注:この文書は校閲を受けていない非正式の訳です。暫定版としてお使いください。ただし、暫定版と明記してお祈りの会や学習等に使用できます。Note: This is a provisional translation, not officially reviewed or
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神の正義の出現
合衆国とカナダ中の神の慈愛を受ける人たちと慈悲深き御方の侍女たちへ
バハオラを敬愛する最愛なる兄弟姉妹たちへ
バハオラの世界秩序の強大なエネルギーは勇敢なパイオニアを活気づけてきましたが、その途絶えることのない証拠を考えるたびに、わたしの心は抑えきれない喜びで満たされます。しかし、その喜悦感を十分に表現することはきわめて困難です。これらのパイオニアは、自分らに託された聖なる計画を実施している人たちです。あなた方が選出した全国代表者の契約署名で、西欧におけるバハオラの信教の信者たちが着手した最大事業の最終局面が開かれました。同じく、非常に心強い進展は、全国ティーチング委員会の報告に記録されているように、あなた方が、疑いもなく、忠誠心と活力と周到さをもってさまざまな活動を進めていることです。それらの活動は、七年計画の発展に必然的にともなってくるものです。以上の二つの活動は、詳細にわたり、模範的な規則正しさと正確さをもって、効率を減じることなく、また見事な手早さで進められています。
この数ヵ月、アメリカ信者たちの全国代表者たちは、臨機の才を実に明確に示してきました。それは、かれらが継続的に着手した事業で証明されています。同様に、信者全員も、代表者たちが聖なる義務を果たす上で、また重大な段階と新たな進展に直面するたびに、真心から十分な支援をためらうことなく送りました。さまざまな機構は、適切に機能するバハイ共同体の有機的生活を促進し、また基本的な骨組みでありますが、これらの機構間の緊密な相互作用、完全な団結、不断の調和と親交は、現代社会の調和の欠けた要素が、痛ましくも表わしている分裂傾向といちじるしい対照を示す現象であります。ところが、全能者は測りがたい英知でもって、選ばれた共同体に必要だと見なされた試練を下されました。それらはすべて、共同体の基本的な結束を新たに示すことになり、その内部の力を強化することになったのです。堕落した時代の運勢に次から次へと襲って来ている危機は、そのたびに、以前のものより一層明確に、その腐食的影響の深まりをさらしています。それは、衰微しつつある諸制度の活力を急速にそぎ、その土台を危うくしているのです。
最大名の共同体のメンバーは、つねに見守りたまう神がこのように介入されているのを見て、感謝の気持ちを持ち続けなければなりません。一方における神の確実な祝福のしるしと、他方における神の懲罰から、メンバーたちは、かぎりない希望と勇気を引き出さずにはおれません。かれらとその後引き継いで努力する者らは、信教内部における変転が生み出するあらゆる機会をとらえるために気を配り、また、その光を受け入れることを拒絶した者らに、早晩、致命的な影響をあたえる発作的な動乱にも恐れず、前進しなければなりません。今動き始めたプロセスが、それぞれ力を出し終え、現在、陣痛で苦しむ時代の子宮内で躍動している聖なる秩序の誕生に貢献するまで前進しなければならないのです。
再発する危機
これらの危機は、気味の悪いほどひんぱんに、また阻止できない勢いで再発し、ますます多くの人びとを苦しめていますが、それらは、地球の隅々に枝をのばした世界共同体に、一時的とはいえ、ある程度悪影響をおよぼさざるを得ません。この世界的な大変動から放出された勢いは、組織化された社会の社会的、宗教的、政治的および経済的な均衡を極度に狂わせています。そして、政治制度、人種主義、社会概念、文化基準、宗教団体および通商関係を混乱に陥らせています。これまでに例を見ない膨大な規模の激動は、始まって間もない信教の機構に影響をおよぼすことはもちろんです。信教の教えは、以上に述べた人間生活と行動のすべての面に直接に重大な関連をもっているからです。
したがって、これほど世界に浸透した信教、これほど関心をそそる大業の旗を高くかかげる者らは、世界を震撼させている勢力の影響を自らが受けているのを見出すのは少しもふしぎではありません。かれらが、この相争う激情の渦巻きの最中で、自由はうばわれ、信条は侮辱され、機構は非難され、目的はそしられ、権威は危険にさらされ、主張は否認されているのを見出すのは少しもふしぎではないのです。
ヨーロッパの中心に位置する一共同体は、アブドル・バハが予言されたように、その精神的な潜在能力と地理的な条件により、まわりの諸国にバハイ信教の光輝を放射するように運命づけられていますが、一時的にその光はさえぎられています。それは、その国の政体が、バハイ信教の目的と機能をはなはだしく誤解して制限を加えたからであります。残念ながら現在、バハイ信教の声は抑えられ、機構は解散させられ、記録書類は押収され、集会は停止させられているのです。
アブドル・バハからバハイ世界で最初の礼拝堂の場として選ばれ、特別の栄誉を受けた中央アジアの都市と、その周辺の町村で極度に迫害されたバハオラの信教は、数十年の間終始一貫して、おどろくほどユニークな活力を見せました。そのため、その増大する力を恐れた当局により、まったく無力にされようとしているのです。礼拝堂は、まだバハイ礼拝に使用されているとはいえ、収用されており、また、精神行政会と委員会は解散させられ、ティーチング活動は阻止され、主な促進者たちは追放され、かなりの数の熱心な支持者たちは、男女共に投獄されています。
バハイ信教が誕生した国には信者の大多数が住んでおり、その首都は、バハオラから「世界の母」および「人類の喜びの夜明け」と呼ばれたところです。そこにおいて、旧弊で、狂信的で、異常なまで腐敗した僧侶の影響からいまだに正式に分離できない政府は、信教の信者たちに対する抑圧運動を容赦なく進めています。政府は、それまでほとんど一世紀わたって信者たちの鎮圧を試みてきましたが、成功しませんでした。この潔白で、排斥されている共同体のメンバーは、もっとも私心がなく、もっとも有能で、もっとも熱烈な愛国者の中に正当に数えられるのですが、当局はそれを無視し、また、かれらが世界市民という高尚な観念をもっていることも軽蔑しているのです。この観念は過激で偏狭な愛国主義の唱道者たちにはまったく理解できないものなのです。バハイ信教の精神的管轄範囲はほぼ600の地方共同体にわたり、国内のメンバーの数は、キリスト教徒、ユダヤ教徒およびゾロアスター教徒の信者たちの数を上回っています。しかしながら、政府当局はその法律の実施、業務管理、学校経営、祭日祝賀、文献配布、儀式挙行、礼拝堂建造、基金保管の許可を与えることを拒否しているのです。
さらにまた、最近、世界を包含する信教の中心であり、中枢である聖地で、人種的憎悪、同胞殺し、恥知らずのテロ行為の火炎が大火となって燃え上がりました。その大火は、一方において、信教の中心の活力源となっている巡礼の流れを極度に妨げ、他方においては、聖なる場所周辺の保存と拡大に関連するさまざまな企画を中止させているのです。その土地に在住する信者たちの小共同体の安全は、無法のはびこりに直面して、危険にさらされ、中立で際立った共同体としての地位は間接的に挑発され、その行事を行う自由もうばわれたのです。一連の殺人目的の襲撃が、人種的、宗教的狂信の激発と交互に起こり、その混乱した国の三大宗教の指導者たちおよび信者たちを巻き込み、時には、国内と国外の通常の交信がすべて絶たれそうになりました。しかしながら、世界を包含する信教の賛美の的であるバハイの聖なる場所は、このような危険な状態にあり、信者の数は少なく、立場もさらされ、外面的には保護できる手段も一切ないように見えましたが、ほとんど奇跡的に保護されたのであります。
史上きわめて重大な現代において、相反する激情で裂かれ、内部から分解して危機に瀕している世界は、揺籃期にあるバハイ信教の進展と直面しているのです。バハイ信教は、時折、その論争に引き込まれ、その紛争に巻き込まれ、その深まる暗い影で光をさえぎられ、激しさを増してくるその激情に圧倒されるように見えます。その発祥地の中心、最初の聖なる礼拝堂の地において、これまで繁栄し、今後強大となるであろうセンターのひとつで、まだ解放されていないバハオラの信教は、押し寄せてくる暴力と無秩序のもろもろの勢力を前にして後退したように見えます。人類は、それらの勢力に間断なく犠牲にされています。バハイ信教のもろもろの拠点は、外面的には、ひとつずつ、日毎に孤立され、襲われ、占領され続けているように見えます。自由の光がおとろえて消え、不和の騒音が日々いや増しに高まり、狂信の火が人びとの心の中で激しい炎となって燃え上がり、無宗教の悪寒が、容赦なく人類の魂を襲うにつれて、バハオラの信教を支える諸機関は、程度は異なっても、その影響を受けて勢いをそがれたように見えます。文明世界全体も現在その影響で苦しめられているのです。
アブドル・バハのつぎの言葉は、現時、そのことをいかに明確に立証していることでありましょうか。「東西をおおっている誤謬の暗黒は、この最大の周期において、神の教導の光と戦っている。その剣とやりは鋭く尖っており、その軍団は極度に殺気立っている。」ほかの箇所で、アブドル・バハはこう書かれています。「今日、すべての宗教の指導者たちは、全力をあげて全慈悲者の集会を分散させ、その聖なる殿堂を粉砕しようとしている。物質的なものであれ、文化的なものであれ、または政治的なものであれ、この世の軍勢は四方八方から攻撃をかけてきている。なぜなら、この大業はまことに偉大であるからである。今日、その偉大さは人びとの目にはっきりと示されている。」
残りの主な砦
残りの主な砦、不屈の信教の旗をいまだに高々とかかげている強大な腕は、まさしく北アメリカ大陸の最大名のめぐまれた共同体です。努力と全能なる神の尽きない保護により、この共同体の際立ってすぐれたメンバーは、東西のバハイ共同体と絶えず影響し合ってきました。それにより、この共同体は未来の新世界秩序の砦であり、揺籃の地であると一般に見なされるでありましょう。この新世界秩序はまた、バハオラの名と結びつけて考えられる時代の約束であり、栄光なのです。
この共同体に与えられたユニークな地位を軽んじるか、または今後果たすべき役割に疑問をいだく者に、つぎのアブドル・バハの言葉に含まれた意味を考えていただきましょう。それらの言葉は、重大な意味をはらみ、またすばらしい光明を投じてくれるものでありますが、世界が戦争の重荷でどん底に落とされ、苦悩していた時期に語られたものです。かれの言葉は、まさしく意味深長であります。「唯一真の神の目には、アメリカ大陸は、神の光輝が現わされ、その信教の神秘が明らかにされる地となろう。そこは正義の人びとが住み、自由な人びとが集まるところになろう。」
すでに、北アメリカ大陸のバハイ共同体は、暗やみにおおわれているにもかかわらず、その光をもたらす者、その神秘の宝庫、その正義の唱道者、その自由の聖所として認められる能力を示してきました。バハオラの信教は西欧圏にくまなく設立される運命にありますが、この共同体は同時に、その未来共同体の主動者であり、模範であります。上に引用した言葉は、バハオラの信教の黄金時代の栄光に輝く光に言及したものでなければ、ほかのどの光を指すというのでしょうか。アブドル・バハが心に描かれた神秘は、現在行政機構の母体の中で進化している胎児期にある世界秩序の神秘でなければ、ほかのどの神秘を指すというのでしょうか。この正義というのは、聖なる時代と秩序のみが確立できる正義でなければ、どの正義を指すというのでしょうか。この自由というのは、時が満ちて神の主権が布告されるときにもたらされる自由でなければ、どの自由を指すというのでしょうか。
アメリカ大陸におけるバハオラの信教の組織化された推進者たちの共同体――命を捧げて信教の誕生を宣言した英雄時代の夜明けを告げる人びとの精神的子孫――は、命を捧げる代わりに、生きて犠牲をはらいながら約束された世界秩序を先導しなければなりません。この世界秩序は、貴重な宝石、つまり世界文明を秘蔵するように定められている殻で、バハイ信教だけがその誕生をもたらすことができるものです。一方、その姉妹共同体は、あらゆる方向から打ちつけてくる大暴風で活動不能となっていますが、この共同体は、全能の制定者の不変の定めで保護され、神の計画の書簡にある導きから活力を引き出し続け、現在、もろもろの機構の土台を敷き、その成長を懸命に促進しているのです。それらの機構は、バハオラの世界秩序の誕生と興隆を目撃するように定められている聖なる時代の接近を知らせるものです。
この共同体は人数が比較的少ないこと。信教の中心と同胞信者が多数居住する国から遠隔の地にあること。概して物的資源に乏しく、無経験で、無名であること。その精神的創立者が出現した国民の信仰、思考、習慣に無知であること。その聖典が最初啓示された言語にまったく不通であること。その法や教えや歴史については、文献のほんの一部分を不完全に翻訳されたものだけに頼らざるを得なかったこと。その初期から激烈な試練にさらされ、時折、最も著名なメンバーの幾人かが背反したこと。その発端以来度を増して腐敗とモラル堕落と偏見の諸勢力と戦わなければならなかったこと。以上の状態にあった共同体が、半世紀足らずの間に、また東西の姉妹共同体からの援助もなしに、慈愛深いアブドル・バハが豊富にあたえられた聖なる力により、大業の前進にはずみをもたらしたのです。それは、西洋の同胞信者たちの業績を合わせても匹敵できないものです。
確信をもって問うことができますが、バハオラの世界秩序の前衛となる行政機構にパターンを設定し、最初のはずみをあたえる手段となった共同体がほかにあったでしょうか。また、どの共同体が、始終一貫して、骨組みの建立と引き続く拡大に不可欠な臨機応変の才、規律、堅い決意、熱意と忍耐、献身と忠誠を示すことができたでしょうか。この骨組みの中においてのみ、もろもろの機構が増大し、成熟できるのです。ほかのどの共同体が、崇高なビジョンで燃え立ち、進んで大なる犠牲をはらい、強い結束を達成して、短期間に、また重大な時期に、殿堂を建造することができたでしょうか。この殿堂は、西洋がバハオラの大業に貢献した最大のものと見なされてよいものです。ほかのどの共同体が、そのつつましい一人のメンバーだけの努力により、王位にある人が大業への忠誠を自発的に誓うことになったと宣言できましょうか。また、その真理に対するすばらしい声明文をその人から獲得できたと宣言できましょうか。
ほかのどの共同体が、先見の明、組織力、強い熱意を示して、その管轄内に最初の学校を設立し、いたるところにそれを増加させたでしょうか。これらの学校は、やがて、バハイ学問の強力なセンターに発展する一方、より多くの信者が布教者として育成される土壌となり、共同体のティーチングの能力を強化するものとなりましょう。ほかのどの共同体が、大胆さ、献身、粘り強さ、自己犠牲、惜しみない奉仕心という特質を高度に兼ねそなえたパイオニアを生み出したでしょうか。かれらは、故郷とすべてから離れて世界中に散らばり、最遠隔地にまでバハオラの勝利の旗をひるがえしたのです。この共同体のメンバー以外のだれが、広く散在するきわめて重要な都市や地方に、ヤー・バハオル・アブハの叫びを最初にあげて、永遠の栄誉を勝ち取ったでしょうか。すなわち、かれらは、英国とフランスの領土、ドイツ、極東、バルカン諸国、北欧諸国、ラテンアメリカ諸国、太平洋諸島、南アフリカ、オーストラリア、ニュージランド、そして最近のバルト諸国にヤー・バハオル・アブハの叫びを最初にあげたのです。それらのパイオニアたちのほかにだれが、聖なる文献をおよそ40ヵ国語に翻訳し出版できたでしょうか。それには、労力、忍耐、基金が必要でした。文献の普及は、効果的に組織されたティーチング活動に欠かせないものです。
ほかのどの共同体が、聖なる廟の周辺の保護・拡大と、世界本部における国際諸機構の用地取得準備という世界的な事業に、重要な役割を果たしたと主張できるでしょうか。ほかのどの共同体が、最初に全国および地方機構の定款を作成したとして永遠の名誉を受けるに値するでしょうか。それにより、二つの憲章の基本方針が規定されましたが、それは、機構の活動を調整し、機能を定め、権利を保護するために立案されたものでした。ほかのどの共同体が、全国のバハイ財産を取得し、同時にそれを法人化できたことを誇れるでしょうか。そのため、地方共同体も同じ措置を取ることができたのです。
ほかのどの共同体が、精神行政会と全国バハイ財産の承認文書を、連邦政府と州政府の双方から取得するという最高の業績を成し遂げたでしょうか。それは、ほかの姉妹共同体がその可能性に思いつくずっと以前に成就されたのです。最後に、ほかのどの共同体が、貧困者たちを援助し、虐げられた人びとを擁護し、ペルシャ、イラク、ロシア、ドイツなどの国におけるバハイの建物や諸機構を守るために精力的に介入できる特権をもち、またその手段を与えられたでしょうか。それらの国の同胞信者たちは、さまざまな折に激烈な宗教的、人種的迫害を受けて苦しまなければならなかったのです。
この類いまれなすばらしい奉仕の記録は、ほとんど20年にわたり、また、世界の大半のバハイ共同体の利益と運命に密接に関連するもので、バハオラの信教の形成時代の歴史に忘れ難い一章を占めるにふさわしいものです。この記録は、アメリカの信者たちのこれまでの業績に補強され、高められて、今後どのような任務があたえられても、責任を負うことができることを立証するものです。この多様な奉仕の意義を過大評価することはできません。その価値を正しく評価し、その功績と当面の結果を詳しく述べることは、未来のバハイ歴史家のみが適切にできる仕事です。現在できることは、わたしの強い確信を書きとどめるだけです。すなわち、そのような功績を示し、そのような精神を表わし、そのような高みにのぼることができる共同体は、時満ちて、バハオラの世界秩序の主な建設者であり、闘士であることを主張できる能力をすでに保有しているという確信です。
この記録はすばらしく、ある面では、信教の誕生を宣言した英雄時代の夜明けを告げる人びとの偉業を思い出させるものですが、この特権を付与された共同体が関わる事業は、最高潮からほど遠く、進展しはじめたばかりなのです。およそ50年間にアメリカの信者たちが成就したことは、前途に横たわる事業の膨大さに比べると、きわめて限られたものです。破滅的な激変のとどろきは、旧秩序の死の苦悶と新秩序の誕生の苦しみを同時に宣言するものですが、それは、今後すべき事業が着実に接近しており、またそれが畏怖の念を起させる性格のものであることを示しています。
更なる大規模の聖戦
バハイ信教の行政秩序の実際上の設立、その骨組みの建設、その手段の作成、その補助機構の強化はアメリカ共同体に託された最初の仕事でした。それは、この共同体が、アブドル・バハの遺訓とその指導により生み出され、組織された共同体であったからです。かれらは、この最初の仕事を、おどろくほど敏速に、忠実に、そして精力的に達成しました。今後の企画が、効果的に進められるための必要な諸機関を設立し、それらを相互的に関連させるとすぐ、同じ熱意と献身をもって、つぎのさらに困難な仕事に取りかかりました。それは、アブドル・バハ自ら礎石を置かれた礼拝堂の上部構造を建造することでした。この偉業に着手するとすぐ、「神の計画の書簡」にある熱烈な要請、勧告、約束に鼓舞され、つぎの事業を決意したのです。それは、規模と精神的可能性において、それまで成就した事業のすべてを確実にしのぐものでした。すなわち、弱まらない熱意と不屈の勇気をもって七年計画に着手したのです。これは、その新時代を開く書簡に定められた使命を達成するための最初の実際的なステップでした。こうして、かれらは、新たな献身をもってこの二重の事業に踏み入ったのです。その完成は、バハオラの信教の誕生百年記念祭と同時に起こることが望まれます。この壮大な殿堂の外部装飾が進展するたびに、それは、北米と南米で始められたティーチング活動の進歩に直接反応することを十分意識し、また、ティーチングの場で勝利が得られるごとに礼拝堂の建造が促進され、その完成が早められることを実感しながら、かれらは、勇気と確信をもって、現在押し進んでいるのです。こうして、かれらは、この両面の活動で「神の計画」で示された義務を果たそうと努力しているのです。
しかしながら、七年計画の完成は、バハイ紀元第一世紀の終わりと同時に起こりますが、全能者の誤りのない御手が導いている事業の終了、または休止を意味するものであると思ってはなりません。バハイ紀元の第二世紀の始まりは、より大なる展望が明らかにされ、より進んだ段階に入り、これまで以上に遠大な計画の着手を目撃するものでなければならないのです。現在、アメリカの信者の共同体全体が注目と熱望と資源を集中させている計画は、「神の計画の書簡」の著者がアメリカの共同体にあたえた義務と責任が、見事に、完全に果たされるための単なる始まりであり、力を試すためのものであり、今後の更なる大規模な聖戦への飛び石であるとみなすべきです。
なぜなら、現在の計画の最終目的は、西半球の共和国のそれぞれに、少なくとも一つのセンターを設けることですが、その書簡に述べられている義務は、より広範囲にわたる普及であり、また、北米バハイ共同体を代表するより多くのメンバーが、新世界の全地域に分散することを意味しているからです。したがって、第一世紀の終わりに始められた栄光ある事業を、第二世紀に進めることは、アメリカ信者たちの確かな使命なのです。それらの孤立し、新しくひとり立ちになった諸センターの活動を導き、それらがアメリカの機構を模範にして、地方・全国機構を設立できるように育成するまでは、アメリカの信者たちは、アブドル・バハの神から啓示された計画にある当面の義務を適切に果たしたと満足できないのです。
さらにまた、ラテンアメリカ諸国にバハイセンターの数を増加させたこと、そしてバハイ信教の行政秩序設立に必要な援助とガイダンスをあたえたことで、アブドル・バハが心に描かれた計画を全部実現したと一瞬でも思ってはなりません。アブドル・バハの計画が具体的に表わされた書簡を、たとえぞんざいにでも通読すれば、直ちにかれらの活動の規模が明らかになります。それは、西半球を越えてはるか彼方までひろがるものです。米大陸諸国間の事業と責任が事実上果たされたことで、かれらの大陸間の使命は、最高に栄光ある決定的局面に入ったのです。アブドル・バハは、こう書かれています。「アメリカの信者たちが、この聖なるメッセージを、アメリカの沿岸からヨーロッパ、アジア、アフリカの諸大陸、そしてオーストラレーシャ、さらに太平洋諸島に広めるとき、かれらの共同体は、確実に永遠の王国の王座につくのがわかるであろう。」
さらに、この巨大な事業が達成されたとき、バハオラが定められたより偉大で、より崇高で、比類なき光輝をもつ使命が、かれらに与えられるかもしれないとだれが想像できましょうか。その栄光ある使命は、まことに輝かしいものですが、それが起こるのはずっと先のことで、現代のもろもろの出来事と使命の達成はきわめて密接に関わり、絶えず流動しているため、現在、その特徴を性格に述べることは時期尚早といえましょう。今は、つぎの予想だけで十分でしょう。今後の激動と苦難から思いがけない機会が生じ、また予想できないような状況が生まれるでしょう。それにより、アブドル・バハの計画を推進する者たちが新世界秩序の展開にその役割を果たすことにより、バハオラの敷居への奉仕の王冠に、あらたな栄光を加えるでしょう。
未来の可能性
また、まったく別の種類の機会がいろいろと現われてきますが、そのいずれも見逃してはなりません。それらは、世界本部、または北米、あるいはさらに遠くへだたった地域における信教の進化によって生まれてくるものであり、ふたたびアメリカの信者たちに、その役割を果たすように求めるものであります。それらは、かれらが、これまでバハオラの大業の普及に貢献してきた役割と同じくはっきりと認められるものです。今、ここでわたしができることは、それらの機会をいくつか思いつくまま述べることです。それらは、未来の可能性を展望するとき、とくに際立って重要なものであります。すなわち、国際正義院を選出し、バハイ世界の精神的、行政的センターである聖地にそれを設立し、同時にその従属部門と補助機関を設けること。西洋の最初の礼拝堂に、さまざまな付属建物を徐々に建造してゆくことと、バハイ共同体生活の基盤の確立と拡大に関する複雑な問題に対処すること。「最も聖なる書」の法律を法典化して発布し、東洋の一定の国々でバハイ裁判所を設定し、公認されるようにすること。バハイ世界の第三の礼拝堂をテヘラン市郊外に建造し、つづけて同様な礼拝堂を聖地に建造すること。バハイ共同体を、ペルシャ、イラク、エジプトなどのイスラム教国における正統派イスラム教の因襲から解放し、それらの国の政府当局に、バハイ全国・地方行政会が独立した宗教の機構であることを認めてもらうこと。さまざまな宗派の宗教団体が共同して、度を増して、容赦なく加えてくる確実な猛攻撃を阻止するための予防手段を案出し、整合し、実施すること。最後に、同じく重要なものに、迫害と苦難を受けた信教が段階を通って発展してゆくときに直面しなければならない数多くの問題、克服されなければならない障害、負わなければならない責任があります。すなわち、まったくの無名の状態から出て、はげしい抑圧を受け、その後完全に解放されて、独立した宗教として認められ、ほかの姉妹宗教と同等の地位を享受するようになり、その後、国家宗教として確立し、容認され、やがてバハイ国家として最高の権限をもって機能するようになる段階です。そして、この段階は、最終的に、完全にバハイの精神で鼓舞され、バハオラの法と原則にそってのみ運営される世界的なバハイ連邦の出現となるのです。
アメリカの信者たちは、アブドル・バハがその書簡で求められたティーチング活動への呼びかけに答えるだけでなく、これらの機会が提供している課題に応じるためにためらいなく立ち上がるであろう、とわたしは確信しています。そして、伝統的な大胆不敵さと粘り強さと能率の良さをもって、全世界の前で、バハオラの信教の強大な機構を設立する闘士としての資格と地位を証明するでしょう。
尽きない神の光
親愛なる友らよ! この事業は長期にわたり困難なものですが、すべてに恵み深き付与者が、あなた方にあたえられる褒美は、この上なく貴重なもので、舌もペンも適切に評価できないものです。あなた方が大なる努力をもって目指している目標は、はるか遠くにあり、まだ人の目には明らかにされていません。しかし、その約束は、バハオラの権威ある不変の言葉にしっかりと埋め込まれているのです。バハオラがあなた方のために定められた進路は、時折、打ちひしがれた人類を現在取り巻いている険悪な暗闇に失われたように見えるかもしれませんが、あなた方に注がれている尽きない光は、ひじょうに明るく、世俗のほこりにくもらされることはないのです。まだ数は少なく、経験、能力、資源も限られていますが、あなた方の使命を鼓舞する聖なる力の影響はかぎりなく、その効力も計り知れないのです。その使命が促進されてゆくにつれて、多くの敵が仮借なく猛烈に反対してくるでしょうが、たゆまず努力をつづければ、見えざる天の軍勢が、約束通り、あなた方の援助にかけつけてくるでしょう。そして、最後には、敵の望みを打ち砕き、その勢力を全滅させるでしょう。皆の使命が達成されたとき、最大の祝福がまちがいなく下され、神があなた方にあたえられた約束も絶対変わることはないのですが、各人が受けるすばらしい褒美は、あなた方の努力にかかっています。すなわち、各人が日々の努力で、その使命の完遂とその勝利の促進にどれほど貢献したかにかかっているのです。
親愛なる友らよ! わたしは、あなた方に対して深い愛と賞賛の念をいだき、あなた方が今後、アメリカ大陸だけでなく、国際の場においても、バハイ活動と奉仕に重大な役割を果たすことができ、またそうするでろうと確信していますが、この時点で、警告を与えなければならないと感じます。個人的にも、共同体としても、アメリカの信者たちの能力、精神、行為、高い地位は、熱烈に賞賛されてきましたが、それらの資質は、決して一般のアメリカ人の特徴や性質と混同されてはなりません。神は、一般のアメリカ人の中から信者になる人を起こされたのでありますが。バハオラの信教の変革力を正当に認めたいと望むならば、バハイ共同体と一般の人びとをはっきりと区別しなければなりません。またバハオラの旗の下に集まった人たちの生活と基準に与えたその変革力を断固として、また恐れなく弁護しなければなりません。そうでなければ、新しい人種を生み出すバハオラの啓示の崇高で、顕著な効力は、認められることはまったくなく、完全にかくされたままでありましょう。
バハオラの啓示の崇高なる効力
バハオラを含めて、神の予言者たちは、これまで幾度、国民や民族が急速に堕落していたか、または道徳的、精神的にすでにどん底に落ち込んでいた国々に現われ、教えを下すことを選んだことでしょうか。モーゼに率いられたイスラエルの民がエジプトから出国したとき、かれらは、ファラオの圧制の下でおどろくほど悲惨な状態に落ち込んでいたこと。イエス・キリストが出現したとき、ユダヤ人は宗教面、精神面、文化面、道徳面で堕落していたこと。モハメッドがアラビアの部族間に教えをもたらしたとき、かれらは、長い間、野蛮人のような残酷さ、極端な偶像崇拝、堕落したモラルで恥をもたらしていたこと。バハオラの啓示が下されたとき、ペルシャの市民生活も宗教生活も言語に絶するほど堕落していましたが、その腐敗、混乱、偏狭、抑圧は、多くの学者、外交官、旅行者によって鮮明に描写されていること。以上の実例はすべて、この基本的で、避けられない事実を示すものであります。神の光が下されるのは、民族または国民が、生まれながら立派で、高い道徳基準をもち、政治的才能があり、社会的にも発展していたからだと議論するのは、歴史の事実の完全な曲解なのです。そして、バハオラとアブドル・バハが、これについて実に明確に説明されたことを完全に否定することにほかなりません。
それゆえ、予言者たちの呼びかけに応えた民族や国民に属する人たちが受ける挑戦はどれほど大きなものでしょうか。すなわち、この疑いのない真理を率直に認め、勇気をもって証言するという挑戦に応じることであります。それは、予言者が、かれらの間に出現することを選んだのは、かれらがすぐれた民族であり、政治的能力があり、あるいは美徳にめぐまれていたからではなく、むしろ、かれらが嘆かわしいほど堕落し、回復できないほど邪道に陥り、緊急に導きを求めていたためであるという疑いの余地のない真理を認めることです。そして、予言者が現われた結果、それがレバーとなって、全人類はより高潔な生活と行動をするまでに高められたのです。予言者たちは、太古から、まさしく以上の状況のもとで現われ、自らが属する民族と国を堕落と不幸のどん底から救い出し、かれらをして、啓示の恩恵と再生力を、ほかの民族や国民に伝えさせたのです。
この基本的な原則から見て、つぎのことを、つねに記憶しておくべきであり、また、このことを強調しすぎることはないのです。すなわち、バブとバハオラがペルシャに現われ、そこで最初に啓示を下された主な理由は、アブドル・バハが幾度も述べられたように、世界の文明諸国のなかで、ペルシャの人民と国家が、恥ずべき堕落のどん底に落ち込み、はなはだしく正道を踏みはずしていたからです。当時、これほど堕落した国はほかにありませんでした。ところが、バブとバハオラの啓示はその再生力で、もっとも堕落し、もっとも卑劣で邪悪と見なされる人びとを、英雄的民族に変身させ、さらにかれらをして、同じような変革を全人類の生活にもたらすという威力を示したのです。これ以上に納得できる証拠はありません。
バブとバハオラが、本来道義心がそなわり、高い業績のある民族または国民に出現したとすれば、その啓示を受け取った人びとは、計り知れない特権をもつように見えるかもしれません。しかし、懐疑心のある世の人びとは、その啓示の効力をかなり弱いものと見なし、その絶大な威力の自足性も軽視するでありましょう。ナビールの物語で、夜明けを告げる人びとの生命と行動を不滅のものにした英雄的資質が述べられていますが、それと対照して、かれらを中傷し、迫害した者たちの堕落と卑怯さも語られています。この二者間のいちじるしい対照は、弟子たちの心にすばらしい精神を吹き込んだ御方の教えが、真実であることを明確に証言するものです。だれであれ、その民族に属する信者が、バブとバハオラの啓示にペルシャが選ばれた主な理由は、その国の優秀さと国民にそなわっている高潔さであると主張したとしても、ナビールの物語で述べられている圧倒的な証拠を前にして、その主張を受け入れることはできません。
程度は劣るにしても、この原則は、バハオラの世界秩序の揺籃地としての権利を主張する国にも当然当てはめられなければなりません。この偉大な任務、この貴重な役割は、バハイ信教を生み出す責任を負った不滅の人びとの役割と同じと見なすことができます。これらの人びとは、この責任をすばらしい離脱心と比類ない行為で果たしました。したがって、世界文明――かれらの信教が生み出す直接の所産――の誕生に主な役割を果たす人たちも、自分たちの国と国民はバハオラから選ばれたと一瞬でも思ってはなりません。すなわち、ある神秘的な目的、または生来の優秀さ、または特別の功績のゆえに、自分たちは、偉大で不滅の栄誉を与えられるために選ばれたと思ってはならないのです。
バハイ信教の創設者とその聖約の中心者が、著書の中で描いた新世界秩序の旗手にその国を選んだ理由はこうです。すなわち、その国は、疑いなくすばらしい特質と業績をもっているにもかかわらず、遺憾ながら、過度の物質主義が生み出した邪悪がはびこっているからなのです。この方法で、バハオラは、不注意な世代に自らの全能の力を最上に示すことができるのです。それは、物質主義の海に浸り、もっとも悪意に満ち、長年の人種差別のえじきとなり、政治的腐敗、無法と放縦なモラル基準で知られている人びとの間から、男女を高みに引き上げることができるという全能の力であります。これらの男女は、時の経過とともに、基本的な美徳をより明らかに示してゆくでありましょう。すなわち、それは、自己犠牲であり、高いモラル基準であり、純潔であり、差別をしない交友であり、聖なる規律であり、精神的洞察力であります。かれらは、これらの美徳を身につけてこそ、世界秩序と世界文明を生み出すために重要な役割を果たすことができるのです。それは、かれらの国同様、全人類が最大に必要としているものです。かれらの義務と特権は、まず、新世界秩序の土台であり、先触れである万国正義院を支える最も強力な柱のひとつを設定することです。つぎに、その新世界秩序の建設者として、緊急に必要としている二つの原則、つまり神の正義と秩序を説き、明示し、適用することです。政治的腐敗とモラルの堕落は、かれらの属している社会をますます悪化させており、上述の二つの原則に対し、実に悲しくも、いちじるしい対照をなしています。
こういった観察は、不快で、憂うつ感をもたらすのですが、それによって、その国全体が明示している高い知性、若々しさ、限りない独創力、そして企業心という美点と特質に盲目になってはなりません。それらの美点と特質は、国内の信者たちの共同体により強く反映されつつあります。その国は、未来、バハオラの大業の黄金時代を迎え入れるという役割をもっていますが、バハイ共同体は、その確固とした土台を敷くためと、同時に邪悪を除去するために、上述の美点と特質に強く依存しなければならないのです。
言語に絶する責任の重大さ
したがって、現世代のアメリカの信者たちが負わなければならない責任は、何と重大で、何と言語に絶するものでしょうか。それは、精神的、行政的変革の初期の段階において、あらゆる手段を通して、自国から受け継いだ欠点、習慣、風潮を取り除くことです。そして、忍耐強く、祈りをこめて、信教の大救済の事業に効果的に参加するために欠かせない美徳と特質を身につけるという責任です。バハイ共同体の規模は小さく、その影響力も限られていることから、まだその国の一般大衆に目立つ影響をおよぼすことはできません。したがって、現在できることは、自身と、自分のニーズと、自らの欠陥と弱点に注意を向けることです。これに努力を集中すれば、将来、全国民の生活と心から、邪悪な風潮を排除するように求められるとき、より十分に対処できることを銘記しておくべきです。また、つぎのことも見落としてはなりません。つまり、世界秩序は、国民の大多数が現在大変苦しまされている社会面、政治面のさまざまな病弊から清められるまでは、けっして確立できないという事実です。かれらは、その国の未来のバハイ世代の前衛として、その世界秩序の土台を確立しようと努力しているのです。
この共同体が最も緊急に必要としているものを概括的に見、その任務の遂行を阻んでいる一層深刻な欠陥を推定し、今後、この共同体が苦闘しなければならないより大なる任務の性格を心に留めて、つぎのことを強調するのはわたしの義務だと感じます。すなわち、老人と若者、白人と黒人、布教者と行政者、経験者と新参者のすべてのアメリカ人信者に、特別で緊急な注意を向けてもらいたいことは、その任務の成功に欠かせない条件です。これはわたしが確信しているもので、かれらの全神経の集中を必要とします。七年計画の二重の任務を果たすために役に立つ外部組織の作成と行政機関の完成はきわめて重要です。また、ティーチングと礼拝堂建造を効果的に進めるための活動の着手、計画やプロジェクトの案出、基金の募集も重要で緊急なものです。しかし、同じく急を要し、重要なものに、計量できない精神的要素があります。それは、かれら個々人の内的生活にかかわり、人間関係、社会関係に結びつくもので、つねに注意深く調べ、反省し、自省しつづけなければならないものです。そうでなければ、その価値は減じられ、その重大な必要性もあいまいになり、または忘れられてしまうでしょう。
精神面の必要条件
成功するためには、まず精神面の必要条件が満たさなければなりません。その土台の上に、最終的にすべてのティーチング活動、礼拝堂プロジェクト、財政計画が置かれなければならないのです。精神面の必要条件のうち、つぎに示すものがとくに重要なものであり、アメリカのバハイ共同体のメンバーが十分に考慮すべきものです。すべてに恵み深き御方が、かれら全員に与えられるさまざまな面での祝福は、これらの基本的な必要条件が満たされる度合い、すなわち、個人生活、行政活動、社会関係でそれらの条件をどのように満たすかにかかっています。それらの条件というのは、社会、行政活動における高潔な倫理感、個人生活における完全な純潔、そして異なった民族、階級、信条、皮膚の色に属する人びととの交友での完全な偏見排除であります。
最初の条件は、とくに、地方、地域、全国の選出された代表者たちに向けられたものです。もちろん、かれらだけに向けられたものではないのですが、かれらは、バハオラの信教の初期の機構の管理者であり、そのメンバーとして、万国正義院の強固な土台を据えるという重要な責任を負っているからです。万国正義院は、その名称が示すように、神の正義を唱導し、保護する役目をもち、それによってのみ、奇妙に混乱した世界の安全を確保し、法と秩序を確立することができるのです。第二の条件は、主に、また直接に、バハイの若者に関わるものです。かれらこそ、バハイ共同体生活の活力、清純、推進力に大いに貢献することができます。また、共同体の今後の運命の方向と、神が付与された能力の完全な発展も若者にかかっているのです。第三の条件は、緊急かつ世界的なもので、バハイ共同体の全メンバーの重要課題であります。年令、地位、経験、階級、人種にかかわらず、すべてのメンバーが例外なく、その課題に直面しなければなりません。この面で、だれであれ、どれほど進歩したとしても、その重大な責任を完全に果たしたと言えないのです。
腐敗のはびこる政治生活がきわめて明らかに表わしていますが、その堕落をもたらす影響でくもらされない公正な行動、道をはずれない不動の正義感。無作法、悪徳、間違った基準は、もともと欠陥のある道徳律が許容し、永続させ、助長してきものですが、それらに汚されたり、くもらされない純潔で、清らかで、聖なる生活。すでに衰弱した社会の核心を腐食させている人種偏見のガンから解放された同胞愛。以上が、今後、アメリカの信者が個人的に、また共同一致の努力により、個人と社会生活の両面で促進しなければならない理想です。これこそが、主な推進力となり、かれらの機構、計画、事業の進展をもっとも効果的に早めることができます。そして、信教の名誉と高潔さを擁護し、今後直面する障害を克服できるのです。
この公正な行動は、正義、公明正大、つねに真実を語ること、正直、公平、信頼できること、信用の置けることを意味しますが、バハイ共同体生活のあらゆる面で明確に示さなければならないものです。バハオラはこう宣言されています。「今日、神の友らは、世の人びとを感化させるパン種のようでなければならない。そして、全人類が、かれらの模範から学べるように、完全に信用でき、つねに真実を語り、忍耐強く、立派な行動と性格を示さなければならない。」バハオラは、つぎのようにも断言されています。「最大の大洋である御方にかけて誓う! 高潔で清らかな人びとの息吹には、大なる潜在力が秘められている。その潜在力はまことに偉大で、全創造物に影響をあたえるほどのものである。」
バハオラは、ほかにもこのように書かれています。「今日、金銀の諸都市を通っても、それらに目を向けず、財物であれ、宝物であれ、目に見えるこの世の物質に心を汚されない者こそ神の真実のしもべである。真理の太陽なる御方にかけて誓う! そのような人の息吹には力が付与されており、その言葉には人びとを引きつける力がそなわっている。」バハオラは、さらにつぎのように強調されています。「聖なる黎明にかがやく御方にかけて誓う! 全地球が金と銀に変わっても、信仰と確信の天に真に昇ったと言われる人は、それに目を向けたりはしない。まして、それを奪って自分のものにすることはない……。神の幕屋に入り、永遠の栄光の座についた人びとは、飢え死に寸前であっても、隣人の所有物に手を伸ばして、不法に奪うことはない。たとへ、その隣人が卑しく価値のない人間であったとしても。唯一真の神が自らを現わす目的は、全人類が、つねに真実を語り、誠実で、敬虔で、信頼でき、神の意思に従順に従い、寛容で、親切で、公正で、英知を身につけるように導くためである。神の目的は、すべての人間に、気高い性格のマントを着せ、清らかで立派な行為の飾りをつけることにある。」
バハオラはこう主張しておられます。「われは、神に愛される者らすべてに警告した。わが神聖な衣のすそに、不法行為の泥のしみをつけたり、不埒な行動のほこりでそれを汚したりしないように留意せよと。」このようにも勧告されています。「バハの人びとよ。正義を固く守れ。これこそは、まことにこの虐待を受けた者がなんじらに下した法であり、何ものにも拘束されないわが意思で、なんじらのために最初に選んだ掟である。」また、こう説明されています。「立派な性格は、まことに、神から下された最上の衣である。神は、この衣で愛する者の身体を飾られるのである。わが命にかけて誓う! 立派な性格の光は、太陽の光とその輝きにまさる。」
ふたたび、このように書かれています。「公正な行動はひとつだけでも、ちりのような存在を、もろもろの天を越えたはるか彼方にまで高めることができる能力を与えられる。それは、すべての束縛を引き裂き、消耗した力を回復させることができる……。神の人びとよ、清純であれ、清純であれ。公正であれ、公正であれ……。言あげよ。おお、神の人びとよ! 永遠の真理なる御方、および地上におけるその軍勢と援助者たちの勝利を保証できるものは、もろもろの聖典に書かれており、太陽のように明白である。軍勢とは、神の目にかなう公正な行為、立派な行動と性格である。今日、だれであれ、わが大業を促進するために立ち上がり、称賛に値する性格と高潔な行動という軍勢を援助に召集すれば、その影響は、確実に、全世界に広がるであろう。」
そのほかにも、このような言葉があります。「世の改善は、清らかで立派な行為と、称賛に値する礼儀にかなった行動を通して達成できる。」このようにも忠告されています。「なんじら自身と他の人びとに公正であれ。なんじらの行為により、わが忠実なしもべらの間で正義が明らかに示されるように。」また、こう書かれています。「公正であることは、人間の美徳の中で、最も基本的なものである。すべてのものは、それに基づいて評価されなければならない。」さらに、こう述べておられます。「理解できる心を持つ人びとよ。公正をもって判断せよ。不当に判断する者は、人間の地位を際立たせる特質に欠けた者である。」さらに、こう勧告されています。「おお、人びとよ。つねに真実を語ることで舌を清め、正直の飾りで魂をかざれ。おお、人びとよ。だれに対しても裏切り行為をしないように気をつけよ。創造物の中で、神から信託された者となり、人びとの中で、神の寛大さの象徴となれ。」
また、このようにも忠告されています。「目を清らかにし、手を忠実にし、舌はつねに真実を語るようにし、心を啓発させよ。」ほかにも、このように勧告されています。「真理の面を飾るものとなれ。忠誠の額に置かれた冠であれ。正義の殿堂の支柱であれ。人類の身体には生命の息吹であれ。正義の軍勢の旗印であれ。美徳の地平線上に輝く光体であれ。」さらに、このような忠告もあります。「真実を語ることと礼儀正しさをなんじらの飾りとし、寛容と正義の衣を失わないようにせよ。それにより、聖なる芳香がなんじらの心から万物へ漂っていくように。言あげよ。おお、バハの人びとよ。行いが言葉と異なる者らの道を歩かないように気をつけよ。地上の人びとに神のしるしを現わし、その教えを身をもって示すことができるように努力せよ。行いをもって全人類を導くものとせよ。地位の高低にかかわらず、大半の人びとの言葉は、行動と異なるからである。なんじらが、ほかの人びとから区別できるのは行動を通してである。行動を通してなんじらの光の輝きは全地球に注がれることができる。わが忠言に注意し、全能者であり、全賢者である御方が下された教えを守る者は幸いである。」
アブドル・バハはこう書かれています。「おお神の軍隊よ! 祝福された美なる御方――かれの愛する者らのために、わが生命が犠牲にされんことを願う――から下される保護と援助により、なんじらは、人びとの間で太陽のように際立ち、光り輝く行動を示さなければならない。なんじらの中で、だれかがある都市に行けば、世界のすべての人びとへの誠実、忠実、愛、正直、忠誠、つねに真実を語る態度と慈悲で、その住民を惹きつける中心にならなければならない。そうすれば、かれらは、声をあげてこう言うであろう。『この人は間違いなくバハイである。その態度、振舞い、行動、倫理、性質、気質は、バハイの特質を現わしているゆえに。』なんじらがこの段階に達するまでは、神の聖約に忠実であってきたとは言えないのである。」さらに、このようにも書かれています。「今日、最も重要なことは、性格を清め、態度を正し、行動を改善することである。慈悲深き御方から愛される者は、人びとの中で、そのような立派な性格と行動を示さなければならない。その聖なる芳香が全世界に注がれ、生気を失った人を蘇らせることができるように。神の顕示者と、見えざる御方の無限の光が現われる目的は、人間の魂を教育し、すべての人びとの性格を改善することにあるから……。」かれは、こう主張されています。「つねに真実を語ることは、すべての美徳の基礎である。つねに真実を語らなければ、神のすべての世界でだれも進歩できないし、成功もできない。人間が、この聖なる美徳を習得すれば、ほかのすべての聖なる美徳もまた習得できよう。」
バハイ共同体の選出された代表者たちが、どの資格であれ、決議を求められる時は、同じ公正な態度をますます高めながら示さなければなりません。選出された代表者たちすべては、ビジネス関係、家庭生活、あらゆる種類の職場、また、政府や市民への今後の奉仕において、公正な態度をつねに示さなければなりません。バハイはその聖なる権利と機能を果たす選挙にあたって、この公正な態度を身をもって示さなければならないのです。すべて忠実な信者は、政治的な任職を受けたり、政治党派に属したり、政治的論争に加わったり、政治的組織または宗教組織のメンバーになったりしないことで、その態度を特徴づけなければなりません。老いも若きも、アブドル・バハが講話の中で明確に述べられた基本原則とバハオラが最も聖なる書の中に啓示された法律や条令のすべてに忠実に従うときに、この公正な態度を明示しなければならないのです。
この公正な態度は、敵から信教を擁護する者たちのすべてが、敵の長所を公平に認め、正直な態度で敵に対処するときに示さなければならないものです。それはまた、すべてのバハイ布教者の生活、仕事、努力、言葉を照らす飾りでなければなりません。それは、国内においても、海外においても、ティーチング活動の前線にいても、それほど活発でなくても、また責任の軽い地位にいてもそうであります。すべてのバハイ共同体で選出された全国行政会は、数は少なくても、強烈にダイナミックで重大な責任をもつものであり、公正な態度をその特徴としなければなりません。それらの全国行政会は、万国正義院を選出する唯一の手段であり、その支柱となるものです。万国正義院は、その名称が表わしているように、その最大の使命は公正な態度を擁護し実施するようにバハオラにより定められているのです。
この神の正義の原則は、実に偉大で卓越したものであり、万国正義院の先駆者としての地方・全国行政会の最大の特徴とみなされなければならないものです。そのため、バハオラ自らも、個人的な意向や望みを、その原則が求め、それに含まれている抑え難い力に従わされたのです。バハオラはこのように説明されています。「神はわが目撃者でありたまう! 神の法に反しなければ、われは、われを殺そうとした者の手に接吻したであろう。そして、その者にわが世俗の所有物を受け継がせたであろう。しかしながら、聖なる書に規定された履行すべき法により阻まれ、わが自身もこの世の財産をすべて失ったのである。」
バハオラは、意味深長にこう断言されています。「世界に降りかかってきたこれらの大抑圧で、最大正義の出現が準備されているのである。」さらに、こうも主張されています。「言あげよ。その御方は、正義をもって現われ、人類がそれにより飾られるようにした。しかし、人びとは大部分眠っている。」さらに、こう述べられています。「人間の光は正義である。抑圧と暴圧の逆風で、その正義を消してはならない。正義の目的は、人びと間に和合をもたらすことである。」バハオラは、このようにも宣言されています。「正義の輝きに比較できるものはない。世界の組織と人類の平穏は正義に依存する。」さらにこう断言されました。「神の人びとよ! 世界を訓練するのは正義である。正義は報酬と懲罰の二つの柱で支えられている。この二つの柱は世界の生命の源泉である。」
バハオラは、ほかにもこう主張されています。「正義と公正は、人間を保護する守護者である。それらは、世界の公正を維持し、諸国民を保護するために、強大で神聖な名前で現われた。」かれはまた、つぎのような強い警告を出されています。「おお人びとよ、神の正義の時代を前にして奮起せよ。なぜなら、約束の時が今や到来したからである。その意義を理解せず、誤った人びとの中に数えられないように気をつけよ。」バハオラは同じくこう書かれています。「忠実なる者らが、栄光の夜明けからさん然と輝く正義の太陽を見る日が近づいてきた。」かれは、つぎの言葉を意味深長に述べておられます。「われに負わされた恥辱は、全創造に付与された栄光を明らかにした。われが耐え忍んだ残虐行為により正義の太陽が現われ、人類にその光輝を注いだ。」かれはふたたびこう書かれています。「世界は大動乱の最中にあり、人びとの心は全く混乱している。われは、全能なる神にこん願する。神の正義の栄光で、人びとを慈悲深く照らし、いかなる時もいかなる場合にも、かれらに益するものを発見させられるようにと。」さらに、こう述べられています。「暴虐の雲でおおい隠された正義の太陽が、その光を人類に注ぐならば、地上は完全に変わるであろう。これには全く疑いはない。」
アブドル・バハも、このように宣言されています。「神に賛美あれ! なぜなら、正義の太陽がバハオラの地平線上に昇り、バハオラのもろもろの書簡に、創造の始めからだれも思いつかなかった正義の基礎が敷かれたからである。」さらに、こう説明されています。「存在の天蓋は、容赦の柱ではなく、正義の柱に置かれている。そして人類の生命も、容赦ではなく、正義に依存しているのである。」
したがって、バハイ啓示の著者が、その行政機構の最高機関となる評議会に、容赦ではなく正義という名称を選び、正義を最大平和の唯一で永久的な基礎となし、「かくされた言葉」のなかで、かれの目に「総てのもののうち最愛なるもの」と宣言されたのは少しも不思議ではありません。とくに、アメリカの信者たちに強くこん願したいことは、この道徳上の公正という意義を心の中で熟考し、また、全力をつくして妥協することなく、個人としても、集団としても、この崇高な基準、正義がその基本要素である基準、を守っていただきたいということです。
清純で高潔な生活も、同じくバハイ共同体の強化と活性化に必要な基本要素であるとみなされるべきです。バハイの計画や企画の成功はすべてそれに依存しなければなりません。無宗教の勢力が、道義心を弱め、個人の道徳の土台を崩している現代において、アメリカの信者たちは、個人としても、バハオラの信教の責任ある管理者としても、清純と高潔な生活に一層注意を向けなければなりません。その義務を果たすとき、だれが見ても明らかで際立った態度を示さなければならないのです。現在、アメリカに広がっている物質主義は、極端で、気力をそぐものですが、そういった状況の中で、バハイが清純で高潔な態度を示すことはとくに意義あることなのです。宗教の光が消えかかり、その掟がつぎつぎと廃棄されている危機の時期に、男女を問わず、すべてのアメリカの信者は、自己反省をし、自分の行動を吟味しなければなりません。この神聖で、貴重な信教の名が汚され、その高潔さが損なわれるであろうだらしない素行を共同体からすべて除くために、強い決意をもって立ち上がらなければならないのです。
清純で高潔な生活は、自分たちの共同体のメンバー間の交際においても、一般社会の人びととの接触においても、すべてのバハイが守らなければならない行動規範です。バハオラの信教を広め、その業務を管理するといううらやましい地位にある人たちのたゆまぬ労力と称賛に値する努力も清純で高潔な生活でかざられ、強められなければなりません。一般信者たちの生活のあらゆる面、すなわち、家庭、旅行、クラブ、交際、娯楽、学校、大学においても、この行動規範の高潔さとそれに含まれる意義は維持されなければなりません。バハイ共同体生活が組織され、促進されるすべてのバハイ・サマースクールとほかのバハイ共同体の活動においても、この面に特別の考慮が払われなければなりません。これはまた、バハイ共同体生活の要素として、また自国の若者の今後の進歩と方向付けとして、若者の使命と密接に、また常に結びつけられなければなりません。
そのような清純で高潔な生活は、慎み、純粋さ、自制、礼儀正しさ、汚れのない心を暗示しますが、それはまた、衣服、言葉使い、娯楽、すべての芸術および文芸にたずさわるとき節度を守ることを意味します。それは、情欲と堕落への傾向を抑制するよう日々警戒を怠らないことを要します。それは、軽薄な行動と、しばしば些細で、誤った方向に向けられた娯楽への過度の愛着を止めるように求めます。それは、アルコール飲料、阿片とほかの同じように常用癖となる麻薬のすべてを完全に断つことを必要とします。それは、芸術と文学の売春、裸体主義や友愛結婚の実践、夫婦間の不貞、あらゆる種類の男女の乱交、安易な親交、性的不道徳行為を強く非難します。それは、堕落した時代の理論、基準、習慣および不節制との妥協を許すことはできません。むしろそれは、模範のダイナミックな力により、そのような害のある理論、誤った基準、皮相な要求、邪道な習慣、冒涜的な行き過ぎを明らかにすることを要求するのです。
バハオラはこう書かれています。「神の正義にかけて誓う! この世、その虚栄、その栄光、それが与える喜びは何であれ、神の目にはすべてちりと灰のように価値のないものである。いや、それ以上にいやしむべきものである。人びとの心がこのことを理解できれば。おお、バハの人びとよ、この世とそれに属するすべての汚れより十分に身を清めよ。神御自身われに証言したまう! 地上の事物は汝らにはふさわしくない。それを欲している者らに与え、目をこの最も神聖でさん然とかがやくビジョンに向けよ。」バハオラは、信者たちにこう勧告されています。「わが愛する者らよ! この世の事物でわが神聖な衣を汚してはならない。また、邪悪で腐敗した欲望に従ってはならない。」また、このようにも述べられています。「おお、唯一真実の神を愛する者らよ! 邪悪で腐敗した欲望という狭い隠れ家を超えて、広大で限りない神の王国に進み、聖別された超脱の草原に住むがよい。その行為の芳香により、全人類が神の不滅の栄光の大洋に導かれるように。」
バハオラは、このようにも命じられています。「この世とその虚飾への執着をすべて捨て、それらに近づかないように気をつけよ。そうしなければ、煩悩と強い欲望に従うようになり、一直線の栄光ある道に入るのを妨げられよう。」これもかれの戒めです。「あらゆる種類の邪悪行為を避けよ。それらは、神がすべての罪の汚れを清め、純化した者らの中に数えられる者ら以外は触れない聖なる書で禁じられているからである。」これは、かれの文書にした約束です。「比類ない特質を持つ人種が呼び起こされるであろう。かれらは、愛着を断った足で、天と地にあるすべての者らの足元を歩き、水と粘土から造られた万物に聖なるたもとを投げかけるであろう。」また、このような重大な警告も出されています。「芸術や科学を唱導する学識者が、しばしば誇ってきた文明も、中庸の域を脱すれば人類に大なる悪をもたらすであろう。……文明は、中庸が守られるときは善の源泉となるが、同じく、極端に走ればさまざまな悪の源泉となろう。」
かれは、こう説明されています。「神は、全世界からしもべらの心を選び、その栄光ある啓示の座とされた。それゆえ、心をすべての汚れから清めよ。心のために創造されたものが刻み込まれるように。これこそ、神の寛大な恩恵のしるしである。」かれは、こう宣言されています。「言あげよ。現世の欲望に従ったり、地上の事物に心を向けたりする者は、バハの人びとのうちには数えられない。純金の谷に来ても、振り向いたり、止まったりせず、一片の雲のように超然として一直線に通り過ぎる者こそ、わが真の信者である。その者こそ、確実にわれに属する者である。天の群集は、その者の衣服より聖なる芳香を嗅ぐことができよう。……そして、たとえこよなく麗しい女性に会ったとしても、その者の心は、彼女の美しさに露ほどの欲望さえ感じることはないであろう。その者こそ、一点のしみもない清純な人間である。日の老いたる者のペンは、皆の主なる全能者、全恩寵者に命じられた通り、こう指示するのである。」
ほかにも、こう警告されています。「煩悩と腐敗した欲望に従う者らは、道を誤り、労力を無駄にした。まことに、かれらは堕落した者らである。」さらにまた、こう書かれています。「バハの人びとがすべきことは、この世とその中のすべてから離れ、地上の万物への愛着を断つことである。楽園の住民が、かれらの衣服より神聖な芳香を嗅ぐことができるように。……情欲に従って神の大業の名声を汚した者らは、まったく誤った者らである。」かれは、とくにこう忠告されています。「清純と高潔は、これまで神の侍女たちが身につける最高の飾りであってきたが、現在もそうである。神はわが目撃者でありたまう! 清純の光輝は、もろもろの精神世界を照らし、その芳香は、最も高遠なる楽園にまで吹き寄せている。」かれは再びこう確言しておられます。「神はまことに、清純を、その侍女たちの頭をかざる王冠とされた。この偉大な地位に達した侍女の祝福は大なるものである。」
かれは、こう約束されています。「まことにわれは、わが書で、邪悪より顔をそむけ、清純で高潔な生活を送る者らのすべてに豊富な報酬を定めた。神はまことに偉大なる贈与者であり、全恩寵者でありたまう。」かれはこう証言されています。「汝らがすべての地上の腐敗より清められるように、われはあらゆる災難に耐えた。しかも汝らはいまだに無関心のままである。……まことに、われは汝らの行動に注目している。その行動から清らかで高潔な芳香を嗅ぐことができれば、われは間違いなく汝らを祝福するであろう。そして、楽園の住民は、神に近づいた者らの間で、汝らを賛美し、汝らの名を崇めるであろう。」
アブドル・バハはこう書かれています。「最大に聖なる書によれば、飲酒は禁じられている。それは慢性病の原因となり、神経を弱め、知性を消耗させるからである。」バハオラ自らもこう断言されました。「おお、神の侍女たちよ、わが言葉の杯より神秘の美酒を飲むがよい。そして、汝らの心が忌み嫌うものを捨てよ。それは、神の書簡と聖書で禁じられているからである。生命の川と、清純な心を持つ者が忌み嫌うものを交換しないように気をつけよ。神の愛の美酒で酔い、知性を消耗させるもので酔わないようにせよ。神を愛する者らよ! まことに、飲酒は男女を問わず、すべての信者に禁じられてきた。このように、わが命令の太陽は、わが言葉の地平線上に輝いた。われを信じる侍女らが啓蒙されるように。」
しかしながら忘れてはならないことは、そのような高い道徳的な行動基準は、いかなる種類の禁欲主義や過度で凝り固まった清教主義に結びつけて考えたり、混同させたりしてはならないことです。バハオラが教えられた基準は、いかなる場合でも、すべてに慈愛深い創造主がこの世に豊富にあたえられた多様な喜び、美、楽しみを十分に受け取る正当な特権を否定するものではありません。バハオラ自らもこのように確言されています。「もしある者が、現世の飾りで自らを飾り、世俗の服装を身にまとい、この世の利益にあずかることを望んでも、自分と神の関係を何によっても邪魔されなければ、害は一切ふりかからない。なぜなら、神は、天と地で創造されたすべての良きものを、神を真に信じるしもべらに定めたもうたからである。おお人びとよ、神が与えた良きものを食べ、神のすばらしい恩寵を失わないようにせよ。神に感謝と賛美を捧げ真に感謝する者であれ。」
最大の課題
人種偏見に関して述べると、その腐食作用は、ほとんど一世紀間、アメリカ社会の内部に入りこみ、その社会組織全体を侵してきました。それは、バハイ共同体が、進化の現段階で直面している最大の重要課題と見なすべきです。この最大の重要課題には不断の努力、犠牲、注意と警戒、精神的勇気と剛毅、臨機応変の才と同情が必要ですが、アメリカの信者たちは、まだほど遠いところにあり、この課題の十分な解決に至っていません。この問題はあまりにも重要・緊急であり、過大に見積もりすぎることはないのです。白人と黒人、あらゆる階級の人びと、若者と老人、新しくバハイになった人も含めて、すべての信者たちは、各人の能力、経験、機会に応じて、アブドル・バハの指示を守り、その望みを実現し、その模範にしたがうという共同作業に参加し、それを援助しなければなりません。黒人であれ、白人であれ、いずれの人種も、その義務から免除されたとか、その望みを実現したとか、その模範に忠実にしたがったなどと良心をもって主張することはできません。落し穴が待ち伏せている長いいばらの道は、バハオラの信教を支持する白人も、黒人もまだ通り過ぎていないのです。かれらは、その遠い道のりを越えるとき、それらの精神的原則をほとんど誰も想像できないほどの規模で実施しなければなりません。それは、アメリカの信者の精神的勝利と、新しく着手した事業の物的成功に欠かせないものなのです。
アブドル・バハが、アメリカの信者たちの間で過ごされていたときの模範と行動を、恐れずに、決然と思い出そうではありませんか。アブドル・バハの勇気、真心からの愛、形式ばらない、また誰彼の差別のない交友、人びとの批判には我慢しがたくても、如才なく英知をもってそれに対処する態度などを思い起こそうではありませんか。かの忘れることのできない歴史的エピソードと出来事を想起し、いつまでも忘れないようにしようではありませんか。つまりそれらは、かれが決然と示した強烈な正義感、虐げられた人びとに対する自然にわきあがる同情心、人類の一体性に対する絶対の信念、人類に対するあふれるばかりの愛、かれの願望を軽蔑し、その方法をあざけり、その原則に挑戦し、その行為を無駄にしようとする者に対する不満足感などです。
どの人種に対しても、社会的に発達がおくれ、政治的に未熟で、人口も少ないという理由で差別をするのは、バハオラの信教を活気づける精神を大いに損なうものです。信者間に区別または差別があるという意識は、バハイ信教の目的、原則、理想に反します。信者たちが、ひとたび創始者の主張を十分に認め、その行政秩序に共感し、その教えに含まれている原則と法律を完全に受け入れれば、階級、信条、または皮膚の色の相違は自然に除かれ、いかなる場合にも、またどれほど事変や世論の圧力が強くても、そういった差別が再び起こらないようにすべきであります。もし、何らかの差別が許されるとすれば、人種面やほかの面であれ、少数グループに反するものでなく、かえってかれらに有利になるような差別です。
東洋であれ、西洋であれ、民主主義であれ、独裁主義であれ、共産主義であれ、資本主義であれ、旧世界に属していようと、新世界に属していようと、それぞれの管轄内に居住する人種的、宗教的、政治的な少数グループを無視したり、踏みにじったり、根絶したりする国家や民族と異なり、バハオラの旗の下に参加したすべての組織された共同体は、その管轄内に居住するすべての少数グループ――宗教的、人種的、階級的、民族的――に属する人びとを育成し、激励し、擁護することを第一の避けられない義務と感じるべきです。この原則は、ひじょうに重大であるため、選挙で取得票数が同じであった場合、または共同体内のさまざまな人種、宗教、国籍を背景にもつ人たちが、ある職務に対して同じような資格を有している場合、少数グループを代表する人に優先権がためらうことなく与えられるべきです。これは、少数グループに属する人びとを鼓舞し、励まし、共同体の利益を促進する機会を与えるためで、そのほかの理由はありません。
この原則に照らして、またバハイ活動に少数グループに属する人びとが参加し、責任を分かち合うことがきわめて望ましいことを考慮に入れて、バハイの業務を整えることは、すべてのバハイ共同体の義務であります。つまり、共同体内のさまざまな少数グループに属する個人が、すでに資格があり、必要条件を満たしている場合、バハイ信教を代表する諸機構――精神行政会、大会、会議、委員会――に、これらのさまざまな少数民族に属する人びとができるだけ多く代表として参加できるようにする義務があるのです。このような方針を取り、それに忠実にしたがうことは、人数が少なく、適切に代表されていないグループを鼓舞し、激励をあたえる要因になります。それだけでなく、社会全般に、バハオラの信教のもつ普遍性とすべての少数グループが代表していることを示すことができるからです。また、信者たちが、国内の諸事と諸国家間の関係に大混乱をもたらした偏見に染まっていなことも示すことができるからです。
どのような形であれ、人種偏見の排除は、人類の大半が、ますますこの破壊的な蛮行の犠牲になっている現在、アメリカ人信者全体の合言葉として採用されるべきです。かれらがどの州に居住していても、どのような社会にいても、また年令、伝統、趣味、習慣がどんなものであれ、そうしなければならないのです。それは、信者たちの活動と生活のあらゆる面で常時示さなければなりません。すなわち、バハイ共同体の内外において、社会生活と個人生活の双方において、正式な場合も非正式の場合も、個人的にも、組織されたグループや委員会や行政会のメンバーとして役目を果たす場合も、人種偏見を排除していることを示さなければならないのです。それは、どれほど些細なものであっても、日常に起きてくるさまざまな機会に慎重に養成されるべきです。すなわち、家庭で、職場で、学校や大学で、社交会やレクレーションの場で、バハイの集会、大会、会議、サマースクール、行政会で生じるあらゆる機会に養成されるべきなのです。何よりも、これは、厳粛な機関(全国精神行政会)の政策の基本方針となるべきです。この機関は、全国の代表者として、また、共同体の業務の管理者、調整者として模範を示し、この重要な原則がバハイの生活や活動で実行されるように促進しなければならないのです。この機関はバハイの利益を擁護し、また、代表するものなのです。
バハオラはこう書かれています。「おお、認識できる者らよ! まことに、神の御意の天より下された言葉は、世界の和合と調和の源泉である。人種の相違に目を閉じ、一体性の光ですべての人びとを歓迎せよ。」バハオラはこう宣言されています。「われは、ただ世界の利益と諸国民の幸福を願うばかりである。……すべての国が同じ信念のもとにひとつとなり、すべての人びとが同胞として一体となり、人びとの間に愛情と和合のきずなが強化され、宗教の多様性が消え、人種の差別がなくなるためである。」アブドル・バハはこう書かれています。「さまざまな人種は、人類全体に多様な調和と色彩の美を添える、とバハオラは述べられた。したがって、花々が、不和も争いもなく並びあい、融合しながらいっしょに生長するように、すべて、この偉大な人類庭園で交じり合わなければならない。」かれはまた、こう述べられました。「バハオラは、かって有色人を白色に囲まれた目の黒いひとみにたとえられた。この黒いひとみに面前にあるものが映され、それを通して精神の光が輝き出すのである。」
アブドル・バハ自らこう宣言されています。「神は、白人と黒人を区別されない。心が純粋であれば、双方ともに神は受け入れられるのである。神は、皮膚の色や人種が違うという理由で偏よられることはない。白人であれ、黒人であれ、黄色人であれ、すべての人種を神は受け入れられる。すべて人間は、神の姿に似せて造られたゆえに、われわれは、すべてが聖なる可能性を備えていることを認識しなければならない。」かれはこう述べられています。「神の判断では、すべの人びとは平等である。神の正義と公正の世界では、だれに対しても差別も優待もない。」かれはこうも断言されています。「神はこれらの区別をつけられなかった。区別をつけたのは人間である。したがって、それらは、神の計画と目的に反するゆえに、誤りであり、想像にすぎない。」再度、かれはこう断言されています。「神の判断では、皮膚の色に差別はない。神の奉仕においては、すべての色はひとつで、美しいのである。皮膚の色は重要ではない。心が最も重要なのである。心が純粋で白ければ、外見は構わないのである。神は肌の色の違いを見られない。心を見られるのである。神の面前では、称賛すべき倫理と美徳をそなえた人が好まれる。神の王国に献身する人が最も愛されるのである。創世と創造の領域では、皮膚の色はまったく重要ではない。」
かれはこう説明されています。「動物界を通じて、どの生き物も皮膚の色のゆえに差別されることはない。動物は種の一体性を認めているのである。人間よりも低い知性と理性をもった世界で、皮膚の色の差別がないことがわかれば、どうして人間の間でそういった差別が容認できようか。とくに、すべての人間が同じ源泉から生じ、同じ家族に属していること知っているからである。創造の起源と目的において人間はひとつである。人種と皮膚の色の差別は、その後生じてきた。」さらに、かれはこう説明されています。「人間はすぐれた理性力と認識力を備えており、聖なる贈り物を顕わすものである。人種差別がはびこり、それにより人間界がひとつであるという創造目的がくもらされるようなことがあろうか。」
かれは、意味深長に述べておられます。「人類の和合と結束に影響をおよぼす重要な問題の一つは、白人と黒人の友情と平等である。これらのふたつの人種間には、一致する点と違う点がある。それは、正しく、相互に考慮されなければならない。接点は数多くある。……この国、アメリカ合衆国では、双方の人種に共通しているのは愛国心である。双方ともに、同等の市民権をもち、ひとつの言語を話し、同じ文明の恩恵を受け、同じ宗教の教えにしたがっている。事実、このふたつの人種間には、協力と合意点が多くある。一方、違った点がひとつある。それは皮膚の色である。すべての相違点のうち一番重要でないこの面で、かれらを分離させることができようか。」
かれはこう強調されています。「すべての世界で現われている形や色の違いは、創造の英知によるもので、聖なる目的に沿うものである。」かれはこう表明されています。「人間家族の多様性は愛と調和の原因となるべきである。それは、完全な和音を作るために多くの異なった音を混じり合わせるようなものである。」かれはこう忠告されています。「自分と違った人種や皮膚の色の人びとと会うとき、その人たちに不信をいだいたり、自分の因習的な殻に引っ込んだりせず、かえって喜び、かれらに親切を示すことである。」かれはこう証言されています。「存在の世界では、白人と黒人がこの上ない精神的な愛と天国の調和をもって会合するとき、その会合は祝福される。そのような会合が開かれ、参加者たちがお互いに完全な愛と和合と親切をもって交わるとき、王国の天使たちが、かれらを称賛し、バハオラの美が、こう呼びかけるであろう。『なんじらに祝福あれ! なんじらに祝福あれ!』」と。
かれは同じく、こうも断言されています。「このふたつの人種の集会が開かれるとき、それは天の集合の磁石となり、祝福された美の確証がそれを取り巻くであろう。」かれはふたたび双方の人種に勧告されています。「真剣に努力せよ。汝らの間で、友情が築かれ、同胞愛のきずなが固められるように最大限の努力をせよ。双方の人種の意思と努力なしには、それは実現できない。すなわち、一方の人種が感謝と称賛を示し、もうひとつの人種が親切を示し、平等であることを認めることである。相互の進歩のために、お互いの発展と援助に努力すべきなのである。……汝らの愛で、愛と和合が促進され、それにより人類の一体性が実現するであろう。黒人と白人間の和合が実現されれば、世界平和が保証できるからである。」
かれは、白人たちにこう呼びかけられています。「汝らの努力で、かの虐げられた人種が高められ、白人種と結ばれ、最大限の誠実さ、忠実さ、愛、純粋さをもって奉仕しはじめるように望んでいる。この白人種と黒人種の間にある敵対、憎悪、偏見は、信念、確信、そして祝福された美の教えを通して以外は消すことはできない。」かれはこう警告されています。「この白人と黒人の和合の問題はきわめて重要である。なぜなら、もしこれが解決されなければ、まもなく非常に困難なことが起こり、有害な結果があらわれるであろう。」また、このようにも警告もされています。「この状態が変わらなければ、憎しみが日毎に増し、最後には苦難がもたらされ、流血となるであろう。」
この暗い時代に、視野、態度、行動でバハオラの信教の精神と教えを反映させるためには、白人も黒人も共に非常な努力をしなければなりません。人種的優越という誤まった定説と、それに伴う邪悪、混乱、苦難をきっぱりと捨て、人種間の交じり合いを歓迎し、激励しなければならないのです。そして現在、双方の人種を分割している障壁を引きはがし、かれらが緊急に直面している共通の事業で特定の責任を果たすために、昼夜、各人努力しなければなりません。そして、この複雑な問題の解決に貢献する一方、アブドル・バハの警告を思い起こし、まだ時間があるうちに、米国全体が直面しているこの挑戦的で、みじめな状態が完全に改善されなければ、恐ろしい結果になることを心に描くべきなのです。
白人はこの問題解決に貢献するために、最大の努力をしなければなりません。すなわち、これを最後に、通常内面にもっている優越感、折に出てくる潜在的な優越感を捨て、黒人に対する保護者的な態度を改めることです。そして、親密で、自然にわきあがる形式ばらない交際をとおして、自分たちの友情が真実であること、意図が誠実であることを信じてもらうことです。また、長い期間、回復に時間のかかる重傷を受けた人びとからの反応がなくても、それに対するあせりを抑えなければなりません。黒人の側も、同じような努力をとおして、自分たちで出来るあらゆる手段をとおして、暖かい反応と過去を忘れる準備があることを示し、また自分たちの心や頭に残っている疑いの証跡をすべて消す能力を示さなければなりません。
双方ともに、これほど重大な問題の解決は、一方の側にだけあるなどと思ってはなりません。双方ともに、このような問題は、容易に、または迅速に解決できるものであるなどと思ってはなりません。双方ともに、この問題の解決はバハイ信教外の機関によって着手され、好ましい環境が造られるまで確信をもって待つことができるなどと思ってはなりません。双方ともに、真心からの愛、非常な忍耐強さ、真の謙遜、完璧な如才なさ、堅実なイニシアチブ、円熟した英知、そして慎重で、根気強い、祈りを込めた努力なしに、この明らかな邪悪が、かれら共通の国家の名声につけた汚点を消すことができるなどと思ってはなりません。むしろ、アブドル・バハがあれほど強く懸念された危険な進路を逸らし、その国の栄光ある運命の実現に、かれが望まれた双方の共同貢献を成就させるためには、信教外で作動している勢力や組織よりも、相互間の理解、親交、そして持続的な協力に依らなければならないことを、信じ、納得しなければならないのです。
二重の聖戦
親愛なる友らよ! 党派や派閥からなる国の政治生活の特徴は欺瞞や腐敗ですが、それと比べて著しい対照をなす公正な行動。多数の市民の性格は道徳の緩みと放縦で汚染されていますが、それと正反対の高潔さと純粋さ。国民の大半は人種偏見ののろいで汚されていますが、それから完全に清められた人種間の友情。以上は、アメリカの信者たちが二重の聖戦で使用でき、そして使用しなければならない武器です。まず、自分たちの共同体の内的生活を再生させ、つぎに国内の生活で自分たちに食いこんできた長年の邪悪に取り組まなければならないのです。それらの武器を完成させること、それらのすべてを賢く、効果的に用いることは、特定のプランの促進や特別の企画の案出や物的資源の蓄積よりも、かれらが将来運命の手に導かれて世界秩序を生み出し、運営するときの準備となるのです。その世界秩序は現在、世界中の信教の行政機構内で次第に発展しています。
この二重の聖戦を行う中で、バハオラ御名と大業のために戦っている勇敢な戦士たちは、必然的に強硬な反対に会い、多くの敗北をこうむらなければなりません。かれら自らの本能、それに劣らない保守的勢力の猛威、支配階層の反対、快楽を求める堕落した世代の反抗を十分考慮し、それらに断固として抵抗し、それらを完全に克服しなければならないのです。さし迫った闘争にそなえて守勢手段を組織し、拡大するにつれて、ののしりとあざけりの嵐、また非難と偽りを伝える運動が、かれらに対して始められるでありましょう。かれらはやがて、自分たちの信教が攻撃され、動機は曲解され、目的は侮辱され、熱望は愚弄され、機構は軽蔑され、影響は蔑まれ、権威はひそかに害されてきたことを見出すでありましょう。さらに、かれらの大業は、時折、その理想の本質を理解できないか、または、そのような闘争に伴ってくる高まる批判の矢面に立ちたくない少数の人びとによって放棄されたのがわかるでしょう。敬愛する師はこう予言されていました。「アブドル・バハのため、多くの試練が汝らにやってくるであろう。災難が汝らにふりかかり、苦痛にあえぐであろう。」
しかしながら、バハオラの無敵の軍隊は、かれらに向けられるいかなる批判も恐れてはなりません。この軍隊は、西洋の潜在的な暴風の中心のひとつで、もっとも激烈で、もっとも栄光ある戦いを、バハオラ自身とその御名のためにするようになっているのです。中傷者が、バハオラの軍隊の動機を卑しめるために向けてくるいかなる非難にも妨げられてはなりません。また、共謀して反対してくる狂信、正統派的信仰、腐敗、偏見の勢力の脅威的な進行にひるんではなりません。批判の声は、大業の宣布を間接的に強める声なのです。不評判は、バハオラの軍隊とその敵との違いをより鮮明にさせることになります。一方、排斥そのものは磁石的な力で、それにより、やがて、敵中のもっとも騒々しく執念深い者らをバハオラの軍隊の陣営へ引き入れるでしょう。すでに、信教の最大の戦いが行われた国で、また、もっとも強欲な敵が住む国で、諸事件の進展、その理想のゆるやかであるが着実な浸透、そして予言の実現により、もっとも恐るべき敵のうち何人かの敵意が和らげられ、その性格を変革させてきただけでなく、同時に、信教の創立者に対する確固たる無条件の忠誠を確保したのです。それほど完全な変革、それほどおどろくべき態度の反転は、かの選ばれた機関が、自ら、その除去を願う汚れから完全に清められてこそ成し遂げられるのです。その機関はバハオラのメッセージを、渇望し、不安で、指導者のいない群衆に伝えるように立案されたものなのです。
したがって、わが最愛なる友らよ、わたしは、次のことをあなた方に銘記していただきたいのです。すなわち、この聖なる事業は緊急で絶対に必要であること、それだけでなく、それはあなた方の共同体の生活と活動と、あなた方が属している人びとの間の関係を左右する動機と基準を高いレベルに引き上げる限りない可能性をもっていることを銘記していただきたいのです。あなた方がこの事業の困難を恐れず、現代の課題に直面されるであろうことをわたしは確信しています。現代は、大変な危機にはらみ、とてつもない腐敗がはびこっていますが、同時に非常に明るい未来の約束に満たされています。その栄光は人類の史上、どの時代も匹敵できないものです。
親愛なる友らよ! わたしはこの文書の冒頭で、重大な責任と同時に栄光ある機会について述べようと努めました。それは、拡大したバハオラの信教が迫害され、その結果として、アメリカの信者の共同体が直面しているものです。この時期は、形成期にある信教のきわめて危険な段階で、世界史上実に重大な時代であります。わたしはまた、その使命の特質を十分説明しましたが、それは、それほど遠くない未来に、共同体が状況の推進力で立ち上がり、成就しなければならないものです。さらに、わたしはその未来に横たわっている事業を、より明確に理解し、よりよく遂行するために必要だと感じた警告をも口にしました。そして、わたしの力で出来る範囲で、その高遠で力強い美徳、その高尚な基準を説明し強調しました。それらは、取得するのに困難ですが、それにもかかわらず事業の成功に必要な基本条件なのです。ここで、かれらの当面の事業の物質面に関して少々述べるべきだと思います。この事業が、定められた時に終了する時点で、アブドル・バハが心に描かれた神の計画の次段階が開かれますが、時が満ちて、より偉大な使命に必要な義務と責任を果たせる諸能力も取得されなければなりません。その使命は、かれらの特権なのです。
礼拝堂の装飾とティーチング活動の拡大という二重の面を持ち、北米と南米大陸にわたる七年計画は、現在、二年目に入りましたが、この何ヶ月間、その進歩を観察してきた者は、大いに励まされるしるし見ることができます。それは、定められた期間内に目標に達せるという幸先がよいしるしです。礼拝堂の外部装飾に関連して達成されなければならない事業、そのあらゆる面を包含する事業、を進める次の手段はほとんど獲得されました。ついに、三十年間にわたる事業の輝かしい終了をしるす最終段階に入ったのです。この歴史的な殿堂の一階の主要部に関する最初の契約は調印されました。最も聖なる葉の最愛なる名前に関連する基金も設置されました。これほど称賛すべき事業が最後まで継続できることが、これで保証されたのです。この聖なる殿堂の上部構造の構築を大変喜ばれた方を鮮明に思い起こすことは、その完成に要する最後の努力を一層活気づけ、建築者たちはその事業を立派に完成できないと思っている人たちの疑問を取り除くでありましょう。
ティーチングの必要条件
ここで、この計画のティーチング面を考慮する必要があります。この課題に応え、その必要条件を研究し、考察し、実施しなければならないのです。西洋の最初の礼拝堂は、規模は壮大で、建築様式は独特で、それが象徴している理想と抱負は貴重でありますが、現在は大業をより効果的に宣伝し、その教えをより広く普及させる手段と見なされるべきであります。この点において、それは、信教の理想、信条、真理を適切に広めるための手段として設立された信教の行政機構と同じと見なさなければなりません。
したがって、アメリカの信者の共同体は、七年計画のティーチングの必要条件に、慎重で不断の注意を向けなければならないのです。全共同体が、一体となって、その必要条件を満たさなければなりません。神の大業をティーチングすること、その真理を宣布すること、その主張を擁護すること、言葉と行動でその不可欠性、その影響力と普遍性を立証することは、行政会であれ、委員会であれ、いかなる場合にもバハイ行政機構の独占的な業務または自分たちだけの特権などと見なすべきではありません。いかに身分の低い出身であっても、いかに経験が限られていても、いかに資力が制限されていても、いかに教育が不足していても、いかに煩労や急務に追われていても、いかに生活環境が不利であっても、すべてが参加しなければならないのです。バハオラ自ら紛れもなくこう述べておられます。「神は、その大業を教え広める義務をすべてに定められた。」さらにこのようにも書かれています。「言あげよ。バハの人びとよ、神の大業を教え広めよ。なぜなら、神はすべての者に、神のメッセージを宣布する義務を定め、それをすべての行為のうち、最も称賛すべきものと見なされたからである。」
共同体で高い地位を占める者には、特権や特典が与えられていますが、避けられない責任もあります。すなわち、その人には、疑いもなく神の信教を教え広め、促進するという義務があるのです。高い地位にあれば、信教の知識を広め、信教の機構を支持する人たちを勝ち取るのによりよい機会と便宜をもつかも知れません。しかし、これは時折であって、常にそうであるとは限りません。しかしながら、いかなる場合においても、信教を提出された人たちの知性と心に、かならずしも、より強い影響力を及ぼすとは言えないのです。信教の初期の歴史は、その誕生地で、多くの顕著な証拠を提出していますが、信教のもっとも身分が低く、無学で、無経験で、無経歴で、ある場合には知性に欠けた者らが、大業のために幾度となく勝利をもたらすことができたのです。それらの勝利の前では、学識があり、賢明で、経験のある者たちのすばらしい業績さえも見劣りがしたのです。
アブドル・バハは、こう証言されています。「教会史によれば、ペテロは一週の曜日を数えることができなかった。魚釣りに出かけるときは、一週間分の食べ物を七つの包みに分けてたばね、毎日、その一つを食べた。七つ目の包みにきたとき、安息日が来たことを知り、それを守ったのである。」もし「人の子」が、それほど無教養で無力の人間に、バハオラの言葉によれば、「かれの口から英知と言葉の神秘を流れ出させる」ほどの力を注ぎ込む込み、残りの使徒以上にかれを高め、教会の後継者、創立者となしたのであれば、「御父」であるバハオラは、信者の中で、もっとも取るに足らない身分の低い者をして、その目的遂行のために、イエス・キリストの最初の使徒の偉大な業績を小さく見せるほどの驚嘆すべき業績をさせることができるのです。
さらに、アブドル・バハはこう書かれています。「バブはこう述べられた。『今日、ちっぽけなアリが、コーランのもっとも難解で、もっとも途方にくれさせるような句を解明できる力をもちたいと望むならば、その望みは間違いなくかなえられよう。永遠の力の神秘は、万物の内奥の存在内でうち震えているからである。』それほど無力な生き物に、それほど不思議な力が付与できるならば、バハオラの恩恵の豊富な発露を通して放された力は、どれほどの効力をもつものであろうか。」
実に、活動の場はひじょうに広大で、この時期は非常な危機をはらみ、大業はまことに偉大で、働き手は実に少なく、時間はあまりにも短く、特権は実に貴重であり、バハオラの信教に従う者ら、かれの御名を伝えるのにふさわしい者らは一瞬間のためらいも許されない。神から生み出された力、そのすさまじい力は阻止できないもので、その勢力は計り知ることはできず、その進路は予想できず、その働きは神秘的で、その顕示は畏敬の念を起こさせるものです。この力はバブが書かれているように、「万物の内奥の存在内でうち震えている」もので、また、バハオラによれば、「そのうち震える影響を通して、世界の均衡が崩れ、その秩序ある生活が変革された」のです。その力はもろ刀のように、われわれの眼下で、一方において、文明社会の構造を何世紀も保ってきた古来のきずなを裂き、他方において、揺籃期にあり、まだ未解放のバハオラの信教を拘束しているかせを緩めています。アメリカの信者たちは、この勢力により生み出された予想もしない機会を、十分に大胆に活用しなければならないのです。アブドル・バハはこう書かれています。「天の群集の聖なる人びとは、今日、最高の楽園で、この世にもどることを熱望している。かれらがアブハの美の敷居で奉仕するのを援助し、その聖なる敷居への献身を示すことができるように。」
宗教の光が着実に消えて薄暗くなり、盲目的で勝ち誇った国家主義の爆発力でうねる世界。人種面であれ、または宗教面であれ、無情な迫害の火で焦土化した世界。神の崇拝とその神聖なる法律に取って代わろうとしている誤りの理論と教義にまどわされている世界。はびこる粗暴な物質主義で気力をうばわれた世界。道徳と精神的退廃の腐食的影響によって崩壊している世界。経済の混乱と競争の渦巻きに巻き込まれた世界。以上が、人びとの眼に映っている光景です。それは、この大変革の力は、まだ初期の段階ですが、現在、全地球の生命にもたらしている大変革の結果なのです。
バハオラの目的、予言、約束に気付いていない傍観者はすべて、この光景を大変悲しく、哀れで、途方にくれさせるものと見るに違いありません。しかし、これはバハオラの信者たちの心に不安をあたえたり、またはその努力を麻痺させたりするものではありません。それどころか、かれらの信仰を深め、アブドル・バハのペンが示した広大な領域において、バハオラが宣言された世界救済事業で、自らの役割を果たす能力を示したいという強い熱望をかきたてるものなのです。かれらが、数年間に努力して設立した行政機構のすべての道具は十分に利用されなければなりません。また、設立目的のために用いられなければなりません。礼拝堂は、実にまれな自己犠牲の精神が具体化されたものでありますが、同様に、その役割を果たさせ、西半球全体を包含するように企画されているティーチング活動に貢献させなければなりません。
現代の動乱がもたらしている機会――それが喚起している悲嘆のすべて、それが引き起こしている恐怖、それが生み出している幻滅、それがもたらしている困惑、それが起こしている憤り、それが誘発している反乱、それが引き起こしている不平、それが呼び起こしている不断の探求精神――も同様に、バハオラの信教の救済力の知識を広範囲に広める目的のために、そして絶えず増加しているバハオラの信者たちの軍隊に新しい加入者を入れるために利用されなければなりません。これほど貴重な機会、これほどまれに有利な状況の巡り合わせは、ふたたび起こることはないでしょう。最大名の軍勢の前衛であるアメリカの信者たちにとって、今が定められた時で、特別に企画された行政秩序の機関と方針を通して、自分たちの能力と覚悟を宣言する時なのです。それは、神に反抗し、その警告を無視して没落し、ひどい試練を受けている世代を救済し、信教の砦だけが提供できる完全な安全保障を提供するためです。
したがって、北アメリカ共和国諸州とカナダの領土のいたるところで開始されたティーチング活動は、より重要で緊急となっているのです。このことを過大評価しすぎることはないのです。アブドル・バハの遺訓で放された創造的なエネルギーにより着手され、それから生み出された推進力で西半球にすさまじい勢いでひろがっているティーチング活動は、一定の原則にそって実施されなければならないと感じます。それは効果的な行動を保証し、目標達成を早めるように企画されたものです。
その活動に参加する人たちは、組織者としても、その事業実施を託された働き手としても、義務遂行の重要な準備として、信教の歴史と教えのさまざまな面に精通していなければなりません。この目的を達するために、かれらは自ら、信教の文献を注意深く、勤勉に学び、教えを丹念に調べ、法律と原則を吸収し、その忠告、信条、目的を熟慮し、その勧告と祈りのいくつかを暗記し、その行政の基本を習得し、その目下の業務と最近の発展に通じていなければなりません。かれらは、公平な権威筋から、イスラム教の歴史と教えの正確な知識を得る努力をしなければなりません。それは、信教の源泉であり、背景なのであります。そして、先入観を除いた敬虔な心で、コーランの研究をしなければなりません。それは、バビとバハイの啓示の聖典以外では、完全に権威のある神の言葉の宝庫と見なされることができるからです。また、信教の源泉と誕生に直接関連する機構と情況、その先駆者が主張した地位、その創始者が啓示した法律の調査に特別の注意を払わなければなりません。
それらのティーチングの分野における成功の必要条件を習得したあと、ラテンアメリカ諸国での特別の使命の達成を考慮するときは、出来るかぎり、それらの国々の住民の話す言語にある程度上達し、かれらのしきたり、習慣、視点についての知識を得る努力をしなければなりません。アブドル・バハは、神の計画の書簡のひとつで、中南米共和国に言及して、こう書かれています。「それらの地方に行く布教者たちは、スペイン語にも通じていなければならない。」かれは、ほかの書簡でもこう書かれています。「かれらの言語を話す一行は、太平洋諸島の三つの大グループに顔を向け、くまなく旅しなければならない。」さらに、こうも書かれています。「異なった方向に旅する布教者たちは、入国先の国の言葉を知らなければならない。たとえば、日本語に堪能な人は日本に旅し、中国語を知っている人は中国に急ぐといったように。」
北米・中南米諸国間のティーチング活動に参加する者は、この事業に関する活動を率先するのは、行政会や委員会といった諸機関だけの責任であると思ってはなりません。それらの機関がとくに関わるのは七年計画の重要な目標達成を促進し、容易にすることであります。すべてのアメリカ人信者は、アブドル・バハの神の計画の忠実な受託者として、必ずしなければならない義務があります。それは、信教の行政原則で定められた限界内で、この計画を助成するために着手したいと思う活動を率先し、促進し、強化することです。危機をはらんだ世界情勢も、物的資源、精神的準備、知識、経験――それらは望ましいものですが――の不足によっても、パイオニアの布教者が独自で立ち上がり、アブドル・バハが幾度も保証された力を動かし始めることを阻まれてはなりません。その力は、ひとたび放されると、磁石のように、バハオラの約束である間違いのない援助を引きつけるからであります。立ち上がる人は、自分の属する共同体で選出された代表からの指図を待ったり、何か特別の激励を期待したり、自分の親族や同胞市民が自分の道に置こうとする障害にひるんだり、非難者や敵の咎めを気にかけたりしてはなりません。
バハオラは、かれの大業のすべての布教志願者にこう忠告されています。「神の教導の夜明けをもたらした御方の教えを伝えるとき、何にも拘束されない風のごとくあれ。しばし風について考えてみよ。風は神の命令に全く忠実に、人が住んでいようと、無人であろうと地上のあらゆる地域に吹き渡るのである。荒涼たる風景も、繁栄の姿も、風を苦しめたり、喜ばせたりできない。風はその創造主に命じられるままにあらゆる方向に吹くのである。」バハオラはまたほかの箇所で、そのような布教者に言及して、このように明らかにされています。「主の大業のために、自分の家を離れる決意をしたとき、旅の最上の準備として、神に絶対の信頼を置き、美徳の衣服で自らを飾らなければならない……。もし、その者が神の愛の炎で燃え立ち、全創造物への愛着を捨てるならば、その者の口にする言葉は、聞き手に火をつけるであろう。」
自ら率先し、敵であれ味方であれ、かれらが故意または無意識にその道を遮ろうとする妨害にもひるまず立ち上がり、ティーチングの呼かけに応じる決意をした者は、つぎのことを考慮しなければなりません。つまり、信教の仲間に入れようとしている人びとの注目を捕らえ、関心を維持させ、信仰を深めさせるために用いるあらゆる接近方法を慎重に考えることです。自分特有の生活環境がもたらす可能性を探り、その利点を評価し、心に決めている目標を達成するために、それらを賢明に、系統立てて利用することです。また、大業の教えや理想に似通っている論題、つまり、禁酒、道徳、社会福祉、宗教的・人種的寛容、経済協力、イスラム教、比較宗教といったものを扱っているクラブ、展示会、団体、講演と関わる方法を案出することです。あるいはまた、社会的、文化的、人道主義的、慈善的、教育的組織や事業に参加する方法を工夫することです。そうすれば、信教の高潔さを保護する一方、接触する人びとの共感、支持を得、最終的には、それらの人びとの忠誠を次々と得られるさまざまな方法や手段が開けてくるでしょう。そのような接触がなされている間、信教の威厳と地位を保ち、その法と原則の高潔さを擁護し、その包括性と普遍性を立証し、その多岐にわたる重要な利益を恐れなく守るために、信教が絶えず要求している主張を心にとどめておくことです。まず、聞き手の受容力を考慮し、直接または間接的なティーチングの方法のいずれかが適しているかを定め、それにより、探求者に神のメッセージの重要性を認識させ、すでに信教を受け入れている人びとと運命を共にするように納得させることです。
布教者は、アブドル・バハの模範とその不断の忠告を思い起こさなければなりません。つまり、探求者に親切心を降り注ぎ、自ら教えの精神を示すことです。それは、受け手がそのような教えを包含する大業に無意識に共鳴するほどでなければならないのです。最初は、探求者の新しく目覚めた信仰に、あまりにもきびし過ぎると思われる法律や規則を主張することを控えなければなりません。そして、忍耐強く、如才なく、しかも断固として、その人が十分に成熟するように育て、バハオラの定めを無条件に受け入れるようになるまで援助しなければなりません。その段階に達したらすぐ、同胞信者たちに紹介し、不断の交際とその地方の共同体活動への活発な参加をとおして、共同体生活の発展、その事業の促進、その利益の強化、姉妹共同体との活動の調整に貢献させなければなりません。そして、自分の精神的子供が、自分に代わって立ち上がり、ほかの人びとを覚醒するために献身し、新しく受け入れた信教の法律と規則を支持したいという強い願望を持つまで満足してはならないのです。
アメリカの信者たちが始めた大陸にわたる運動の参加者たちはすべて、とくに新しい地域でパイオニアとして活動している者たちは、つぎのことを銘記しなければなりません。それは、共同体全体のティーチング活動を指導し、調整し、促進するように定められた諸機関と密接かつ不断の連絡を取らなければならないことを忘れないことです。たとえそれが、自分たちが選出した全国代表の一団であれ、その主な補助機関である全国ティーチング委員会であれ、その従属機関である地域ティーチング委員会であれ、地方精神行政会とそのティーチング委員会であれ、バハオラの大業を広めるために努力している者たちは、信教の普及のために設立されたそれらの諸機関とつねにアイディアの交換をしなければなりません。また、手紙、回覧、報告、会報やほかの通信手段をとおして、かれらの行政秩序のティーチング機関が、円滑かつ迅速に働くようにしなければならないのです。そうすることにより、混乱や遅れや努力の重複やエネルギーの消散が完全に避けられ、バハオラの恩恵の強大な流水がそれらの重要なチャンネルをとおして豊富に、妨害されることなく流れ出て、人びとの心と魂を満たし、アブドル・バハが繰り返し予告された収穫をもたらすことができましょう。
ティーチングの指示は、すべての者が従うべき非常に重要なもので、それを生活のあらゆる面での最大関心事とする精神的な義務は、この総力を傾けた活動への参加者のすべてにかかっています。この活動は、アメリカのバハイ共同体の歴史で先例のないものです。日々の活動や交際において、ビジネス旅行やそのほかの旅行において、休日や遠足において、ほかの使命を果たすように依頼された活動において、バハオラのメッセージを担うすべての者は、バハイ信教の種をいたるところに広めることを義務としてだけでなく、特権と考えるべきです。また、そのメッセージへの直接の反応がどんなものであれ、それを伝える手段がどれほど不十分であれ、信教の創設者の力は、適切な時期に、それらの種を発芽させ、だれも予知できない情況において、収穫を豊かするという確信で満足しているべきです。その収穫は、信者たちが努力して得るでありましょう。
もし精神行政会のメンバーであれば、その人は行政会の会合たびに、ティーチング活動の促進、または、その進歩、拡大、強化に利用できる資源を集める方法や手段を、真剣に祈りをもって考慮するために一定の時間を捧げるように、その行政会を励ますべきです。サマースクールに出席するときは――だれもが例外なく出席するように激励されるべきですが――そこでの講義、研究、討論をとおして、信教の基本的な知識を深める貴重な機会と見なさなければなりません。それにより、より深い確信をもって、そしてより効果的に、自分に託されたメッセージを伝えることができるようになりましょう。さらに、実行できるときに、ほかの共同体を訪問し、ティーチングへの熱意を励まし、また外部の人びとに大業の促進者たちの熱心さと機敏さ、またその機構の有機的和合を示さなければなりません。
この運動は、西欧圏全体のすべての人種、共和国、階級、宗派を包含しますが、それに参加している者らの中で、立ち上がりたいと望む者は、情況が許せば、とくに、黒人、インディアン、エスキモー、ユダヤ人の諸民族に特別の注意を向け、かれらが信教を真心から信奉するように努力しなければなりません。現時、以上の諸民族のメンバーを多数信教に入れることにより、アメリカバハイ共同体のメンバーの多様性が高まるのです。神の大業への奉仕で、この努力に成功すること以上に立派で、賞賛すべき奉仕はありません。これらの非常に異なった人類の要素が混り合い、すべてを包含するバハイ友愛の組織に調和よく織り交ざっていること。そして、神が定められた行政機構のダイナミックなプロセスを通して融合され、それぞれバハイ共同体生活の強化と繁栄にその分け前を寄与していること。以上は確かに、ひとつの業績であり、それを熟慮すれば、すべてのバハイの心は温まり、感動にふるえるに違いありません。
アブドル・バハはこう書かれています。「庭園の花々を考えてみよう。種類、色彩、外見、形もそれぞれ違っているが、同じ泉の水で活気を得、同じそよ風で生き返り、同じ太陽の光線で元気づくのである。したがって、この多様性は花々の魅力を増し、一層美しくするのである。庭園のすべての花や草、葉っぱやつぼみ、果実、枝、木がすべて同じ形と色彩をもっていれば、何とつまらなく見えるであろうか。色彩、外見、形の多様性が庭園を飾り、豊かにし、効果を高めるのである。同様に、多様な思考、気質、性格がひとつの中心的な力の影響下に集められると、人間完成の美と栄光が顕わされ、明示されるのである。万物の実体を支配し超越する神の言葉の天力以外は、人間の子供たちの多様な思考、情感、観念、確信を調和することはできない。」
アブドル・バハは自らの希望をこう述べられました。「わたしの望みは、汝らがしいたげられた人種(黒人)が栄光を得、白人種と共に、最高の誠実さ、忠実さ、愛情と純粋さをもって、人間界に奉仕するように援助することである。」さらに、こう書かれています。「人類の和合と結束に影響をおよぼす重要な問題のひとつは、白人種と有色人種の親交と平等である。」アブドル・バハはまた『神の計画の書簡』にこう書かれました。「アメリカの原住民であるインディアンを非常に重要視しなければならない。なぜなら、これらの人びとは、アラビア半島の古代の住民にたとえられるからである。かれらは、モハメッドの啓示以前は野蛮であった。しかし、モハメッドの光がかれらを照らしたとき、かれらは強く燃え立ち、世界に啓蒙の光を注いだのである。同様に、これらのインディアンが教育を受け、正しく導かれるならば、疑いなく、神の教えをとおして十分に啓蒙されるため、全世界が照らされるであろう。」
アブドル・バハは、このようにも書かれています。「可能であれば、布教者たちをカナダのほかの地方に送るがよい。同様に、布教者たちをグリーンランドとエスキモーの居住地に急送させるがよい。」さらに、その同じ書簡にこのようにも書かれています。「神の御心であれば、王国の呼び声がエスキモーの耳に届くように願う。汝らが神の芳香をエスキモーの間に放散する努力をするならば、その効果は強烈で、遠くまで及ぶであろう。」アブドル・バハはこう書かれています。「神に賛美あれ。祝福された書簡でイスラエル人たちに告げられたこと、そして、アブドル・バハの手紙に明白に書かれたことはすべて実現される。ある事はすでに起こった。ほかの事は今後明らかにされよう。古来の美は、聖なる書簡で、かれらの屈辱の時代が終わったことを明白に書かれている。神の恩寵はかれらに投げかけられ、この民族は日々進歩し、長年にわたる無名と卑しい状態から救われるであろう。」
全国精神行政会または全国、地域あるいは地方ティーチング委員会のメンバーとして行政上の地位を占めている人たちは、このことをつねに心に銘記していなければなりません。すなわち、北米の残りの州とカナダの地方に、できるだけ短期間に、いかに小規模で初歩的なものであっても、グループを設立するという重要かつ緊急な必要性であります。そして、それらの新しく設立された土台が、すみやかに、堅実な方針に沿って正しく機能し、自足でき、認められる行政会に進展するように、可能なかぎりの便宜を与えなければなりません。
アメリカのバハイ共同体の各メンバーは、そのような土台、そのような前哨基地の建設に、熱烈な支持を惜しみなく与え続けなければなりません。この仕事は疑う余地もなく困難ですが、極度に必要とされるもので、また心を奮い立たせるものです。選出された代表者たちが案出する方法は賢明で、計画も非常に実際的で十分に考慮されたものかもしれません。しかし、十分な数のパイオニアが必要な犠牲をはらい、それらの計画を実施するために自発的に参加することを決断しなければ、満足できる結果を生み出すことはできないのです。
それらの処女地の中心にバハオラの旗を最終的に植え込むこと。それらの町や村にバハオラの行政機構の土台を建設すること。住民たちの頭と心に、その機構のための堅固で永続する錨地を確立すること。以上は、七年計画のもとで始められたティーチング活動が通過しなければならない段階の最初のまたもっとも意義深い一歩であると、わたしは固く信じるのです。この同じ計画の下で、礼拝堂の外部装飾は今最終段階に入りましたが、ティーチング活動はいまだに最初の段階にあり、それらの処女地、または南米大陸にあるそれらの共和国に、その分枝を効果的に伸ばすにはほど遠いとところにあります。それに要する努力は大なるもので、それらを予備的に確立するための状況は、しばしば、魅力に欠け、都合の悪いもので、そのような仕事に着手できる働き手は限られており、かれらが使用できる資源は乏しく、不十分です。しかも、バハオラのペンは、どれほど何度も次のように保証されていることでしょうか。
「ある人が、まったく独力で、バハの名の下に立ち上がり、その愛のよろいを身につければ、全能の神は、天と地の勢力が向かってきても、その者に勝利を得させるであろう。」かれはまた、このようにも書かれていなかったでありましょうか。「神にかけて誓う!神のほかに神は在さず。だれかが、われらの大業の勝利のために立ち上がるならば、何万という敵が攻めてきても、神はその者に勝利を得させるであろう。また、われに対する愛が深まるならば、その者に天と地のあらゆる勢力を制圧させるであろう。」アブドル・バハはこう書かれています。「以前の世代の業績を考えてみよう。イエス・キリストの生存中、確固たる信仰をもった者らは少数であったが、天の祝福が豊富に下されたため、何年かのうちに、無数の人びとがその教えの庇護のもとに入った。神はコーランの中でこう言われた。『一つの穀粒は七つの束をもたらし、各束は百個の穀粒を含む。』すなわち、一粒は七百の粒となり、また、神が望まれるならば、その倍にもされるであろう。聖なる人がひとりで一国を導いたことがしばしばあった。今、自分の才能や能力を考えてはならない。むしろ現在においては、一滴から海を造り、原子から太陽を造った神の恩恵と恩寵に目をすえなければならない。」それほど偉大な大業の旗を、そのような情況の下で、そのような地域で、最初にかかげる決心をする者には、力を支えるつぎの言葉で、魂を培わせなければなりません。また、「かれの愛のよろいを身につけ」なければなりません。その愛は、かれらが、単独で取りかかる仕事に忍耐するにしたがい、「一層深まって」いかなければなりません。かれらの行動の話は自国の精神的歴史の輝かしいページを飾るでありましょう。
アブドル・バハは、『神の計画の書簡』の中で、こう書かれています。「神に賛美あれ、合衆国のほとんどの州と都市に、神の芳香は放散され、多数の人びとが神の王国に顔を向け、前進して来ているが、いくつかの州には、そうであるべき和合の旗はまだ掲げられていない。また、旧約聖書、新約聖書、またコーランといった聖典の神秘は解明されていない。友ら全員の共同一致の努力で、和合の旗がそれらの州に掲げられ、神の教えが促進されなければならない。それらの州もまた、天の贈り物の一部と最大の導きの分け前を受け取れるようにである。」
アブドル・バハはまた、ほかの「神の計画の書簡」で、こう主張されています。「カナダ連邦の未来はひじょうに偉大で、大業に関連する活動は限りなく栄光あるものである。神の慈愛の目はカナダに向けられ、カナダは、全栄光者の恩恵を顕すものとなろう。」かれは、同じ書簡の中で、以前の主張を再確認されています。「また繰り返すが、カナダの未来は物質面から見ても、精神面から見ても、ひじょうに偉大である。」
ラテン・アメリカの覚醒
これらの北米大陸における未開の州に、少なくとも一つのセンターを設立するという最初の一歩が取られた直後、バハイ共同一致の努力を強化するための組織が設置されなければなりません。現在、わずか少数の信者たちだけがラテンアメリカ諸国をバハオラの召集に覚醒させるために貴重な努力をしていますが、それを強化するのがその目的なのです。七年計画におけるティーチング活動のこの第二の段階に入るまでは、この活動は十分に始められたとは見なされません。また計画そのものも、その発展におけるもっとも決定的な段階に達したと見なされないのです。すでに行政範囲内で、主な殿堂の壮麗な外部装飾を終え、ティーチングの分野では、北米大陸のすべての州に、信教の旗を高々と掲げた勇敢な共同体に注がれる神の恩恵の発露はまことに強大でありましょう。その発露の偉大さに、共同体のメンバーは、その再生力の証拠に圧倒されるでありましょう。
米大陸間委員会は、この段階で、いやその段階以前に機会をとらえ、引き受けた責任にふさわしい活力、献身、企業心を示さなければなりません。そして、中南米は20余の独立国を包含することを一瞬も忘れてはなりません。その数は、世界の独立国のおよそ三分の一を占め、世界の今後の運命の発展にますます重要な役割を果たすように定められているのです。世界は縮小して隣国同士となり、諸民族、諸国家、諸国民の運命は解けがたく織り交じり合い、西欧圏諸国への距離のへだたりも消えつつあり、それらの国々に潜在している発展性は一層明らかになってきています。
七年計画の下で、ティーチング活動と事業が第二段階に達し、その遂行に必要な機関が作動し始めるとき、この強大な運動の勇敢なパイオニアであるアメリカの信者たちは、バハオラの確実な光に導かれ、アブドル・バハが立てられた計画に完全に従い、全国精神行政会の指示のもとで行動し、米大陸委員会の援助を確信して、暗黒、腐敗、無知の諸力に対して攻勢を始めなければなりません。その攻勢を南米の最端まで拡張させ、その範囲内に、20ヶ国のすべてを包含させなければなりません。
まさしくこの機会に、立ち上がる者たちは身体を引き締めて、故郷の町、都市、地方を逃れ、自国を放棄し、「旅の最上の準備として神に全信頼を置き」、それらの遠隔の地方、処女地、まだバハイに開かれていない都市に顔を向け、一歩を踏み出し、人びとの心の砦をとりこにするために全力をつくさなければなりません。バハオラは、人びとの心について「啓示と言葉の軍勢が征服できるもの」と書かれています。同朋の働き手がティーチング活動の最初の段階を通り過ぎるまで待つことなく、むしろ、今すぐ、立ち上がらなければならないのです。これは信教の国際面の歴史上もっとも栄光ある章の一つと見なされるようになる最初の段階を迎え入れるためであります。
まず最初に、「自らの言葉が聞き手の心を惹きつけるように自ら自身を教え」なければなりません。信教の勝利を、自らの「最高の目標」と見なし、神がこの時代に注がれた恩恵を運ぶ「容器の大小を考慮」してはなりません。そして「この世とその虚飾への愛着のすべてから自らを解き放ち」、超脱の精神をもって、それらの多様な民族と諸国に、神とその崇高な顕示者を思い起こさせなければなりません。その超脱の精神は、アブドル・バハが模範を示され、それを見習うように望まれたものです。「すべての柱が揺れ、人の皮膚にむしずが走り、すべての目が恐怖で見張る」日に、神の愛を「魂の宝庫」としなければなりません。
魂を「宇宙の水もその熱を冷やせないほどに、世界の中心で燃える不滅の火炎で輝かせなければならない。」かれらは「荒涼たる風景を見ても、繁栄の姿を見ても、苦しんだり喜んだりしない風のように自由で」なければなりません。そして「舌をゆるめ、この大業を絶え間なく宣言」しなければなりません。かれらは「主の大業の奉仕において、最大聖霊から鼓舞されることを宣言」しなければなりません。かれらは「だれとも争わないように注意し、それどころか、親切な態度と納得のゆく熱心な勧告で、聞き手が真理に気付くように努力しなければなりません。」かれらは「全く神のためにその教えを宣言し、自分の言葉に聞き手がどのように反応しようと、同じ精神で受け入れなければなりません。」かれらは「忠実な精神の力で強められること」、そして「その選ばれた天使たちが、全能者、全賢者に命じられた通り、かれらと共に歩くこと」を忘れてはなりません。かれらは「全能者に仕える栄誉を得た者らに用意されている祝福がどれほど偉大であるか」をつねに銘記し、「そのような奉仕は、すべての偉業の王子であり、すべての善行の飾りであること」を心に留めておかなければなりません。
そして最後に、かれらは、南米大陸の隅から隅まで進んでゆくとき、バハオラの魂を揺り動かす言葉をつねに口にし、心の慰めとし、行路の明かりとし、孤独さの伴侶とし、旅の日々の糧としなければなりません。「おお、神の道を旅する者よ! 神の恩恵の大洋より分け前を得、その奥底に秘められたものを逸してはならない……。この大洋の一滴が天と地にあるすべてに注がれるならば、それだけで十分にかれらは、全能者、全知者、全賢者である神の恩寵で豊かになるであろう。愛着を離れた手で、この大洋より生命の水を汲み取り、全創造物にふりかけよ。それにより、すべては人間が造り上げたあらゆる限界より清められ、神の強大なる座であるこの神聖で輝かしい場所に近づくことができよう。たとえこの活動に従事するのは自分ひとりだけであっても嘆いてはならない。自分にとって神だけを完全に満ち足りるものとせよ……。天と地に在るすべての者に、主の大業を宣言せよ。その呼びかけに応える者には、主なる神の英知の真珠を明らかに示すがよい。その英知は聖霊から下されたものである。汝は真に信じる者であれ。また、汝の呼びかけを拒む者があれば、その者から遠ざかり、あらゆる世界の主に信頼と確信を置くことである。神の正義にかけて誓う! 今日、唇を開き、主の名を述べる者には、全知者にして全賢者なるわが名の天上より、聖なる霊感の軍勢が下ってくるであろう。さらに、天上の集合も各々清らかな光の聖杯を高々とかかげて、その者に下りてくるであろう。これは、神の啓示の領土において、栄光に満ちた最も強力な御方により前もって定められたことである。」
使命遂行のため、確信をもって恐れずに前進するとき、『神の計画の書簡』にあるつぎのアブドル・バハの言葉を耳に残しておかなければなりません。「おお、バハオラの使徒たちよ! 汝らのためにわが命が犠牲にされんことを! ……バハオラが汝らの眼前で開かれた門を見よ! 汝らが到達するようになっている地位は何と高貴で崇高であろうか。汝らに与えられた恩恵はどれほど比類なきものであろうか。」「われは思いを汝らに寄せ、汝らの話が出ると、わが心は躍るのである。わが魂が汝らの愛で輝くのを知っているであろうか。汝らの心は幸福感であふれ、そのためお互いに魅了されるであろう。」「汝らの成功の程度はまだ明らかにされていない。その意義もまだ理解されていない。まもなく、自分の目で、いかに各人が自国の天空で、輝く星のように、神の教導の光を放射し、国民に永遠の生命を与えるかを目撃するであろう。」「わが熱烈な願望は、近い将来、汝らの偉業の結果、全地球がゆり動かされ、覚醒されることである。」「全能なる神は、その恩恵により必ず援助を下されるであろう。汝らに力を与え、魂に聖霊の耐久力を付与されるであろう。」「バハイの数が少ないことを気にしてはならない。また、世界の大多数が信じようとしないことに悩まされてはならない……。努力せよ。汝らの使命は言語に絶するほど栄光あるものである。汝らの大事業が成功すれば、アメリカは確実に発展して、精神力の波がひろがる中心となり、神の王国の御座は堅固に設立され、最高の尊厳と栄光に輝くであろう。」
七年計画を実施するときに、ティーチングの分野で、中南米諸国の各々に少なくとも一つのセンターを設立するということを忘れてはなりません。バハオラの信教誕生の百周年に、すでに着手された計画が成功するとすれば、それらの諸国の各々に、どれほど初歩的なものであっても基礎が敷かれなければならないのです。バハイ年の第二世紀の始まりに、アメリカの信者の次世代が、その基礎の上に、(行政秩序を)築いていくことができましょう。
かれらの仕事は、その後何十年間に、その基礎を拡大し強化し、必要なガイダンス、援助と激励を与えることです。こうして、それらの諸国の広く散在している信者たちのグループがそれぞれ正しく構成された地方行政会を設立することができましょう。それにより、信教の行政秩序の枠組を造ることができるのです。その枠組の建設は、主に北米の信者たちの共同体により神のメッセージに導びかれた人たちの責任であります。その仕事は、すべてのグループを地方行政会に進展させる当面の義務とは別に、行政秩序の全機関を設置することを含まなければなりません。それは、世界中に設立されたすべてのバハイ共同体の生活と活動を管理する精神面と行政面の原則にそって設置されなければなりません。これらの主要で、明白に宣言された原則から逸脱することは、いかなる場合にも許されません。それらの原則は、すべてのバハイ共同体で用いられているバハイ全国、地方行政会の規約に含まれ、保護されているものです。しかしながら、これは後の時代に、この事業を進展させるために立ち上がらなければならない人たちが関わるものです。その事業は事実上まだ効果的に始められていません。
必要な土台
七年計画の実施者たちが、即刻注意を集中させなければならない仕事は、より組織的な方法で、永久的な全国および地方の機構確立に必要な土台を敷くための道を開くことです。米国とカナダ内に残っているいくつかの地方を開くという目下の義務が遂行された直後、その土台設立を目標に精密な計画が立てられるべきです。前述したように、これらの膨大な予備事業のための準備は七年計画の下で行われるティーチング活動の核をなすもので、最終的にその運命を定めるものでなければなりません。その範囲は中南米諸国の全領域を包含しなければなりません。この活動にこそ、目下の計画に関連する厳粛な義務が効果的に果たされるかどうかがかかっており、さらにまた、それに続く段階の漸進的な展開が依存しているのです。それはアメリカの信者たちが、大業の世界的伝播に果たす役割についてのアブドル・バハのビジョン実現に必要なものです。
これらの事業は、ラテンアメリカ諸国の信者たちの次世代が、精力的で組織化された努力をするときの準備であります。これにより、かれらは抜きん出ていなければなりません。これらの事業はまた、一瞬も遅れることなく、全国精神行政会と全国ティーチングおよび北米・中南米諸国間の委員会による開拓者と巡回布教者を送るための入念な調査を要します。その人たちの特権は新大陸で新しい時代の呼び声を上げることです。
わたしは、そのような重大な責任を引き受け、そのような自己犠牲をする人たちに何らかの奉仕をしたいと思うのです。で、わたしができることは、役に立つ提案をいくつか出すことです。それらは、近い将来、実施される偉大な事業の達成を容易にするものと信じます。この事業に、固い決意をもって共同体全体のエネルギーが捧げられなければなりません。これが達成したとき、それは最も重要な歴史的標識とならなければならないからです。開拓者であれ、巡回布教者であれ、バハイの布教者の数は実質的に増加されなければなりません。かれらが使用できる物的資源も倍加され、能率よく管理されなければなりません。かれらが備えておくべき文献も大いに増加されなければなりません。
それらの文献の配布を促進する広報活動も拡大され、中央で組織され、精力的に運営されなければなりません。これらの諸国に潜在している可能性は、念入りに開発させ、組織的に発展させなければなりません。これらの諸国は非常に異なった政治的、社会的状況にありますが、それらは綿密に調査され、決然と克服されなければなりません。つまり、アメリカのバハイ共同体がはじめて着手した最大のティーチング活動の進歩と発展のためできるだけ幅広い堅固な土台を敷くために、いかなる機会も見逃すことも、いかなる骨折りも惜しんではならないのです。
信教の歴史、教えまたは行政秩序に関する重要なバハイ文献を注意深く翻訳すること。出来るだけ多くの共和国にそれらの文献を大量に、それももっとも適切で必要とされる言語で広く組織的に配布すること。以上は、パイオニアたちがそれらの地域に到着すると同時に取られるべき最も緊急な手段と思われます。『神の計画の書簡』の中で、アブドル・バハはこう書かれています。「本とパンフレットはそれらの国々や島々の言語に翻訳されるか、またはそれらの言語で書かれなければならない。そして、すべての地方の隅々まで配布されなければならない。」市当局または有力筋の反対がない諸国では、注意深く表現された記事や書簡をさまざまな機関紙で出版して、この活動を強化すべきです。それらは、信教の感動的な歴史の要点と、その教えの範囲と特色を一般の人々に銘記させるように書かれたものでなければなりません。
巡回布教者であろうと、または開拓者であろうと、現場で働く者たちは、階級、信条、国籍、皮膚の色に関わらず、あらゆる階層の人びとと親切な態度で交わることを不断の最大関心事とすべきであると感じます。そして、かれらの考え、好み、習慣を知り、かれらに最も適したアプローチを研究し、能力と受容性を見せた小数の人たちに集中して忍耐強く、臨機応変に注意を向け、最高の親切さをもって、かれらの心に愛と熱望と献身を刻み込み、その結果、かれらが、それぞれの地方で、だれにも頼らず独立に信教の推進者となるように努力することを不断の最大関心事とすべきだと感じるのです。
バハオラは、このように忠告されています。「おお、バハの人びとよ。親愛と友情の精神をもってすべての人びとと交われ。汝がある真理に気づいており、他人の知らない宝石をもっているならば、この上なく親切で善意を込めた言葉で、それを分かち合わなければならない。相手がそれを受け入れ、目的が果たされたならば、汝の目的も遂げられたことになる。もし、だれかが、それを拒否するならば、その人をそっとしておき、神がその人を導かれるように懇願せよ。その者に不親切にならないように注意せよ。親切な舌は、人びとの心を引きつける磁石である。それは魂の糧であり、言葉に意味の衣をつける。それは、英知と理解の光の泉である。」
さらに、バハイ諸機構の代表者たちだけでなく、ティーチングを予定している者たち、同じくそれらの土地への訪問やその大陸に移住する特典を逸したほかの信者たちによる努力が必要です。その努力とは、それらの国々の市民、または何らかの関係のある人たち――かれらの関心や職業が何であれ――と知り合いになり、かれらの真心からの関心を目ざますすべての機会を捉えることです。アメリカの信者たちは、親切心を示し、文献を与え、関係を結ぶことにより、かれらの心に種をまくことができます。それは、未来の情況の中で芽を出し、予期しない結果を生み出すでありましょう。しかしながら、信教の国際的な利益を促進しようとする熱意から、目的を無駄にしないようにつねに注意を払わなければなりません。つまり、大業を信奉してもらいたいと望む人たちから、自分たちは改宗されているのではないかと誤解される行動を取らないことです。また、かれらに過度の圧力をかけて、かれらを遠ざけないようにしなければならないのです。
パイオニアへの要請
アメリカの信者たちは、現在、緊急を要し、ますます増加しているさまざまな課題に直面して、極度の圧力下にありますが、わたしは、とくにかれらに要請したいことがあるのです。つまり、かれらの職業が何であれ、ビジネスマン、学校教師、弁護士、医師、著述家、サラリーマン、その他の職業であれ、もし可能であれば、生計を立てることができる国に永住するように要請したいのです。かれらがそうすれば、その行動で、一層増大しているティーチング基金への圧迫を和らげることになりましょう。その基金は、限られた範囲で、この膨大な事業の発展にともなう旅費やほかの経費を、ほかから出費できないとき、まかなわなければならないのです。もし、このまたとない聖なる恩恵を受けることができなければ、バハオラの言葉を心に留めて、自分で出来る範囲内で代理人を定めるがよいでしょう。その代理人は、その信者に代わって、その貴重な事業を推進するために立ち上がるでありましょう。
これはバハオラの言葉です。「神の信教の普及に汝の精力を傾けよ。これほど高遠な呼びかけにふさわしい者は立ち上がり、それを促進させよ。それが出来ない者は自分の代わりに、この啓示を宣布する者を任命しなければならない。この啓示の力は、最も強大な組織を震撼させ、すべての山を粉々に砕き、すべての魂を唖然となしたのである。」
自分の故郷と国を離れ、一時的であれ、長期的であれ、それらの地方で奉仕出来る者には、つねに銘記しておかなければならない特別の義務がゆだねられています。それは、かれらの主な目標の一つであるべきですが、ひとつは、その事業促進のため特別に委任された全国委員会とつねに接触を保つことで、もうひとつは、それらの国々の同胞信者たちとあらゆる手段を用いて、また最上の調和をもって協力することです。かれらがどの分野で働こうと、またかれらの地位、能力、経験がいかなるものであってもそうしなければならないのです。
第一の義務を実行することにより、かれらは必要な刺激を得、必要な指導を受けるでしょう。それにより、自分たちの使命を効果的に遂行することができ、また、委員会への定期的な報告により、同胞信者全体に、活動の最新の進展を伝えることができましょう。また、ほかの義務を果たすことにより、能率は確実に上がり、進歩は容易になり、かれらの共同企業の発展を妨げるかもしれない面倒な出来事を避けることができましょう。その遠大な企業を組織するという当面の責任をあたえられている米大陸間委員会と、その企業を実際に遂行し、その分岐をいたる所にひろげている恩恵あるパイオニアたちとの間、同時に、それらのパイオニアたち自身の間で密接な接触と円滑な関係を維持することは、目下の利益は別として、まだ誕生していない世代を鼓舞する尊い模範となりましょう。現在着手された事業はますます複雑になっていきますが、その世代はそれを進めていくようになっているのです。
うたがいもなく、それは非常に重要で価値のあることであります。特にそれらの国々でさまざまな制限が課せられている現今、それらの国々に居住をかまえ、生計を立てることは、大半のバハイのパイオニアたちには困難です。しかし、信者たちのうち何人かが、収入がどれほど少なくとも、独立して生計を立てることができれば、それらの国々に無期限に居住できるように、諸事を整えるべきでしょう。それにともなう犠牲、それに要する勇気、信念、忍耐は、うたがいもなく非常に大変なものです。しかしながら、現在、それらの価値を正しく評価することはできません。また、それを実施する者らが受け取る限りない報酬を適切に表現するもこともできません。バハオラ自らこう証言されています。「わが大業を教え広めるために故郷を捨てた者らは、忠実なる聖霊の威力で強められるであろう……。わが生命にかけて誓う! どれほど偉大な行為であっても、全強力者、最大威力者である神が命じられた行為に比較できるものはない。実に、この奉仕は、あらゆる善行の王子であり、あらゆる立派な行為の飾りである。」
銘記すべきことは、そのような報酬は、単に未来生活に限られた抽象的な祝福と見なされるだけではなく、そのような勇気、信念、忍耐だけがこの物質界で付与できる実質的な利益であるとも見なすべきであります。カナダと合衆国双方を代表する信者たちが、遠隔のオーストラレーシア大陸において、また最近、ブルガリアにおいて達成した精神面および行政面の堅実な業績は、まぎれもなく、その褒美の性質を宣言するものです。この世においてさえ、そのような真正な英雄的行為はその褒美をかならず勝ち取るのであります。バハオラは、自ら愛する者たちを、忘れがたい一節で賞賛されています。「かれの御名にかけて、また、その賛美のために諸国を旅した者らに会った人たちは、その面会で喜びにあふれるであろう。そして、すべての国の住民は全員、その記憶で啓蒙されるであろう。」
優れた貢献
この時点で、わたしは、西欧における信教の開始以来、男性と区別して、バハオラの侍女たちが独力で、地球上の多様で広範囲に散在する諸国に信教をひろめた貢献を思い出し、そのような使徒的な熱意に賞賛の言葉を捧げたいと思います。それは、バハオラの信教の誕生に責任をもった英雄的な男性たちの熱意を実に彷彿とさせるものです。さらにまた、西洋の女性たちは、全世界中にバハオラの信教を設立するために優れた貢献をし、今もそう続けていますが、その意義をも力説したいと思います。アブドル・バハはこのように証言されています。「この聖なる時代を特徴づける奇跡の一つはこうである。すなわち、女性が信教の列に参加とき、男性以上の大胆さを示したことである。」
これほど偉大ですばらしい証言は、特に西洋に当てはまります。また、西洋はこれまでに数多くのはっきりとした確証を受けていますが、歳月が過ぎ去るにつれ、さらに強化されなければなりません。アメリカの信者たちが、七年計画でティーチング活動の最も栄光ある局面を迎え入れるときそうしなければならないのです。アブドル・バハの言葉にある「大胆さ」は、これまで彼女らの業績を特徴づけてきましたが、さらに偉大で高貴な業績の入り口に立つとき、その光彩を失ってはなりません。いやむしろ、時がたてば、ラテンアメリカの広大で未開の全領地でより明らかに示され、最愛の大業のために、これまで以上の感動的な勝利を勝ち取らなければならないのです。
バハイの若者たちへ
さらにまた、アメリカのバハイの若者たちにあてて、とくに一言を宛てたいと思います。これほどの巨大な規模をもつ運動が、若者たちの熱心で進取的な精神に提供しなければならない可能性を概観するにつれて、一言を宛てたいと思うのです。その精神はバハオラの大業の奉仕において若者たちを強烈に活気づけるものです。経験に欠け、不十分な資源に直面していますが、かれらのもつ冒険心、これまでに首尾一貫して示してきた活力、機敏さ、楽天観は、それらの諸国の同胞若者たちの関心を目覚めさせ、かれらの忠誠を確保するために積極的な役割を果たすに適任だと思います。
双方の大陸の人びとに、バハオラの初期の信教の生活と機構を活気づけている若々しい生命力に満ちた力を示すのに、これ以上の強大な証拠はありません。つまり、すべての人種、国籍と階級に属するバハイの若者たちが、バハイ活動のティーチングと行政において、聡明に、根気強く、効果的に参加していることです。そのような参加により、神の大業とその諸機構の発展を、程度の差はあれ、懐疑と憤慨をもって見守っている信教の批判者たちや敵たちは、その疑いの余地のない真理を十分確信できるでありましょう。すなわち、この大業は強力に生きており、その中核は健全で、その運命は安全に守られているということを。そのような参加は信教の栄光、権威、名声を高めるだけでなく、バハイ共同体の若いメンバーたちの精神生活に強く影響し、かれらのエネルギーを刺激し、それにより、かれらは十分に生来の能力を示せるようになり、バハオラの信教の庇護のもとで精神的発展のさらなる段階を展開するようにするように望みかつ祈っております。
パナマの特別の地位
アブドル・バハのペンで定められた憲章の規定に忠実に従い、パナマ共和国の緊急に必要としている諸事の管理を任され、また特別の地位を与えられている人たちの特別の注意を引くのはわたしの義務と感じます。その国は、北米の信教の中心に比較的近い距離にあること、また二つの大陸を結ぶ地理的な位置にあることを考慮してこう感じるのです。アブドル・バハは、神の計画の書簡で、ラテンアメリカに言及して、こう書かれています。「前述したすべての諸国は重要であるが、特にパナマ運河により大西洋と太平洋がつながるパナマ共和国はそうである。そこはアメリカから世界のほかの大陸へ旅するために通らなければならない中心であり、将来、非常に重要なところとなろう。」かれは、ふたたびこのようにも書かれています。「同じく、パナマ共和国に最大の注意を向けなければならない。そこで西洋と東洋がパナマ運河を通して結び合わされるからである。また、それは二つの大洋の間に位置しているからである。その場所は将来非常に重要となろう。そこで教えがひとたび確立されると、東洋と西洋、北米と南米が結び合わされるであろう。」
そのきわめて特権ある位置は、確実に、アメリカのバハイ共同体の迅速で特別の注意を要します。すでに信教に開いているメキシコ共和国とともに、またその首都に正当に設立された精神行政会とともに、バハオラの信教の南方に隣接する国への浸透は、必然で道理にかなった一歩であり、望まれることは、それが困難ではないことが証明されることです。精神面、地理面でそれほど戦略的な位置を占めている共和国に、たとえほんの小さものであっても、ひとつのグループを設立するために、いかなる努力も惜しまず、いかなる犠牲も大きすぎると見なされるべきではありません。そのグループは、すでにアブドル・バハの言葉により付与された力を考えると、その設立直後に、アブハ王国の豊富な恩恵を引きつけざるをえないでしょう。また、それは、バハオラの信教の勢いと力の感動的な証拠をすでに目撃した人たちさえ驚異と賞賛をそそられるほどのおどろくべき速さで発展するでありましょう。確かに、すべてのパイオニア志願者と米大陸間の委員会は、この特権ある共和国の精神的必要性を満たすことを優先すべきです。しかし同時に、グアテラマ、ホンジュラス、エルサルバドル、ニカラグア、そしてコスタリカの諸共和国に、どれほど仮のものであっても、信教を紹介するためにあらゆる努力をすべきであります。それらの共和国を通して、パナマ共和国は北米大陸の母なる諸行政会と連続したくさりでつながるでありましょう。
障害がどれほど大きくても克服すべきです。そのために、バハイ基金の財源は惜しみなく用いるべきです。その覚醒の事業のために、可能なかぎりの貴重な努力が捧げられるべきです。その中心に別の信教の出先機関を設立することは、新世界におけるバハオラの信教の形成期の歴史におけるひとつの画期的な出来事をなすであろうと、わたしは確信します。それは、この偉業を成遂げる人びとの生活に、数え切れないほどの機会をもたらし、その努力を刺激し、その生活を一層活気づけるでしょう。そして、近隣と遠隔の共和国に住む孤立したグループと個人の心に、計り知れない勇気と限りない喜びを注入し、かれらの生活と未来の発展に、触れることできないけれども、強力な精神的影響をおよぼすでありましょう。
計りがたい英知、抑えがたい強大な御意
親愛なる友らよ。これが現在のバハイ年の第一世紀の終わりに、アメリカのバハイ共同体の眼前にひろがる展望であり、その臨機応変の才能に挑戦するものです。かれらが、その責任と義務を適切に果たすために必要とする特質であり、資格です。そして、かれらの精力のすべてを要求する必要条件であり、可能性であり、目標なのです。このすばやく過ぎ去っていく残りの数年に、想像を絶する規模の出来事、人類が経験したものより激烈な試練、以前のものより破壊的な戦いではらんでいないと、だれが知ることができましょうか。危険がどれほどひどくても、いかなるときも、新しく誕生した信教の輝きをくもらせてはなりません。争いと混乱がどれほど紛糾したものであっても、視野をぼかされてはなりません。艱難がどれほど苦しいものであっても、決意を損なってはなりません。非難がどれほど騒々しいものであっても、決して忠誠心を弱わらせてはなりません。動乱がどれほど激烈なものであっても、進路をそらされてはなりません。
今は亡き師の芽を出し始めた望みを具体化する現在の計画は遂行されなければなりません。それも絶え間なく遂行されなければなりません。今後何がかれらに降りかかろうとも、かれらの国または世界を扇動するかも知れない危機が、どれほど混乱をもたらすものであっても、そうしなければならないのです。決意をまげたり、任務を忘れたりするどころか、いかなる時も、どれほど情況によって苦しまされても、つぎのことを忘れるべきではありません。つまり、そのような世界を震撼させる危機と、神により任命された任務の発展と結実を同時に起こさせること自体、神の摂理であり、計りがたい英知の計画であり、すべてを従がわせる神の意思であることを忘れてはなりません。それは、信教の運命と人類の運命の双方を、神秘的な方法で、導き、支配しているのです。そのような興隆と衰亡、統合と分解、秩序と混沌の同時に起こる過程は、それらの連続する、相互的な反応とともに、より偉大な計画の側面です。それは一つで、分裂できないものであり、その源泉は神であり、その創始者はバハオラであり、その活動の舞台は全地球であり、その最終目標は人類の和合であり、全人類の平和なのです。
これを熟考して、バハイ共同体全体は決意を固め、悪い予感を払い、神の憲章の全規定に再献身するために立ち上がるべきであります。かれらのために、アブドル・バハのペンは、その憲章の概要を明確に述べています。前述したように、七年計画はその憲章に含められているものの最初の段階であり、その発展への踏み石です。そのペンの動きで最初にもたらされた推進力は、今や七年計画の機関を、勢いを増しながら前進させていますが、それは、次の世紀の始めに、さらに速度を増し、アメリカのバハイ共同体をして、神の計画の発展においてさらなる段階に推進させるでしょう。それらの段階は、北半球の陸地を越えて、ほかの土地や民族へと進ませるものであり、そこで共同体の高貴な英雄行為は演じられるでありましょう。
聖なる王国の出現
このうらやましい共同体が従がうように定められている進路を疑わしく思う者は、『神の計画の書簡』に秘められているアブドル・バハの言葉に向かい、瞑想しなければなりません。それは、米国とカナダの信者たちの全共同体に宛てられたものです。かれはこう告げておられます。「汝らの成功の程度はまだ十分明らかにされていない。その意義もまだ理解されていない。まもなく、自分の目で、いかに各人が自国の天空で、輝く星のように神の教導の光を放射し、国民に永遠の生命を与えるかを目撃するであろう。……汝らの今後の業績の範囲はまだ明かされていない。近い将来、汝らの業績で、全地球が覚醒され、ゆり動かされることをわたしは熱烈に願っている。したがって、アブドル・バハが汝らのために抱いている望みは、汝らがアメリカでの努力で得た成功と同様、世界のほかの地方での努力も成功し、栄誉を得ることである。そして、汝らを通じて、神の大業の名声が、東西のいたるところに普及され、大軍の主の王国の出現が地球の五大陸のすべてに宣言されることである。」
かれは、非常に意義深くこう付け加えられています。「この神のメッセージがアメリカの信者たちにより、アメリカ大陸よりヨーロッパ、アジア、アフリカ、オーストラレーシア、そしてはるか太平洋群島まで伝えられた時、この共同体は永遠の主権の座にしっかりと確立されるであろう。その時、世界の人びとは、この共同体は精神的に啓蒙され、神により導かれていることを目撃するであろう。その時、全地球はその荘厳さと偉大さの賞賛でこだまするであろう。」
以上の言葉は、七年計画達成の成功さえ果たせないほどの約束であふれていますが、その言葉を読む者はだれでも、それほど高く上げられ、それほど豊富な恩恵を付与された共同体が、近い将来に勝ち取るであろう栄冠で満足すると予測できるでしょうか。そのような栄冠に甘んじることは、アブドル・バハがその共同体に置かれた信頼を裏切ることにほぼ等しいのであります。その業績の結果、「全地球が覚醒され、ゆり動かされる時」の崇高な勝利に導かなければならないそのくさりを短縮することは、かれの望みをくじくことになりましょう。アメリカの大陸でそれほど崇高に宣言されたメッセージを「ヨーロッパ、アジア、アフリカ、オーストラレーシア、そしてはるか太平洋群島まで伝える」ことを躊躇し、失敗することは、「永遠の主権の座にしっかりと確立されるであろう」という恩恵を失うことです。「地球の五大陸のすべて」に、「大軍の主の王国の出現」を宣言する栄誉を失うことは、「荘厳さと偉大さの賞賛」を沈黙させることです。そうならなければ、「全地球」はその賞賛でこだまするでしょう。
バハオラの信教の大使であるアメリカの信者たちは、そのような躊躇、失敗、怠慢を決して許すことはないとわたしは強く確信しています。そのような信頼は決して裏切られることはないでしょう。そのような望みは決してくじかれることはないでしょう。そのような特権は決して失われることはないでしょう。また、そのような賞賛も口に出されないことはないでしょう。いやむしろ、この祝福された、この幾度も祝福された共同体は、ますます強力に、そして第一世紀が終わりに近づくにつれ、吹きつける暴風にも弱められない神の導きの第二のたいまつを受け継ぐべき世代に手渡すでしょう。そして、かれらは引き続いて、アブドル・バハの望みと指示に忠実に、まったく同じ活力、忠誠、熱意をもって、そのたいまつを地上のもっとも暗い、遠隔のすみずみまで運んでゆくでありましょう。
親愛なる友らよ! わたしはあなた方の一人一人が、神から定められた、一層増してゆく義務をより効果的に果たすことができられるように、わたしの力で可能な援助を差し伸べたいと熱望しています。この決定的な時間に、わたしに最大にできることは、バハオラの未出版で、未翻訳の膨大な文献から拾い集めたつぎの不滅の節にあなた方の特別の注意を向けていただくことです。バハオラは、自分の愛する人たちの地位と職務を明らかにし、その大業の偉大さを称え、ティーチングの重要性を強調し、危機を予告し、忠告をあたえ、警告を口にし、展望を示し、保証と約束をあたえておられます。これらはそれぞれ、バハオラの崇高な言葉の力強さを表わす例で、アメリカのバハイ共同体が実際直面しているか、または今後の事業に直接関連するものです。そして、謙虚で超脱した心をもってその事業に取り掛かるメンバーの一人一人の知性と心に強大な影響をあたえ、その人の全存在を照らし、その日々の努力を大いに強めずにはおれないものです。
「おお友らよ! 汝らに与えられている美徳に無頓着であったり、その高遠な運命をなおざりにしたりしないように。……汝らは理解の天空の星であり、夜明けにそよぐ微風であり、すべてに人びとの生命が依存しなければならない静かな流水であり、かれの聖なる巻物に書き込まれた文字である。」
「おおバハの人びとよ! 汝らは世界に吹き寄せてきた春風である。われは汝らを通して、存在の世界を最も慈悲深き御方の知識で飾った。汝らを通して、世界の顔は微笑みでほころび、その光は燦々と輝いた。すべての虚しい想像が完全に消えるように、不動の信念のひもにすがれ。拘束を受けない汝らの主の御名の下に、権勢の地平線から急ぎ出よ。そして、この大業の吉報を、かれのしもべらに、英知をもって、また雄弁に宣言せよ。この大業の光輝は存在の世界にすでに注がれている。栄光のペンで、汝らにあたえられた指示を守ることを何によっても妨げられないように気をつけよ。そのペンは、最高の威厳と威力で書簡上に動いたからである。その熟練した声に耳を傾けた者の祝福は大なるものである。その声は、天に住むすべてと地上に住むすべての眼前で、真理の力を通して上げられたからである……。おおバハの人びとよ! 実に生命そのものである川は、汝らのために流れ出した。わが御名の下に飲み干し、啓示の主なる神を信じない者を無視せよ。われは、汝らを大業の手となした。不正を働く者たちの手ではげしい苦難を受けたこの虐げられた者の勝利を援助せよ。かれは、まことに、かれを援助する者を援助されるであろう。そしてかれを覚えている者のすべてを覚えておかれるであろう。汝らの主、全栄光者、すべてを従わさせる御方の慈愛の光輝を注いだこの書簡はこのことを証言する。」
「バハの人びとに祝福あれ! 神は証言したまう! かれらは創造物の目を慰めるものである。かれらを通して宇宙は美化され、保護された書簡は飾られた。かれらは、美しき黎明に顔を向け、完全に独立した箱舟で出帆した者らである。すべてを知り、すべてに賢いかれらの主が望まれたことを果たしたかれらの祝福は何と大なるものであろうか。かれらの光でもろもろの天は飾られ、かれの近くに惹かれた者らの顔は輝いた。」「全栄光者の美を苦しめた悲嘆にかけて誓う! 真の信者に定められている地位は実に偉大である。その地位の栄光が針の目より小さいほどにも人類に明かされるならば、それを見る人びとはすべてそれに達したいという熱望で燃え尽きるであろう。この理由から、地上の人生では、真の信者は自分の目で、その地位の栄光を十分に見ることができないように定められているのである。」「もしヴェールが除かれ、完全に神に向かい、神への愛のために世俗への愛着を捨てた人びとの地位の栄光が完全に明かされたならば、全創造は唖然とするであろう。」
「まことに、われはこう述べる! だれもこの大業の根源を理解していない。今日、すべての者は神の眼で見、神の耳で聞かなければならない。わが眼以外の眼でわれを見るものは、決してわれを知ることはできない。以前の神の顕示者たちは、この啓示の本質を完全に理解しなかった。ただ、定められた程度だけ理解したのである。」「われは、この啓示の偉大さ、想像を絶するほどの偉大さを神の面前で証言する。人類が無思慮から目覚めるように、われは多くの書簡で、幾度も繰り返してこの真実を証言してきた。」「いかにこの大業は偉大であろうか。いかにそのメッセージの重大さは驚くべきものであろうか。」「この最も強大な啓示において、過去のすべての宗教は、それぞれ最高で最終的な完成に達した。」「この卓越した、この最も崇高な啓示において顕されたものは、史上類を見ないものであり、将来もこのようなものは目撃することはないであろう。」
「すべての創造の根底にある目的は、この最も崇高で、最も聖なる日が啓示されることである。それは、もろもろの聖典で神の日として知られているものである。それはすべての予言者たち、選ばれた者たち、聖人たちが目撃したいと望んできた日である。」「昔の人びとが述べたり書いたりしてきたものの最高の精髄と完全なる表現は、この最も強大なる啓示を通して、すべてを所有する永遠の存在者である神の意思の天より下された。」「今日こそは、神の最もすばらしい恩寵が人びとに注がれている日であり、その最大の恩寵が全創造物に注入されている日である。」「今日こそは、神の慈悲の大洋が人びとに顕された日であり、その慈愛の昼の星が人びとにその輝きを注ぎかけた日である。神の惜しみない恩寵の雲が全人類に影を投げかけた日である。」「わが自身の正義にかけて誓う! この大業は計りしれないほど偉大である。この日は想像も及ばないほど強大である。」
「すべての予言者たちはこの日の到来を宣言してきた。すべての使者たちはこの啓示を心の奥底から切望してきた。この啓示が顕されるやいなや、全創造物は叫んだ。『地球は最も高貴で、偉大なる神のものなり!』」「約束された日は到来した。約束の御方であるかれは、天にあるすべてと地上にあるすべての面前で声高らかに宣言する。『まことに危急の中の援助者であり、自力で存在する者なる神のほかに神はなし!』神にかけて誓う! 無限の過去から、見えるもの、見えざるものを知りたもう神の知識の中に秘められてきたものは顕された。見ることのできる眼、万物の主である神の御顔に向かった顔は幸いである。」「この日はまことに偉大である。すべての聖典で神の日として言及されていることは、その偉大さを証明するものである。神の予言者たち、神の使者たちの魂はすべて、このすばらしき日を渇望してきた。地上のすべての異なった諸民族も同様にこの日を切望してきた。」
「今日、門戸は天と地の双方よりひろく開いている。世界の望みである御方の慈悲の眼は、全人類に向かっている。どれほどささやかな行為でも、神の知識の鏡で見ると、山より大なるものである。神の道で捧げられたすべてのしずくはその鏡では海のようである。なぜなら、この日は、唯一真実の神――神に栄光あれ!――が聖典の中でかれの予言者たちと使者たちに宣言したもうた日であるからである。」「この啓示において、ある者がこのために一滴の血を流せば、無数の大洋がその報酬となるであろう。」「今日、つかの間の一瞬は、過去の数世紀に勝る……。太陽も月も、このような日を目撃したことはない。」「今日は、見えざる世界が叫ぶ日である。『おお地球よ、汝の祝福は偉大である。汝は神の足台とされ、その強大なる王座の座として選ばれたからである!』
「今日、存在の世界はこの神の啓示の光明で輝いている。創造物はすべて、その救済の恩恵を賞賛し、その賛美を歌っている。宇宙は歓喜で恍惚となっている。過去の宗教の聖典は、この最も偉大なる神の日を歓迎して大祝典を褒め称えている。この日に生きてそれを見、その地位を認めた者は幸いである。」「この日は、異なった太陽が昇った日であり、異なった天がその星と衛星で飾られた日である。世界は別の世界であり、大業は別の大業である。」「この日は過去の時代と世紀が決して匹敵できない日である。このことを知り、無知であってはならない。」「この日は、人の耳が、神と会話をした御方(モーゼ)がシナイ山で聞いたこと、神の友(モハメッド)が神に向かって顔を上げたとき聞いたこと、神の精神(イエス)が危急の中の援助者であり、自力で存在する者である神に向かって昇天するときに聞いたことを聞く恩恵にあずかる日である。」
「この日は神の日であり、この大業は神の大業である。世俗を捨て、神の啓示の黎明である御方にすがる者は幸いである。」「今日は、あらゆる日の中の王なる日である。無限の過去から世界の希望の的と喝采されてきた最愛なる御方の到来を目のあたりにした日である。」「この日は、あらゆる日のうちの最高の日であり、王なる日である。現今の甘美な芳香により、永遠の生命に達した者は幸いである。また、確固たる不動の信念をもってあらゆる名の王である御方の大業を援助するために立ち上がった者は幸いである。そうした者は、人類の身体の眼に似せられる。」
「この日に匹敵する日はない。なぜなら、この日は、過去の時代と世紀の眼であり、暗黒な時代の光であるから。」「この日はほかの日と異なる。また、この大業はほかの大業と異なる。唯一真なる神に懇願せよ。人びとの眼が神のしるしを見失い、かれらの耳が栄光のペンの強烈な声を聞きそこなわないように。」「今日は神の日である。今日の一瞬は過去の時代と世紀が匹敵できないものである。今日の一原子は太陽のようであり、一滴は大洋のようである。神の愛と奉仕のために吐き出す一息は、貴重な行為として栄光のペンにより書き留められる。この日の美徳を詳述するならば、神が免除した者以外のすべての者は仰天するであろう。」
「神の正義にかけて誓う! 今日は、神が、その使者たち、予言者たち、そしてかれらを越えて神の神聖で冒すことのできない聖所を守る者たち、天の館の居住者たち、栄光の幕屋の住民たちの全員の心を証明した日である。」「この日の偉大さが十分に明らかにされるならば、人は皆、たとえ一瞬であっても、その大なる栄光の分け前にあずかりたいという熱望で生命を幾度も捨てるであろう。ましてや、この世俗とその滅ぶべき宝物を捨てるのはどれほど容易なことであろうか。」「真実なる神はわが目撃者でありたまう! 今日という日は、この神聖で、遠大なる最高の御名を、眼で見、耳で聞き、心で理解し、語れる者は皆、天と地にあるすべての者らに宣言しなければならない。」「言あげよ、おお人びとよ! 今日は比類なき時代である。同じく、全諸国民の望みの的である御方を称える舌も比類なきものでなければならない。その御方の眼に受け入れられたいと熱望する行為も比類なきものでなければならない。全人類はこの日を切望してきた。その地位にふさわしいこととその運命に値することを成し遂げられるかも知れないと。」
「われは、全能なる命令者の指示に従い、わが栄光のペンの動きにより、あらゆる人体に新しい生命を吹き込み、すべての言葉に新たな威力を付与した。全創造物は、この全世界にわたる復活の証拠を宣言している。」「おお人びとよ! 唯一真実の神にかけて誓う! これはあらゆる海が発生し、最終的にすべての海が融合される大洋である。かれよりあらゆる大洋が発生し、そして、あらゆる大洋はかれに戻るであろう。かれの力を通して聖なる啓示の木は果実を実らせ、すべての木は予言者の姿で下された。そして、かれは、もろもろの世界の神の創造物にメッセージをもたらした。それらの世界は、神のみがその全包含的な知識で数え得る世界である。これを、かれは一つの文字により完遂したのである。その文字は、かれの指で動かされたペンにより明かされた。その指こそは、神の真理の力により支えられたのである。」
「唯一真実の神の正義にかけて誓う! 宝石の小さな一片が失われ、それが七つの海のかなたの石山の下に埋もれたとしても、全能者の御手は、今日それを確実に、しかも汚れから清められた純粋なままで明るみに出される。」「わが口から漏れる各文字には、新しい創造を生み出すほどの再生力が授けられている。その創造の膨大さは神以外には計り知ることはできない。神はまことに、万物を知りたまう。」「もし、われが望めば、空中に漂う一点の塵から、一瞬にして、限りない、想像を絶する光輝の太陽を生み出すことができる。また、一滴の露を無数の広大な海に膨張させることもできる。さらに、文字の一つ一つに、過去と未来の知識をすべて表す力を授けることもできる。」「われの力が明るみに出されるならば、最も致命的な毒を、確実に効力ある妙薬に変えることができる。」
「この時代は終末に近づきつつある。しかも、地上の人びとは極度に思慮なき状態に落ち込み、明らかな誤りに迷い込んでいる。」「この大業はまことに偉大である! 最大動乱が現われる時間が迫っている。真理なる御方にかけて誓う! それは、だれをも分離で苦しませるものである。われの周りに居る者さえもそれで苦しむのである。」「言あげよ。思慮なき者らの集合よ! 神にかけて誓う! 約束の日は到来した。この日は、苦しい試練が汝らの頭上と足元に押し寄せ、『お前の手がもたらしたものを味わえ!』と言うであろう。」「世界と人びとの破壊の時が到来した。先在される御方が到来された。その御方は、永遠の生命を与え、永遠の保護を付与し、真実の生活を促進するものを授けるために到来されたのである。」
「(文明の)火炎が都市を飲み込む時が近づいている。その時、荘厳なる舌はこう宣言されよう。『御国は、全能者であり、すべてに賛美される神のものなり。』「おお汝ら理解力に欠けた者らよ! 過酷な試練が汝らの後を追い、突然汝らを襲うであろう。恐らくは、それが汝らに害をおよぼさずに通り過ぎるように奮起せよ。」「おお汝ら世の人びとよ!まことに、不慮の災難が汝らを追い、悲壮な報いが汝らを待ち伏せしていることを知れ。汝らの行動がわが眼より消されていると思ってはならない。」「おお思慮なき者らよ!わが慈悲の奇跡が、見えるものと見えざるものを取り巻いたにもかかわらず、また、わが恩恵と恩寵が宇宙のあらゆる原子に浸透したにもかかわらず、邪悪者をこらしめるわが杖は厳しく、かれらに対するわが怒りは激烈である。」「この世の事物に忙しく、最も偉大なる神を思い起こすことを忘れた者らについて嘆いてはならない。永遠の真理なる御方にかけて誓う! 全能者の激怒がかれらを捕らえる日が近づきつつある。神はまことに全能者、万物の征服者、最強者でありたまう。神はかれらの堕落の汚れから地上を清め、神に近いしもべらにそれを遺産として与えたもうであろう。」「まもなく、『しかり、しかり、わたしはここに居ます。ここに居ます。』という声がすべての国で聞こえるであろう。なぜなら、これまでも、また現在も、だれも逃げる避難所はないからである。」「そして、定められた時がくれば、とつぜん、人類の四肢を震撼させる様な事が現れるであろう。そのときはじめて、神の旗はひるがえり、楽園のナイチンゲールはそのメロディをさえずるであろう。」
「すべての啓示の始めには苦難がひろがったが、後にはそれは偉大な繁栄となった。」「言あげよ。神の人びとよ! 地上の権勢に驚かされないように注意せよ。また、国家の権力にも屈しないように、不和の人びとの騒動によって妨げられないように、世俗の栄光の唱道者によって悲しまされないように気をつけよ。全能者、全栄光者、拘束を受けない者なる汝の主の大業に山のようであれ。」「言あげよ。バハの人びとよ、地上の権力者が汝の力をうばわないように気をつけよ。また、この世の支配者が汝を恐怖で満たさないように気をつけよ。神に信頼を置き、汝の諸事を神に預けよ。神はまことに、真理の力で、汝に勝利をもたらせるであろう。かれはまことに、意のままになす力を持ちたまい、絶大な力を握りたまう。」
「わが生命にかけて誓う! わが愛する者らには、益になること以外は何もふりかかることはない。最も強力なる者、全栄光なる者、最も愛される者である神のペンはこのことを証言したまう。」「神にかけて誓う! この世の出来事を悲しんではならない。喜びの海は汝に到達したいと切望している。なぜなら、すべての良いものは汝のために創造され、時代の要求にしたがって汝に顕されるからである。」「おおわがしもべらよ! 今日、この地上の生活で汝らの望みに反することが神により定められ、顕されても悲嘆してはならない。なぜなら、至福の喜び、天上の歓喜の日々が、確実に汝らのために貯えられているからである。神聖で、精神的に栄光あるもろもろの世界が、汝らの眼前で現わされるであろう。汝らは、現世と来世において、それらの利益にあずかり、喜びを共にし、それらを支える恩恵の分け前を得るように運命づけられているのである。汝らは必ずそれらのすべてを得るであろう。」
「今日は語る時である。バハの人びとは最大の忍耐と寛大さをもって世の人びとを最も偉大なる地平線に導くために努力しなければならない。すべての人びとは魂を求めて叫んでいる。天来の魂は、神の言葉の息吹で活気づけられなければならない。死んだ身体は、新たな精神で蘇えされなければならい。すべての言葉には新しい精神が隠されている。それを取得し、永遠の王である御方の大業を教えるために立ち上がった者は幸いである。」「おお、しもべらよ! この大業の勝利は、聖なる人びとが出現し、善行を示し、最高の英知ある言葉を明かすことに依存してきたが、今後もそうありつづける。」
「汝らの精力を神の信教の普及に集中させよ。これほどに高遠な神の呼びかけにふさわしい者は立ち上がり、それを促進せよ。それが出来ない者は、自分の代わりに、この啓示を宣布する者を任命しなければならない。その啓示の力は最も強力な構造物をも震わせ、あらゆる山々をちりと粉砕し、あらゆる魂を唖然とさせたのである。」「堕落した人びとを差し迫った消滅のぬかるみから救出し、かれらが神の古の信教を信じるように援助することを最大の関心事とせよ。汝らの隣人に対する態度は、唯一真実の神のしるしを明白に現わすものでなければならない。なぜなら、汝らはこの世で、かれの聖霊により新たな生命を得た最初の者らであり、最初に彼の面前にひざまずき、彼を崇め、最初にその栄光の王座の周囲をめぐった者らであるからである。」
「神に愛される汝らよ! 寝椅子に安らいではならない。いやむしろ、創造者なる汝の主を認め、その御方に降りかかった事を聞くやいなや奮起し、その御方の援助にいそぐがよい。舌をゆるめ、その大業を絶え間なく宣言せよ。そうすることは、過去と現在のすべての宝物より価値あることである。この真理を理解する者であれ。」「真理なる御方にかけて誓う! まもなく、神はその存在の書の冒頭をかれの愛する者らの叙述で飾られるであろう。かれらは、かれの道で苦しみを受け、その御名の下で、かれを称揚して諸国を旅した者らである。かれらの面前に出た者は、その面会を称え、すべての国に住む者はすべて、その思い出で啓蒙されるであろう。」「神とその大業への奉仕で、お互いに競えよ。これこそ、この世とつぎの世で汝らの利益になることである。慈悲の神なる汝らの主はすべてに通じ、すべてを知りたまう。今日汝らが目撃している事態を嘆いてはならない。諸国民がつぎのように宣言する日が来るであろう。『地球は、全能者、唯一者、比類なき者、全知者なる神のものなり。』
「恵みあるこの地、この家、この場所、この町、この心、この山、この隠れや、この洞穴、この谷、この陸地、この海、この島、この草原、神の御名をとどめる地、神の栄光あり。」「神のために始められた場所から場所への移動は、つねに世界で影響をおよぼしてきたが、現在もそうである。古の聖典に、神のしもべらを導くために至る所に旅した者らの地位が説明され、書き留められている。」「神にかけて誓う! 不動の信念を持ち続けた人びとに定められていることは、非常に偉大で、針の目ほどにもそれが明かされるならば、天と地にあるすべての者は仰天するであろう。すべての世界の主なる神が免除された者以外は。」「神にかけて誓う! わが大業を援助する者に定めれているものは、地上の宝物に優れる。」
「この日、唇を開き主の御名を述べる者には、全知者、全賢者なるわが御名の天上より、聖なる霊感の軍勢が下ってくるであろう。天上の集合もまた、各々純粋な光の聖杯を高々とかかげて、かれのもとを訪れるであろう。このことは、栄光に満ち、最も強力なる御方の命により、神の啓示の領土において前もって定められたことである。」「この日、全創造物の心の奥底で『神、われ以外に神はなし!』と叫ぶ御方の正義にかけて誓う。もしだれかが、文書で、攻撃者より神の大業を弁護するために立ち上がれば、その者は、その分け前はどれほど取るに足らないものであれ、来世において天の集合がその栄光をねたむほどの栄誉を受けるであろう。いかなるペンもその地位の崇高さを叙述することはできない。また、いかなる舌もその光輝を述べることはできない。」
「汝らのすべてが神の御意を成就するために強められるように願う。そして、神に奉仕し、その御名を賛美するために立ち上がった神に愛される者らには地位が付与さるが、それを正しく認識し得るように、神の慈悲深い援助を懇願する。神の栄光と天と地に在るすべての栄光、そして天国の中の天国である最も高遠なる楽園の住民の栄光は、この地位を得られた者らに向けられる。」「おおバハの人びとよ! 汝らに匹敵する者はいないということは慈悲のしるしである。不滅の美酒を恩寵の杯から飲み干せ。もろもろの名の主であり、もろもろの天の創造者である神を否認した者らにかかわらず。」
「唯一真なる神にかけて誓う! 今日は神以外のすべてから愛着を離れた者らの日であり、神の一体性を認めた者らの日である。神がその強力な御手で、聖なる人びとと不滅の真髄なる人びとを創造する日である。かれらは皆、世俗とその中のすべてを捨て、神の大業への確固たる信念を一層強めてゆく。そのため、英知と理解をそなえた人びとが皆おどろく日である。」「神より選ばれた人びとの一団が聖なるヴェールのうちに隠されている。かれらは神の奉仕のために準備された人びとであり、人類の前にその姿を現わして神の大業を援助するであろう。かれらは何者をも恐れず、全人類が闘いを挑んできても、決してひるむことはない。かれらは天と地にあるすべての住民の眼前で立ち上がり、声高らかに全能者の御名を歓呼し、人の子らを全栄光なる者、すべてに賛美される御方なる神の道に召還するであろう。」
「神がその御意の力により、新しい人種を育て上げられる日が近づいている。その人種の性格はすべてに強大で、自力で存在する神にのみが知りたもう。」「かれは間もなく、権勢と威力の手となる人びとを権威の御胸から引き出されるであろう。かれらは、この若者に勝利を得させるために立ち上がり、邪悪で神に背いた者らの汚れから人類を清めるであろう。これらの手は、身を固めて神の大業を擁護し、自力で存在する者、強大者なるわが御名にかけて、地球の人民と民族を治めるであろう。また、もろもろの町に入り、その住民の心に畏敬の念をいだかせるであろう。これは神の威力の証拠である。その威力はいかに畏れ多く、強烈なものであろうか!」
結論として、もう一言付け加えたいと思います。アブドル・バハが北米への画期的な旅行中にされた最も重要で、示唆に富んだ宣言の中にはつぎのものがあります。「このアメリカの民主制が国際合意の土台を設立する最初の国となるように。この国が人類の和合を宣言する最初の国となるように。最大平和の旗を掲げる最初となるように祈る。」さらにまた、このような言葉もあります。「まことに、アメリカの国民は最初に大平和の幕屋を築き、人類の一体性を宣言するに値する……。なぜなら、アメリカはほかの国民より、より偉大ですばらしい能力と才能を発展させてきたからである……。アメリカ国民は、歴史のページを飾るものを達成し、世界の羨望となり、その国民の勝利のゆえに、東洋と西洋の双方で祝福される準備と能力を備えている……。アメリカ大陸は非常に偉大な進歩のしるしと証拠を示している。その未来はより有望である。なぜなら、その影響と啓蒙の光は広範囲に達するからである。アメリカはすべての国を精神的に先導するであろう。」
アメリカの運命
発達の初期にあるバハオラの世界秩序の最初の躍動によって、創造的エネルギーが神秘的に放されました。それは、その揺籃地となり、闘士となるように運命づけられている国家の中に放出されました。そうされるやいなや、そのエネルギーは、それらの予言的な言葉に余示されている役割を果たすために、その国に相応の価値を付与し、能力と才能を与え、その国を精神的に準備したのです。この神が付与された使命がその国民に注入した力は、一方において、北米大陸のバハオラの信者たちの組織された共同体の意識的な努力と全国的な業績を通して、バハイ活動のティーチング面と行政面の双方において明らかになりはじめました。他方において、この同じ力は、その努力と業績とは別ですが、それらと平行して、世界の政治と経済の諸力の影響下で、目に見えないけれども、その国の運命を定め、その政府と国民双方の生活と行動に影響を及ぼしています。
その大陸で現在活動中のバハオラの啓示に気づいている人びとの努力と業績、かれらの現在と今後の活動進路には、前文の中で十分言及しました。アメリカ国民全体の運命を正しく理解するために、その国全体としての方向づけとその国民の諸事の動向に関して、ここで一言述べてみたいと思います。かれらを導くエネルギーの源泉にどれほど無知であっても、また、その経過がどれほど遅く、どれほど困難なものであっても、国家全体として、政府またはほかの機関を通して、そのような提携と方針に引き寄せられていることが、ますます明らかになっています。それは、理解することも抑制することもできない諸力の影響下でそうなっているのです。そこにこそ、アブドル・バハが示されたように、アメリカの真の運命が置かれなければなりません。その源泉に気づいているアメリカの信者たちの共同体と、かれらの運命を導いている聖なる手をまだ認めていないその国の大衆は、それぞれ自分たちの道で、以上に引用したアブドル・バハの言葉に表明されている希望の実現と約束の達成に貢献しているのです。
世界は進展しています。諸事件が不気味に、あっけにとられるほどの速度で展開しています。その激情の旋風は強力で、不安になるほど激烈なものです。新しい世界は気がつかないままに、その渦巻きの中に引き込まれています。地球の潜在的な嵐の中心は、すでにその陰をその陸地に投げかけています。夢にも見ず、予想もできない危険が内部と外部の双方から世界を脅威にさらしています。世界の諸政府と諸国民は、世界の再発する危機と激烈な論争の渦巻きに徐々に巻き込まれています。大西洋と太平洋は科学の発達が加速されるごとに、間断なく海峡に縮小しています。西洋の大共和国は、特に、そして度を増して自らが巻き込まれているのに気づいています。遠方からの騒音が、その国民の激発を脅すようにこだましています。その側面には、ヨーロッパ大陸と極東に潜在する嵐の中心が整列しています。
南方の地平線には、もうひとつの扇動と危険の中心に発展すると考えられるものが薄気味悪く現われています。世界はひとつの近隣地帯に縮小しつつあります。アメリカは、自発的にせよ、そうでないにせよ、この新しい状況に直面し、それに取り組まなければなりません。国家安全保障の目的のため、人道的な目的は言うまでもなく、この新しく生まれた近隣地帯によって課せられた義務を負わなければならないのです。逆説的に思えるかもしれませんが、アメリカが周りに迫ってきている危機から抜け出す唯一の望みは、その国際共同の網に自らをからませることであります。その網は、計りがたい神意の手が織っているものです。アブドル・バハが、その政府の高官へあたえた助言が、特別に適切で、迫真力をもったものとして思い起こされます。
「貴国の政府の土台をなす連邦主義を、世界の諸国家と諸国民間の関係に適応するために、世界市民の立場に立って努力されることが、自国に奉仕する最上の方法です。」不運ながら、その真価を認められていないアメリカの大統領の想像力をかきたてた理想は、そして、かれの高邁な努力は、ビジョンに欠けた世代によって破棄されましたが、アブドル・バハは、自筆で、最大平和の夜明けをしるすものとして喝采されました。それは今、ほこりの中に置かれていますが、それらの理想を無残に見捨てた思慮のない世代は、きびしく非難されるべきです。
世界は危難に取り囲まれていること、さまざまな危険が現在集合していること、そして実際アメリカの国に脅威をあたえていることを洞察力をもった観察者は否定することはできません。地球は今軍基地に変えられているのです。およそ5千万人の男性が、武装しているか、または予備軍にあります。少なくとも年間30億ポンドが軍備に費やされています。宗教の光は弱まり、道徳の権威は崩れています。世界の諸国民の大半は、争い合うイデオロギーのえじきとなっています。それは、努力して勝ち取った政治的和合の土台そのものを崩壊させかねないのです。それらの国々の動揺した大衆は、不満をもってそれらの状態を見、完全に武装し、恐怖で逃走し、政治的闘争、人種的狂信、国家的憎悪、そして宗教的敵意が引き起こした艱難のくびきの下で呻いているのです。
バハオラは紛れもなくこう断言されました。「悲しいことに、失望の風があらゆる方角から吹きつけ、人類を対立させ、苦しめる闘争が日々増加している。差し迫った動揺と混乱の徴候が今やはっきり見受けられる……。」アブドル・バハは20年も前にこのような予言を書かれています。「現在世界を苦しめている病弊は悪化するであろう。世界を包んでいる暗やみは深まり、バルカン半島諸国の不満はつづき、一層不穏になってゆくであろう。敗北した国々は扇動をつづけ、戦争の炎を再燃させようとあらゆる手段に訴えるであろう。最近始まった世界規模の諸運動は、その目的を達するために最大限の努力をして進出してくるであろう。左翼の運動は重要視され、その影響はひろがるであろう。」
アメリカの国そのものについては、その大統領が強く、明白に国民に警告しています。つまり、航空機の発達とそのほかの要因により、アメリカへの攻撃の可能性が非常に近まっているという警告であります。国務長官は、最近開かれた会議で、集合したすべてのアメリカ共和国の代表者たちに講演した際、同じような不穏な警告を口にしました。「これらの再起した軍勢は、世界中に不気味に現われ始めています。その不穏な影はわれわれの半球に伸びてきています。」
その国の報道筋も差し迫った危険に関して、同じような警告と警戒の言葉を述べています。「内部と外部の双方から、われわれを守る準備をしなければならない……。われわれが防御しなければならない国境地方は遠大である。アラスカのバロー岬からホーン岬まで伸び、大西洋と太平洋にわたっている。ヨーロッパとアジアの攻撃者たちがいつまたはどこでわれわれを襲うかは、だれも述べることはできない。どこででも、いつでも襲われる可能性はある……。われわれは武装するほかの選択はない……。南北アメリカ大陸全体の警戒を一層強化しなければならない。
米国が、ウィルソン大統領の理想を正式に、断固と拒絶して以来通らなければならなかった道のり。最近その国に突然襲いかかってきたもろもろの変化。その国の政策と経済に避けられない衝撃をあたえる世界の諸事件の動向。以上は、バハオラとアブドル・バハ両人の予言に照らして国際情勢の発展を見ると、すべてのバハイの観察者には、最も意義深く、実に有益で、激励となるものです。現在の混乱した、重大な時期に、この国が取るであろう正確な進路をたどることは不可能と思われます。現在その国務が取られている方向から判断して、その国がアメリカの諸共和国とその大陸の残りの諸国双方との関係において、選択するであろう進路を予想することができるだけです。
一方において、これらの共和国との緊密な提携、そして他方において、再発する国際危機の結果、程度は異なっていても全世界の活動への参加を増すことは、その国の未来に包蔵されている発展を促進するものと思われます。最終的運命に向かうその国の進化過程において遅延は避けられず、進行も妨げられるでありましょう。しかしながら、結果的には、何もその過程を変えることはできません。それはアブドル・バハの誤りのないペンによって定められているのであります。その連邦組織の和合はすでに達成され、その内部機関は強化されました。これは、国家としての成熟を印す段階であります。もろもろの国家から成る国家家族のメンバーとしてのさらなる進化は、現在予見のできない情況の下でも着実に続けられています。そのような進化は、その国が、連邦化された世界のすぐれたメンバー、また構成一員として、その権限と機能の絶頂に達するときまで続けられなければならなりません。それは、人類の諸事の組織と平和的解決において活発で決定的な役割を果たすことにより達成されるのです。
近い将来、この国にとって、状況は暗く困難になるに違いありません。それは、この国が、人類を苦しめている多種多様の紛糾と問題に没頭しているからです。それは、不断で、段階的ですが避けられないものなのです。前ページで引用しましたように、バハオラが非常に写実的に予言された世界を震撼させる試練は、これまで以上の度合いで、その国を渦巻きに巻き込むでしょう。おそらく、その国は、前の世界戦争への反応とは違い、その機会を捉えるために、そのような試練がもたらす巨大な問題に十分な影響をおよぼすために、また、最大の呪いを、東西双方の姉妹諸国家と共に永遠に取り除くために、意識的に決意してそれから脱出するでありましょう。その呪いは、大昔から、人類を苦しめ堕落させできたものであります。
そうしてはじめて、米国は、戦争の厳しい試練で鍛えられ、洗浄され、困苦に慣れ、その教訓で鍛錬されるでしょう。そして、諸国家の会議上で発言する立場を得、世界的、永続的平和の土台を敷き、人類の結束、和合と成熟を宣言し、約束された地上における正義の君臨の設立を援助するでしょう。そのときはじめて、米国は、全能者によって定められ、アブドル・バハの書に永久に秘蔵された言語に絶するほどの栄光ある運命を果たすことができましょう。その間、その中核では、アメリカの信者たちの共同体がその神から定められた使命を成就しているのです。
ショーギ・エフェンディ
1938年12月25日