ローヘ・ダニャ(世界の書簡)

 

 

   発言の王国において、大声で呼びかけるわが御名において

 

 明白なる領土の主には、賛美と感謝が捧げられるのが似つかわしい。主は、アリ・アクバーとアミンの存在によって強力なる牢獄を飾られ、その牢獄を、確信と堅忍不抜と保証の光で明るく照らされた。[1] 神の栄光と諸々の天と地にある全ての栄光は、彼らの上にあらんことを。

 光と栄光、挨拶と賛美が、主の大業の翼成者の上にあらんことを。彼らを通して、不屈の精神の光は輝き出で、選ぶ権威は強力かつ強大にして、全き自由な御方なる神にある、という真理は確立されたのである。また、彼らを通して、恩恵の海はうねりを上げ、人類の主なる神の恵み深き恩寵の香りは、放散したのである。神の軍勢の力によって彼らを守り、神の領土の力によって彼らを擁護し、全創造物にみなぎる、神の不屈の強さによって彼らを援助し給うよう、われは神に懇願す――神は崇高なり。主権は神のものであり、神は諸々の天の創造主にして、諸々の名称の王国の主におわす。

 「偉大なる告知」はこう宣言す――「おおペルシャの人々よ!昔、汝らは慈悲の象徴であり、愛情と親切の具現者であった。世界の諸々の地域は、汝らの知識の光の明るさと、汝らの学識の炎で明るく照らされ、飾られていた。何ゆえに、自らと友人たちを、自らの手で破壊しようと立ち上がったのか。」

 おおアフナンよ、おお、わが古来の「幹」から分岐した汝よ!わが栄光と慈愛は、汝の上にある。神の大業の幕屋はいかに広大なことか!それは地球の全ての民族と親族をおおいこんだ。そしてそれはやがて、全人類をその下陰に集めるであろう。奉仕の日は、今や到来した。無数の「書簡」が、汝に授けられた恩恵について証言する。わが大業の勝利のために立ち上がり、汝の発言の力によって人々の心を征服せよ。汝は、みじめな人や虐げられた人々の平穏と幸福を保証するものを示さねばならない。おそらくそのような人の鎖の束縛を解き、その人が真の自由を得られるよう、気を引き締めて待ち、努力のために身を構えよ。

 「正義」はこの日、その境遇を嘆き、「公平」は圧迫の支配の下でうめいている。残虐の厚い雲は地球の表面を暗くし、その人々をおおってしまった。わが栄光のペンの動きを通して、われは、全能なる「命令者」の命令により、あらゆる人間に新しい生命を吹きこみ、あらゆる言葉に新たな力を教えこんだ。全創造物は、この世界的再生の証拠を宣言する。これが、この虐げられた者のペンが人類に告げた最も偉大で、最も喜ばしい知らせである。されば何ゆえに恐れるのか、おお、わが最愛なる人々よ。誰が汝らを狼狽させることができるというのか。この強情な世代の人々が形づくられている土、その固い土を溶かしてしまうには、ほんの少しの水分で十分である。汝らが共により集まることだけでも、これらの虚栄心が強く、何の価値もない人々の勢力を追い散らすに十分である。

 争いや不和は、野獣の行いに適したことである。バビ共同体によって鞘(さや)から抜かれた剣が彼らの鞘(さや)に戻されたのは、神の恵みと、適切な言葉や賞賛さるべき行為の助けによってであった。まことに、立派な言葉の力により、廉直な人々は、常に、人々の心の牧草地を支配することを成し遂げてきた。言挙げよ、愛されし人々なる汝らよ!思慮分別を見捨てることなかれ。最も崇高なるペンが与えた勧告の方へ汝らの心を向け、自らの手や舌が人類の間の何者にも害を与えぬよう、注意せよ。

 「タ」の地[テヘラン]について述べながら、われは「ケタベ・アグダス」の中で、人類に勧告するものを啓示した。この世で残虐行為をなす人々は、地球の民族や親族の権利を横奪し、自らの利己的な望みを熱心に追い求めている。「ヤ」の地[ヤズード]の暴君[2] は、天上の群衆が血の涙を流すような事をしでかした。

 おお、わが発言のワインをから飲み、「わが啓示」の地平線に視線を向けた汝よ!科学や教養において匹敵するもののなかったペルシャの人々が、地球の親族のうちで最低の堕落の底に落ちてしまったのは、何と奇妙なことであろうか。おお人々よ!この祝福された、この栄光ある日に、豊富な恵みの主が汝らにお与えになった寛大な恩恵のほとばしりを失うことなかれ。この日、英知と発言の雨は、聖なる慈悲の雲から、どっと降り注いでいる。神の大業について公平に判断する者は幸いであり、不正なる者は哀れなり。

 「虐げられた者」のペンが啓示した事は、世界の発展とその人々の地位を向上させるための最高の原動力であることを、この日、あらゆる洞察力ある者は喜んで認めるであろう。立ち上がれ、おお人々よ、そして神の力によって己を克服して勝利を得よ。されば、全地球はそのたわいない空想が作り出した諸々の神々への隷属から解放され、聖別されるであろう。その神々は、その崇拝者らに大いなる損失を招き、その崇拝者らを惨(みじ)めな状態に落とし入れた責任があるのである。このような偶像は、人が完璧さに達する道で払う努力の妨げとなる障害である。神の力の「手」によって人類に援助が差し伸べられ、人類をその悲惨な堕落の状態から救い出されるという望みを、われは抱いている。

 ある「書簡」の中で、次のような言葉が啓示された――おお神の民よ!自らの関心事に没頭し従事するな。人類の富を回復させ、人々の心や魂を神聖にするものに、自らの思考を集中させよ。これは、清く神聖なる行為によって、そして高徳な人生と善良な振舞いによって最もよく達成される。勇敢な行動はこの大業の勝利を確実にし、高徳なる人格は大業の力を強化する。正義を固守せよ、おお、バハの人々よ!これはまことに、この「虐げられた者」が汝に与えた命令であり、汝らめいめいに対する、「彼」の束縛されぬ「意志」の第一の選択である。

 おお友人たちよ!この聖なる、魂を奮い立たす「春季」は汝らに降り注がれ、浴びせられている恵み深き好意を通して、自らの魂を活気づけ、蘇(よみがえ)らせることが、汝らの義務に似つかわしい。神の偉大なる栄光の太陽はその輝きを汝らの上に放散し、神の無限の恵みの雲は汝らをおおいこんだ。それほどすばらしい恩恵を奪われず、この神の新しい衣における最愛なる御方の美を認めそこねることもなかった者の報いはいかにすばらしいものか。自分を見守るがよい。なぜなら、「邪悪なる者」は汝らを罠にかけようと待ち構えているのだから。「邪悪なる者」の邪悪な工夫に対して身を構え、全てを見抜かれる神の名の光によって導かれ、汝らを取り囲む暗闇から脱出せよ。自らの視野を、己自身に限るものよりむしろ、世界を包みこむものに向けよ。「邪悪な者」とは、人の子らの向上と精神的進歩を妨げる者のことである。

 全ての国々や政府の利益を促進し、その地位を向上させるもの全てにしっかりとつかまることは、この日、あらゆる人の義務である。最も高遠なる御方のペンが啓示した節のひとつひとつによって、愛と和合の扉の錠は開けられ、人々の面前で広く開けられた。われは以前にこう宣言した――そして、わが言葉は真実である――「友好と親善の精神にて、あらゆる宗教の信奉者らと交わるがよい」。人の子らにお互いを避けさせ、彼らの間に不和と分裂を引き起こしたものは全て、これらの言葉の啓示により、取り消され、廃止された。神の意志の天から、また、生存の世界を高潔にし、人々の知性と心を向上させるために、全人類の教育のために最も効果的な手段であるものが送られてきた。昔の人々が語り、書き記した全ての事柄の最高の真髄を最も完全に表現したものは、この最強の啓示により、全てを所有なさり、永続し給う神の意志の天から送られてきたのである。昔についてはこう啓示された――「自国への愛は、神の信教の要素である」。しかし、「壮大の舌」は、その顕現の日にこう宣言した――「誇りは自国を愛することにあるのではなく、全世界を愛することにある」。これらの崇高なる言葉が放った力により、彼は新たな推進力を与え、人々の心の鳥に新たな導きを与え、彼の聖なる「書」から、あらゆる抑制と制限の跡を取り除いたのである。

 この虐げられた者は、神の民が口論や争いに従事することを禁じ、正しい行為をなすことや賞賛さるべき人格を持つように勧告した。この日、大業の勝利を確実にできる軍勢とは、善良な振舞いと高徳な人格という軍勢である。それらをしっかりと固守する人々は幸いであり、それらから背(そむ)く人は哀れなり。

 おお神の民よ!われは、礼儀正しくあるよう汝らに勧告する。なぜなら、それは他の全てに勝って、美徳の中の王子なのであるから。礼儀正しさの光によって明るくされ、正直の衣を着せられた者は幸いである。礼儀正しさを授けられた者はみな、まことに、崇高な地位に達したのである。この虐げられた者や、その他あらゆる者がそれを得ることを可能にされ、それを固守し、それに視線を固定することが望まれている。これは、「最大名」の「ペン」から流れ出でた義務的な命令である。

 この日こそは、人々の内なる自分の鉱山に隠されている堅忍不抜の宝石が明かされるべき日である。おお「正義」の人々よ!光のようにまばゆく、「燃える柴」の中で燃え上がった火のごとく輝かしくあれ。汝らの愛の火の明るさは、疑いなく、地球の争い合う民族や親族を融合させ、和合させる。しかし、敵意と憎しみの炎の激しさは争いと破壊を引き起こすことしかできない。神の創造物を神の敵の邪悪な企みから擁護して下さるよう、われは神に懇願す。神はまことに、全てを支配する力をお持ちである。

 唯一の真なる神に最高の誉れあれ――神の栄光は崇高なり――なぜなら神は、「最も高遠なる御方」の「ペン」を通して、人々の心の扉の錠を開けられたのだから。この「ペン」が啓示したあらゆる節は、高徳で敬虔なる人生や清く汚れのない行為の栄光を明かす、明るく輝かしい門なのである。われが発した呼びかけやメッセージは、ひとつの国やひとつの民族のみに伝えたり、または利益を与えるように意図されたものでは決してないのである。全人類は、自らに啓示され付与された全ての事をしっかりと固守せねばならない。そうして初めて、人類は真の自由を得るのである。全地球は、神の啓示の輝かしい栄光によって明るく照らされている。「神の導き」の光の前触れとなった御方は――全創造が彼のための犠牲とならんことを――六十年に[3]「神の精神」の新たな啓示を告げるために立ち上がり、それから二十年後、その到来により世界が、この約束された栄光、このすばらしい好意を受け取ることになされた御方が現れた。人類の大部分がいかに、神の最も崇高なる「言葉」に耳を傾ける能力を授けられたか見よ。全ての人々が共に集まり、精神的に復活することは、その「言葉」に依存するのである。

 アッカの牢獄にいる間、われは、人類の進歩と世界の再建設のために役立つことを、「深紅の書」に啓示した。創造の主の「ペン」がそこで述べた言葉は、人々の業務を管理するための根本的原則である次のような事柄を含んでいる。

  第一原則。「小平和」を促進することは、正義院の大臣らの義務である。されば、地球の人々は途方もない経費の重荷から解放されるであろう。敵意と争いは、苦しみと大惨事の根源であるが故に、この事柄は絶対的に必要かつ不可欠である。

  第二原則。諸々の言語はひとつの共通語となされ、世界中のあらゆる学校で教えなくてはならない。

  第三原則。友好と親切と和合を促進する事をしっかりと固守することが、人間にふさわしい。

第四原則。男女に関わらず、あらゆる者は、商売や農業やその他の職業によって、自らが得る収入の一部を、委託人に渡すべきである。それは、子供らの訓練と教育のために、また、正義院の信託人らの認識のもとに使われるべきである。   

第五原則。特別な配慮を、農業に払わねばならない。これは五番目に挙げられたが、疑いなく他の事柄に優先するものである。農業は他の国々では非常に発達しているが、ペルシャでは今までのところ、はなはだしくなおざりにされている。陛下ペルシャ王――神が恵みにて、彼を援助し給わんことを――が、この重大かつ重要な事柄に注意を向けることを望まれている。

 「最も高遠なる御方」の「ペン」が「深紅の書」の中で啓示したことを、人々が厳しく守るならば、彼らは、世界に広まっている諸々の規則なしで済ませることが十分にできるようになるであろう。おそらく、権力の顕現者や勢力の夜明けなる人々が、いつか執行するために、あるいくつかの勧告はくり返し、「最も高遠なる御方」の「ペン」から流れ出でた。まことに、誠実なる探究者らが見つけられるなら、神の行き渡る抵抗しがたい「意志」のあらゆる放散は、神の愛のために明示されるであろう。しかし、熱心な探求者や探求の心の持ち主らはどこにいるのであろう。現在、一日たりとも、激しく燃え上がる新たな残虐行為の火なしに過ぎ去ることはなく、新たな攻撃の剣がさやに収められずに過ぎ去ることはない。全く驚いたものだ!ペルシャの身分高き人々や貴族は、非常に野蛮な行為に誇りを感じている。そのため、人はその話を聞いて驚きのために戸惑ってしまうほどである。

 日夜、この虐げられた者は、人々の主に感謝している。なぜなら、われが発した助言と勧告の言葉は効果を現し、この人々は、わが眼において望ましい人格と振舞いを示したのだから。これは、世界の眼を元気づけた出来事によって確認されている。その出来事とは、友人たちが自らの敵の味方となって高い地位の権威者らに取りなしをしたことに他ならない。まことに、廉直な行為は、自らの言葉について証言する。敬虔なる人々が、自らの振舞いの輝かしい光によって世界を明るく照らすことを、われは望んでいる。また、この日、あらゆる人が神の愛において確固とし、神の大業において不動であることをかなえて下さるよう、われは全能なる御方に懇願する――全能なる御方は崇高である。神はまことに、神に全く献身的で神の教えに従う人々を保護なさる御方なり。

 おお、神の民よ!わが「栄光のペン」が啓示した領域は無数であり、それによって真の啓発を与えられた眼は様々である。しかし、ペルシャの大部分の人々は、有益な勧告の益に預かれず、役に立つ科学や教養に全く無知なままである。以前、これらの崇高な言葉は、ある忠実なる者に敬意を払って、「栄光のペン」により特別に啓示された。それによりおそらく、道から逸(そ)れた人々が「真理」を受け入れ、神の法律の難解な点について知ることができるように。

 不信心な人々や不忠な者たちは、四つの事に専念してきた。ひとつは、流血であり、ひとつは書物を焼き払うこと、もうひとつは他の宗教の信奉者を避けることであり、さらにもうひとつは他の共同体や集団を絶滅させることである。しかし今や、神の言葉の強化させる恵みと力により、この四つの障壁は破壊され、これらの明白な禁止令は「書簡」から消し去られ、残忍な性質は精神的な属性に変えられた。神の目的は崇高にして、神の統治権は誉れ高きものなり!それでは、シーア派の信奉者らを恵み深く正しい道へと導き、不適切な振舞いから彼らを清めて下さるよう、神に懇願しよう――神の栄光は崇高であり、この宗派のメンバーの唇から、淫(みだ)らな呪(のろ)いの言葉が止めどもなく発される一方、彼らは、日々の好みとして「マルン」(呪われた)――それは「アイン」という文字の喉音によって発されるのだが――という言葉を唱えるのである。

 おお神よ、わが神よ!あなたは、あなたの「光」(バハ)なる者のため息を聞き、日夜の彼の嘆きに耳を傾けておられます。また、彼は自らには何も望まず、むしろ、あなたのしもべらの魂を神聖にし、彼らを常に悩ませている火から彼らを救おうと努めていることを、あなたはご存じであります。おお主よ!あなたに好意を持たれた僕(しもべ)らの手は、あなたの恩恵の天へ向けて上げられ、あなたの誠実な愛人たちの手は、あなたの寛大さの荘厳なる頂点へと持ち上げられました。私はあなたに嘆願致します。あなたの好意の海と、あなたの恵みの天と、あなたの恩恵の太陽から彼らが求めるものにおいて、彼らを失望させ給うな。おお主よ、世界の諸々の民族の間で彼らの地位を高めるような美徳を得るよう、彼らを助け給え。まことに、あなたは強力にして強大であり、最も寛大なる御方におわします。

  おお神の民よ!注意を払えば、人々の自由と幸福と平穏、地位の向上と発展を確実にするような事に耳を傾けよ。ある法律や原則は、ペルシャのために必要かつ不可欠である。しかし、これらの手段は、陛下――恵みによって、神が彼を援助し給わんことを――や学識ある神学者や高位なる統治者らが考慮した見解に応じて採用するのがふさわしい。彼らの認可を得て、会合の場を決めるべきである。その会合で、彼らは協議の綱にしっかりとつかまり、人々の安全と繁栄と富と平穏のためになる事を採用し、執行するべきである。なぜなら、これ以外の手段が採用されたなら、混乱と騒動が引き起こされるだけであるから。

 「ケタベ・アグダス」や他の「書簡」の中で、われが以前に啓示した根本的な法律に従って、あらゆる業務は、公正な国王や大統領や正義院の信託人たちが管理するよう委ねられている。われが発した事について熟考するなら、公平な心と眼識力ある全ての人は、内なる眼と外なる眼にて、その事から輝き出でる正義の太陽の輝かしさを容易に感じるであろう。

  英国人がロンドンで採用している政治形態は望ましいものと思われる。なぜならそれは、王権と、人民の協議の両方の光によって飾られているが故に。

 原則と法律を述べるにあたって、人々の安全と保護のための効果的な手段となる刑罰について、一部をあてがった。しかし、刑罰の恐れによって、人々は下劣で蔑(さげす)むべき行為から外見的に思い留められるのに反し、人間を外見的にも内面的にも保護し抑制するものは、これまでも、そして今も、神への畏れなのである。この最高の恩恵が現れるようになす事をしっかりと固守するのが、人間に似つかわしい。わが「栄光のペン」が宣言した全てのことに耳を傾け、日の老いたる御方なる命令者が命ぜられた事に従う者は、幸いである。

 おお神の民よ、汝らの真の類なき「友人」の勧告に自らの心を向けよ。神の言葉は若木のようであり、その根は人々の心に植えつけられているのである。英知の清流と、聖別された神聖な言葉の清流によってその成長を促すことは汝らの義務である。されば、その根はしっかりと固定し、その枝々は天とその彼方と同じく高く伸びゆくであろう。

 おお、地上に住む汝らよ!この最高の啓示の卓越した性質を示す顕著な特徴とは、次の通りである。ひとつは、人の子らの間で争いと悪意と危害の原因となった全ての事を、われは神の聖なる「書」のページから消し去ったことであり、もうひとつは、調和と理解と完全、かつ永続的な和合のための不可欠条件を示したということである。わが法令を守る人々は幸いである。

 危害の匂いがするもの全てを避けるよう、いや、そのようなものから逃避するよう、われは、わが親愛なる人々に何度も勧告した。世界は大変な混乱に陥り、その人々の心は全くの混乱状態にある。神の正義の栄光にて、恵み深く彼らを明るく照らし、常にまた全ての条件下で彼らに有益なものを彼らが見つけるのを可能にして下さるよう、われは全能力者に懇願する。彼こそはまことに、全てを所有なさり、もっとも高遠なる御方なり。

 われは以前に次のような荘厳なる言葉を発した――この虐げられた者に忠誠を誓う人々は、慈善と善意の行為をなす時には雨雲のようであらねばならず、自らの卑しく貪欲な性質を抑制するにあたっては燃え上がる火のごとくあらねばならない。

 驚いたものだ。非常な驚嘆の念を起こさせた事が、最近起こった。ある人[4] がペルシャの王宮を訪れ、その機嫌取りの振舞いにより、その貴族のいく人かの好意を得るのに成功した、と報告されていた。まことに、何と哀れで、何と嘆かわしいことか。最高の栄光の象徴であった人々が、なぜ、限りない恥ずべき事さえもするのかと人は不思議に思う。彼らの高遠な決意はどうなったのだろうか?威厳と栄誉の誇りはどこへ行ってしまったのであろう。栄光と英知の太陽は、絶えることなくペルシャの地平線上に輝いていたのに、今やそれは、ある高官たちは、愚かな人々の手の中で遊び道具として扱われるほどに下落してしまった。前述した人物は、物事に精通した人々や学識ある人々が驚嘆するようなことを、この人々に関して、エジプトの新聞やベイルートの百科辞典の中に書いている。そうして彼はパリへ行き、「ウルヴァトル・ヴトゥカ」[しっかりした柄]という名の新聞を発行し、その写しを世界のあらゆる所に送った。彼は、その写しのひとつをアッカの「牢獄」にも送り、そうすることによって彼は、愛情を示し、過去の行為の償いをしようという意図を持っていたのである。端的にいって、この虐げられた者は、彼に関しては何も語らずにいた。彼を保護し、彼の上に正義と公平の光を放って下さるよう、われは、真なる御方なる神に懇願する。彼は、次のような言葉を唱えるのが似つかわしい。

 おお神よ、わが神よ!あなたは、私が、あなたのお許しと慈悲の扉の前に立っているのを見、あなたの恵み深き好意と様々な祝福の地平線の方へ視線を向けているのを見ておられます。私は、あなたの優しい語調と、あなたのペンの鋭い声にかけて懇願致します、おお全人類の主よ。あなたの日々にふさわしく、あなたの顕示と威厳の栄光に似つかわしいように、あなたの僕(しもべ)らを恵み深く助け給え。まことに、あなたは、お望みになる全てのことをなさる力がおありです。諸々の天と地に住む全ての者は、あなたの権力と勢力、あなたの栄光と寛大さについて証言致します。あなたに誉れあれ、おお、諸々の世界の主にして、理解力あるあらゆる者の心の最愛なる御方よ!

 おおわが神よ!あなたは、貧しさの真髄があなたの富の海を求め、不公平の本質があなたの許しと優しい慈悲の水を渇望しているのをごらんになります。おおわが神よ、あなたの偉大なる栄光に似つかわしく、あなたの限りなき恵みの深遠さにふさわしいものを与え給え。まことにあなたこそは、全てに恵み深く、恩恵あふれる主にして、命令者であり、全てに賢き御方におわします。あなた以外に神はいまさず、あなたは最強にして、全てを制し、全能なる御方におわします。

 おお神の民よ。今日あらゆる者は次のような言葉の地平線の方へ視線を定めるべきである――「単独で、誰からも援助されることもなく、彼はお望みになる全てのことをなさる」。この地位に達する者はみな、まことに、神の本質的な単一性の光に達したのである。その反面、それに達しない人々は全て、神の書の中で、たわいない空想と無駄な想像に従う者と見なされている。この虐げられた者の声に耳を傾け、自らの地位の高潔性を保護せよ。あらゆる者がこの事を守るのは、まことに必要不可欠なことである。

 遮(さえぎ)られず、隠れることなく、この虐げられた者は、科学や技術や知識、幸福や繁栄や富の扉の錠を開ける鍵となるものを、世界の全ての民族の目の前で常に宣言してきた。圧制者たちが与えた虐待は、最も崇高なるペンの鋭い声を黙らせることはできなかったし、強情な人々や扇動的な人々の疑惑は、彼が最も荘厳なる言葉を啓示することを妨げることもできなかった。バハの人々を、これ以前の信教の信奉者らのたわいない空想や堕落した想像から守り、清めて下さるよう、われは熱心に、神に嘆願する。

 おお神の民よ!他の人々の導きのために身を捧げ、卑しく貪欲な性質の誘惑から解放され、また十分に守られている廉直なる学識ある人々は、世界の望みなる「者」の目からすると、真の知識の天の星なのである。敬意を持ってそのような人々を取り扱うことが必要である。そのような人々はまことに、穏やかに流れる水の泉であり、きらきらと輝く星であり、祝福された「樹」の実であり、天の権力の具現者であり、天の英知の海なのである。彼らに従う者は幸いである。まことに、彼らに従う者は、強大なる玉座の主なる神の書の中で、幸いな者として数えられているのである。

 天上の玉座と下界なる地球の主なる神から生じる栄光は、汝らの上にある、おおバハの人々よ、おお「深紅の箱舟」の伴侶者らなる汝らよ。その栄光はまた、汝らの美しい声に耳を傾け、この強大で驚くべき「書簡」の中で自らに命ぜられたことに従った人々の上にある。

 

 



[1] 神の大業の翼成者なるハビ・ムラ・アリ・アクバー・シャーミルザディとハジ・アブル・ハサン・アーダカニ、アミニ・イラヒ(ホゴゴラの信託人)は、1891年に、ガズヴィンに投獄され、後にテヘランの牢獄へ移された。

[2] アフマド・ミルザ王子、ジャラルド・ドーリー、ペルシャのヤズードの知事。

[3] AH.一二六〇年[イスラム紀元]。西暦一八四四年。

[4] ジャマルド・ディニ・アフガニ。God Passes By[神よぎり給う]、二九六ページ、三一七ページを参照。