バハイ埋葬および関連する法
バハイの書物からの抜粋と
万国正義院およびその代理による通信
バハイ世界センター
2020年2月
目次
Aの部:バハオラの書物からの抜粋 5
Bの部:ショーギ・エフェンディの代理および万国正義院とその代理による交信からの抜粋 8
1. バハイ埋葬の法の概要および適用性 9
2. 遺体の搬送の制限 12
3. 埋葬の準備 15
4. 棺 17
5. 故人のための必須の祈りと葬儀 19
6. 墓地、墓石、またそれに関連する点 23
7. 死産の乳児と亡くなった子ども 27
8. 墓地 28
9. 死者に敬意を示すこと 30
10. 遺体の掘り起こしと再埋葬 31
11. 火葬 33
12. その他の事柄 35
Aの部:バハオラの書物からの抜粋
故人のための祈りでは、聖句の啓示者である神により、六つの特定の文が規定された。文字の読める者は、それらの文の前に記された文言を唱えるがよい。そして、文字の読めない者については、神はこの義務を解き給うた。
(アグダスの書、第8段落)
[1]
必須の祈りは汝らがめいめい独りで捧げるように命じられている。故人のための祈りを例外とし、会衆の祈りの慣行は廃止されたのである。まことに、彼は命令者におわし、すべてに賢き御方である。
(アグダスの書、第12段落)
[2]
財産の分与は、ホゴゴラが支払われ、借金が清算され、葬儀と埋葬の費用が支払われ、故人が威厳と敬意をもって墓地へ運ばれるような取り計らいがなされて初めて行われるべきである。始めと終わりの主におわす御方はこのように定め給う。
(アグダスの書、第28段落)
[3]
主は、死者を埋葬する際、水晶、堅くて耐性のある石材、または良質で耐久力のある木材の棺に入れるよう定められた。また、死者の指には文字を刻んだ指輪をはめることを定め給うた。まことに、主は最高の命令者であり、全てを知り給う御方である。
〔…〕この瞬間、神から下された次の句が、男女双方の埋葬用の指輪に刻まれるならば、それは故人にとってより良いことである。確かに、われは至上の命令者である。「われは神より来たり、そして神の他のすべてを超脱し、慈悲深き御方、憐れみ深き御方なる神の御名にしっかりとすがり、神のもとへ戻れり」。このようにして、主はお望みのままに人を選び、自らの面前より恩恵を注ぎ給う。まことに、主は強大と威力の神におわす。
さらに、主は、死者を五枚の絹または木綿の布で包むよう定められた。財力に限りがある者は、これらのいずれかの布一枚で十分である。すべてを知り、すべてに精通し給う御方はこのように定められた。遺体を、町から一時間の距離を超えて運ぶことは禁じられている。むしろ、輝く心と沈着をもって、近くの場所に埋葬するがよい。
(アグダスの書、128-130段落)
[4]
質問 故人の、ホゴゴラ、負債、葬儀と埋葬日の支払いのどれを優先すべきか。
答え 葬儀と埋葬費の支払いが優先する。次に負債を払い、その後ホゴゴラを払う〔…〕
(アグダスの書 最も聖なる書、質疑応答9番)
[5]
質問 遺体は一時間以上かかる所へ運ぶべきでないという法令は、陸路と海路の輸送の双方に適用されるのか。
答え この指示は汽船でも、列車でも、海路と陸路の双方による距離に適用されるものである。意図は、いかなる輸送手段であれ、一時間で行ける距離ということである。しかしながら、埋葬は早ければ早いほどふさわしく、支持されることである。
(アグダスの書 最も聖なる書、質疑応答16番)
[6]
質問 5枚と定められている遺体を包む布に関して。5枚というのは、それまで伝統的に用いられてきた、身体に重ねて巻きつける5枚の布であるのか、それとも5枚の全身大の布のことであるのか。
答え 布を5枚使用するということである。
(アグダスの書 最も聖なる書、質疑応答56番)
[7]
質問 埋葬用の指輪の使用は大人だけに課せられたものか、それとも未成年者にも同様に課せられたものか。
答え 大人だけが用いるものである。死者のための祈りも大人のためである。
(アグダスの書 最も聖なる書、質疑応答70番)
[8]
質問 死者のための祈りは、埋葬に先行すべきか、それともその後に捧げられるべきか。また、ゲブレ(崇拝の点)に向く必要があるか。
答え この祈りの詠唱は埋葬に先行すべきである。また、ゲブレ(崇拝の点)についてはこうである。「どの方向に顔を向けても、神の御顔がある。」
(アグダスの書 最も聖なる書、質疑応答85番)
[9]
Bの部:ショーギ・エフェンディの代理および万国正義院とその代理による交信からの抜粋
1. バハイ埋葬の法の概要および適用性
故人の埋葬において、全般に義務付けられている決まりは次の事柄のみです。つまり、遺体を棺に入れて埋葬すること(火葬にはしない)、遺体を運ぶ距離は死亡した場所から一時間を超えないこと、そして故人が15歳以上の場合は「故人のための祈り」を唱えることです。
(2016年3月、万国正義院より承認された文書「全般には未適用のケタベ・アグダスの法」より)
[10]
埋葬に関するバハイの法の簡潔な記述は「アグダスの書の法と規定の概要と体系化」にあり、下記の通りです。
「端的に言うと、故人の埋葬に関するバハイの法は、遺体をその死亡の地点から一時間以上移動させることを禁止するものであり、遺体は、絹または綿の布に包み、その指にはある言葉を刻んだ指輪をはめる、というものである。その言葉は、「われは神より来たり、そして神の他のすべてを超脱し、慈悲深き御方、憐れみ深き御方なる神の御名にしっかりとすがり、神のもとへ戻れり」である。また、棺は、水晶、石、堅い上質の木でできたものであるべきとする。「故人のための特別な祈り」は埋葬の前に唱えられるべきである。アブドル・バハ及び守護者によって〔…〕説明されているように、この法は火葬を除外する。定められた祈りと指輪は、成熟の歳、つまり15歳に達した者に用いることを意図している。」
(万国正義院の代理よりある個人の信者に宛てられた1985年10月13日付の手紙より)
[11]
バハイの埋葬では、信者は遺体の足がゲブレ(アッカのバハオラの廟)の方向に向うように埋葬されるべきです。しかしながら、現在は、義務づけられているものではありません。
(万国正義院の代理よりある全国精神行政会に宛てられた1992年11月24日付の手紙より)
[12]
もし〔…〕さんがバハオラの地位を認めるのであれば、彼こそが現代のための法をお与えになる御方であり、神の法は、人間のあらゆる理非に関する考え方に取って代わるものであると理解するでしょう。重要な法律の一つが、遺体を火葬でなく埋葬すべきであるということですので、彼の信者が意識的にその法律に従わないことはふさわしくありません。たとえ、彼女が父親に遺体を火葬するように約束したように、その人が約束をしたとしてもです。
(万国正義院の代理よりある個人の信者に宛てられた1995年7月7日付の手紙より)
[13]
あなたのバハイでない母親の埋葬の希望についてですが〔…〕バハイの法は当然バハイでない親族に対し拘束力を有さないため、埋葬に関しての彼らの希望が取り行われるようにお勧めします。
(万国正義院の代理よりある個人の信者に宛てられた1998年3月1日付の手紙より)
[14]
遺体を布で包むことと埋葬用指輪をはめることは、西洋ではまだ適用されていない法令ですが、遺族はそれらを守ることを選んでもかまいません。
(万国正義院の代理よりある全国精神行政会に宛てられた2003年12月7日付の手紙より)
[15]
万国正義院はあなたの電子メールを受けとりました〔…〕「西洋」に住んでいるイラン人のバハイへのバハイの埋葬法の適用に関してガイダンスを求めるものでしたが、以下のように返答するように依頼されました。
現時点での「東洋」および「西洋」のバハイへの法の適用の論点は、以下の説明に照らし合わせると考慮することが最善でしょう。ご存知のように、アグダスの書の法の多くはイランと中東の近隣の国々で非常に早い時期から適用され、その他の法はショーギ・エフェンディによって段階的に施行されました。
信教がヨーロッパと西半球に広がるにつれ、いくつかの法もそこで適用されましたが、イランでその当時すでに適用されていた法より少ないものでした。信教は世界中に広がり続け、これに関連して「東洋」と「西洋」という用語は特別な意味を持つようになりました。イラン、イラク、および他の中東の国々の古くからあるバハイ共同体は「東洋」と呼ばれ続けましたが、「西洋」という用語はその他の世界全部を含むようになりました。そういうわけで、ショーギ・エフェンディの時代のペルシャの巡礼者は「東洋」巡礼者の家に滞在し、オーストラリアと中国の巡礼者は「西洋」巡礼者の家に滞在しました。
信教のためにパイオニアすることとその他の多くの理由のため、イランの信者は世界の他の地域に移り始めました。この単なる居住地の変更によって、彼らがよく知っているアグダスの法を遵守することをやめる訳ではありませんでしたが、彼らが「西洋」のバハイにそれらを強いらないことを学ばなければなりませんでした。「東洋」と「西洋」のバハイの間の結婚とともに、子どもたちが西洋、または東洋の家庭環境で育ったかどうかに応じて、他の変化も生まれてきました。
この理解により、現在「西洋」に住んでいる個々の信者は、自分の状況を踏まえて、どの法を彼らが履行すべきかを決定しなければなりません。正義院は、現在「西洋」の友らに義務付けられている法を明確に指定しています。特定の法が履行されなくてよいという事実は、もちろん、信者が希望し状況が許す場合、従うことを禁じられているという訳ではありません。西洋に移住したイラン出身のバハイは、祖国でこれを学んだことから、どの法を彼らが履行すべきか既に知っているはずです。西洋に住んでいるイラン人または混血のバハイで、両親から法について教割っていない人たちは、少なくとも世界で義務付けられている法に従うべきです。
(万国正義院の代理よりある全国精神行政会に宛てられた2006年6月19日付の手紙より)
[16]
死の場所から1時間以上離れた家族の墓所に故人を埋葬する事によってバハイの法を無視する事が罪になるかどうかについてのあなたの質問に関してですが、この問題にはそれを取り巻く非常に重要な精神的な質問があり、そのような決定をする時に十分に考慮しなければなりません。神の法が守られる時、そこに関わるすべての者は精神的な祝福を授かります。この場合、亡くなった人の魂も考慮に入れるべき要素です。家族が故人を家族の墓所への埋葬ができない事が家族にとっては痛ましいことかもしれませんが、友らは、バハオラの法に従うことが神の恵みの源であると確信した上で、神に信頼を置き、可能な限り法を守るように勧められています。
(万国正義院の代理よりある個人の信者に宛てられた2008年2月10日付の手紙より)
[17]
正義院が埋葬法の追加の要素を適用するのが適時であると見極めた時、必要な説明も提供されます。それまでの間、これらの教えは、法が明示的に特定されている法を超えて拘束力があることを示唆したり、明確に述べられている以上の資格や制限があることを示唆するような方法で提示されないことが重要です。
(万国正義院の代理よりある個人の信者に宛てられた2010年5月5日付の手紙より)
[18]
バハイの埋葬法は、バハオラによって啓示されており、万国正義院によって変更されることはありません。
(万国正義院の代理よりある個人の信者に宛てられた2011年12月21日付の手紙より)
[19]
バハオラの法をよりよく理解したいというあなたの願いを見てとることができました。あなたの質問に関して、バハイ法は埋葬を規定しています。彼の最も聖なる書におけるバハオラの指示はこの法を明確にしており、ショーギ・エフェンディは代理によって1955年に個人の信者に宛てて書いた手紙に、アブドル・バハは「〔…〕埋葬は自然であり、従われるべきであるとも説明しました。」
埋葬に関するバハイの教えのためにあなたが経験するためらいについて言うと、信教について学びはじめると、自らの信念と異なる教えの側面に遭遇することは当然のことです。勿論のこと、埋葬の習慣などの問題に関して、世界中の人々の習慣や見方は、大きく異なります。しかしそれでも、バハオラが今日の神の顕示者であることを知るようになり、彼の啓示は人類に対する神の意志を反映し、そして彼の教えは、世界の人々をひとつの共通の信仰において和合することを目的としていると理解するようになると、やがて、彼の教えに知恵を見出し、それらを取り入れることの重要性を認識できるようになります。「すべてに精通した医師の指は人類の脈をとらえている」ことを確信し、「知覚力がいかに鋭敏であろうとも、聖なる医師が有する英知と理解の高さに達することは誰にも望めない」との認識を持つようになるのです。
(万国正義院の代理よりある個人に宛てられた2018年6月29日付の手紙より)
[20]
2. 遺体の搬送の制限
万国正義院はあなたの手紙を受け取りました…その中であなたは、墓地が村から徒歩で一時間を超える場合の、遺体埋葬の法を守る際のガイダンスを求めておられます。
あなたが述べておられるような場合で、他の搬送手段がないか、利用できない場合、他の可能性としては、村のバハイたちが村により近い場所に墓地を入手して、村境から一時間以内に到着できるようにするということです。もし、そのような解決法の実行が可能でない場合は、信者たちは現状においての最善を尽くし、できるだけ搬送時間を短くするよう心掛けるしかありません。
(万国正義院の代理からある全国精神行政会に宛てられた1981年9月21日付の手紙より)
[21]
航空による遺体の輸送は許されますが、バハオラが表された遺体がすぐに近くの場所に埋葬されることへの選好を常に考慮すべきです。
(万国正義院の代理からある全国精神行政会に宛てられた1982年6月16日付の手紙より)
[22]
〔…〕バハイ埋葬地でのバハイの埋葬は、最もふさわしいものではありますが、アグダスの書の法ではありません。しかし、搬送1時間以内の距離に死者を埋葬することは法の一つです。したがって、バハイ墓地が1時間以上離れた場所にある場合、信者は地元の人々や当局の側に意義がない限り、近くの非バハイの墓地を利用するべきでしょう。
〔…〕バハイの公の墓地への埋葬が妨げられ、他に選択肢がない場合、当然彼らは遺体を最も近い墓地に埋葬するしかありません。
(万国正義院の代理からある全国精神行政会に宛てられた1984年11月6日付の手紙より)
[23]
埋葬に関連するバハイ法を遵守するに際してあなたが感じている困難についての〔…〕手紙を万国正義院は受け取り、以下ののように応答するよう依頼を受けました。
あなたの国に存在する状況はバハイが規制できることではありませんので、遺体を1時間の運搬の距離内に埋葬することが求められる法を遵守するために出来る限り最善を尽くすべきです。一方、可能であればバハイ共同体の近くで埋葬地を取得するための努力がなされるべきです。
(万国正義院の代理からある全国精神行政会に宛てられた1985年2月19日付の手紙より)
[24]
正義院は、あなたが選択する交通方法によって彼女が亡くなったの境界から1時間以内で到達できる距離に、あなたの最愛の妻の遺体が埋葬される適切な埋葬場所が見つかるよう望んでおられます。墓地の特定がこれからも困難な場合は、全国精神行政会に助言と援助を求めることをお勧めします。時間の制限は都市の境界から墓地までの交通手段によって定まるため、市内のバハイセンターでの葬儀の開催には影響されません。
(万国正義院の代理よりある個人に宛てられた1988年7月6日付の手紙より)
[25]
遺体を三回移動するという伝統的な習慣、そしてそれによって累積的に遺体を運ぶ時間が一時間以上になることに関するあなたの具体的な質問について、正義院は、この問題に関しては、「アグダスの書の方と規定の概要と体系化」の62〜63ページからの次の抜粋の全てまたは一部を翻訳するだけで十分であろうと感じておられます。
端的に言うと、故人の埋葬に関するバハイの法は、遺体をその死亡の地点から一時間以上移動させることを禁止するものであり…
遺体の移動に関する制限は、「死亡の場所から一時間の移動」に相当する時間だけ遺体を移動することを指す事に注意してください(強調を加える)。あなたの手紙に述べられている様々な移動が、死亡の場所の比較的近くで起こると仮定すると、述べられている法との矛盾は内容です…
(万国正義院の代理からある全国精神行政会に宛てられた1991年12月29日付の手紙より)
[26]
あなたはバハイでない親族に説明できるように、バハイの書物にこの法についての説明があるかどうかを知りたいということですが〔…〕アグダスの書に記されている法の言葉は、「故人の遺体を、町から一時間の距離を超えて運ぶことは禁じられている。むしろ、輝く心と沈着をもって、近くの場所に埋葬するがよい。」ということです。研究部は、書物のなかで、この法に特定の理由を与える文章を突き止めるには至っていません。しかし、人類を和合させ、人々を分割する儀礼的な慣例や伝統的慣習の多くから解放するというバハオラの目的を念頭に置けば、彼が私たちにお与えになった非常に簡素かつ威厳のある埋葬の法の理解を得ることができるでしょう。過去何世紀もの間、遺体が、神聖な場所や、故人にとって特別な意味のある場所に埋葬するために、長距離を搬送するというのが、あらゆる人々の慣習となってきました。バハイの法では、そのような慣例を廃止しています。また、バハイの法は、世界の和合を重要視し、肉体に対して精神の重要性を認めています。遺体は、敬意と尊厳をもって扱われ、過度に遅れることのないように、その人の亡くなった場所から近いところで、大地にゆだねられます。ご存じのように、魂は、時空を超えて高められた世界で存在し続けるのです。
(万国正義院の代理からある個人の信者に宛てられた1993年11月23日付の手紙より)
[27]
バハイ全国書記局からの電子メールに、飛行機や船による、または砂漠での長期の旅の途中に死が発生した場合に、どのように埋葬に関するバハイ法の規定が適用されるかという質問が提起されました。
万国正義院は、1968年9月18日に航海中の死に関して尋ねたある個人へ次のような返答をしています。
アグダスの書にバハオラが明らかにした埋葬の法は、海で発生した死には当てはまりません。万国正義院がこれらの問題について法を制定するまでは、そのような出来事に直面した友らは、状況に応じて、当てはまる民法または海事法に従うべきです。しかし、陸に到着したとき、当然、遺体は最も近い適切な場所に埋葬されなければなりません。
このガイダンスを飛行機での死に適用する場合、原則は、より最も近い適切な場所に遺体を埋葬することであり、その地の市町村の民法の規定内で行われるという事になります。
砂漠での死の発生に関しては、上記の原則を適用し、死亡の場所から一時間以上の移動を要するとしても、故人の遺体を最も近い埋葬に適した場所に移動してもさしつかえがないと結論づけることができます。
(万国正義院の代理からある全国精神行政会に宛てられた2002年6月16日付の手紙より)
[28]
あなたの電子メールは〔…〕信者が外国で亡くなり、そのバハイでない子らが遺体を埋葬のために一時間を超える移動を伴って故郷へ運びたいという件に関して、ガイダンスを求めています。
そのような場合に考慮すべき要因は多くあります。一つは、故人の遺体に関して何を行うかを決める権限を誰が有するかという法的問題です。これは国によって大きく異なる可能性があり、民法は故人の望みをいつも支持するとは限りません。したがって、バハイでない親族のいるバハイは、死亡の際に自らの遺体が必ずしも取り扱われるべきようにならない場合があります。いずれにしても、バハイは自らの望みを伝え、親族に事前にバハイの埋葬法を知ってもらい、これらの法に沿って自らが埋められるよう、各自必要な準備を含め遺言を作成すべきでしょう。
〔…〕
信者がバハイの埋葬の指示を明確に残した場合、もし家族がこれらの望みを無視し続ける場合、精神行政会は葬儀や埋葬の計画や実行に参加すべきではありませんが、個々の信者は自由に参加でき、また、故人のためにバハイの祈りを捧げることはできます。この場合、行政会は別の追悼の会を設け、故人のための必須の祈りを唱えることができるでしょう。
(万国正義院の代理からある人の信者に宛てられた2002年10月7日付の手紙より)
[29]
母国の外にて兵役中に亡くなった信者の場合、バハイの埋葬の必要事項を免除されるかどうかに関するあなたの質問への応答として、例外的なケースではバハイ法を遵守できない可能性はありますが、軍に従事する信者は、埋葬に関するバハイ法が遵守されるように取り計らうために必要な措置を講じるべきであると助言されています。軍事規制の下で可能であれば、指揮官の協力を得て、軍務中に亡くなった場合には責任ある軍事当局がバハイ法に従ってあなたの埋葬を手配するようにすべきです。その場合、火葬の禁止と、死亡の場所から一時間以内の移動だけでなく、故人に代わって死者のために唱えるバハイの故人のための必須の祈りが求められます。これより他は、この事を神の手に委ね、神の不朽の目があなたを見守ることに確信を置きましょう。ご参考までに、以前の軍事紛争に関連して、アメリカの軍事機関はバハイの埋葬に関する規定を承認し、尊重することをいとわないという態度を示したこともありました。さらに、あなたの質問への応答として、バハイの埋葬式と軍のものを組み合わせることに異論はありません。
(万国正義院の代理からある個人の信者に宛てられた2004年1月14日付の手紙より)
[30]
バハイの法を遵守する目的での埋葬地の定義について提起された質問に関して、正義院は、その一時間の行程は、死亡の場所が位置する都市の境界から、遺体が埋められる実際の場所となる埋葬地までとして計算するもので確かであると言われました。
(万国正義院の代理からある全国精神行政会に宛てられた2007年4月12日付の手紙より)
[31]
〔…〕夫妻が、あなたの全国精神行政会と〔…〕の全国精神行政会との協議の後、遺体を死亡の場所より一時間以上の距離を移動することはバハイ法の違反であるとの認識にもかかわらず、彼らの娘に公式のバハイの埋葬式を行うことを望んでいると認識しています。大陸顧問〔…〕と〔…〕によって提供された、貴行政会も他のどのバハイの機構も葬式や埋葬の計画や実行に参加すべきではないというガイダンスは正しいです。個々の信者は、葬式の出席は自由にでき、もちろん個人的な立場から故人の代わりに祈りを捧げてもかまいません。この繊細な件を、引き続き深く悲しんでいるご家族への思いやりと哀れみをもって対処していただくようお願いいたします。
(万国正義院の代理からある全国精神行政会に宛てられた2008年12月25日付の手紙より)
[32]
万国正義院は、残された扶養家族のために故人の遺体を死亡の場所より一時間以上移動することを禁止するバハイ法を逸脱することが許されるかどうかを尋ねる電子メールの手紙を受け取りました。私たちは次のことを伝えるように言われました。
あなたが先立った場合にあなたの母親があなたの葬式に出席することができるかという深い懸念から、この質問を提起されました。あなたの懸念はわかりますが、形と精神の両面において、バハオラの明示的な命令の実行は尊重されなくてはなりません。神の法が守られると、そこに関わるすべての人に精神的な祝福が生じます。この場合、亡くなった人の魂も考慮に入れるべき要素です。最愛なる家族が愛する人の葬式に欠席することは困難なことかもしれませんが、このような状況に、死亡の場から一時間の場所での埋葬を要する法の免除は存在しません。
(万国正義院の代理からある個人の信者に宛てられた2016年12月14日付の手紙より)
[33]
3. 埋葬の準備
東洋での慣習は、亡くなった人を死亡の時刻から24時間以内、ときにはもっと早く埋葬することもありますが、教えの中には時間制限に関する規定はありません。
(ショーギ・エフェンディの代理から個人の信者に宛てられた1955年4月2日付の手紙より)
[34]
アグダスの書には、埋葬用指輪をどの指にはめるのかについての規定はありません…
(万国正義院の代理からある全国精神行政会に宛てられた1978年3月13日付の手紙より)
[35]
遺体を洗うことに関するあなたの二つの質問に関して、聖典には誰が遺体を洗うすべきか、そして水に何を加えるべきかを述べている箇所はありません。
(万国正義院の代理からある個人のバハイに宛てられた1982年12月7日付の手紙より)
[36]
バハオラは、埋葬は、死後なるべく早く行われるべきであると提言されています。もし、状況が許さず、遺体を速やかに埋葬することが出来ない場合、もしくは、国内の法律によって何らかの条件がある場合は、短期間、自然な分解を一時的に遅らせる処置であれば、防腐処置をしてもかまいません。しかし、非常に長い期間分解させずに保存する効果のある処置は施すべきではありません。そのようなやり方は、たいてい、遺体を永久に保存する目的で行われるものです。
(万国正義院の代理からある全国精神行政会に宛てられた1988年6月17日付の手紙より)
[37]
埋葬用指輪に刻む文字は、アグダスの書第129段落の後半部分に述べられています。指輪のサイズや材質についての規定はありません。
(万国正義院の代理からある個人に宛てられた1999年5月18日付の手紙より)
[38]
遺体を洗うことに関して、バハオラ、アブドル・バハ、および守護者の書物で見つかった唯一の記述は、「埋葬のための準備とは、遺体を注意深く洗い…」というショーギ・エフェンディの代理からある個人に宛てられた1955年4月2日付の手紙のものでした。
(万国正義院の代理からある全国精神行政会に宛てられた2010年3月29日付の手紙より)
[39]
バハイの葬式での故人の遺体との対面に関してのあなたの電子メールを、万国正義院は受け取られ、次のようにお伝えするように言われました。埋葬の前に遺体と対面することに関する書物は見つかっておらず、正義院はこの件に関して法を制定していません。したがって、遺体と対面できるようにするかどうかを決めるのは家族または葬式の手配の責任者に任されます。当面の間、友らは、埋葬の前に愛する人の遺体と対面できるようにするかを自由に決めることができますが、それと同時に、共同体の中でこの事が問題にならないように、そしてこの友らの個人的判断が尊重されるように努めるべきです。
(万国正義院の代理からある全国精神行政会に宛てられた2012年7月4日付の手紙より)
[40]
アグダスの書第130段落で言及されている、故人となった信者の体を布で包むことに関してですが、その中では、五枚の布で包むべきであるということの作法を定義づける内容や、包むことに関しての他の側面を明らかにした内容はありません。そして、現在、万国正義院は、この質問の内容を法令化することは望んでおりません。信者には、法がどのように適用にされるかを決める自由があるべきであり、デモビデオは法の適用の形式を特定化するものとして誤解を生みかねないため、正義院はそのようなビデオの制作が望ましいとは思われません。
(万国正義院の代理からある個人に宛てられた2015年4月15日付の手紙より)
[41]
故人の遺体を布で包む前に、衣服を着せなければならないのかどうかというあなたのお問い合わせに関してですが、1955年4月2日付のショーギ・エフェンディの代理から個人宛の手紙には、次のように述べられています。「埋葬のための準備とは、遺体を注意深く洗い、白い布、できれば絹に包むことです。」世界センターの研究部の報告によれば、この文章もバハイの書物の中の他の文章も、遺体を洗った後、布で包み埋葬するべきである、と勧めていますが、遺体を布で包む前に衣服を着せることが許されているのか、禁じられているかを定める内容は見つかっていません。アグダスの書に定められているのは、亡くなった信者の遺体を布で包むということですが、バハイ埋葬のこの部分に関しての詳細は正義院からは規定はされておらず、友らは、現時点では、この事柄にご自身の裁量で判断することは自由です。遺体を布で包むことに関してバハイの法の適用性についてのあなたのご質問ですが、遺体を布で包むことは、今のところ、西洋の信者には求められていません。
(万国正義院の代理からある全国精神行政会に宛てられた2016年11月29日付の手紙より)
[42]
4. 棺
死者の埋葬に堅い木または水晶の棺を使用する事に関してですが、ご参考までに、バブは遺体を大理石の棺で埋めるようとの命令に関連して「バブの書簡抜粋集」95ページ(英語版)にある節を啓示されたことをお伝えします。この中で特に意義深いのは、「この肉体は内なる精神が納まる王座である故、いとわしさを引き起こすことがないよう神は体を可能な限り保つよう定めている」という文章です。
埋葬の法はアグダスの書においてバハオラによって確かなものとなりました。アブドル・バハとショーギ・エフェンディによる説明はその法に基づいており、同様に拘束力があります。
バハオラの法は全世界のためであり、彼の宗教制の続く限り続きます。棺の高価格や一部の国が直面する埋葬空間の限界などといった、世界の特定の地域における特定の事情が、世界中の人類にとって、そして何世紀にも渡って、何が最善であるかを決定する要因になってはいけません。あなたが言及した特定の埋葬に関する問題は、ケースバイケースで、バハイの機構との協議を通して到達されるべき特定の解決策を要します。
(万国正義院の代理からあるバハイの夫婦に宛てられた1987年3月3日付の手紙より)
[43]
あなたの最後の質問は、棺の素材には質素を旨とし、その上でできれば差額を基金か慈善団体に献金することは認められるかどうかを尋ねるものでした。正義院は、死者へ最大限の敬意を表するという必要条件の観点から、バハイ基金や慈善団体に寄付するために安価な素材を使用することは許されないと感じておられます。
(万国正義院の代理からあるバハイのエージェンシーに宛てられた1989年2月26日付の手紙より)
[44]
ご存じのように、アグダスの書の128段落には、「死者を埋葬する際、水晶、堅くて耐性のある石材、または良質で耐久力のある木製の棺に入れるよう」にと記されています。近年、上記の条件の棺が、葬儀が行われるすべての場所で入手できるとは限らず、また棺が高額になっているという理由から、条件に合った棺が使えない友らもいる状況の下、正義院は、「最も聖なる書」の中の上記の文章に関連した注釈149番を引用しています。つまり、「法の精神は、棺ができる限り耐久性のある物であるべきということ」であり、また、「現時点では、これについては、各自、自由に選択することができる」ということです。」これらの規定の下に使用されてきた材質には、コンクリートや木製合板も含まれます。
(万国正義院の代理からあるバハイ夫婦に宛てられた2002年1月7日付の手紙より)
[45]
埋葬に棺を使用することは、信者全般に義務づけられた法律のひとつではあるのですが、棺の材質については、現在のところ、西洋の信者の皆さんには適用されていません。バハイの法律には、棺保護容器については書かれていません。使用するかどうかは、遺族の自由となっており、それは、国内の法律や霊園の規定などにより変わってくるでしょう。たとえ、棺保護容器が使用されるとしても、死者は棺に納められるべきであると規定しているアグダスの書の法律は順守されなければなりません。
(万国正義院の代理からある個人の信者に宛てられた2016年6月12日付の手紙より) [46]
死者の体を布で覆い、棺なしで地中に直接安置すると説明された「グリーン埋葬」に関してのガイダンスを求める電子メールを受け取りました。次のことを伝えるように言われました。
バハオラの法を遵守したいというあなたの願いを見てとることができます。信者が彼の法の英知を理解しようと努力する中で、「このことを確信せよ。我が法は、わがしもべらに与えられた我が愛情あふれる摂理のランプであり、わが創造物に対するわが慈悲の鍵である」というアグダスの書にあるバハオラの助言を心に留めておくことが重要です。また、最も聖なる書において、「汝らの間に今日普及している基準や学問をもって神の聖典を推し量ってはならない。なぜなら、神の書はそれ自体、人の世に確立された誤りのない秤であるが故に」とバハオラは明言しておられます。アブドル・バハは、顕示者が明かしたように、「顕示者は完全な英知をもって立ちあがる…。そして、人間の知性は特定の事柄に関して隠された英知を理解しえないかもしれない」と説明しています。さりながら、ペルシャ語のバヤンの書にある遺体を大理石の棺で埋めるという命令に関する次のバブの言葉を振り返ることで死者を棺で埋葬することの英知に関して洞察が得られます。
この肉体は内なる精神が納まる王座である故、いとわしさを引き起こすことがないよう神は体を可能な限り保つよう定めている…
したがって、死体は最大限の名誉と敬意をもって扱われるべきであると定められました。
同じように、ショーギ・エフェンディは、彼代理から1944年11月13日にある個人の信者に宛てられた手紙において、次のようにと述べています。「バブは、死者を絹で包み水晶の棺で埋めるように言った。なぜか?身体は、今では塵ですが、かつては不滅なる人間の魂によって高められていたからです!」
ご存知のように、アグダスの書は、「死者を埋葬する際、水晶、堅くて耐性のある石材、または良質で耐久力のある木製の棺に入れるよう」にと規定しています。アグダスの書の注釈149において、最も聖なる書には「法の精神は、棺ができる限り耐久性のある物であるべきということである」 と記載されています。棺の素材に関する法は西洋のバハイには現在適用されませんが、棺での埋葬は、信者全般に義務付けられている法の一つです。「グリーン埋葬」を行うことは死者を棺に納める事を伴わないので、バハイ法に矛盾し、信者には許されないであろう。
(万国正義院の代理からある個人の信者に宛てられた2019年4月7日付の手紙より)
[47]
5. 故人のための必須の祈りと葬儀
故人のための必須の祈りは、皆が沈黙のうちに立っている中で、一人の人が祈り全体を読むべきである。祈りの一部を一斉に繰り返す事は、出席者の慣例ではありません。
〔…〕
文盲の問題を克服するために、信者らは他の祈りや聖句を暗記するように教わるのと同じように、「文字の読めない」人のために指定された故人のための必須の祈りの聖句を暗記するよう教わり、各節が祈りの必要条件に則って19回繰り返されるべきことを知るべきである。
(万国正義院の代理からある個人の信者に宛てられた1987年6月16日付の手紙より)
[48]
バハイの埋葬式にはかなりの柔軟性があり、バハイでない人がそのプログラムの部分的な参加に招待されるべきではないなどという理由はありませんが、彼らの関与は他の宗教の葬儀の慣習をバハイの催しに持ち込まないようにする必要性に左右されます。あなたが説明さた状況では、バハイの式のほかに、ユダヤ人の親戚や友人が望む儀式はどのようなものであれ、それを行うことを妨げるものはないでしょう。
(万国正義院の代理からある個人の信者に宛てられた1992年9月2日付の手紙より)
[49]
バハイの家族や友人は、魂の進歩のためにバハイの祈りを捧げることをきっと望むでしょう。そしてその中で、故人のための必須の祈りはバハイの葬儀の重要な要素であります。しかし、その祈りを墓地で、または葬儀の場で唱えなければならないという規定はありません。それは遺体が埋葬される前に唱えられなければならないということだけです。それは、墓の傍での任意の祈りと遺体の埋葬の前に、非公開の設定で唱えることさえできます。
(万国正義院の代理からある全国精神行政会に宛てられた1994年5月4日付の手紙より)
[50]
〔…〕大業の破壊者はバハイの埋葬を受けることは許されません。〔…〕氏の場合、彼が頼んだようにバハイの埋葬を受けられないけれども、葬儀の場でバハイの祈りを唱えることはもちろん自由にできると彼の親族に知らせたことは賢明でした。
(万国正義院の代理からある全国精神行政会に宛てられた1995年7月21日付の手紙より)
[51]
〔…〕故人のための必須の祈りで最大名が六回繰り返される時に使われる言葉は「アラホ・アブハ」であり、選択した一つまたは複数の言語での訳ではありません。
(万国正義院の代理からある個人の信者に宛てられた2000年2月21日付の手紙より)
[52]
研究課から正義院に、バハイセンターでバハイの葬儀を催すことは不適切であると示唆するガイダンスは、バハイの書物には見当たらないとの通知がありました。正義院は、バハイの葬儀がバハイセンターで行われるべきかどうかを決める際に、世界の一部の地域で考慮されるべき文化的、社会的、または公民的な要素があるかもしれないと認識しています。したがって、この葬儀のためにバハイセンターを使用するかどうかを決定するのは、故人の家族との相談を通して関係する地方精神行政会に任せるべきです。
(万国正義院の代理からある個人の信者に宛てられた2005年7月5日付の手紙より)
[53]
葬儀での故人のための必須の祈り、そして、信教の中心的人物に関連する聖なる日の記念の催しにおいての参堂の書、これらそれぞれの録音の使用についてあなたが提起した質問からあなたの思慮深さが感じられます。これらの祈りの特殊な性質のため、正義院は、生の朗読や詠唱の代わりにそれらの録音を使用することは適切ではないと感じています。
(万国正義院の代理からある個人の信者に宛てられた2008年5月14日付の手紙より)
[54]
〔…〕バハイの行政権が奪われている人は、本人またはその家族がそれを要求した場合、バハイの埋葬式を受けることができます〔…〕
(万国正義院の代理からある全国精神行政会に宛てられた2009年11月9日付の手紙より)
[55]
バハイの夫婦が同時に埋葬された場合に故人のための必須の祈りを唱える回数に関する質問についての〔…〕電子メールはバハイ世界センターにて受信され、研究のためThe Research Departmentの方へ転送されました。
The Research Departmentは、この問題を具体的に取り扱う記述はまだ新教の権威ある書物には見つかっていないと指摘しています。最愛なる守護者は、この祈りの使用様式は本文で明白に明らかにされていない雑多な問題として分類され、万国正義院が将来決定することになるとされました。 この問題が提示されるまでは具体的な状況に基づいて決定を行うことができます。
(万国正義院の代理からある個人の信者に宛てられた2010年7月5日付の手紙より)
[56]
バハイの葬儀は、その威厳、簡素、そして柔軟性によって特徴づけられています。唯一の決まりは、埋葬前に「故人のための祈り」を唱えることです。もちろん、他の祈りや書物からの引用文を含めてもかまいません。友らには、決まりきった式次第を避け、慣例とならないようにすることが奨励されています。
「故人のための祈り」は、故人が15歳以上の時には唱えられるべきです。バハオラは、この祈りは埋葬に先立って唱えるべきであると明言されています。ゲブレに向かうことは求められていませんが、友らは、そうすることを選択してもかまいません。
「故人のための祈り」の唱え方についてですが、一人の信者によって唱えられ、その間、すべての参列者は黙して立ち、聴くべきです。「ケタベ・アグダス」最も聖なる書の注釈11番、そして米国2002年、2011年発行版のような最近出版されたバハイの祈りの書(*)に示されているように、「故人のための祈り」の正しい唱え方は次のとおりです。つまり、「アラホ・アブハ」を1回唱え、その後、最初の句、「我らみな、まことに神を礼拝いたします。」を19回唱えます。そして、「アラホ・アブハ」を再び唱えてから、2つ目の句を19回唱えます。同じように続けます。
信者が行政的な権利を失っている場合でも、「故人のための祈り」を捧げるべきです。通常は、故人の近親者である、などの特別な理由がない限り、行政的な権利を停止されている信者に「故人のための祈り」を唱える役目を依頼するのは適切ではないでしょう。
(万国正義院の代理によって書かれた2012年3月3日の返事より)
(訳注:日本語版は2015年度版「バハイ祈りの書」が最新)
[57]
万国正義院は〔…〕バハイが教会を会場として使う葬儀を計画してもよいかどうかについてのガイダンスを求めるあなたの電子メールを受け取りました。万国正義院から次のように回答するように指示されました。
一般的に、バハイ以外の宗教団体が所有または運営している場所において結婚以外の行事を行うことは、そのような使用が一般の目から見て信教を他の宗教と特定しない限り、異論はありません。
(万国正義院の代理からある個人の信者に宛てられた2015年5月19日付の手紙より)
[58]
バハイの葬儀の特徴と、バハイとして登録されていない人がそのような葬儀を受けられるかどうかを尋ねる〔…〕あなたの電子メールを万国正義院は受け取りました〔…〕
アグダスの書においてバハオラは、故人の遺体は死亡の場所から一時間以上の移動の禁止などの死者の埋葬に関する幾つかの法を示しました。さらに、彼は埋葬の前にされる特有の故人のための祈りを定められ、この祈りは成人のみを対象にしたものとはっきり説明しました。成人のバハイのための葬儀では、「故人のための祈り」を唱える構成になっていますが、他の祈りやバハイの書物も含めてもかまいません。
葬儀の実施や埋葬に関する調整などは、通常は遺族によって進められます。とはいっても、精神行政会には、現在適用されているバハイ埋葬の法の必須の決まりについて信者らを啓発し、遺族が法の決まりを守らない様子が見受けられるときに、丁寧に、そして如才なく、決まりに対して彼らの注意が行くように導くという責任があります。行政会は、バハイ埋葬の法を守り実行するという役割を演じる一方で、葬儀自体を執り行なう際には、必ずしもそう広い役割を担う必要はありません。行政会は、葬儀において「故人のための祈り」が唱えられることを確実に導きさえすれば、あとは、遺族が必要とする範囲でサポートします。バハイの結婚式とは違い、バハイの葬儀は法律によって定められた儀式ではありませんので、どう執り行なうか、行政会はどの部分の役割を担うのか、といったことには、いっそう柔軟性があるのです。
アグダスの書の法律は、明らかに、バハイだけに義務づけられているものです。それでも、もしバハイではない故人のためにバハイの葬儀をしたいという申し出がある場合、バハイ共同体はそれに対しあまねく応え、積極的に故人を敬い、遺族に奉仕すべきです。バハイではない故人の遺族が、どの程度バハイの法律を遵守して行うのかは協議を通じて確認できます。バハイの祈りや書物を、式次第の一部として唱えることを希望する人もあるでしょうし、「故人のための祈り」を唱えてほしい人もあるでしょう。また、ある人は、遺体の準備に関しても、バハイ埋葬法に従うことを願うかもしれません。通常は、遺族と繋がりのある一人、または数人の信者が、必要な準備・調整を助ける程度で十分でしょう。また、行政会は、遺族が直接依頼や連絡をしてこない限り、関わる必要はないでしょう。
(万国正義院の代理からある全国精神行政会に宛てられた2016年4月22日付の手紙より)
[59]
信者が自殺した場合のバハイの法に基づく埋葬の質問に関して、研究課は、これまでバハオラやアブドル・バハの書物、またはショーギ・エフェンディやその代理によって書かれた手紙には何も発見されていないと報告しています。自殺は教えの中で強く非難されていますが、自殺したためにその人がバハイではなくなってことを意味するわけではありませんし、正義院はその人がバハイの葬儀を受けることはもっともであると決めました。
(万国正義院の代理からある全国精神行政会に宛てられた2016年11月29日付の手紙より)
[60]
共同体の他の人の葬儀のプログラムの準備を手伝っているある信者からの、二つの故人のための祈りの中で、性代名詞を男性から女性に変更できるかどうかを尋ねる問い合わせを転送した〔…〕あなたの電子メールを万国正義院は受け取りました。この信者は、言葉に表現されているように〔…〕独特の感性与えられていることと、幾名かのバハイでなく、地元の公共機関の者を含む著名で有名な家族が葬儀に参加することを踏まえ、男女平等に関する信教の見解を誤解するかもしれないと懸念しています。私たちは次の事を伝えるように言われました。
ご存知のように、守護者はバハイが啓示された祈りの代名詞と主語を変える事を望みませんでした。次の彼の代理による1947年1月14日付の手紙はこの点を明確にしています。
彼に問い合わせた質問に関してですが、故人のための長い祈りでバハオラご自身が細かく特定した「彼」を「彼女」などと換えて唱えることは許されているどころか、義務として見なされています。しかし、故人のための祈りを含め、他のすべての祈りでは、正確な文書を守り性別を変えてはなりません。
葬儀のプログラム案に必要な変更を加えられるように、この原則を友らに知らせてください〔…〕
(万国正義院の代理からある全国精神行政会に宛てられた2018年7月30日付の手紙より)[61]
万国正義院は、あなたの共同体の信者に代わって故人のための必須の祈りに音楽をのせても良いかを問い合わせた電子メールを受け取りました。祈りがその翻訳で唱えられるかどうかという文脈でこの問題が生じたと理解しました。私たちは次のように伝えるように言われました。
レコーディングや演奏などの目的で故人のための必須の祈りに音楽をのせることは適切ではありません。ただし、スタイルが適切で遺言のあるものであるとあなたが納得できるものであれば、バハイの葬儀において信者がそれを唱えることに異論はありません。
(万国正義院の代理からある全国精神行政会に宛てられた2019年4月25日付の手紙より)
[62]
6. 墓地、墓石、またそれに関連する点
遺体は、顔をゲブレに向けて埋葬されるべきである。
(ショーギ・エフェンディの代理からある個人の信者に宛てられた1935年7月6日付の手紙より)
[63]
バハイまた非バハイの墓石での最大名の使用に関してのあなたの質問についてですが、守護者は、一般的な使用でその様な場所に据えるにはあまりに神聖であり、友らは墓石には使用すべきではないと考えておられます。希望すれば、教えからの引用を使用できますが、最大名は使用できません。当然、すでに使用したものは構いません。
(ショーギ・エフェンディの代理からある全国精神行政会に宛てられた1954年6月20日付の手紙より)
[64]
あなたの質問に関してですが、「バハイ」という言葉を、大切な人の墓石にある九芒星の中央に配するべきではないのかということに対しての根拠はありません。しかし、指輪の標章 も最大名も使われるべきではありません。
(ショーギ・エフェンディの代理からある個人の信者に宛てられた1955年7月30日付の手紙より)
[65]
墓地において、遺体の向きは、足がゲブレ、つまりアッカのバージに向けられるべきです。
(万国正義院からある個人の信者に宛てられた1971年9月17日付の手紙より)
[66]
「ヤー・バハオル・アブハ」の表象もバハイの中石に使われる記章も墓石には使用すべきではありません。
(万国正義院からある個人の信者に宛てられた1972年10月15日付の手紙より)
[67]
正義院は、信者の皆さんが…において一般の慣習に従い、すなわち、墓穴をコンクリートやセメントのブロックで覆工せずに、棺を直接墓穴に置いて土で覆うということに、全く異議はありません。これは、完全に、家族の裁量に任されるべき事柄です…
(万国正義院の代理からある全国精神行政会に宛てられた1984年7月29日付の手紙より)
[68]
万国正義院は、バハイの海での埋葬の許容性について問い合わせた〔…〕あなたの手紙に次のような返答送るように仰せになりました。
バハイの埋葬法は海での埋葬については言及しておらず、正義院はまだこの問題について方を制定していません。しかしながら、バハイの埋葬は、可能な場合は常に陸上で行われることが望ましいです。
(万国正義院の代理からある全国精神行政会に宛てられた1985年12月23日付の手紙より)
[69]
… バハイの掟では、何段かの墓に埋葬をすることや、土地が硬質の岩からなっている国などの習慣にあるように、地上の納体堂を使用することを禁じてはいません。
(万国正義院の代理からある個人の信者に宛てられた1986年7月29日付の手紙より)
[70]
それは、現在は義務づけられてはいない一方、最終的には、現在東方でなされているように、すべての国においてバハイはゲブレに向かって埋葬されるでしょう。(つまり、遺体の足がバージに向くように埋葬されるようになる、ということです。)もし、遺体の上半身を起こした状態の顔の向きを想定すれば、あなたが引用されている二つの文章は矛盾しないということが明白になるはずです。[1]
(万国正義院の代理からある個人の信者に宛てられた1992年9月13日付の手紙より)
[71]
共同体のメンバーの埋葬のために地下埋葬室や保管庫を使用することについてガイダンスをあなたは求めましたが、それに対して万国正義院は、墓地にふさわしい土地の獲得するに当たってあなた方が現在困難に直面しているため、バハイの埋葬に関する全ての要件が守られていれば、この方向性にしたがっても良いと助言されました。
(万国正義院の代理からある全国精神行政会に宛てられた1997年3月11日付の手紙より)
[72]
あなたは、地方自治体の霊園では、墓石の寸法に法的な制限があるが、私有財産であるバハイ墓地にはそれらの制限は適用されないと述べておられます。さらに、そういった場合、バハイが従うべき仕様はあるのか、ということも問うておられます。通常は、墓石に関する事柄は、その墓地を担当しているバハイ機関が考慮すべきです。一般的には、墓石の素性、つまり寸法やデザインなどは、遺族に任されますが、もちろん、そこに関連する地方もしくは全国精神行政会が決定するべき何らかの要望、または考えなどには配慮していく必要はあります。
バハイの書物からのガイダンスに関してのあなたの問い合わせでは、墓石、または墓地の上部構造に関する規定は、なにも見つかっていないということです。墓石の碑文に関して、敬愛されし守護者は、信者に対し、どんな形体でも最大名は使わぬようにとおっしゃっています。しかし、九芒星は使ってもかまいません。希望するなら、聖なる書からの適切な文章を、墓石に彫ってもかまいません。
(万国正義院の代理からある個人の信者に宛てられた2002年3月3日付の手紙より)
[73]
洪水が発生する可能性のある地域でのバハイの埋葬法の適用に関する〔…〕あなたの電子メールの手紙を万国正義院は受け取り、次のように応答するように言われました〔…〕
〔…〕
まず貴国の全国精神行政会がするべきことは、問題の地域、あるいは、その近くに、地上に埋葬することを含めて、民法にかなう埋葬の手段があるかどうかを調べることです。例えば、墓地に使用できる土地が非常に限られている国の全国精神行政会が出した問いに対して、万国正義院は次のことを勧めています。つまり、墓地を必要とする各地域に、小さい土地を購入し、そこに、多数の個人用納体室から成る霊廟を建てるということです。なお、それらの個人用納体室が何層かに重ねられることに問題はなく、また、その建物の周り、あるいはその前か中に、小さい魅力的な庭園を作ることができるとの指摘もありました。故人が亡くなった場所から一時間以内の場所で埋葬する掟は、死亡した市や町の境界から計算できますし、移動する手段が制限されないことも念頭に置くとよいでしょう。
(万国正義院の代理からある全国精神行政会に宛てられた2008年6月15日付の手紙より)
[74]
おそらくご存知のとおり、埋葬法の規定は、仰向けに、両足がケブレに向くように体を墓に安置するようにとなっており、イスラム教の慣習のように右側を下にして顔をケブレに向けるというものではありません〔…〕
(万国正義院の代理からある全国精神行政会に宛てられた2013年7月15日付の手紙より)
[75]
〔…〕もし選択肢がある場合は、遺体を共同墓地ではなく別のお墓に埋め直すことより適切です。バハイの法律では、何段かの墓に埋葬することや、地上の納体堂を使用することを禁じてはいません。
(万国正義院の代理からある全国精神行政会に宛てられた2016年4月19日付の手紙より)
[76]
万国正義院は、同じ墓に二体を埋葬することが、バハイの法律では許されるのかどうかという、あなたからの問い合わせの〔…〕電子メールを受け取りました〔…〕
親愛なる守護者は、「各故人に専用の墓を作ることがより好ましく、よりふさわしい」と述べておられますが、万国正義院は、これは、より好ましい選択の話であり、絶対的な決まりではないと助言しています。万国正義院は何をもって「墓」とするのかということについての法律を制定しておらず、今の時点において埋葬の法に関するこのような詳細について制定することを望んではいません。したがって、この問題は、現時点では、友ら一人一人の裁量に任されています。もちろん、精神行政会が、例えば墓地を作るとき、一つの墓に複数の遺体を埋葬すべきかどうかという問題に直面した場合には、決定はその行政会に託されるでしょう。
(万国正義院の代理からある個人の信者に宛てられた2016年9月20日付の手紙より)
[77]
埋葬保管庫の使用に対するあなたのさらなる懸念に関してですが、バハイの法は埋葬保管庫または地下埋葬室の使用を扱っていません。
(万国正義院の代理からある個人の信者に宛てられた2019年4月7日付の手紙より)
[78]
万国正義院はあなたの電子メールの手紙を受け取りました〔…〕バハオラの名前を墓石に使用することが許されるかどうかについての説明を求められる内容でしたが、次のことを伝えるように言われています。
〔…〕バハイの書物から引用文とその著者の名前を使用することは許されます。彼の書物からの引用の終わりに記すバハオラの名前を含みます。
(万国正義院の代理からある個人の信者に宛てられた2019年7月3日付の手紙より)
[79]
7. 死産の乳児と亡くなった子ども
死産または流産による乳児のバハイの埋葬についてのあなたの問い合わせに関してですが、故人のための正式な祈りは成人のみを対象に啓示されました。友らはもちろん、死が出産前であったかにしろ出産後であったにしろ、子ども達の葬儀で他の祈りを自由に唱えることができます。
(万国正義院の代理からある全国精神行政会に宛てられた1971年7月30日付の手紙より)
[80]
〔…〕万国正義院は、故人のための必須の祈りの子どものための使用に関してのあなたの質問に対して、次のような説明を伝えるように言われました。
アメリカの祈りの本の医術は正しく、以下に引用されているアグダスの書の付属文書である「質疑応答」の部分に基づいています。
「質問 埋葬用の指輪の使用は大人だけに課せられたものか、それとも未成年者にも同様に課せられたものか。
答え 大人だけが用いるものである。死者のための祈りも同じく、大人のためである。」
「アグダスの書 概要と体系」に記されているように、死者のための祈りは必須のもので、次のような嘆願が行われる。
「人々の罪を許し、人々の過ちを覆いかくし給う神よ。御恵沢の天上と、ご恩寵の大海原に相応し今まにこの僕をあしらい給え。」
しかしながら、子どもに関していうと、ご存知のとおり、アブドル・バハは「質疑応答集」において、子ども達は「神の恩恵の保護のもとのあります。彼らは、何の罪も犯さず、自然界の不浄さにも汚されていないので、恩恵の顕現の中心となり、神のあわれみの目は、彼らの上に注がれるでしょう」と説明しています。
(万国正義院の代理からある全国精神行政会に宛てられた1984年5月24日付の手紙より)
[81]
故人のための特別の祈りは15歳以上の信者にのみ唱えられるというあなたの理解を確認するあなたの手紙に応じて〔…〕万国正義院は、それが正しいことを知らせるように我々に言われました。
(万国正義院の代理からある個人の信者に宛てられた1986年2月9日付の手紙より)
[82]
流産または死産による胎児の埋葬と墓に関連する様々な点についての〔…〕あなたの電子メールの手紙を万国正義院は受け取られ、次のことを伝えるように言われました。
ご存知のように、バハイの観点から見ると、魂は受胎の時から存在しているため、胎児がどれほど若くても、敬意を持って扱われるべきです。しかし、胎児の処分に関する特定のガイダンスが書物に存在しないため、厳格な規則に従う必要はなく、埋葬に関する詳細は両親の裁量に任されています。
(万国正義院の代理からある地方精神行政会に宛てられた2008年10月22日付の手紙より)
[83]
万国正義院は、〔…〕胎児の死をもたらす可能性が高い深刻な健康上の問題を抱えている胎児のいる方に代わって〔…〕ガイダンスを求めるあなたの電子メールの手紙を受け取りました。
正義院は、この質問のもととなる状況を知り悔やまれました。この質問のきっかけとなった感情はわかりましたが、バハイ法では、死亡の場所から1時間以内の距離での埋葬が義務付けられています。あなたのいとこの赤ん坊が出産後に亡くなった場合、遺体は彼の亡くなった場所から1時間以上かけて埋葬のために移動されるべきではありません。しかし、彼が死産であった場合、この問題を扱ったものが書物には見つかっていないため、埋葬の詳細は両親の裁量に任されています。
(万国正義院の代理からある個人の信者に宛てられた2019年9月9日付の手紙より)
[84]
8. 墓地
現在、バハイ墓地の整備に関する明確な規則はありません。しかし、あるアブドル・バハの書簡中に、師は、墓地が美しい外観を持つことの重要性を強調されており、墓同士がお互いに接触するように配置されるべきではなく、夫々の墓が、その四方に花壇を持つべきであると述べられています。師は、また、墓地の中央に池があり、美しい木々が、池のまわりに植えられ、さらに墓地の周りにも植えられていれば快適であるとも述べておられます。
(万国正義院の代理からある全国精神行政会に宛てられた1978年2月20日付の手紙より)
[85]
〔…〕小さな共同体に多数の信者が点在している国々では〔…〕正義院は、友らがバハイ墓地を持つ必要性を疑う余地なく感じていることに感謝しています。多くの政府が墓地のために土地を提供することをいとわず、この目的のために土地の下付をバハイの機構が受けいることに意義はありません。まず第一歩として、あなた達のニーズについて政府当局に掛け合うことをお勧めします。もし政府がそのような土地の確保を支援できない場合は、私有地に埋葬することが許されるかどうか、そして、バハイの私有地をこの目的のために利用できるかどうかを調査するとよいでしょう。万が一そうなった場合、地元で何ができるかを見つけ出すために尽力できるでしょう。つまり、進んで土地を寄付する友らがいるかどうか、または代わりに、適切な土地の購入のためにどれだけ友らが貢献できるかを調べるのです〔…〕
(万国正義院の代理からある全国精神行政会に宛てられた1983年11月24日付の手紙より)
[86]
投票権を失った者をバハイ墓地に埋葬することを拒むことは、正しくないでしょう。さらに、信者のバハイでない家族やその他の人々も、バハイ墓地に埋葬されることが許可される可能性も大いにあります。しかしながら、バハイ墓地として使用するために選ばれた土地の面積が、バハイでない人たちの埋葬を可能にするために十分に広いかどうかという点が、決定的な要素ともなりうるでしょう。厳格な規則を取り入れるのではなく、それぞれのケースを、独自の実体をもとに検討することをお勧めします。
(万国正義院の代理からある全国精神行政会に宛てられた1984年7月12日付の手紙より)
[87]
万国正義院は、あなたから受け取った電子メールの中で〔…〕バハイの墓地として使用するために〔…〕墓地の一部を地方精神行政会に〔…〕割り当てる可能性があるという部分を非常に興味深く受けとられました〔…〕
〔…〕
〔…〕当然のことながら、バハイの墓地は整えられた美しい状態に維持されるべきです。バハイの墓地はバハイ共同体の所有地であるため、土地の購入のための資金は、信教の機構の責任であるべきです。一部の信者は区画を購入したいと思うかもしれませんし、他者はその企画への目的献金での貢献をしたいと思うかもしれません。しかしながら、万国正義院は、バハイ誰一人として、区画の購入とその維持の全費用を支払う余裕がないがために施設の使用を拒まれるようなことがあってはならない、と感じておられます。墓地の維持のための基金への寄付を全般的に呼びかけることができます。しかし、バハイであれバハイでない人であれ、墓地に埋葬された人々の家族から、この目的のために資金を集めることは適切ではないでしょう。
(万国正義院の代理からある全国精神行政会に宛てられた1992年11月24日付の手紙より)
[88]
万国正義院は、〔…〕バハイ墓地で家族の地下埋葬室を予約することの妥当性に関するガイダンスを求める あなたの電子メールを受け取りました。
正義院はこの質問に関して法を制定しておらず、現時点においてそのような埋葬の詳細について法を制定することを望んでおられません。ただし、精神行政会がバハイの墓地に関する特定のガイドラインを策定することを望んでいる場合があり、そして、この問題に関する決定により広範囲に及んで影響を及ぼされる可能性があるため、貴国の全国精神行政会に助言を請うことができるでしょう。
(万国正義院の代理からある地方精神行政会に宛てられた2002年1月14日付の手紙より)
[89]
必須の祈りとバハイ墓地での墓の向きの両方に関連してケブレの方向の定め方を尋ねるあなたの電子メールの手紙を〔…〕万国正義院は受け取り、次のように返信するよう指示されました。
特別委員会によって正義院のために用意された以下の記録は、祈りの目的のために地球の様々な場所からケブレの方向を確認する方法を説明しています。現時点では、西洋において墓をケブレに向けるという条件に拘束力はありませんが、可能であれば、これらの同じ記録をこの目的にも使用することができるでしょう。ご参考までに加えて言いますと、マシュレゴウル・アズカルの方向は同じ原則に基づいています。
地球上のある地点からのケブレへの方向は、バージとその当該する地点を通過する大円の短い弧に沿って設定できます。この文脈での大円とは、その平面が地球を二分する円です(例えば、赤道や縦径線)。バージは東経約35度、北緯33度に位置しています。
(万国正義院の代理からある個人の信者に宛てられた2011年6月27日付の手紙より)
[90]
〔…〕新しい墓地の設計を考えるとき、皆さんは、ゆくゆく、バハイは、バハイ世界のゲブレの方向に向かって埋葬されるということを考えるべきです。つまり、将来作られるであろう墓地は、みな、遺体の足がバージに向くように配列することが望ましいでしょう。
(万国正義院の代理からある全国精神行政会に宛てられた2013年6月10日付の手紙より)
[91]
9. 死者に敬意を示すこと
2〜3年間、定期的に追悼式を行うことについて尋ねた〔…〕あなたからの手紙を受け取りました〔…〕
ご存知の通り、バハイであろうとなかろうと、亡くなった人々に代わって祈りを捧げる事は、そのような祈りは次の世界における魂の進歩の助けとなるため、私たちの教えの中で奨励されています。定期的な追悼会の開催に関しては、そのような集会を特に禁止する教えはありません。しかし、親愛なる守護者の手紙に全般的な指針を見ることができます。その中で彼は信者らに、過去の制度や宗教の儀式や習慣に固執しないよう警告し、代わりにバハイの生き方を示し、信教の教えの独自の特徴を示すよう促しています。
家族による追悼会の宣伝は、家族が決めるべきまったく個人的な事柄です。地方精神行政会がそのような集まりのためにバハイセンターの使用を許可するかどうかは、貴全国精神行政会の裁量に任されています。
(万国正義院の代理からある全国精神行政会に宛てられた1974年5月24日付の手紙より)
[92]
高名な信者のために追悼会を開催するかどうかを決定する際には、全国精神行政会は最大限の知恵と裁量を用いなければなりません。そのような行動は先例を打ち立てる可能性もあり、必然的に注意深く選ぶ必要があるでしょう。
この他は、マシュレゴウル・アズカルでのプログラムの性質を左右する全般的な規定が守られる限り、一般のための礼拝が予定されていない時に、そこを訪れる団体が講堂を特別な祈りの会のために利用することを貴行政会が許可することに異論はありませんし、このような集まりにバハイでもバハイでなくても、亡くなった魂のための追悼会も含まれるでしょう。ただし、一部の宗教では、故人の死後、特定の時間が経過した後に追悼式を行うことが習慣になっています。例えば、イスラム教においては、亡くなってから40日です。守護者は、そのような慣行は信教とはなんの関係もないと述べており、友らはこの事柄を完全に明確にすべきであり、そして、できればこのような習慣をやめるべきであると述べられました。したがって、そのような事柄の全てにおいて全国精神行政会は、決まった習慣や礼式が生じないように注意すべきです。
(万国正義院の代理からある全国精神行政会に宛てられた1976年11月24日付の手紙より)
[93]
万国正義院は、亡くなった信者を追悼して建物またはホールを名付けることの適切性に関するガイダンスを求める〔…〕電子メールを受け取りました〔…〕
正義院は通常、親愛なる守護者によって確立された原則に沿い、その人物が大業に崇高に仕えてきた著名なバハイであったとしても、信教の機構であるハジラトゥル・クッズのような建物を名づけることは推奨しません。ただし、故人に敬意を表す代わりの方法として、会議室、図書室やその他の指定された空間などの特定の部屋にそのような信者の名前をつけることには異論のない場合もあります。また、世界で非常に喜ばれよくあることは、非常に愛され高く評価されている亡くなった信者にちなんで、バハイの教育施設またはトレーニングインスティチュートを名付けることです。
そのような事柄に関しては、全国行政会は賢明な裁量を行使しなければなりません。財政的手段をもつ人々が、大切な故人にちなんで名付けられるという了解または条件の元に、建物の建設に多額の寄付をするという他の宗教において従来一般的に見られる習慣が、バハイ共同体で現れることを避けることを、正義院は望んでいます。友らは、寄付金に個人的な執着を持たずに、共同体の利益のために使われる施設の建設プロジェクトに自由に支援すべきであり、信教の機構は、特定の状況において、財政上の考慮事項とは無関係に、自由に名誉に値する人々にちなんでそのような施設を名付けるべきです。
(万国正義院の代理からある全国精神行政会に宛てられた2012年3月11日付の手紙より)
[94]
バハイが、人の人生を祝うことを目的とした集会に出席することに関して、もちろん、原則として、友らが、故人の魂の進歩のために祈りを捧げるために催される集まりに参加し、故人の人生と奉仕に関して話をすることを妨げるものは何もないでしょう。
(万国正義院の代理からある個人の信者に宛てられた2018年6月7日付の手紙より)
[95]
10. 遺体の掘り起こしと再埋葬
親愛なる守護者の代理で、彼の秘書が書いた手紙にこうあります−「魂は肉体から去った後、肉体との関係はなくなりますが、肉体はかつて魂が宿っていた聖堂であるので、バハイは肉体が敬意を持って扱われるべきであると教えらっています」。これらの言葉は、なぜ、原則として一度埋葬された遺体を掘り起こさないことが好ましいかを示しています。しかし、やむを得ない事情があれば、あるいは、民法上で義務付けられている場合は、バハイの掟によると、遺体を掘り出し、埋葬しなおすことはできます。しかし、その場合、友らは、なるべく故人が亡くなった場所から、できる限り一時間以上の場所へ移動しないようにするべきです。つまり、亡くなった場所の近くに埋葬するといったバハオラの掟の精神を順守することを念頭に置くべきです。
(万国正義院の代理からある個人の信者に宛てられた2014年2月5日付の手紙より)
[96]
万国正義院は、亡くなった信者の埋葬地の賃貸契約の期限がまもなく切れてしまい、家族が遺体を別の場所へ移す負担を負えないという状況に関する〔…〕電子メールを受け取りました。我々は次のことを伝えるように言われています。
発掘と埋葬については、一般的に言えば、いったん埋葬された故人の遺体は掘り起こさないことがむしろ望ましいです。しかしながら、状況が求める場合、または民法によって要求される場合は、死者の遺体を掘り起こし再び埋葬する事は、バハイの法で改葬する事は許可されています。そしてその場合、遺体が死亡の場所から1時間を超えて移動されないように、また死亡の場所の近くで埋葬が行われるというバハオラの埋葬法の精神が遵守されるように、友らは可能な限りあらゆることを行うべきであるということに留意すべきです。墓の破壊や遺体の火葬の問題が発生した時はいつでも、可能と感じる範囲の措置を講じるよう、個々の家族自らに任されます。遺族がいない、または遺族が埋葬地の賃貸契約の延長や遺体の移動の費用を賄えない場合、バハイの共同体がこのような費用を負担することは適切ではありませんが、そうすることが必要となる特別な状況があるかもしれません。
土地が少なく、限られた期間だけ埋葬地を賃貸することが一般的である場所では、唯一の解決策は、バハイ墓地のために土地を購入することです〔…〕そのような墓地を備えることは現在財政的に実現可能ではないかもしれませんが、多くの地方および全国精神行政会は、将来取らなければならない行動方針であり、それにより必要に応じて信者の遺体を発掘し、改葬することが可能になります。今のところは、利用できる手段をもって、そして社会が提示する状況の中で最善を尽くすことが、友らやその家族に任されています。
(万国正義院の代理からある全国精神行政会に宛てられた2019年3月10日付の手紙より)
[97]
万国正義院は、資産委員会からの遺体の発掘と故人の改葬に関する多数の質問を転送した〔…〕あなたの電子メールの手紙を受け取りました。次のことをお伝えするように言われています。
現在の埋葬地が汚染されていることが懸念されているため、一部の信者の遺体を新しい場所へ移動する可能性を検討していることがわかりました。一般的に言えば、いったん埋葬された故人の遺体は掘り起こさないことがむしろ望ましいです。しかしながら、状況が求める場合、または民法によって要求される場合は、死者の遺体を掘り起こし再び埋葬する事は、バハイの法で改葬する事は許可されています。現在の状況において、遺体を新しい墓地に移す必要があるかどうかは、上記の原則に照らし合わせて状況を検討し、掘り起こしと改葬について故人のご家族の意見を考慮した上で、あなたがたの判断に任されます。
掘り起こしと改葬は、必要に応じて身体への影響を最小限に抑え、敬意を示す方法で行われるべきです。バハイ法は人間の遺体を新しいまたはより小さな棺に移すことを排除していません。ただし、遺体をもう一度布で包むことや故人のための必須の祈りをもう一度唱えたりしてはなりません。もちろん、その際に、他の祈りが捧げられることに異議はありません。
(万国正義院の代理からある全国精神行政会に宛てられた2019年11月14日付の手紙より)[98]
11. 火葬
アブドル・バハが火葬には反対であると述べられたことにかんがみて、信心の行動として、自身が火葬されないように対策をとることを信者らを強く促すべきだと守護者は感じておられます。バハオラは、「ケタベ・アグダス」において、バハイの埋葬の作法を法律として定められましたが、それは、非常に美しく、適切で、高貴な作法であり、どの信者もそれを破るべきではありません。
(ショーギ・エフェンディの代理より全国精神行政会に宛てられた1947年7月7日付の手紙より)
[99]
火葬についてのあなたの質問に関してですが、バハイの法律は土葬と定めています。バハオラの「最も神聖なる書」に含まれているバハオラのご指示に、この法律が明記されています。ショーギ・エフェンディは、彼の代理を通じて 1955年に個人の信者宛てに書かれた手紙の中で、アブドル・バハも『土葬は自然であり、守られるべきであると説明なさいました』と述べておられます。ショーギ・エフェンディが言及された師の説明は、師が書かれた書簡に見出すことが出来ます。それらの一つは、『西の星』[Star of the West]の第11巻、第19号の317ページに出版されており、そこから引用します。
汝の手紙を受け取った。時間の不足のために、われは返事を簡単に記す。人間の肉体は徐々に形成されたものであるが、それは同様に徐々に分解されねばならない。これは現実と自然の秩序、そして神の法に応じるものである。もし、それが死後に焼かれる方が良かったとしたら、まさにその創造において肉体は死後に自動的に火がつけられ、焼きつくされ、灰になってしまうように計画されたことであろう。しかし、天の法令によって明確に述べられた神の秩序は、死後、この肉体はある段階から、前とは違った段階へと移されるということである。そこで、世界に存在する関係に従って、それは徐々に他の要素と混成し、混合し、様々な段階を経てやがて植物界に到達する。そこでは植物や花に変わり、最高の楽園の樹へと発達し、芳香に満たされ、そして美しい色になるのである。
火葬は、それがそれらの変化に達するのを急速に抑制し、その要素を急速に分解するために、これらの様々な段階への変化が阻止されるのである。
私達の肉体が、その創造者によって地球にある要素で構成されていること、また、創造者の法則の整然とした過程を通して、生存物の形成のために断続的に使用されているということを理解する時、私達の肉体が徐々に分解される過程を通過する必要性を理解することが出来ます。私達は、肉体を、地球上の生活を通しての旅に使い、目的地に達したらもはや必要ではなくなった乗り物に例えることが出来ます。死ぬ時、人間の真の、そして永遠なる自分である魂が神の領域へと舞い上がるために、その肉体の衣(ころも)を捨て去るのです。
(万国正義院からある個人の信者に宛てられた1971年6月6日付の手紙より)
[100]
明らかに、精神行政会自体が、バハイの遺体の火葬を手配することはできません。その人が自身の体をそのような処置を望んでいたとしてもです。同様に、バハイの親族もバハイの法に従う義務があり、バハイの火葬に同意してはなりません。亡くなったバハイのバハイでない親族が、遺体を管理し、遺体の火葬を提案している場合、責任ある精神行政会は火葬を防ぐために、親族にバハイの考えを説明するためにできる限りのことをすべきです。これらの努力が失敗した場合、行政会は痛いのかそうとは何の関係をもってはなりません。ただし、信者たちは葬儀や火葬の参加については自由にすることができ、もちろん故人の魂の進歩のための祈りを捧げることもできます。行政会は、適切と思われる場合、葬儀以外の時に、故人のための必須の祈りを個人に代わって唱えるための集まりを手配することもできるでしょう。
〔…〕
〔…〕もし、あるバハイがバハイの法に反して準備を整えた場合、その準備はバハイの法では無効であり、バハイの親族も精神行政会もそれを履行することは許されません。したがって、もしバハイが遺言において火葬の意思を表した場合は、それにもかかわらず、そのような事態を防ぐ民法の要素がない限り、バハイの法にしたがって埋葬されるべきです。民法に従う必要がある場合でも、上に示したように、行政会はそれに携わることはできません。遺体がバハイでない親族の管理下にある場合、上記の段落で説明された原則が〔…〕適用されます。
(万国正義院の代理からある全国精神行政会に宛てられた1984年12月9日付の手紙より)
[101]
正義院は、火葬についての見解をバハイの教えに準ずるように改めるにあたってあなたが感じている困難に共感しています。神の顕示者によって啓示された法と教えは、人間の現在の基準と科学によって比較検討されてはならないということは、明確に述べられたバハイ信教の原則です。真理の探求によって神の顕示者の認識へと導かれた場合、信じる者は、顕示者の発言を、発言の根拠が完全に明確でない場合でも、神の真実であると受け入れることが期待されます。祈り、瞑想、そしてバハイの書物を熱心に勉強することと、時間の流れとともに、誰でも、啓示にバハオラによりもたらされた真理を次第により深く理解するようになります〔…〕
〔…〕バハイ法は火葬ではなく埋葬を要します。この法は、あなたの手紙で言及されているヒンズー教の哲学の側面とは著しく異なりますが、バハオラの到来の目的の一つが、宗教的および哲学的問題に関する誤解を明確にし、これまで推量や憶測の主題であった問題について確かな導きを提供することであるということを覚えておいてください。
(万国正義院の代理からある個人の信者に宛てられた1987年11月25日付の手紙より)
[102]
〔…〕人体は徐々に形成されたが故に埋葬は自然です。しかしながら、ペストやこれらの蔓延などの緊急事態では、アブドル・バハは火葬は許されると助言されています〔…〕
(万国正義院の代理からある個人の信者に宛てられた1998年1月29日付の手紙より)
[103]
万国正義院は、〔…〕故人の遺体の処置に使われる新しい方法についての〔…〕あなたの電子メールの手紙を受け取り、次のように返答されました。
遺体を凍結し、その後、粉末状に遺体を粉砕するこの方法が、バハイ法に準拠していないというあなたの判断に、正義院は同意します。
(万国正義院の代理からある全国精神行政会に宛てられた2006年10月10日付の手紙より)
[104]
個人が医学研究に自らを献体することは自由です。この目的で献体した時には、火葬にするのではなく、可能なら、死亡した場所、または献体を終えた場所から1時間を超えない場所に埋葬するように依頼するべきです。そのような条件を受理するかどうかの決定は、その時点で献体を受け入れる医学機関次第ですが、仮に医学機関が上記の条件を受け入れられないとしても、信者が希望するなら、献体は許されます。
友らが、ご自分の遺体の扱いに関して希望どおりになされることを確実なものにするために、ご家族と相談することをお勧めします。
(万国正義院の代理からある個人の信者に宛られた2014年12月21日付の手紙より)
[105]
火葬の禁止は、埋葬に関する恣意的な法ではなく、信者のための、故人の丁寧な葬り方を示すバハオラの導きです。火葬を選択することによって、バハオラの法に従順であるという祝福を失うのです。
(万国正義院の代理からある個人の信者に宛てられた2018年12月2日付の手紙より)
[106]
12. その他の事柄
共同体のバハイが亡くなった時に、原因が何であれ、家族や保険によって適切な埋葬が提供されない場合、場合によってはその責任は、地方精神行政会、または全国精神行政会にあります。
(万国正義院の代理からある全国精神行政会に宛てられた1969年8月17日付の手紙より)
[107]
追悼のために黒い服を着ることに関してですが、これまで未翻訳だった守護者の代理によって書かれた東洋の個々の信者らに宛てた手紙に、この質問に答える文章があります。
「他人を真似ることは許されませんが、黒い服を着ることは許されており、友らはそのような事柄に関して自由にすべきです。」(これは、バハオラの昇天とバブの殉教の日に、友らが黒い服を着るべきかどうかという質問の応答として書かれました。)
「すべての友らは、聖典に明示的に書き留められている内容に従うべきです。書き留められていないものは、近来、全国精神行政会に問い合わせるべきです。この頃は、友らはできる限り、聖なる神の信教の独立性と否定され破棄された過去の慣習、儀式、慣行からの信教の自由を、自らの行いをもって証明すべきです。」(これは、喪服に黒い服を着ること、九日目に墓参りをすること、死者の埋葬を遅らせることに関する質問への応答に書かれました。)
(万国正義院の代理からあるバハイの家族に宛てられた1979年5月7日付の手紙より)[108]
〔…〕氏の二つ目の質問は、脳は死んでいるが、呼吸機能と循環機能が依然として人工的、かつ一時的に維持されている昏睡状態の個人が死亡しているとみなされるかどうかを尋ねています。万国正義院は、人がいつ死亡したとみなされるかを決定する際に従うべき基準について、裁定を下していません。従って、現時点では、バハイに関する限り、これは適切な医療及び法的当局の判断に委ねられる問題となります。
(万国正義院の代理からある全国精神行政会に宛てられた1986年6月19日付の手紙より)
[109]
〔…〕自身の遺体を科学的研究のために残すことは許されていますが、それにより、死亡してから最終的に埋葬するまでに長期間になることは結果的に避けられません〔…〕
(万国正義院の代理からある個人の信者に宛てられた1994年1月4日付の手紙より)
[110]
バハイでない親族が葬儀を手配している場合、バハイの埋葬法が遵守されることをはっきりと明記している故人の遺書の実行が妨げられる可能性があります。このような状況が発生した場合、法的措置は講じられるべきではありません。しかし、故人の最後の願いを守ることの重要性に、バハイでない親族の注意を促すべきです。そして、行政会は、これの伴う道徳的義務を彼らに伝えるように努めるべきですが、家族が応じることを拒否した場合、強要すべきではありません。
(万国正義院の代理からある全国精神行政会に宛てられた1994年5月4日付の手紙より)
[111]
万国正義院は、埋葬に関する法律を無視することは、現時点では行政権の剥奪に値しないと決定しました。
(万国正義院の代理からある全国精神行政会に宛てられた1996年10月29日付の手紙より)
[112]
万国正義院は、電子メールで受け取った〔…〕バハイの法に反する火葬や大規模な防腐などのサービスを提供する葬儀場の責任者にバハイがなることの適性に関するあなたの依頼を検討しました。
よくご存知のように、信者が葬儀場の責任者になることを禁止する項目が聖典にはないことを伝えるよう言われ、現時点では、正義院はこの問題について法を制定することを望んでおられません。決断に至る際に考慮すべき状況が、信者の生活にあるかもしれませんし、最終的には、この問題は信者の裁量に任されるべきです。
(万国正義院の代理からある全国精神行政会に宛てられた2001年6月10日付の手紙より)
[113]
信教において重要な役職を占め、バハイの埋葬に関する法の要件に精通している地元の信者の一部が、死亡の場所から1時間を超える距離にある特定の場所に埋葬する必要性のある伝統的な慣行に従うという状況に対するあなたの不安に、万国正義院は共感しています。先住民族の信者が広く受け入れられている部族の慣習を捨てることは、段階的なプロセスであることを覚えておくと良いでしょう。それは、信者の教育において最大の寛容と理解が、そしてそれに影響される友らにおいては、バハイの基準に準拠するように断固として努める際に忍耐も必要になります。同様に、国際パイオニアはとてつもない忍耐をもたなくてはなりませんし、完璧な人たちがいるかのように偽ってはなりません。1943年2月27日付の守護者の代理によってある個人の信者に宛てて書かれた手紙にあるように、「信者らの、お互いと彼らの欠点へ示す忍耐、愛のこもった理解、寛容が大きければ大きいほど、バハイ共同体全体の進歩は大きくなります。」〔…〕
〔…〕
ご存知の通り、バハイの機構は、バハイの法の権限を支持し、信者に信教の法と原則を教育する責任があります。これに関連して、あなたが言及した法を守る気持ちをより助長する賢明な方法について、顧問補佐と地方精神行政会と相談することを検討してもよいかもしれません。
(万国正義院の代理からある個人の信者に宛てられた2005年2月22日付の手紙より)
[114]
正義院は〔…〕友らに奉仕する望みを素晴らしいと感じています。しかしながら、重要に検討するべきことは、バハイ共同体を、一般社会においてありふれた宗教的慣習に痕跡を残している商業主義の形態に屈することから保護することです。正義院は、バハイの埋葬キットを販売することの正当性を認めません。むしろ、地方行政会は、特に予期せず発生する悲劇的な状況において葬儀の手配をする信者を支援することに十分備えるために、必要な措置を講じるよう奨励されるべきです。
(万国正義院の代理からある全国精神行政会に宛てられた2010年4月12日付の手紙より)
[115]
万国正義院は、バハイ共同体が一般社会においてありふれた宗教的慣習に痕跡を残している商業主義の形態に屈すべきでないということを指摘されました。それと同時に、バハイの機構と個々のバハイは、埋葬と葬儀のやり方において、根拠のない統一性を押しつけるべきではありません。
(万国正義院の代理からある個人の信者に宛てられた2017年9月5日付の手紙より)
[116]
万国正義院は、バハイの埋葬法に関して幾つかの質問を尋ねた〔…〕あなたの電子メールの手紙を受け取り、これらの質問は、現在あなたが埋葬の費用を支払う手段がないということに関連して生じたものだと理解しています。次のことをお伝えするように言われています。
正義院は、あなたの懸念を心から受け取めています。あなたの地方の精神行政会に相談して、財政的な手配をどのように整えることができるかを探ることをお勧めします。バハイが自らの埋葬を準備できない場合、バハイの法に従って埋葬を行うための財政的支援をすることは、大業の機構の義務であります。
〔…〕
また、バハイの法は「永久の埋葬区」を命じているかも尋ねられました。原則として、いったん埋葬された故人の遺体は掘り起こさないことがむしろ望ましいですが、アグダスの書には埋葬区が永久に維持されるという言及はありません。実際は、人体は徐々に形成されたものであり、同様に徐々に分解されなければならないとアブドル・バハは述べられました。
(万国正義院の代理からある個人の信者に宛てられた2018年12月31日付の手紙より)
[117]
冬の埋葬ができない可能性のある場所でのバハイの法の適用に関するガイダンスを求めるあなたの電子メールの手紙を〔…〕万国正義院は受け取りました。具体的に、冬に地面が凍結している北部の地方で、故人の埋葬が、地面が溶けるまで長期間延期される可能性があることを述べられました。このような状況に直面しているバハイにとのような選択肢が許されえるか尋ねられました〔…〕
この議題に関する説明を求めるあなたの心遣いに感謝します。ご存知のように、アグダスの書は、故人の遺体が死亡の場所から一時間以上の距離」を移動の禁止を規定しています。それに加えて、アグダスの書の「質疑応答」においてバハオラは、「〔…〕埋葬は早ければ早いほどふさわしく、適切である」と述べています。故人のための必須の祈りを唱えるタイミングについては、埋葬の前に行われるべきです。
あなたが述べた状況でバハイが亡くなった場合、他の信者たちは、まず第一に、信教の埋葬法を遵守する方法を探す努力をすべきです。例えば、信者が亡くなった都市の境界から、どのような搬送形態を選んだとしても一時間以内で到着できる墓地の中に、冬の埋葬を行う所、または、服の埋葬に対応するために特別な備えをしてくれる所があるかどうかを調査することができるでしょう。ただし、そのような解決策が現実的でない場合、信者はできるだけ移動を最短にするよう最善を尽くすしかないでしょう。また、地上の埋葬室の使用をバハイの法は禁止しておらず、これは信教の法と矛盾しないもう一つ解決策を示唆しています。友らは、この手紙において共有された事項を参照した上でも解決できない質問がある場合は、詳細を交えて全国精神行政会に連絡すべきです。これには、防腐処理に関する質問も含まれるでしょう。現実によっては、行政会は問題を解決する方法についてガイダンスを提供するかもしれません。ただし、簡単に解決できない、稀な状況であったり、かつてない状況もありえます。その場合、全国行政会は当然、納得のいく解決策を特定するための援助を正義院に依頼するでしょう。
(万国正義院の代理からある個人の信者に宛てられた2019年12月19日付の手紙より)
[118]