暫定訳
万国正義院
聖約の日
2003年11月26日
信教発祥の地に住むバハオラの従者に宛てて
親愛なる友らへ、
1. 今から125年余り前、アブドル・バハは貴国の国民に宛てた公開書簡を送られました。バハイ共同体に対する厳しい偏見と、その共同体におけるアブドル・バハの重要な役割ゆえに、アブドル・バハはご自分の名前を伏し、匿名の書簡として発表されました。しかし、彼のメッセージの内容は非常に明快なものでした。アブドル・バハは、幼くして追放され二度と帰ることのなかった祖国に対する深い愛情の念を込めて、その国の人々に呼び掛けられたのです。師は、国民に対し、イランが「世界の中心」、「科学と技術の源泉と中心、偉大な発明や発見の源、人間的な美徳と完成の豊かな鉱床」であった時代を思い起こすよう、熱烈な言葉をもって訴えられたのでした。今こそこの偉大な文明の継承者たちが立ち上がり、彼らの貴重な遺産を再び手にする時、――彼らがそうすることができ、また、そうすべき時――が到来したとアブドル・バハは主張されたのでした。
2. 書簡が予言するかのように提示したのは現代化の挑戦という課題でした。今日、地球上のいたるところで人々はこの不可避の挑戦に没頭しています。イスラム諸国もその例外ではありません。師はそのメッセージの中で、現代化の意義と、台頭するこの文化革命の特質を次のように明記されました。つまり、立憲国家と民主的政府、法治国家、普通教育、人権擁護、経済発展、宗教的寛容、有用な科学技術の振興、そして福祉政策です。アブドル・バハはこれを「文明の世俗的・物質的機構」と呼ばれ、その成果を高く賞賛しつつも、自分が提唱しているものは西洋の安易な模倣ではないということも明記されました。アブドル・バハはむしろ逆の立場を取られました。アブドル・バハはきっぱりとした表現で、ヨーロッパ社会を「自我と欲望に溺れる」ものと描写し、現実を物質面のみから捉える罠に陥った、その社会を待ち受けるのは幻滅以外の何ものでもないと説明されたのです。
公平であれ。この名ばかりの文明、真の徳の文化に支えられていないこの文明に、果たして平和と諸国民の福利を確立し、神のお喜びを勝ち得ることができるだろうか。この文明はむしろ人間の地位の破壊を意味し、幸福と平和の支柱を薙ぎ倒すものではないだろうか。
3. アブドル・バハは読者に対し、表面的現象の裏に潜むものに目を向けるよう促されました。アブドル・バハの目的は、振り返りと行動を促す喫緊の呼びかけを発することにありました。長文の歴史分析がこの目的を曇らせないように、アブドル・バハは議論をいくつかの代表的史実に絞って展開されましたが、そこには一つの共通したテーマが見受けられます。その共通テーマとは、歴史を通じて人類のすべての発展の原動力となった変革の力であり、後日、この公開書簡が一冊の本となって出版された際の題名、『聖なる文明の秘訣』の由来ともなっています。書簡はペルシャの歴史を評論し、コーランの様々の章節に言及しながらも、常に読者に対し、人類のあらゆる形の福利の増進を促す独特の能力について深く瞑想するよう求めています。
注意深く検討せよ。これら非常に多様な現象、これらの概念、知識、技術的手法や哲学的制度、科学、技術、産業、発明——これらはみな人間の知性によってもたらされたものである。無限の大海をより深く探究した民族が他に抜きん出たのである。知識の天空に太陽のように燦然と輝くことこそが国の幸福と誇りの原点である。
4. 『聖なる文明の秘訣』は、神の最高の贈りものである知性が文明の発展に果たす創造的役割を賞賛するものです。知性によってもたらされる様々な成果の中で、師は特に科学技術の発展に焦点を当て、その重要性を強調されています。読者に対し、アブドル・バハは科学技術の分野において、西欧やそのほかの土地でも、諸外国の人々が達成したことを有効に活用することによってペルシャの社会にもたらされるであろう利益について考えるよう勧められました。どの人々によっても享受されている利益を発見し、検証してきたのは人間の知性の自由に発想する力であり、この普遍的なプロセスの働きに文化的あるいは国家的な障壁を課すことは理にかなった議論になり得ないと、師は主張されたのです。その成果は人類という種全体の共有財産であり、ある国や民族がそれを取り入れたからといって、その使用者の地位が低くなるわけでも、その民族固有の能力を反映するわけでもないのです。
5. より深いレベルで、師は読者に対し、知性の働きを形づくり勢いづける精神的な力に注目するよう求められました。書簡の中でも最も洞察力に満ちた一節において、アブドル・バハは、既に他の諸国において破滅的な結果をもたらした、人間と社会の本質に関する根本的な誤りに異議を唱え、それらの誤りが回避されなければ、自らの置かれた現状を客観的に評価し、目前にある機会を掴む能力をイラン国民から奪い去ってしまうと警告されました。アブドル・バハは次のように述べておられます。「人間に生まれつき備わっている尊厳の感覚は人を悪行より引き止め、人の精神的・物質的完成を保証するものであると想像する者もいる」。逆にアブドル・バハは、人間の発展は教育に依存するものであることは容易に観察できると指摘されました。アブドル・バハは次に、この原則が社会の発展にどう影響するかについて説明されています。人間の性質を徐々により高い文明の方向に引き寄せる最大の力は何か。その力は、単なる自然の賦与物ではなく、次々と現れた神の使者の指導が人間の理性と魂に及ぼした影響によるものであることは、どの証拠を見ても明白です。人間は、国や宗教を問わず、神の使者たちの関与によってのみ、物的資源や技術を人間の向上のために使う能力に必要な価値観や理想を学び得たのです。どの時代を見ても、現代化の意義と要件を定めたのは神の使者たちで、彼らこそが人類の究極の教育者なのです。
神聖なる宗教の恩寵は普遍なる利益を授けるものである。何とならば、宗教はその真の信者を誠実なる志、高貴なる目的、純粋さと曇りのない名誉、超越した親切と慈悲、自らが約束したことの遵守、他人の権利に対する関心、寛容、生活のすべての面における正義、博愛と慈善、勇気と人類への奉仕におけるたゆまぬ努力に導くからである。要するに、すべての人間としての美徳を創造するのは宗教であり、この美徳こそが文明の輝くロウソクなのである。
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6. アブドル・バハの偉大なメッセージの論点をここにまとめたのは、現在の状況や出来事が、驚くほど、アブドル・バハの論旨を立証しているからです。そのメッセージに含まれている見識や理解は、イラン国民が自分たちが置かれているのを見出す現状と、その国のバハイであるあなた方に関連する意味の両方に光を当てるものです。アブドル・バハのメッセージはイランの指導者たちと一般国民に、ドグマに対する盲目的な服従から自らを解放し、行動と態度の根本的な変化の必要性、とりわけ、個人的な利益とグループの利益を社会全体の切実なニーズに従属させる意志を受け入れるよう呼びかける召喚でした。
7. 周知の通り、師の訴えは無視されました。自らの無能さによってのみ拘束される旧態依然のガジャール朝による専制政治に捕らわれ、ペルシャは次第にその沈滞の度を増して行きました。減って行く国富を目当てに財欲に毒された政治家たちが競い合い、国家は破綻寸前にまで追い込まれて行きました。さらに酷いことに、文明史にその名を残す多くの知恵者——建国の王キュロスやダリウス、詩人のルーミやハフェズ、科学者のアブシナやラージ ——を輩出した国民は、今や聖職者階級の餌食となっていました。無知で腐敗しきった聖職者たちは、無力な大衆に、進歩的なものに対する、理由のない恐怖心を起こさせることによってのみ、そのささやかな特権を維持することができていたのです。
8. この状況を考えると、第一次世界大戦後の混乱に乗じて、野望に燃える一軍人が政権を取り、独裁体制を樹立できたのも不思議ではありません。彼と彼に続いた息子も同様に、組織的な「西洋化」こそ、ペルシャを苦しみから救う鍵であると考えました。学校、公共事業、訓練された官僚制度、充分な装備を与えられた軍隊、これらはすべて新しい政府の要求に応えるものでした。豊富な天然資源の開発の実現のために外国からの投資が促進されました。女性はその前進を阻む最も厳しい束縛から解放され、教育や就業の機会を与えられました。マジュリス(議会)は建前に過ぎなかったものの、やがてそれが真の民主的政府の機関となることが大きく期待されていました。
9. しかし、代わりに現れたのはイランの石油資源の徹底した開発から得られた、想像を絶する規模の富でした。社会正義を全く欠く体制のもとで、それは主に、特権的で利己的な少数派を大きく豊かにすることに効果を発揮し、一方で、多くの国民は以前とさほど変わらない状況に残されていました。貴重な文化的象徴や輝かしい過去の英雄伝は、単に野心と欲望の砂上に道徳的基盤を置く社会の途方もない低俗さに装飾を加えるためだけに復活させられました。抗議は、最も温和で利に適ったものでさえも、憲法の監視が及ばない秘密警察によって封じ込められました。
10. 1979年、イラン国民はこの独裁体制を投げ捨て、現代化を目指すというこの体制の偽りの主張を歴史のゴミ箱に葬りさりました。様々な勢力が結集して革命が実現しましたが、その原動力となったのはイスラム教に内在する理想でした。節度を知らない放縦に終止符を打ち、代わりに国民は尊厳と良識のある生活を約束されました。社会階級や富の極端な不平等は、神の教えである同胞愛の精神によって克服されるのです。神の摂理によってその地に賦与された豊富な資源は全国民の財産であり、その収益は国民全員の教育と雇用に使われると宣言されました。新しく発行された「イスラム憲法」は表向き、全国民が法のもとで平等であることを厳粛に保障すると明記していました。政府は、精神的価値観と民主的選択の原則を統合させるために良心的に努力するのです。
11. はたしてこれらの約束は、イラン国民の大多数がこの25年間に経験したこととどう関係づけられるのでしょうか。現在、あらゆる方面から聞こえてくるのは、蔓延する腐敗、政治的操作、女性への不当な扱い、恥知らずの人権侵害、そして思想の弾圧に対する抗議の声です。このような状況をもたらした政策を正当化するために、聖なるコーランの権威に訴えることが国民の意識にどのような影響を及ぼしたかを問わなければなりません。
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12. イランの文明的危機を解決するのは、明らかに欠陥のある西洋文化の盲目的模倣でもなければ、中世の無知への後退でもありません。このジレンマの解決法は既に危機の出発点において、イランの生んだ「傑出した申し子」によって最も明白かつ説得的な言葉で提供されていました。彼はいまや地球のすべての大陸で尊敬の的となっていますが、悲しいことに、その生誕の地ではいまだに尊ばれてはいません。ペルシャの詩人の言葉はこの皮肉な状況を上手く表現しています。「最愛なる御方を求めて世界中を探し回ったが、最愛なる御方は我が家にて私の帰りを待っていた」。バハオラに対する世界の尊敬を最も明確にしたのは、1992年5月29日、バハオラの昇天100周年を記念してブラジル連邦議会下院で開催された会議ではないでしょうか。それはバハオラとその教え、そしてバハイ共同体が人類に対して行った奉仕に賛意を表すものでした。その際、下院議長と各政党の報道官が相次いで起立し、演説する中で、バハオラに対する深い感銘を表明しました。議員たちはバハオラを「一人の人間によって著わされた最も膨大な経典」の著者であると賞賛し、バハオラのメッセージは「国籍、人種、限界、信条などの些細な違いを超えて全人類に語りかけるもの」であると述べました。
13. イランの名声をこれほど高めた人物に対して、その祖国ではどのような応答があったのでしょうか。バハオラは19世紀の中頃、神の大業を押し進めるために立ち上がられました。バハオラは慈善事業や博識のゆえに既に高い名声を得ておられたにも関わらず、厳しい迫害の対象となりました。あなた方の先祖はバハオラの使命を受け入れることによって、バハオラと苦しみを分かち合う不滅の栄光に与ったのです。その後に続く数十年、常にバハオラの大業に忠実であり続け、大業のために犠牲を払い、地上の最も辺鄙な地にまでその文明化のメッセージを広めてきたあなた方も、虐待、死別、屈辱を身をもって知っています。これは、イランのどのバハイの家族にも共通することです。
14. その悲劇的な結果を考えるとき、最もむごい苦悩の一つは、ペルシャの大衆が精神的な問題において導きを求めるよう教えられてきた特権階級によって行われた、バハオラの大業に対する誹謗中傷でした。150年あまりもの間、説教台、新聞、ラジオ、テレビ、そして学術出版でさえも、あらゆる公共の情報媒体は、バハイ共同体とその信条についての著しく誤ったイメージを作り出すために悪用され、その唯一の目的は人々に軽蔑と敵意を呼び起こすことにあったのです。これほど下劣な中傷、これほど非道な嘘はあったでしょうか。長年、この誹謗中傷の被害者であったあなた方は、一度たりとも自己を弁護し、計画的に大衆の心を毒してきたこの企てをあばく事実を示す機会も与えられませんでした。
15. ここで一つの例を挙げますが、他のすべてに通じるでしょう。大業の無数の業績の中で特筆に値するのは、バハオラの教えが信者のある世代から次の世代へ、個人の最高基準の道徳を教え込むことに成功したことです。この主張に対して反論の余地はありません。各国民や政府、国際機関の間で、バハイ共同体の高潔と誠実さは世界的に認められています。あなた方の同胞である何千もの市民たちは、直接、バハイ共同体の性質を正しく認識する機会を得てきました。しかし抑制できない敵意に駆られ、イランにおけるあなた方の敵を自任する人たちはあなた方に対し、ありとあらゆる形の人としての堕落の告発をためらいなく行なっています。この告発は、信教がよく知られている自由社会の国々で語られれば、それをでっちあげた人々の心の堕落を示すものとしか捉えられません。
16. この道徳的中傷のキャンペーンと並行して、事の真相を知り、あなた方を支援するために動くすべての人々を威嚇するための戦略が考案されました。公の意見の中で、社会にとって危険な態度や行動とあなた方を結びつけることで、抑圧者たちは、あなた方のために抗議する人もまたバハイであり、したがって信頼性に欠けると非難します。この公共生活の組織的な腐敗の延長上にある極端な状態は、この計画の背後にいる人々が、大業にとっての長年の反対者でさえ、その密かな支持者であると表現することに積極的なさまに見ることができます。彼らは、失墜させられた総理大臣をも隠れバハイ教徒と主張するまでに至ったではありませんか。実のところ、この人物の父親は政党政治に関与した理由でバハイ共同体を除籍され、また、自らは生涯の最後までイスラム教徒であることを強調し、バハイ共同体に多大な損害と苦しみを与えた人物です。
17. 迫害者たちは、誹謗中傷だけで満足することはなく、あなた方は一世紀半の長きにわたって繰り返された暴力に苦しんできました。最近では、1979年の革命以降、バハオラによって育てられた多くの最も高貴な人々が、語る価値もないほどでたらめな罪で投獄され、酷い拷問を受け、茶番劇のような裁判の末に殺され、その財産は迫害者と、その者らに仕え、彼らを守る成らず者によって略奪されるのをあなた方は見てきました。あなた方によって選ばれた精神行政会は、長年、イランにおける最も進歩的で民主的な意思決定機関でしたが、それらは独断的に解散させられ、そのメンバーの多くは誘拐され、殺されました。何と多くの子どもたちが孤児となったことでしょうか。何と多くの若者が、教育の機会を奪われ、職業に就く希望を残酷に打ち砕かれたことでしょうか。何と多くの老人が家を追われ、何の尊敬にも値しない人々の発した命令により一生働いて得た年金を奪われたことでしょうか。何と多くの両親が、ずたずたに切り裂かれた息子や娘の遺体を、そのためにあてがわれた荒れ地に葬ったことでしょうか。長年、大切に世話をしてきた、花に縁どられた多くのバハイ霊園はどうなったのでしょうか。バハイ霊園は悪意に満ちたブルドーザーによって掘り起こされ、無数の最愛なる人々の遺骨がゴミの山のように積み上げられたのです。
18. 世界のどこかで、イスラムの聖なる名に関係する場所を少しでも侮辱するような行為がなされた場合、上述のような残虐行為を犯した人々は我先にと声を張り上げ、その行為を非難することに熱心です。無論、抗議する権利は十分にあります。ならば、イラン各地に点在するバハイの聖堂や聖地はどうなったのでしょうか。世界中のバハイの巡礼の地でもあった、シラズのバブの貴重な家はどうなったのでしょうか。バブの聖家はウラマ(イスラム教聖職者)たちの指示により、市の解体班によって破壊され、その聖なる跡地は最も下劣な冒涜行為として完全に鋪装されてしまいました。このような悪を働く下劣な人々を指して、バハオラは次のように書かれています。「神は彼らと一切の関わりを断ち、我もまた同様である」
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19. 誰も、あなた方のみが試練に耐えているとは主張しません。今日、不正の犠牲者は数百万にのぼります。毎年のように、人権擁護の諸団体の議題は、宗教、人種、社会階層、国籍などのあらゆる種類の抑圧されたマイノリティの代表者からの訴えに圧倒されています。バハオラの言葉によると「この日、正義は苦境にあって嘆き、公正は圧制の頚木(くびき)の下でうめき声をあげている」のです。このような状況を見据える鋭敏な観察者が身体的・物質的な苦痛以上に警戒しているのは、犠牲者に加えられた精神的ダメージです。計画的な迫害は、被害者の人間性を奪い、社会の一員として、権利も配慮も与えられないようにすることを目的としています。このような状況が長期化すると、被害者の多くは自分の価値に疑いを持ちはじめ、自信を喪失してしまいます。やがて彼らは、人間の本質に不可欠な要素である自発的な精神を失い、支配者の意のままに扱われる対象にまで引き下げられます。実際、継続的な迫害にさらされた人の中には、虐待と暴力の環境に条件づけられるようになり、その機会が与えられれば、他者に暴力を振るうようになる人もいるのです。
20. 今、世界の人々はこう質問し始めています。何があなた方をこのような精神的腐食から守ったのでしょうか。心を恨みから解放し、虐待に加担した人々に対して大らかな気持ちをもって振る舞うための資源をあなた方はどこに見つけたのでしょうか?一世紀以上にわたる絶え間ない迫害、そしてこの25年間の計算された大量虐殺の試みの後、なぜ、あなた方はいまだに自分の道徳的目的への確信に満ちた熟達と、自らが大きな苦しみを受けてきた祖国への変わらぬ愛の両方を保っているのでしょうか?その答えを、バハオラの比類なき言葉が示しています。
いかなる炎も鎮められるように見える。ただし、人々の心に顕現し、燃え盛る神の愛の炎は例外である。いかなる巨木も、強風によって根こそぎ引き抜かれるであろう。ただし、神の果樹園に育つ木々は例外である。いかなる灯火も消されるであろう。ただし、世界の中心に輝く神の大業の灯火は例外である。風が吹くことでその明るさは増し、決して消されることはない。
21. あなた方の秘密について尋ねる人たちに対し、これこそが、歴史が提供する答えです。あなた方の人生は神の果樹園の果実であり、あなた方が心を委ねた神の創造的言葉の産物です。「おお、わが最愛なる人々よ。和合の幕屋は建てられた。汝ら、互いに他人視してはならない。汝らは一つの木の果実であり、一つの枝の葉である」「…愛はそれがどこに宿ろうとも光であり、憎しみはそれがどこに巣を作ろうと闇である」「もし人が自分の地位の偉大さと運命の崇高さの真価を認識していれば、人は立派な性格、清らかな行い、賞賛に値する礼儀にかなった行動だけを表すであろう」「この日、すべての人間は世の改善と人々の間で知識の普及をもたらすものにそれが何であれ、すがらねばならない」「舌は善を語るためのものであり、不相応な発言でそれを汚すな」「女性と男性は、神の目から見れば平等であったし、また常にそうである」「一片の貞節は、十万年の礼拝と知識の海に優る」「技能を修得し職業に就くことをわれは万人に命じ、これを礼拝と同等の行為と見なした」「信頼に値することは、世界の人々を安寧と安全に導く最大の扉である」「知識は高揚と進歩の素である。それは人を塵の世より天上の領土へと送り、人を暗闇より救出し光へと導く。知識は命の提供者であり救済者である。それは不朽の生命の清水を与え、天来の糧を提供するものである」
22. あなた方は皆、子どもの頃から、これらの理想を見事に要約したアブドル・バハの励ましに親しんできたことでしょう。「バハイであるということは、人間のすべての完全性を体現することです」
23. あなた方の素晴らしい機知と、実行性に富んだ精神は、あなた方の状況を案じる諸外国の同胞の大きな慰めとなっています。子どもたちがバハイであるという理由で退学させられたとき、あなた方は家々に教室を開きました。同様に、教育の機会を奪われた大学生に対応するために設立された機関の卒業生は、他国の有名大学で喜んでその資格を受け入れられ、優秀な成績をおさめています。神の御心ならばそう遠くない将来、残酷にも機会を奪われた他の何千ものバハイの若者に能力を発揮するチャンスが与えられるでしょう。限られた収入を犠牲の精神に則り、出し合って設置された基金は、共同体のメンバーを貧困から守るだけでなく、一般的な活動をも十分に支えています。最も苦しい状況の中であなた方の共同体は、試練によってのみ生み出される、はるかに強い熱意に満ちた、活気のある共同体生活を維持し続けています。
24. 一世紀以上もの間、この精神はイランを始め、世界中で多くの果実を生み続けています。今日、地球上を見回すと、イラン人バハイの能力が、ティーチング活動の拡大とバハイ機構の設立・強化に大きな勢いを与えなかった地はありません。また、その影響力はバハイ信教の精神面に限られたものではありません。どの職種を見ても、科学技術や芸術のどの分野に目を向けても、イラン人バハイ、特にユースが、アブドル・バハが繰り返し強調された訓示――抜きん出た業績を達成する――を力強く発揮していないところはありません。このような特質は一夜にして開花するものではなく、人の意志によって得られるものでもありません。今日、彼らとその両親たちを祖国で愛情深く育んだ学びと自己修養の文化の果実が、世界中に行き渡ったイランのパイオニアの日々の生活と奉仕に見て取ることができます。
25. すべての公正な観察者にとって、あなた方は、神への信仰と社会の進歩における自信はあらゆる意味で両立可能であり、科学と宗教は文明の進歩を促す、切っても切れない相互の知識体系であることを示す生きた証拠なのです。このような認識が、あなた方と交流を持つ多くのイスラム教徒の中にも既に芽生え始めているのを見ることができます。これらの友人や隣人は、まさに「善に召喚された人々」であると主張することができますが、なんの罪もないとわかっている人々が中傷され、法の保護を奪われた状態で繰り返し攻撃される様子を強い憤りを感じながら見てきました。彼らは、おそらくあなた方以上に、このような試練の中であなた方が示してきた勇気と良識の精神に敏感です。彼らはまた、イスラムの名の下にあなた方を虐待し、それによってイスラムの名誉を汚す人々の本性を自覚し始めています。いまだ物理的な自由はないとしても、あなた方はようやく、イラン国民の尊敬に値する貴重な一員として認知され始めたのです。あなた方の同胞である市民が、イランが世界の国々の中で正当な地位を回復するに当たり、あなた方が果たすよう定められている貢献について認識し、それを尊ぶようになる日が目の前にあるのです。
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26. 支配者たちが、自分たちが不当に手にした権力が、容赦のない歴史的変革の潮流に対する不屈の防波堤になると考えることほど、重大な誤りを犯すことはないでしょう。今日、イランでは、世界中のどこでもそうであるのと同様に、この潮流は執拗なほどの緊迫性と騒々しい力で押し寄せています。この流れは家の扉に留まっているだけではなく、床下から止めどなく上ってきます。その方向を変えることはできません。それを否定することもできません。
27. これこそが聖職者や支配者たちが必死になって、バハオラに反対した本当の理由です。彼らは、バハオラを、自分たちの居場所がまったくない、正義と啓発の来るべき社会の声として、ぼんやりとであれ正確に認識していたのです。また、あなた方を襲った数々の迫害の波の原動力となったのも、これと同じ恐怖であることに疑いの余地はありません。バハオラの大業について誠意をもって探究する人は、バハイ共同体は創造力みなぎる少数派であり、その創設者が未来に抱いたビジョンと、その達成に向かう不屈の意志を体現するものであることを容易に理解できます。あなた方の愛、自己犠牲、奉仕、日々の生活そのものを通して、あなた方は敬愛する祖国の進歩を真に推進する人々であることを証明しました。イランについて、アブドル・バハは次のように書かれています。
ペルシャの地平線は、天来の発光体の光によって照らされている。早晩、至上の領土の昼の星は、この地を天の高みへと引き上げ、この地の光輝もまた地球全体を覆わせるほどまでに、強く輝くであろう。過ぎ去った世代の不滅の栄光は、目をくらませ、当惑させるような形で再び顕れるであろう。…
イランは神聖なる光輝が注がれる焦点となるのである。暗闇に包まれたその土壌は光を放ち、大地は燦然と輝くであろう。今は栄誉も名声も欠くにせよ、やがてその名を世界に轟かすであろう。今は困窮しているにせよ、やがてその最高の希望と願望を達成するであろう。今は貧しく落胆しているにせよ、やがて豊かな恩寵を授かり、卓越し、朽ちることのない名誉を見出すであろう。
28. 私たちが聖なる廟を訪れるたびに、あなた方は常に私たちの心と祈りの最前線にあります。あなた方の長い夜は終わり、自らの犠牲によって打ち立てられた強大な建造物をその目で見る喜びを得ることでしょう。
万国正義院 (署名)