バージ
バージの邸宅
この邸宅は1871年にアッカの提督アブドラ・パシャによって建てられたが、後に、アッカの商人ウディ・カンマールに買い取られた。1870年に大改修された。1879年この辺にペストが大流行したので、家族一同は他の家に移って空き家になっていたので、アブドル・バハはバハオラのためにこの家を借りた。バハオラは、この家で「狼の子への書簡」その他多くの書簡を著した。バハオラは1992年この家で昇天された。(写真の左に見える建物がバハオラの館) この邸宅はその後、聖約の破壊者によって占拠されていたので内部が大分荒廃してしまった。1929年守護者ショーギ・エフェンディはこのマンションをバハイの手に取り戻した後、大修理を行い、また,近辺の土地を買収して庭のデザインを計画し、美化に努めた。現在、バ−ジの館には展示物が飾られ、バハオラの寝室も昔のままに保存されている。 この館の内部見学は9日間の巡礼者と国際大会の代表者だけ訪問する事が出来る。3日間の短期訪問者にはその内部は開放されない。(バハオラの館の内部広間は展示室になっている)
バハオラの廟は、バハオラの遺体の安置してあるところである。1892年5月29日バハオラが昇天した。その日のうちに、バハオラの遺体はバージのマンションに隣接する家の一部屋の床下に埋葬された。この場所は、バハイにとってこの世で最も神聖な場所である。また、毎日のお祈りを上げる時、ゲブレといって世界各国のバハイはこの霊廟に向かって毎日お祈りをする。この霊廟は非常に簡素なものであり、一時的なものである。やがては立派な霊廟が作られるとの話もある。
エドワード・グランビル・ブラウンの訪問