べ シャラトの書簡 (吉報)
これは、「アッカの牢獄」の「最高の地平線」から宣言された「栄光に満ちた御方」の「叫び」である。
「彼」こそは、解説者であり、すべてを知り、全てに精通する御方なり。
「真なる御方」である神と、その神の名と属性を「啓示する者たち」は次のことを証言する――われが「叫び声」をあげ、神の荘厳なる「言葉」を宣言する唯一の目的はここにある。すなわち、全創造の耳が神の発言の活水によって作り話から清められ、「天の造物主」と「名前の創造者」の知識の貯蔵庫から発せられた神聖で栄光ある、高尚な「言葉」に調子を合わせるようにすることである。公平に判断する者らは幸いである。
おお地上の人々よ!
第一の吉報
この「最も偉大な啓示」において「母なる書」が地球の人々に与える第一の吉報は、聖なる戦の法は「この書」から消し去られたということである。慈悲深き御方、恵み深き主に栄光あれ――「彼」を通して、天の恩恵の扉は天と地に住む全ての物の面前に開け放たれたのである。
第二の吉報
地球の民族や親族には、喜びと輝きをもって互いに交わることが許される。おお人々よ!あらゆる宗教の信奉者らと友好と親善の精神をもって交われ。神の認可と権威の太陽は、かくのごとく諸々の世界の主なる神の命令の地平線上に輝き出た。
第三の吉報
第三の吉報は、様々な言語を学ぶことに関するものである。この命令は以前に「最も高遠なる御方」の「ペン」から発された。ともに協議し、世界各地の学校で教えるべき言語を現存するもののひとつを採用するか、あるいは、新しい言語を採用することは、世界の君主たち――神が彼らを援助されんことを――や地上の大臣たちにふさわしいことである。共通文字についても同じである。こうして、全地球はひとつの国と見なされるようになるであろう。神の「呼び声」に耳を傾け、「強力なる玉座の主」なる神によって命ぜられたことに従う者は幸いである。
第四の吉報
もし、国王たち――神が彼らを助け給わんことを――のうち、誰かがこの虐げられた民を保護し助けるために立ち上がったなら、あらゆる者は競って彼を愛し、仕えようとせねばならない。これはあらゆる者の義務である。これに応じて行動する人々は幸いである。
第五の吉報
この人々が住むあらゆる国で、人民はその国の政府に対し忠誠と正直と誠実をもって振舞わねばならない。これは、「命じ給う御方」、「日の老いたる御方」の命令によって啓示されたことである。
永遠なる神の「意志」の天から下された、この重要な「大業」に援助の手をさしのべることは、地上のあらゆる人々に課された義務である。そうすれば、地上の人々の心中に燃える敵意の火は神の英知の活水と天の忠告や勧告によって消し去られ、和合と調和の光が輝き出し、地上にその輝きを放つであろう。
神――その栄光に誉れあれ――の権力の代表者である人々の熱心な努力によって、世界中の武器が世界再建の道具に変えられ、争いや不和が人々の間から取り除かれるようにという望みをわれは心に抱く。
第六の吉報
第六の吉報は「小平和」の確立であり、これに関する詳細は、以前にわが「高貴なるペン」によって啓示された。それを支持し、全知にして賢明なる神によって命ぜられたあらゆることに従う者の祝福は大いなるものである。
第七の吉報
服装の好みやひげの切り方、その手入れについては人々の分別に任される。しかし、おお人々よ、汝ら自身が無知なる者らの遊び道具にされぬよう注意せよ。
第八の吉報
「聖霊」[1]――彼の上に神の平穏あれ――の信奉者らの内の修道士や聖職者たちの敬虔な行為は、神の面前において記憶されている。しかし、この「日」において、彼らは隠遁生活をあきらめ、広々とした世界へと歩みを向け、自らと他人のためになることに没頭せねばならない。彼らが、目に見えるもの、見えざるものの主であり、高尚なる玉座の主なる神のことを述べる者を産み出すように、われは彼らが婚姻することを許可した。
第九の吉報
罪人が神以外のすべてのものから離脱し、解放された時、その罪人は神から許しを乞い求めるべきである。罪や犯罪について人間の前で告白することは許されない。なぜならそれは、これまで、聖なる許しに寄与したことは決してなかったし、これからもそうなることはないからである。さらに人々の前でそのように告白することは人の屈辱と卑下につながり、神――その栄光に誉れあれ――は、しもべらの屈辱をお望みにならないのである。まことに神はあわれみ深く、慈悲深い御方である。罪人は、己と神との間において慈悲の「海」から慈悲を懇願し、寛大の「天」から許しを乞い、こう述べるべきである。
おお神よ、わが神よ!あなたの優しいお言葉に歓喜し、最も栄光ある殉教の場である「栄光の頂点」へと急いだ、あなたを真に愛する者らにより懇願いたします。また、あなたの知識に秘められた神秘とあなたの恩恵の海に秘蔵された真珠により私は嘆願いたします。私と、私の父と母を許し給え。慈悲を示す者らの中にあって、あなたこそはまことに「最も慈悲深き御方」におわします。常に許し給い、恵み深き御方なるあなたの他に神はありません。
おお主よ!あなたはこの罪深さの真髄があなたの好意の大洋に向い、このか弱き者があなたの天の力の王国を求め、この貧しき生き物があなたの富の太陽に傾くのを見給う。おお主よ、あなたの慈悲と恩恵により、彼を失望させ給うな。また、あなたの日々の、あなたの恩恵の啓示から彼を閉め出し給うな。さらに、あなたの天と地に住むすべての人々に広く開け放たれたあなたの扉から彼を追放し給うな。
ああ悲しいかな!私は、己の罪によってあなたの神聖さの「宮廷」に近づくのを妨げられ、己の咎によってあなたの威厳の「大聖堂」から遠く逸れてしまいました。私はあなたが禁じ給うたことを犯し、あなたが従うよう命じ給うたことをなおざりにしてしまいました。
「名前の最高の主」なる「御方」により私は嘆願いたします。あなたの恩恵の「ペン」をもって、私があなたに近づくことを可能にし、私とあなたの許しとの間を妨げる私の罪から私を清めるものをあなたが書き記されるように。
まことに、あなたは強力にして恵み深き御方におわします。強大にして恩恵に満ちたあなたの他に神はありません。
第十の吉報
この「最も偉大なる告知」の「啓示者」である聖なる恩恵の印として、われは「聖なる教典や書簡」から本の破壊を命じる法を排除した。
第十一の吉報
科学や芸術を学ぶことは許されるが、これは、人々の役に立ち、進歩と発展を促進するような学問のことである。お命じ給う御方、全てに賢き御方はかく定め給うた。
第十二の吉報
工芸や商いというようなある種の職業につくことが、汝ら一人ひとりに命ぜられている。われは汝らがそのような仕事に従事することを「真なる御方」である神への崇拝という地位に高めた。神の恩恵と祝福について心に熟考し、朝夕、神に感謝せよ。怠惰や無精によって時間を無駄にすることなかれ。汝ら自身と他人のためになるようなことに従事せよ。この「書簡」――その地平線からは英知と発言の太陽が輝き出る――でかくのごとく命じた。
人々のうちで神の目に最もさげすまれるものは、何もせずにすわり、物乞いをする者らである。すべての富の供給者である神を完全に信頼し、物質的な富の綱にしっかりとつかまれ。工芸や商いなどに従事するとき、そのような職業自体、神の目には礼拝の行為と見なされるのである。そして、これは神の限りない、普遍的な恩恵の印に他ならないのである。
第十三の吉報
神の正義院のメンバーたちは、人々の業務の管理を委ねられている。彼らこそは、まことに神のしもべらの間にあって「神から信託を受けた人々」であり、神の国々における権威の夜明けである。
おお神の人々よ!世界を鍛えるものは「正義」である。なぜなら、それは報酬と罰という二本の柱によって支えられるからである。これら二本の柱は世界の生命の源である。各時代には新しい問題があり、それぞれの問題にはそれに適した解決策があるのであるから、そのような事務は「正義院の大臣たち」に委託すべきである。そうすれば、彼らが時の必要条件に応じて行動するであろう。神のために神の大業に奉仕するために立ち上がる彼らは、目に見えぬ「王国」からの神の霊感を受け取るものである。彼らに従うことはすべての人の義務である。社会のあらゆる問題は正義院に委託されるべきであるが、礼拝の行為については神が神の「書」中に啓示されたように行うべきである。
おおバハの人々よ!汝らは神の愛の夜明けの地であり、神の慈悲の夜明けである。人を罵ったり、悪口を言ったりして自らの舌を汚すことのないように。そして、不適切なことから自らの目をかばい、保護せよ。汝らが有するものを明らかにせよ。もしそれが好意をもって受け入れられるなら、汝の目的は達成されよう。さもなければ、主張することは無駄である。その人をそのままにして、保護し給う御方、自力に満ち給う御方なる主に頼れ。悲しみを引き起こしたりするな。ましてや、不和や争いなどはなおさらである。汝らには神の優しい慈愛の樹のもとで真の教育を得、神がお望み給うことに従って行動するよう望まれる。汝らはみな、ひとつの樹の葉であり、ひとつの大洋の雫である。
第十四の吉報
死者の眠る場を訪れるために特別な旅をする必要はない。富や資産のある人々がそのような旅の経費を正義院に提供するなら、それは神の面前に喜ばれ、受け入れられることである。神の教えに従う人々は幸いである。
第十五の吉報
共和制の政府は世界のあらゆる人々のためになるが、王制の威厳は神の印のひとつである。われは世界の国々がそれを失わないよう望む。もし賢明なる人々がこの二つの形態をひとつに結合するなら、神の面前において彼らが受ける報酬は大きなものであろう。
これまでの宗教では、時代の必要性に応じて聖なる戦や本の破壊、他の民族との交わりの禁止、ある本を読むことの禁止などの法令が規定され、断定されていた。しかし、この強大な「啓示」、この重大な「告知」においては、神の様々な恩恵と好意はあらゆる者にその影を落し、「永遠なる主の意志」の地平線から下された神の不謬の命令は、われがいま述べたことを規定したのである。
この祝福され、栄光ある、類なき「日」において恵み深く啓示されたあらゆることに対し、神――彼は神聖にして栄光あるものなり――を賛美する。まことに地球のあらゆる人が無数の舌を授けられ、休むことなく神をほめ称え、終わりなき終わりまで神の名を賞揚したとしても、彼らの感謝はわれがこの「書簡」中に述べた恵み深き恩寵のたったひとつにも満たないのである。これについては、英知と認識力、理解力と知識あるすべての者が証言する。われは神――その栄光に誉れあれ――に心から嘆願す。権力の代表者で、栄光の夜明けである統治者や元首らが、神の法律や法令を執行するのを援助し給わんことを。神こそはまことに全能者で力に満ち、人々の叫びに常に応え給う御方である。