バハイ学術の促進1
国際ティーチングセンターによる言明
1984年8月9日
バハイ学術の重要性
50年以上前、守護者は、バハイ共同体における知的発展の必要性を強調なさり、こう述べています。
最近、人々は宗教に対して非常に懐疑的で、宗教的な組織や運動を軽蔑の目で見ています。それで、若いバハイの人達は、これまで以上に、知的な面において準備をする必要があるようです。そうすれば、若いバハイ達は、偏見のないあらゆる人に、バハイの教えが効果的かつ強力であることを、納得できるような方法でメッセージを伝えることができるでしょう。(ショーギ・エフェンディの代理からある信者へ、5/5/1934)
それから守護者は、現代思想においてバハイの原則は目新しいものではないとする人々にバハイ信教を教えるために、バハイの学問が重要な助けになることを説明なさいました。
あなたが接触を持っておられる人々を引きつけるために、私たちに今必要なのは、より深遠で体系化されたバハイの学術です。世界の人々――少なくとも思想界の人々――は、70年以上前にバハオラが宣言された偉大で普遍的な原則の全てに追いつき、そのため、教えが「目新しい」とは思っていないのです。しかし、社会を再建するというバハオラの世界秩序の力など、より深遠な教えは新しく、精力的であります。私たちは、そのような教えを彼らに知的かつ魅力的に伝えられるようにならねばならないのです。(ショーギ・エフェンディの代理からある信者へ、7/3/1949)
そして最近、バハイの学術が果たす役割に注意が向けられています。
万国正義院は、バハイ共同体が無名状態から現れるにつれ、バハイの学術がバハイ共同体の発展と進化において非常に潜在的な重要性を有するものと見なしています。(万国正義院の代理からある信者へ、1/3/1979)
最高機関なる万国正義院が世界中のバハイにあてて発した1984年レズワンメッセージの最初の文で指摘されているように、バハイ信教が無名の状態から出てきたということは、過去5年間の著しい特徴です。これによっての公の注目が神の大業の方へ向けられ、また、バハイ学術の発展をさらに強調することが必要とされるようになります。万国正義院は、同レズワンメッセージの中でこう述べています――「世界の平和と和合のための唯一の望みとして、バハオラの啓示の真の性質について、あらゆる分野における世界中の指導者たちに知らせる努力を、ひるまずに続けなければなりません」。
バハイ学術の性質
バハイ学術を促進するために重要な必要条件は、バハイ学術という用語の意味について、より明確に理解することです。それには、守護者の言葉から引用するのが最善と思われます。それは、バハイの学者が目指すべき属性の定義と見なすことができるでしょう。
...大業にはバハイの学者がもっと必要です。それは、大業に対して献身的で、それを信じ、それについて他の人々に教えたがっているだけでなく、教えとその意義について深く理解し、教えを現在の世界中の人々の思想や問題に関連させることのできる人々のことです。(ショーギ・エフェンディの代理からある信者へ、10/21/1943)
この文では、独特な性質が要求されています。現在、バハイ信教が必要としているバハイの学者には、信教に対する信念と献身、教えに関する深い理解、そして他人と教えを分かち合いたいという強い望みが必要であることが強調されています。そのようなバハイ学術の独特な特徴は、守護者の他のメッセージでもくり返し述べられていますが、それは、私たちの周りにいる人々の現代の問題や思想に、バハイの教えを関連させるということです。
バハイ学術の促進
万国正義院は、大陸顧問がどのようにバハイ学術を促進することができるかについて述べています。
バハイ学術において……大陸顧問団は、新進の学者を励まし、他人の見解に対する寛容の精神をバハイ共同体内で促進することにより貴重な奉仕をすることができます。同時に、聖約の根本的真理と重要性についてさらに意識を高め、バハオラに対する愛をますます深めることにより、信者の信念の確信が強化されなければなりません。(万国正義院から国際テイーチングセンターにあてられたメッセージより、2/10/1981)
まず、「新進の学者を励ます」ことについて考えてみましょう。
バハイの学者が目指すべき属性について守護者が述べられた言葉からすると、バハイ学術は、例外なしに、バハイ共同体のあらゆるメンバーが努力して目指せるものであることが明らかです。あらゆる信者は、守護者が述べられた属性を求めることができるし、バハイでない人々の思想や問題にバハイの教えを関連させることができるのです。この潜在的な役割について、正式な教育を受けていない信者や、遠隔の地域や村や島に住む信者らも含めて、あらゆる信者の注意を向けさせ、バハイの学問は高い教育を受けている人や、学術的な職業についている人のみができる活動であるというような考え方をさせないようにすることにより、貴重な奉仕をすることができます。
人間生活のあらゆる局面を取り扱うバハイの教えを、周りの人々の思想や問題に関連させる努力をするにつれ、「祝福されたる美」の信奉者らは、教えを人々が納得のいくように伝える新たな方法を見つけ、バハオラの啓示についてますます理解できるようになるでしょう。
同時に、非凡な能力や訓練や業績を持った信者らが、バハイ学術への独特な貢献を通して大業に奉仕するため、自らの能力を捧げるよう特別に励ますことも必要です。
守護者は、バハイの学者の仕事と、信教の拡大と強化をくり返し、関連づけています。
もし、バハイの大業を真に効果的に教えたいのなら、バハイは、世界の現状とその問題についてもっとよく知り、それについて理知的に話をできるようにならなければなりません。私たちには、バハイの学者が必要です。それは、教えが何であるかについて知っているだけでなく、現在の社会的指導者らの思想に教えを関連させることのできる、博識で教養のある人々のことです。
つまり、私たちバハイは、信教の中に秘められた真理について、教養のある人々に実証するために、知識で装備されなければならないのです。(ショーギ・エフェンディの代理からある信者へ、7/5/49)
万国正義院は、精神的な原理について証明し、伝えるために「倫理学」の方法を用いたいというバハイに応えて、こう記しています。
……あなたが、精神的な真理を論理的に教え、その妥当性を科学的な証拠によって実証したいと考えておられることを、万国正義院は理解しています。そのような態度を持つことに対して、問題は一切ありません。アブドル・バハご自身も、そのような方法を用いられました。バハイの学者が避けるべきことは、科学的分野に広まっている理解や考えに合わせるために宗教的真理を歪めてしまうという危険性です。真のバハイの学者は、これに対して警戒しなければなりません。(万国正義院の代理からある信者へ、6/7/1983)
万国正義院は、様々な分野で専門家となるバハイが果たす役目について、次のように述べています。
バハイ共同体が発展するにつれ、多くの分野における専門家が共同体内に現れるでしょう。それは、バハイ自身が専門家になることと、専門家がバハイになることによって起きるでしょう。これらの専門家たちが共同体への奉仕のために、その知識と技能を捧げるにつれ、さらには、神の教えの光をもたらすことによって、その様々な分野を変えていくにつれ、社会を今混乱させている問題に対する答えが、次から次へと出されることでしょう。(万国正義院の代理からある信者へ、8/21/1977)
この役割に関連して、万国正義院は次のように呼びかけています――「……さらに多くの信者が、あらゆる分野における人類の問題について分析し、教えがいかにそれらの問題を解決できるかを示せるようになるため、バハイの学術を促進するよう……」(万国正義院の代理からある信者へ 1/19/1983)。
大陸顧問と補佐は、独特な能力と将来性のあるバハイ、特に生涯の職を決めようとしている若いバハイを刺激し、励ますことによって、この要求に大いに応えることができます。バハイの教えは、思想や活動のあらゆる面に関連しているので、ある学問の分野に優れるようになる信者は、バハオラの啓示がいかに深遠で効果的であるかを示すように教えを伝えることにより、重要で遠大な貢献をするという、うらやむべき役割を果たすことになります。
深い学識で広く認められ、バハイ信教への永続的な献身さと、大業について教えるという強い望みによって、知的活動を豊かにされた幾人かの信者の模範を、バハイ共同体は見ることができます。そのような人物としてあげられるのは、守護者が、「まことに優れ、博識である」と言われたミルザ・アブル・ファズル、同じく守護者がその学識を賞賛なさった大業の翼成者ジョージ・タウンシェンド氏、万国正義院がその「優れた学術的活動」をほめ称えた大業の翼成者ハサンバリュージ氏、そして現在同じような奉仕に従事している他の人々です。
寛容の精神の促進
では次に、「他者の見解に対する寛容の精神をバハイ共同体内で促進し」、「信者の信念の確信」を強化することについて考えてみましょう。万国正義院は次のように述べています。
神の顕示者とその教えに完全に忠実であることと、信教の教えと、歴史を探求し、理知的に研究すること(それは教えそのものによって命ぜられています)が組み合わせられていることは、この宗教制の特別な強みです。以前の宗教性においては、信者らは、互いに敵対する集団に分裂する傾向にありました――ひとつはその啓示の文字を盲目的に固守する集団、もうひとつは全てを疑う集団でした。あらゆる極端な態度に言えるように、両方とも、誤りを生じ得ます。敬慕する守護者は、「バハイ信教は……束縛されずに真理を探求するという第一の義務をその信奉者らに命じている」と記しておられます。バハイは、理性と理解を持って信教に従うよう要求されているのです。信者らは、この成熟の域に達するよう努力するにあたって、過ちを犯すことは避けられないでしょう。そのため、その事柄によって友人たちの間に不和が生じることがないよう、それにかかわる人がみな、寛容と謙虚さを持つよう要求されているのです。(万国正義院の代理からある信者へ、10/7/1980)
全ての信者の課題は、万国正義院が警告しているように、お互いに敵対するような集団に分かれてしまわないよう、つり合いの取れた態度を養うことです。
万国正義院は、寛容の精神の必要性について次のように述べています。
信者、特に行政秩序で任務を課されている信者が、自らの見解と違う見解に対して冷静にかつ寛容に、探求心をもって対応することが大切であることに、万国正義院は意見が一致しています。そして、彼ら(信者)は、あらゆるバハイが信教について学習する者であり、教えについてより明白に理解し、より忠実に応用しようと常に努めていること、そしていかなる者も、この啓示について完全に理解していると称することができないことを忘れてはなりません。同時に、あらゆる信者、特に学者は、友人らの間に不和を生じさせてはならないという、バハイの書にある数多くの警告を忘れてはなりません。そのような危険性から共同体を守るのは、信教の機構の任務であります。(万国正義院の代理からある信者へ、7/18/1979)
このように、寛容の精神を促進することは、行政的な権限を与えられた人々が、過度に反応を示したりせず、また、教えに関して自分が理解していることを述べる人々が、故意に、または無意識に不和や論争を助長したりしないことを要求しています。不和の助長に対する警告は、バハイ学術を実践しようとする信者が直面する危険のひとつを示しています。あるとき、万国正義院は次のように述べています。
しかし、自らを学者と見なし、学術的な意味でさえも信教のある面においてかなりの専門的知識を持っていながら、教えの他の面については、嘆かわしくも無知で誤解しているという信者のケースがいくつかありました。又ある人々は、非学術的な不節制で辛らつに批評的な見解を述べたりもしました。(万国正義院の代理からある信者へ、10/8/1980)
礼儀正しさと中庸、機転と英知を持って意見を述べるよう努めることにより、バハイの学者は、共同体内に寛容の精神を維持することへの貢献ができるでしょう。そして、この寛容の精神は、バハイの啓示の意味を彼らが限りなく探求することを援助するでしょう。
信者の信念の核心を強化
バハイの学者が大業の精神について徹底的に深く学び、その教えについて博識になることの必要性は、次の文で強調されています。
信教の社会的法律を応用するにあたり、ほとんどの困難は、公然なる不従順から生じるだけでなく、法律を文字通り忠実に守りながらも、核心にある精神から逸れてしまう人々の行動からも生じえます。同じような傾向は、バハイの学者らの間にも見ることができます。バハイ学術の重要な分野における知識と理解の大いなる進歩は、一方では自分の分野に博学で、かつ研究の原理を固守しながらも、他方では信教に対する愛と、その教えをより深く理解しようという決意に徹底している人々によって得られるものです。(万国正義院の代理からある信者へ、3/27/1983)
同じ手紙の中で万国正義院は、バハイの学者が自らの内部で戦わねばならない知的傲慢の危険性について、次のように述べています。
万国正義院は、バハイの学者らが知的傲慢の誘惑に対して警戒すべきであると感じます。アブドル・バハは、西洋の友人たちが知的な試練を受けるであろうと警告なさりましたし、守護者もそれについて繰り返しておられます。西洋思想には、一般の人々にとっては攻撃できないほどまでに確立された原理が多くありますが、時がたてば、それが誤りである、あるいは、一部分だけ正しかったことが示されるでしょう。学術世界で著名になるバハイはみな、そのような思想に強く影響されるでしょう。(万国正義院の代理からある信者へ、3/27/1983)
聖約は、教えを歪めることや、知的傲慢の微妙な誘惑に対する神聖で侵すことのできない保護を定めています。聖約は、神の顕示者の権威と、聖典が定める機構の不過誤の権威を主要な部分として含んでいます。
アブドル・バハは次のように述べておられます――「あらゆる者は、『最も神聖な書』に向かわねばならず、はっきりと記されていないことは全て、万国正義院に照会せねばならない。この機構が満場一致、又は多数決で決めることは、まことに真理であり、神ご自身の目的である。」(「アブドル・バハの遺訓」)
万国正義院は、次のように述べています。
バハイ信教には、信者が向かうように定められた、ふたつの中心的な権威があります。「言葉」の「解釈者」は、実は、「言葉」そのものである中心の延長であります。「書」はバハオラの言葉を記したものであり、神の霊感を受ける「解釈者」は、その「書」の生ける「口」とも言うべき存在であります。そして、「書」が何を意味していることかを権威をもって述べることができるのは、「解釈者」のみなのです。このように、ひとつの中心は、「解釈者」を伴った「書」です。もうひとつの中心は、「書」にはっきりと啓示されていないことについて裁決するよう、神によって導かれている万国正義院であります。(万国正義院からある信者へ、12/7/1967)
また、万国正義院は、次のように指摘しています。
現在広まっている学問の見地から人々に語りかけることは、しばしば賢明なことかもしれませんが、神の顕示者の啓示こそがあらゆる学問の標準でありますし、科学的な言明や倫理は、神の使者が宣言した永遠の原理にいかに接近しようと、その性質からして短命で限られたものであることを見落としてはなりません。同じように、バハイ信教を現代社会に関連させようと試みることは、信教を現在広まっている倫理や慣例に一致させようとすることにより、信教の根本的真理を歪めてしまうという危険を招きます。(万国正義院からある全国精神行政会へ、7/21/1968)
バハイ学術における重要な要素は、神のメッセージを理解しようとするにあたって、人間の知性には限界があることを認めるという謙虚さです。バハオラは、ある祈りの中で、創造主に向かって、次のように語りかけておられます。
おお、わが最愛なる御方よ。あなたの創造物がいかに学識があり、いかにあなたを知ろうと努めても、あなたは、それより計り知れぬほど崇高な存在におわします。そして、あなたがいかなる存在であるか描写しようと、人がどれだけ探求しようと、あなたは、はるかに崇高なる存在におわします。なぜなら、いかに深く黙想しようと、人間の最も高遠な思考も、あなたの創造に課された限界を超えることはできず、依存的世界の状態を越えることもできず、あなたがその依存的世界に引かれた、取り消しのできない境界線を越えることもできないのですから。(Prayers and
Meditations of Baha’u’llah, CLXXXIV)
もうひとつ、聖約の重要な規定は、解釈に関するものです。万国正義院は、次のように述べています。
...個人的な解釈は、理性の力の実りであり、教えをより深く理解するために、役立つと考えられますが、それには、友人たちの間にいかなる論争や議論も起こさず、また解釈をした人自身もその見解は自分の見解にすぎないことを理解し、明らかにすることを条件とします。教えをさらに理解するにつれ、個人的な解釈は、常に変わるものです。
...個人の洞察力は、啓発的で、役立つことがあり得ますが、誤解を招くこともあります。それで、友人たち(バハイ)は、威圧されたり、信念を揺るがされたりせずに他人の見解に耳を傾け、また、他のバハイに押し付けることなく、自分の見解を述べることを学ばねばなりません。(万国正義院からある信者へ、5/27/1966)
バハオラの聖約は、創造的な発展を促し、個人的な表現を奨励することで、ますます知られるようになるバハイ共同体を生み出します。聖約は又、バハイ宗教制の折り紙である信念と理性の調和を、バハイの学者が示すことができるように導くための原則を与えてくれます。
バハイ共同体の知的な面の促進を呼びかける7年計画と、密接に提携されたバハイ学術の発展を通して、「最大名」の信奉者の世界的共同体は、その発展における刺激的な段階に入ろうとしています。それは、信教の真理に引きつけられる人々の枠を広げ、その信望と影響力を大いに増し、バハオラの啓示が最終的に築き上げる世界文明の基盤を広める段階であるのです。
1 この言明の前書きは次のとおりである:
1979年のノールズにバハイ世界にあてて発されたメッセージで、万国正義院はこう述べています――『あらゆる活動の中心として、信者の精神的、知的、そして共同体の生活が促進されなければなりません』。この目標を達成させるため、世界テイーチングセンターは1984年8月9日に、全大陸顧問団に手紙を送り、この重要な課題に関する情報を送りました。その情報によって大陸顧問がバハイの水準と価値観に添ったバハイ学術の発展を促進させる方法を考え出す手助けとなることが期待されています。
万国正義院は、この情報があなた方の全国行政会にも役立つと感じており、世界テイーチングセンターの手紙から、いくつかの抜粋を送るよう、要請しました。
(万国正義院の代理から、いくつかのNSAへ、10/25/1984)