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昭和天皇への宣布

ショーギ・エフェンディは、昭和天皇に書簡と電報をそれぞれ一通送った。この二回の通信が可能であったのは、増島緑一郎博士のおかげであった。 増島博士は著名な国際法律家であり、中央大学の創設者でもあった。かれはバハイの友人で、バハイのためにいろいろな面で援助を与えた人である。 昭和天皇への書簡には、つぎのようなことが書かれていた。 「このバハイの文献を熟読されることにより、陛下がバハオラの啓示の荘厳さと貫通力とを理解され、その世界的な認識と勝利のために、このめでたい機会に立ち上がられますように……」この手紙はアメリカ人のバハイから送られた七冊のバハイの本と共に、 1929年増島博士により天皇陛下に献上された。増島博士は「バハイの文献は今や陛下の図書室の一部となっている」ことを伝えた。

そのころ、マーサ・ルートというアメリカ人のジャーナリストで、バハイの宣布のため、世界中を回っていた人がいた。彼女は、ルーマニアのマリー女王にバハオラの教えを伝えた人である。マリー王女はヴィクトリア女王の孫娘で、バハイとなった最初の女王である。

1930年、マーサ・ルートは来日し、ショーギ・エフェンディからのメッセージと記念品を天皇陛下に献上するために会見を申し込んだ。宮内省は会見に対しては許可を与えなかったが、記念品とメッセージは受け取った。そのメッセージ(電報)はつぎの通りである。

「東京アメリカ大使館気付マーサ・ルート殿。わたし自身と世界中のバハイに代わって、天皇陛下のご幸福およびその古来からの領土の繁栄を心からお祈りしていること、そしてわたしからの深い敬愛を伝えてください」 日本は、第二次大戦の荒廃から回復して、ショーギ・エフェンディの祈り通りの繁栄が訪れてきただけでなく、天皇も在位期間が歴代の天皇のなかで、最長のものとなった。