アシュレ・コレ・ヘール (知恵の書)
崇高なる御方、最も高遠なる御方なる神の名において
善の源は、神を信頼し、その命令に服従し、そしてその聖なる御意志と御意向に満足することである。
英知の真髄とは、神を畏怖し、その裁きと処罰を恐れることである。
宗教の真髄とは、主が啓示なさったことを認めて、その強力な『書』にて定められたことに従うことである。
栄光の源とは、神が授け給うものをすべて受け入れ、神が定め給うことに満足することである。
愛の真髄とは、主がお望みになることのみを求め、神以外のすべてから超脱し、『最愛なる御方』の方へ心を向けることである。
神を記憶するとは、最高に讃えられし方なる主の名を述べ、主以外のすべてを忘れることである。
真の信頼とは、この世で職業に従事し、主にしっかりとしがみつき、彼の恵みのみを求めることである。なぜなら、人間の運命はすべて神の手中にあるゆえに。
超脱の真髄は、人が顔を主の宮廷へ向け、主の面前に達し、その御顔を見、彼の前で証人として立つことである。
理解の真髄とは、己の貧困を認め、慈悲深く、力に満ち給う王である神の御心に服従することである。
勇気と力の源は、神の言葉を広め、神の愛において不動なることである。
慈悲心の真髄とは、神の祝福を詳述し、常に、そしてあらゆる状況下において、神に感謝することである。
信仰の真髄とは、言葉数が少なく、行動が豊富なことである。言葉数が多く行動が乏しい者は、まことに、死んでいる方がましであることを知れ。
真の安全の真髄は、沈黙を守り、物事の最終の結果を見、世俗から超脱することである。
寛大の始まりとは、己の富を己自身とその家族、そして信教の中の恵まれない仲間のために費やすことである。
富の真髄とは、われを愛することである。われを愛する者はあらゆるものを所有し、われを愛さぬ者は、まことに、貧しく困窮している。これは『栄光と光輝の指』が啓示したことである。
悪の源は、主に背を向け、邪悪なものに愛着を持つことである。
最も激しく燃える炎とは、神を否定し、神の御前で高慢な態度を示し、啓示なさったことに対して根拠のない異議を唱え、神の徴(しるし)を疑うことである。
学識の源は神――神の栄光に誉れあれ――を知ることである。これは神の顕示者を知ることによって以外には達成できない。
堕落の真髄とは、『慈悲深き御方』の保護のもとから出て行き、『邪悪なる者』の保護を求めることである。
過ちの源は唯一の真なる神を否定し、その『命令』から逃げ、彼以外のものに頼ることである。
真の喪失とは、己を全く知らぬままに人生の日々を過ごしてしまうことである。
われが汝のために啓示した全てのものの真髄は、正義である。そして、それは探究心を持ってあらゆることを調べ、空想や模倣から解放され、神がなさった輝かしい行いを一体性の心眼で見ることである。
汝が、主なる神に感謝し、世界の人々の間でそれを誇りとせんがために、かくのごとく、われは汝らに指図し、『英知の言葉』を顕示した。