7. 結婚と家庭生活
(「明日への扉」より抜粋)
結婚と家庭生活
149. バハオラによって設立された結婚制度は、結婚の肉体面に当然な重要性を与える一方、全てに賢く愛に満ち給う神によって付与されたその道徳 的・精神的目的と機能の次に、肉体面の重要性が来る、と考えます。それぞれの価値に当然の重要性を与えた時にのみ、また、肉体的なことが道徳的なことの次 に来て、世俗的なことが精神的なことの次に来るという基盤がある時にのみ、われわれの退廃的時代が悲しく目撃している結婚関係における不謹慎や不品行を避 け、家庭生活はその本来の純潔さに戻され、神によって設立された結婚の真の機能を果たすことが出来るのです。(ショ−ギ・エフェンディの代理から信者へあ てられた手紙より、8/8/39:Bahá’í Marriage and Family Life、p. 10)
150. バハイの結婚は、両者の、お互いへの誓約であり、知性と心の相互愛着である。しかし、双方間の結束の誓いが永遠に耐えるきずなであり、お互いの性格を十分に知るために、お互い最大の注意を払うべきである。彼らの目的は次の通りであらねばならない――つまり、一生の間の、そして永遠の、お互いの親愛なる友達、親友となること.....
真のバハイの結婚とは次の通りである。お互いの精神的生活を常に改善し、神の全ての世界を通して永遠の和合を得るために、夫と妻が、肉体的に、また、精神的に結ばれること。これが、バハイの結婚である。(アブドル・バハ:Selections from the Writings of
‘Abdu’l-Bahá、p. 118)
151. バハイ信教は性の衝動の価値を認めます。しかし、自由恋愛、友愛結婚などの不法で不適当な表現を非難するのです。これらはすべて人間と人間 の住む社会に明らかに害があると考えられるからです。性本能の正しい行使はあらゆる人間の当然の権利であり、まさしくこの目的のために結婚の制度が確立さ れているのであります。バハイは性的衝動の抑圧ではなく、その調節と制御を信じるものであります。(ショ−ギ・エフェンディから個人の信者にあてられた手 紙より、9/5/38:「和合への道」、p. 38)
152. 結婚以外に性本能の合法的な表現方法があるかどうか、というあなたの質問に関して。バハイの教えによれば、合法的に結婚した者同士以外の性 行為は合法でない、と考えられます。結婚生活以外では性本能の合法的で健全な用い方はあり得ません。一方、バハイの若者は自制することを教えられるべき で、それが実行されると、概して性格と個性の洗練に有益な効果を及ぼすことは確かです。そして他方、若くて肉体的精力を十分保持している間の結婚が勧告、 いや奨励されなければなりません。しばしば経済的要因が若いときの結婚への大きな妨害となるのは確かであります。しかしほとんどの場合、それらはただのい いわけにすぎず、あまり強調されるべきではありません。(ショ−ギ・エフェンディから個人の信者にあてられた手紙より、12/13/40:「和合への道」、p. 39)
153. 人が子供を育てるのはとても大切なことである。人が若いうちは、若々しい自己満足のためにその重要性を悟らないものだが、これは年をとった時に後悔のもととなる.....この栄光ある大業にて、結婚した男女の生活は、天国における天使の生活――歓喜と精神的喜びに満ちた生活、調和と和合の生活、知的かつ肉体的友情――に 似るべきである。家庭はきちんとし、整頓されてあるべきである。彼らの意見や考えは真実の太陽の光、空に輝く星のきらめきのごとくあるべきである。二羽の 鳥のごとく、親善と調和の木の枝の上で、快い調べをさえずるべきである。彼らは常に歓喜と嬉しさで意気揚々とし、他人の心への幸せの源となるべきである。 彼らは、同胞らに模範を示し、お互いに真の、また、誠実な愛を示し、彼らの家族の名声と栄光を公表するように、彼らの子供を教育すべきである。(アブド ル・バハ:Bahá’í Marriage
and Family Life、p. 30)
154. バハオラの教えによると、人間社会の構成単位である家庭は、神聖な不可侵性に応じて教育されなければならない。全ての美徳が家族に教えられ ねばならない。家族の全体性は常に考慮され、個々のメンバーの権利が侵されてはならない。息子や父親や母親、誰の権利とも侵されてはならず、誰の権利とも 独断的であってはならない。ちょうど息子が父親に対して義務があるように、父親も同様に息子に対しての義務があるのである。母親や、姉または妹、そしてそ の他の家族のメンバーには特権があるのである。これら全ての権利や特権は保護されねばならないが、家族の和合は維持されねばならない。あるひとりの損傷は 全ての者の損傷であり、各々の慰めは全ての者の慰め、ひとりの名誉は全ての者の名誉と考慮されるべきである。(アブドル・バハ:Bahá’í Marriage and Family Life、p. 54)
155. あなたと奥さんが経験なさっている問題を考慮するにあたって、あなたの家族の和合がその他のいかなる考慮よりも優先すべきである、と万国正 義院は指摘します。バハオラは調和を世界へもたらすためにやって来られ、根本的な調和とは家族のそれであります。したがって、私達は、「信教」は家族を弱 めるのではなく、強化するために意図されているのであると信じなければなりません。たとえば、大業への奉仕は、家庭への怠りを生じるべきではありません。 あなたの家庭生活が調和的となり、あなたの家庭が、必要とする配慮を受けることが出来るように、あなたの時間を調整することが重要です。
バハオラはまた、協議の重要性を強調なさいました。解決策を追求するためのこの価値ある方法は大業の行政上の機関に限られていると考える べきではありません。十分で率直な話し合いを用い、また、中庸とバランスの必要性の意識に活気づけられた家族協議は、家庭内の衝突解決のための万能薬とも なりうるのです。妻は夫を威圧すべきではありませんし、夫もまた妻を威圧すべきではありません。(万国正義院の代理から個人の信者へあてられた手紙より、8/1/78:Women、p. 31)
離婚
156. まことに、神は和合と調和を愛され、分離と離縁を忌みお嫌いになられる。(バハオラ:Bahá’í Marriage and Family Life、p. 8)
157. 以前は、ペルシャにて離婚は容易にかなえられた。過去の律法時代、人々の間では、取るに足らぬ事が離婚を引き起こしたものだった。しかし、 神の国の光が輝き出すにつれて、魂はバハオラの精神によって活気づけられ、彼らは全く離婚を避けるようになったのである。ペルシャでは現在、調和を不可能 にする強制的な理由がない限り、離婚は友人達の間では起こらない。そのようなまれな状況下においては、いくらかの離婚の場合もある。
さて、アメリカの友人達は、次のように生き、振舞わねばならない。お互いへの嫌悪のために彼らを強制的に分離させるようなことが起こらぬ 限り、彼らは離婚を厳しく控えるべきである。もしそのような場合には、精神行政会の承認の上で別れることことが出来る。彼らは、それから辛抱して一年間待 たなければならない。もしこの一年の間に調和が彼らの間に取り戻されなければ、離婚が実現される。夫と妻のちょっとした不和または不満が起きたために夫が 他の女性と結ばれることを考えたり、または――どうかこのようなことはないように――妻 もまた別の[女性の]夫の事を考えたりするようなことはあってはならない。これは、天の価値の標準と真の貞節に反することである。神の友人達はそのように 生き、身を振舞い、他人を驚かすほどの人格と行動の優秀性を示さねばならない。夫と妻の間の愛は単に肉体的なだけであるべきではなく、いや、むしろ、精神 的で神々しくあらねばならない。これらの二つの魂は一つの魂と考えられるべきである。単一の魂を分割するのは何と困難なことであろう!いや、その困難は大 変なものであろう!
端的に言って、神の王国の基盤は特に夫と妻の間の調和や愛、一体性、そして関係と絆(きずな)に基づいていて、不和に基づいているのでは ない。もし、これらの内の一人が離婚の原因となるなら、その人は疑いの余地なく大変な困難に落ち込み、恐ろしい災難の被災者となり、深い後悔をするであろ う。 (アブドル・バハ:Lights of Guidance、p. 294)
158. 離婚に関しては、守護者は、それは好ましくなく、反対され、神のお気に召さない、と述べられました。行政会は、全ての友人達が十分に思い出 させられるように、これに関してアブドル・バハの筆から示された全ての事を友人達の間に広めなければなりません。離婚は、精神行政会の承認と許可を条件と します。行政会のメンバーはそのような問題において各々のケースを自主的に、また、注意深く調査し、取り調べなければなりません。もし、離婚への正当な根 拠があり、和解は全く不可能で、反感が激しくその除去が可能でないとわかったらならば、行政会は離婚を許可することが出来ます。(ショーギ・エフェンディ からイラン全国精神行政会にあてられた手紙より、7/7/38--ペルシャ語からの英訳より--:Lights of Guidance、p. 295)