必須の祈りと断食の重要性について

バハイの聖典より−

万国正義院の研究部の編纂

 

20005

 

 

 

バハオラの著作より

 

1. 全能なる、擁護者に在す、自力にて存在する神を信ずる者らへの慈悲の印として、我は万事を我が書にて説明した。そして最も強力で、親愛なる神に近付けるための手段として、我は必須の祈りと断食を定めた。我はこの二つの法を示し、その他の変更できない規定も説いた。人が真理から遠ざかる原因となるものを追い求めることを禁じ、全能なる、全てを愛し給う御方に近付けるためのものを命じたのである。言上げよ。神の美しさを愛する故、神の命令に従いなさい。浅ましい、愚かな者らの真似をする人になってはならない。

 

2. 神に全ての誉れあれ。なぜなら、神は僕らが神を忘れないために必須の祈りを啓示し、裕福な者らが生活に困っている人々の悲痛と苦労を認知できるようにと断食を定め給うたからである。

 

3. 善行も礼拝も行わない人は、実を結ばない木、形跡を残さない行動のようなものである。礼拝の神聖なる喜びを体験すれば、その人は決して、そのような行為や神を讃えることをこの世の物とは交換しないであろう。断食と必須の祈りは人の人生において二つの翼のようなものである。その援助によって神の愛という空に舞い上がる者に幸いあれ。彼こそは全ての世界の主である。

 

4. 必須の祈りと断食をしっかり守りなさい。神の宗教は正に天のようなものである。断食はその天の太陽であり、必須の祈りはその月である。それらは実に宗教を支える柱である。それによって公正な者らと神の命令を破る者らが区別される。古来の書において啓示されたことを汝らが守ることができるよう、我は神に嘆願する。高遠なる神に栄光あれ。

 

5. これを知れ。宗教は天のようなものであり、断食と必須の祈りはその太陽と月である。神の意志と命令に従う者らに慈悲を与え、援助し給うよう、我は神に嘆願する。高遠なる神に栄光あれ。

 

6. 必須の祈りと断食を怠るな。それを守らない者は神の前で否認される。これは過去においても未来においてもそうであろう。あらゆる状況において分別を持て。神は人々のためになることを定め給うた。過去においても未来においてもそうであろう。誠に神は全てを満たし給う、最も高遠なる御方なり。

 

7. 必須の祈りについて。それは人の心に火を燃え立たせ、人の魂と心意を魅了するよう、最も高遠なるペンによって下されたのである。

 

8. 必須の祈りの啓示について。人が、ただ一度でも、私心のない状態でそれを唱えれば、世俗から完全に解放されるであろう。

 

9. おお我が兄弟よ。神の慈悲と慈愛によって必須の祈りを守ることができるなら、その法律は実に偉大なものになろう。必須の祈りを唱える時、自らをあらゆる創造物から切り離し、創造界において神の姿しか見えないほど、神の意志と目的の前に自らを全く無と見なすべきである。これこそは神が愛し給うた、神に完全に献身する者らの地位である。人がこの姿勢で必須の祈りを唱えるならば、神も天の軍勢もその者を真に祈った者の一人として数え給うであろう。

 

10. 必須の祈りは法によって定められた行為の一つである。「神の神秘を伝えた御方」は必須の祈りを天に昇る梯子と呼ばれだ。「必須の祈りは信者が昇るための梯子である」と彼は宣告された。その祈りには一万の効果と恩恵が隠されている。否、その数は計り知れないほどであろう。このような梯子を見捨て、地上の富みに執着するとすれば、それは大いなる怠慢であり、自らに対し不正を働くことである。我々が純粋で、承認に値する行為を実践できるよう、神に懇願する。我は、讃えるべき御方、高遠なる神に嘆願する。神に近づき、神に喜ばれ、神が望み給うことを実行できるよう援助を下し給え。誠に彼は全能にして、威力に満ち、人の祈りをかなえ給う御方である。

 

11. その後啓示された必須の祈りのうち、長い必須の祈りは祈る気になった時に唱えるべきである。実に、それを石に向かって唱えれば、その石は動きだし、語りはじめよう。また、山に向かって唱えれば、その山も動いたり、流れたりするであろう。それを唱え、神の掟を守ったものに幸いあれ。必須の祈りはそのどれを読んでも良い。

 

12. 神の人々に最も偉大で高遠なる断食を守る力が与えられるよう、我は神に嘆願する。その断食とは、見てはならないことから目を逸らし、食べ物や飲み物など神が承認されないものから手を控えることである。神を愛する者らが、今日命令されたことを達成する力を与えられるよう、我は神に懇願する。

 

13. 御意思のままに法を定め給う御方に誉れあれ。彼はまことに望みをかなえる主権の持ち主である。おお我が友よ。書に定められたことを守れ。アラー(高尚)という月に断食するよう命令し給うた、威力ある、最も高遠なる神のために断食せよ。日の出から日の入りまで手を控えよ。人類に愛された御方が、全能なる、束縛されない神の指示に従って忠告されている。人は自分の空虚な空想に従って行動すべきではない。また、神が定められた限界を超えるべきでもない。我が美を愛する故に我が掟を守った者に幸いあれ。全能にして、無限の力を持ち給う神の時代にその命令の曙を無視した者に災いあれ。

 

14. 今日は断食期間中の夜である。この期間中、荘厳で栄光ある舌は次のように宣言した。我のほかに神はない。我こそは全能なる擁護者、自力にて存在するものである。我はこの日々に全ての者への恩恵として断食を定めた。しかし、神が法を顕し給うた意義の理解に達した者、見えるもの、見えぬものすべてに浸透する神の英知を把握した者ら以外は、人はまだその恩恵に気づいていない。言上げよ。神にかけて誓う。彼の法は汝を守る砦となる。このことを理解するように。その法の目的は僕らの魂に利益を与えることに他ならない。残念ながら、一般の者はいまだ無思慮のままである。神の法の絆をしっかり掴め。聖典に背いた者らに従うな。なぜなら、彼らは偉大なる、親愛された神に反抗した者だからである。

 

15. これは断食の日々である。断食によって興される熱によって愛を増し、喜びと輝きをもって立派な行為に挑戦するために立ち上がる者に祝福あれ。誠に、神は望み給う者を正しい道に導く御方である。

 

16. 外見上、断食は困難で苦痛であろうが、内面的にはそれは恩恵と安堵である。洗浄などの修行は神の書に沿った、神の法に認められた厳格な行動に限って効果がある。妄想に駆り立てられた者らが人々に押し付けたような修行にはその効果はない。神が顕し給うたことは人々に愛される。我々は神に喜ばれ、認められるようなことを成し遂げることができるよう、神の慈悲深い助けを懇願する。

 

17. 我はまことに言う。自我と情慾という病に最も効果的な藥、その治癒に最も貢献するものは断食である。

 

18. 神に全ての誉れあれ。彼は愛し給う者らに断食を守る力を与え、聖典に定められたことを全うできるよう援助されたのである。実に、愛する者らに御言葉を賞揚する力を与えられたことで、慈悲深い神に絶え間ない感謝を捧げるべきである。たとえ人が一万の生命を持ったとしても、そして神の法と命令の信憑性を証明するためにそれらすべてを犠牲にしたとしても、その人はまだ神のお陰を被っているのである。なぜなら、神の束縛されない定めによって発生するものは、ただただ、彼の友らと愛する者らのためになることばかりであるからである。

 

19. 断食には様々な段階とレベルがある。その中に無数の効果と利益が潜んでいる。それに到達する者らに幸いあれ。

 

20. 怪我や病気や体が弱っている場合、断食の法は効力を待たない。この命令は古より、未来永遠に神の掟に沿うものである。それに従う者に幸いあれ。

 

21. 断食の法は健全で健康な人々のために定められたものである。過去も現在も、この法は病人や衰弱している人には該当しない。

 

 

アブドル・バハの著作より

 

1.日々必須の祈りと断食はこの聖なる制度の最も重要な法令の内に入るものである。

 

2.礼拝の領域において、断食と必須の祈りは神の聖なる法の最も偉大な二本の柱である。これを怠ることは決して許されず、またそれをおろそかにすることも断じて容認されまい。彼は参堂の書でこう語る。「あなたと、あなたの御顔から発せられた光の輝きにその面を照らされ、あなたへの愛のために、命じられたことをすべて遵守した人々を通じて神に嘆願いたします」2 最愛なる御方の美を愛するが故に神の命令を遵守する、と彼は明言している。神への愛という海に浸った時、求道者は強いあこがれに感動し、神の法を成し遂げるために立ち上がるであろう。従って、神の愛という香気が心にあるなら、神への礼拝を怠ることは不可能である。ただし、その行動によって敵が扇動され、衝突や害悪を引き起こすような状況であればそれには及ばない。そのような状況でない限り、アブハの美を愛する者は欠かさず、また確実に主への礼拝に励むであろう。

 

3.断食と必須の祈りに関する神の掟は絶対的な義務としてそのしもべらに課せられている。従って、彼らは天の群集の「あこがれの的」へ顔を向け、最も卓越した地位にしっかりと掴まり、誤った解釈の疑念が晴れるよう、祈りと嘆願をすべきである。これはアブドル・バハの方針である。これはアブドル・バハの宗教である。これはアブドル・バハの道である。バハへの愛を心に抱く者ならこの正道を選ぶが良い。この道を捨てる者は、まことに、神から遮られた者らの仲間に入るのである。この掟に対して疑問を持ち、あるいは誤って解釈をしている人に出会った時、もしその者の行動に秘密の動機や侮りがなければ、友情と真心ある姿勢で親切に話し、その者を誤った道から正し、神の聖句の明瞭な意味に向かわせるよう努力せよ。

 

4.断食や必須の祈りなどの神の掟は、美徳、善行、正しい振る舞いに対する神の忠告と共に、どこにおいても、できる限り実行すべきである。ただし、乗り越えられない難局、あるいは大きな避けがたい危険、もしくはそれが無分別なことになる場合はこの限りでない。なぜなら、怠惰と放縦さは神の慈悲の雲から愛が流出するのを妨げ、人々は恵まれないままの状態になってしまうからである。

 

5. おお、神に愛されている者らよ。永遠の聖約に確固としていることに感謝し、全能の主の御敷居に仕えるために立ち上がれ。必須の祈りと断食を遵守し、神の甘美な香りをまき散らし、神の聖句を普及するために時間を費やせ。ベールを引き裂き、障害を取り除き、命の水を差し出し、救いの道を示すべし。アブドル・バハは朝な夕なにこのように皆に忠告している。

 

6. おお、王国の娘よ。必須の祈りは義務である。なぜなら、それは人を謙虚や、従順に導き、その顔を神に向けさせ、神への愛を表わすのに役立つからである。必須の祈りを通して人は神と霊的に交わり、神に近付くことを求め、真に、心の最愛の御方と対話をし、そして精神的地位に到達するのである。

 

7.おお、心の友よ。必須の祈りの英知について汝は質問した。そのような祈りは必須で、義務であることを確信せよ。それを行う能力がない、あるいは何らかのうち勝ちがたい大きな障害がない限り、いかなる口実によってもその祈りを怠ることは許されない。必須の祈りの英知はここにある。つまり、その祈りを通じてしもべと真なる御方の間に繋がりができる。というのは、その時、人は全身全霊を込めて全能の神に顔を向け、神との交わりを求め、神の愛と親交を熱望するからである。恋人にとって最愛の人との対話以上の快楽はなく、また求道者にとって熱望の的と親しく交わること以上の恩寵はない。神の王国にあこがれる人は誰であれ、全身全霊を込めて最愛の御方と交わる時間を設けることは最大の熱望である。その時は神の恩寵と祝福を求め、親交と哀願と懇願の大洋に自らを浸すことができるからである。さらに、必須の祈りと断食は人を目覚めさせ、認識を高め、庇護をもたらし、試練から人を護るのに役立つ。

 

8.全能者を礼拝し、神の信教の基礎を強めよ。必須の祈りを欠かさずに捧げ、断食を心に留めよ。昼となく夕べとなく祈り、嘆願と哀願に励み、そして特に定められた時間を守れ。

 

9.必須の祈りは最高なる御方のペンによって書き記され、アグダスの書を補足するペルシャ語の「質疑応答」においても言及されている。この祈りは明確に義務付けられており、誰もが必ず、これら三つのうちの一つを捧げなければならないことには疑いの余地がない...。礼拝を通じて人の精神性が高められ、その心は魅了される。必須の祈りがその人に新しい命を吹き込み、魂や精神は浮き立ち、優しい愛情に満たされる。それ故に参堂の書で次のことが啓示された。「あなたと、あなたの御顔から発せられた光の輝きにその面を照らされ、あなたへの愛のために、命じられたことをすべて遵守した人々を通じて神に嘆願いたします」3 全能の神への礼拝を促すものは、慈悲深き御方の美に対する愛情であることは明らかである。

 

10.おお、神に仕えるしもべよ。アブドル・バハが毎朝のように、涙して熱烈に祈ったことに対して神の限りない恩寵が下される。同様に、目覚めた人は誰であれ、自分の能力に応じてその精神的恩寵の分け前を獲得するが良い。毎日、夜明けに熱心な祈りを神に捧げ、そして必須の祈りを守ればその分け前を獲得できるであろう。願わくはその者は神の御恵みの花園から漂いでる甘美な香りを嗅ぐ喜びを知り、その魂は新たな生命に到達し、そしてその精神は「慈悲深き御方」の光輝を写し出すであろう。

 

11.必須の祈りによって心は神の王国に注意を払うようになる。その時、人は神とふたりきりになり、神と会話を交わし、恩寵を授かるのである。同様に、全く純粋な心で必須の祈りを捧げるなら聖霊の援助を獲得できる。また、それは自己愛を完全に消すのである。私は汝が屈することなく必須の祈りをやり通し、哀願と懇願の力を目撃するよう願っている。

 

12.汝は必須の祈りについて書いた。その祈りは必須で、皆に義務付けられている。皆がそれを遵守するようにしっかりと導くように。なぜなら、必須の祈りは魂の梯子であり、有徳の人々の心を照らすランプであり、楽園の命の水だからである。これは慈悲深き御方によって定められた明白な義務であり、その遵守に当たっては躊躇したり怠慢だったりすることは決して許されない。

 

13.懇願と、必須の祈りによって人は神秘の王国に到達し、最高なる御方を礼拝するのである。それは神の敷居に接近するという恩恵を授ける。祈りを捧げる行為には、他のいかなる喜びをも凌ぐ喜びがある。また、神の聖句を唱えたり、歌ったりする行為には、男女を問わず全ての信者が最も切望すべき甘美な快感がある。必須の祈りを唱える時、人は真に最愛なる御方と親密に会話を交わし、秘密を打ち明けるのである。熱心に、信心深い心を持って、涙ながらに、私心のない魂を持ってあたれば、このこと以上の快感はない。これ以外の喜びはすべて世俗的であるが、この喜びは神聖である。

 

14.必須の祈りは神の大業の基礎そのものである。これを通じて喜びと活力は心に吹き込まれる。たとえ私が様々な悲しみに被われた時でも、必須の祈りを通じて神と会話を開始すればすべての悲しみが消え去り、嬉しさと喜びに到達するのである。言葉で言い表せないような状態になる。私達が十分な自覚と謙虚を持って神の御前で必須の祈りを捧げるなら、また心からの愛情を持って唱えるなら、全創造に永遠な命を与えるほどの甘美な快感を味わうであろう。

 

15.恩寵への扉が開き、最高の精神性に到達できるよう、汝に与えられた必須の祈りを遵守せよ。そうすれば、偉大なしるしを目撃し、精神は上昇させられよう。

 

16.辛抱強く必須の祈りと早朝の嘆願を実施せよ。願わくは汝の認識が日ごとに高められ、神を知る力を通じて不実な人々の過誤のベールを引き裂き、彼らを、尽きることのない神の導きへと先導できるように。汝はすべての集会においてローソクのように神の知識の光を放つべきである。

 

17.日ごとに一層強い確信と断固とした信仰に到達でき、またより大きな快感と喜びを見出すことができるよう、できるだけ必須の祈りとその他の嘆願を唱えよ。こうして神の知識の輪は拡がり、神の愛の炎は汝の中で一層輝かしく燃え上がるであろう。

 

18.必須の祈りとその他の嘆願はまさに命の水である。それらは存在の源であり、魂の昇華、至上の喜びに到達させる源泉である。これに最大の注意を払い、必須の祈りと嘆願を唱えるよう他の人々を励ますべし。

 

19.おお、真実なる主の僕よ。全てを満たし給う御方に仕えるうえで必須の祈りとその他の嘆願は不可欠である...必須の祈りと他の祈りが混ぜ合わされ、次々と捧げられる時、礼拝は完成する。両方は精神的同胞であり、一魂二体のようであることは明らである。皆が愛と親交のうちに成長するよう神の援助を嘆願する。 

 

20.必須の祈りを唱える時、人はバハオラの聖なる精神、万物を包含する精神に向かわなければならない。

 

21.必須の祈りに関しては、神聖で祝福された、特定の、動かぬゲブレがある。神がこの地位を知る扉を汝に開かれるよう我は神に懇願する。そうすれば必要で適切なことのすべてが理解され、すべてに慈悲深き御方の天より霊的恩寵を獲得し、真理の太陽より知識の輝きを得、見えざる御方の霊感のしるしとなり、全てに慈悲深き御方よりの吉報の源泉となれるであろう。

 

22.必須の祈りについて。この祈りは個人的に捧げるべきであるが、個人的な場所が必要とは限らない。

 

23.おお、聖なる御敷居に仕えるしもべよ。汝は、奨励されている祈り、祈願、伝承で崇められている祈祷など、義務付けられた祈り以外のものについて尋ねた。この宗教制においては、明確に定められたものは義務であるが、個人的な礼拝、祈願、義務付けられた祈り以外の祈りや特別に奨励された祈りは義務ではない。必須の祈りの後で個人的に他の祈りを唱えることは称賛され、受け入れられることであるが、そのための特定の祈りは示されていない。

 

24.義務的な法令や拘束力のある命令は最高のペンによって発布されたもの、あるいは万国正義院の決定によって公布されるものに限る。我々は命令を下す立場ではなく、命令を受ける立場にある。我々は義務を課せられる立場にあり、義務を負わす立場ではない。これは神の法律の実体であり、神の宗教の基盤である。必須の祈りの後、祈りや嘆願を望むなら、その者は祝福された美によって啓示された他の祈りを唱えるがよい。

 

25.汝は断食について書いた。これは非常に重大なことであり、その遵守に最大の努力を払うべきである。断食は聖なる法律の基礎であり、神の宗教を支える柱の一つである。

 

26.汝は神の法に従い、この祝福された日々に断食を守るために立ち上がった。汝に幸あれ。なぜなら、この身体的な断食は精神的断食の象徴であるからである。この断食を通じて魂はあらゆる我欲から浄められ、美徳は獲得され、慈悲深き御方の微風に引きつけられ、聖なる愛の炎で燃え立たせられるであろう。

 

27.断食は人の精神的地位を高めるものである。

 

【参照】

2 : バハイ祈りの書、参堂の書(一)p. 106

3 : バハイ祈りの書、参堂の書(一)p. 106

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 バハオラの祈りより

 

1. わが神よ。これは神が、神の愛される僕らに断食を行うよう命じられた最初の日である。自我や要求や恐れからではなく、神ご自身と、神に従う喜びと神への愛のために断食を行った者、神の崇高な御名と威厳に満ちた特質とにより、我は、僕らを神以外のものへのいかなる愛からも清め、神の御顔の御光の夜明けと唯一性の玉座近くに導き給うよう神に嘆願します。僕らの心を神の知識という光で明るくし、僕らの顔を神の意志という地平線から輝き出る昼の光で照らし給え。神は自ら望むことをなす力を持ち給う。あなたの他に神はいまさず、あなたは栄光に満ち給い、すべての者が援助をこい願う御方に在します。

 

わが神よ。彼らが神に勝利を得させ、神の御言葉を賞賛するよう援助し給え。彼らが神の僕らの間で神の大業の担い手となることを許し、彼らをして人類の中に神の信教としるしを現す者となし給え。願わくは、神への賛美と祈り、証明と証拠が全世界に満ちあふれますように。真に、神はすべてを与え給い、最も賞賛すべき御方、強力で、力に満ち給い、慈悲深い御方に在します。

 

2. 神の書において約束された、すべてを知り、すべてに精通された御方の御名において。神の玉座を囲み、面前に達した僕らが、断食を行う日々が訪れた。言上げよ。すべての名と天と地の創造者である神よ。あなたの栄光に輝く御名により願いまつる。神への愛と神の望みをかなえるために、また神のお喜びのために断食をし、神の書と書簡のなかで命じられたことを行った者らの断食を受け入れ給え。神の大業を促進するうえで私を援助し、神への私の愛を確固とさせ、私が人々のそそのかしによってつまずくことがないよう、彼らにかけて神に嘆願します。真に、神は御自身が意図し給う以上に力に満ち給う。あなたの他に神はなく、あなたは人々を蘇生させ、すべてに強力で、限りなく恩寵深い、日の老いたる御方に在します。