1912年、スペイン駐在の日本大使であった荒川子爵夫妻はパリのホテルに滞在中、アブドル・バハもパリに滞在していることを知った。夫人は、ぜひアブドル・バハに会う名誉にあづかりたいと切望した。「とても悲しいことですが、かぜがひどく、今晩は外出できません。それに朝早くスペインに発つことになっています。でもなんとかその方に会うことはできないでしょうか」と、夫人は願いを述べた。 この願いは、一日中長時間の活動で疲れ切ってもどってきたアブドル・バハに伝えられた。
自ら訪ねたアブドル・バハ
「夫人がわたしのところに来られないならば、わたしの方から訪ねると、ご夫妻に伝えなさい」
こうして、アブドル・バハは、遅い時間に、寒さと雨のなかをわざわざ荒川夫妻に会うためにホテルに出かけて行った。そしてにこやかにしかも丁重に夫妻に応待した。
アブドル・バハは荒川夫妻に、日本の状態、その国の国際的な重要性、人類への大なる奉仕、戦争廃止のための努力、労働者の生活条件の改善、男女共に教育の機会を与える重要性などについて語った。 かれはまた、宗教の理想は、「人類に福祉をもたらす源泉であること」、「宗教はけっして党派的政治の道具に用いられてはならないこと」、「神の政策は強大であり人間の政策は微弱であること」を述べた。
宗教と科学
さらに、宗教と科学は人間という鳥が飛び上がるための、ふたつの翼のようなものであることを説明し、つぎのようなおどろくべき予言をした。「科学的発見は物質的文明を増進させてきた。幸いに、いまだに人間より発見されていないが、恐るべき威力をもったものが存在している。精神文明が人間の心を支配するまでは、この威力あるものが科学によって発見されないように、敬愛する神に嘆願しよう。低俗な性格をもつ人間の手に入れば、この力は全地球を破壊するであろう」
このように、アブドル・バハは恐るべき威力をもったもの、すなわち原爆が、日本に投下される34年も前に、そのことを日本の指導者に語っていたのである。 アブドル・バハは、さらに1920年、日本のバハイに宛てて、つぎのようにも述べていた。
「日本においては、神の宣言は恐るべき爆発のように聞こえるであろう。そのため、用意のできた者たちは真理の太陽の光で高揚され、照らされるであろう」