立役者であった有名な天文学者[6]は、地球の運動と太陽の不動性を発見しました。彼の時代に至るまで、世界の天文学者、哲学者はすべてプトレミー説に従っており、この説に異議を唱える者は無知な者とされていました。ピタゴラスや晩年のプラトンは、太陽が毎年黄道を一回転する運動は太陽によって生じるものではなく、むしろ勉球が太陽のまわりを動くことによって生じるという理論を採用していたにもかかわらず、この理論は完全に忘れ去られ、プトレミー理論がすべての数学者によって受け入れられて.いたのです。
しかし、コーランの中には、このプトレミー理論に反対する節が数ケ所あります。その中の一つに「太陽は固定された場所で動いている。」という節で、これは太陽の不動性と太陽の一つの軸に対する自転を表わしています。[7]また別の節には、「そしてすべての星はそれぞれの天界で動く。」[8]とあります。太陽、月、地球その他の天体の運動は、このように説明されているのです。コーランが世に出た時、すべての数学者はこの言葉を嘲笑して、その理論を無知なものと見なしました。イスラムの学者でさえも、これらの文が世に受け入れられているプトレミー説と反対であることを知って、その説明を避けなくてはなりませんでした。
有名な天文学者(ガリレオ)が自分の発明した望遠鏡の助けによって新しい観測をし、重大な発見をしたのは、実に十五世紀で、マホメットの死後約九百年たってからでした。地球の回転、さらに太陽の固定性とその軸に対する自転も発見されたのです。コーランの節は事実と一致しており、プトレミー説は想像にすぎないことが明らかになったのです。
要するに、中東の人々は、千三百年問、マホメットの宗教のもとで育くまれたのでした。ヨーロッパが野蛮さの深淵に沈んでいた中世に、アラブ人たちは、学問、芸術、数学、文化、政治、その他の科学において、地上のいかなる国よりも優れておりました。これらアラブの部族の啓発者、教育者であり、異なる人種間に人間の文明と美徳をもたらした建設者は、実にこの一人の無学な男、マホメットだったのです。この輝かしい人問は、真の教育者であったかあるいはそうではなかったのか。公正な判断が必要です。
八、バブ
バブについてお話ししましょう。―我が魂を彼の犠牲となしたまえ―。
バブは、青年時代に、即ち彼の祝福された生涯の二五年目に、彼の大業を宣言するために立ち上がりました。彼は一度も学校で学んだことはなく、いかなる教師からも知識を得たことがありませんでした。このことは、シーア教徒に広く認められていましたし、またシラズの人々も証明しています。それにもかかわらず、彼は、最も完全な学識を与えられて、突然人々の前に現われたのです。彼は、一介の商人にすぎなかったのですが、ペルシャのあらゆるイスラム教学者を困惑させました。彼はたった一人で、想像を越えた方法で、宗教的狂信で有名なペルシャ人の間に大業を打ち立てたのでした。この輝かしい魂は、宗教、道徳、当時の状況、ペルシャの風俗習慣の士台を揺るがす力を持って立ち上がり、新しい規則、新しい法律、新しい宗教を制定したのでした。国家の有力者、ほとんどすべての僧侶、役人たちは、彼を滅ぼそうと立ち上がったのですが、彼はひとりで抵抗し、ペルシャ全体を揺さぶったのでした。
一般の人々ばかりでなく、多くのイスラム教学者や役人たちも、彼の大業のために喜んで命を犠牲にし、殉教の平野へと急いだのでした。
政府、国家、神学者、有力者たちは、彼の光を消そうとしましたが、そうはいきませんでした。ついに彼の月は上がり、彼の星は輝き出し、彼の礎石はしっかりと固まり、彼の夜明けの地は、輝かしいものとなりました。彼は無知な大衆に神の教育を施し、ペルシャ人の思想、道徳、習慣、情勢に実にすばらしい効果を及ぼしました。彼は、バハの太陽が顕現するという吉報を信者に告げ、彼らに信じる用意をさせました。
一人の若い商人による、そのようなすばらしい標と偉大な効果の現れ、人々の心や世間一般の思想に与えた影響、進歩発展の基礎の確立、成功と繁栄の原則の系統化などは、彼が完全な教育者であったことの最大の証拠を成しています。心正しい人は、このことを信じることにおいて決してためらったりしないでしょう。
九 、バハオラ
バハオラは、ペルシャ帝国がまったくの非啓蒙主義と無知にひたり、ひどい盲目的狂信に陥っている時代に現われました。ヨーロッパの歴史において、過去幾世紀にもわたるペルシャの道徳、習慣、思想の詳細な記録が読まれているにちがいありません。ですから、それを繰り返してもしかたがありません。簡単に言うならば、ペルシャは地に落ちて、あらゆる外国人旅行者をして、以前はさしも栄光に満ち、高度な文明を持ったこの国が、今やひっくり返り、衰微し、荒廃し、人民がいかに品位を失なってしまったことかと嘆かせるほどになってしまったということです。
バハオラが現われたのは、まさにこうした時代だったのです。彼の父は大臣でしたが、ウラマ(国教法学者)ではありませんでした。彼は一度も学校で学んだこともなく、ウラマや学者と親交があったわけでもありません。彼の人生の初期は、この上もない幸せのうちに過ぎました。彼の友人や仲間は、上流階級のペルシャ人たちでしたが学者ではありませんでした。
バブが現われるとすぐに、バハオラはこう言いました。「この偉大な人物は正義の主です。そして、バブを信仰することはすべての人の義務です。」国教のウラマたちは、バブに反抗するようにペルシャ政府に強制し、さらに、その信者たちを虐殺し、略奪し、追放することを命じた法令を発したのでしたが、バハオラはバブを援助するために立ち上がり、バブの真理に多くの証明と積極的証拠を与えました。あらゆる地方で、彼らは改宗者を殺し、焼き、略奪し、女、子供に暴行さえ加え始めました。これにもひるまずに、バハオラはバブの言葉を広めるために、確信を持って力強く立ち上がりました。片時も逃げ隠れすることもなく、堂々と敵と渡り合いました。そして、註拠と証明を示すことに没頭し、神の言葉の伝達者として認められました。さまざまに変転する事態の中で、彼は非常な苦難に耐え、いつも殉教の危険にさらされていました。
彼は鎖につながれ、地下牢に監禁されました。莫大な財産や遺産は略奪され、没収されました。次から次へと四回も流刑され、最後にアッカの最大の牢獄に安息を見い出しました。
これらのことにもかかわらず、彼は神の大業の偉大さを広めることを片時も止めませんでした。彼は全ペルシャ人が驚意の的としたほどの徳性、知識、完全性を現わしました。テヘラン、バグダット、コンスタンチノープル、ルーメリア、そしてアッカにおいてさえ、彼に面接した学者や科学者の誰もが、味方であろうと敵であろうと、どんな問題を提起しても、必ず彼の申し分のない、納得のいく解答を得たのでした。彼だけがあらゆる完全性に秀でていることを誰もが認めたのでした。
バグダットでは、イスラム教のウラマやユダヤ教のラビやキリスト教徒たちと、ヨーロッパのある学者たちのなごやかな親睦会がよく開かれました。それぞれ問題を提起しましたが、彼らの文化程度はまちまちであったにもかかわらず、各々、十分確信できる解答を聞いて満足して帰っていきました。カルバラ、ナジャフにいたペルシャのウラマたちも、彼の所へ使いにやる賢者を一人選びました。その賢者の名前は、ムラ・ハサン・アムといいました。彼は聖者の前にやって来て、ウラマに代わってたくさんの質問を提出しました。それに対してバハオラは答えました。するとハサン・アムは言いました。「ウラマは、ためらうことなく、バハオラの英知と徳性を承認しています。そして、あらゆる学問において彼に勝る者はなく、並ぶ者もないと異口同音にたたえています。また、決してその学問を学習したのでもなければ、習得したものでもなかったことは明らかです。それでもなお、ウラマたちは言い張るのです。『我々は、これだけでは満足できない。我々は彼の英知と正義の徳から、彼の使命の真実を認めるわけにはいかない。それゆえ、我々は、我々の心を満足させ、安心させるために奇蹟を示すことを要求する。』」と。
バハオラは答えました。「神がその被造物を試すべきものであり、被造物が神を試すべきものではないのですから、あなた方には、こういう要求をだす権利はありません。ですが、私は、この要求をあえて受けましょう。しかし、神の大業は、時間毎に演じられ、毎日何か新しい出し物を要求される芝居の見世物のようなものではありません。もしそうだとすれば、神の大業は単なる子供の遊びになってしまうでしょう。
ですから、ウラマたちは集まって全員で一つの奇蹟を選ばなければなりません。そしてその奇蹟が演じられた後には、一切私に疑いを持たず、私の大業の真実を認めざんげすると手紙を書いてください。そしてその手紙に封をして私のところに持って来てください。これが当たり前のやり方でしょう。もし、奇蹟が演じられれば、彼らの疑いは晴れるでしょう。もしそうでなければ、私は詐欺師とみなされるでしょう。この賢者、ハサン・アムは立ち上がって答えました。「もうこれ以上お聞きすることはありません。」そして、彼は信者ではなかったのですが、祝福されたお方のひざに接吻して立ち去りました。彼はウラマを集めてこの聖なる言葉を伝えました。「この男は魔術師だ。彼はおそらく魔法を演じるだろう。そうしたら我々は何も言えなくなってしまう。」こう信じて、彼らはそれ以上問題を押し進めようとはしませんでした。1
この人、ハサン・アムは、多くの集会でこのことを話しました。カルバラを去って、ケルマンシャーとテヘランに行き、いたる所でウラマたちの畏怖と逃げ腰を強調した詳しい説明を広めました。
要するに、東洋における彼の反対者は皆、彼の偉大さ、威厳、知識、徳性を認めたのでした。そして彼らは敵ではありましたが、いつも彼のことを「かの有名なバハオラ」と呼んだのでした。
この偉大な光がペルシャの地平線から突然昇った時、すべての人々、大臣たち、ウマラたち、その他いろいろな階級の人々が彼に反対して立ち上がり、激しい敵意を抱いて追い廻し、「この男は、宗教、法律、国家、帝国を抑圧し、破壊しようとしている。」と決めつけました。キリストも同じことを言われたのです。しかしバハオラは孤立無援、決して弱気を見せることもなく、彼らすべてに抵抗しました。ついに彼らは言いました。「この男がペルシャにいる限り平和も安泰もない。ペルシャがもとの平穏な状態に戻るように彼を追放すべきだ。」
彼らは、暴力をふるって、彼がしかたなくペルシャを出国する許可を申請しなくてはならなくなるように仕向けました。こうすれば彼の真理の光は消えるに違いないと考えたのでしたが、その結果は全く反対でした。大業は広まり、その炎は、もっと強くなりました。最初はペルシャだけに広まりましたが、バハオラの追放は他の国々へ大業を流布させるもととなったのです。その後敵たちは言いました。「イラク・アラブ2はペルシャからあまり離れていない。もっと遠い国に送るべきだ。」こういうわけで、ペルシャ政府はバハオラをイラクからコンスタンチノープルヘ送ることを決めたのです。この時もまた大業は少しも弱まらないことが証明されました。さらに彼らは言いました。「コンスタンチノープルはいろいろな人種や人々が通過したり滞在したりする所だ。その中にはペルシャ人もたくさんいる。」こういうわけでペルシャ人は彼をはるかルーメリアに追放しました。とうとう彼らは言いました。「彼の影響を受けない所はどこにもない。彼が無力になり、彼の家族や信者たちが悲惨な目に合う所に送らなければならない。」そして彼らはアッカの牢獄を選びました。そこは、殺人犯、盗人、追いはぎなどを入れるための牢獄でした。事実彼らは、バハオラをそのような人々と同一視したのでした。しかし神の力は現われました。彼の言葉は広まり、バハオラの偉大さは明らかになりました。この牢獄から、しかもそのような屈辱的な状況のもとにありながら、彼はペルシャをより高い位置へと進歩させるもとになったからです。彼はすべての敵を征服し、神の大業には抵抗し得ないことを立証したのでした。彼の聖なる教えはすべての地方に広がり、彼の大業は確立されました。
もちろん、ペルシャのいたるところで反対者は彼に抵抗して立ち上がり、激しく憎悪して彼の改宗者を牢に入れ、殺し、なぐり、何千という家を焼き、破壊し、あらゆる手段を使って大業を根絶しようとやっきになりました。これらのことにもかかわらず、殺人者、追いはぎ、盗人の入っている牢獄から大業は高揚したのでした。彼の教えは外国へも広まり、彼の勧告は激しい憎しみを持っていた人々に影響を与え、彼らを確固とした信者にしました。ペルシャ政府でさえも目覚めてウラマたちの誤りによって起こったことを後悔したのでした。
バハオラが聖地にあるこの牢獄に来た時、賢者たちは二、三千年前予言者の舌を通して神が与えた吉報が再び現われた、神は約束に忠実であったと悟りました。ある予言者たちに、「万軍の主はこの聖地に出現する。」という吉報が啓示されていたからです。これらすべての約束は成就しました。もし反対者の迫害や追放や流刑がなかったとしたら、どのようにしてバハオラはペルシャを去ることを余儀なくされ、この聖地にテントを張ることができたでしょうか。とても想像できることではありません。反対者は彼を牢獄に入れることによって、祝福された大業を完全に破壊し、根絶しようとしたのでしたが、実際にはこの牢獄は大いに助けになり、発展の足がかりとなったのでした。バハオラの聖なる高名は東西に鳴り響き、「真理の太陽」の光は世界中に輝き渡りました。神をほめ讃えよ!彼は囚人でしたが、彼のテントはカルメル山上に高く張りめぐらされ、彼は堂々と活動しました。彼の面前に来た友人やよそからきた人の誰もが言ったものでした。「このお方はまさに王子です。囚人ではありません。」
牢獄に到着した際(アドリアノープル)、彼はフランス大使を通じてナポレオン三世に書簡を送りました。その要旨は「我が罪状は何か、なぜ我はこの牢獄、この土牢に監禁されるのかおたずねする。」というものでした。ナポレオンは答えませんでした。次に著作スーライ・ヘイカルに記述されている第二の書簡が出され、その概要は次のようなものでした。「ナポレオンよ、汝は我の声明に耳を傾けず、それに答えもしなかった。それゆえ、汝の支配権はまもなく奪われ、汝は完全に打ち負かされるであろう。」この書簡は流刑された仲間が皆知っているように、シーザー・カタファーコー3の世話によって郵送でナポレオンに送られました。この警告文はペルシャ全体に届きました。当時ペルシャにはキタビ・ヘイカルという書が広まっていましたが、この書簡はその本の中に載っていたのです。これは一八六九年のことでした。そしてスーライ・ヘイカルは、ペルシャとインドに行き渡っており、信者の手に入ったので、皆何事が起きるかと待ちかまえていました。それからほどなく一八七〇年にドイツとフランスの間に戦争が起きました。当時ドイツの勝利を信じた者は誰一人としてなかったのですが、ナポレオンは敗北し、名誉は奪われました。彼は敵に降参し、彼の栄光は地に落ちました。
バハオラの書簡は、他の王たちにも送られました。その中にナセル・デン・シャー陛下にあてられたものもあります。その書簡の中でバハオラは述べています。「私を召喚されよ。ウラマを集め、真理と虚偽を明らかにするために、証拠と論証を求められよ。」ナセル・デン・シャー陛下はウラマたちにこの聖なる書簡を送り、使命を果たすように提議しましたが、ウラマたちはあえて受けて立ちませんでした。そこで陛下は彼らの中から最も優れた七人にこの挑戦に対する解答を書くように言いました。しばらくして彼らは、「この男は国教の反対者であり、陛下の敵である。」といって、この祝福された手紙を返して来ました。ペルシャの皇帝陛下は激怒して、「これは論証の問題である。しかも真理と虚偽に関する論証の問題である。政府に対する敵意など何の関係があるだろう。この書簡に返答さえできないこうしたウラマたちを我々はどれほど尊敬して来たことか。実に嘆かわしい。」と言われました。
要するに、バハオラが王たちにあてた書簡の中に書いたことはすべて実現されつつあります。もし一八七〇年からこのかたのいろいろなできごとを検討してみれば、殆どすべてのことは予言された通り起こっていることがわかるでしょう。ただ、ほんの二、三の予言はそのままになっていますが、それもやがて明らかになるでしょう。
また他国の人々、信者ではない他の宗派の人々も数多くの目を見張るようなできごとを、バハオラのたまものであるとしました。ある人たちは彼についての論文さえ書きました。中でも、バグダットのスンニ派の学者であるセイエド・ダウオデ氏はバハオラの超自然的行為について短い論文を書いています。今日でも東洋の各地で、バハオラの顕示は信奉しないが、彼を聖者と信じ、バハオラによってもたらされた奇蹟を物語る人々がおります。
話をまとめますと、聖地に迎えられた人々ばかりではなく、反対者も支持者も皆バハオラの偉大さを認め、聖所に入るとたちまちバハオラのかもしだす雰囲気に圧倒されて大抵の人はひとことも言えないほどでした。激しい敵対者の中には、「自分は彼のところへ行ったら、これこれのことを言ってこういう風に論争しよう。」と決心しても、実際バハオラの前にでると驚嘆し、困惑し、ひとこともしゃべれないというようなことが何度起こったことでしょうか。
バハオラはアラビア語を学んだことはありません。先生も家庭教師もありませんでしたし、学校へ通ったこともありません。それにもかかわらず、彼のアラビア語の著述ばかりか、アラビア語での聖なる解説の雄弁さ、美しさには、堂に入ったアラビア語学者でさえ感嘆させられ、胆をつぶされました。そして彼に比較できるものはなく、並ぶものもないことを皆が認めました。
もしトラの書(ユダヤ教)の本文を注意深く調べてみるならば、神の顕示者が自分を否定する者に向かって「あなたの望む奇蹟を何なりと演じて見せます。あなたの提案するいかなるテストも受けます。」などと決して言ってはいないことがわかるでしょう。しかし、シャーへの書簡の中でバハオラははっきりと述べています。「ウラマを集められ、私を召喚されよ。実証を打ち立てるために。」と。
五十年の間、バハオラは敵に対して不動の山のように立ち向かいました。彼らは皆、バハオラを滅ぼすことを願い、破壊しようとしました。何千回も彼らはバハオラをはりつけにし、滅ぼそうと計画しました。そしてこの五十年間、彼は常に危険にさらされていました。
今日ペルシャは、極度の頽廃と破滅の状態にあります。そこで、ものごとの真の状態を認識する知性ある人は、ペルシャ人であろうと他国人であろうと皆、その進歩、文明、再建はひとえにこの教えを広めることと、この偉大な人物の原則を発展させることにかかっていることを認めています。
キリストはその祝福された日に、真実十一人だけを教育しました。彼らのうちで一番偉大だったのはペテロでしたが、しかしながら、彼は試練にあって三度キリストを否定しています。こうしたことはありましたが、結局、キリストの大業は世界に浸透しました。今日では、バハオラは何千という人を教育しました。彼らは剣で威されても、高い天に向かって,「ヤー・バハウラ・アブハ」(おお汝、栄光中の栄光よ)と呼び、試練の火の中にあっても、彼らの顔は黄金のように輝いていました。将来はどのようになるかよく考えてください。
最後に、我々は正しくなくてはなりません。この偉大なお方がどれほど優れた教育者であり、どんなにすばらしい証跡が彼によって示されたか、彼によってこの世にどんな力・威力が実現されたか知らなければなりません。
十、ダニエル書に実証されている伝承的証明
今日は、食事の席で、少しばかり証明について話し合いましょう。もしあなたが、明白な光(バハオラ)の顕示者のおられた時に、この栄光ある場所に来られたのであれば、また、あなたがバハオラの面前に臨席し、彼の輝く美を目撃されたのであれば、彼の教えや完全さは、それ以上証明の必要がないということが理解できたことでしょう。
彼の面前に来る栄誉を得ただけで、多くの人々は、不動の信者になりました。彼らには、他の証明などいらなかったのです。彼に激しく反抗し、憎悪した人々でさえ、彼に出会えば、バハオラの偉大さを証言してこう言ったものでした。「この方は、全く驚くべき人です。そうはいうものの彼がそのような要求を出すことが何としても残念です。そうでなければ、彼の言うことはすべて受け入れられるのですが。」
しかし今はもはや「真実の光」が沈んでしまいましたので、すべてのことは証明が必要です。そこで、彼の要求が真実であることの合理的証明を提示しようと思います。心の正しい人々にはそれだけで充分であり、また誰も否定できないような証明をしましょう。この輝かしい人間が、彼の大業を「最大の牢獄」(アッカ)でかかげ、この牢獄から彼の光は輝き渡り、彼の名声は世界を征服し、彼の栄光の宣言は東西に届いたということです。私たちの時代になるまで、そのようなことが起こったことは一度もありませんでした。
正義があれば、このことは承認されるでしょう。しかし、目の前に世界中のすべての証拠が提出されても、それでもなお、正しく判断しようとしない人々がいるのです。
いかなる国家、地域も、全勢力をもってしても彼に対抗することはできませんでした。
まことに、彼はたった一人で、しかも囚われ抑圧されながら、彼が望んだどんなことも成し遂げたのでした。
私はバハオラの奇蹟について述べようとは思いません。多分それらは、真実とも誤りともされやすい、伝承にすぎないと言われるだろうと思われるからです。例えば、福音書にあるキリストの奇蹟の話のように、それらは使徒からもたらされたものであって、他の誰からのものでもありません。しかもその話は、ユダヤ人には否定されているのです。もし私が、バハネラの超自然的行為を話そうと思えばいくらでもあります。それらは東洋においては認められていますし、バハイでない人々にも承認されています。しかし、このような物語は、すべての人にとって決定的な証明、証拠ではありません。聞き手は多分、この根拠は実際起きたことに一致していないというでしょう。それぞれの派は、その創始者によって成された奇蹟について詳しく話されていることが知られています。例えば、バラモン教の信者が奇蹟について述べています。それらが偽りであるか、真実であるかをどんな証拠から判断するのでしょう。もしこれらが作り話であれば、その他のものも作り話でしょう。もしこれらが一般に受け入れられるものであるならば、他の物も一般に受け入れられるでしょう。結局これらの証拠は、満足のいく証明ではありません。そうです。奇蹟は見た人だけに信じられるものなのです。しかもその人でさえ、奇蹟ではなく、手品か何かとみなすでしょう。すばらしい偉業も、手品師たちによるものだと思われています。
要するに、私はこう言いたいのです。バハオラによってたくさんの不思議なことが成されましたが、それらを詳細に話したくありません。それらは、地球上のすべての人々にとって証明と証拠を成しませんし、それを見た人にとってさえ決定的な証明ではないからです。彼らはそれを単なる魔法と考えるでしょう。
言い伝えられた予言者の奇蹟の多くは、精神的な重要性があるのです。例えば福音書の中に書かれていることですが、キリストの殉教の時に闇が広がり、地面が揺れ、神殿の幕が上から下まで二つに引き裂かれ、死者が墓より生き返ったということです。
(訳注 マタイ27:51 すると見よ。神殿の幕が上から下まで真、二つに裂けた。)
もしこれらのことが起こったのであれば、いうまでもなく恐ろしいことであったでしょうし、きっと当時の歴史に記録されており、それらは心をひどく悩ませるもとになったにちがいありません。兵士たちはキリストを十字架より降したか、あるいは逃げ出したかのどちらかだったでしょう。これらのできごとはどの歴史にも述べられてはいません。ですから、それらが文字通り起こったのではなく、精神的に重要な意味があることが明らかになります。
目的は、そのような奇蹟を否定することではありません。それらは決定的な証拠をなしていないが、精神的な重要性があると言いたいのです。
ですから、今日は食事の席で、いろいろ聖典にある伝承的証明の説明をいたしましょう。これまでお話してきたことは、合理的証明です。
人が真剣に真理を探究しようとしている精神状態とは、命の水を熱望して渇きにあえぐ燃えたつ魂のようであり、海に戻ろうとけんめいにもがく魚、聖なる治療を受けるため真実の医師を探し求めている受難者、正規の道を見つけようとしている道に迷った隊商、救済の岸にたどり着こうとあがいている難破船のような状態にあることです。
ですから、探究者は、ある資質を持っていなければなりません。まず第一に公正で、神以外のものから離脱していなくてはなりません。心は至高の地平線に完全に向いていなくてはなりません。自我と感情の鎖から自由になっていなければなりません。これらは皆障害物だからです。その上、あらゆる困難に耐えられなければなりません。完全に純粋で聖別され、世の人々の愛や憎しみから自由でなくてはなりません。なぜでしょう。人や物に対する愛着は、一方で真理の認識を妨げるでしょうし、同様に憎悪も真理を識別するじゃまになるでしょう。これが探究の状態であり、探究者はこれらの資質と属性を持っていなければなりません。この状態になるまで「真理の太陽」に到達することはできません。
それでは、主題にもどります。世界の人々は、二人の顕示者を待ち続けています。彼らは同時代でなくてはなりません。すべての人は、この約束の成就を待ち望んでいます。聖書の中で、ユダヤ人は万軍の主と救世主、福音書では、キリストの復活とエリヤが約束されています。
マホメットの宗教では、メーディと救世主の約束があります。このことは、ゾロアスター教でも他の宗教でも同じです。ですが、これらについて詳しく説明しますと話は非常に長くなります。非常に重要なことは、すべての宗教は二人の顕示者、一人に続いてもう一人が来ることを約束していることです。この二人の顕示者が現われると、地球は改革され、存在の世界は再生し、生き物は新しい衣装をまとうであろうと予言されています。正義と真理が世界を取りかこみ、敵意や憎悪は消えます。民衆、人種、国家間の分裂の原因は消え、和合、調和、一致のもとになるものが現われます。怠け者は目覚め、目の見えぬ人は見、耳の聞こえぬ人は聴き、口のきけぬ人は話し、病人はいやされ、死人は立ちあがります。戦争は平和に置きかわり、敵意は愛によって征服され、争いとロ論の原因は完全に取り除かれ、真の幸福に到達します。世界は天国の鏡になり、人間性は神の玉座となります。すべての国は一つになり、すべての宗教は統合されます。個々の人々は、一つの種族の一つの家族になります。地上のすべての宗教は一つになり、人種、国家、個人、言語、政治にもとづく迷信は消えます。そしてすべての人は、万軍の主の保護のもとで、永遠の命に到達するでしょう。
さて、ここで、すでに二人の顕示者が出現したことを聖典にもとづいて証明しなければなりません。そして、顕示者たちの言葉の意味を見抜かなくてはなりません。私たちは、聖典から導き出される証拠を望んでいるからです。
数日前、食事の席で、これら二人の顕示者の真実性を確立するための理にかなった証明をしました。
結論づけます。ダニエル書においてエルサレムの再建からキリストの殉教まで、七十週が指定されています。なぜならキリストの殉教によって犠牲が果たされ、祭壇が破壊されたからです。1これはキリスト顕示の予言です。この七十週は、エルサレムの復旧と再建と共に始まります。このことに関して、三人の王によって四つの法令が出されました。
最初の法令は、紀元前五三六年にクロス王によって発せられました。これは、エズラ書の第一章に記録されています。二番目の法令は、エルサレムの再建に関するもので、紀元前五一九年、ペルシャのダリウス王の法令です。これはエズラ書の六章に書かれています。三番目は、アルタシャスタ王統治の七年に彼によって出された法令です。即ちBC四五七年で、これはエズラ書の七章に記録されています。四番目は、BC四四四年のアルタシャスタの法令です。これはネヘミア記の第二章に記録されています。
しかし、ダニエルは特にBC四五七年に発せられた第三の法令について言及しています。七十週は四九〇日となります。聖典の聖句によれば、一日は一年です。聖書の中で「主の一日は一隼である。」と述べられています。ですから四九〇日は四九〇年です。アルタシャスタ王による第三の法令は、キリスト誕生の四五七年前に発せられました。そしてキリストが殉教し、昇天した時、キリストは三十三歳でした。三三に四五七をたしてみれば四九〇になります。それは、ダニエルによって述べられたキリストの顕示の時にあたります。
しかし、ダニエル書の九章の二五節には、このことは、七週間と六二週というふうに別の方法で表現されています。これは、明らかに初めの説と異なっています。この二つの声明を調和させようと、多くの人がこの違いに悩まされました。一方で七十週が正しく、もう一方で六二週と七週が正しいとどうしていえるのでしょうか。この二つの説は一致しません。
しかし、ダニエルは、二つの日付を述べています。その一つは、アルタシャスタ王がエズラに対して下したエルサレム再建の命令と共に始まります。これは、キリストの昇天と共に終わる七十週であり、その時、キリストの殉教によって犠牲と供え物が終わりました。
二十六節にある第二の時期は、エルサレムの再建の終結後キリストの昇天までに六二週あることを意味しています。七週は、エルサレム再建の期間であり、四十九年かかりました。この七週に六二週をたせば六九週になります。そして最後の週(六十九〜七十)にキリストの昇天が起きたのです。七十週はこのように完了し、矛盾はありません。
さて、キリストの顕示は、ダニエルの予言によって証明されました。そこでバハオラとバブの顕示の証明をしましょう。これまでに理論的証明だけを述べましたので、これから伝承による証明をお話ししましょう。
ダニエル書の八章十三節にこう述べられています。
私は、ひとりの聖なる者が語っているのを聞いた。するともうひとりの聖なる者がその語っている者に言った。「常供のささげ者や、あの荒らす者のするそむきの罪、および聖書と軍勢が踏みにじられるという幻は、いつまでのことだろう。」すると彼は答えて言いました。十四節「二三〇〇の夕と朝が過ぎるまで。そのとき聖所はその権利を取り戻す。」すると彼は私に言った。十七節「その幻は終わりの時のことである。」即ち、この不幸、破滅、退化、堕落はいつまで続くのであろうか、ということの意味は、顕示者のあけぼのはいつかということです。すると彼は答えました。「二三〇〇日すれば聖所は清められるであろう。」要するにこの一節の意味は、彼が二三〇〇年を定めたということです。聖書の聖句には、一日は一年であると書かれていますから。さて、エルサレムを再建するためのアルタシャスタ王の法令の発布の日からキリストの誕生の日まで四五六年あり、キリストの誕生の日からバブの顕示の日まで一八四四年あります。この数に四五六年を加えれば二三〇〇年になります。即ちダニエルの予言の達成はAD一八四四年に起こりました。そしてこの年はダニエル書の実際の聖句によれば、バブの顕示の年です。彼は何と明確に顕示の年を決定しているか熟考してください。顕示に関してこれ以上明確な予言はありません。
マタイニ十四章三節で、ダニエルがこの予言で意味していることは、顕示者の(再来の)日のことであると、キリストははっきり述べております。その節にこうあります。「イエスがオリーブ山ですわっておられると弟子たちがひそかにみもとに来て言った。『お話しください。いつそのようなことが起こるのでしょう。あなたの来られる時や世の終わりには、どんな前兆があるのでしょう。』」彼が与えられた説明の一つはこうです。十五節「予言者ダニエルによって語られたあの「荒らす憎むべき者」が聖なる所に立つのを見たならば。(読者よ悟れ。)」この答えの中で、キリストは、ダニエル書の八章について述べ、それを読む者は、それが予言された時であることを理解するだろうと言われた。バブの顕示が旧約聖書や福音書に何とはっきりと述べられているかよく考えてごらんなさい。
終わりに、バハオラの顕示の日を聖書から説明しましょう。バハオラの顕示の日は、太陰暦によってマホメットの使命とヘジラ(回数紀元)から計算されます。(訳注 ヘジラ AD六二二年、迫害をのがれるためにマホメットが行なったメッカからメジナヘの逃走。)マホメット教では、太陰暦が使われており、また礼拝の命令すべてに関して採用されているものも太陰暦です。
ダニエル書十二章六節にこう述べられています。「それで私は、川の水の上にある亜麻布の衣を着た人に言った。『この不思議なことはいつになって終わるのですか。』すると私は、川の水の上にいるあの亜麻布の衣を着た人が語るのを聞いた。彼はその右手と左手を天に向けて上げ、永遠に生きる方をさして誓って言った。「それは、ひと時とふた時と半時である。聖なる民の勢力を打ち砕くことが終わったとき、これらすべてのことが成就する。」十二節六、七
私は、これまでに一日の意味を説明してきたのでこれ以上説明する必要はありませんが、簡単に言いますと、父の日の一日は一年として教えられ、一年には十二ケ月あります。ですから三年半は四十二ケ月となり四十二ケ月は一、二六〇日になります。イスラム教の計算の仕方では、先駆者であるバブはマホメットのヘジラから一二六〇年たった年に出現しました。
そのあと、十一節にこう述べられています。「常供のささげ物が取り除かれ、荒らす忌むべき者が据えられる時から一、二九〇日がある。十一・十二節幸いなことよ。忍んで待ち一、三三五日に達する者は。」[9]
この陰暦による計算は、ビジャスの国でマホメットが予言者であることを宣言した日から始まります。それは彼の使命(の宣言)から三年後でした。というのは、マホメットの予言者であることは、はじめ秘密にされていたからです。カリジャとナクール以外誰もそのことを知りませんでした。[10]三年後にそれが発表されました。そしてマホメットの使命の宣言から一二九〇年たって、バハオラは彼の顕示を明かしました。[11]
十一、聖ヨハネの黙示録の十一章に関する解説
聖ヨハネの黙示録の十一章のはじめの部分にこう言われています。「それから、私に杖のような測りざおが与えられた。するとこういうものがあった。立って神の聖所と祭壇とまたそこで礼拝している人を測れ。」
「聖所の外の庭は、異邦人に与えられているゆえ、そのままに差し置きなさい。測ってはいけない。彼らは、聖なる都を四十ニケ月の間踏みにじる。」
この測りざおは、リードに例えられる完全な人です。その類似点は次のようです。もしあしの内部が空で、すべてのことから解放されていれば、それは美しいメロディーを生み出します。そして、音色やメロディーはリードから来るのではなく、それを吹くフルート奏者からくるのと同じように、祝福された存在の聖別された心は神以外のすべてのものから解放され、空になっており、純粋で、人間のあらゆる状態に対する愛着から解き放されており、神の精神の仲間です。彼が発言するものはすべて彼自身からくるのではなく、真のフルート奏者からくるのです。そしてそれは聖なる霊感です。このことが、彼がリードに例えられる理由です。また、そのリードは、杖のようでもあります。即ちそれは、すべての力の無い者の救助者であり、それによって彼は群を守り、神の牧場へ導くのです。
その次にこう言われています。「天使が立って言った。立って神の聖所と祭壇とまたそこで礼拝している人を測れ。」即ち、比較し、測りなさい。ということです。測ることは、配分の発見です。天使はこう言いました。神の聖所と祭壇とその中で祈っている人を比べなさいということは、彼らの真の状態を調べ、彼らがどの程度であり、どのような地位にあるか、彼らがどのような状況、完全性、態度、属性を備えているのかを見い出し、純粋さと神聖さの中で、至聖所に住む聖なる魂の神秘を認識しなさいということです。
「聖所の外の庭は異邦人に与えられているゆえ、そのままに差し置きなさい。測ってはいけない。」
キリスト後の七世紀のはじめに、エルサレムが征服された時、至聖所は外面的には保存されました。―つまりソロモンが建てた家です。しかし至聖所の外では、外の庭はとり上げられ、異邦人に与えられました。そして彼らは、四十ニケ月聖都を足下にふみつけるであろう。ということは、異邦人は、一二六〇日を表わす四十二ケ月、エルサレムを統治し、支配するであろうということです。一日は一年を意味するので、この教え方によれば、一二六〇年になり、これは、コーランの周期の持続期問です。エゼキエル書の四章六節に言われているように、一日は一年です。「ユダの家の咎を四十日間負わなければならない。わたしは、あなたのために一年に対して一日とした。」
これは、イスラムの啓示の期間を予言しています。その間、エルサレムは足下に踏みにじられる、即ち、それはエルサレムがその栄光を失うということを意味しているのです。
しかし、至聖所は一二六〇年間保存され、守られ、尊敬されました。この一二六〇年は、バハオラの門であるバブの顕示についての予言です。それはマホメットのヘジラ一二六〇年に起きました。そして一二六〇年が満期になったので、聖都エルサレムは今や繁栄し、人口が多くなりはじめました。六十年前にエルサレムを見た人が今再び見れば、誰でも皆、エルサレムがいかに人口が増え、栄えており、再び名誉を得ていることかを認めるでしょう。
これがヨハネの黙示録のこれらの節の外面的意味です。それには次のような別の象徴的意味があります。神の法は二つの部分に分かれます。一つは、すべての精神的美徳と神の性質について述べており、これは変化しません。それは「神聖中の神聖」(至聖所)であり、アダム、ノア、アブラハム、モーゼ、キリスト、マホメット、バブ、バハオラの法の本質であり、すべての予言の周期の中に引き継がれ、確立されています。それは決してすてられません。それは精神的な真理であって、世俗的真理ではないからです。それは、信仰心、知識、確信、公正、敬虔、正義、信義、神への愛、慈善、純潔、超脱、けんそん、温和、忍耐、平常心です。それは貧しい人に慈悲を示し、抑圧された者を守り、不幸な者に与え、堕落した者を引き上げます。これらの神聖な特質、永遠の命令は決してすてさられることはありません。それどころか、永遠に続き、確立され続けます。これらの人間の美徳は、それぞれの周期毎に再び新しくされます。精神的神の法、即ち人間の美徳はそれぞれの周期の終わりには消え失せてしまい、形式のみが残るのです。
こうして、キリストの顕示に一致するモーゼの周期の終わりに、ユダヤ人の間には神の法は消え失せ、精神のない形式のみが残ったのです。「神聖中の神聖」(至聖所)は、彼らから離れましたが、エルサレムの外の庭―これは宗教の形に対して使われた表現ですが―は異邦人の手に渡りました。同じように、人間の最も偉大な美徳であるキリストの宗教の根本的原則は消えてなくなりました。そしてその形式が神父や聖職者の手に残りました。同じように、マホメットの宗教の基礎は消え失せましたが、その形式は公のウラマの手に残っているのです。
精神的なものであり、人間の美徳であるこれらの神の宗教の根本は、決してすてさられることはあり得ません。それらは取り除くことのできないものであり、永遠のものです。そして個々の予言者の周期毎に新しくされるのです。
神の法の第二の部分は、世俗的世界について述べられ、断食、祈り、礼拝の形式、結婚と離婚、奴隷制の廃止、法的手順、商取引、殺人・暴力・窃盗や傷害などの補償など、神の法のこの部分は時代の必要性に応じて各顕示者の周期毎に変形され、変化します。
要するに、「神聖中の神聖」(至聖所)という言葉によって意味されているものは、決して変形されたり変化させられたり、放棄されることのない精神的な法であり、「聖地」は放棄され得る世俗的な法を意味します。そしてこの「聖地」として述べられている世俗的法は、一二六○年間、足下に踏みにじられました。
「それから私がわたしのふたりの証人に許すと彼らは荒布を着て一二六〇日の間予言する。」(ヨハネの黙示録11:3)この二人の証人とは、神の使者であるマホメットとアブ タリブの息子であるアリです。
コーランの中に言われていますが、「神は神の使者マホメットを指名して言われた。我は汝を証人、吉報の伝達者、警告者とした。」即ち我は汝を証人、吉報の援与者、そして神の怒りをもたらす者として確立した。1ということです。証人という言葉の意味は、その人の証言によってものごとが立証させられる者ということです。この二人の証人の命令は十二六〇日実施されるはずでした。一日は一年を意味します。さて、マホメットは根であり、アリは枝です。モーゼとヨシュアと同じです。彼らは荒布を着ていると述べられていますが、彼らは明らかに新しい服ではなく、古い服をまとっていた、いいかえれば、初め彼らは明らかに新しい服ではなく、古い服をまとっていた、ということは、初め彼らは人々の目に、栄光を持っているようにはうつらなかったし、彼らの大業が新しいものとも見えなかったのです。なぜなら、マホメットの精神的法は、福音書のキリストのそれに一致しているし、世俗的事柄に関する彼の法の大部分は、モーゼの五書のそれに一致しているからです。これが古い服の意味です。
その次に述べられています。「彼らは全地の主の御前にある二本のオリーブの木、また二つの燭台である。」(黙示録11:4)この二人はオリーブの木に例えられます。当時、ランプは皆、オリーブ油で灯されたからです。その意味するところは、その二人から、世界の啓蒙のもととなる神の英知の精神が現われるということです。この神の光は、放射し、輝きだすはずでした。ですから、彼らは二本のローソクに例えられるのです。ローソクは光の住家です。そこから光は輝き出すのです。同じように、導きの光は、これらの輝ける魂から輝き、放射されるのです。
その次には、「彼らは主の御前に立っている。」と述べられていますが、それは、彼らは神への奉仕と神の創造物の教育にたずさわっているということです。アラビア半島の野蛮な遊牧民を当時最高度の文明に到達させ、その名声、名誉は世界中に広まるほどに、彼らが教育したのです。
「彼らに害を加えようとする者があれば、火が彼らのロから出て敵を滅ぼし尽す。」(黙示録11:5)ということは、誰も彼らに逆らうことはできないし、誰かが彼らの教えや法を見くびれば、彼らの口から出たこの法によって取り囲まれ絶滅させられ、また、彼らを傷つけ、敵対し、憎悪しようとする者は、彼らの口から出る命令によって打ち負かされるということです。そして、そのようになりました。敵は皆消し去られ、逃亡させられ、全滅させられました。このように、極めてはっきりした方法で神は彼らを援助しました。
その次に述べられています。「この人たちは、予言をしている期間は雨が降らないように天を閉じる力を持っている。」このことは、その周期において、彼らは王のようであろうということです。マホメットの法と教え、アリの解釈と解説は天の恵みです。もし彼らがこの恵みを与えようと思えば、そのようにする力を持っています。もし彼らがそれを望まなければ、雨は降らないでしょう。この点で、雨は恵みを表わしています。
次に「彼らは水を血に変える。」と述べられていますが、この意味は、マホメットが予言者であることは、モーゼのそれと同じであり、アリの力はヨシュアのそれと同じであるということです。もし彼らが望むなら、エジプト人と彼らを否定する人々に関する限り、ナイルの水を血に変えられるのです。つまり、彼らの生のもとになったものは、彼らの無知と自尊心によって彼らの死のもとになったということです。ですから、因の命のもととなっている王国、富、国王の力、国王の人民は、彼らの反対、否定、自尊心によって、死、破壊、離散、堕落、貧困のもととなりました。このように、この二人の証人は、国を滅ぼす力を持っているのです。
次は「その上、思うままに何度でもあらゆる災害をもって地を打つ力を持っている。」と述べられています。この意味は、彼らはまた、よこしまな者や圧政者、暴君を教育するために必要な力や世俗的な威力を持っているということです。なぜなら、神はこの二人に、外と内の力を援け、彼らが野蛮で血に飢えた、残酷で、野獣のような遊牧のアラビア人を教育し、治療するようにしたのです。
「そして、彼らがあかしを終えると、」(黙示録11:7)は、彼らが命令されたことを完遂した時、聖なる伝言を広めた時ということです。その間、彼らは精神的命の徴が人々の心に顕示され、人間世界の徳の光が輝きだし、ついには遊牧民の間に完全な発達が実現されるようにという意図をもって、神の法を推進し、神の教えを広めたのです。
「底知れぬ所から上がって来る獣が彼らと戦って勝ち、彼らを殺す。」(11:7)この獣はウマイヤ王朝を意味しています。ウマイヤ朝は誤りの穴から彼らを攻撃し、マホメットの宗教とアリの本質―言いかえれば神への愛に対して反対して立ちあがりました。
「この獣は、この二人の証人に対して戦う。」
つまり精神的戦争です。この二人の証人によって民衆や部族の間にまかれた徳や完全性が全く追い払われ、動物的性質や肉欲が支配するほどにまで、この獣は二人の証人の教え、習慣、制度に対して完全な反対をしたということです。ですから、彼らに対して戦争をしたこの獣が勝利を得たということは、この獣から生じた誤りの暗黒は、世界の地平線上に支配権をとり、この二人の証人を殺したということです。いいかえればその獣は、神の宗教を足下に踏みつけて、彼らが国中に広めた精神的命を破壊し、神の法や教えを完全に取り去ったということです。その後には、精神の欠けた、命のない身体だけが残りました。
「彼らの死体は、霊的な理解では、ソドムやエジプトと呼ばれる大きな都の大通りにさらされる。彼らの主もその都で十字架につけられたのである。」(11:8)「彼らの身体」は神の宗教を意味し、「大通り」は人々の目には、という意味です。「ソドムとエジプト」の意味するものは、「我が主が十字架につけられた」場所であり、シリア地方のことです。特にエルサレムはその頃、ウマイヤ朝が支配権を持っていました。そして神の宗教と神の教えが最初に消え、精神のない身体だけになったのもここでした、「彼らの身体」は神の宗教を表わし、それは精神のない死んだ身体のように残りました。
「もろもろの民族、部族、国家、国民に属する人々が三日半の間彼らの死体をながめていて、その死体を墓に納めることを許さない。」(11:8)前に説明したように、聖書の用法では、三日半は三年半を意味し、三年半は四十ニケ月で、四十二ケ月は十二六〇日です。聖書では一日は一年を意味しています。この意味することは、コーランの周期に相当する一二六〇年間、国家、部族、民衆は彼らの身体を見るであろうということ、――つまり、彼らは神の宗教を人前で恥をかかせるであろうということです。彼らは神の宗教に従って行動したわけではなかったのですが、それでもなお、彼らの身体――神の宗教をさしている――を墓に入れることを許さなかった。つまり、みかけ上、彼らは神の宗教にすがり、それが彼らの中から完全に消え、その身体が全く破壊され、絶滅させられることを許しはしなかったということです。それどころか実際には、彼らは神の宗教を捨て去り、一方で外見上、その名と記憶を維持したのです。
これらの部族、民衆、国家は、コーランの下陰に集まった人を意味します。彼らは外見上、神の大業、法が完全に破壊され、全滅させられることを許しませんでした。―祈りと断食があるからです。―しかし、神聖な神秘の知識を伴っている道徳と行為そのものである神の宗教の基本的原則は消えてしまっていました。神の愛と知識の成果である人間世界の美徳の光は消えてしまいました。そして虐政の暗黒、抑圧、悪魔的な感情や欲望が勝利を得ました。神の法の身体は、死体のように一二六〇日間、民衆の目にさらされました。一日は一年として数えられ、この期間はマホメットの周期です。
人々は、これら二人が確立した神の法の基礎を没収されました。そして神聖な贈り物であり、この宗教の精神である人間世界の美徳を破壊して、彼らの間から、誠実、公正、愛、連帯、純潔、神聖、超脱、その他の神聖な性質すべてが消え失せてしまうほどでした。この宗教ではただ祈りと断食だけが残りました。この状態は一二六〇年続きましたが、それはコーランの周期の期間です。それはあたかもこの二人が死んでしまったかのように、精神が失われ身体だけが残りました。
「また地に住む人々は、彼らのことで喜び祝って互いに贈り物を贈り合う。それはこの二人の予言者が、地に住む人々を苦しめたからである。」(11:10)「地に住む人々」はヨーロッパや、はるか東洋の人々など、他の国家や人種をさしています。それらの人々はイスラムの特質が完全に変化し、神の法が見捨てられ、美徳、熱意、名誉が彼らから離れ、彼らの質が変わったのを見てうれしくなり、イスラムの人々が道徳の腐敗によって堕落し、結果として他の国に征服されるだろうと喜びました。そして、その通りになりました。力の頂点に達した人々が今やいかに堕落し、踏みにじられているかをよく見極めてください。
「他の国々は、互いに贈り物を贈り合う。」ということは、彼らは互いに助け合うべきであるということです。「その二人の予言者が地に住む人々を苦しめた。」からです。――つまり二人は、世界の他の国々や人々を圧倒し、征服したということです。
「しかし、三日半の後、神から出たいのちの息が彼らにはいり、彼らが立ち上がったので、それを見ていた人々は非常な恐怖に襲われた。」(11:11)前にも説明したように、三日半は一二六〇年です。魂が抜けている身体を横たえていた二人の人は、マホメットが確立し、アリが推進させた教えと法のことです。しかし、そこからは真実は失われ、形式のみが残りました。息が再び彼らに入りということは、それらの基礎や教えが再び確立されたということです。いいかえれば、神の宗教の精神性は物質主義に変わってしまっており、美徳は悪へ、神の愛は憎悪に、啓発は無知に、神聖な性質は悪魔的性質に、正義は残虐に、慈悲は敵意に、誠実は偽善に、導きは誤りに、純潔は肉欲に置き替ってしまっておりました。それから三日半、聖書の用法では一二六〇年の後、バブの出現とジナビ・ゴドスの献身により、これらの神聖な教え、天の美徳、完全性、精神的恩恵は再び新しくされたということです。
神聖なそよ風が吹き出し、真理の光が輝き出し、命を与える春の季節が訪れ、導きの朝が明けました。この二つの命のない身体は再び生き返り、二人の偉大な者――一人は創始者でもう一人は推進者一―は立ち上がり、あたかも二本のろうそくのようでした。彼らは真理の光を世界に輝かせたからです。
「その時二人は、天から大きな声がして『ここに上れ。』というのを聞いた。そこで彼らは天に上った。(11:12)このことの意味は、目に見えない天から、彼らは、次のように言っている神の声を聞いたということです。あなた方は教えと吉報を広めるのにふさわしいことをすべて成し遂げた。あなた方は人々に我がメッセージを与え、神の呼び声をあげ、義務を果たした。今やキリストのように、良く愛されたる者(神)のために命を捧げ、殉教せよ。そのようにして、その真理の太陽とその導きの月(バブとジナビ・ゴドス)は二人ともキリストと同じように、偉大な殉教の水平線に前進し、神の王国に上りました。
「彼らの敵はそれを見た。」ということは、彼らの敵の多くは、二人の殉教を目撃してその地位の崇高さと徳の気高さを理解し、二人の偉大さと完全性を証言したということです。
「そのとき大地震が起こって、都の十分の一が倒れた。この地震のため七千人が死んだ。」(11:13)バブの殉教の後、シラズで地震が起きました。町は混乱し、たくさんの人々が死にました。疫病、コレラ、欠乏、食料不足、飢きん、苦難などで大きな動乱が起きました。そのような大混乱は今まで見たこともないほどのものでした。
「生き残った人々は恐怖に満たされ、天の神をあがめた。」(11:13)ファーズ(シラズの近く)で地震が起こったとき、生き残った者は皆、日夜嘆き、泣き叫びました。そして神をあがめ祈ることに専念しました。彼らは非常に困惑し、恐れて、夜は寝ることも身体を休めることもできませんでした。「第二のわざわいは過ぎ去った。見よ。第三のわざわいがすぐに来る。」最初のわざわいは、アブドラーの息子である予言者マホメットの出現です。――彼の上に平安がありますように!第二のわざわいはバブの出現です。――彼に栄光と賞讃がありますように!第三のわざわいは、万軍の主の顕示の偉大な日、約束されたお方の美の輝きです。この問題即ちわざわいの説明は、エゼキエル書の三十章に述べられています。そこで次のように言われています。「次のようなことばが私にあった。人の子よ予言して言え。神である主はこう仰せられる。泣きわめけ。ああその日よ。その日は近い。主の日は近い。」
ですから、わざわいの日は主の日であることは確かなことです。その当時、わざわいは拒否する者にとってあり、わざわいは罪人に対してあり、わざわいは無知な者にとってあったからです。それが「第二のわざわいはすぎた。第三のわざわいがすぐに来る。」と述べられていることの理由です。第三のわざわいはバハオラの顕示の日、神の日です。そればバブの出現の日に接近しています。
「第七の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると天に大きな声々が起こって言った。『この世の国は、私たちの主およびそのキリストのものとなった。主は永遠に支配される。』」
第七の御使いは、天の属性を与えられている人で、彼は天の特性と人格をもって立ちあがります。その声はあげられ、その結果、神の顕示者の出現が宣言され、広められます。万軍の主の顕示の日に、そしてまた、予言者たちのすべての本や著作に約束され述べられている全能なる御方の神の周期の時に、即ち、神のその日に、精神的で神聖な神の王国が確立されます。そして世界は再び新しくなるでしょう。新しい精神が創造物のからだに吹き込まれ、神の精神の春が訪れ、慈悲の雲は雨を降らせます。真理の太陽は輝きだし、命を与えるそよ風が吹きます。人間の世界は新しい衣服をまとい、地球の表面は崇高な楽園となり、人類は教育され、戦争、闘争、口論、悪意は消滅します。そして誠実・正義・平和・神に対する崇拝が現われます。連帯・愛・兄弟愛が世界をとりまき、神は永久に支配されるでしょう。――これは、精神的永遠の王国が確立されるであろうということを示しています。それらが神の日です。すべての過ぎ去った日は、アブラハム、モーゼ、キリストあるいはその他の予言者たちの日だからです。しかし、この日は神の日です。真理の太陽が至高の優しさと輝きをもって、この日に立ちあがったからです。
「神の御前で座に着いていた二十四人の長老は、ひれ伏して神を礼拝し、(16節)こう言った。今おられ、かつておられたお方、全能者である神、主よ感謝いたします。大いなる力を振るって統治されたからです。」(17節)
個々の周期において、守護者、聖者は十二人でした。ヤコブには十二人の息子がありました。モーゼの時代には十二人の部族の頭または族長がいましたし、キリストの時代には、十二人の弟子が、マホメットの時代には十二人のイマムがおりました。しかし、この栄光ある顕示においては、他のものの二倍の人数の二十四人おります。というのは、この顕示の偉大さがそれを必要としているからです。これらの聖人たちが神の目前で席に着いていたということは、彼らは永遠に統治するということを意味しています。
これら二十四人の偉人は、永遠の統治の王座に座してはいますが、それでも、普遍的顕示者の出現の崇拝者です。そして、謙虚で従順であり、こう言っています。「今おられ、かつておられたお方、全能である神、主よ感謝いたします。大いなる力を振って統治されたからです。」一―即ち、あなたは、あなたの教えのすべてを発せられ、地上の人々をあなたの保護のもとに集め、地上の人すべてを一つのテントの陰に集められるからです、ということです。それは神の永遠の王国であり、彼は昔も今も常に王国を持っていたのですが、ここでの王国は彼自身の顕示2を意味しています。そして彼は人間の世界と永遠の命の精神であるすべての法律と教えを公布します。そしてその普遍的顕示者は戦争や闘争によってではなく、平和と平穏のうちにそれを成しとげます。彼は戦争の力によってではなく、真の愛によって天の王国を確立します。彼はこの神の教えを武器や過酷さではなく、親切と正義によって推進します。彼は人々がさまざまな情況、異なった習慣や性格、さまざまな宗教や人種にもかかわらず、聖書に述べられている、狼と子羊、ひょう、子供、乳呑子とへびのように同志、友達、仲間になるように人々を教育します。人種の争い、宗教の相違、そして国家間の障害は完全に取り除かれ、すべては祝福された木の下陰で完全な連帯と調和に到達するでしょう。
「異邦人たちは怒り狂った。」(18節)あなたの教えが他の人々の感情に反対したからです。
「あなたは怒りを現わされた。」(18節)―つまり、皆は明白な損失によって苦しむであろうということです。人々はあなたの勧告、指導、教えに従わないので、あなたの永遠の恩恵から締め出され、「真理の太陽」の光からさえぎられるためです。
「死者の裁かれる時が来ました。」(18節)これは、死者―つまり神の愛の精神から締め出され、聖別された永遠の命にあずからない人々―が正義によって裁かれる時が来るということです。その意味は、彼らに値するものを受けとるようになるということです。彼は、彼らが存在の世界でいかに低い地位を占めているか、そして事実、彼らは死の支配下にあることを示すことによって、彼らの秘密の実体を明らかにするでしょう。
「あなたの僕、予言者、聖なる者、御名を畏れる者には、小さな者にも大きな者にも報いをお与えになる。」―つまり彼は、正しい者を天国の星のように永遠の名誉の地平線に輝き出させるという尽きることのない恩恵によって区別するのです。彼は彼らに人問世界の光、指導の根拠、神聖な王国における永遠の命を得る手段である態度や行いを授けることによって援助します。
「地を滅ぼす者どもを滅ぼされる。」(18節)これは、彼は怠慢な者を完全に締め出すということです。目の見えぬ人の盲目性が明らかにされ、賢者の見識が明らかにされるからです。誤っている人々の無知と知恵の欠除が世間にわかり、指導を受けている人々の知識と英知が明らかになります。その結果、破壊者は滅ぼされるでしょう。
「そして、天にある神の神殿が開かれた。」(19節)ということは、神聖なるエルサレムが見い出され、「神聖中の神聖」が明らかになるということです。英知の人々の専門用語によれば「神聖中の神聖」は神の法のエッセンスであり、前にも説明したように、どの予言者の周期においても変わることのない、神聖で、真実な主の教えです。エルサレムの聖域は、「神聖中の神聖」である神の法の本質に例えられます。そしてすべての戒律、慣習、儀式、世俗的規則はエルサレムの都市に例えられます。―これが神聖なエルサレムと呼ばれるゆえんです。要するに、この周期において、「真理の太陽」は神の光を至高の輝きと共に輝かせるので、神の教えの本質が存在の世界で理解され、無知の暗黒と知識の欠乏がとり除かれます。世界は新しい世界に変わり、啓発が行き渡ります。そして、最も神聖なるものがあらわれるでしょう。
「そして天にある神の神殿が開かれた。」(19節)これはまた、その神聖な教えの普及、これらの天国のような神秘の出現、「真理の太陽」の上昇、成功と繁栄への戸があらゆる方向に開かれ、善のしるしと天の祝福が明らかにされるということでもあります。
「その神殿の中にある契約の箱が見えた。」(19節)つまり彼の「契約の書」は彼のエルサレムに現われ、「聖約の書簡」が確立され3、契約と聖約の意味がはっきりさせられるということです。神の御名が東西に広がり、神の大業の宣布が世界を満たすでしょう。聖約の破壊者は堕落させられ、追い払われます。そして、信心深い者は大事にされ、栄誉を与えられるでしょう。彼らは「契約の書」にすがり、聖約に確固とし不動だからです。
「稲妻、さまざまな音、雷、地震が起こり、大粒の雹が降った。」(19節)ということは、「契約の書」の出現の後には大きな嵐があり、神の怒りの稲妻が光り、聖約破壊者の雷の音が再び鳴り、疑いの地震が起こり、苦痛の雹が聖約破壊者を打ち、信仰を告白した者でさえ、試練と誘惑にあうということです。
十二、イザヤ書の十一章に関する解説
イザヤ書の十一章一〜十節にこう述べられています。「エッサイの株から一つの茸が萌えいで、その根からひとつの若枝が育ち、その上に主の霊がとどまる。知恵と識別の霊、思慮と勇気の霊、主を知り畏れ敬う霊。彼は主を畏れ敬う霊に満たされる。目に見えるところによって裁きを行なわず、耳にするところによって弁護することはない。弱い人のために正当な裁きを行ない、この地の貧しい人を公平に弁護する。その口の鞭をもって逆らう者を死に至らせる。正義をその腰の帯とし真実をその身に帯びる。狼は子羊と共に宿り、豹は子山羊と共に伏す。子牛は若獅子と共に育ち、小さい子供がそれらを導く。牛も熊と共に草をはみ、その子らは共に伏し、獅子も牛もひとしく干し草を食らう。乳飲み子は毒蛇の穴に戯れ、幼子は蝮の巣に手を入れる。わたしの聖なる山においては、何ものも害を加えず、滅ぼすこともない。水が海を覆っているように、大地は主を知る知識で満たされる。」
エッサイの株から萌えいでたこの芽はまさしく、キリストにあてはまります。ヨセフはダビデの父、エッサイの子孫だからです。しかし、キリストは神の霊を通して生まれたので、彼は自分を神の子と呼びました。もし彼がそうしたのでなかったのならば、この叙述は彼にあてはまったでしょう。さらに、その芽の日に出現すると彼が指摘した出来事は、象徴的に解釈すれば、部分的にはキリストの時代に逢成されました。しかし全部ではありません。もし象徴的に解釈しなければ、これらのしるしの一つも起こらなかったことは確かです。例えば、豹と子羊、ライオンとコブラは、さまざまな国、人々、対立する派、敵意を持つ人種たちの隠瞼であり、象徴であり、それらは狼と子羊のように反対であり、互いに敵意を持つものです。キリストの精神の息吹きによって彼らは友好と調和を見い出し、活気づけられ、共に集まったと言えるでしょう。
しかし、「わたしの聖なる山においては何ものも害を加えず滅ぼすこともない。水が海を覆っているように、大地は主を知る知識で満たされる。」この状態は、キリストの顕示の日には広まりませんでした。なせなら、今日までさまざまな対立した国家が存在するからです。イスラエルの神を認めるものはほんのわずかですし、大部分の人は神の知識を持っていません同様に、世界平和もキリストの時代には実現しませんでした。即ち、対立する敵意のある国の間には平和も友好もなく、闘争と不和は止まず、調和と誠意はあらわれませんでした。ですから今日でもキリスト教の各派や国家間には敵意、憎悪、激しい敵対心があります。
しかし、これらの節は、一語一語バハオラにあてはまります。この驚嘆すべき周期において、地球は変革され、人間世界は平穏と美で盛装するでしょう。闘争、けんか、殺人は平和、真理、調和に置きかわります。国家、民族、人種間に愛と友好が出現します。協力と連帯が確立され、ついに戦争は完全に鎮められるでしょう。最も神聖な書(キタビ・アクダス)の法律が施行されるようになれば、国家や王国の最高裁判所は、論争や闘争に絶対正義の最終判決を与えます。そうして持ち上がった困難は解決されます。世界の五大陸はまさに一つになり、すべての国々は一つにまとまり、地上の表面は一つの国になり、人類は一つの共同体になるでしょう。国家問の関係―人々と共同体の混合、連帯、友好―は、人類が一つの家族であり、血縁であると思われるほどの高い状態に到達します。天国のような愛の光が輝き、敵意や憎悪の暗黒は世界から失くなるでしょう。世界平和は地球の中心にそのテントを張り、祝福された命の木は育ち、東西を覆うほど広がります。強きも弱きも、富める者も貧しい者も、対立する派も敵対する国家も、――狼と子羊、豹と子供、ライオンと子牛のような――完全な愛・友情・正義・公正さをもってお互いに行動します。世界は、科学、存在の神秘の本質についての知識、神の英知で満たされるでしょう。
バハオラの周期であるこの偉大な世紀に、科学や学問がどれほど大きな進歩をもたらし、どれほど多くの存在の神秘が発見され、どれほど多くの発明が明るみに出され、日毎にその数を増加させつつあることかよく考えてください。まもなく、神の英知のみならず物質的科学や学問は目をみはるような進歩をし、神秘を明かすでしょう。そしてイザヤ書のこの節「大地は主を知る知識で満たされる。」の神秘が完全に明らかになるでしょう。
バハオラが出現してからわずかな間に、すべての国家、人種からなる民衆は、この大業の下陰の下に入ったことも真剣に考えてください。キリスト教徒、ユダヤ教徒、ゾロアスター教徒、仏教徒、ヒンズー教徒、ペルシャ人たちは、あたかも何千年も彼らとその家族は関連し、結合していたかのように、最高の友情と愛を持って共につきあいます。彼らは父と子、母と娘、姉と弟のようだからです。これは、狼と子羊、豹と子供、ライオンと子牛の親交の意味の一つです。
「並ぶ者なき枝」(バハオラ)の顕示の日に起こるであろう偉大な出来事の一つは、すべての国に神の旗が掲げられることです。この意味は、すべての国々と血族は、「主の枝」そのものにほかならないこの神の旗の下陰に集い、一つの国になるであろうということです。宗教的、派閥的対立、人種や民族の敵意、国家間の相違は失くなり、人は皆、一つの宗教にすがり、共通の信仰を持ち、一つの人種に混ぜ合わされ、一つの民となるでしょう。全員が地球そのものである一つの共通な祖国に住みます。世界平和と調和がすべての国々の問で理解され、「並ぶ者なき枝」はすべてのイスラエル人をまとめ、この周期において、イスラエルは聖地に集められ、東西南北に散らばっているユダヤ人は集合させられることを示すでしょう。
理解してください。これらの事はキリストの周期には起こりませんでした。各国は「神の枝」である一つの旗のもとに集まらなかったからです。しかし、この万軍の王の周期においては、すべての国々や民衆はこの旗の下陰に入るのです。世界中に散らばっていたイスラエル人は、キリストの周期には聖地に再び集合しませんでした。しかし、バハオラの周期の初めに、この神の約束は、予言者のすべての本にはっきりと述べられている通りに、明らかになりつつあります。世界中から、ユダヤ民族は聖地にやって来るのを見ることができるでしょう。彼らは自分たちの作った村や土地に住み、日毎に、全パレスチナが故郷となるほどに増えつつあります。
十三、聖ヨハネの黙示録十二章に関する解説
前にも説明しましたが、聖書に述べられている聖なる都、あるいは神のエルサレムいう言葉によって、たびたび言われているものは、神の法です。神の法はあるときは花嫁に、またあるときはエルサレムに、また新しい天と地にも例えられます。それについて、ヨハネの黙示録の二十一章一、二、三節にこう述べられています。「わたしはまた、新しい天と新しい地を見た。最初の天と最初の地は去って行き、もはや海もなくなった。更にわたしは聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意を整えて神のもとを離れ、天から下ってくるのを見た。そのとき、わたしは玉座から語りかける大きな声を聞いた。見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。」
最初の天と地は、これ以前の法を意味している、これは何とはっきりしていることであるか気づいてください。最初の天と地はすでに過ぎ去ってもう海はないといわれています。――つまり地は審判の場所であり、そしてこの審判の地の上には海はないということは、教えと神の法は完全に広まり、人は皆、神の大業に入り、地は完全に信者が住みつき、その結果、海が失くなるであろう、人聞の住む場所と住居は乾いた土地だからであるということです。言いかえれば、その時には、その神の法の野原は人間の遊園地となるのです。そのような地は固く、足はその上をすべりません。
神の法はまた聖なる町、新しいエルサレムとしても述べられています。天から下ってくる新しいエルサレムは、石、モルタル、レンガ、土や木でできた町のことではないことははっきりしています。それは天から下ってきた神の法であり、新しいエルサレムと呼ばれています。なぜなら、石と土でできたエルサレムは天から下ってこないことは明らかですし、それは再び新しくはなりません。しかし新しくされたものは神の法です。
神の法はまた、美しい飾りをつけて現われた着飾った花嫁に例えられます。それはヨハネの黙示録の二十一章に次のように述べられています。「さらにわたしは、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意を整えて、神のもとを離れ、天から下ってくるのを見た。(黙示録21:2)そして十二章一節にはこう言われています。「また、天に大きなしるしが現われた。一人の女が身に太陽をまとい、月を足の下にし、頭には十二の星の冠をかぶっていた。」この女性がその花嫁で、マホメットの上におりてきた神の法です。彼女が着ていた太陽、足の下にある月は、その法の下陰にある二つの国、つまり、ペルシャとオスマントルコのことです。ペルシャの絞章は太陽であり、オスマン帝国は三日月です。このように太陽と月は、神の法のもとにある二つの王国の絞章です。その次に述べられています。「頭には十二の星の冠をかぶっていた。」この十二の星は十二人のイマムであり、その人たちは、導きの天で星のように輝いているマホメットの法の推進者、民衆の教育者です。
その次に第二節について述べられています。「身ごもった女は叫んでいた。」ということは、完全な子が生まれるまで、この法は極度の困難に陥り、非常な苦労と苦難を耐えるということです。――完全な子とは、来たるべき顕示者、約束されたお方、完全な子であるお方、その母親としてのこの法の胸の中で育てられたお方のことです。ここに言われている子供は、最初の点であるバブです。バブは真実、マホメットの法から生まれました。――つまり、彼の母である神の法から生まれた子であり、結果であるお方、また、その宗教によって約束されたお方である聖なる実在は、その法の王国に現わされました。しかし、竜の圧制によりその子は神のもとへ引き上げられました。一二六〇日の後、その竜は破壊され、神の法の子、約束されたお方は明らかになりました。
三、四節「また、もう一つのしるしが天に現れた。見よ、火のように赤い大きな竜である。これには七つの頭と十本の角があって、その頭に七つの冠をかぶっていた。竜の尾は、天の星の三分の一を掃き寄せて、地上に投げつけた。」(黙示録12:3、4)これらの徴は、マホメットの宗教を支配したウマイヤ王朝の隠喩です。七つの頭と七つの冠は、ウマイヤ朝が力をふるった七つの国と領土を意味しています。それらは、ダマスカス周辺のローマ領、ペルシャ、アラビア、エジプト領、それに加えて、アフリカ領、即ち、チュニス、モロッコ、アルジェリアです。現在のスペインであるアンダルシア領、そしてトランソザニアのトルコ領です。ウマイヤ朝はこれらの国々に力を及ぼしました。十本の角はウマイヤ朝の支配者の名前を意味しています。―即ち、重複を避ければ、十人の指導者と首領の名前を意味している十の支配者の名前がありました。―最初はアブ・スフィヤン、最後はマルバンです。しかしそのいくつかは同じ名前です。それで二人のムアビア、三人のヤズド、二人のバァリド、二人のマルバンがいます。しかし重複しないように数えますと十人になります。ウマイヤ朝の初代はメッカの知事であり、ウマイヤ朝の長であったアブ・スフィヤン、そして最後がマルバンであったウマイヤ朝は、天国の星と例えられる神聖で聖人のようなマホメットの血統の三分の一を殺しました。
四節、「そして、竜は子を産もうとしている女の前に立ちはだかり、産んだら、その子を食べてしまおうとしていた。」(黙示録12:4)前にも説明したように、この女性は神の法です。竜は、その子を食べてしまおうと女の前に立ちはだかっていた。この子供は、マホメットの法の子である約束された顕示者でした。ウマイヤ朝は常に、マホメットの系統から来る約束されたお方を殺し、絶滅させるために、捕まえようと待ちかまえていました。彼らは約束された顕示者の出現を非常に恐れて、高く評価されそうなマホメットの子孫を皆殺しにしようとしていたのでした。
五節、「女は男の子を産んだ。この子は、鉄の杖ですべての国民を治めることになっていた。」この偉大な子は、神の法から星まれ、神の教えの胸の中で育てられた約束された顕示者です。鉄の杖は力の象徴です。―それは剣ではありません。一彼は神の力で地上のすべての国を導くであろうということを意味しています。この子は、バブです。
五節、「子は神のもとへ、その王座へ引き上げられた。」これはバブについての予言です。彼は天の領域へ、神の王座へ、神の王国の中心へと昇りました。すべては、実際起ったこととよく一致していることについて深く考えてください。
六節、「彼女には、神の用意された場所があった。」(黙示録12:6)アラビア半島は、神の法の住み家、居場所、中心となりました。
六節、「彼女が一二六〇日の間養われるように。聖書の用語論によれば、一二六〇日は十二六〇年を意味し、その間、神の法は、巨大な砂漠であるアラビアの荒野に掲げられました。一二六〇年の後、その法はもはや影響力は失くなります。なぜなら、その木の果実は現われ、その結果がもたらされるからです。
いかにそれらの予言がお互いに対応しあっていることか、よく考えてください。ヨハネの黙示録の中では、約束された御方の出現は四十二ケ月後と指定されていますし、ダニエルは三日半と表わしています。三日半はまた四十二ケ月であり、一二六〇日でもあります。ヨハネの黙示録の別の節には、はっきりと一二六〇日と述べられています。聖書では一日は一年を意味します。これらの予言がお互いに一致し合っていること以上の明らかな証明はあり得ないでしょう。バブは、全イスラムの共通の暦計算の始まりであるマホメットのヘジラから一二六〇年たって出現しました。聖書の中で、どの顕示者にとっても、これ以上はっきりした証明はありません。公正な人にとって、偉大なる方たちの言葉によって示された時間の一致は、決定的証明です。これらの予言について、別の説明をすることは不可能です。真実を求める公正な人々に祝福あれ。しかし、公正さがない場合には、キリストの顕示の時のパリサイ人が、キリストと弟子の解釈を極度のがんこさで否定したのと同じように、人々は攻撃し、反論し、明からさまに証拠を否定します。彼らは無知な人々に、「聖書に述べられている状況に依れば、これらの予言はイエスに関するものではなく、後に来る約束されたお方のための予言である。」と言ってキリストの大業を混乱させました。それらの状況のあるものは、彼は王国を持たなければならない。ダビデの玉座に座り、聖書の法を執行し、同じ泉に狼と子羊を集める正義を現わさなければならないというものでした。
このように彼らは、人々がキリストを認めることを妨げました。
注= 最後の話の中で、アブドル・バハは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教についての黙示録の予言を、その超自然的特徴を示すことよりむしろ、新しい解釈で調整することを願っている。顕示者の力について40「神の顕示者の知識」と71「幻と霊のまじわり」を参照のこと。
十四、精神的証明
この物質の世界では、時の流れに周期があり、移り変わる季節によって場所の様子は変化します。魂にも進化があり、退化があり、教育があります。
ある時は春の季節であり、またある時には秋の季節です。また、夏の季節であったり、冬の季節であったりします。
春には、貴重な雨を降らせる雲があり、じゃこうの香りのするそよ風、生気を与える風があります。空気はまことに穏やかで、雨は降り、日は輝き、豊かな風は雲をふわふわと運び、世界は生まれかわり、命の息吹きが植物、動物、そして人間の中に現われます。地上のものは、ある状態から別の状態へと変わります。万物は新しい衣装をまとい、黒い地面は草におおわれます。山々や野原は新緑で飾られ、木々は葉や花をつけます。庭園には花が咲き乱れ、香り高い草が生い茂ります。世界は別世界になり、命を与える精神に達します。地面は命のないからだでしたが、新しい精神を見い出し、かぎりない美しさ、優しさ、新鮮さを生み出します。このように、春は新しい命のもとであり、新しい精神を吹き込みます。
それから夏がやって来ます。暑さが増すと成長と発達は、その最大の力に到達します。植物界の生命力は完成の域に達して、実は結び、収穫の期は熟します。一粒の種子は束をなし、冬に備えて食料は貯えられます。それから騒々しい秋が来て、不健康な、不毛の風が吹きます。それは病の季節であり、万物は枯れしおれ、かおりのよい空気はよごれた空気になります。春のそよ風は秋の風に変化し、豊かな緑の木々は枯れて裸になり、花や香り高い草は色あせ、美しい庭園は塵の山となります。これに続いて、寒さと吹雪の冬の季節がやって来ます。雪が降り、雨が降り、ひょうが降り、嵐となり、雷鳴はとどろき、いなずまが光り、凍てつきます。すべての植物は枯死し、動物は弱り哀れな状態になります。
この状態に到達すると再び新しい、命を与える春が戻って来ます。そして周期は新しくなります。新鮮さと美を持つ春の季節は、かぎりないはなやかさと雄大さで、そのテントを野原や山々に広げます。再び被造物の姿は新しくなり、生物の創造は新しく始まります。からだは成長、発達し、野原や荒野は緑になり、肥沃になり、木々は花を咲かせ、去年の春は最高の豊かさと栄光の中に戻って来ます。生存の周期継続はこのようなものであり、かくあるべきものです。物質の世界の周期循環はこのようなものです。
予言者の精神的周期も同じです。――つまり、聖なる顕示者の出現は、精神的春の季節です。それは神性の輝きであり、天の恩恵、命のそよ風、真理の太陽のあけぼのです。精神は活気づけられ、心はさわやかになり、元気づけられ、魂は善良になります。生活は活発になり・人間の本質は喜ばされ、良い性質や美徳の中で育ち、発達します。全般的進歩がなされ、復興が起こります。なぜならそれは復活の時であり、興奮の時、至上の幸福の季節、大いなる歓喜の季節だからです。
やがて命を与える春は終わり、実を結ぶ夏が来ます。神の言葉は賛美され、神の法は広められ、万物は完成の域に達します。天の食卓は広げられ、神聖なその風は東西をよい香りで満たし、神の教えは世界を征服します。人々は教育され、賞讃すべき業績が生み出され、人間世界に共通の進歩が現われ、神の恩恵は万物を取りまきます。真理の太陽は、神の王国の地平線からこの上もない力と熱を持って昇ります。それは頂点に達すると、傾き、下降し始めます。精神的夏のあとに、成長、発達を止める秋がやって来ます。そよ風は物を枯らせる風に変わり、この不健全な季節は、庭園や野原、木陰の美しさと新鮮さを失なわせます。――即ち魅力や善意は影をひそめ、神聖な特質は変化し、心の輝きは薄れ、魂の精神性は変性し、美徳は悪徳に置き替り、神聖さと清浄さは消え失せてしまいます。神の宗教の名前だけが残り、神の教えの外面的形式ばかり残ります。神の宗教の基礎は破壊絶滅され、ただ形式と習慣のみが残ります。分裂が現われ、確信は不安定になり、精神は死にます。心は弱り、魂は無気力になり、冬が訪れます。――つまり、無知の寒気は世界を包み、人間の誤りの暗黒は世界を覆います。それから無関心、背反、無思慮、怠惰、卑劣、動物的本能、冷淡、石のような鈍感さが来ます。それは、太陽の熱の働きが妨げられ、荒涼とした陰うつな地球の冬の季節に似ています。知性と思想の世界がこの状態に達すると、そこにはただ継続的死と永遠の空虚とがあるばかりです。
冬の季節が力を果たしてしまうと、また精神的春が戻り、新しい周期が現われます。精神のそよ風が吹き、その輝く黎明はきらめき、神聖な雲は雨を降らせ、真理の太陽の光線は輝き出し、この依存している世界は新しい命を得、すばらしい衣をまといます。過ぎ去った春のあらゆる徴と恩恵は再び現われ、恐らくこの新しい春は一層堂々とした輝きを持つことでしょう。
真理の太陽の精神的周期は物質的太陽の周期に似ており、絶えず回転し、更新されています。真理の太陽は物質的太陽のように多数の昇る場所、没する場所があります。ある日、黄道十二宮の力に座から昇り、ある時は天秤座から、または水がめ座から、またある時は雄羊座から光線をまき散らします。しかし太陽は一つの太陽であり、一つの実体です。知識ある人は太陽を愛する人であり、その昇ったり没したりする場所によって惑わされません。知覚力のある人は心理の探究者であり、その出現する場所、没する場所を問題としません。ですから彼らは太陽が黄道十二宮力のどこから昇ろうと太陽を崇拝します。そして真理を現わすすべての聖別された魂に心理をさがし求めます。そのような人は決まって真理に到達し、神の世界の太陽からおおい隠されません。ですから、太陽を愛する人や光の探求者は、太陽が牡羊座から輝こうと、かに座からその恵みを施そうと、あるいは双子座から輝き出ようと、いつも太陽の方に向きます。しかし無知でいまだに教えを受けていない人は黄道を愛します。そして太陽ではなく、その昇る場所に心を奪われ、眩惑されます。太陽がかに座にあるとその方に向きました。しかしその後太陽は天秤座へ移ってしまいました。彼らはその座を愛する人たちであったので、その方へ向き、それに愛着しました。そして太陽がその場所を変えたというただそれだけの理由で、太陽の影響力を受けられなくなりました。例えば、かつて真理の太陽はアブラハムの宮からその光を注ぎ、次にモーゼの宮から昇り、地平線を照らしました。やがてそれはこの上もない偉大な力と輝きを持ってキリストの宮から昇りました。神の真理の探究者は、それをどこに見ても、その神の真理を崇拝します。しかし、アブラハムに執着した人たちは、それがシナイ山を照らし、モーゼの本質を輝かせた時、太陽の影響力から締め出されたのでした。モーゼに執着した人たちはまた、真理の太陽がこの上もなく輝かしく、主の壮麗さをもってキリストから輝き出した時、ベールでおおわれたのでした。等々。
ですから、人は、神の真理の探究者でなければなりません。そうすればそれぞれの聖別された魂たちの中に、神の真理を見つけるでしょう。彼は魅了され、歓喜にあふれ、神の恵みに魅せられるにちがいありません。どのランプから輝きだす光をも愛する蝶のようであり、どの花園に育つばらをも愛するナイチンゲールのようでなければなりません。
例え太陽が西から昇るとしても、それはやはり太陽であることに変わりはありません。その昇る時所が違うからと背を向けたり、西は常に日の没する所であると決めつけてもなりません。同じように、人は神の恩恵を探し、神の夜明けの女神を探し求めなければなりません。どんな場所に太陽が現われようと、人はその熱烈な思慕者でなくてはなりません。もしもユダヤ人がモーゼの地平線を向いたきりではなく、真理の太陽をのみ注視していたならば、キリストの本質の夜明けの地に、この上もなく神聖な輝きの中に現われた太陽を認めたであろうことは疑いありません。しかし、悲しいことに、何とも悲しいことに、彼らはモーゼの外面的な言葉に執着して神の恩恵と主の光輝を見失ってしまったのでした。
十五、真の富
あらゆる存在物のほまれと歓喜は、それぞれの存在理由と環境によって異なります。大地の優秀さ、盛装、完成は、春の雲の恵みをうけて緑の草木でおおわれ、肥沃になることです。植物が育ち、花や香りの良い草がもえだし、実をつける木々が花でいっぱいになり、水々しい果実が実ります。花園は美しくなり、牧場は飾られ、山や野原は緑のゆるやかな衣をまとい、庭、野、村、町は美しく飾られます。これが鉱物界の繁栄です。
植物界の歓喜の絶頂と完成は、一本の木が新鮮な水の流れる岸辺に育ち、優しいそよ風がその上を吹き、太陽の暖かさがその上に輝き、庭師がその栽培の世話をし、日毎に成長して実を結ぶようになる、というようなことです。しかし、植物界の真の繁栄は、動物界、人間界に進入し、動物や人間の肉体の中で消費される物に置きかわることです。
動物界の歓喜は、動物が完全な五体、器官、力を持ち、必要なものが満たされることです。これが動物界の主な栄光、名誉、歓喜です。ですから、動物の至高の幸福は、緑豊かで肥沃な牧場や、この上もなく清らかな流水や、美しい青々とした森を持つことです。もしこれらのものが与えられれば、これ以上の繁栄は想像できません。例えば、小鳥が青々とした果実がいっぱいある森に、美しい高地に、丈夫な木の上に、高くのびた枝のてっぺんに、その巣を作り、そして、必要とするあらゆる食物と水があれば、これこそ、完全な繁栄です。
しかし動物の真の繁栄は、動物界から人間界へ進入することであり、顕微鏡的な生き物のように水や空気をとおして人間の中に入り込んで同化され、人間のからだの中で消費されるものに置きかわることです。これが動物界の大きな名誉であり、繁栄です。これ以上の名誉は考えられません。
ですから、この富、この慰み、この物質的豊富さが、鉱物、植物、動物の完全な繁栄を形成することは明らかです。物質的世界のどんな富も財産も慰安も安楽も、一羽の小鳥の富にはかないません。これらの平原や山々の全域がその住む場であり、すべての種子、収穫物はその食糧であり財産です。あらゆる陸地、村、牧場、森、荒野はその所有物です。では、この小鳥と、最も裕福な人とどちらが豊かでしょうか。小鳥がどんなに多くの種子を食べたり、他に与えたとしても、その富は全々減りはしないのです。
それならば、人間の名誉と歓喜は、物質的富以上のものでなくてはならないことが明らかです。物質的快適さは枝にすぎません。人間の歓喜の根となるものは、人間の本質を飾る善い属性と美徳です。それらは神性の現れ、天の恩恵、崇高な感惰、神への愛と知識です。あらゆるものに通じる英知、知的理解、科学的発見、公正、平等、誠実、慈悲、生まれつきの勇気と堅忍、権利の尊重、契約、聖約の遵守、あらゆる環境における正直さ、あらゆる状況下での真理への奉仕、すべての人々の利益のための命の犠牲、あらゆる国民に対する優しさと尊敬の念、神の教えに対する従順、神の国への奉仕、人々の指導、国家や種族の教育。これこそ人問界の繁栄です!これこそ世界における人間の歓喜です!これこそ永遠の命であり、神々しい名誉です!
このような美徳は、神の力と神の教えを通してのみ、人間の実体から現われでます。そうした美徳が現われるためには、超自然的力が必要だからです。自然界にはこのような完全なものの痕跡が見られるかも知れません。しかしそれらは不安定ではかないものであり、壁の上を照らす太陽の光のようなものです。
慈悲深き神は、そのようなすばらしい王冠を人の頭に置かれたのですから、人は、その輝かしい宝石がこの世界において目に見えるようにするために大いに努力すべきです。
[1]創世紀1:26
[2]創世紀1:26
[3]聖なる顕示者は、宗教の創立者である。43、二種類の予言者”参照
1バブは、マホメットの子孫である。
1ヨハネ 6:42
1バヌータミム、アラブの最も野蛮な部族の一つは、この醜悪な習慣を行なった。
[4] ウマー
[5] Jurj:Zayba’nの「ウマイヤ朝とアッバス朝」
[6] コペルニクス
[7] コーラン36:37
[8] コーラン36:38
1 この時のバハオラの答えを見抜く判断は、敵の悪意を圧倒しました。彼らはどの奇蹟を選ぶか絶対に一致しなかったに違いありません。
2 イランで当時イラク・アザムとして知られており、現在アラクと呼ばれている地方の向いにある。
3 シリアのフランス大使の息子。バハオラは彼と親交があった。
1 ダニエル書九.二四 あなたの民とあなたの整なる都については、七十週が定められている。それはそむきをやめさせ、罪を終わらせ、咎を贖い、永遠の義をもたらし、幻と予言とを確証し、至聖所に油をそそぐためである。
[9] 一三三五年後は一九六三年のことで万国正義院の最初の選挙が行なわれた。
[10] バラカト・イブン・ノーファル、カディジャーのいとこ。
[11] マホメットの使命の宣布 (訳注:六一三年)から一二九〇年たった年は、ヘジラ一二八○年、または現代暦の一八六三〜六四です。まさにその時期一八六三年四月に、バハオラはバクダットからコンスタンチノープルに発とうとする時、彼をとりかこんだ人々に、彼こそは、バブによって告げられた顕示者であることを宣言しました。これは、バハイがレズワンの祝祭日として祝う宣言で、その名は、その市の入口にある庭園の名に由来し、バハオラはそこに十二日間滞在し、その宣言をされた。
1 この文は、引用されたコーランのアラビア語の文をペルシャ語に訳したものである。
2 彼の完全な顕示
3 バハオラの作品の一つ。その中で彼は彼の死後全ての人がたよるべき者としてアブドル・バハを明確に指名された