バハオラの霊廟
「ゲブレとは、まことに神が現したまうであろう御方のことである。彼が休止するまでは、ゲブレは彼と共に動くのである。」1 (バハオラ)
「われは … 必須の祈りを汝らに命じた。われは、神の書の命令として、より多くの数を唱えることを免除した。 … この祈りを捧げたいと欲するときには、わが量も神聖なる面前の宮居に向かえ。それは、神が、その周囲を天上の群衆が回る中心点となし、永久の、諸々の都市の住人らのための崇敬の点と定め、天と地にいるすべての者への命令の源として定め給うた、この聖なる地点である。そして真理と発言の太陽が沈んだ後には、われが汝らのために定めた地点へ顔を向けよ。まことに彼は、全能にして、全知であり給う。」2(バハオラ)
1892年5月29日、バハオラは昇天され、その日没直後、バハオラのご遺体は、彼の義理の息子セイエド・アリ・アフナン宅の最北端に位置する部屋に安置された。その聖なる邸宅とそれに隣接する建物は、長い間バハイ信教の聖約の破壊者らに占拠されていたが、ついに1920年代初め、その霊廟の恒久的管理権はバハイ共同体の長としてのショーギ・エフェンディに与えられた。彼はその廟の入り口を改善し、1940年に屋根付き柱廊を付け足し、1957年に彫刻を施したオークの扉を設置された。
「今、バハイ世界のゲブレの中心部へは、『聖なる境内』を通り抜けて行けるようになった。この『聖なる境内』には、『聖なる御宮居』、外側と内側の聖域、『祝福された御敷居』、『最奥の聖域』がある。」3(ショーギ・エフェンディ)
「このメッセージで述べられている『聖なる境内』とは、バハオラの霊廟の東側にあるバハオラの邸宅とその霊廟を囲む庭園や土地を含めた、バージにある信教の所有地を指す。
「『聖なる御宮居』はハラミ・アクダスである。造園された敷地と整備された庭とから成り、バハオラの霊廟と邸にふさわしい入り口となっている。これは、時に守護者により廟の外なる聖所と呼ばれている…
「『外なる聖所』は、厳密に言えば、小さい中庭、門、柱廊式玄関、入り口に続く石段の部分を指す…
「『内なる聖所』は、屋根が設置されている部分を指し、美しい中庭と絨毯で覆われた回廊から成る。ここは巡礼者や訪問者が起立した状態で祈りを捧げ、『祝福された御敷居』と『最奥の聖域』を見る場であり、守護者の言葉によると、地球が受け取った中で最も聖なる塵が納められている場所である。」4
(解説)バハオラの遺体の安置してあるところ。1892年5月29日バハオラが昇天した。その日のうちに、バハオラの遺体はバージのマンションに隣接する家の一部屋の床下に埋葬された。この場所は、バハイにとってこの世で最も神聖な場所である。また、毎日のお祈りを上げる時、ゲブレといって世界各国のバハイはこの霊廟に向かって毎日お祈りをする。この霊廟は非常に簡素なものであり、一時的なものである。やがては立派な霊廟が作られるとの話しもある。