バハイ埋葬の法および関連事項
2017年2月
T バハイ埋葬の法の概要および適用性
端的に言うと、故人の埋葬に関するバハイの法は、遺体をその死亡の地点から一時注釈間以上移動させることを禁止するものであり、遺体は、絹または綿の布に包み、その指にはある言葉を刻んだ指輪をはめる、というものである。その言葉は、「われは神より来たり、そして神の他のすべてを超脱し、慈悲深き御方、憐れみ深き御方なる神の御名にしっかりとすがり、神のもとへ戻れり」である。また、棺は、水晶、石、堅い上質の木でできたものであるべきとする。「故人のための特別な祈り」(注釈10参照)は埋葬の前に唱えられるべきである。アブドル・バハ及び守護者によって確認されているように、この法は火葬を除外する。定められた祈りと指輪は、成熟の歳、つまり15歳に達した者に用いることを意図している。
(ケタベ・アグダス:最も聖なる書、 注釈149) 【1】
故人の埋葬において、全般に義務付けられている決まりは次の事柄のみです。つまり、遺体を棺に入れて埋葬すること(火葬にはしない)、遺体を運ぶ距離は死亡した場所から一時間を超えないこと、そして故人が15歳以上の場合は「故人のための祈り」を唱えることです。
(2016年3月、 万国正義院より承認された文書「全般には未適用のケタベ・アグダスの法」より) 【2】
U 埋葬の準備
遺体の搬送
故人の遺体を、町から一時間以上の距離を超えて運ぶことは禁じられている。むしろ、輝く心と沈着をもって、近くの場所に埋葬するがよい。
(バハオラ、「ケタベ・アグダス」第130段落) 【3】
質問: 質問 遺体は一時間以上かかる所へ運ぶべきでないという法令は、陸路と海路の輸送の双方に適用されるのか。
答え: この指示は汽船でも、列車でも、海路と陸路の双方による距離に適用されるものである。意図は、いかなる輸送手段であれ、一時間で行ける距離ということである。しかしながら、埋葬は早ければ早いほどふさわしく、支持されることである。(バハオラ「ケタベ・アグダス」最も聖なる書 質疑応答16番) 【4】
遺体は、一時間以内の移動が可能な距離ならどの手段で運んでもかまいません。
(1949年8月5日付、 ショーギ・エフェンディの代理から個人の信者に宛てられた手紙より) 【5】
万国正義院は、死亡の場所は信者が死去した市か町とみることができ、従って、一時間の行程は市の境界から埋葬地までというように計算してもよい、と助言されています。しかし、心に留めておくべきことは、バハオラの法の精神は、亡くなった場所の近くに埋葬すべきであるということにあるということです。
(1978年2月20日付、 万国正義院の代理からある全国精神行政会に宛てられた手紙より)【6】
万国正義院はあなたの手紙を受け取りました…その中であなたは、墓地が村から徒歩で一時間を超える場合の、遺体埋葬の法を守る際のガイダンスを求めておられます。
あなたが述べておられるような場合で、他の搬送手段がないか、利用できない場合、他の可能性としては、村のバハイたちが村により近い場所に墓地を入手して、村境から一時間以内に到着できるようにするということです。もし、そのような解決法の実行が可能でない場合は、信者たちは現状においての最善を尽くし、できるだけ搬送時間を短くするよう心掛けるしかありません。
(1981年9月21日付、 万国正義院の代理からある全国精神行政会に宛てた手紙より) 【7】
「ケタベ・アグダス」に記されている法の言葉は、「故人の遺体を、町から一時間以上の距離を超えて運ぶことは禁じられている。むしろ、輝く心と沈着をもって、近くの場所に埋葬するがよい。」ということです。研究部は、書物のなかで、この法に特定の理由を与える文章を突き止めるには至っていません。しかし、人類を和合させ、人々を分割する儀礼的な慣例や伝統的慣習の多くから解放するというバハオラの目的を念頭に置けば、彼が私たちにお与えになった非常に簡素かつ威厳のある埋葬の法の理解を得ることができるでしょう。過去何世紀もの間、遺体が、神聖な場所や、故人にとって特別な意味のある場所に埋葬するために、長距離を搬送するというのが、あらゆる人々の慣習となってきました。バハイの法では、そのような慣例を廃止しています。また、バハイの法は、世界の和合を重要視し、肉体に対して精神の重要性を認めています。遺体は、敬意と尊厳をもって扱われ、過度に遅れることのないように、その人の亡くなった場所から近いところで、大地にゆだねられます。ご存じのように、魂は、時空を超えて高められた世界で存在し続けるのです。
(1993年11月23日付、万国正義院の代理から個人の信者に宛てられた手紙より) 【8】
遺体を布で包むこと
さらに、主は、死者を五枚の絹または木綿の布で包むよう定められた。財力に限りがある者は、これらのいずれかの布一枚で十分である。(バハオラ「ケタベ・アグダス」第130段落) 【9】
質問:5枚と定められている遺体を包む布に関して。5枚というのは、それまで伝統的に用いられてきた、身体に重ねて巻きつける5枚の布であるのか、それとも5枚の全身大の布のことであるのか。
答え 布を5枚使用するということである。(バハオラ「ケタベ・アグダス」最も聖なる書 質疑応答56番) 【10】
「ケタベ・アグダス」第130段落で言及されている、故人となった信者の体を布で包むことに関してですが、その中では、五枚の布で包むべきであるということの作法を定義づける内容や、包むことに関しての他の側面を明らかにした内容はありません。そして、現在、万国正義院は、この質問の内容を法令化することは望んでおりません。
(2015年4月15日付、 万国正義院の代理から個人の信者に宛てられた手紙より) 【11】
故人の遺体を布で包む前に、衣服を着せなければならないのかどうかというあなたのお問い合わせに関してですが、1955年4月2日付のショーギ・エフェンディの代理から個人宛の手紙には、次のように述べられています。「埋葬のための準備とは、遺体を注意深く洗い、白い布、できれば絹に包むことです。」世界センターの研究部の報告によれば、この文章もバハイの書物の中の他の文章も、遺体を洗った後、布で包み埋葬するべきである、と勧めていますが、遺体を布で包む前に衣服を着せることが許されているのか、禁じられているかを定める内容は見つかっていません。「ケタベ・アグダス」に定められているのは、亡くなった信者の遺体を布で包むということですが、バハイ埋葬のこの部分に関しての詳細は正義院からは規定はされておらず、友らは、現時点では、この事柄にご自身の裁量で判断することは自由です。遺体を布で包むことに関してバハイの法の適用性についてのあなたのご質問ですが、遺体を布で包むことは、今のところ、西洋の信者には求められていません。
(2016年11月29日付、 万国正義院の代理からある全国精神行政会に宛てられた手紙より)【12】
埋葬用指輪
主は、死者を埋葬する際、...棺に入れ...死者の指には文字を刻んだ指輪をはめることを定め給うた...
この瞬間、神から下された次の句が、男女双方の埋葬用の指輪に刻まれるならば、それは故人にとってより良いことである。確かに、われは至上の命令者である。「われは神より来たり、そして神の他のすべてを超脱し、慈悲深き御方、憐れみ深き御方なる神の御名にしっかりとすがり、神のもとへ戻れり」
(バハオラ「ケタベ・アグダス」128-129段落)
質問:埋葬用の指輪の使用は大人だけに課せられたものなのでしょうか。それとも未成年者にも同様に課せられたものなのでしょうか。
答え:大人だけが用いるものである。同様に、「故人のための祈り」も大人のためである。
(バハオラ「ケタベ・アグダス」最も聖なる書 質疑応答70番) 【14】
「ケタベ・アグダス」には、埋葬用指輪をどの指にはめるのかについての規定はありません。
(1978年3月13日付、 万国正義院の代理からある全国精神行政会に宛てられた手紙より)【15】
埋葬用指輪に刻む文字は、「ケタベ・アグダス」第129段落の後半部分に述べられています。指輪のサイズや材質についての規定はありません。
(1999年5月18日付、 万国正義院の代理から個人に宛てられた手紙より) 【16】
遺体を布で包むことと埋葬用指輪をはめることは、西洋ではまだ適用されていない法
令ですが、遺族はそれらを守ることを選んでもかまいません。
(2003年12月7日付、 万国正義院の代理からある全国精神行政会に宛てられた手紙より)【17】
防腐処置、埋葬前の遺体公開、そして死後の速やかな埋葬
バハイの教えに基づくと、死体が防腐保存されるべきではないことは明らかであるように
思われます。…東洋での慣習は、亡くなった人を死亡の時刻から24時間以内、ときに
はもっと早く埋葬することもありますが、教えの中には時間制限に関する規定はありません。
(1955年4月2日付、 ショーギ・エフェンディの代理から個人の信者に宛てられた手紙より) 【18】
バハオラは、埋葬は、死後なるべく早く行われるべきであると提言されています。もし、状況が許さず、遺体を速やかに埋葬することが出来ない場合、もしくは、国内の法律によって何らかの条件がある場合は、短期間、自然な分解を一時的に遅らせる処置であれば、防腐処置をしてもかまいません。しかし、非常に長い期間分解させずに保存する効果のある処置は施すべきではありません。そのようなやり方は、たいてい、遺体を永久に保存する目的で行われるものです。
(1988年6月17日付、 万国正義院の代理からある全国精神行政会に宛てられた手紙より)【19】
…研究部は、死亡してから埋葬するまでの厳密な時間や、埋葬前の遺体公開 に関する質問に対して、明確に言及された文章を特定することはできていません。しかし、研究部は、一般的な指示はあると指摘しています。「質疑応答」第16番の中の、次のような文がそれにあたります。「埋葬は早ければ早いほどふさわしく、望ましいことである。」一方で、自身の遺体を科学的研究のために残すことは許されていますが、それにより、死亡してから最終的に埋葬するまでに長期間になることは結果的に避けられません。したがって、これは、柔軟性の問題であるようです。聖地では、埋葬は、通常、亡くなった日かその翌日に行われます。
(1994年1月4日付、 万国正義院の代理から個人の信者に宛てられた手紙より) 【20】
棺
死者を埋葬する際、水晶、堅牢で耐性のある石材、または良質で耐久性のある木製の棺に入れるよう、主は定め給うた…
(バハオラ「ケタベ・アグダス」128段落) 【21】
ご存じのように、「ケタベ・アグダス」の128段落には、「死者を埋葬する際、水晶、堅くて耐性のある石材、または良質で耐久力のある木製の棺に入れるよう」にと記されています。近年、上記の条件の棺が、葬儀が行われるすべての場所で入手できるとは限らず、また棺が高額になっているという理由から、条件に合った棺が使えない友らもいる状況の下、正義院は、「最も聖なる書」の中の上記の文章に関連した注釈149番を引用しています。つまり、「法の精神は、棺ができる限り耐久性のある物であるべきということ」であり、また、「現時点では、これについては、各自、自由に選択することができる」ということです。」これらの規定の下に使用されてきた材質には、コンクリートや木製合板も含まれます。
(2002年1月7日付、 万国正義院の代理からあるバハイ夫婦に宛てられた手紙より) 【22】
あなたは、「環境に配慮した埋葬」、つまり、生分解性の厚紙製の棺を使うか、または棺を使わない埋葬についても述べておられます。「ケタベ・アグダス」の第128段落に記されている「死者を埋葬する際、水晶、堅牢で耐性のある石材、または良質で耐久性のある木製の棺に入れるべきである。」という法律は、現時点では、西洋の信者の皆さんには適用されていません。しかしながら、法律の精神は、棺は使うべきであるということであり、その材質もできるだけ耐久性のあるものであるべきであるということです。このガイダンスをふまえて、信者の皆さんは、ご自分なりの決断を下すことができます。
(2011年12月21日付、 万国正義院の代理から個人の信者に宛てられた手紙より) 【23】
埋葬に棺を使用することは、信者全般に義務づけられた法律のひとつではあるのですが、棺の材質については、現在のところ、西洋の信者の皆さんには適用されていません。バハイの法律には、棺保護容器については書かれていません。使用するかどうかは、遺族の自由となっており、それは、国内の法律や霊園の規定などにより変わってくるでしょう。たとえ、棺保護容器が使用されるとしても、死者は棺に納められるべきであると規定している「ケタベ・アグダス」の法律は順守されなければなりません。
(2016年6月12日付、 万国正義院の代理から個人の信者に宛てられた手紙より) 【24】
V. 故人のための祈り、葬儀、埋葬
「故人のための祈り」と葬儀
「故人のための祈り」では、聖句の啓示者である神により、六つの特定の文が規定された。文字の読める者は、それらの文の前に記されたものを唱えるがよい。そして、文字の読めない者については、神はこの義務を解かれた。
(バハオラ 「ケタベ・アグダス」第8段落) 【25】
「故人のための祈り」以外は、会衆の祈りの慣行は廃止されたのである。まことに、彼は命令者にして、すべてに賢き御方である。
(バハオラ 「ケタベ・アグダス」第12段落) 【26】
質問:死者のための祈りは、埋葬に先行すべきか、それともその後に捧げられるべきか。また、ゲブレ(崇拝の点)に向く必要があるか。
答え:この祈りの詠唱は、埋葬に先行すべきである。また、ゲブレ(崇拝の点)についてはこうである。「どの方向に顔を向けても、神の御顔がある。」[1]
(バハオラ 「ケタベ・アグダス」最も聖なる書 質疑応答85番) 【27】
バハイの葬儀は、その威厳、簡素、そして柔軟性によって特徴づけられています。唯一の決まりは、埋葬前に「故人のための祈り」を唱えることです。もちろん、他の祈りや書物からの引用文を含めてもかまいません。友らには、決まりきった式次第を避け、慣例とならないようにすることが奨励されています。
「故人のための祈り」は、故人が15歳以上の時には唱えられるべきです。バハオラは、この祈りは埋葬に先立って唱えるべきであると明言されています。ゲブレに向かうことは求められていませんが、友らは、そうすることを選択してもかまいません。
「故人のための祈り」の唱え方についてですが、一人の信者によって唱えられ、その間、すべての参列者は黙して立ち、聴くべきです。「ケタベ・アグダス」最も聖なる書の注釈11番、そして米国2002年、2011年発行版のような最近出版されたバハイの祈りの書(*)に示されているように、「故人のための祈り」の正しい唱え方は次のとおりです。つまり、「アラホ・アブハ」を1回唱え、その後、最初の句、「我らみな、まことに神を礼拝いたします。」を19回唱えます。そして、「アラホ・アブハ」を再び唱えてから、2つ目の句を19回唱えます。同じように続けます。
信者が行政的な権利を失っている場合でも、「故人のための祈り」を捧げるべきです。通常は、故人の近親者である、などの特別な理由がない限り、行政的な権利を停止されている信者に「故人のための祈り」を唱える役目を依頼するのは適切ではないでしょう。
(2012年3月3日 万国正義院の代理によって書かれた返事より) (訳注:日本語版は2015年度版「バハイ祈りの書」が最新) 【28】
成人のバハイのための葬儀では、「故人のための祈り」を唱える構成になっていますが、他の祈りやバハイの書物も含めてもかまいません。
葬儀の実施や埋葬に関する調整などは、通常は遺族によって進められます。とはいっても、精神行政会には、現在適用されているバハイ埋葬の法の必須の決まりについて信者らを啓発し、遺族が法の決まりを守らない様子が見受けられるときに、丁寧に、そして如才なく、決まりに対して彼らの注意が行くように導くという責任があります。行政会は、バハイ埋葬の法を守り実行するという役割を演じる一方で、葬儀自体を執り行なう際には、必ずしもそう広い役割を担う必要はありません。行政会は、葬儀において「故人のための祈り」が唱えられることを確実に導きさえすれば、あとは、遺族が必要とする範囲でサポートします。バハイの結婚式とは違い、バハイの葬儀は法律によって定められた儀式ではありませんので、どう執り行なうか、行政会はどの部分の役割を担うのか、といったことには、いっそう柔軟性があるのです。
「ケタベ・アグダス」の法律は、明らかに、バハイだけに義務づけられているものです。それでも、もしバハイではない故人のためにバハイの葬儀をしたいという申し出がある場合、バハイ共同体はそれに対しあまねく応え、積極的に故人を敬い、遺族に奉仕すべきです。バハイではない故人の遺族が、どの程度バハイの法律を遵守して行うのかは協議を通じて確認できます。バハイの祈りや書物を、式次第の一部として唱えることを希望する人もあるでしょうし、「故人のための祈り」を唱えてほしい人もあるでしょう。また、ある人は、遺体の準備に関しても、バハイ埋葬法に従うことを願うかもしれません。通常は、遺族と繋がりのある一人、または数人の信者が、必要な準備・調整を助ける程度で十分でしょう。また、行政会は、遺族が直接依頼や連絡をしてこない限り、関わる必要はないでしょう。
(2016年4月22日付、 万国正義院の代理からある全国精神行政会に宛てられた手紙より)【29】
墓地、納体堂、霊廟への埋葬
正義院は、信者の皆さんが…において一般の慣習に従い、すなわち、墓穴をコンクリートやセメントのブロックで覆工せずに、棺を直接墓穴に置いて土で覆うということに、全く異議はありません。これは、完全に、家族の裁量に任されるべき事柄です。
(1984年7月29日付、 万国正義院の代理からある全国精神行政会に宛てられた手紙より)
【30】
正義院は、棺を、納体堂の壁龕(へきがん)や棚に納めることに関する文章の発見には至っていませんし、現時点でこの事柄に関する法律を制定することを望んでいませんので、友らには、臨機応変にご自分の良心に従って対応して頂きたいのです。
(1986年4月9日付、 万国正義院の代理から個人に宛てられた手紙より) 【31】
墓地に使用できる土地が非常に限られている国の全国精神行政会が出した問いに対して、万国正義院は次のことを勧めています。つまり、墓地を必要とする各地域に、小さい土地を購入し、そこに、多数の個人用納体室から成る霊廟を建てるということです。なお、それらの個人用納体室が何層かに重ねられることに問題はなく、また、その建物の周り、あるいはその前か中に、小さい魅力的な庭園を作ることができるとの指摘もありました。
(2008年6月15日付、 万国正義院の代理からある全国精神行政会に宛てられた手紙より)
【32】
バハイの法律では、何段かの墓に埋葬することや、地上の納体堂を使用することを禁じてはいません。
(2016年4月19日付、 万国正義院の代理からある全国精神行政会に宛てられた手紙より)
【33】
万国正義院は、同じ墓に二体を埋葬することが、バハイの法律では許されるのかどうかという、あなたからの問い合わせの電子メールを受け取りました。
親愛なる守護者は、「各故人に専用の墓を作ることがより好ましく、よりふさわしい」と述べておられますが、万国正義院は、これは、より好ましい選択の話であり、絶対的な決まりではないと助言しています。万国正義院は何をもって「墓」とするのかということについての法律を制定しておらず、今の時点において埋葬の法に関するこのような詳細について制定することを望んではいません。したがって、この問題は、現時点では、友ら一人一人の裁量に任されています。もちろん、精神行政会が、例えば墓地を作るとき、一つの墓に複数の遺体を埋葬すべきかどうかという問題に直面した場合には、決定はその行政会に託されるでしょう。
(2016年9月20日付、 万国正義院の代理から個人の信者に宛てられた手紙より) 【34】
ゲブレの方向に向けた埋葬
遺体は、顔をゲブレに向けて埋葬されるべきである。
(1935年7月6日付、 ショーギ・エフェンディの代理から個人の信者に宛てられた手紙より)
【35】
墓地において、遺体の向きは、足がゲブレ、つまりアッカのバージに向けられるべきです。
(1972年5月4日付、 万国正義院の代理からある全国精神行政会に宛てられた手紙より) 【36】
それは、現在は義務づけられてはいない一方、最終的には、現在東方でなされているように、すべての国においてバハイはゲブレに向かって埋葬されるでしょう。(つまり、遺体の足がバージに向くように埋葬されるようになる、ということです。)もし、遺体の上半身を起こした状態の顔の向きを想定すれば、あなたが引用されている二つの文章は矛盾しないということが明白になるはずです。[2]
(1992年9月13日付、 万国正義院の代理から個人の信者に宛てられた手紙より) 【37】
バハイの埋葬に関してですが、遺体の足がゲブレ(アッカのバハオラの廟)の方向に向うように遺体を位置付けるという決まりは、現時点では、全般に義務づけられているものではありません。それぞれ違う向きで埋葬されている遺体に関しては、どんな行動もとるべきではありません。
(2006年2月26日付、万国正義院の代理からある全国精神行政会に宛てられた手紙より)【38】
W. 関連事項
バハイの法律に反した埋葬方法もしくはバハイの法律の適用に反対する遺族
バハイ埋葬の法律の順守は、教育の問題です。…もしあるバハイが、口述にせよ、筆記にせよ、バハイの法律に反した指示を出したとすれば、その指示はバハイの法律上無効であり、バハイである親族も精神行政会もそれに従うことは許されません。従って、たとえ、あるバハイが、自分の遺体は火葬にすべきだと述べたとしても、バハイの法律に従って埋葬すべきです。ただし、国内の法律により、バハイの法律に従った埋葬ができない事情がある場合、つまり、国内の法律に従わなければならない場合は、その限りではありませが、行政会は、上で示されているように、それに関わることはできません。しかしながら、(故人がバハイで)遺族がバハイ形式の葬儀を避け、バハイではない形式の葬儀を行った場合に、バハイが参列することには、異議はありません。状況が許せば、バハイは故人となった友の魂の進歩するように祈りを捧げる努力をするべきです。それができない場合、精神行政会が、適切と思えるなら、葬儀とは別な機会に集まりを持てば、故人のために「故人のための祈り」や他の祈りを捧げることができます。
(1986年7月3日付、万国正義院の代理からある全国精神行政会に宛てられた手紙より)【39】
バハイでない家族のメンバーは、バハイの埋葬に関する掟を理解していないケースに関して、いくつかの考慮すべき点があります。その一つは、法的な問題ですが、亡くなられた方の遺体の取り扱いを決める権利は誰にあるかという問題です。これは国によって異なる可能性がありますし、民法は必ずしも亡くなられた本人の希望を支持しません。その意味で、バハイでない家族のいる友らは、亡くなってから、自分の遺体の取り扱いを確実に決めることは可能ではないかも知れません。もちろん、信者たちは、バハイの掟に沿って埋葬してもらいたいといった希望を家族に伝えた方がいいでしょう。これをするにあたって、自分が埋葬してもらいたいといって書面上の指示を残すこともあり得ます。同時に、バハイでない家族のメンバーに引き続いて親切で愛情深く、バハイにとって信教の掟がとても重要であることを伝えたり、バハイの教訓の精神的な意義をより深く理解できるように説明したりすることもしたいでしょう。貴国の信者たちは、これらの取り組みに関して、バハイの機構と相談したり、援助を求めたりすることは遠慮なくしたらいいでしょう。しかし、バハイの友が亡くなられてから、バハイでない家族がバハイの埋葬の掟に従わないことを選択した場合、それを問題として取り上げるべきではありません。
(2016年2月14日、万国正義院の代理からある全国精神行政会に宛てられた手紙より)【40】
火葬
アブドル・バハが火葬には反対であると述べられたことにかんがみて、信心の行動として、自身が火葬されないように対策をとることを信者らを強く促すべきだと守護者は感じておられます。バハオラは、「ケタベ・アグダス」において、バハイの埋葬の作法を法律として定められましたが、それは、非常に美しく、適切で、高貴な作法であり、どの信者もそれを破るべきではありません。
(1947年7月7日付、ショーギ・エフェンディの代理より全国精神行政会に宛てられた手紙より)【41】
火葬についてのあなたの質問に関してですが、バハイの法律は土葬と定めています。バハオラの「最も神聖なる書」に含まれているバハオラのご指示に、この法律が明記されています。ショーギ・エフェンディは、彼の代理を通じて 1955年に個人の信者宛てに書かれた手紙の中で、アブドル・バハも『土葬は自然であり、守られるべきであると説明なさいました』と述べておられます。ショーギ・エフェンディが言及された師の説明は、師が書かれた書簡に見出すことが出来ます。それらの一つは、『西の星』[Star of the West]の第11巻、第19号の317ページに出版されており、そこから引用します。
汝の手紙を受け取った。時間の不足のために、われは返事を簡単に記す。人間の肉体は徐々に形成されたものであるが、それは同様に徐々に分解されねばならない。これは現実と自然の秩序、そして神の法に応じるものである。もし、それが死後に焼かれる方が良かったとしたら、まさにその創造において肉体は死後に自動的に火がつけられ、焼きつくされ、灰になってしまうように計画されたことであろう。しかし、天の法令によって明確に述べられた神の秩序は、死後、この肉体はある段階から、前とは違った段階へと移されるということである。そこで、世界に存在する関係に従って、それは徐々に他の要素と混成し、混合し、様々な段階を経てやがて植物界に到達する。そこでは植物や花に変わり、最高の楽園の樹へと発達し、芳香に満たされ、そして美しい色になるのである。
火葬は、それがそれらの変化に達するのを急速に抑制し、その要素を急速に分解するために、これらの様々な段階への変化が阻止されるのである。
私達の肉体が、その創造者によって地球にある要素で構成されていること、また、創造者の法則の整然とした過程を通して、生存物の形成のために断続的に使用されているということを理解する時、私達の肉体が徐々に分解される過程を通過する必要性を理解することが出来ます。私達は、肉体を、地球上の生活を通しての旅に使い、目的地に達したらもはや必要ではなくなった乗り物に例えることが出来ます。死ぬ時、人間の真の、そして永遠なる自分である魂が神の領域へと舞い上がるために、その肉体の衣(ころも)を捨て去るのです。
(1971年6月6日付、 万国正義院から個人の信者への手紙より) 【42】
...ご両親は、確実に遺体が敬意をもって埋葬されるようにすることで、正しいことをしたと安心して良いかと思われます。遺体を解剖することには異議はないのですが、自然に流産した胎児を火葬にするという病院の方針は、火葬を禁じているバハイの法律に従っているとは言えないでしょう。遺体の埋葬と葬儀など、更なる詳細については、特にバハイの書物には指示はありませんので、ご両親の決定に委ねられます。
(2008年4月16日付、 万国正義院の代理からある全国精神行政会宛ての手紙より)【43】
個人が医学研究に自らを献体することは自由です。この目的で献体した時には、火葬にするのではなく、可能なら、死亡した場所、または献体を終えた場所から1時間を超えない場所に埋葬するように依頼するべきです。そのような条件を受理するかどうかの決定は、その時点で献体を受け入れる医学機関次第ですが、仮に医学機関が上記の条件を受け入れられないとしても、信者が希望するなら、献体は許されます。
友らが、ご自分の遺体の扱いに関して希望どおりになされることを確実なものにするために、ご家族と相談することをお勧めします。
(2014年12月21日付、万国正義院の代理によって書かれた個人の信者宛の手紙より)【44】
墓石
あなたの質問に関してですが、「バハイ」という言葉を、大切な人の墓石にある九芒星の中央に配するべきではないのかということに対しての根拠はありません。しかし、指輪の標章 も最大名も使われるべきではありません。
(1955年9月30日付、ショーギ・エフェンディの代理から個人に宛てられた手紙より) 【45】
墓標に関し、墓石に、バハイの書物からの引用を使用すること、そしてその著者名を含めることも許されます。
(1986年10月30日付、万国正義院からある全国精神行政会に宛てられた電信より) 【46】
あなたは、地方自治体の霊園では、墓石の寸法に法的な制限があるが、私有財産であるバハイ墓地にはそれらの制限は適用されないと述べておられます。さらに、そういった場合、バハイが従うべき仕様はあるのか、ということも問うておられます。通常は、墓石に関する事柄は、その墓地を担当しているバハイ機関が考慮すべきです。一般的には、墓石の素性、つまり寸法やデザインなどは、遺族に任されますが、もちろん、そこに関連する地方もしくは全国精神行政会が決定するべき何らかの要望、または考えなどには配慮していく必要はあります。
バハイの書物からのガイダンスに関してのあなたの問い合わせでは、墓石、または墓地の上部構造に関する規定は、なにも見つかっていないということです。墓石の碑文に関して、敬愛されし守護者は、信者に対し、どんな形体でも最大名は使わぬようにとおっしゃっています。しかし、九芒星は使ってもかまいません。希望するなら、聖なる書からの適切な文章を、墓石に彫ってもかまいません。
(2002年3月3日付の万国正義院の代理によって書かれた個人の信者宛ての手紙より)
【47】
墓地
現在、バハイ墓地の整備に関する明確な規則はありません。しかし、あるアブドル・バハの書簡中に、師は、墓地が美しい外観を持つことの重要性を強調されており、墓同士がお互いに接触するように配置されるべきではなく、夫々の墓が、その四方に花壇を持つべきであると述べられています。師は、また、墓地の中央に池があり、美しい木々が、池のまわりに植えられ、さらに墓地の周りにも植えられていれば快適であるとも述べておられます。
(1978年2月20日付、 万国正義院の代理からある全国精神行政会に宛てられた手紙より)【48】
新しい墓地の設計を考えるとき、皆さんは、ゆくゆく、バハイは、バハイ世界のゲブレの方向に向かって埋葬されるということを考えるべきです。つまり、将来作られるであろう墓地は、みな、遺体の足がバージに向くように配列することが望ましいでしょう。
(2013年6月10日付、 万国正義院の代理からある全国精神行政会に宛てられた手紙より)【49】
遺体の掘り起こしと再埋葬
あなた方の1978年12月11日の手紙にあった、バハイの信者の遺体を元の墓から移動することに関する問いに対して、万国正義院は次のように答える指示を出しました。つまり、バハイの掟では、遺体を掘り出して、埋葬しなおすことは許されます。しかし、万国正義院は、故人が亡くなった場所から一時間以内の場所で埋葬するというバハオラの掟を守るために最善の努力を尽くすべきであると考えます。
…において約30年の期間付きの墓地利用という習慣に関して、あなた方が予期する問題について、万国正義院は、元の墓が破壊されたり、その他の理由で掘り起こされたりする場合などに、遺体を移動することに関して原則として問題はないものの、永代使用が可能な墓地のための小さい土地を購入すること、あるいは墓地そのものが破壊される予定でなければ、墓地利用期間を延長する可能性を探ることが賢明であると提案しています。つまり、一度埋葬された遺体を掘りこさないですむような手配ができれば望ましいですが、もし不可能であれば、故人が亡くなった場所から一時間以上の場所へ移動せず、亡くなった場所の近くに埋葬するといったバハオラの掟の精神が守られるよう、できるだけのことをすべきです。
(1979年1月11日付、万国正義院の代理からある全国精神行政会に宛てられた手紙からの抜粋) 【50】
バハイの掟では、死骸を尊重に扱うよう配慮さえされていれば、再埋葬のために、より小さい棺に入れ替えることを禁じていません。
(1996年2月29日付、万国正義院の代理からある全国精神行政会に宛てられた手紙からの抜粋)
【51】
一度埋葬された遺体を掘り起こさないことが望ましいです。しかし、やむを得ない事情があれば、バハイの掟では、遺体を掘り出し、埋葬し直すことは許されています。これは通常、不可抗力による事情により絶対的な必要に迫られた場合、例えば、法律上で義務付けられているなどの場合のみに行われます。今回の問い合わせはそういった例ではないようです。今回、故人の家族は、30年近く埋葬されている母親の遺体を、公営墓地のアルコーブ(壁の窪み)から、私営墓地へ移動したいということですが、このような場合においては、万国正義院は、ご提案のように遺体を掘り出し、移動することを避けるべきであると考えます。
(2012年9月23日付、万国正義院の代理からある全国精神行政会に宛てられた手紙からの抜粋)【52】
一度埋葬された遺体を掘り起こしたりしないほうが好ましいことは当然です。しかし、地域によっては、法律上の理由で墓を掘り起こすことが必要になるでしょうし、墓地の整備のために料金が発生することもあるでしょう。墓の取り壊しの問題が発生した時はいかなる時でも、個々の家族にその資力の範囲内にての判断し行動をとるよう委ねられます。家族がない場合、バハイ共同体がその墓を維持することは現実的ではないでしょうが、そうせざるを得ない特別な事情もあるかもしれません。土地が十分になく、私有地として維持されていない土地を自治体などが慣例的に墓を取り壊している地域においては、バハイ墓地のための土地を入手することが、唯一、問題解決の方法となるかもしれません。そのような墓地を準備することが、現時点では、資金的に無理であっても、将来的には、多くの地方そして全国精神行政会は墓地入手のための行動を起こさなければならなくなるでしょうし、そうなると、信者の遺体を掘り起こして再埋葬するということも、必要に応じてできるようになるでしょう。今の時点では、友らやその家族が、可能な財源や人材を使い、社会状況が許す範囲で最善をつくすことに委ねられます。
(2014年9月25日付、 万国正義院の代理からある全国精神行政会に宛てられた手紙より)【53】
もし、選択肢があれば、遺体は共同の墓でなく、個別の墓に埋葬されることがより適切でしょう。
(2014年11月2日 万国正義院の代理からある全国精神行政会に宛てられた手紙より)【54】