7. 結婚と家庭生活
(「明日への扉」より抜粋)
結婚の制度と目的
121. こうして、神は人間にご恩寵とみ恵みをあらわし、世を秩序あらためようと欲した時、掟(おきて)をあらわし、法を創られた。その中に、神は
結婚の法を定め、それを幸福と救いの救済となし、神聖なる天上より下され、神の最も聖なる書に記され、私どもにそれを命じたまいました。そして、偉大なる
栄光の神はおっしゃる――『おお人々よ、結婚せよ、僕(しもべ)らの中にわれを記憶するものが現れるように。これこそはあなた方に課すわが戒律のひとつである。自らが助けられんためにこれにしたがえ。』(バハオラ:バハイ祈りの書、pp. 158-159)
122. 聖霊[キリスト]――彼に神の平穏あれ――の信奉者らの中にいる修道士や聖職者らの敬虔なる行為は神の前で記憶されている。しかしながら、この日は、彼らに隔離生活を放棄させ、彼ら
の歩みを広々とした世界へと導かせ、彼ら自身と他の者らの益になることで忙しく働かせよ。眼に見えるものと見えぬものらの主、崇高なる玉座の主なる神につ
いて述べる者を彼らが生み出すよう、われは、彼らに結婚する許可を与えた。(バハオラ:Tablets of Bahá’u’lláh、p. 24またはBahá’í Marriage and Family Life、pp. 1-2)
123. 結婚の問いに関して――結婚についての命令は永遠なものであることを知りなさい。それは決して変えられることもなければ変更されることもないであろう。これは神の創造であり、変化や変更がこの神の創造(結婚)に影響する可能性は全くないのである。(アブドル・バハ:Bahá’í Marriage and Family Life、p. 2またはTablets of ‘Abdu’l-Bahá、Vol. II、p. 474)
124. もちろん、通常の状況下においては、あらゆる人は、結婚することを道徳的義務と考えるべきです。そして、これは、バハオラが信奉者達にする
ようお勧めになったことです。しかし、結婚は、決して[絶対的な]義務ではありません。最終的には、家族生活を送るか、それとも独身の状態で暮らすかどう
かは個人が決めることです。(ショーギ・エフェンディから個人の信者への手紙より、5/3/36:Bahá’í Marriage and Family Life、p. 2)
125. さらに、結婚状態にあることは大変好ましいことで、また、バハオラはそれを強くお勧めになりましたが、それは人生の中心的な目的ではないと
いうことを心に留めておくべきです。もし、人が、配偶者を見つけるまでかなりの間待たなければならないとしても、それは、人生の目的を果たせないという意
味ではありません。(万国正義院:Bahá’í Marriage and Family Life、p. 2)
126. おお地上の人々よ!孤独な生活や厳しい修養は神の賛成を得はしない。理解と知識ある者らは喜びと芳香のためになる手段に眼を向けるべきである.....汝らのために創造されたるものを奪われないようにせよ。(バハオラ:A Fortress for Well-Being、p. 7)
結婚の準備
127. 人は、自分自身を知り、高遠または卑劣、栄光または卑下、富または貧困を引き起こすものが何か認識すべきである。(バハオラ:Tablets of Bahá’u’lláh、p. 35)
128. 滅ぶべき人間が、貴方の事について断言すること、あるいは、貴方を誉めることの出来る賛美は、貴方の栄光よりはるかにはるかに遠いもので
す!貴方の僕(しもべ)らに、貴方の最高の威厳と栄光を誉め称えるためにお命じになったことは全て、貴方の恵みの徴なのです。それにより、彼らが、彼らの
最も内なるものに授けられた地位、彼ら自身を知ることの地位へと上昇することが出来るのです。(バハオラ:Gleanings from the Writings of Bahá’u’lláh、I、pp. 4−5)
129. 神の法律における結婚に関する問題について。汝はまず、汝の好きな者を選ばねばならない。それから、父親と母親の同意を必要とする。汝が選ぶ前には、父親と母親が干渉する権利はないのである。(アブドル・バハ:Selections from the Writings of
‘Abdu’l-Bahá、p. 118)
130. まことに、バヤン[1]の書で、そのことは両者(花嫁と花婿)の同意に限られている。われは、愛と親善、そして人々の和合をもたらすのを望んだが故に、敵意と悪意な感情を避けることが出来るようにと、それを両親の同意を条件付きとなしたのである。(バハオラ:Bahá’í Marriage and Family Life、p. 22)
131. バハオラは、バハイの結婚には、現在生きている全ての親の同意が必要であるとはっきり述べられました。これは、親がバハイであろうとなかろ
うと、あるいは、長年離婚していようとなかろうと、あてはまることです。バハオラがこの偉大な法律を規定なさった理由は、社会構造を強化し、家庭のきずな
をより密接に結びつけ、子供らの心の内に、生命を与え創造者への永遠の旅へと彼らの魂を送り出してくれた人々への確実な感謝の念と敬意をかけるためです。
今日の社会においては全く逆の過程が進行しているということを、私達バハイは理解せねばなりません。つまり、若者らはますます彼らの両親の望みには気をか
けず、離婚は当然の権利と考えられ、薄弱で非常に勝手気ままな、そして卑劣な口実のもとに離婚が実現しています。離縁したカップルは、特に、一方が子供の
全面的な保護者となる場合、結婚におけるパートナーの重要性を見逃すことはできません。子どもたちをこの世に送り出した責任があるのですから。バハイ達
は、バハイの法律と教えを厳格に守って、家庭生活と家族関係の美を急速に破壊し、社会の道徳的構造を取り壊している腐敗的な勢力と戦わねばなりません。
(ショ−ギ・エフェンディの代理から米国精神行政会へあてられた手紙より:10/25/47:Bahá’í Marriage and Family Life、p. 23)
132. ひとり、あるいはそれ以上の親の同意がないために結婚できないでいるバハイは、関係する親のうち、その誰かの態度を変えるられるかどうか、
地方精神行政会の提案を得るために、協議することが出来ます。信者らは、その様な問題に対面するときは、バハオラを信頼し、奉仕や彼の信教のテイーチング
と促進のために、より多くの時間を捧げ、汚れのない貞節な生活を守ることに関するバハオラの命令に絶対的に忠実であるべきです。そして道を開き、障害物を
取り除くためにバハオラに頼り、あるいはバハオラの意志を知るようにすべきです。(万国正義院から個人の信者への手紙より、9/9/69:Bahá’í Marriage and Family Life、p. 25)
133. 法律に服従することが個人の人生に影響することを考慮するにあたって、人は、この人生の目的が、魂を次の段階[2]の
ために準備させることであることを忘れずにいなければなりません。ここで、人は、動物的衝動に捕らわれることなく、それを統制し導くことを習わねばなりま
せん。この世における人生は、試練と業績、不足、そして新しい精神的進歩を遂げることの連続です。ときおり道はとても険しく見えるかもしれませんが、バハ
オラの法律に堅固に従う者は、いかにそれが険しくとも、精神的に成長します。しかし、自分自身のうわべの幸福のために法に妥協する者は、妄想を追い求めて
いるのです。その人は、自分が求めていた幸せをつかむことも出来ず、精神的進歩を遅らせ、しばしば新しい問題を引き起こすといったことが何度も見受けられ
ます。
非常に明らかな例をひとつ挙げると、結婚するために両親の同意を必要とするバハイの法です。今日では、偏狭や人種偏見のために、バハイで
ない親たちによって、同意が与えられないことが頻繁に起きています。しかし、その子供らがバハイの法律において堅固であることが親たちに与えた深遠な影響
を、私達は何度も見てきました。多くの場合、同意が最終的に与えられるだけでなく、その親たちの性格も影響され、子供との関係も強化されるほどです。この
ように、あらゆる困難にかかわらず、バハイの法を守ることによって私達は人格を磨きあげるだけでなく、回りの人をも影響するのです。(万国正義院:Bahá’í Marriage and Family Life、pp. 25−26)
134. 結婚する二人は、結婚しようと決心する前に、お互いの性格について学び、お互いを知り合うために時間をかけるべきです。そして、結婚をする時には、それは、永遠のきずなを確立するという意図を持ってなされるべきです。(万国正義院から個人の信者への手紙より、11/2/82:Bahá’í Marriage and Family Life、p. 20)
135. バハイの結婚は、二者間の和合であり、心からの愛情である。しかし、彼らは最大の注意を払い、お互いの性格を知るようにならねばならない。この永遠のきずなは堅い誓いによって結ばれるべきで、その意図は調和と友情と和合を促進し、永遠の生命を得ることである.....(アブドル・バハ:A Fortress for Well-Being、pp. 29-30)
136. 結婚と、婚約と結婚と間の規定された期間についての問いに関して。これは、神の書の断固とした原文であり、解釈の余地はない。過去、結婚と
婚約との間に長い時間が経過したときに重大な困難や問題が起きた。その書の原文によると、当事者間の結婚が取り決められた時、つまり当事者らが婚約し、結
婚することが確実となった時には、結婚するまでに九十五日以上経過すべきではない。(アブドル・バハ:万国正義院から米国全国精神行政会への手紙に引用、4/11/82:Bahá’í Marriage and Family Life、p. 26)
137. 婚約から九十五日以内にババイが結婚しなければならないことを要求する法律は、まだ西洋においては応用できません。しかし、西洋に住むイラン人達は、良心の問題としてそのような法律に従います。(万国正義院からある全国精神行政会への手紙より、7/14/65:Bahá’í Marriage and Family Life、p. 27)
138. 結婚する前の九十五日間の初まりは、同意が得られた日になります。(ショーギ・エフェンディから個人の信者へあてられた手紙より、4/3/43:Bahá’í Marriage and Family Life、p. 26)
139. 婚約期間の持続期間というような結婚に関するバハイの法律の詳細事を、いま西洋に住むイラン人の信者が従うことに関して.....こ
れらの法律は、もし両者がイラン人であるなら、義務的であります。しかし、もし一方がイラン人で、他方が西洋の信者であるなら、イラン人の信者は、配偶者
にこれらの法律について知らせるのは賞賛さるべき行為ですが、それを守ることについて圧力を加えるべきではありません。(万国正義院から個人の信者にあて
られた手紙より、7/7/68:Bahá’í Marriage and Family Life、p. 27)
式
140. 神の意志に満足することを述べる、特別に啓示された節を唱えることは、両者にとっての義務である。(バハオラ:Bahá’í Marriage and Family Life、p. 4)
141. その特別に啓示された節とは、『まことに、われわれは皆、神の御意に従います』のことである。(バハオラ:Bahá’í Marriage and Family Life、p. 4)
142. バハイの結婚は式を挙げるために、行政会に委託されるべきです。(ショ−ギ・エフェンディの代理からカナダ全国精神行政会にあてられた手紙より、6/23/50:Bahá’í Marriage and Family Life、p. 5)
143. 式自体は、とても簡素であらねばなりません。(ショーギ・エフェンディ:Bahá’í Marriage and Family Life、p. 5)
144. バハイの結婚は目下の所、いかなる種の、一様な型にはまったものへと強制されるべきではありません。絶対的に不可欠なのは、アグダスでバハ
オラが規定されたことで、友人達はよければ、すでに抜粋したこれらの言葉に付け加えることが出来ます。しかし、いわゆる(アブドル・バハによって啓示され
た)『結婚の書簡』は、全てのバハイの結婚式で絶対に使わなければならないものではありません。(ショーギ・エフェンディ:Bahá’í Marriage and Family Life、p. 5)
145. 一つ以上の式を挙げる場合は、バハイの式と、その他の民事の、或は宗教的な儀式は、同じ日に挙げなければなりません。(ショーギ・エフェンディからオーストラリアとニュージーランド全国精神行政会にあてられた手紙より、6/20/40:Bahá’í Marriage and Family Life、p. 5)
146. バハイの式と民事の式を同じ日に挙げることについてですが、両方の式が挙げられるまでは結婚が成立するべきではないので、[この]二つの式の間に夜をはさむべきではありません。(万国正義院から米国全国精神行政会にあてられた手紙より、4/23/71:Bahá’í Marriage and Family Life、p. 5)
147. 花嫁と花婿は、二人の証人の前で、『まことに、われわれは共に、神の御意に従います』と述べなければなりません。これら二人の証人は、その
カップルによって、あるいは、精神行政会によって選ぶことが出来ますが、いずれの場合にせよ、行政会が認めなければなりません。証人は、その[行政会の]
議長と書記でもよく、あるいは、行政会の他の二人のメンバーでも可能です。あるいは、バハイであるないにかかわらず、他の二人、あるいは、ここにあげた
人々の組合せでもかまいません。行政会は、それが発する全ての結婚証明書は議長と書記によって署名されるべきであると決めるかもしれませんが、これは別問
題で、実際の式や証人とは関係のないことです。証人は、その証言を、式を挙げる管轄内の精神行政会が認めることの出来る、信頼出来る二人であればよいので
す。これにより、遠いパイオニアの地でただ一人のパイオニアが、ババイの結婚をすることが可能になるわけです。 (万国正義院から米国全国精神行政会にあてられた手紙より、8/8/69:A Fortress for Well-Being、p. 49)
148. もし、自分自身の宗派の宗教儀式を行いたいと望むバハイでない人と、バハイが結婚するならば、次のような条件が必要です。まず、バハイであ
るパートナーが宗教的にバハイであると理解してもらい、その宗教儀式を行うことによって他者の宗教を受け入れることにならないこと、第二に、その式によ
り、バハイが、自分の宗教以外の信教を受け入れる宣言をさせることのないようにすること。
これらの状況で、バハイは、そのバハイではない結婚相手の宗教儀式を供に挙げることが出来ます。バハイは、バハイの式を、バハイではない式の前か、または後に挙げるよう、また同じ日に挙げるようにとお願いするべきです。 (ショ−ギ・エフェンディの代理から米国全国精神行政会にあてられた手紙より、6/20/54:A Fortress for Well-Being、p. 48)
結婚と家庭生活
149. バハオラによって設立された結婚制度は、結婚の肉体面に当然な重要性を与える一方、全てに賢く愛に満ち給う神によって付与されたその道徳
的・精神的目的と機能の次に、肉体面の重要性が来る、と考えます。それぞれの価値に当然の重要性を与えた時にのみ、また、肉体的なことが道徳的なことの次
に来て、世俗的なことが精神的なことの次に来るという基盤がある時にのみ、われわれの退廃的時代が悲しく目撃している結婚関係における不謹慎や不品行を避
け、家庭生活はその本来の純潔さに戻され、神によって設立された結婚の真の機能を果たすことが出来るのです。(ショ−ギ・エフェンディの代理から信者へあ
てられた手紙より、8/8/39:Bahá’í Marriage and Family Life、p. 10)
150. バハイの結婚は、両者の、お互いへの誓約であり、知性と心の相互愛着である。しかし、双方間の結束の誓いが永遠に耐えるきずなであり、お互いの性格を十分に知るために、お互い最大の注意を払うべきである。彼らの目的は次の通りであらねばならない――つまり、一生の間の、そして永遠の、お互いの親愛なる友達、親友となること.....
真のバハイの結婚とは次の通りである。お互いの精神的生活を常に改善し、神の全ての世界を通して永遠の和合を得るために、夫と妻が、肉体的に、また、精神的に結ばれること。これが、バハイの結婚である。(アブドル・バハ:Selections from the Writings of
‘Abdu’l-Bahá、p. 118)
151. バハイ信教は性の衝動の価値を認めます。しかし、自由恋愛、友愛結婚などの不法で不適当な表現を非難するのです。これらはすべて人間と人間
の住む社会に明らかに害があると考えられるからです。性本能の正しい行使はあらゆる人間の当然の権利であり、まさしくこの目的のために結婚の制度が確立さ
れているのであります。バハイは性的衝動の抑圧ではなく、その調節と制御を信じるものであります。(ショ−ギ・エフェンディから個人の信者にあてられた手
紙より、9/5/38:「和合への道」、p. 38)
152. 結婚以外に性本能の合法的な表現方法があるかどうか、というあなたの質問に関して。バハイの教えによれば、合法的に結婚した者同士以外の性
行為は合法でない、と考えられます。結婚生活以外では性本能の合法的で健全な用い方はあり得ません。一方、バハイの若者は自制することを教えられるべき
で、それが実行されると、概して性格と個性の洗練に有益な効果を及ぼすことは確かです。そして他方、若くて肉体的精力を十分保持している間の結婚が勧告、
いや奨励されなければなりません。しばしば経済的要因が若いときの結婚への大きな妨害となるのは確かであります。しかしほとんどの場合、それらはただのい
いわけにすぎず、あまり強調されるべきではありません。(ショ−ギ・エフェンディから個人の信者にあてられた手紙より、12/13/40:「和合への道」、p. 39)
153. 人が子供を育てるのはとても大切なことである。人が若いうちは、若々しい自己満足のためにその重要性を悟らないものだが、これは年をとった時に後悔のもととなる.....この栄光ある大業にて、結婚した男女の生活は、天国における天使の生活――歓喜と精神的喜びに満ちた生活、調和と和合の生活、知的かつ肉体的友情――に
似るべきである。家庭はきちんとし、整頓されてあるべきである。彼らの意見や考えは真実の太陽の光、空に輝く星のきらめきのごとくあるべきである。二羽の
鳥のごとく、親善と調和の木の枝の上で、快い調べをさえずるべきである。彼らは常に歓喜と嬉しさで意気揚々とし、他人の心への幸せの源となるべきである。
彼らは、同胞らに模範を示し、お互いに真の、また、誠実な愛を示し、彼らの家族の名声と栄光を公表するように、彼らの子供を教育すべきである。(アブド
ル・バハ:Bahá’í Marriage and Family Life、p. 30)
154. バハオラの教えによると、人間社会の構成単位である家庭は、神聖な不可侵性に応じて教育されなければならない。全ての美徳が家族に教えられ
ねばならない。家族の全体性は常に考慮され、個々のメンバーの権利が侵されてはならない。息子や父親や母親、誰の権利とも侵されてはならず、誰の権利とも
独断的であってはならない。ちょうど息子が父親に対して義務があるように、父親も同様に息子に対しての義務があるのである。母親や、姉または妹、そしてそ
の他の家族のメンバーには特権があるのである。これら全ての権利や特権は保護されねばならないが、家族の和合は維持されねばならない。あるひとりの損傷は
全ての者の損傷であり、各々の慰めは全ての者の慰め、ひとりの名誉は全ての者の名誉と考慮されるべきである。(アブドル・バハ:Bahá’í Marriage and Family Life、p. 54)
155. あなたと奥さんが経験なさっている問題を考慮するにあたって、あなたの家族の和合がその他のいかなる考慮よりも優先すべきである、と万国正
義院は指摘します。バハオラは調和を世界へもたらすためにやって来られ、根本的な調和とは家族のそれであります。したがって、私達は、「信教」は家族を弱
めるのではなく、強化するために意図されているのであると信じなければなりません。たとえば、大業への奉仕は、家庭への怠りを生じるべきではありません。
あなたの家庭生活が調和的となり、あなたの家庭が、必要とする配慮を受けることが出来るように、あなたの時間を調整することが重要です。
バハオラはまた、協議の重要性を強調なさいました。解決策を追求するためのこの価値ある方法は大業の行政上の機関に限られていると考える
べきではありません。十分で率直な話し合いを用い、また、中庸とバランスの必要性の意識に活気づけられた家族協議は、家庭内の衝突解決のための万能薬とも
なりうるのです。妻は夫を威圧すべきではありませんし、夫もまた妻を威圧すべきではありません。(万国正義院の代理から個人の信者へあてられた手紙より、8/1/78:Women、p. 31)
離婚
156. まことに、神は和合と調和を愛され、分離と離縁を忌みお嫌いになられる。(バハオラ:Bahá’í Marriage and Family Life、p. 8)
157. 以前は、ペルシャにて離婚は容易にかなえられた。過去の律法時代、人々の間では、取るに足らぬ事が離婚を引き起こしたものだった。しかし、
神の国の光が輝き出すにつれて、魂はバハオラの精神によって活気づけられ、彼らは全く離婚を避けるようになったのである。ペルシャでは現在、調和を不可能
にする強制的な理由がない限り、離婚は友人達の間では起こらない。そのようなまれな状況下においては、いくらかの離婚の場合もある。
さて、アメリカの友人達は、次のように生き、振舞わねばならない。お互いへの嫌悪のために彼らを強制的に分離させるようなことが起こらぬ
限り、彼らは離婚を厳しく控えるべきである。もしそのような場合には、精神行政会の承認の上で別れることことが出来る。彼らは、それから辛抱して一年間待
たなければならない。もしこの一年の間に調和が彼らの間に取り戻されなければ、離婚が実現される。夫と妻のちょっとした不和または不満が起きたために夫が
他の女性と結ばれることを考えたり、または――どうかこのようなことはないように――妻
もまた別の[女性の]夫の事を考えたりするようなことはあってはならない。これは、天の価値の標準と真の貞節に反することである。神の友人達はそのように
生き、身を振舞い、他人を驚かすほどの人格と行動の優秀性を示さねばならない。夫と妻の間の愛は単に肉体的なだけであるべきではなく、いや、むしろ、精神
的で神々しくあらねばならない。これらの二つの魂は一つの魂と考えられるべきである。単一の魂を分割するのは何と困難なことであろう!いや、その困難は大
変なものであろう!
端的に言って、神の王国の基盤は特に夫と妻の間の調和や愛、一体性、そして関係と絆(きずな)に基づいていて、不和に基づいているのでは
ない。もし、これらの内の一人が離婚の原因となるなら、その人は疑いの余地なく大変な困難に落ち込み、恐ろしい災難の被災者となり、深い後悔をするであろ
う。 (アブドル・バハ:Lights of Guidance、p. 294)
158. 離婚に関しては、守護者は、それは好ましくなく、反対され、神のお気に召さない、と述べられました。行政会は、全ての友人達が十分に思い出
させられるように、これに関してアブドル・バハの筆から示された全ての事を友人達の間に広めなければなりません。離婚は、精神行政会の承認と許可を条件と
します。行政会のメンバーはそのような問題において各々のケースを自主的に、また、注意深く調査し、取り調べなければなりません。もし、離婚への正当な根
拠があり、和解は全く不可能で、反感が激しくその除去が可能でないとわかったらならば、行政会は離婚を許可することが出来ます。(ショーギ・エフェンディ
からイラン全国精神行政会にあてられた手紙より、7/7/38--ペルシャ語からの英訳より--:Lights of Guidance、p. 295)